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壬玖  作者: 丹午心月


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二十一、道中の毒

 新暦一二五八年十二月二十五日、学校が冬休みに入った。

 仔等を飼い出して一年九ヶ月を過ぎたが、体長が十センチメートルしか成長していなかった。砂漠獅子のように成獣になるまで十年前後掛かるにしても、成長が遅過ぎて虹介は頭を抱えていた。

「父さん、これは何が何でも遅過ぎるんじゃないのか?」

「そう言われても、俺も砂漠獅子の事は成獣しか分からんからなぁ」

「必要な栄養が摂れていないんじゃ?」

「それはどうだろう? あれだけ肉を食っているんだからな」

 悩んでいる虹介を見て、祥介は苦笑した。

「砂漠獅子がどうであれ、黒豹とは別物なんだからな」

「それはそうなんだけど……」

 仔等はキュウと戯れている。今ではすっかり仲良くなって、戯れてもキュウの嫌がる事はしなくなっていた。

「成獣の大きさはクルーと大差なかったんだろう?」

「クルーより少し小さかったような気がする」

「まぁその辺は個体差もあるだろうな」

「個体差か」

 項垂れた虹介は小さな溜息を吐く。

「成長する時はするだろうから、それを待つしかないな」

「いつの話だ……」

 先の長い話をしているようで、虹介は嫌気が差した。

戊伍ぼご村へは何時に出発するんだ?」

「朝の七時にするよ」

 顔を上げて祥介を見ると、真顔の祥介と目が合った。

「十三日もあれば始業式までに余裕を持って帰って来られるな。こっちから行くと毒を撒き散らしている所があるから、そっちに沿って行かずに、東へ行って迂回して行けよ。真っ直ぐ行ってから直角に北へ曲がる感じな」

「撒き散らしてる所って小さな村があった場所だろう? その話はもう何度も聞いたよ」

「十二分に気を付けろよ」

「うん。心配なら一緒に行く?」

 頷いた後、笑顔になった。祥介は笑いを堪える。

「行かない。年末は掃除をしておかないとな。道標を見落とさないようにするんだぞ?」

「分かった……」

 浮かない顔で返事をした虹介は一人で戊伍村へ行くのは初めてで、内心では行きたくなかった。


 戊伍村は壬玖じんく村や庚漆こうしつ村同様に大陸の北側にある。簡単に説明すると、壬玖村からは南東に向かって真っ直ぐ行き、道標から東に真っ直ぐ向かって走り、それから戊伍村の道標がある場所を北へ一直線に向かえば戊伍村に辿り着けるようになっている。

 この道のりを時速百五じっキロメートルを超える速度で約五日移動して到着する予定だ。ちなみに、庚漆村と戊伍村の間にも山や森があり、直線的に行き来する事は出来ない。

 戊伍村の手前にある小さな村には何度か立ち寄った事があり、そこに寄れない事も行きたくない一因だった。

(村の手前にある池は便利だったんだけどなぁ……。それにしても毒を撒き散らしているって、どういう風に撒き散らしているんだろう? 興味があるわ)

 余計な事を考えながら眠りに就いた。


 翌朝、祥介に見送られて出発をした。今度はくとさに乗り、くやじに荷物を載せて行く。くとさは若い上に虹介のカルカルだが祥介に鍛えられているし、虹介を信頼し切っていて向いていた。くやじは経験豊富で、時として虹介の一助となるという理由で祥介が選んだ。それだけ道中は厄介だという事だった。

(毒が発生しているらしい場所を迂回すると言っても、風向き次第では相当迂回になるな。くやじがいるという事はそういう事だよな……)

 カルカルは自身の身を守る為に危険を感知する本能が備わっているのだが、年を重ねる毎にそれが敏感になって来る。虹介とくやじでは経験がまるで違う上に、その能力で毒の危険から脱しろという祥介からの言伝なのだろう。

(いや、違うな。きっと俺が無理をするだろうと踏んで、それを止める手立てなんだろうな。クロアオがいるから無理をする訳が……、ないとも言い切れないか。実際興味があるからな。やはり父さんだな。分かっているなぁ)

 感心しながら移り行く景色の正面を見据えていた。


 休憩中はカルカル等の調子をきちんと見る。最高時速で走らないとは言え、いつもより長丁場の為、確認は念入りに行う。その後は水を飲ませた。仔等は外に出られて元気一杯に戯れ合っている。仔等にも水を飲ませ、排泄も済ませる。こういう三十分程の小休憩を三度取った。

 そして昼食休憩には、くやじの荷物を降ろして長めに休憩を取る。カルカル等に餌はやらないが、仔等には干し肉を食い千切って少しずつ与えた。虹介の食事は朝夕おじやだが、昼食は仔等と同じ干し肉だった。虹介はいつもより多めに咀嚼をする。一時間半の休憩を取り、その後は三度の小休憩を取った後、水場の側で野営の支度をする。

 夕食を仕掛けておいて、一人で天幕を張っている傍で仔等が戯れていた。移動中は就寝していて元気一杯なのか、戯れ方が激しかった。さすがに目に余った為、間に割って入る。もうすぐ二歳になるというのに、牙も可愛らしい物しか生えていなかったが、それでもクロが少しばかり出血していた。虹介はアオの口吻を握って引っ繰り返して仰向けにし、しばらくそのままの状態を維持した後、背嚢に入れて天幕を張ってしまう。

 食事を終えて、温かい湯を飲みながらクロに話し掛けていた。クロは「アオー」と鳴いて返事をし、アオも背嚢の中で「アオー」と鳴いていた。残りの湯が冷めたら仔等に飲ませ、後片付けをして天幕へ入る。


 東へ一直線に走って行くと戊伍村へ向かう辺りに道標があった。白地に赤丸を塗られた木製の標識が等間隔で建てられていて、最後の看板の前で北に曲がると戊伍村まで直線で行ける。

 祥介に迂回するように言い付けられているし、くやじがいる事もあって迂回するつもりではいた。しかし、状況が変わっていた。道中でアオが疲れるように相手をしている内に、往路分の余裕時間を使い果たしてしまい、予定を変更して森に沿って行く事にして、最初の道標からすぐの所を北へ曲がって森に沿って行く。

(毒気が強くなる前にくやじが反応してくれるだろう)

 頭から信じ切っていてそう思ったのだが、毒を発しているらしい村の付近まで来てしまう。何故それに気付いたのかと言うと、虹介が気に入っていた池を目にしたからだった。そこでカルカル等を止めた。

(ここまで来ていたのか。くやじが反応をしないという事は、風向きが風上だからか? 多分もうさんキロメートルで村だよな……)

 西側は森だが、東側は荒地になっている。いつも木の側で野営をする為、今から迂回をして荒地の中に木を探すよりも、ここで野営をした方が増しと判断した。

 一先ず水を確保する為、池の様子を見に行く。カルカル等も引いて来ていたのだが、水を飲もうとしなかった。仔等は臭いを嗅いだ後に舐めていた。虹介は仔等が舐めていても、カルカル等が口を付けなかった事から池の水は諦め、少し戻って別の溜め池を利用する事にした。

(ここまで戻ったら、少し東へ走った後、北に向かって一直線に行けるか)

 その考えも翌日には変えざるを得なくなる。


 目を覚ますと寝袋の中ではなく、枕元でクロが横たわっていた。呼吸が浅いようで舌を出している。その側にはアオがいて、クロの顔を舐めていた。

(原因は昨日飲んだ池の水しかないよな)

 幸いアオは平気だったようで、アオから糞玉ふんだまが出る時を待った。その間、急いで池の水を汲んで来て、何度となくアオに飲ませ、尚且つ近くで新鮮な肉を確保して必要以上に食べさせた。

 初めに出た糞玉はクロに飲ませ、次に出た物は虹介が、その次はくやじに、最後はくとさの口に放り込んだ。

 そうこうしている内に新年を迎え、翌日にはクロの容だいが落ち着いて来て、虹介も一安心した。まだ全快とは言えないが時間が押し迫っていた為、背嚢には入れずに上着の中へ入れて移動した。

(アオのお陰で、池に入っていた毒の耐性は付いたはずだから迂回せずに行ける。と思うけど、どうだろうか?)

 小さな自信を持っていたが、くやじが迂回しようとしなかった事でそれも確信に変わった。

(あの池の水を帰りも汲んで、クロアオに飲ませておこう。今度の毒はアオがいてくれたお陰でどうにかなったけど、クロアオに未知の物を飲食させる時は気を付けないといけないな。飲んでいるから飲めると受け入れてはいけなかったんだな……)

 仔等が毒を飲んだ時に何とも思っていなかった虹介は反省頻りだった。

 そして肝心の村は、祥介が言っていただけあって、酷い有様だった。村の付近にあった森は朽ち果てて周辺が一望出来た。東側にある荒地はそのままだったが、村の周辺は思い出と一変していて、見るからに悲惨だった。

「マジかよ……」

 毒でやられてしまった事はすぐに理解したが、ここまでだとは思いも寄らず、思わず声が漏れた。池の周辺の木々はまだ朽ちている感じではなかった為、余計に信じられなかった。

(あの池も毒でやられていたのに池の周りの木は腐っていなかった。それなのに、どうしてこの辺はこうも腐り落ちているんだろうか?)

 疑問を抱いたがすぐに切り替え、くやじはここまで来ても反応を示さなかった事から、虹介は真っ直ぐ行く事を選択した。

 村の正面を通り過ようとした時、一軒の家から煙が立っている様子が見えた。

(え? 人がいるのか? ……まさかな。でも実際煙が見えるし、どうなっているんだ?)

 訝し気にそちらに目を向けていたが、速度を落とす事なく通り過ぎた。


 予定としては五日目で到着する筈だったが、結局七日目で到着するに至り、年が明けてしまった。

 戊伍村の北西には酒水しゅすい湖がある。その名の通り、酒で出来ていて、この村には酒飲みが集っていた。寧ろ酒飲みに育った、と言うべきか。料理にも当然のように使用されていて、熱しても酒精が飛び切る事はなく、未成年の虹介は戊伍村自慢の郷土料理を口にする事はまだ出来ない。

 今度の速達の依頼はくすり師からで、深懐しんかい山にしか自生していないチンツウソウを乾燥させて配達するという内容だった。ちなみに、自生地が深懐山の危険地帯に程近い場所の為、人に依頼すると葉一枚で十万の高値が必要になる。依頼主は戊伍村の薬師師長の岩村司之助しのすけという人物だった。

 虹介は先ず役場へ行き、速達の依頼を持って来た事を報告する。

「戸二谷虹介さんですね。依頼主より直接届けて欲しいとの事ですので、お願いしてもよろしいでしょうか?」

 受付の男が苦笑していた。

「お断りします」

 無表情で即答した。男は小さく辞儀をする。

「分かりました。それではこちらからお渡しいたします」

「お願いします」

 今度の依頼は使命だと祥介から聞いていて最初から気が乗らなかったのだが、ここに来て目的がそれだと理解し、不快感が募った。

(泊まる気だったけど、必要な物を買って帰ろう。その方が良さそうな気がして来た)

 役場にカルカル等を置いたままにして商店街へ向かった。年始早々でも店は開いていて、乾燥野菜、精米、生肉に干し肉を買い、祥介の土産に酒を買おうとしたが買わせてもらえなかった。役場に戻ると背負っていた荷物の殆どをくやじに、食料と少々の水をくとさに載せて縄で縛った。

「よし、帰ろう!」

 帰れると思うと嬉しくなるとそれが声色に表れていて、カルカル等も上機嫌で鳴き、意気揚々と出発した。村の中心地から離れ、家並みから田畑の多い風景へと移り行く。


 約二キロメートル先で多人数やカルカル等が道を塞いでいる光景が目に飛び込んで来た。

(……嫌な気しかしないな)

 虹介はカルカル等の速度を上げ、小道を行く事にした。くやじがくとさの後ろへ行き、くとさの尻尾を持つ。

(あの村の手前で野営をしたかったけど、これは村の先に行った方が良さそうだな)

 速達の仕事をする時は目に付き易い色の衣服を着用するのだが、虹介が好んで着ていた色は赤だった。しかし、虹介よりも視力の高い人物はいないのか、気付かれずに突破は出来たが、振り向いた時に追い掛けて来る様子が見えた。

(予感が的中したな。何の用があるのかは知らないけど、どうせ碌な事はないから逃げるしか選択肢がない……)

 くとさの速度を更に上げる。くやじは小道がなくなって平原になると横に並んで来た。もっと走りたいという意志表示だが、虹介はそこまで固く縄を縛っていなかった為、最高速度は出せずに現状維持で進んだ。しかし、相手もそこそこ人数の揃った集団のようで、十人が追い掛けて来る。最速時速で追い付かれると前に立ちはだかられてしまった。連携が取れていて、集団での訓練をしているであろう事は想像に難くない。

「戸二谷虹介さんですね? 何故逃げるんですか?」

 顔は防護眼鏡で良く分からなかったが体格の良さと声から男である事は分かった。

「学校が始まるまでに帰りたいだけなんだけどな」

 素気すげなく言った。

「すみませんが我々にお付き合い下さいね」

 そう言う男が先導した。虹介は周りを囲まれていて逃げるに逃げられない状態で、已むなく付いて行く。

(絶対に厄介事だよ……)

 大きく溜息を吐いた。不測の事態に備えてもっと縄を固く結んでおけばと後悔しても、それは詮なき事だった。


 行き先は警備隊隊舎ではなく、薬師組合だった。先導した人物は警備隊隊長の三村だった。防護眼鏡を外すと若菜色の虹彩が明確に見えた。

(警備隊ならあの統率の取れた動きは理解出来るけど、どうして行き先が薬師組合なんだ? ……もしかして、あの村の毒と関係があるのか?)

 薬師組合の応接間に案内された虹介が不機嫌気にしていると、座っている虹介の隣で立っている三村が話をしているが、虹介は全く打ち解けようとせず、三村は苦笑していた。その時、戸を叩く音がして、静かに戸を引いて男が一人、入室する。

「お待たせして申し訳ない」

 そう言って虹介の対面にある長椅子に腰を掛けたのは、薬師師長の岩村だった。一見するとまだ二十代にしか見えない若者だった。笑顔で虹介を見ているが、虹介は過去の事を思い出して目を合わす事もなかった。

「虹介君は不機嫌なのかい?」

 この男が薬師の試験をやり、結果として大穴熊が山を下りて来たという事実が虹介を無口にさせた。

「役場に直接届けて欲しいと依頼をしていたのだけど残念だよ」

「戊伍の薬師組合の試験の所為で起こった事件は一生忘れないし、何を頼まれても断る」

 そう言って立ち上がると岩村を見下ろす。

「では帰らせてもらう」

「カルカルは預かったよ。返して欲しければ依頼を受けないといけないね」

「そうか。じゃあお前を殺す」

 即座に机に乗り、岩村が咄嗟に両手で防御を取ろうとした所を左手で薙ぎ、左頬に右拳を打ち込んだ。そして前方宙返り半ひねりで岩村の後ろを取ると右手で髪を掴み、左手は顎の下に置いた。

「待て!」

 虹介は冷えた目でそう叫んだ三村を見た。

 岩村は虹介の動きが見えず、真っ青になって冷や汗を噴き出していた。

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