第十二話 ネアの訓練
食事を終えた俺は、ついてこようとするネアとシェリアを食堂に残し、一人で執務室へ向かった。
軽くノックし、そっと扉を開ける。
父さんは俺と目が合うと、手招きしてソファに座るよう促した。
「リオン、ネア殿から話は聞いたか?」
「王太子付きの至徒をやめて、うちで働くって話だろ?」
「ああ、そうだ。しかも彼女は見返りなしで、お前の護衛と教育、その両方を引き受けると言っている。至徒の考えなど分からんが、随分と気に入られたようだな」
父さんが淹れてくれた紅茶を、俺は一口ずつ飲みながら話を聞く。
「正直に言えば、彼女が王太子から主を変え、アルヴィス家に来ることを、俺たちは好ましく思っていない。……分かるな?」
「まあ、そうだろうね」
「今後も王家と良好な関係を築くつもりなら、彼女をアルヴィス家に置きたくはない」
父さんははっきりと言い切った。
それでも、と続ける声音は重い。
「だが、彼女を王家へ帰すわけにもいかなくなった」
「……それは」
「隠さなくていい、リオン。お前、魔法が使えるんだろう?」
俺は観念したようにうなずく。
父さんはカップに紅茶を注ぎ、俺の前に置きながら言う
「ネア殿が来る前から、薄々気づいていたことだ。今更魔法が使えるからと言って、お前の立場が悪くなることはない、そんなに怯えるな。」
ん?ネアに言われて気付いたわけじゃないのか?
「もしかして、母さんから聞いてたの?」
「ん?母さんも知っているのか?まさか、俺にだけ言っていなかったのか?」
あれ違うのか、昔、母さんは俺が魔法で火を起こした事に気付いていたと思うんだが。母さんは父さんにまだ何も言っていないのか?もしかして未だに隠しているんだろうか?
「いや、母さんにも言ってない。ネアが母さんにも伝えてあるって言ってたから」
「そうか、まあ、お前もそれほど念入りに隠しているわけじゃあなかったからな、母さんも薄っすらと気付いていたかもな。ちなみに、カイルにも気づかれていたぞ」
「えっ、な、なんで?」
「カイルとの模擬戦で魔法を使ったと聞いた」
俺はカイルとの模擬戦を思い出して、唖然とする。
あれだけで気づかれていたのか。
俺が驚く様子を見て、穏やかに笑う父さんは確認するように、ゆっくりと口を開いた。
「リオン。お前は……王になりたいか?」
「え?」
あまりに唐突で、間の抜けた声が出た。
「なんでそんな話になるんだよ」
父さんはわずかに視線を逸らし、短く息をつく。
「……いや、悪い。今のは忘れろ」
そう言ってから、父さんは改めて真剣な目を俺に向けた。
「いずれにせよ、彼女をそのまま追い返すことも、事故に見せかけて消すこともできん。王太子には借りがある以上、俺はアルヴィス家として今後は王太子に肩入れするつもりだ。何年後の話になるかは分からんが、お前にも無関係ではない。そのつもりでいてくれ」
「……分かった」
そう返しながらも、胸の奥は重く沈んでいた。
もともとは俺の足の怪我がきっかけだ。
あれがなければ王太子に借りを作ることもなく、ネアがここへ来ることもなかったかもしれない。
そして今、その借りがアルヴィス家の今後にまで影を落としている。
王太子に肩入れするということは、ただ恩を返すというだけじゃない。
王宮の権力争いに深く関わるということだ。
場合によっては、その先に戦だってあるかもしれない。
そこまで考えて、俺は膝の上で拳を握りしめた。
「ネア殿の今後の立場だが、リオンの護衛兼、魔術の師として迎える。形式上はアルヴィス家の客人だ。お前は余計なことは気にせず、素直に学べ」
父さんはそう言い切ると、どこか感心したように続けた。
「俺でも分かる。ネア殿は尋常な使い手じゃない。剣も、魔術も、おそらく一流どころの話では済まん。そんな人物に師事できる機会など、本来ならそうそう巡ってくるものではない」
王宮でも強い権威を持つ彼女から直接教えを受けられる。
それは間違いなく幸運なのだろう。
……色々と不安はあるけど。
***
庭に出ると、シェリアの声と、剣が打ち合わされる乾いた音が聞こえてきた。
どうやらネアがシェリアに剣を教えているらしい。
「素晴らしいわ、シェリア! あなたなら王国で、私の次の次くらいに強い剣士になれるわ!」
「褒められてる気がしないんだけど……」
シェリアが半眼で言い返すと、ネアは本気で不思議そうに首をかしげた。
「とても褒めていますよ? あなたなら剣聖や近衛騎士団長だって、簡単に超えられるわ」
この国最強の剣士と謳われるドレイス公に、最高の騎士と名高いラウゼン・シルヴァ。
その二人を“簡単に超えられる”と言い切るあたり、やっぱりこの人はどこかおかしい。
傍で見守っていた従者たちも、そろって苦笑していた。
たぶんネアの言葉を、シェリアを持ち上げるための冗談か世辞だと思っているのだろう。
俺が近づくと、ネアはこちらに気づいて、やわらかく微笑んだ。
「どうでした? アルヴィス公はお許しくださいましたでしょう?」
「ああ。でも、客人として、だけどな」
「ふふっ。そんなもの、ただの建前ですよ」
ネアは悪びれもせず言い放つ。
「アルヴィス公は私を追い出せないのですから、このまま立場はうやむやにして、リオン様にお仕えするのは既定路線です」
形の良い胸を張り、当然のようにこの家に居座るつもりでいるネアに、俺は呆れてため息をついた。
すると、そのやり取りを聞いていたシェリアが木剣を構え直す。
「まだ勝負は終わっていないわ!」
そう叫ぶなり、シェリアはネアへ飛びかかった。
だがネアは、そちらに視線すら向けず、半歩だけ身をずらし、伸びてきた剣を軽くいなす。次の瞬間、シェリアの体はくるりと宙を回り、背中から地面へ――叩きつけられることもなく、まるで見えない手に支えられたかのように、ふわりと降ろされた。
「今日はこれくらいにしておきましょう」
ネアは涼しい顔でそう言った。地面に寝転がったままのシェリアは、悔しそうに唇を尖らせる。
「明日から、剣もきちんと教えますから」
にこやかに言い切るネアに、シェリアはますます不満そうな顔をした。
***
翌朝。
俺はネアと共に城を出て、森の中へ来ていた。
本当はシェリアもついてくる気満々だった。魔術も教えてほしいと朝からネアに食い下がっていたが、「シェリアは剣の才能があります、剣に集中した方が強くなれます」ときっぱり説き伏せられていた。少し不満そうではあったものの、最後には渋々引き下がったあたり、シェリアもネアの実力そのものは認めているのだろう。
朝の空気は冷たく澄み、木々の隙間から差し込む光が地面にまだらな模様を作っている。鳥の声と葉擦れの音しか聞こえない静かな場所で、ネアは足を止めた。
「この辺でいいでしょう」
「森でやるってことは、魔術って言ってたけど、魔法を教えてくれるのか?」
そう尋ねると、ネアは小さく首を振った。
「少し違います。私は魔法は使えませんから。普通の魔術も教えるつもりですが、私が教えるのは、主に至徒の技術です」
そう言って、彼女は以前俺の治療をした時と同じように、指先から魔力を薄く伸ばした。
淡く揺れるそれは、糸のように細いのに形を失わない。
初めて見た時も思ったが、普通なら魔力は体の外に出した時点で拡散する。少なくとも、あんなふうに綺麗な形を保てるものではない。
「まずは、この魔力の実体化をできるようになりましょう」
俺はネアの真似をして魔力を外へ押し出し、形を整えようとした。
だが、出したそばから霧のように崩れていく。薄く伸ばそうと意識すればするほど、まとまりを失って消えてしまう。
その様子を見て、ネアは少し考えるように目を細めた。
「いきなりだと流石に難しかったですね。では順番を変えましょう。まずは、体の表面に薄く魔力をまとわせてください」
言われるままに意識を集中し、自分の内側からにじみ出る魔力を腕へ、肩へ、胸へと広げていく。
服の下、皮膚のすぐ上を、見えない膜が這っていくような感覚があった。
「その魔力を外へ逃がさず、閉じ込めてください」
閉じ込める、か。
俺は息を整えながら、散ろうとする魔力を押さえ込む。できるだけ薄く、だが途切れないように。体の表面を覆うように、全身へと行き渡らせていく。水中で息を止めているような、息苦しさはあるが、集中すれば何とか維持できる。
「どうですか? その状態をどれくらい維持できそうですか?」
「これだけなら……昼まで続けられると思う」
「では、その状態のまま剣を構えて、剣にも薄く魔力をまとわせてください」
俺は腰の訓練用の剣を抜いた。刃は潰されていて、実戦には使えないものだ。
その剣へ向けて、体表を流れる魔力の一部を引き伸ばす。
途端に難しさが跳ね上がった。
自分の体の上に留めるだけなら、まだ感覚は掴みやすい。だが一度体から離れたものにまとわせようとすると、急に制御が遠くなる。手元にあったはずのものが、指の隙間からこぼれていくような心もとなさがあった。
「目を閉じて、その形を記憶してください」
ネアの声に従い、俺は目を閉じた。
剣の輪郭に沿って這う魔力を、崩れないよう押し固める。木々を揺らす風の音と鳥の鳴き声だけが耳に届く。余計なものをすべて切り捨てて、ただ感覚だけに集中する。
どれほどそうしていたのか、自分でも分からなくなった頃、ネアが静かに言った。
「今からリオン様の身体に触れます。そのまま集中を切らさないで下さい」
肩に、腕に、足に。
彼女の指先が順に触れていく。触れられた場所から、散りかけていた感覚が奇妙なほど鮮明になった。
そして最後に、俺の握る剣へネアの手が触れる。
次の瞬間、手の中から重みが消えた。
一瞬だけ動揺しかけたが、慌てて意識を引き戻す。剣の形をした魔力の感覚だけは、かろうじて残っている。
「目を開いてください」
ゆっくりと目を開く。
俺の手からは、そこにあるはずのない剣が伸びていた。
いや、正確には剣そのものではない。剣の形をした魔力だ。輪郭だけを残した淡い光が、確かに俺の手の中で刃の形を保っている。
だが、それも長くは続かなかった。
散り散りになろうとする力を抑えきれず、魔力の剣はすぐに霧散していく。
「はぁ……っ、はぁ……」
息を乱す俺に、ネアは満足そうに頷いた。
「今、できていましたよ。あとはその感覚を維持するだけです」
「すごいな……。こんなに簡単に覚えられるなら、もっと早く試しておけばよかった。至徒じゃなくても、これならたくさんの人が使えるようになるんじゃないか?」
するとネアは、珍しくはっきりと首を横に振った。
「いいえ。今のやり方で覚えたのは、おそらくリオン様が初めてでしょう」
「え?」
「気の遠くなるような鍛錬の末に、似た技術へ辿り着く達人や修行者はいます。ですが、普通の人間は魔力そのものを知覚することすらできません。魔力を視認できている時点で、リオン様は特別なのです」
そんなものなのか。
自分では、見えているものを見ているだけ、できることをやっているだけのつもりだった。
「魔力を知覚できるかどうかは遺伝なのか?一部の王族や貴族の家系だけ見えるとか?父さんは俺から薄っすらと王族や魔術師たちと同じ気配がすると言ってたし、母さんも……俺が魔法を使っていることに気づいていそうだった」
「いえ、気の遠くなるような鍛錬の末に、似た技術へ辿り着く達人や修行者はいますが、遺伝するものではありません。ローエン様のように、魔術にある程度精通した、優秀な戦士であれば、多少魔力を感じる者もいるでしょう。アリシア様からはそういった、魔力を扱う者の気配は感じませんが特殊な生まれなので、多少は魔力を感じ取れるのかもしれませんね」
ん?母さんは魔法を使っていたはずだが、ネアから見たら普通の人間なのか。ルナリス家の出身であることを考えれば、母さんが多少魔力を知覚してもおかしくはないってことか?
「じゃあ、至徒はそういう達人ばかりってことか?」
「いえ。私たち至徒は、そうした修練者とは根本的に違います」
ネアの声は淡々としていた。
「幼い頃から、肉体に複数の魔術刻印や真獣の一部を埋め込み、魔力を扱えるように造られているのです」
「……造られてる?」
聞き返す声が、自分でも少しかすれているのが分かった。
「体に刻むのか? でも、そんな跡は見えなかったけど……」
「表面ではなく、体内の肉や骨に刻むのが一般的ですから」
その言葉に、背筋が冷える。
「それって……」
「もちろん、痛みますし、施術中に痛みと魔力への拒絶反応でほとんどの子供は耐えられずに、死んでしまいます」
ネアは何でもないことのように言った。
「ですが、施術が成功すれば超人が生まれるのですから、身寄りのない子供の命の等軽いものなのでしょう。昔に比べれば私の代では技術も大きく進歩しましたし、施術中に死亡する確率もかなり減ったんですよ?」
まるで良い思い出でも語るように話すネアは、変わらず美しく、優しく微笑んでいた。
その微笑みと口にした言葉のあまりのちぐはぐさに、俺は背筋がうすら寒くなるのを感じた。
「どうしました?」
「……いや、ネアは望んで施術を受けたのか?」
「いえ?私も物心ついたころには処置をされていましたし、ほとんどの子供は自分の境遇を知らないまま施されると思いますよ?」
「至銀院を恨んでいないのか?」
その瞬間、ネアの目がわずかに細まった。
先ほどまでの柔らかな気配が、ほんの一瞬だけ消える。
「――恨んでいます」
静かな声だった。
「私は拒絶反応がほとんど起こらず、何度も施術を受けましたし、とても痛かったですから。従いたくない命令も、たくさんありました」
そこまで言って、ネアはふっと息をつく。
次の瞬間には、何事もなかったかのように、元の穏やかな笑みに戻っていた。
「でも、至徒は王族には逆らえないように造られています。私も例外ではありません。もし王太子が目の前で、私に王都へ戻るよう命じれば――私は従わざるを得ないでしょう。リオン様もここでのお話は秘密にしてくださいね、至銀院と王家の不利益を望んでいると知られれば、私もただでは済まないでしょうから」
俺は初めて触れる、ネアの人並みの怒りに、どこか安堵していた。
しばらくの沈黙のあと、俺は口を開いた。
「……その魔術刻印は、取り除けないのか?」
ネアは一瞬だけ、目を細めた。
「魔術刻印は、魔術で刻まれたものですから。基本的に消えることはありません」
淡々とした口調だった。
「腕に刻まれたものなら、腕ごと落とせば消えますけれど――」
さらりと言ってから、わずかに間を置く。
「脳に刻まれた服従の刻印を取り除くのは、難しいでしょうね」
その言葉に、思わず息が詰まる。
ネアは気にした様子もなく続けた。
「それに、魔術刻印を失えば、私は今のように動くことも、戦うこともできなくなるでしょう。そうなれば、きっとリオン様のお役にも立てません」
俺は少しだけ言葉に迷って、それでも口にした。
「……俺の従者として働いてくれるんだろ?強くなくなってもできることはたくさんあるさ。いつか、その刻印を取り除く方法を見つけよう」
自分でも、ひどく曖昧な言葉だと思った。
だが、それでも言わずにはいられなかった。
ネアはしばらく不思議そうに、俺を見つめていたが、やがて小さく笑った。
「……ありがとうございます、リオン様」
ネアは一瞬だけ目を伏せ、それ以上は何も言わなかった。




