十五、野犬の棲み処
伝説の黒豹の仔等に授乳をしていた間はクルーが何かと纏めて面倒を見ていてくれたのだが、七ヶ月経過すると興味を失ったかのように虹介に押し付けた。それ以来、虹介の部屋で寝起きをしていて、迷惑を被ったのはキュウだった。戯れているのか、はたまた獲物に襲い掛かっているのか、追い掛け回される日々が続く。とにかく解決策として梁からキュウの寝床を吊るした。
日中、学校へ行っている間はクルーが面倒を見てくれるが、虹介が帰宅すると容赦なく部屋の外に放り出され、虹介はクルーの気の変わりように困っていた。
その伝説の黒豹の仔の一頭は雄でクロ、もう一頭は雌でアオと虹介が命名した。祥介は「覚え易くていい名だ」と褒め、あれ以来出入りしている志川が「クロは毛、アオは目の色からかよ。名付けの感性が全くないな」と苦い顔で言った。その志川は来る度にキュウとクロとアオを追い掛け回し、虹介に怒られている。
大介は竜次郎と共に、青い鉱石を見付けた直後、製鉄をする為に庚漆村の杉村の所へ行っていた。そして青鉄を使用して出来上がった物は虹介の物となる。
さて、虹介が仔等の面倒を見るようになってから、餌に頭を悩ませる事が増えた。勉強が疎かになると成績が下がり、長期休暇中に祥介の遠出へ付いて行けなくなるが、仔等がいる為に付いて行けない事に気付いてからは南の狩り場へ日参するようになる。当然ながら金曜からはそこで野宿という生活を始めて二ヶ月、待望の冬休みが到来する。ちなみに、南の狩り場は蜂林の更に南にあり、雪も少なく山よりは断然暖かい事もあり、獲物もそこそこいる猟場となっている。
祥介から「冬休みになったら狩りは通いだからな。野宿はするなよ?」と祥介に言い付けられていて、それを守って仔等を連れて南の狩り場へ通った。
十二月二十七日、十二歳になっている虹介がいつも通りに遠出から帰宅した祥介を玄関で出迎え、祥介は沓脱石にある志川の靴から、苦笑している虹介に目を移した。
「またいるんだよ……」
「余程居心地がいいんだな」
そう言いながら虹介の横を擦り抜けた。虹介は後ろを付いて行く。
「虹介、食後に支度をして庚漆村へ行ってくれ。一日でだ」
「……は?」
唐突な命令で飲み込めなかった。祥介は部屋へ入り、虹介も入ると障子を閉めた。
「いやいやいや、一日って言ったら、野犬の棲み処を突っ切って行くしかないじゃないか」
「その通りだな」
祥介は箪笥の前で着替え出した。
「しかもこの時間は無理だろ。到底無理」
「くやじに乗って行け。あいつなら道を知っているし、慣れているから俺がいなくても安心だ。クロアオは連れて行くんだぞ。キュウは俺が面倒を見る」
「ええ? ……いやいや、父さんが行ってよ」
「一日で行って、一日休んで、一日で戻る、だぞ」
「え? ……は? 三日で往復するって事?」
「そうだ」
「いやいやいや、そもそも速達の仕事の許可を得ていないんだぞ?」
「その許可を得る試験だ」
虹介は更なる衝撃を受けた。呆然としていると祥介が脱いだ衣服を持って虹介の肩を叩いた。
「まぁ、飯にしよう」
障子を開けて出て行くと、虹介も部屋を出ようと振り返った。すると、廊下には志川がいた。
「話は聞いた。その顔、役不足で不満なのか?」
「正反対だよ。クロとアオを連れて庚漆村まで三日で往復しろって言われたわ。本当に話を聞いたのかよ。群れが来たらどう考えても力不足だろ」
志川の言に嫌気が差し、廊下に出ると後ろ手で障子を閉め、台所へ向かった。志川はそれに付いて行く。
「面白そうだから付いて行こうか?」
「邪魔なだけだから来るなよ。クロアオで手一杯だ」
「フン、自分の身くらい、自分で守れる」
「英次に向かって行く身の程知らずの癖に、どうだかな」
「あー! 虹介、奥村の事を名前で呼んでるじゃねぇか。仲良くなったのか?」
俄に声を上げられて思わず志川を見たが、その後の言で脱力した。
「志川同様、ちょくちょく来ているからな。父親付きで」
再度前を向いて台所へ入って行く。
「へぇ、そうなのか……」
志川の顔が険しくなる。虹介は見ていなかったが、口調で察していた。
食後、虹介は戯れている二頭を見ながら口を開く。
「父さん、クロアオを見ていてくれないか?」
「俺は連れて行けと言ったぞ。肉は買って来たから明日の分の餌はある。庚漆村に一泊して、帰りの分は買えばいい。金は持っているな?」
「うん、もらっている食費がまだ残ってはいるけど……」
「足りないのか? それじゃあ渡すわ」
立ち上がると自室へ行こうと廊下に向かった。
「一泊しないで帰って来てもいいか?」
祥介は足を止めて振り返る。
「それは構わないが、虹介はそれでいいのか?」
「うん、それでいい。でも、くわいつも連れて行っていいか?」
「それも構わないが、くわいつは道を知らないから万が一の時は足手纏いになる可能性があるぞ? まぁ、足が一番確りしているし、旅慣れているから荷物を持たせるにはいいと思うが……」
「万が一の時は野犬を投石で怯ませて突破するから大丈夫。ありがとう」
笑顔の虹介を見て受け入れると頷き、退室した。空気だった志川が虹介を見る。
「オレも行こうか?」
「来なくていいよ。野犬の棲み処を突っ切るから、好戦的な奴は連れて行けない」
「好戦的じゃないぞ?」
「嘘吐け。入山試験の時、穴熊を切り刻んで喜んでいたじゃないか」
「そんな事、あったか?」
惚けた顔をしていたが、虹介は相手をしなかった。
「今夜は俺がいないから、居間で寝て明日に帰れよ」
「分かった。そうする」
頷いた志川は虹介の乗りが悪い事は理解していても、やはりもう少し砕けた会話をしたかった。
早朝に起床、カルカルの世話をし、その後はクルーと鍛錬、それから朝食、家の掃除をして登校、という日課を来る度にきちんと熟している虹介を見ていて、同じ色目でこうも違うのかと思い知らされた。それもあって茶化す事はしなかった。
色目だからと驕り、他者を蔑ろにして来た志川は、初めこそ馬鹿にして見ていたが、今では見るだけでも学ぶ事はあると思い、虹介とクルーの鍛錬を見に来ていたのだが、明日はそれを見る事は出来ずに残念に思っていた。
野犬の棲み処は壬玖村と庚漆村の間、それも命潭湖の畔から約千五百キロ南まである広大な森の中にある。
野犬は人々が暮らしている内に捨てたり、逃げられたりして規模を大きくして行き、森の中では食物連鎖の頂点に立ち、現在では群れ同士の対立もある。殆どの森では駆除をされたが、命潭湖南の森では数が多過ぎて放置され、野犬の森と呼称されていた。
野犬の森には切れ目が幾つかあり、整備されている一本以外は放置されている。その中でも切れ目の幅が一番広い一本を通ると約一日で辿り着ける。しかし、近道が出来るとは言っても、蛇行している為にカルカルの最高時速は出せない。出せても精々時速七八十キロメートルといった所だろう。野犬の最高時速は約六十キロメートルと言われていて、待ち伏せをされて襲い掛かられない限りは逃げ切れるが、これも運となる。
その上、今日は夜に通る。野犬も夜は睡眠を取っているがそれは群れの話で、群れに属さない単体はその限りではない。日中と違っているとは言え、出合うかどうかはこれもやはり運となる。
虹介はこれから行く道程を頭の中で何度も通った。そこは祥介が虹介を連れて二度通った道で、その時の事は虹介も覚えていた。気負い過ぎるとカルカルに悪影響を与えかねない為、普段通りでいる事を心掛けた。
虹介は祥介に手伝ってもらい、旅支度を整えた。キュウは出掛ける用意をしている虹介を見て、爪を鳴らして付いて行っていたが、何故か祥介に抱き上げられて脇に抱えられてしまう。翼を広げて抵抗しようにも広げられない。そしてカル舎で虹介の見送りをする。
「キュウ、大人しく待っていてくれよ。それじゃあ父さん、行って来ます。志川、明日になったら帰れよ」
「うるせぇよ。気を付けて行けよ。またな」
キュウは鳴きながら首を振り回していた。
「キュウは俺と留守番だぞ。虹介、投擲用の石は持ったな?」
「もう三度も確認したよ」
「当てる事を考えて投げるんだぞ」
「うん、分かった。それじゃあ行って来ます」
上着の中にはクロとアオがいて「アオー」と鳴いては外に出ようとしていた。
祥介が先んじて扉を開けると、くやじに乗った虹介が通って行き、引かれたくわいつが通る。クロとアオの鳴き声は聞こえなくなった。
「おやっさん、オレがキュウを抱っこするよ」
笑顔で両手を出すと、祥介は鼻で笑った。
「このまま縄で巻いてクルーの側で寝かせるからいい。それより温め直すから風呂に入って寝ろ。明日の朝はうちの仕事を手伝えよ」
「はーい……」
志川は玄関に回って中に入り、祥介は台所から戻った。
今夜は月が二つ出ているが合わせて満月一つ分程の明るさで、村を出てからは時速百キロメートル前後で南下した。祥介から借りた短刀が腰にある。刃の色は紺色で大抵の物は切れるがカバの皮は切れない。カバは切れなくとも野犬は容易に切れる為、それだけで力強い。
約四時間後、日付が変わった頃にカルカル等を止め、眠っていた仔等を起こして水を飲ませる。それから暫くの間は仔等と戯れ、出発する前に排尿をさせた。
そして出発し、東に進んで森が見えるとそれに並行して走った。入口の広い森の切れ目が目に入り、徐々に森へ寄って行くとその中に吸い込まれて行く。道の両際に生えている木々で俄に薄暗くなるが、目が慣れるまで時間は掛からなかった。
順調に走っていると俄に状況が一変する。後ろにいた筈のくわいつが真横に来て「カルカルカル」と鳴いた。虹介は顔を向けてくわいつを見てからくやじの速度を上げる。くわいつはくやじの真後ろに付き、尻尾を持った。虹介はそれを確認し、袋から石を五個出して左手に持ち直すと鞍に掴まった。
(これは待ち伏せの中に入ったな……。夜中に狩りをする群れなんているのか?)
疑念はさて置き、くわいつが危険を本能で感知している今、やり過ごす方法を考えなくてはならない。
今は縦列で走っていて、仮に正面から跳び付かれ、速度を上げた所で間違いなくくわいつがやられる。逆に速度を落としても、後ろを追尾している野犬にやられる。しかし、速度を上げている為、追尾を離している筈ではある。
意を決すると横列で走る事にした。道の真ん中に木は生えているが避けられる道幅で、十分行けると踏んだからだ。カルカル等は虹介の強さを信じていた。虹介はそれに応えなければならない。しかし、上着の中にはクロとアオがいる。キュウが三羽いるようなもので、キュウの時のように上着に入れたままで戦うとなると結構邪魔だ。万が一の時は上着から出し、鞍の上で大人しくいてくれる事を祈るばかりとなる。
すると、俄にくわいつが頭を低くし、速度を上げたいと意思を伝えて来た所でそれに反して二頭の足を止めた。急いで仔等を懐から出し、腰にある刀を抜刀すると二頭の前に跳ぶ。野犬は意表を突かれた所為か、一頭が飛び出して来ると、遅れてもう一頭が飛び出して来たが、虹介は透かさず石を投げて先の野犬に命中させた。休む間もなくもう一投して別の野犬に命中させるが突進を続け、虹介目掛けて跳び掛かる。虹介は横に避けて刀を振り下ろし、首を落とした。先に投擲された野犬は尻尾を巻いて逃げて行った。
「ふうーっ。良く切れる刃は本当にありがたいなぁ」
緊迫感も消え、虹介の口元が綻ぶ。荷物から手拭いを出し、血を綺麗に拭き取って納刀した。鞍の上で鳴いている仔等を上着の中に入れ、くやじに跳び乗り、死体を放置して足早にその場を去った。野犬は仲間意識が強く、且つ執念深い。その為、仲間がやられるとどこまでも追い掛けて来るが、一頭は尻尾を巻いて逃げた事から、普通の群れではないと確信していた。それでも速度はなるべく上げた。
少し立ち止まったが、約六時間も走り続け、漸く森を抜けるとそれから遠ざかり、安全な場所まで東へ走って休憩を取った。空はすっかり白んでいた。
野犬のお陰で虹介は眠気が全くなかった。湯を沸かし、熱湯の入ったカップを両手で持って温まる。仔等は戯れて土塗れになっていて、それを見ていると、くわいつが「カルカルカル」と鳴いた。虹介は溜息を吐き、カップを置いて立ち上がる。
森の方から数頭の群れが近付いていた。普通の群れではないと思っていたが、そうではなかったようだ。石の入った袋を持ち、届く距離が来ると眇めて投げ始めた。悲鳴が聞こえて来ると速度が落ち、二十メートルの距離を置いて止まった。虹介はそれでも石を投げ続け、なくなると袋を衣嚢に入れて抜刀し、群れに向かって走り出した。
頭までの高さが一メートル五十センチメートルはあろうかという野犬がいた。虹介はそれを目掛けて走った。その前に六頭が立ちはだかって姿勢を低くする。虹介は速度を上げると、赤毛が牙を剥いて跳び掛かり、同時に五頭も跳び掛かって来た。虹介は更に速度を上げて赤毛を踏み台にし、頭と思しき一際大きな野犬の鼻先目掛けて突っ込んだ。それが口を開けて前のめりになって噛み付こうとした所を、虹介は右足で低く跳ね上がり、峰を下にして持っていた短刀を鼻梁に突き刺し、前方宙返りをする。そして刃を頭から抜き、野犬の背に下りると透かさず首を薙ぎ、野犬は呆気なく倒れた。虹介は足を止めず、残りの野犬を切り倒すべく、突っ込んで行く。仔等が向かって来ている光景が目に入り、急いで倒そうとしたが二頭に逃げられた。その二頭を見ていると仔等が駆けて来て、虹介の足元に纏わり付いく。
「あー、毛皮はどうしようか……」
腕を組んで首を傾げたが、それよりも返り血で汚れた衣服を着替えたかった。柄を咥え、仔等を両脇に抱えると走ってカルカル等の元へ戻った。
出発してから約五時間、意外と早くに庚漆村が見えた。
依頼は速達で、それも澤川竜次郎宛だった。庚漆村ではなく、その北西にある赤葉山の山腹にある杉村の家を目指す。道順はきちんと頭に入れて来た。村外れの道を行き、山中へ入って行く。
緩やかな坂道を上り、山腹にも拘らず、確りとした道となっていて、カルカル等を横列で走らせても余裕がある程だった。
山道に入って三十分も走らせると左手に柵があり、速度を落とした。柵の中は芝生が生えていて、脇にはカルカルの好きな草が生えている。小さなカル舎もあり、カルカルが二頭いる。それに荷車もあるし、家もある。それ等は道沿いに建っていて、家は古いが人の気配もあり、奥の窓から煙が出ていた。道はまだ上へと続いているが、くやじとくわいつの足を止めると少し引き返させ、玄関へ回り込んだ。
「ここだな」
表札を確認すると、確かにここだった。無事に到着したようで安堵した。




