第234話「梨壇の町の夜(蒼矢隊の駐屯地にて)」
──梨壇の町にて──
夜。
町の一角にかがり火が焚かれていた。
『蒼矢隊』が、部隊の駐屯地として占拠している場所だ。
彼らはあの場所を拠点にして、『金翅幇』の調査を行っているのだ。
最奥にあるのが、隊長である梁鉄の宿舎だ。
かがり火からは遠い位置にある。
敵の襲撃を受けないように、目立たない場所に配置したと言われている。
だが、それを不審に思う者もいる。
修三兄妹の長男、修目もそのひとりだった。
「修香よ。お前は離れているがいい」
路地で身を潜めながら、修目は言った。
彼は暗い色の衣をまとって、闇に溶け込んでいる。
彼らがいるのは、部隊の駐屯地の外だ。
梁鉄の宿舎からは離れているが、修目は視力にすぐれている。彼の目ならばこの距離でも、周囲の状況を見抜くことができる。
修目の隣には、妹の修香がいる。
彼らは梁銀から、梁鉄の見張りを命じられている。
今は次男の修耳が、梁銀のもとへ報告に行っているところだ。
修目たちは、梁鉄が何度か、書状を受け取るところを目撃している。
それが誰からのものなにかは、わからない。
その後で、梁鉄の行動が変わるわけでもない。
私信かもしれないが、それならば梁銀に心当たりがあるかもしれない。
そう思って、修耳が報告に向かったのだ。
「梁銀さまは、我らの恩人だ。それを忘れるな」
長兄の修目は妹に語りかける。
「あの方は、旅芸人の下働きだった我らの才能を認め、配下としてくださった。その恩を返すためにも、我らはあの方をお助けしなければならない」
「はい。あにさま」
「梁銀さまはおっしゃっていた。梁鉄さまは、悍馬だと」
悍馬とは、気性の荒い馬を意味する。
生命力はあるが、御するのは難しいとされている。
今の梁鉄は前のめりになっている。
国王より部隊を与えられたという事実が、彼を高揚させているのだろう。 それを梁銀は『悍馬』にたとえたのだ。
今の梁鉄は危うい。
悍馬のように勢いに任せて駆け回り、大きな失敗をすることもあり得る。
だから梁銀は監視をつけたのだ。
「ですが、あにさま」
不意に、修香がつぶやいた。
「梁鉄さまは王さまの命令で動いていらっしゃいます。危険なことをなされるとは思えません。梁銀さまは、心配されすぎていらっしゃるのでは」
「梁銀さまはおっしゃっていたよ。『弟は、黄天芳どのへの対抗心を燃やしすぎている』と」
「黄天芳さま、ですか? そういえば昼間……あの方のにおいを感じたような気がします」
修香は記憶をたどるように、答えた。
「昼間、梁鉄さまと一緒に町をまわったときのことです。あの方が近くにいらっしゃったかどうかはわかりません。ですが、黄天芳さまは、この町に来ているような気がします」
「そのことは、梁鉄さまに言うな」
「どうしてですか?」
「言ったであろう。梁鉄さまは、黄天芳さまへの対抗心を燃やしすぎていると。そのせいで他のものが見えなくなっていると、梁銀さまは考えていらっしゃるのだ」
修目は梁鉄の宿舎を見据えたまま、答えた。
「先を走る者に目をうばわれすぎれば、足下の石が目に入らなくなる。勢いよくつまづいて、大怪我をすることもある。天に向かって手を伸ばし、つま先立ちになれば……ほんの少し押されただけで倒れてしまう。今の梁鉄さまはそのような状態だと、梁銀さまはおっしゃっていたよ」
「だから、今の梁鉄さまはあやうい……と」
「そうだ……いや、話はここまでとしよう。誰か来た」
修香の前で、修目の身体が震えた。
彼は暗闇に目を凝らしている。
兄の目には、梁鉄の宿舎に近づく者が見えているのだろう。
「背が高い。おそらく男性。頭巾を被っている。身体の動きを見る限り、武器は持っていないようだ。だが……あれは武術を学んだ者の足取りでもある。刺客か?」
やがて、かすかな音がした。
頭巾の男性が梁鉄の宿舎の扉を叩いたのだ。
かすかに呼びかける声が聞こえる。
それに応じて、梁鉄が扉を開ける。
宿舎から灯りが漏れるが、やはり男性の顔はわからない。
梁鉄はそのまま男性を招き入れる。知人のようだ。
「香妹よ。私はあの男を尾行する」
意を決したように、修目が告げた。
それから彼は早口で、自分が目にした男性の特長を、修香に伝えた。
「忘れぬように書き留めておくのだ。その後、修耳が戻ったら、梁銀さまに報告するとしよう」
「承知しました。あにさま」
「お前は宿舎に戻れ。梁鉄さまになにか聞かれたら、『兄は梁銀さまの命令で、黄海亮さまの兵士が町に残っていないか調べている』と伝えるのだ。そう言えば、疑われぬだろう」
時が過ぎて、頭巾の男が梁鉄の宿舎から出てくる。
その男の気配が遠ざかるのを待ち、修目が動き出す。
彼の目は、闇の中でも相手の位置を特定できる。見失うことはない。
十分な距離を開ければ、尾行に気づかれる可能性は低い。
そんな言葉を妹に伝えてから、修目は闇の中を歩き出す。
そうして末妹の修香は、兄の背中が闇に溶けるのを、見送った。
朝になっても、修目は帰ってこなかった。




