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訳あり侯爵令息のお世話をしていたら、なぜか旦那様に気に入られました  作者: 白キツネ


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11/14

11.いつから*

「木製の食器に変えてすぐ、壊れなくなったんですか?」


 エレナの問いに私はすぐには答えられなかった。


 木製の食器に変えて壊れなくなった? そんなはずはない。レオンの力は陶器だから壊れるだとか、木製なら壊れないだとか、そんな生易しいものではない。

 少し力を入れただけで、日用品など簡単に壊してしまう。


 だからこそ、陶器よりは割れにくく、破片で手を傷つける危険も少ない。それだけの理由で木製に変えさせた。


 だが——


「……いや、最初は木製のものも壊していた」


 ようやくそう答えると、エレナは何も言わずにこちらを見た。その視線に促されるように、昔のことが少しずつ思い出してくる。


 そうだ。変えたばかりの頃は何度も新しいものを用意させた。匙の柄が折れたことや、器の縁が欠けたことも、一度や二度ではない。

 そのたびにもっと丈夫なものを用意できないかと話をした覚えがある。


「……いつからだ」


 気づけば、その言葉が口から漏れていた。一体、いつから交換しなくなった?

 

「旦那様……申し訳ありません」

 

 サーシャが静かに頭を下げる。だが、その声はどこか遠くに聞こえた。


 以前は壊れるたびに新しいものを用意したと報告を受けていた。それがいつの間にか食器についての話を聞くこと自体がなくなっている。


 それなのに私は一度も疑問に思わなかった。壊れなくなったのだと、改めて考えることすらなかった。

 そこでようやく、サーシャがなぜ謝ったのかに気づいた。報告していなかったことを詫びているのだと。


 だが、それは違う。


「……いや」


 私は小さく首を振った。


 壊れれば交換が必要になり、報告が上がる。だが、壊れなければ報告する理由などない。そもそも食器とは壊れないことの方が当たり前なのだ。


 だから誰も気づかなかった。私も、サーシャも。


 いつの間にかレオンが木製の食器を壊さずに使えるようになっていたことに。そして、その『いつの間にか』の中で、あの子が何度も力を抑えようとしていたことにも。


「レオン様はずっと頑張っていらっしゃったんだと思います」


 エレナの声にゆっくりと顔を上げる。責めるような口調ではなく、彼女はただ自分が見てきたことをそのまま口にしただけなのだろう。

 だからこそ、その言葉が妙に胸に残った。


 私はずっと、レオンが変わったのだと思っていた。


 部屋から出られるようになったことも、人と話せるようになったことも、以前とは違う姿に見えていたからだ。

 けれど、目の前の彼女はそれは違うとはっきりと告げる。


「だから、私はレオン様が変わったとは思っていません」


 エレナはそう言ってから、少しだけ考えるように視線を落とし、『あっ!』と何かを閃いたように顔を上げる。


「変わったというより、できることが増えたんじゃないでしょうか!」

「できることが……」

「はい。前は難しかったことが、今は少しずつできるようになっている。それだけだと思います」


 その言葉を聞いて、先ほどまで胸の中に引っかかっていたものが、ようやく形になった気がした。


 レオンは急に別人になったわけでも、何もできなかったのがある日突然できるようになったわけでもない。

 以前から少しずつ、自分なりにやろうとしていたのだろう。


 ただ私は、その途中を見ていなかった。


 できなかった時には誰かが困るが、できた時には何も起こらない。何も起こらなければ、それはそのまま日常に紛れてしまう。


 だから私は、レオンが何をできないのかばかり知っていて、何をできるようになっていたのかを知らなかった。知ろうともしてなかった。


 部屋から出られるようになった。少しだけ人と話せるようになった。


 そんな報告を受け、レオンが『変わった』と考えていたのだが、レオンはできることを一つずつ増やしていただけなのだ。


「……そうか」


 ようやく口から出たのはそれだけだった。それ以上の言葉はすぐには見つからなかった。


 ただ、できることが増えていたのだと知った今、以前と同じように遠くから様子をうかがっているだけではいけないような気がした。

 しばらく考えた末、ふと思いついたことをそのまま口にする。


「今度、レオンと一緒に食事をしてもいいだろうか」


 そういう私に、エレナは心底不思議そうにこちらを見る。


「私に聞かれても困ります」

「……何?」

「レオン様に聞いてください」

「……」


 一瞬、言葉が出なかった。


 エレナは何もおかしなことを言っていないという顔をしている。むしろ、『何を言っているんですかね、この旦那様は?』とでも今でも言いそうな顔をしている。


 だが、少し考えればその通りだった。レオンに負担をかけないためにも、今までならまずサーシャに予定を確認させ、人払いをしたうえで、落ち着いている時間を選んでいただろう。


 レオンに聞けばいい。ただ、それだけのことだった。


 そんな簡単なことを私はいつからしなくなっていたのだろう。そう思い返せば、私の顔を見るだけでレオンが怯えるようになった頃からだったのかもしれない。


 近づけば身体を強張らせ、何か言おうとしても申し訳なさそうに俯いてしまう。そんな姿を見るうちに、無理に顔を合わせない方があの子のためだと思うようになっていた。


 いつしかレオンの顔を見るのは眠っている時ばかりになっていた。


「……分かった」


 そう答えると、エレナは少しだけ安心したように表情を緩めた。それでも会いに行くことへの不安が消えたわけではない。だが——


「それならレオン様もきっと喜ばれると思います」


 エレナはそう言って、朗らかに笑った。その迷いのない笑顔を見ていると、彼女の言葉を信じてみてもいいような気がした。


「……レオンのところへ行ってくる」

「今からですか!?」


 エレナが驚いたように声を上げる。隣にいるサーシャも、わずかに目を見開いていた。どうやら二人とも、私がすぐに向かうとは思っていなかったらしい。


「ああ。今からだ」


 それだけ答えて、扉へ向かう。背後からまだ二人の驚いたような気配が伝わってくるが、それでも足を止めることはなかった。

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