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壬玖  作者: 丹午心月


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26/39

二十二、最悪の年始

 岩村は死を覚悟するしかなかったが、三村がそれを止めたが、虹介は目を三村に向けただけで、手を離した訳ではなかった。

「カルカル達は返す。岩村を殺すのは待ってくれ」

「返せば言った事がなかった事になるとでも思っているのか? 俺の身内を脅かす奴に容赦はしない。当然ながら身内にはカルカルも含まれる」

「悪かった!」

 待てと言わんばかりに右手を突き出して言った。

「悪いも何もない。俺はこいつを殺すだけ。その後に俺を捕まえなければならなくなったら、殺される覚悟をして全力で来い。俺はそれを全滅させるだけだ」

 三村は何を言っても聞き入れてもらえないと思い、土下座をした。

「頼む! 話を聞いてくれ!」

「こいつを殺して、それから帰る」

 虹介の顔を見た三村は再度頭を下げ続けた。

「何も言わないこいつは死にたいみたいだぞ」

 顎の下にある手で顎を掴んだ。その瞬間に岩村が叫ぶ。

「たっ、大変申し訳ない! 私が悪かった!」

 虹介はその頭頂部を見下ろす。

「謝罪をすればそれで済むとでも思っているのか?」

「二度と君達には手を出さない」

「誓約書を書くか?」

「書きます」

「嘘だったらどうなるか分かっているよな?」

「……はい」

「三村さんも当然書くよな?」

「書こう」

 虹介は手を離した。岩村は安堵したが、顔色はすぐには戻らない。二人は虹介に言われた通り、誓約書を書いたが、虹介は気が全く治まらなかった。

「俺の身内に何かがあったら、真っ先にお前等を疑い、必ず殺しに来るから覚えていろよ」

 誓約書を確認しながら言うと、岩村が痛みに顔を歪める。殴られた頬が膨れ上がり、美貌が台なしだった。

「それに書いた通り、こちらからは戸二谷家と一切関わりを持たない」

 そう言ったのは三村だった。

「まぁ、岩村みたいな考えなしが戊伍ぼご村のくすり師師長だからなぁ……。カルカル等を返して欲しければ依頼を受けないといけない、これと似たような事を今まで幾度となく言って来たんだろうから、全く信じられないんだよなぁ。さっ急に頭をげ替える事をお勧めするよ。また七年、いや、もうすぐ八年になるのか? 八年前みたいな事が起こると、次こそは本当に殺してしまうだろうからな」

 あの時の臭いを思い出した虹介は、恨みがましい目で岩村を睨み付けながら言った。しかし、岩村は虹介を一瞥すらしなかった。

「岩村が俺を試す為、ああなるように試験を始めたとうわさで聞いたけど、俺の見立てでは本当のようだからなぁ。あれの尻拭いをしに、葵拾きじゅう市へ行かないといけないよな?」

 虹介は震えている岩村から三村に目をやる。

「こんな奴とつるんでいる警備隊なんて信用に値しないんだけど、それでもこの誓約書は意味があるよな。……まぁないと俺も潰すしかなくなるから、あってくれないと困るんだけどな」

 そう嘲ると鼻で笑い、そのまま立ち去った。

(岩村を始末してから去ってくれれば、私も非常にありがたいんだけどね……)

 顔を顰めて震えている岩村を見ていた三村も無言で退室した。


 虹介はカルカル置き場にいた警備隊隊員に誓約書を見せ、カルカル等を返してもらった。薬師組合の石垣を破壊して気分が少しばかり晴れたが、やはり宿泊せずに帰路に就いた。しかし、戊伍村を出発する時間が遅くなってしまい、結局はあの村の手前で野営をする羽目になった。

 苛立ちが募ったが、手を汚す事がなかっただけ増しだと思う事にして天幕を張った。汲んでいたあの池の水がなくなったが、仔等の糞玉ふんだまをカルカル等にやって明日に備えた。

 クロは調子が戻って来ているとは言え、もう少し掛かりそうだった。それでもアオと戯れていて、虹介の口元を綻ばせた。

 食後、おじやの後に湯を沸かし、それを飲んで温まっていた。冬の夜で非常に寒いが、腹の中から温まると少しは落ち着ける。

(それにしても、あの薬師師長が俺に何の用だったのか? 岩村は所謂いわゆる美丈夫という奴だろうな。それで伸し上がったとも考えられるが、それだけで薬師師長が警備隊を配下に置けるのか? ……三村さんが土下座までして俺に話を聞かせたかった理由は何だろう?)

 思案するだけ時間の無駄で答えを知る機会はもうないが、虹介は退屈凌ぎに思案した。

(単に俺を屈服させたかったのか? 大穴熊の件は岩村が深懐しんかい山と麓海れいかい山の合間に良く生えている薬草を、試験で必要としたから起きた。あれは約八年前だから、あの頃から岩村が幅を利かせていた事になる。いつかは俺の地力を測れたらと思って始めたらしい、という噂は父さんが仕入れて来た。どこからかは知らない……、それじゃあその出所は? どこだろう……。まさか三村さんではないよな)

 いつの間にか険しい顔をしていた虹介の股座で仔等が眠り掛けている。虹介はそれを見ていた。

(これは思ったより奥が深いのか? ……いや、俺の力を利用しようとしているだけ、が答えだな。それにしても、手加減をしたつもりだったのに岩村のあの顔、あそこまで腫れるとはな……)

 思い出すと笑いが込み上げて来た。気分が少し晴れた所で温い湯を飲み干し、仔等にも残っているそれを飲ませてから片付けをして天幕に入った。


 翌日の一月三日、六日目以内に壬玖じんく村へ辿り着く為、早めに起きた。虹介としては到着日を六日目の始業式の前日に当たる八日にしたくなく、出来れば最高時速で走って四日目に到着したいと強く願っていた。

 手際良く朝食の用意をし、炊いている間に天幕を片付ける。近くにある水場へカルカル等を連れて行き、飲み過ぎないように監視をする。二頭は共に程々の所で頭を上げ、野営の場所へ戻ると、おじやが炊き上がるまで座って仔等の相手にしていた。

「今年は年明け早々から嫌な事があったけど、厄が払えたと思えばいいよな?」

 抱いているクロに言えば「アオー」と返事をもらう。アオも「アオー」と鳴いていたが、アオの場合は虹介の腕に前肢を掛けて登ろうとしていた為、その返事ではない事が明らかだった。

「抱っこはしないぞ。クロは様子を見る為にこうしているだけだからな?」

 そう言いながらクロを下ろすと、アオが虹介の手にしがみ付いて来た。仕方なく抱き上げようとすると、クロも手を伸ばして虹介の腕に爪を立てた。仕方なく二頭を抱いて交互に頭を撫でた。

 今度は最高時速で走り続ける為、荷物を鞍に固く結び付けた。そして虹介は気を引き締める。不測の事態は既に起きたが、もうないとも言い切れない。それに気になる事が一つあった。

「よし、行くか!」

 仔等の入った背嚢を背負い、くとさに跳び乗った。手綱を手にするとくとさが駆け出し、くやじは手綱が引っ張られる前に付いて行く。

 出だしは好調だった。一度目の休憩はあの池の近くで取り、水を汲んで耐性を盤石のものにするつもりでいたが、村の傍を通りかかるとやはり一軒の家から煙が出ていた。煙が西へ流れて行く様子を見て、風がある事を知る。

(やっぱり煙だな。……風を見る為か? それにしても、毒で廃村になっているのに人が住んでいる事が不思議でならないなぁ……。三村さんはこれを調べたかったのか? ……それじゃあ薬師はどう関係しているんだろうか?)

 思案している内に速度を落としていた。

(何にせよ、この毒に耐えられるかも知れない奴がいるとなると、これをばら撒かれる可能性もあるって事だよな?)

 そう思い至ると即座に踵を返した。


 煙の出ている家から約二キロメートル離れた場所まで来るとくとさから降りる。小石の入った巾着を腰に提げ、三個の小石を握った。降ろした背嚢はくとさの前肢に掛ける。仔等は虹介の体温がなくなった所為か、鳴き始めた。カルカル等に待機を命じ、家まで全力疾走する。

 北側の外壁に取り付き、格子窓の側まで行くと中の様子を窺った。北側の部屋には誰もいない。念の為、外壁に耳を当てて暫く聴き入る。物音の確認をしていたのだが、一人の足音らしき音を確認した。

 建物の西側へ回り、玄関口がない事を確認する。窓から中を窺い、その後に外壁に耳を当てる事を繰り返しながら南下し、南側を確認すると玄関口と思しき造りになっている。その奥の窓から煙が出ている。

(玄関の東側が台所か作業場なのか? それにしてもこの臭い……、もしかしてこの煙で毒を広げているのか? とにかくクロアオの糞玉が俺にも効いているようで安心した。池の水をもっと飲ませて、父さんにも糞玉を食わそう。兄ちゃんの分もいるな)

 思わず頬が綻び、集中し切れていない自分に気付くと即座に戒め、目の前の事に集中して煙の出ている部屋を目指す。玄関の戸も格子窓になっていたが、そこは走ってやり過ごした。そして目当ての部屋へ来ると、開いている窓から中を覗く。

(ここにもいない? そうなると、東側の部屋にいるかも知れないな)

 すぐに頭を引っ込め、東側の窓も覗いて行くが動作が鈍くなる。虹介は難しい顔をしていた。


 最北にある窓は既に確認している一室の為、次の窓が最後の部屋となる。そこを覗いたが、やはり誰もいなかった。

(……となると一人だな。よし)

 目付きが鋭くなった瞬間、後ろから声が聞こえる。

「ゆっくりと振り返れ」

 虹介の難しい顔が素になった。言われた通り、徐に振り返る。約十メートル南側に立っている男は更科さながらに何かを手にして突き出していた。

「これは拳銃という物で、弾が飛び出させて殺傷する武器だ」

「それで?」

「弾の速度はカルカルを超えるから避けられない。つまり、主導権はお前じゃなく、俺にあるという事だ」

「分かった。それでお前はどうしてここにいるんだ? ここは毒で侵されている筈なのに、どうしていられるんだ?」

「答える義理はないし、主導権は俺にある」

 虹介は左手で軽く挙手をしてそれを返事とした。

「岩村に頼まれたか?」

「違う。あいつは嫌いだ」

 男は暫く無言になった。再度口を開く。

「命令されたから頼まれた訳じゃないと言うんじゃないだろうな?」

「それはない。あいつとほぼ口を利いていない」

 虹介は即答する。

「何故ここへ来た?」

「毒に侵されている筈なのに煙が出ていたから、一応確認しに来ただけだよ」

「そうか。それじゃあ引き返せ」

「それは嫌だなぁ。あの煙の正体を知りたいんでね」

「あれはな、岩村が開発した毒だよ。俺はあれでずっと脅されていた。だから今度はこれであいつを脅かしてやるんだ」

「そうか。元を辿ればあいつの所為か。でも同情はしないし、する気もない」

「それでいい。もう帰れ」

 虹介はそのまま徐に後退する。

「普通に振り返って歩いて行けよ!」

 そう声を張り上げて言われた虹介は立ち止まり、鼻で笑った。

「背中を見せて殺されたら堪らないからな!」

 暫く沈黙が流れたが、男が俄に足早に虹介に近付いて行く。

「なら今死ね」

 立ち止まって銃で狙いを定める。人差し指が微かに動いた瞬間、虹介は体を左側へ倒しながら、後ろへ引いていた右手を撓らせて小石を投げ、そのまま左へ避けた。その直後に発砲音が響き渡った。

「ギャッ!」

 声を上げたのは男の方だった。虹介は手を緩めず、まだ立っている男に石を投げ付けた。今度は腕を思い切り後ろにやって全力で投げ、その流れで前進する。今度は走りながら投げ、一投目でうずくまっていた男は小石が当たる度に声を上げていた。

(更科の武器を見ていて良かったわ。人差し指を掛けて道具の一部を動かす仕組みも同じで良かった……)

 うずくまっている男の後ろに立ち、首根っこを掴んで上体を起こすとうしろ絞めで落とした。それから家の中へ入って火を消し、念の為に中を確認してから外へ出た。やはりここにいたのは一人だけだった。そして落ちていた武器を拾い、男を担ぐと走ってカルカル等の元へ戻る。

(はぁ……、今年の始まりは散々だな……)

 男をくやじの鞍に縛り付け、くとさから背嚢をもらって背負い、急いで戊伍村へ戻った。村の外にいた人から最寄りの詰め所の場所を聞き、そこへ男と武器を持ち込み、掻い摘んで説明をすると止められても聞かずに帰路に就いた。

(あーあ、本当に時間を取られてしまったな……。ったく……)

 男の正体も事情も何も知らないままだが、虹介はそれで良かった。


 道中は休憩を少なめにして、野営時にアオとなるべく遊ぶようにした。クロはその間、虹介の股座で丸くなっている。クロの方が甘えん坊で、アオは活発で気が強かった。

(クロアオに相手をしてもらっていると、理不尽な出来事のせいで何とも言えない気持ちも、落ち着いて来るなぁ……)

 アオが飽きるまで相手をしてから就寝する。

 虹介は岐路に就いてから気が急いて仕方がない程に早く帰宅したかった。それはカルカル等も同様で、少しでも長く走ろうと毎日頑張ってくれた。

(俺は遠出に向いていないな。父さんも遠出の帰りはこうなんだろうか?)

 不意に妙な疑問が湧き、自分で笑ったが完全に里心が付いてしまった。翌日には到着する所まで来ていても、心に余裕はなくなる。そして、その所為で夜は眠れず、微睡まどろむ事すらもなかった。

 空が白んで来た頃には寝袋から出て、寒さに身震いしながら朝食を作り始め、早々に出発の支度をしていた。仔等が寝袋から出たがらず、それは最後まで置いておくことにして天幕を先に片付けてしまう。

 食後には仔等を起こして外へ出し、温くなった湯を飲ませた。寝袋と敷布を纏めて荷物の中へ入れて仕舞い、後片付けを終えて仔等の排泄を済まして出発した。


 虹介の狩り場になっている森が見えて来ると、もう帰った気分になった。そこを過ぎて果樹林にの脇を走り、いよいよ壬玖村の川下が見えて来る。この辺りに来るとカルカル等の速度を落とす。虹介の心は躍っていた。

 日が暮れ始めていたが、結局は六日に到着した。役場が閉まる前に何とか滑り込め、配達の報告をして真っ直ぐ家へ向かう。

 もう何年も離れていたような気持ちになり、家が近付くに連れ、家に帰り付ける事の嬉しさが増して行く。祥介と共に遠出をしていた幼い頃にはなかった気持ちだった。

 カルカルの運動場、その奥にカル舎、そして我が家が視界に映るとくとさを最高速度で走らせたくなる程に早く到着したかった。

 カル舎に入るとカルカル等が騒いで煩かったが、虹介はとても嬉しくて仕方がない。そのお陰で祥介が家から出て来た。

「おかえり。早かったな」

「ただいま」

 祥介の笑顔を見ると、虹介は涙が出そうになった。

(俺が帰る場所は、やっぱりここ以外ないよなぁ)

 しみじみと思いながら、祥介に手伝ってもらって荷解きをする。その間、あった事を必死で話した。

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