八、あの時の子
新暦一二五三年、大介が修行に出てから一年半が過ぎた。大介のいない生活に慣れた虹介も、寂しさから泣く事はなくなってから随分と日が経っていた。
裏庭にある畑は、今では虹介が使用している。祥介に手伝ってもらいながらだったが、普通のトマトも胡瓜も茄子も大根も蕪もキャベツも人参も食べたし、今年もフルーツトマトを食べた。そして祥介との約束は継続されていて、留守の間は尋子に畑を見てもらい、礼の土産は欠かさず買った。
虹介が三年に進級すると、朝の日課にカルカルの散歩が追加されていて、空が白んで来ると四頭を連ねて引き、先頭の五頭目に乗って走らせていた。祥介がいる時は一緒にやっているのだが、一人の時は当然ながら倍の時間が掛かる。クルーが留守番の時は三周だけ一緒に走ってくれるが、寝坊助のキュウが付いて来た事はない。
十月のある日、最後の三頭を走らせていて、西通りを東へ曲がって少し行くと、見知らぬ少年がいた。少年は白い杖を突いていたが、足が悪いという訳ではなかった。
(道のど真ん中にいられると通れなくて困るなぁ……)
虹介はカルカル等を止め、少年が渡り切るのを待った。少年は目を閉じていて、こちらに顔を向けている。
「ごめんね。すぐどくからね」
「ゆっくりでいいぞ」
目が細いのかと思ったが、どうやら空いていないようだ。虹介は不思議に思って注視をしていたが、少年はこちらに気を取られていて、案の定転んだ。虹介はカルカルから降りて駆け寄る。
「大丈夫か?」
「ごめんね。ころんじゃった」
立ち上がる手助けをした後、落ちていた杖を手渡した。少年の背丈からして、虹介の一二歳年下のように感じた。足に付いている土を払う。
「気を付けろよ」
「ありがとう。名前を聞いてもいい?」
「オレは戸二谷虹介。お前は?」
「ぼくは嘉納覚。むずかしい方の、嘉日の嘉に、糸へんに内で納、覚えるってかいて、嘉納覚だよ。よろしくね」
笑顔になると手を差し出した。虹介はそれを一瞥して、やはり閉じたままの目を見ながら握手をすると、すぐに離した。
「むずかしい方のかじつが分からないな。オレの字は、戸口の戸、数字の二、地形の谷で戸二谷、空にかかる虹と、介入の介で虹介。まぁよろしく。オレは三年生だけど、かのうくんは何年生なんだ?」
「三年生って九才? ぼくは八才だよ」
「オレも八才。同い年かぁ。オレは早生まれなんだけどな」
「そうなんだね。ぼくは六月生まれでね、そのときから、目が見えないんだよ」
虹介は、そんな事がこの世にあるのかと驚愕した。
「目が見えないのに、どうしてオレの事が分かったんだ?」
「目は見えないけど、何かが見えるんだよ。こうすけ君は、それがとってもこいね」
「こい?」
「そう、母さんが言うには、丸賀二八じゃないかって。ものによって、うすかったり、こかったりするんだよ」
「へぇ、目は見えないのに二八が見えるなんて、すごいな」
単純に感心していると、覚がカルカルに顔を向けた。
「カルカルは三頭いるでしょ?」
「うん、いる。それも分かるのか。すごいな」
「目は開かないんだけどね、ふしぎでしょ。ぼくが一番ふしぎだよ」
そう言って笑ったが、虹介は笑えなかった。
「あ! 思い出した! 去年、荷カル車に乗ってただろう? 引っこして来た日に見たわ」
思わず指を差していた。そして大介に窘められた事も思い出した。
「あ! ぼくも思い出した! すごくこいから印象にのこってたんだ。すごいぐうぜんだね」
覚は手を伸ばして、虹介の右目に触れようとした。
「どうしてこの辺はちがう感じがするんだろう? 何があるの?」
「ああ、右目が光に弱くて眼帯をしてるんだよ」
「がんたい?」
伸ばしていた手を取ると、眼帯に触れさせた。
「これが眼帯。カバって言う動物の皮を加工して作ってるんだよ」
額に当たっている部分も触れさせる。
「へぇ、これががんたい。こういう形なんだね。ありがとう」
額の部分を入念に触ってから手を離した。
「ううん、これは村地さんの所で作ってもらったんだ。眼帯は目をおおう物の名前だな」
「へぇ、そうなんだ。ぼくががんたいをすると、両目をおおう事になって目立つね」
そう言って笑ったが、虹介は笑えなかった。
「それじゃあオレはそろそろ行くわ。まだ仕事があるからな」
「仕事? 三年生なのにはたらいてるの?」
「家の事をするんだよ。カルカルにエサをやって、カル舎のそうじをして、せんたくもして、風呂の水を浄水器に入れないと」
「一人ぐらしなの?」
「父さんもいるけど、何日か仕事でいないから、オレがやらないといけないんだ」
「そう……。それじゃあじかんが出来たら、ぼくの家へあそびに来てよ。すぐそこの二階だてのしゅう合住宅なんだけど、十けん並んでて、こっちからだと右から三げん目ね。表札があるから来てね。苗字は嘉納だよ」
「かのう、な。分かった。行けたら行くよ」
そう言って連ねているカルカルの手綱を取り、鞍の着いたカルカルに跳び乗った。
「それじゃあな」
「またね」
虹介は覚を大きく避けて走り去った。覚は小さくなる模様が消えるまで立ち尽くしていた。
覚が住んでいる辺りは役場の家族寮だった。以前は役場がもっと北の位置にあったが、人数が増える度に南下したのだが、寮の位置はそのまま残った為、割と北の方にあった。
虹介は覚が言っていた事を信じていた。カバの革が露になっている部分に、迷いなく手を伸ばしていたからだった。
(目が見えないのに二八が見えるって、凄い力だな……。でも学校で見かけた事がないから、通ってないんだろうな。目が開かないって言ってたし、物が見えないんじゃ通わせてもらえないか)
そんな事を思案しながら箒を動かしていた。
「あ! そう言えばオレが色目って言ってなかった!」
カル舎の掃除中に叫んだ。カルカル等は驚き、虹介を見て鳴いた。
「ごめん。つい声が出たわ」
カルカル等は鳴き止まず、虹介は無言で掃いた。
祥介が帰宅すると一通の手紙を持っていた。玄関まで出迎えていた虹介に差し出す。
「手紙が届いてたのか? 気付かなかった」
差出人を見ると大介の名が書かれていた。覚の事を話すつもりでいたが吹き飛んだ。
「あ! 兄ちゃんだ! 読んで!」
「ここで読むか?」
沓脱石から式台へ上がり、虹介の横を擦り抜けて行った。
「もう部屋へ向かってるじゃないか」
そう言いながら封を手で切った。中から便箋を出して広げる。流し読みをして読めない漢字がある事を確認すると、祥介の部屋へ入った。
「よめない字がある……」
着替えている祥介に便箋を差し出したが、受け取って貰える筈もなく、大人しく待った。
「どれ」
差し出された手に渡すと、祥介が読む。
「父さん、虹介、元気か? 師匠の修行は終了となり、帰省が許された。来年の正月休み明けからは竜爺が師となり、新たな修業が始まる。そういう訳で十二月二十七日八時から十時の間に庚漆村を出発出来るように、カルカル牧場まで迎えに来て欲しい。二十六日は野村屋に泊まるから、そこへ来てくれても良し。寧ろそちらが望ましい。大晦日には大掃除をしたいから宜しく頼む。追伸、クルーは連れて来ないようにお願いします」
読み終えると便箋を虹介に渡した。
「十二月二十七日に出発かぁ……。そうなると、二十六日に着かないといけないから、二十五日にここを出発だな」
逆算をした虹介を見て、祥介は苦笑した。
「終業式はいつだ?」
「二十五日」
「二十四日に出発しよう。学校は休んでいいぞ。先生に手紙を書くわ。二十五六と庚漆村に泊まって、二十六に合流して、二十七に帰ろう」
「やったー!!」
虹介は拳を突き上げ、喜びの余りに小躍りした。祥介は虹介の頭を優しく二度叩き、脱いだ服を持って部屋を後にし、虹介は慌てて障子を閉めて付いて行った。クルーは顔を上げる事もなく、尻尾で板の間を叩いている。
翌日、再度同じ場所に覚がいて、その時は祥介もいた為に軽く挨拶をして通り過ぎただけだったが、次の周も立っていて苦笑した。朝食後、虹介は覚の事を祥介に話した。
「二八が見える? 目が見えないのにか」
些か驚いた様子で虹介を見た。
「そうなんだよ。ちがう感じがするって言って、オレの眼帯のある所に手を伸ばしてたからな」
「へぇ、そういう事もあるんだな」
「カルカルが何頭いるのか、言い当ててたよ」
「本当に二八が見えているんだな」
顎を撫でながら軽く頷いた。
「それにしても、早朝に来ていたがご両親が許可を出しているのかは疑問だな」
「昨日はもう少し遅い時間だったんだけどな。最後のカルカルを走らせている時だから、五時四十分くらいだな。親は知ってるんじゃないのかと思うけど……」
「成程な。まぁ、家に遊びに行く事は構わないが、土産は忘れずに持って行けよ?」
「うーん、それじゃあ小松菜がとれたらにするわ」
「ああ、それがいいな」
祥介が笑顔で頷く。虹介も笑顔になると、廊下からキュウの鳴き声が聞こえて来た。
「キュウが起きて来た」
障子まで行き、開けると入って来た。祥介は傷んでいる畳を見て唸った。
「ここも板の間にするか」
「キュールルルルル」
返事をするようにキュウが鳴いた。
虹介は帰宅するとすぐに裏庭へ向かった。縁側に荷物を置き、畑へ行って小松菜の様子を見て、収穫した物を井戸で洗って土を落とした。
それを持って役場の家族寮へ向かい、右から三軒目と言われた家の門には、祥介に教わった漢字で書かれた表札が掛かっている。門を潜り、玄関の戸を引いた。
「こんにちは! 戸二谷です! 覚君に呼ばれてあそびに来ました!」
奥から覚と母親の碧が出て来た。
「いらっしゃい! 待ってたんだよ」
嬉し気に言いながら式台に下り、正座をするとその後ろに碧が立って腰を屈め、虹介に優し気に微笑む。
「いらっしゃい。お話は聞いてます。どうぞ上がってね」
「これ、うちでとれた小松菜なんですけど、良かったらどうぞ」
差し出した籠には小松菜が五束入っていた。小松菜はこの星で良く育ち、二十日で収穫期を迎える。
「わぁ、ありがとう。こんなに沢山、とても嬉しいわ。早速今晩頂くわね」
心底から嬉し気に言い、覚の横に行って笑顔で籠を受け取った。
「さぁ、遠慮せずに上がってね。覚、連れて行けるわよね?」
覚に顔を向けると、覚が碧に顔を向けて頷く。
「うん、大丈夫」
「どうぞごゆっくり」
虹介に小さく辞儀をして先に奥へ行った。虹介は玄関の戸を閉めて上がると、覚に案内をされて覚の自室へ向かう。向かうと言っても、玄関の前の廊下に面している右側の部屋だった。
部屋には文机があり、紙と硯と筆と墨汁があった。紙には絵が描かれている。それと畳まれた布団と座布団があった。押入れはなく、広さは四畳だった。
「せまい部屋でごめんね。ぼくの一人部屋なんだよ。姉と妹がいるんだけど、男はぼくだけだからね」
文机に行き、座布団を取ると虹介に座るように促した。
「ありがとう。うちはみな男だな。父さん、兄ちゃん、オレの三人家族だ」
座布団に座り、正面に座った覚を見る。
「男ばっかりはいいね。楽しそう」
屈託のない笑顔で言った。
「兄ちゃんは庚漆村でしゅ行をしてて今はいないんだよ。でもしゅ行が終わるから、年末にむかえに行くんだ」
「へぇ、こうしつ村まで行けるなんてすごいね」
虹介は笑顔で頷くと、ふと思い出した。
「あ、そうだ、言い忘れてたんだけど、オレは色目なんだよ」
「ああ、それで丸賀二八がこいんだね」
納得するように頷き、色目に対して偏見が全くないようで笑顔だった。
たわいない話をしていると、碧が空いた籠と茶と茶請けを持って来た。礼を言い、茶請けの漬物を食べた。「うまい」と言いながら平らげ、茶を啜る。
「絵をかいているようだけど、二八を見てかいてるのか?」
「そうだね。何にでも丸賀二八がふくまれてるからね。うすい、こいはあるから、丸賀二八がうすい紙に、こい物を使ってかいていけば、字もよめるし、絵もかけるね」
「その逆はダメなのか?」
「逆?」
「二八がこい紙に、うすい物を使ってかくと、どう見えるんだ?」
「それはね、こい紙が勝っちゃって、見えなくなるんだよね。うすい紙にうすい物なら、見えなくもないけど、ほとんど見えないね」
「ふーん、そうか。でも字が覚えられて良かったな」
「うん、そうなんだよ。物によっては本もよめるからね」
こうして虹介は神秘的な覚と良く話し、急速に仲良くなって行く。
虹介にとって俊亮は幼馴染で気の置けない仲だが、年の差があって兄の友達という位置付けでありつつも、兄に近い存在だった。それとは全く違う、初めての友達と一緒に過ごす時間が楽しく、作物がなくても通うようになり、姉の沙菜や妹の清花とも仲良くなった。
十二月のある日、覚をクルーと会わせてみたかった虹介は下校中に寄り道をして覚を拾い、カルカルに乗せて家に連れて行った。そして裏庭で初対面を果たしたのだが、クルーが覚に興味を示さず、祥介のいるカル舎へ行ってしまった。
暫くすると祥介がクルーを連れて来て挨拶をした。
「虹介の父の祥介だ。宜しく。こうしてと話すのは初めてだが、いつも早朝に会っているから初めてという気がしないな」
差し出された祥介の手を迷わず握った覚は、笑顔で祥介を見上げた。
「嘉納覚です。虹介君にはいつもお世話になっています」
ほぼ同時に手を離すと、祥介は虹介が持っている白菜に一瞥をくれてからクルーを見た。
「クルーは家族以外の人間に興味を持たないように躾てあるから、仲良くは出来ないが許してやってくれ」
「はい」
「それじゃあ、ご家族に宜しく。帰りはカルカルで送れよ?」
虹介を見ると、歩いて送るつもりだった虹介が笑顔になる。
「ありがとう。そうする」
「気を付けてな」
そう言って覚の肩に手を置くと去って行き、クルーもそれに付いて行った。覚はその姿が物陰に隠れて見えなくなるまで顔を向けていた。そして虹介に顔を向ける。
「あれがさばくじしかぁ……」
「そうだな」
「思ってたより二八がこかったよ」
覚が笑顔で言うと、二人はカル舎へ向かい、くとさに鞍を着けて相乗りをして家へ送った。こうして覚は虹介の生活の中に馴染んで行く。




