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魔法を失った国  作者: 心の鋼


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第十三話 至徒ネア

主人公以外視点です。


***

十五年前。


王都の一角にそびえる白い塔の上階で、男は訓練場を見下ろしていた。


黒い制服の少年少女たちが、土埃の舞う石床の上で組手をしている。

剣や短刀だけではない。腕を振るえば炎が走り、蹴りを放てば氷の刃が地を裂く。指先から雷光が散り、肩口から風が噴き出し、肉体そのものが武器庫になったかのようだった。


道具を介さず魔術を放つその姿は、王家が理想とする“生まれながらの魔法使い”を思わせる。


だが、彼らは誰一人として、おとぎ話の魔法使いではない。

魔力をあつかえるよう脳を作り替え、骨と肉の上に無理やり術式を載せているだけの、歪な模造品だった。


二階から彼らを観察する男――グラハトもそうして造られた至徒の一人だった。いくつもの任務をこなし、上層部から選定官の任を受けた彼は、子供達を至徒に育て上げる事が役割だった。彼は記録板に視線を落とし、無表情のまま子供達の評価を書き込んでいく。


一人の少女が、ふいに膝をついた。


茶色の髪を振り乱し、喉を引きつらせるように息を吸う。

組手の最中だった。相手の少年が一歩引き、周囲の子供たちも距離を取る。


少女は両腕で自分の身体を抱きしめるように縮こまり、声にならない悲鳴を漏らした。


「い、だ……い……だれか……」


助けを求めているのは明白だった。

だが、手を差し伸べる者はいない。グラハトも、補助の至徒も、ただ見ているだけだった。


少女の首筋から淡い光が漏れる。

先日追加で刻まれたばかりの新しい術式が、馴染まず、肉の下で魔力が暴走しているのが見て取れた。

次の瞬間、少女の身体が内側から破裂した。


皮膚が裂け、骨がひしゃげ、血と臓物が濡れた花のように飛び散る。

そこに残ったのは、もはや顔の判別もつかない、赤黒い肉の塊だけだった。


グラハトは記録板の名簿を一枚めくり、少女の識別番号に横線を引く。

補佐の職員が慣れた手つきで死体を片付けていくのを見届けて、グラハトは口を開く。


「続けろ」


グラハトの短い命令に、少年少女たちは再び刃を交え始めた。


***


その日、子供たちは二十人ずつに分けられ、塔の下層にある訓練室へ連れていかれた。


部屋の四方の壁には鉄環が打ち込まれており、入室した子供たちは一人ずつ、手首と足首を鎖で拘束される。


子供たちの前に立ったグラハトが、淡々と告げる。


「これより十日間、この部屋で過ごしてもらう。その鎖は、魔力を奪い、魔術の発動を阻害するものだ」


グラハトは、部屋の中央に置かれた浅い盆に視線を向ける。

そこには水が張られている。


「盆の中には人数分の水が入っている」


そう言うとグラハトは片手を軽く持ち上げた。


盆の中の水が、見えない手にすくわれるようにふわりと浮く。

細い筋となって空中を渡り、そのままグラハトの口元へ運ばれた。


「魔術を使用せず、純粋な魔力の操作で水を掬って飲め」


グラハトは扉に手をかけ、最後に言った。


「十日後まで生き残りたければ、身に着けろ」


重い扉が閉まり、鍵の落ちる音が響いた。


子供たちは必死に魔力を動かし、盆へと伸ばす。

なんとか魔力を水まで伸ばした者もいたが、うまく掬えず溢してしまう。

焦りから無駄に魔力を燃やす者、諦めて体力を温存する者、身体をねじり鎖を外そうとする者。

極限状態の中、彼らはただ生き延びるために足掻いていた。


***


十日後。


グラハトは各部屋の確認に回っていた。


最初の部屋の扉が開く。

鼻を刺す臭気はあったが、予想したほどではない。


中にいた子供たちは全員痩せ細り、唇を乾かし、壁にもたれかかるようにしていた。

だが、二十人全員が生きていた。


わずかに眉を上げる。


「珍しいな」


部屋の中央の盆には、水はほとんど残っていない。

にもかかわらず、盆の周囲にこぼれた跡はほとんどなかった。


魔力操作の未熟な子供を二十人も閉じ込めれば、たいていは水を掬い損ね、床を濡らし、奪い合いの末に損耗を増やす。だがこの部屋の子供は、誰一人かけることなく10日を耐え抜いている。


グラハトは室内を見回し、壁際にもたれる銀髪の少女を見つける。

そこでようやく思い出した。

――そういえば、この部屋には彼女がいた。


弱者を切り捨てるのではなく保護し、集団をまとめ上げる性質を持つ少女だ。

おそらく、自分だけが飲むのではなく、動かした水を他の子供にも分け与えていたのだろう。


グラハトは彼らの錠を外し、体を清めて寮に戻るように指示を出した後、二つ目の部屋を開けようと、鍵を回す。扉が開いた瞬間、死臭が流れ出た。中では何人もの子供が壁際で動かなくなっている。床は排泄物で汚れ、盆の水は底をついていた。


魔力操作の未熟な者が多かったのだろう。

水を動かそうとしてこぼし、足りなくなった水を奪い合い、隣の者と争った痕跡がそのまま残っている。


グラハトは一瞥しただけで言う。


「死体を処理しろ。生存者は洗浄後、寮へ戻せ」



三つ目の部屋の前で、男の足が止まった。

扉の下から、赤黒い液体が細く滲み出ている。


開けると、むせ返るような血の匂いが満ちていた。


部屋の中には、まだ半分以上水が残っている。

にもかかわらず、壁際の子供たちは皆、無残な死体になっていた。

どれも鋭利な刃物で断たれたように裂けている。


唯一の生存者が、部屋の奥で静かに座っていた。

黒髪の少女だった。


彼女の周囲だけが妙に整っている。

暴れた痕跡も、錯乱した気配もない。


近づいて、鎖を外そうとして手を止める。


「……切れている」


少女を拘束していたはずの鉄鎖の一部が、なめらかな断面を残して落ちていた。

力任せに引きちぎったのではない。

何かで、正確に切断されている。


グラハトは少女を見る。


少女は何も言わない。

ただ紫の瞳で、こちらを見返しているだけだった。


一瞬だけ、グラハトの背筋を冷たいものが走った。


「……体を清めて。寮に戻れ」


グラハトは平静を装って告げる。

黒髪の少女は素直に立ち上がり、血だまりを避けて部屋の外へ出た。


その小さな背が廊下の先へ消えるまで、彼女から目を離すことができなかった。


***


三年後。


厳しい訓練を耐え抜き、生き残った子供たちは白い制服を与えられ、訓練場に整列させられていた。


グラハトは列の前に立ち、静かに口を開く。


「今日から、お前たちは正式に選徒として扱われる。今後は複数の至徒により、さらに高度な戦闘訓練を施される。肉体の成長も考慮し、今後はお前らにこれ以上の魔術刻印が刻まれることはないだろう」


子供たちの間に、わずかなざわめきが走る。


グラハトは、安堵し涙を流す幾人かに冷たい視線を向けた。今年は例年より多くの至徒を仕上げるように言われているため、選徒が多いが、彼らの多くは最後まで生き残れないだろう。


王弟の反乱で至徒の半数が失われた今、上層部がグラハトに求めたのは、例年よりも多く、例年よりも質の高い至徒を送り出すことだった。


報告書を書きながら、グラハトは記録板へ視線を落とす。


今期の選徒には二人突出したものがいた。

王族の落とし子の銀髪の少女と、娼婦が捨てていった黒髪の少女。


この二人だけ、ほとんど全ての項目で既存の至徒候補の基準を大きく上回っている。


上層部は彼女たち二人を、至徒よりさらに上に引き立てるつもりのようだったが、紫の瞳を思い出したグラハトは上層部の甘い見立てに溜息をつき、まだ未熟な黒髪の少女(怪物)の排除を決意する。

――あれを俺たちの上に立たせるなど、正気ではない。


***


ある日、子供たちは訓練場の前へ集められた。


いつもより張りつめた空気の中、グラハトは記録板を開く。


「番号を呼ばれた者は前へ出ろ」


呼ばれたのは六名。

黒髪の少女を始めとし、いずれも成績上位者だった。


前へ出た彼らを見渡し、グラハトは告げる。


「この六名を、至徒として推薦する」


その瞬間、空気が揺れた。


前へ出た六人は息を呑み、残された二十三人の顔には落胆が広がる。

その中から、銀髪の少女が一歩前へ出た。


「至徒様!」


咎められる前に、彼女ははっきりと言った。


「私はこの期で最も優秀です。なぜ私が選ばれないのですか」


不満ではなく、確認だった。

選ばれない理由が理解できない、という声音だった。


グラハトは視線を向ける。


「お前は別だ」


銀髪の少女の表情がわずかに強張る。


「上層部は、お前を一至徒で終わらせるつもりはない。他の至徒を率い、王家を守護する、白翼の至徒にするつもりだ」



理解するまでのわずかな沈黙、そして、銀髪の少女の顔にみるみる喜色が広がる。

安堵と自分が選ばれた存在だという確信。


それらを隠しきれないまま、彼女は深く頭を下げた。


「理解しました。ありがとうございます!」


周囲から、嫉妬や羨望のまなざしを向けられるが、彼女はそれすらも心地よく感じていた。


グラハトは子供達の反応を気にせず、続ける。


「ただし、最後に、お前らにもチャンスを与える。今から院内の森で対抗戦を実施する。至徒候補となった六名と、残り二十三名で戦え。結果次第で、新たに数名至徒に推薦しよう」


ざわめきが広がる。


至徒になれば名が与えられ、至銀院で一定の権力が与えられる。

ただ命令に従うだけの駒ではなくなる。


その意味を知る子供たちの目に、すぐさま闘志が宿った。


一方で、選ばれた六名の顔はこわばっていた。


彼らは確かに上位者だ。

だが二十三人を相手取り、正面から押し返せるほどの差ではない。

徒党を組まれれば、敗北は必然だろう。


その空気を見てから、グラハトは銀髪の少女に指示を下す。


「お前は推薦組ではなく、残りの奴らに加われ」


六人の顔色が変わった。


「ま、待ってください!」


「それでは数も質も釣り合いません!」


抗議の声が上がる。当然だろう、銀髪の少女は既に、並の至徒候補が何人いたところで敵う相手ではない。だが、男は既に黒髪の少女を演習中の事故として処分するために、至徒候補の多少の犠牲は許容していた。この期の選徒は銀髪の少女が指導していたお陰か、優秀な者が多い。成績優秀者が数名欠けても問題はないだろう。


「貴様らには先行して森へ入る時間を与える。罠を張るなり、潜むなり、好きにしろ」


記録板を閉じ、冷たく言い放つ。


「それでも生き残れない間抜けに、至徒の席は要らん」


六人は、やがて促されるまま森へ散っていった。


その背を見送りながら、銀髪の少女は状況を理解する。


これは至徒候補以外にチャンスを与えるための戦闘試験ではない。

自分がどれだけ集団を率い、どれだけ損耗を抑え、どれだけ確実に敵を狩れるか。

至徒を率いる者としての資質を測る試験だ。


彼女はすぐに残された子供たちを集め、手短に指示を飛ばし始めた。


その一方で、グラハトは脇に控えていた補佐の至徒へ何事かを低く告げる。

命を受けた数名の至徒が、無言のまま森へ入っていった。


それを気に留める者はいない。


やがて開始の鐘が鳴る。


***


銀髪の少女は先頭に立ち、子供たちを率いて森へ踏み込んだ。


走りながら、魔力を薄く広く周囲へ伸ばす。

木々の間を駆ける獣の気配。鳥。虫。地中の小動物。

その中に混じる、不自然に強い魔力を一つ捉えた。


「右へ回って。逃がさないで」


彼女の指示で子供たちが散開する。

連携は滑らかだった。訓練の間、幾度となく銀髪の少女に救われた彼らは銀髪の少女を信頼し、崇拝していた。


追われた至徒候補の少年が、舌打ちと共に地面へ手をつく。


次の瞬間、岩の棘が連続して地面から突き上がった。

だが子供たちは動じない。左右へ散り、進路を絞り込み、逃走先を限定していく。


まるで狼の群れだった。


追い詰められた少年が振り返るより早く、銀髪の少女が一気に間合いを詰める。

空を蹴るような動作。足場のない場所に見えない壁を生み、その反動で加速したのだ。


彼女は少年の肩へ触れた。


瞬時に氷が走り、少年の全身を凍らせる。


「次を探して」


銀髪の少女が再び魔力を広げようとした、その時だった。


周囲の木々が一斉にうねり、枝が槍のように襲いかかる。


「散って!」


叫びと同時に、子供たちが各々の魔術で迎撃する。

炎で焼き、岩で受け、風で逸らす。

だが次の瞬間、別方向から飛来した風の刃が何人もの身体を切り裂いた。


さらに足元が崩れる。


さっきまで硬かった地面が、水を流し込まれたようにぬかるんでいた。


至徒候補たちは逃げ回っているだけではなかった。

先行時間を使い、地形と魔術を組み合わせ、こちらを殺すための布陣を整えていたのだ。


銀髪の少女は即座に防御を選ぶ。


「壁を!」


複数の子供が同時に地面へ術を流し、石壁がせり上がる。

それらが組み合わさり、即席のドームが形成された。


外から木々が絡みつき、彼らを閉じ込める。


その様子を離れた位置から見ていた至徒候補の少年が、隣の赤髪の少女へ視線を送る。


赤髪の少女は静かに目を閉じ、短い呪文を詠唱した。

それからナイフで自らの左手を裂く。


滴った血が青い炎へ変わる。


炎は一瞬で燃え広がり、木々の檻ごと、石壁の外側ごと、周囲一帯を焼き尽くした。

青い火は湿った木も、生木も、石の継ぎ目に入り込んだ根まで舐めるように燃やしていく。


閉じ込められた子供たちの叫び声が森へ響いた。


至徒候補たちは、その炎の中心を見つめる。


やがて悲鳴が途切れる。その直後だった。


燃え盛るドームの表面が、急速に白く染まっていく。

炎を押し返すように氷が這い、外壁を覆い始めたのだ。


赤髪の少女が舌打ちし、もう一度血を垂らして呪文を紡ぐ。だが詠唱は最後まで届かなかった。


頭上から伸びた氷の刃が、彼女の身体を上から下まで貫いた。


至徒候補たちの顔が凍りつく。


「逃げろ!」


叫びと共に一斉に散る。

だが遅い。


森に満ちるぬらりとした魔力が彼らの肌を撫でた瞬間、空中にも地面にも、無数の氷刃が現れる。


腕が飛び、脚が裂け、胴が断たれる。


たった数秒で、連携していた至徒候補たちは解体されたように死んでいった。


氷に覆われたドームが内側から切り裂かれる。


そこから現れた銀髪の少女は、勝者の顔をしていなかった。

不愉快そうに眉を寄せ、周囲の死体を一瞥する。


彼女の理想は、犠牲者ゼロで敵を制圧することだった。

だが今回は守り切れなかった。

二名が死んだ。


それが気に食わない。


彼女はまだ息のあった最後の一人へ氷刃を走らせ、肉片に変える。


「……残りは一人」


そう呟いた時、彼女の脳裏に黒髪の少女の姿がよぎる。


あの少女だけは、最初からこの場にいなかった。仲間と連携しない彼女の傲慢さと身勝手さに嫌悪を覚える。


銀髪の少女は探知範囲をさらに広げた。


***


森の捜索が始まる。


銀髪の少女は生き残った子供たちへ指示を飛ばし、包囲を広げる。

だが、黒髪の少女の気配はなかなか掴めない。


苛立ちが募る。


もっと早く見つけなければ、自分の評価に響く。

損耗を抑えた上で、最後の一人も確実に処理しなければならない。


「前を詰めて――」


言いかけた次の瞬間、一番前を走っていた少年の身体が上下に分かれた。


銀髪の少女は反射的に身をかがめる。

頭上を、何かが高速で横切った。


遅れて、背後の木々がまとめて倒れる音。

反応できなかった子供たちの身体が、遅れてバラバラと崩れ落ちる。


黒髪の少女に、自分の手駒を減らされた。

それだけでなく、自分の感知の外から攻撃を通された。


それが銀髪の少女の神経を逆撫でした。


彼女は即座に攻撃の飛来した方向へ魔力を伸ばす。

だが、捉えられない。


また一人、前方の子供の顔が弾けた。


銀髪の少女は目を閉じ、視覚を切って魔力感知へ集中する。


来る。


正面から高速で飛来する“何か”を、回避しながら前進する。

風か、岩か、それともまったく別のものか。術の正体は分からない。だが軌道だけを読み、距離を詰める。


そしてついに、黒髪の少女の位置を捉えた。


銀髪の少女は一瞬だけ考えるが、これ以上損耗が増えれば、自分の評価に傷がつくと考え、仲間を待機させる。


「そこから動かないで」


待機を命じ、自分だけが前へ出る。


前方から飛来する攻撃を防ぐため、岩の遮蔽を連続して立ち上げながら進む。

そして木々の切れ間に、黒髪の少女の姿が見えた。


その瞬間、銀髪の少女は治癒魔術で全身を補強し、脚へ魔力を集中させる。

一気に加速し肉薄する。


鋭い金属音が森に響く。鍔迫り合う中で、銀髪の少女は異常に気づく。


黒髪の少女の魔力が、あまりに弱い。


周囲を見れば、すでに戦闘の痕跡で森は荒れ、地面には補佐の至徒たちが倒れていた。


そして黒髪の少女の右腕には、水汲みの訓練で使われたものと同種の、魔術を阻害する手枷がはめられている。


理由は分からないが、グラハトがこの少女を処分するために仕組んだのだ、と銀髪の少女は悟る。


銀髪の少女の胸に、奇妙な熱が走る。

ならばここで自分が殺せばいい。

黒髪の少女を仕留めれば、自分の価値はさらに上がる。選定官である、グラハトに借りを作れるだろう。


彼女は猛攻を仕掛けた。


氷刃を生み、地面を凍らせ、治癒魔術で傷を塞ぎながら踏み込む。

黒髪の少女は最小限の動きでそれを捌く。


二人の戦闘速度は、周囲の至徒候補どころか、並の至徒ですら目で追えない域に達していた。

しかし、体を治癒し続けている銀髪の少女と違い、黒髪の少女の身体には、少しずつ傷が増えていく。



大きく跳躍した黒髪の少女は、空中で魔力を足場にし、急降下。


黒髪の少女の短剣を受け止めながら、銀髪の少女は右脚へ巨大な氷刃を纏わせて蹴りを放つ。


その一撃を、黒髪の少女もまた“何か”で受けた。


見えない刃。

いや、刃の形をした魔力そのもの。


そこで銀髪の少女は悟る。


黒髪の少女が森の中から放っていた攻撃は、風でも岩でもなかった。

高密度に圧縮し、形を与えた魔力を、刃として射出していたのだ。


魔術を封じられながら、これほど精密に、これほどの強度で。

銀髪の少女は激しい打ち合いの最中、黒髪の少女の技術に驚嘆していた。


そして、わずかに黒髪の少女の動きが勝り、彼女に腕を掴まれる。


次の瞬間。


銀髪の少女の片腕が、何の前触れもなく弾け飛んだ。


「――っ!」


悲鳴を飲み込み、反射で氷刃を間に発生させて距離を取る。


何をされたのか分からない。

だが、このまま続ければ死ぬ。


銀髪の少女は初めて、明確に命の危機を感じた。


撤退すべきだ。

どうせ黒髪の少女は至徒を殺している。自分が手を下さなくとも、命令違反でいずれ処分される。


そう判断し、彼女は腕の止血をしながら、黒髪の少女へ背を向ける。


その瞬間、胸に鋭い痛みが走る。

じわりと血が滲み、出血が止まらない。

身体の内側を、見えない何かで貫かれたのだと理解する頃には、もう遅かった。


薄れていく意識の中で、銀髪の少女は黒髪の少女を見上げた。

彼女はあれだけの戦いの後なのに、息も乱れず、死にゆく自分を見つめていた。


銀髪の少女は血を吐きながら、かすれた声を絞り出した。


「……あなたは、私よりも、誰よりも強い。私が……至徒になれず……あなたが選ばれるのは……正しい」


視界が滲む。

胸の奥から込み上げるのは、死への恐怖よりも、届かなかったことへの悔しさだった。


「だから、もっと……喜びなさいよ……」


黒髪の少女は少しだけ首を傾げた。

その仕草は、相手の言葉の意味を測っているというより、本当に理解できないものに向けるものだった。


そして、彼女は初めて口を開く。


「……よく分からないです、至徒になっても、私たちは上の命令一つで死ぬのに、名前をもらっても、権威をもらっても、意味がないでしょう?」


黒髪の少女は、倒れ伏す彼女を見下ろしたまま続ける。


「私、痛いのも、戦うのも嫌いだし、至徒にもなりたくないんです。あなたはどうしてそんなにそれに執着していたんですか?」


責める声音ではなかった。

本当に分からないのだと伝わる声だった。


それが、銀髪の少女には何よりも残酷だった。


自分が人生のすべてを懸けて追ってきたものを、

目の前の少女は最初から価値のないものとして見ていた。


銀髪の少女は、かすかに笑った。血に濡れた唇が震える。


「……傲慢ね、私はあなたほど……欲深くないわ、……一度本物の空を……見て見たかっただけよ……」


その言葉が最後だった。

銀髪の少女の瞳から光が消える。

彼女は、自分が最後まで届かなかったものの名を知らないまま、意識を手放した。


黒髪の少女はしばらくその場に立ち尽くし、やがて興味をなくしたように視線を外した。


***


森の外で待つグラハトは、終了の鐘を鳴らそうとして手を止めた。


気配を感じて森を見やる。

だが、誰もいない。


訝しんで魔力を伸ばしかけた、その瞬間。

首筋に冷たい感触が触れた。


「この手枷、外してください」


背後から聞こえた静かな声に、グラハトは目を閉じた。


補佐の至徒も。

候補たちも。

そして銀髪の少女も、敗れたのだと悟る。


「……分かった」


ゆっくり振り返ると、そこには黒髪の少女が立っていた。

返り血を浴び、片腕には魔術を阻害する手かせがはまったままなのに、その顔には疲労も高揚もなかった。

グラハトは黙って鍵を取り出し、手かせを外す。


少女は手首をさすりながら、言った。


「この手枷何で出来てるんですか?何度試しても壊せなそうだったんですよね」


「これは術者の魔力と異なる魔力をはじく魔術が施されている。鍵がなければ、制作した者にしか破壊はできない」


「ふーん」


興味があるのかないのか、分からないような返事をする少女に、グラハトは猛獣の機嫌を損ねぬよう丁寧に説明する。


「森の中の人は、全員殺しました」


事実を述べるだけの声だった。


「これで、私を至徒するしかなくなりましたね、グラハトさん」


グラハトは否定しなかった。

これだけ多くの至徒と至徒候補を失えば、必ず責任を問われる。彼女をこの蟲毒を生き残った最強の至徒として、上層部に売り込むしかないだろう。

しばらく黙ったあと、グラハトは低く言った。


「……ああ、お前を至徒にする。上への報告も、必要な手続きも、全部俺が整える」


「ありがとうございます」


黒髪の少女はそう言って、静かに森を去った。


***


一年後。


荘厳な礼拝堂で、翼を持つ王の石像の前に黒髪の少女は跪いていた。


「これよりお前に名を与える」


厳かな声が響く。


「ネアルディア」


少女は静かに顔を上げる。


「ネアルディア。そなたを白翼の至徒に任ずる。王家を守護し、その翼として仕えよ」


史上最年少の白翼の至徒。

ざわめきを押し殺した空気の中で、ネアルディアは短く答えた。


「……承知しました」


***


儀式を終えたあと、ネアルディアは王城へ向かう馬車に乗っていた。


やがて馬車が止まり、扉の外から従者が黒いベールを差し出す。

ネアルディアはそれを受け取り、頭にかぶった。


すると、黒かった髪は静かに銀色へと染まっていく。


ネアルディアは指先でその髪をつまみ、しばらく見つめた。


銀色。


その色を見た時、不意にあの少女の言葉を思い出す。


――空を見てみたかった。


馬車を降りた途端、居並ぶ男たちが一斉に頭を垂れ、白と黒の修道服に身を包む彼女に、口々に賛辞を述べ始めた。


ネアルディアはそんな声を無視して、ただ空を見上げた。


初めて見る空は、思っていたよりずっと青く、広かった。

どこまでも抜けるように高く、陽の光は眩しすぎるほどだった。ただ広くて、明るいだけで、見ていても面白いものでは無かった。


――しかし、初めて見た空は確かに、今まで、見たどんなものよりも美しかった。


あの少女が命を懸けるだけの価値が僅かにでもあったことに、安堵し、笑みをこぼす。


「至徒様、皆様がお待ちです」


従者の声に、ネアルディアはゆっくり振り返る。


「ネアルディアです」


従者は一瞬きょとんとしたあと、慌てて頭を下げた。


「わ、私どもでは恐れ多くて、至徒様のお名前をお呼びすることなど……」


めんどうな規則があるのだな、とネアルディアは思った。


「至徒って呼ばれたくないんです」


「は、はあ……」


従者はひどく困った顔で言葉を探す。


「では、その……ネア様、とお呼びしてもよろしいでしょうか」


少し短くなっただけの名前を、ネアルディアは頭の中で転がしてみる。


「至徒様じゃなければ、なんでもいいですよ」


そう言って、彼女は王宮へと足を踏み入れた。

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