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訳あり侯爵令息のお世話をしていたら、なぜか旦那様に気に入られました  作者: 白キツネ


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6.変な侍女*

 最近、僕の専属になった侍女がうるさい。


 部屋に入るなと言っているのに、毎日のようにずけずけと入ってくる。それどころか、食事を残せば何が嫌いなのかと聞いてきて、野菜を残しただけで「好き嫌いはだめです」なんて言ってくる。


 僕がどれだけ嫌がっても、あの侍女――エレナはまったく気にしていないようだった。


『若様は、お優しいのですね』


 最初に会った時に言われた言葉が、今でも頭に残っている。優しいなんて、意味が分からない。


 僕は母上の腕を折った。僕を心配してくれた侍女にも怪我をさせた。


 少し力を入れるだけで物は壊れるし、人に触れば、また誰かを傷つけるかもしれない。


 だから僕は化け物なのだ。


 それなのに、エレナは僕が手を出さないようにしていただけで、優しいと言った。


「……変なやつ」


 小さく呟いて、布団へ視線を落とす。きっと今日も、もうすぐ朝食を持ってくる。


 扉は叩くのに返事も待たずに入ってきて、聞いてもいないのに今日の料理について話すのだろう。


 そう思っていると、ちょうど扉が叩かれた。


 コンコン、と控えめな音が響く。


 エレナは勝手に部屋へ入ってくるくせに、なぜかノックだけは毎回欠かさない。


「入らないで!」


 いつものように声を上げる。どうせ言っても入ってくる。そう思っていたのに——


 扉は開かれなかった。


「……?」


 少し待ってみても、何も起こらない。代わりに扉の向こうから、聞き慣れない女の声が返ってきた。


「申し訳ありません。朝食はこちらへ置かせていただきます」


 声が少し震えている。それだけ言うと、足音はすぐに遠ざかっていった。


 僕はしばらく扉を見つめることしかできなかった。


 いつもなら「今日のパンは焼きたてですよ」とか、「スープも温かいうちにどうぞ」とか、頼んでもいないことを勝手に喋っている声がしない。


「……何だよ」


 自分でも何に腹を立てているのか分からなかった。別に来なくていい。そもそも部屋に入るなと言っていたのは僕なのだから、これが正しいはずだ。


 しばらくしてから扉を開けると、朝食の載った盆が置かれていた。


 パンにスープ、それから果物。


 昨日までと大して変わらない食事のはずなのに、なぜかあまり食べる気になれなかった。


『今日はパンが柔らかいみたいですよ』


 そんなことを言っていたエレナの声を思い出す。


 僕は何を考えているんだ!


 大きく首を振って考え直す。あいつがいなくても食事くらいできる。

 そう思ったはずなのに、結局パンを少しかじっただけで、ほとんど手をつけないまま盆を扉の外へ戻した。


 昼になっても、エレナは来なかった。


 別の侍女が食事を置きに来て、僕が「入らないで」と言えば、そのまま素直に帰っていく。


 それが普通だ。僕があの侍女を傷つけてから、ずっとそうだったはずだ。なのに今日は、廊下から足音が聞こえるたびに扉へ目を向けてしまう。


 どうせ違うと分かっているのに、それでも少しだけ待ってしまう。


「……別に、来なくていいのに」


 口に出してみても、部屋の静けさは変わらない。昼食にもほとんど手をつけず、僕はベッドへ潜り込んだ。布団を頭までかぶれば、外の音も少し遠くなる。


 どうして来ないのだろう。昨日まであれだけ勝手に入ってきたくせに。食べないなら何度でも来ると言っていたくせに。


 もしかして——


 もう来ないのだろうか。


 そう考えると、胸の奥が少し苦しくなるが、考えれば理由なんて簡単にわかる。


 僕が化け物だからだ。


 最初は平気でも、そのうち怖くなる。あの侍女だって、僕のことを心配して近づいてきてくれたのに、最後には怪我をさせてしまった。

 たぶん、母上のようにもう僕の前に現れることはないと思う。


 それは、エレナだって同じなのかもしれない。何日か一緒にいて、やっぱり危ないと思ったのだろう。


「……だから、入らなくていいって言ったのに」


 布団の中で呟いても、返事はない。そのままどれくらい時間が経ったのか分からない。気づけば外は少し暗くなり始めていた。


 そして、朝とは違う、ゆっくりとした音で扉が叩かれる。


「レオン様」


 聞き覚えのある声だった。この屋敷で僕を「若様」ではなく名前で呼ぶ人はほとんどいない。


「夕食をお持ちしました」

「……いらない」


 すぐに返すと、扉の向こうが少し静かになった。それでも勝手に入ってくることはない。


「ですが、今日は朝も昼もほとんど召し上がっていないと聞いております」

「いらない!」


 少し強く言うと、それ以上説得する声は聞こえてこなかった。


「……承知いたしました」


 優しい声が返ってくる。


「ですが、明日にはエレナも戻ってまいります。何も召し上がっていないと知れば、きっと心配しますよ」

「……え?」


 思わず声が漏れた。


 明日には戻ってくる?


 その言葉を頭の中でもう一度繰り返した瞬間、昨日のことが急に蘇ってきた。


『明日は用事があって、お休みをいただきます』


 そういえば、エレナはそんなことを言っていた。僕はその時、食事をしながら適当に聞き流していた気がする。


『でも、ちゃんと食べてくださいね! もし食べてなかったら、戻ってきて最初のご飯は野菜多めにしてもらいますからね!』

『勝手にしたら』


 確かそんなふうに返した気がする。まったく聞いていなかったわけではない。ただ、どうでもいいと思っていたから忘れていただけだ。


「……明日、戻ってくるの?」


 小さく聞くと、扉の向こうからすぐに返事があった。


「はい。今日はお休みですが、明日からまた通常通りです」


 胸の奥にあった重たいものが、少しだけ消えた。僕はしばらく黙ってから、慌ててベッドを降りる。


「サーシャ!」


 扉を開けると、少し離れたところを歩いていた侍女長が足を止めた。

 振り返った彼女と目が合い、反射的に扉を半分閉める。


「……やっぱり食べる」

「まあ」

「だから、扉の前に置いておいて」


 それだけ言って、すぐに扉を閉めた。


 閉めたあとになって、少し乱暴だったかもしれないと思ったけれど、もう一度開ける気にはなれなかった。

 やがて、サーシャの穏やかな声が聞こえてくる。


「かしこまりました、レオン様」


 少しして足音が遠ざかるのを聞いた後、扉を開けて盆を部屋へ運んだ。


 別に、エレナに言われたからではない。野菜ばかりにされるのが嫌なだけだ。


 そう思いながら食べ始めたけれど、明日になればまたあのうるさい声が聞こえるのだと思うと、不思議と朝より食事がおいしく感じた。

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