第233話「幕間:山中にて」
──とある山中で──
「なにを見ているのですか、鷹月」
巫女を名乗る女性が、少年に声をかけた。
少年は木の上に座り、遠くをながめている。
ここからは見えない町を探すように、遠い目をしながら。
「いずれあなたは王になるのです。身体を、大切になさい」
「思い出していました」
灰色の髪の少年は答えた。
「自分が妖孽に取り憑かれていたときのことを」
「妖孽……異世界人を名乗る者のことですね?」
「そうです」
少年はうなずいた。
「あの者は……突然、心の奥底から現れて、この身体を奪っていました。そして、無謀にも盗賊に斬りかかって……その結果……」
「心配はいりません。あの者はもういないのです」
巫女は軽功を使い、少年の隣に降り立つ。
枝は、小揺るぎもしない。
『気』で、身体を完全に操作しているのだろう。
「あれは異世界人を名乗る鬼や妖孽のたぐいでした。それがあなたの身体を、いっとき、乗っ取っただけのこと。すでに封は施しました。私の知識と、あの者から得た知識を使って」
「師嬢」
「なんでしょうか」
「あの者の記憶の中にあった知識は、本物なのでしょうか?」
少年は巫女に問いかける。
これまで、何度も口にしてきた言葉を。
「本当にこの世界は……誰かが作ったものなのでしょうか。異世界などというものが本当にあるのでしょうか?」
「わかりません。ですが、私たちが得た情報は本物でした。それをもとに、私たちは秘伝書を手に入れることができたのです」
とん、と、巫女は枝を蹴る。
まるで体重のない者のように、巫女の身体が宙を舞う。
そうして枝から枝へと飛び回った後に、巫女は少年の隣に戻る。
「盗賊たちに捕らわれていた私が自由を得たのは、この『嫦娥』の軽功を身に着けたから。あなたを連れて逃げ出すことができたのもそうです」
「はい。師嬢」
「ならば、乱世がやって来るという情報も事実でしょう。そうなれば多くの者が命を落とすことになります。英雄であるあなたは、少しでも犠牲者を減らす義務があるのです」
巫女は玲瓏な声で、少年にささやきかける。
「妖孽の知識が手に入ったのは幸いでした。あれがなければ、私たちの行動は5年……いえ、10年は遅くなっていたでしょう」
「わかっています」
少年は拳を握りしめた。
「藍河国の滅びを早めて、乱世を最短で終わらせます。そして……いずれは神仙のもとにたどりつき、その教えを手に入れなければ」
できるなら、故郷の祭りを見てみたかった。
だが、それはもう、叶わないことなのだろう。
彼は罪を背負っている。
3年前のあの日、異世界人を名乗る妖孽に、身体を乗っ取られてしまったときから。
あの妖孽は力を持っていた。
奴は少年の身体を操り、盗賊の武器を奪った。
さらに、ひとりの盗賊を斬り殺した。
妖孽に乗っ取られていたとき、彼の心は、恐怖で凍り付いていた。
なにがおきたのかわからなかった。
ただ、頭の中に、見知らぬ技術と知識があった。
基本となる武術の知識。
突然、身体の奥底からわきあがる、膨大な内力。
この世界が、遊戯のために作られたという言葉。
それらの知識が渦を巻き、彼の精神を飲み込んでいた。
少年に取り憑いた妖孽は歓喜していた。
この世界で英雄になり、王になるのだと心の中で叫んでいた。
目の前に盗賊たちがいるというのに。
妖孽は強かった。
その意識に押し流され、彼の意識は消えそうになっていた。
それでも踏みとどまることができたのは、友人が死ぬところを見てしまったからだ。
母親に抱かれた小さな少女だ。
彼女は、いつも彼の遊び相手だった。母親も、よく食事に呼んでくれた。
その少女が母親と一緒に、斬られるところを見た。
母親はまだ息があった。
だから、心の中で叫んだ。
身体を返してくれ。これ以上はやめてくれ、と。
彼女たちがどうなったのかはわからない。
その後、少年は盗賊団のもとに連れ去られ──
そこで、巫女と呼ばれる少女に出会った。
彼女は、占いの力を持つ巫女だった。
巫女の「その少年を殺してはいけない」という言葉が、彼を救った。
それから巫女は、彼の身体を乗っ取った妖孽に話しかけていた。
妖孽の味方になったふりをして、様々な知識を仕入れた。
少年も抵抗した。
友人を死に追いやった妖孽を許すことはできなかった。
必死に自分を保ち、心の中で声を上げ続けた。
やがて、妖孽が苦しみはじめるのが、わかった。
その結果、彼と巫女は、異世界人を名乗る妖孽を封じ込めることに成功したのだ。
少年は自分を取り戻した。
その後、巫女と協力して、盗賊団のもとから逃げ出した。
その後は各地を転々として、仲間となるものを集め続けた。
いずれくる乱世から、人々を救うために。
10年後に起こりうる藍河国の崩壊を早めて、犠牲者を減らすために。
「妖孽の知識と私の知識が、あなたをより高いところへ導きました」
巫女は真っ白な手で、彼の頬をなでた。
「けれど、そのせいであなたは、さらに過酷な道を進むことになったのです」
「構いません。おかげで、自分は天命を知ることになったのですから。私は、あの妖孽に感謝しているくらいです」
「感謝する必要などありませんよ。あれは邪悪な妖孽だったのですから」
「はい。ですが……」
あの妖孽が邪悪なものでなかったなら、どうなっていただろう。
知識や知恵を活かして、この世界の運命を変えてくれる者だったら?
善なる者として、力を貸してくれる者だったら?
彼は、その者を受け入れていたかもしれない。
「……いいえ、なんでもありません」
少年は首を横に振った。
「あの妖孽に捕らわれたのは私の失態です。私はそれを償わなければ」
梨壇の町で、彼に優しくしてくれた人たちは死んだ。
あれは……必要な犠牲だったのかもしれない。
乱世を素早く終わらせて、異国の襲来に備えるために。
乱世になれば、多くの者が死ぬ。
異国の侵攻を受ければ、さらに多くの者が死ぬだろう。
それを防ぐためなら、なんでもする。
多少の人が死んだとしても……それは、仕方がないことなのかもしれない。
けれど、時々、考えてしまう。
異世界人を名乗る妖孽が目覚めなかったとしたら、自分はどんな人生を歩んでいたのだろう、と。
あの者の知識の中にあったように、英雄として旗揚げしていたのだろうか。
あの者の知識の中にある自分は、本当に英雄だったのだろうか?
商人の護衛をしていた父が……『窮奇』という技の秘伝書を手に入れたのは、本当に偶然だったのだろうか?
雨で道を踏み外した商人の馬車が、崖下に落ちたのも?
その遺体の中から、父が秘伝書を抜き取ったのも?
秘伝書に書かれていた、神仙の言葉も?
結局、彼は巫女と出会っていたのだろう。
盗賊たちは町の者たちをさらって、売り飛ばしていた。おそらくは、その中に彼も含まれていたはずだ。そうなれば結局、彼は巫女に出会うことになる。
そして、巫女によって、運命へと導かれていたのだろう。
ならば、彼は選ばれし者なのだろう。
すべては天命。
妖孽に憑かれても、憑かれなくても、結局、同じ道をたどることになっていたに違いない。
それが、彼の結論だった。
「すべては天命なのです」
気づくと、巫女が彼の顔をのぞきこんでいた。
「王が迷ってはいけません。疑問を持つのも無意味です。あなたは天命に沿って進むしかない。そうでなければ、これまでの犠牲が無駄になってしまいますよ? それでもいいのですか?」
「承知しています。いや……承知している」
少年は枝を蹴り、地上に降りる。
ここにはもう、長く滞在することはできない。
藍河国はこちらの存在に気づいている。先んじて動くべきだろう。
結局、彼は英雄になるしかないのだ。
そのように、天命が定められているのだから。
「協力者とは、すでに話がついているのだな?」
彼は口調を改めて、巫女にたずねる。
「ついております。もっとも、あちらは我々を利用するつもりのようですが」
巫女は地面に膝をつき、拱手する。
「天命を知らぬ者は度しがたいな」
少年の言葉づかいが、変わって行く。
英雄にふさわしいものになっていく。
ふと、彼は思う。
本当の自分は何者なのだろう……と。
異世界人を名乗る妖孽が目覚め、知識を残して消えていった、今の自分。
妖孽が目覚めることなく、英雄としての運命を歩むことになっていった自分。
それが本当の自分なのか。
もはや、考えても仕方がないことなのだけれど。
「すべては天命のままに。あらゆる犠牲も天命。自分たちは……天に選ばれた者なのだから」
やるべきことは、天命のままに動くこと。
犠牲を最小限に抑え……来るべき乱世と、異国の侵攻に備えること。
そのためには手段を選ぶべきではないのだから。
父も従兄も、そのために力を尽くしてくれた。
ならば英雄の自分が迷ってどうするのだ。
ただ、天命のままに。
それだけでいい。
そんな決意を胸に、彼はまた、行動をはじめるのだった。
次週の更新はお休みになります。
次回、第234話は、再来週の週末の更新を予定しています。




