十一、血の臭気
全員が朝食を済ませると、飛岡、沢村、湯浅の三人は脱落とされ、佐藤が付き添って帰村する。その為、試験官は花岡、鳥村、砂村、築島の四人になり、受験者も五人となった。その内一人は色目蔑視をしていた内の一人の三村で、背を向けた三人を苦渋の顔で見ていた。存在感の薄い神谷はなるべく関わらないようにしていて、三人を見る事もない。奥村も後片付けをしていた。四宮は後片付け不要の朝食だった為、三人を高笑いで見送っている。
「虹介、キュウは家に帰せないのか?」
築島が困った顔をして言うと、湯を飲んでいた虹介は首を横に振った。
「散歩に行ってもオレを探して戻って来ると思う。でもエサがないから、もしかしたら帰るかもな」
「そうか、仕方がないな。それじゃあ他の受験者の邪魔にならないように頼むぞ」
「分かった」
隣にいるキュウに顔を近付けた。キュウも虹介を見る。
「ここにいるなら大人しくしていろよ?」
「キュールルル。キュルルルル」
「分かっていないな?」
それには反応せずに顔を背けられていると、嘲笑して満足した様子の四宮がやって来た。
「お前が何をやられても許すから、こういう事になったんだぞ」
言いながら鍋の横で胡坐を掻いた。するとキュウが虹介の股座を占拠する。
「湯を入れてやるからカップを持って来いよ」
左側にある鍋を覗き込んで、首を横に振る。
「これ、きたねぇじゃねぇか」
「おじやの後で沸かしたからな」
「いらねぇよ……」
「鍋の汚れも取れて、温かい水分も取れて、一石二鳥なのに」
四宮は不快気に顔を歪めて虹介を見ていたが、俄に真顔になった。
「暑いのにいらねぇよ……。所で昨日は奥村と一緒に寝たんだろ? 何か話をしたか?」
「ううん、していないな。それより柵が付いていても落ちるかもと思って怖くて寝られなかったわ」
「ダセェな……」
「寝られたのか?」
「当前」
得意満面で返事をする。
「うらやましいわ」
キュウはずっと四宮を睨み付けていた。
「鳥が睨むから行くわ。じゃあな」
その後ろ姿を一瞥してから玉杓子を手にし、煮え立っている湯を掻き混ぜてそれの汚れを落とした。
休泊所の周辺の罠には何も掛かっていなかったが、今日もここで野宿をする為、それ等を無駄にしないように置いておき、登山が始まる。
キュウは虹介の背嚢に留まり、顎を虹介の頭に乗せていた。今日の殿は砂村で小さな音で口笛を吹き、キュウを呼び続けていた。虹介は立ち止る。
「砂村さーん……」
そう言いながら振り返り、横目で見た。砂村も立ち止まる。
「わりぃ、キュウを呼んでたんだけどな」
「キュウが落ち着かなくなるから止めてくれる?」
「止める」
苦笑しながら小さく辞儀をした。するとキュウが右足を虹介の肩に何度も押し付けた。腕を肩の高さに上げると腕へ移動する。虹介は左手で胴を持ち、右手に持ち替えて勢い良く投げた。この辺り一帯は高木だが枝の位置が低く、キュウも低く飛んだ。翼開長が凡そ百五十センチメートルで、木の合間を縫うようにしてどこかへ飛んで行った。
暫くして鳴きながら戻って来て、虹介の近くに獲物を落とし、旋回して虹介の頭上で羽ばたいてから背嚢に留まった。虹介はそれを腰を屈めて拾い、砂村を見る。
「背のうにぶら下げてくれる?」
「分かった。今日もご馳走に有り付けるな。キュウ、ありがとう」
呼び子を吹き、行進を止めた。砂村は背嚢から紐を取り出し、それで虹介の背嚢の冠の留め具に兎の後肢を縛り付けた。血が僅かに滴っている。砂村が再度呼び子を吹くと前進し始めた。
(この血の臭いで大物が来る)
そう思った虹介の気分は沈んだままで、同様の事を思った砂村は緊張していた。
今日は立入禁止である危険区域の境目へ向かっていた。時間的な理由から休憩はほぼなしだった。
大物の縄張りに近付く訳だが、虹介に緊張が感が丸でなかった。腰帯からぶら下げている短刀は大物の種類によっては壊れるだろう。
(穴熊が出たら逃げるか……)
穴熊と呼称されている獣は大きさが様々で、大型の六足が大穴熊、中型の四足は中穴熊、小型の四足が小穴熊と分類され、向かっている方には中穴熊の縄張りが近い。その説明は入山前にされていた。
大穴熊は山間を真っ直ぐ北上した場所に六足が、今向かっている方角に四足が生息している。そういう訳で大穴熊と遭遇はしないのだが、兎の血の臭いで四足が出て来る蓋然性は高い。
俄にキュウが飛び立った。梢の隙間から上空へ行き、姿を消した。虹介は葉擦れの音を聞き、風がそこそこある事を今頃知った。
「もしかして、来るのか?」
砂村が真後ろに来て訊いた。
「どうだろう? 風上にいるからそれを嫌ったんだと思う」
「そうか。ありがとう」
それから二時間歩いて休憩を取り、少し早いが昼食を摂る事になった。三村が虹介を睨み付けていたが、虹介は意に介さない。しかし、三村は登山で大分疲れていて疲労の色が濃いのにも拘わらず、誰も気遣わなかった。唯一声を掛けたのは花岡だった。
「付いて来られないなら、この木の上で待っていてもいいんだぞ」
「行きます!」
声を張り上げて注目を浴びてしまうが、虹介だけはキュウと戯れていた。
そろそろ危険区域が近付いて来た頃、霧に覆われて視界が悪くなり、呼び子が聞こえて来た。
「ゆっくり歩けという合図だな。虹介、気を付けろよ」
砂村が声を掛ける。
「うん、分かった」
キュウを上着の中に入れた。歩行速度が一気に落ち、三人が前にいる事が確認出来た。後ろから神谷、築島、四宮と並んでいる。それより前は全く見えない。
念の為、休憩時間を終えた時に小刀を腰に差していた。四足の穴熊なら、骨に当たったとしても刃毀れしないと踏んだからだった。
(これを使う時が来ないといいんだけどなぁ。やっぱり穴熊が出たら逃げるか……)
いざその時が来ても、虹介が逃げる事はなかった。
先頭の花岡が霧から出た途端に「中穴熊四だ!」と叫ぶ。それを聞いた築島が同様に叫ぶ。誰かが奇声を発し、それが聞こえた。
「ナカが四かよ……」
まだ霧中の砂村が呟いた。虹介は腰から小刀を抜き、鞘を外してそれを腰に差した。
「虹介、それで行くのか?」
「これは鋼製だから、こっちがいいと思って」
「悪い事は言わない、長い方にしておけ」
「そう? 折れると思うんだけど……」
「何やってんだよ! 早く行けよ! 色目だろが!!」
必死の形相の神谷が振り向いて叫んだ。虹介は無視して小刀を戻し、短刀を抜刀した。前を見ると四宮はもういない。
「出遅れているなぁ」
「俺は行くぞ」
砂村が神谷を追い越して消えた。虹介は徐に歩いて神谷を置いて霧から出た。
「キャァァアアア!」
奇声を発しているのは四宮だった。どうやら燥いでいるようで、鳥村を狙っている二頭の内一頭に切り掛かっていた。得物の刃は紺碧だったがそれでも良く切れるのか、中穴熊の左腕がなかった。
築島は鳥村の方に付いていて、一頭を牽制している。花岡を狙う二頭の内一頭を奥村が背負って綱で首を締め始めた。中穴熊は仰向けになり、手を振り、体を左右に振っていたが首が締まるだけだった。砂村は花岡の側にいた。
(えー……、四足ってあんなに小さいのかよ)
大穴熊に比べて小柄で、立っていると一メートル五十センチメートル前後といった所だ。虹介は一番大きそうな中穴熊を相手にしている鳥村と築島の方へ駆け足で向かった。背嚢に加え、懐にキュウがいる。邪魔でしかなかったがこれでやるしかない。
(これは背後に二三頭いてもおかしくないな)
頭上の枝に跳び上がり、枝から枝へ渡って上から中穴熊の背に取り付き、正面の喉に刃を当てると左手を峰に掛けて思い切り手前に引き、首の右側を切るように引き抜いた。意外と容易に刃が入って血が噴き出した。四宮の方を見ると中穴熊が倒れていて、返り血が付いていた顔は歓喜に満ちていて、花岡等の方に顔を向けた途端、そちらへ走って行った。虹介も続く。
花岡の方は一頭が倒れ、もう一頭は先程と同様に奥村が背負って綱で首を締めていた。花岡と砂村は邪魔をせずに見守っていたが、そこへ四宮が跳び掛かった。
「死ねぇぇえええ!!」
大太刀を両手で逆手持ちにし、突き立てようとしていた。虹介はその前に追い付き、左手で四宮の右足首を持って後ろへ引っ張りながら踏ん張り、手を離した直後に跳び上がって、こちらを向いた四宮のそれを持つ手に手刀を叩き込むと、それが手を離れて地面に落ちた。四宮も体勢を崩して落ちていた。
「戸二谷、てめぇ! 何するんだよ!!」
起き上がって膝を突き、激怒して叫んだ。四宮は両手を垂らしていた。激怒しているのは虹介も同じだった。
「奥村を殺そうとしただろうが! それを止めたんだよ!」
虹介の動作を見て呆気に取られていた全員が我に返った。奥村は中穴熊が動かなくなったのか、綱を緩めて脇に落とした。
「虹介、ありがとう」
素気なく言い、次は四宮に顔を向けた。
「四宮、中穴熊はもう死んているが、切り刻んでもいいぞ」
そう言われると聞こえよがしに舌打ちをして顔を背け、その場に胡坐を掻いた。
四足の中穴熊に鋼製では一頭が限界だという事を身を以て知った虹介は、刃毀れしている上に亀裂が入って使えなくなった短刀を横に置いて項垂れていた。
「オレにあんな事をするからそうなるんだぞ」
「四宮を止める前からこうなっていたんだよ……」
キュウは虹介の上着から頭を垂らして眠っている。虹介と四宮は何も言われない事もあって怠けていた。
「それにしても、あの三人が下りる羽目になって命が助かったのは悔やまれるな」
腕を組み、そんなキュウを一瞥してから項垂れた。虹介は逆に頭を上げた。
「来ていたら、三村も助かっていたかもな」
「有りうる。まぁ一匹死んだだけでも良しとするか」
虹介の予想が的中していて二頭が背後に回っていた。再度霧中に戻った三村と、霧中に残っていた神谷はそれに殺されてしまった。寂しい事に誰も悲しまなかった。皆が一様に冷然と対処をしている。
「それより、どうして奥村を殺そうとしたんだ?」
「お前には関係ない。それより、お前になぐられた両手がまだしびれてるわ」
「やっぱり色目だな。普通だと折れているんだぞ」
露骨に話題を変えられたが、それに乗った。
「フン、ほめられても嬉しくねぇよ」
「おーい、毛皮は絶対に持ち帰りたいから、休まず剥げよ」
花岡が声を張り上げた。虹介だけ「はーい」と返事をして、今にも折れそうな短刀を納刀し、小刀を手にして後ろに吊るしている中穴熊と対面した。
試験官の四人は慣れた手付きで大きな枝を切って来ては繋ぎ合わせ、即席の車輪のない荷台を二台と人数分の背負子を拵えた。それに三村と神谷をそれぞれ乗せ、その上に畳んだ毛皮を積み、纏めて括り付けて休泊所まで戻る。それ等は虹介、四宮、奥村の三人が交代で曳く。全員が背負子に積めるだけ積んでの移動だったが、健脚揃いで早く到着した。
夕食には兎肉を食べ、舌鼓を打った。キュウも焼いた物を食べて上機嫌だった。
寝床は一ヶ所ずつ与えられ、一人でいられる安心感と、睡眠不足と、精神的に疲労した事で背嚢を背負ったままでも寝付きは良かった。
三日目、下山して入山許可を貰った。翌日は講習がある為、再度隊舎に赴かなければならない。虹介は帰宅するが、二人は宿泊する為に残った。
居間にいた祥介は虹介の顔を見て安堵の色を見せる。
「おかえり」
「ただいま……」
背嚢に乗っているキュウを見て苦笑する。
「先に三人も下りて来たが、何があったんだ?」
虹介は腕を肩の位置に上げてそれを叩いた。キュウは腕に移動する。
「んー……、オレの荷物を狙って来た所を、四宮って言う色目にやられて失格になった」
そのまま跪くと腕を下げ、キュウを下ろした。それから背嚢も降ろす。
「そうか。それ以外に何かあったか?」
「危険区域付近へ行ったら四足の穴熊が四頭出て来て、そっちに向かったら、後ろから二頭出て来て二人死んだ」
「そうか。それで、表でうろちょろしている奴が四宮か?」
「いるのか?」
「人の気配はするが」
「付いて来たのかよ……」
不快気に顔を顰めて退室した。玄関を開けて外を窺うと確かに人はいたが、奥村だった。
「戸二谷さんがいるのなら、話させてもらってもいいか?」
「帰れよ」
「虹介に暴露した事を話しておきたい」
真顔の奥村に見据えられ、虹介は無言で目と共に顔を少し横に向けた。
「分かった……」
先に式台へ上がり、奥村が敷居を跨いで戸を閉めた。
防護帽を被り通しの上、入浴もしていない為、虹介も奥村も髪が寝ていた。それが嫌で坊主にしている祥介は、先ず二人を入浴させる。二人は必要以上の会話をせず、奥村は大介の昔の服を借りていた。さっぱりした二人は手拭いを肩に掛けて居間へ戻る。奥村は先ず風呂の礼を言い、座布団を退かして土下座した。
「私は奥村英次と言います。奥村英太郎に拾われて育てられました。子捨ては大罪、養父に手伝ってもらい、実母の乾久枝を捜し出し、先日討ちました。虹介もまた、それの捨て子です。知らせておかなければならず、山で機会を得て話しました。戸二谷さんの許可を得ずに勝手をして申し訳ありません」
腕を組み、目を閉じて聞いていた祥介は奥村を見た。
「分かった。頭を上げてくれ。いずれは話さないといけない事だったが、まぁ、今がその時なんだろうな」
不機嫌気な虹介に目を移し、居直って正座する。
「虹介、今まで黙っていてすまなかった。血は繋がっていないが、虹介は俺が育てた俺の息子だ。何があっても俺の大事な家族に変わりはないから、それは忘れないでくれ」
いつになく大真面目な祥介を一瞥して、股座で寛いでいるキュウに目をやる。
「オレの父さんは父さんだけだし、後は兄ちゃんだけだ。……奥村の事は、ちょっと、今は考えられない」
そう言うと、零れた涙を腕で拭った。
「俺もお前の兄だ。それは事実だからいつでも頼れよ。住所はなくても俺の名で手紙を出せば、必ず俺に届く」
涙目の虹介に言うと、祥介の方に向いて辞儀をした。
「これで失礼します。時間と風呂を頂き、ありがとうございました」
祥介は玄関まで送り、奥村は隊舎へ戻った。
虹介は帰宅した大介に無言で甘えに行き、大介は何も言わずに受け入れていた。




