二十八、衝撃の事実
あれから三ヶ月以上が経ち、夏休みは虹介の念願であるカバ狩りに出掛ける。祥介は当然ながら一緒だが、大介も一緒に行く事になっている。
カバは壬玖村とほぼ真南に位置する辛捌村の中間からやや南寄りに、そして少し西に位置する沼地に生息している。皮が特殊でこの世で一番刃が通らないと言われている。実際、青鉄製でも相当色が濃い物でなければ刃が通らない。
祥介が以前カバを倒した事があり、その時に見ていた大介や俊亮から話を聞いていていつかは必ず挑戦したいと願望を抱き、その機会が巡って来たのだから張り切らざるを得ない。
出発は七月二十八日と決まっていて、まだ夏休み前の七月二十日という事もあり、毎日落ち着かない日々を過ごしていたが、今日は日曜日で覚が遊びに来ていた。
「クロは慣れたな」
「アオにも慣れたい」
「それは無理そうだなぁ……」
二人で屈み込んで仔等と戯れていて、アオは虹介の足元にいるのだが、覚とは反対側にいて三本の尻尾を地面に叩き付けていた。
「機嫌が悪いみたい」
そう聞いて残念気に眉を顰めて俯いていたが、手は黒を撫でていた。
「そう……、それは残念。それで、出発する日は決まったの?」
「決まった! 二十八日に出発して先に辛捌村へ行って、帰りにカバ沼地に寄って狩りをして帰って来るよ」
笑顔を覚に向けていたが、覚は俯いてクロに顔を向けている。
「それじゃあ十日は掛かるの?」
「もっと掛かると思うんだけどな。下手すると片道でそれくらい掛かるかも」
「十分に気を付けて、無事に帰って来てね」
「うん、ありがとう。カバの皮を通る刀があるから、下手を打たなきゃ大丈夫! それに父さんがいるからな、的確な指示が飛んで来るぞ」
虹介の声が弾んでいて、楽しみにしている事が良く分かった。
「でも本当に気を付けるんだよ?」
「うん」
満面の笑みを浮かべて頷いたが、当然ながら覚には見えない。それでもその声色で、虹介の心情を推し量る事が出来た。
夏休み目前の二十四日になると、今度は仕事帰りの志川が来ていた。今日は裏庭で仔等を追い掛け回して遊んでいたが、虹介は注意せず、縁側に座ってその様子を漫然と眺めていた。
一頻り遊んで満足したのか、志川が虹介の隣に腰を掛ける。
「いつもなら、そろそろ止めろよって止めるのに、今日はどうしたんだ?」
「クロアオが運動不足だから丁度いいと思ってな」
「あっ、そ」
距離を取っている仔等から虹介に顔を向けた。
「夏休みの間はどうするんだ? どこかへ行くのか?」
「そうだな、夏休みに入ってすぐ、辛捌村へ行く事になっているんだけどな。志川は?」
虹介は仔等を見ながら言った。志川も仔等に顔を向けると、アオに警戒された。
「俺は仕事が入ったら、だなぁ……」
アオの態度に微笑みながら、再度虹介に顔を向ける。
「英次に会ったら、うちに来るように言っておいてくれよ」
「分かった。会う事があれば、な」
志川は虹介の横顔を見ていたが、ふと顔を向けられて目が合い、思わず身構えた。
「志川も今年度に学校を卒業するんだよな?」
「俺はしないぞ。そもそも通ってないからな」
「なんだぁ、そうかよ」
脱力すると顔を正面に向ける。
「でも勉強はさせられてるよ」
「させられてる、のか」
「そうだな。望んでやってる訳じゃねぇからな」
「そうか。まぁ頑張れよ」
二人は暫く雑談をし、志川は当然のように泊まり、夜は夜でキュウを追い掛け回して仔等から攻撃をされ、翌日帰って行った。
英次と会う事もなく出発当日になった。今度の旅はクルーも同行する為、少しのんびりした旅となる。日頃から動こうとせず、寝てばかりのクルーでもいざとなると良く走る。時速約百キロメートルで走り、八日掛けて辛捌村へ向かった。小さい頃は祥介に連れられて色々な村へ行っていたが、辛捌村は久し振りの訪問となる。
三人に加え、クルーとキュウと仔等の餌も必要になる上、帰りに増える荷物の量を考えて九頭のカルカルがいて、祥介が三頭、虹介が三頭を牽いての移動となる。キュウは虹介の上着の中に入っていたが、仔等は虹介の編んだ籠の中にいて、虹介の牽くカルカルに乗せられていた。
途中雨に降られて足止めを食らったが、それがよい休息となり、仔等も十分に遊べて体力を使い、残りの往路を走って辛捌村に到着する。
辛捌村では俊亮の姉である翠と会った。翠は大介の一歳上で、二人は恋仲だったのだが、虹介は知らなかった。
「久し振りにすいちゃんのご飯が食いたい」
笑顔で言ったが祥介に肩を抱かれ、商店街の方へ向かって行った。残された大介と翠は後ろ姿を見て苦笑していた。
「おじさんに気を遣われちゃったねぇ。それじゃあ食べる?」
「うん」
「四人分あるから、二人で食べられるだけ食べようね」
「沢山食べるよ」
久し振りの再会に喜んでいる二人は知らず知らず顔が綻んでいた。
虹介に肩を抱かれて移動している虹介は独り言を呟いていた。
「俺だってすいちゃんと久し振りなのにぃ……。クロアオも見せたかったなぁ」
背嚢に入っている仔等が名を呼ばれたと思って鳴いている。キュウは夜の空を散歩中でいなかった。
「お前はもっと気を回せよ……」
そう言って肩に回している方の手で虹介の頭を撫でた。
「気を回す?」
「大介と翠は想い合っているって事だよ」
驚愕して祥介に顔を向けた。その虹介の顔を見た祥介が笑う。
「あはは、気付いてなかったのか。鈍いな」
「えっ、だって、俺が何歳だ? 五歳か四歳くらいの時にここに来ているんだから、そんな事分かる訳がないだろう?」
「ああ、そうか」
虹介の肩を叩いて手を戻す。
「まぁ今夜は二人で飯を食って、明日には明後日からの旅に備えて買い物しよう」
「分かった。……兄ちゃんも来るって言うから喜んだのに、とんだ落ちだったな……」
「そう言うなよ。こっちは男同士で楽しく行こう、な?」
「まぁ、父さんがいいならそれでいいけど」
「不満そうに言うな。喜べよ」
祥介が虹介の頭を乱雑に撫でると、虹介は気恥ずかしくなった。
二人は翌日、カバの肉が手に入る事を見越して道中の食料や足りない道具などを買い込んだ。そしてこの村の側に塩湖があり、塩が特産である事から尋子と郡司への土産に三袋ずつ、我が家には五袋買った。
更に翌日、出発する一時間前に大介と合流し、出発時間に翠が見送りに来る事はなかった。二人がそんな仲だとは夢にも思っていなかった虹介は、出発するまで仏頂面だった。
日が経つに連れて仏頂面も直って来て、三日目には満面の笑みとなっていた。それもその筈、カバの生息する沼地の南側に到着した。昼食後からカバを探す事になっている。大介とクルーと仔等は遠巻きに、沼地の方を向いて話し合っている二人を見ていた。キュウは散歩に出掛けていていない。
沼地には低木が疎らに生えていて、根は盛り上がって水上にも顔を出ている。カバはその中に仔を隠す習性があり、その親子に当たらないように探さなければならない。二人は縁からカバを探す。虹介は膝を折り、左手で庇を作って探していた。眼帯の色は煤色でも、実物は濡れている為、それより濃い色になる。目を凝らして探すが、この近辺にはいないのかも知れない。
カバの体長は四メートル前後、大きいと五メートルになる事もある。そんな巨体が見付からないのだから、虹介も腰を据える覚悟をした。
祥介と東側へ移動しながら探し、大介がそれを見てカルカル等を連れて同様に東へ移動していたが、日が暮れ掛けて、沼地が見えなくなるまで南へ移動し、低木が三本生えている場所で天幕を張った。初日は空振りに終わったが虹介のやる気は衰えず、一人早寝をする程に張り切っている。気疲れした祥介が次に寝袋に入り、大介は後片付けをしてから寝袋に入った。
祥介に滞在は五日までと言われていて、その二日目となる。日数的に余裕がある為、虹介も余裕があるのかと言えば、そうではなかった。カバが取れないと帰路の食事が侘しい物になるからだった。
朝食が済むと後片付けは大介に押し付けて、小石拾いに精を出していた。爪程の大きさから掌の大きさまで、持って行った風呂敷二枚に入り切るまで集めた。
沼の縁へ行き、これと思う物に小石を投げて行った。祥介はその必死さに笑いそうになる。その小石も昼になると既に半分がなくなっていた。
「虹介、午後は木の根に乗って、沖の方へ移動してみるか?」
「それで子供を刺激して、親が激怒して襲って来たらどうするんだよ?」
「それを狩るんだよ。二人いればどうにかなるだろう」
「ええ?」
平然と言う祥介を見て、思わず顔を顰めた。
「その方が手っ取り早いぞ」
「うーん……」
悩んでいても、その方が手っ取り早い事は理解していて、午後からは木の根から根へ跳んで行った。根に着地すると激しく足踏みをして仔カバがいない事を確認すると次へ行く。
「来たぞ!」
虹介ではなく祥介に当たりがあった。自分が当てられずに不満はあったが、祥介は手に持っていた枝で時折親を叩いて煽り、岸へ誘導している。虹介はその後ろを付いて行った。
岸へ上がった後、丸みを帯びた肉体なのにも拘わらず、結構な速度で突進して行く。祥介は枝を捨て、大口を開けられた時に跳び上がって背中に乗った。反転して手を組み、それを頭上に上げてから勢い良く振り下ろす。しかし、カバが頭を振って暴れ、思わず体勢を崩すとカバを蹴って遠くへ着地する。カバは再度突進すると、虹介が後ろから飛び乗って、祥介がしたように手を振り下ろして頭頂部を殴った。
「ブオォォォオ!」
虹介が全力で殴っても元気なようで、頭を振って暴れる。虹介もカバを蹴って遠くへ着地した。その強さにやり甲斐を感じて嬉しくなり、笑顔になっていた。
虹介の持つ短刀ならどこからでも刃が入るのだが、極力皮を綺麗な状態で手に入れたい為、祥介の短刀で仕留める事になっていて、それが出来るまで弱らせる作戦だった。
図体の割に良く動き、二人を何度も牽制していたが、どちらかが上手い具合に背中に乗って頭頂部を殴っていると、カバの動きが鈍くなった。
「虹介、そろそろいいだろう!」
カバを挟んで反対側にいる祥介が叫んだ。
「分かった!」
正面から突っ込んできたカバが大口を開けた瞬間に斜め上へ跳び、祥介の短刀で目を貫いた。奥へ差し込みながら宙返りをして頭上に乗ると、カバはそのまま膝を折って倒れる。
「う、うおおおお!! やったー!!」
虹介が拳を突き上げて飛び跳ねた。祥介が岸へ上げてから小一時間後の事だった。
「おめでとう」
祥介が側へ来て屈むと、カバの開いた口から見える牙を見ていた。
「この牙で噛まれたら痛いだろうなぁ……」
興奮冷めやらぬ虹介は、そう言う祥介の側へ行く。
「わぁ、これは誰でも痛いぞ。それにしても父さんがいてくれたお陰で楽だったよ。ありがとう」
「次は一人で狩るんだぞ?」
「うーん、大きい割に機敏だから、上手い具合に仕留めないと相当傷付けそう」
「大穴熊とどっちが強かった? もう覚えていないか?」
そう訊いてから虹介に顔を向けると、首を傾げていた。
「どう、だろうな? 大穴熊は、うーん、その大きさに萎縮していたんじゃないかと思うんだよなぁ。それに一人だったけど、今は父さんがいるから気持ち的なものが全く違うんだよな」
そう言いながら笑顔になると、祥介も微笑んだ。
「そうか」
頷くと立ち上がり、大介のいる方向に指笛を吹いて大介達を呼んだ。
半身が下がるように穴を掘って血抜きをする。そして、少しだけ解体して夜はカバの肉を焼き、クルーとキュウと仔等は生のままで食べさせた。
翌日は本格的に解体し、皮と牙と骨を優先して持って帰る為、残りの肉は積めるだけを小分けにして燻製にして包み、持ち帰れない分は穴を更に掘り進めて埋めた。
作業中、大介に翠の事を訊いてみたかったが、祥介がいて訊けずにいた。
帰路は順調に進み、四日後に帰宅した。まだ日が高く、尋子に燻製肉と土産を持って行く。それからすぐに戻ると次は隊舎へ行き、郡司に土産を渡した。郡司に大介と翠の事を訊きたかったが、人がいて出来なかった。
(うーん、どうも機会がないなぁ……。間が悪いんだな。仕方がない)
後は俊亮に訊くしかないが、訊いた所で教えてくれそうにないと思い、訊く事はなかった。
虹介の卒業が目前となった二月、大介と翠の事を綺麗に忘れていた。南の狩り場から帰って来て、仔等をいつも通りに水で濡れた手拭いで拭いてから縁側へ置いた。すると居間の障子が開く。
「おかえり」
「父さんこそおかえり。いつ帰ってたんだ?」
「さっき。何か獲れたのか?」
先に拭かれたクロが居間へ入って行く。
「うん、イタチが取れた。台所の外に置いてあるから、今夜はそれを食おう」
「そうか。ありがとう」
祥介の顔を見て嬉しくなった虹介は急いでアオを拭いた。
今日は二週間振りの三人での夕食となった。
「虹介、次は辛捌村へ行って来る。二十日弱は留守にするからな」
「え! そんなに? 辛捌村で何かあるのか?」
「いや、そうじゃなくて、辛捌村から壬玖村まで護衛だよ」
「ああ、護衛かぁ」
「卒業式は三月のいつだった?」
「十四日だよ。覚えておいてくれよぉ……」
「そうだな。それまでには帰れるようにするわ」
「分かった。気を付けて行って来てよ」
祥介はいつも通りの虹介を見て微笑んだ。
「そうだな。気を付けて行くよ」
虹介は大介が何も言わない事が気になったが、祥介が気にしていないようだった為、気にしなくなった。
「二月の、そうだなぁ……、二十三、いや、二十二日に出るわ」
「卒業式前日の十三日までに帰って来てくれよ?」
「分かった。でも出発する日にも言ってくれ」
「息子の卒業式なんだぞ? 忘れるなよ?」
「覚えているよ、きちんと」
大介は笑顔でそのやり取りを見ながら咀嚼をしていた。
そして卒業式の二日前、祥介が無事に帰宅した。学校を休んでいる虹介が昼前に南の狩り場から帰って来ると、隣家の澤川家に荷物を積んだままの荷車が置かれている上、大介の荷物が澤川家へ運び込まれていた。
驚いて仔等を裏庭に置いて隣家へ向かう。障子が開いている居間に尋子がいた。
「尋子さん! どうなってるんだ?」
すると尋子が顔を左に向け、そちらから一人の女が顔を出す。
「虹介、ただいま」
「えっ、すいちゃん? ……どうして? 兄ちゃんの荷物をこっちに移しているんだろう? あれ? どうしてすいちゃんが?」
尋子と翠が顔を見合わせて笑う。奥から大介が出てくる。
「虹介、おかえり」
「ああ、ただいま」
「翠と結婚して、ここに住むことになったんだよ」
虹介は俄に信じられなかった。
「は?」
後ろから棚を持って来た祥介が縁側に降ろす。
「ただいま、虹介」
「ああ、おかえり……」
祥介の笑顔を見て、険しい顔をすると息を大きく吸った。
「俺にだけ黙ってたのかよ、クソォ!」
「驚いただろう?」
祥介はそう言って虹介の肩を抱き、そのまま家へ戻る。虹介は複雑な心境のまま、問答無用で引っ越しの手伝いをさせられた。




