3.ヴァルハルト侯爵家
「レオン様がなぜ部屋から出なくなったのか。その経緯についてです」
レオン様については、使用人たちの間でもさまざまな噂が飛び交っていた。
けれど、そのほとんどは力の強さや壊してしまった物の話ばかりで、なぜ部屋に閉じこもるようになったのかまでは聞いたことはなかった。
「レオン様の力がとても強いことは知っていますね」
「はい。物を壊してしまうことがある、と」
「ですが、あの力は突然現れたものではありません。元をたどればこのヴァルハルト侯爵家に代々受け継がれてきたものです」
「侯爵家に?」
思わず聞き返すと、侍女長は小さく頷いた。
「この家の初代当主様がかつて王国を救った英雄だったことは知っていますね?」
「はい。それくらいなら」
ヴァルハルト侯爵家が英雄の家系と呼ばれていることは私も知っている。代々騎士として名を残す者が多く、現当主である旦那様も王国騎士団の副団長を務めている。
「初代当主様は人並み外れた力を持っていたそうです。その力は子孫にも受け継がれ、ヴァルハルト侯爵家の者は昔から身体能力に優れる者が多かったと聞いています」
「では、旦那様も?」
「ええ。ただし、普通は人より少し力が強いという程度です。ですが——」
侍女長はそこで一度言葉を切った。
「レオン様は違いました。数百年ぶりに、初代当主様に近い力を受け継いだ、先祖返りではないかと言われています」
「先祖返り……」
なるほど。それならレオン様だけがあれほど異常な力を持っていることにも説明がつく。
英雄と同じ力だと言われれば聞こえはいいけれど、本人が扱えなければ話は別だ。
「しかも、レオン様の力は感情が高ぶると強く出ることがあります。嬉しい時も、怒った時も、怖い時も」
「それは……かなり大変ですね」
「ええ。レオン様自身が一番、あの力を気にしていました」
玩具を握れば壊し、扉を開けようとして取っ手を外し、食器を持てば割ってしまう。
普通の子供なら意識する必要もないことを、レオン様は一つ一つ気をつけなければならなかったらしい。好きで壊しているわけではないのに、失敗すれば周囲から驚かれる。
それが積み重なれば、物に触れることそのものが怖くなっても不思議ではない。
「一年前のことです。レオン様が奥様に抱きつかれたことがありました」
「抱きついた……ですか?」
「はい。ただ、奥様に甘えたかっただけなのでしょう」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ重くなる。子供が母親に抱きつくなんて、どこにでもある話だ。
本来ならそれだけで誰かが傷つくような出来事ではない。
「当時、奥様はレオン様と過ごす時間がほとんどありませんでした。屋敷を空けることも多く、身の回りの世話も乳母や使用人に任せていました」
「では、レオン様にとっては……」
「久しぶりに甘えられる機会でした」
侍女長の声が少しだけ低くなる。
「嬉しかったのでしょう。その分、感情も大きく動いた。抱きついた瞬間、いつも以上に力が出てしまい、奥様は腕を骨折されました」
「……」
何も言えなかった。腕が骨折するほどとなれば、驚きもするし、怖くなるのも分からなくはない。
けれど、侍女長の表情を見る限り、それだけでは終わらなかったことがわかる。
「奥様はその場でレオン様に言いました。『こんな化け物に襲われるなんて、たまったものではない』と」
侍女長が目を伏せて言った言葉に、思わず眉間に力が入る。腕を折られて冷静でいろとは思わない。
痛みや恐怖で、思ってもいない言葉が出ることだってあるかもしれない。
それでも、相手は自分の子供だ。化け物なんて咄嗟に出る言葉な筈は無い。
「……レオン様は?」
「何も言わなかったそうです。ただ、その場から動けなくなっていたと聞いています」
想像するだけで胸が苦しくなる。母親に抱きつきたかっただけなのに、怪我をさせてしまった。
さらに母親から心無い言葉を言われてしまえば、傷つかないはずがない。
「その後、奥様はこの屋敷を出られました」
「……その一件が理由で、ですか?」
さすがにそれだけで侯爵夫人を屋敷から出したとは考えにくい。私の疑問が顔に出ていたのか、侍女長は少し考えるように視線を落とした。
「もちろんそれだけが理由ではありません」
「……」
「旦那様と奥様の関係はその頃にはすでに冷え切っていました。お二人は元々、家同士の都合が大きい結婚だったそうです」
レオン様が生まれてからも、二人が夫婦らしく過ごすことはほとんどなかったらしい。
奥様は屋敷を空けることが多く、使う金額についても以前から問題になっていたという。それでも旦那様はご自身との夫婦関係については強く口を出さなかった。
「ですが、レオン様のことは別だったのでしょう」
「……なるほど」
母親として積極的に関わることもなく、久しぶりに甘えてきた息子へ化け物と言い放った。
それまで積み重なっていたものも含めて、旦那様はこれ以上同じ屋敷には置いておけないと判断したらしい。
そこまで聞けば、先ほど感じた唐突さもなくなった。
ただ、一つだけ思うこともある。
——一番悪いのは奥様では?
もちろん口には出さない。まだ事情のすべてを知ったわけではないし、よそ様の家庭事情に首を突っ込むつもりもない。
「ですが、それだけでレオン様が部屋に閉じこもるようになったわけではありません」
「まだあるのですか?」
「ええ」
正直、もう十分ではないだろうかと思った。けれど、侍女長はゆっくりと話を続ける。
「奥様が屋敷を出られた後、レオン様は以前にも増して人を避けるようになりました。自分が近くにいると、誰かを傷つけると思うようになったのでしょう」
「……」
「それでも、何とか元気づけようとした侍女がいました」
「以前、大怪我をした侍女の方ですか?」
「そうです」
その侍女は落ち込んでいるレオン様を放っておけなかったらしい。
部屋へ何度も足を運び、食事に誘い、庭へ出ようと声をかけた。悪気があったわけではなく、むしろ心配してのことだったのだろう。
「ですが、レオン様は何度も放っておいてほしいと伝えていました」
「それでもその方は構い続けた?」
「はい」
ある日、いつものように近づいた侍女に対し、レオン様は咄嗟に手を出してしまった。
追い詰められて焦ったことで力が強く出たのだろう。本来なら少しよろめくか、尻もちをつく程度だろう。
けれど、レオン様にとっての『少し』は、普通の人間にとっての少しではなかった。
「侍女は大きく飛ばされ、机の角に頭をぶつけました」
「……大怪我、だったんですよね」
「幸い命に別状はありませんでした。ただ、しばらく療養が必要になりました」
部屋の中が静かになる。
母親を怪我させ、その後に使用人まで怪我をさせた。
レオン様からすれば、自分が誰かに触れるたびに相手が傷ついていくように思えたのかもしれない。
「その日から、レオン様はほとんど部屋から出なくなりました」
「自分から?」
「ええ。誰も近づけないようにしているのです」
おそらくだけど、レオン様は人が嫌いなのではなく、自分が人を傷つけることを恐れている。
たぶん、私が見かけた時は、部屋の掃除をしている最中に同じ部屋に居ないようにしていただけなのだと思う。
「専属侍女もこれまで何人かつけました。ですが、レオン様が部屋へ入ることを拒みますし、事情を知っている者も無理に近づこうとはしません」
「それで、誰もやりたがらなくなったと」
「そういうことです」
侍女長は頷いた後、じっと私を見つめ、最後の確認を行う。
「エレナ。今の話を聞いたうえで、断ってもらっても構いません」
確かに危険なのかもしれない。けれど、話を聞いた限りでは、レオン様が好き好んで誰かを傷つけているようには思えなかった。
「給金は上げていただけるんですよね?」
「……そこですか?」
「大事なところです!」
侍女長がまた額を押さえるが、私はいたって真面目だ。噂だけで決めつけるのは性に合わない。危険かどうかも、自分で見てから考えればいい。
「明日からでしたよね?」
「ええ」
「では、しっかり働きます。給金分」
「……最後にそれを付けなければ、少し感心できたのですが」
侍女長が呆れたように息を吐くが、私は気にせず笑った。
こうして私は翌日から、誰も近づきたがらない侯爵家の一人息子——レオン様の専属侍女になることになった。




