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第11話「仕組まれた生贄」

 午前十時十五分。

 張り詰めた静寂を切り裂いたのは、エレベーターホールから執務フロアへと雪崩れ込んできた、何十人もの重い靴音だった。


「警視庁捜査二課です。栗原義男さん、蓮見誠さん、任意同行願います」


 怒号のような宣告に、フロア中のキーボードを叩く手が凍りついた。

 スーツ姿の捜査員たちがデスクの島を包囲する。青ざめ、腰を抜かしかけている栗原課長と、書類を握りしめたまま硬直する蓮見の前に、令状が突きつけられた。


「な……何の真似だ!? 私には心当たりなど――」


「海外ダミー会社を通じた五億円の巨額不正送金、ならびに過去数期にわたる社内システム不正改ざんの容疑です。すでに送金ログ、社内承認プロセスの偽装データ、およびあなた方が共謀して女性社員を脅迫・強要していた決定的な証拠音声が警察と監査法人に提出されています」


「き、共謀……!? 脅迫だと!? 違う、違うんだ! 私たちは脅されていたんだ! 全部、あの女が――!」


 栗原が狂乱状態で、離れた席に座る玲香を指差した。蓮見もまた、血走った目で叫んだ。


「そうだ! 三島だ! 三島玲香が主犯なんだ! 僕も課長も、あいつにハニートラップを仕掛けられて脅されていたんだ!」


 フロア中の視線が一斉に玲香へと突き刺さった。

 玲香の心臓は激しく早鐘を打ち、全身から血の気が引いていく。


(終わった……。警察が来た……私の集めた動画も、電車のことも、全部暴かれて私も手錠をかけられるんだ……!)


 恐怖のあまり過呼吸になりかけ、デスクに手をついて崩れ落ちそうになった玲香の前に、年配の警部補が歩み寄ってきた。

 手錠の冷たい金属音が響く――そう確信し、玲香がギュッと目を閉じた、その瞬間だった。


「……三島玲香さんですね。本当によく耐えられました」


「……え?」


 玲香がおずおずと顔を上げると、警部補は同情と痛ましさに満ちた眼差しで彼女を見つめていた。その背後では、捜査員たちが暴れる栗原と蓮見の腕を力づくでねじ伏せていた。


「見苦しいぞ、栗原! 蓮見! 自分たちの不正の責任を、立場を利用して肉体関係を強要し、脅しつけていた部下の女性に擦り付ける気か!」


「違う! 騙されるな! あいつは悪魔だ! 満員電車の魔女なんだよ!!」


 絶叫を上げる二人の男は、全社員の軽蔑と嫌悪の視線を浴びながら、無残にフロアの外へと引きずり出されていった。かつて玲香の罠によって左遷された木内の冤罪も、すべて栗原たちの保身工作として再捜査されることが告げられた。


 取り残されたオフィスで、玲香はただ一人、茫然と立ち尽くしていた。

 逮捕されない。罪を問われるどころか、自分は「悪辣な上司たちに脅迫され、肉体関係を強要されながらも耐え忍んでいた、哀れな被害者」として扱われている。


 なぜ――。

 その疑問の答えは、すぐ隣から伸びてきた細い腕によってもたらされた。


「三島先輩、もう大丈夫ですよ……。怖かったですよね……」


 おどおどした声で駆け寄り、玲香の肩を優しく抱きしめてきたのは、有村詩織だった。

 周囲の社員たちが「有村さん、彼女を休ませてあげて」「人事のカウンセラーを手配しよう」と口々に労いの声をかける。誰もが、怯える先輩を支える心優しい後輩の姿を疑いもしなかった。


 だが、玲香の耳元に顔を埋めた瞬間、詩織の唇が触れるか触れないかの距離で、甘く残酷に囁いた。


「……あはっ。私の編集したデータ、完璧だったでしょう?」


 玲香の背筋に、氷柱を突き立てられたような戦慄が走った。


「私が警察に提出した告発ファイル……先輩が男たちを脅していたあの動画、ぜんぶ音声とテロップを切り貼りして、『逆らえない立場を利用されて、涙ながらに凌辱されている被害者の三島玲香』にしておきました。電車の動画も、男たちが先輩を追い詰めていた証拠として提出済みです」


「あ、あんた……何を……」


「先輩の犯したすべての罪は、あの男たちがぜんぶ背負って刑務所へ持っていってくれます。……先輩はね、世間からは清らかな被害者として同情されるの」


 詩織は玲香の身体を支えるふりをして、空いていた役員応接室へと彼女を連れ込んだ。

 カチャリ、と背後で鍵がかけられる。


 外の喧騒が遮断された密室で、詩織は玲香をレザーソファの上へ無造作に押し倒した。

 怯えた後輩の仮面は完全に剥ぎ取られ、その瞳には獲物を完全に追い詰めた怪物の、昏い悦楽が爛々と輝いていた。


「でもね、先輩……こんな大スキャンダルに巻き込まれた可哀想なヒロインは、もうこの会社にはいられませんよね? 当然、今日付で自己都合退職の手続きを私の手で進めておきました」


「退職……!? 勝手なことをしないで!」


「あら、拒否するんですか? じゃあ、本物の無修正データをネットに流しましょうか? 『被害者を装っていた女の、本当の異常性愛記録』として」


 詩織の冷たい指先が、玲香のストッキングを破り、太ももの内側へと無慈悲に割り込んできた。

 玲香の息が止まる。


「会社も、キャリアも、これまで集めてきた男たちの繋がりも……先輩の社会的な居場所は、今日でぜんぶ消滅しました。警察も会社も、先輩を『傷ついた被害者』として腫れ物のように扱うから、誰も先輩の本当の声なんて聞き入れない」


 詩織は玲香のスカートを捲り上げ、湿り気を帯びた下着の上から、敏感な突起をぐにりと踏み躙るように擦り上げた。


「あ……っ、んん……ッ!」


「もう、先輩には私しか残っていないんですよ。家族にも頼れない、友達もいない、世間から孤立した哀れな魔女……。その首輪を握っているのは、世界中で私だけ」


 逃げ場のない、完璧な監獄。

 逮捕されることよりも遥かに恐ろしい地獄が、寸分の狂いもなく完成していた。

 玲香は恐怖と絶望に涙を流しながらも、詩織の指先がもたらす執拗な刺激に、肉体だけは抗う術もなく濡れそぼっていく。


「ふふ……いい啼き声。さあ、荷物をまとめて私の部屋へ行きましょう。……私の、可愛いペット」


 怪物の細い指が玲香の最奥へと突き刺さり、玲香は誰にも届かない悲鳴を喉の奥で殺しながら、完全な服従の絶頂へと引きずり落とされていった。


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