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Project BLUE LADY  作者: 宇佐視ひろし
第三章 SQUADRON
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第十八話 妖精

「あ、そうだ」

 講義の終わりが近付き、時計を一瞥した教官が思い出したように口を開いた。

「いけないな。どうも自分のことだとついつい伝え忘れてしまう」

 それまで凛とした姿勢を崩さなかった次席教官は苦笑いを浮かべた。

「貴様らは三年度課程に進むと、それぞれのコクピットに一機のブルーレイディが支給される。これは魔法戦闘機の刻印魔法は、同一の人間に繰り返し使用されることで精度と規模が向上していくからだ。そして、この中の一体何組がその領域に達するかは分からないが、ブルーレイディはある時期その性能を爆発的に向上させる」

 苦笑が優しげな、慈しみに満ちた表情に変わる。

妖精戦闘機(フェアリィレイディ)の誕生だ。私達の機体にもそれは宿っている。――名前はまだ無いがな」


 マニュアルにざっと目を通し、計器を確認していく。エンジン始動の流れは基本的には変わらないが、機首に対して右の壁面に向いてコンソールを操作するコクピットのレイアウトは落ち着かない。

「機内通信確立。アンジェリカ、そちらはどうか?」

 地上魔力装置(GMU)からの魔力で機体内の通信を確立したユリスタンは、コクピットから管制室に繋ぐ。

「通信は良好。最低限の人数だったから手間取ったが、今は全システムの立ち上げ準備が完了した。あとはエンジンのパワーでレーダーと通信アンテナを起動すればいい」

 アンジェリカの最年長で四年課程のチームリーダーが答えた。慣れたポジションに着いて落ち着いたのか、年長らしい頼もしさを感じる。ラピスミストレスに関しては、彼に頼るしかない戦術科のコクピット二人にはありがたいことこの上ない。

「了解しました。エンジン始動までもう少し待ってください。どうも、戦術魔法師(パイロット)が手間取ってまして」

 機首にある横並びの座席――その左側の機長席で計器とマニュアルを見てああでもないこうでもないとぶつぶつ言っているアイザックを見やる。

「ユリ。少し黙ってろ。左右反対なんだぞ。感覚が掴みにくいんだ」

 珍しく気が立っている相棒にユリスタンは口を閉じた。確かに二つの席の間にスロットルレバーがある以上、操作する手は戦闘機と逆になるだろう。

 ふと思いたち、ユリは機外にいる整備員との通信を開いた。

「サツナギ少尉。コクピットの左右で機能に差はあるのですか?」

「なんだって?……ああ、お前さんらは戦術科だったな。どちらも機能は同じだ。相棒に教えてやりな」

 ぶっきら棒だが、気遣いに溢れる言葉をアイザックに伝える。

「マジかっ!早く言えよ!焦っちまった」

 嬉々として右側の席に移動するアイザック。

 ロイド・カッツ大尉とチーム・アンジェリカの一人を犠牲にして自分達はこの機上にいる。ここで失敗するわけにはいかないという緊張が、慣れないコクピットのアイザックを蝕んでいたのだろう。普段の彼なら気付くことが出来たはずのことに気が廻らないほどに。

 だが、それももうすぐ終わる。ユリスタンとアイザックの仕事はここまでだ。エンジンを始動し、レーダーと通信が再開されれば、二人に出来ることはエンジンの面倒を見ることだけだ。

 思い出すのはカッツ大尉の最期。壮絶だった。凄惨だった。そっして無力だった。確かに何体かは倒したが、正面から戦ったら虫けらのように踏み潰されて終わりだろう。必死に逃げるしか出来なかった。救えたかもしれない教官を見捨てるしかなかった。

 だから、人類にはこの技術が必要なのだ。鎧となり、武器となり、足となり、翼となる刻印魔法兵器が。その意味を彼は初めて、知識としてではなく胸に刻み込まれたものとして実感した。

「ハヤトとレクスは戦場を知ってるって言ってたんだよな?」

 問いかけてきたのはアイザック。席を移って余裕が出てきたのだろう。真剣に計器を睨みつつも、先ほどのような不要な力みは無い。

「サウズアイルだったらしいからな」

 敵に占領された島。占領下の生活を知っている同期の仲間たち。

 応じたユリスタンに対し、アイザックはしばらく黙っていた。

「アイザック?」

「アイツらにとって俺たちはどう見えたんだろうな?やっぱり、気持ち悪く見えたんだろうな」

 その意味はすぐに分かった。

 知っている者と知らない者。

 生きるということ、その意味を知って立ち向かう者と脅える者。そんなことを実感せず目の前の成果に執着する者。

「教官達が彼らを重視するわけだ。戦争を知っているからな」

 言い放ったのはユリスタン。なんて滑稽な、そして子供だった自分。第三小隊には他にもそれを知っている者達がいるのだろう。世界はこんなにも人に厳しいものだと。

 ふと脳裏を過ぎる幼馴染の屈託の無い笑み。彼女はこの状況を無事にくぐり抜けているだろうか。

「ああ、そうだな。そこら辺のボンボンには分からねえことだ」

 座席から身を乗り出し振り返る相棒の顔には、悪戯っぽい笑み。

「うるさいな。お前だって同じようなものだろ」

「俺は、そこはほら、年上の余裕ってヤツ?」

「はいはい」

 軽く流すユリスタン。それから意識を切り替える。

「行けるか?」

「問題ない。やろうぜ小隊長」

「了解した」

 機内と機外の両方を通信を開く。

「こちらシュタンジット。これよりエンジン始動します」


「そうか……。グラニタって言うんだね」

 視界が光に満たされる。

 機体番号四四・三一〇四の翼端灯が一斉に灯る。緑、赤、白、白昼でもはっきり認識出来る航空灯の強烈な光が、天井の照明を跳ね除けるように主張を始める。

 特に胴体上下の衝突防止灯が点滅するたびに、エリナはフラッシュを焚かれたように視界を奪われる。

 その光とともに感じたのは衝撃。誰も搭乗していない主力戦闘機がエンジン始動手順を開始したという事実。

「貴様!どうしてその名前を知ってる」

 血相を変えて飛んで来たのはスーナ・ユル大尉。士官学校出の大尉は整備中隊の叩き上げ達に比べれば若い部類だが、それでも整備部門の指揮官として多くの経験を積んでいる。

 その大尉が慌てふためいていることに、疑問を感じるエリナ。

「名前?」

 ユル大尉が気にしていたのは、レクスが口にした名前だ。

 レクスは大尉の剣幕に動揺することはなかった。

「この子が教えてくれました」

「バカな!」

 レクスの両肩を掴む大尉。その動揺が整備員全体に広がっていくことに、エリナもレクスも困惑を禁じえない。

「どういうことですか?」

 近くにいた整備員に問いかけるエリナ。

 だが、彼らは誰もが返答に困って視線を彷徨わせるのみ。

「妖精戦闘機がコミュニケーション出来るのは正規搭乗員だけなんだぞ」

 大尉が押し殺した声で――つまり大きな声で言えないことをレクスに告げたのを、エリナは聞き逃さなかった。

 それで僅かながらに疑問が解けた。

「つまり、妖精はコクピットと常時繋がっているということですか?」

 冷静な彼女の問いかけに、大尉ははっとしたように口を開きかけ、逡巡の後答えた。

「機密事項だ」

 気が動転するあまり、相手が機密事項を知らない訓練生であることを思い出したのだろう。

 では、何故彼ら整備員がそこまで動揺するのか。

 レクスがグラニタと呼んだ機体を見る。機体番号は四四・三一〇四。十五年前の生産あるいは再組立機。コクピット横に書かれた搭乗員名。

 戦術魔法師 ロードリック・カッツ大尉

 魔術航法士官 シャルバート・ディータ中尉

 奇しくも彼女達の直接の教官の機体だ。

 エリナは、ユル大尉とレクスに近付き、声を潜めて核心に迫る問いかけをした。

「つまり、教官達以外の魔法師がこの機体と会話出来るということは、お二人のどちらかとの接続が切れたということですか?」

 表情を強張らせるユル大尉。整備員達も会話は聞こえていないはずだが、空気を察したのか沈痛な面持ちで静まり返ってしまった。

 レクスも気付いたのか、エリナを見つめてきた。

「残念ながら、自分達はお二人の姿を確認してません。イーグレット格納庫から弾薬庫を経由してきただけです。元々はそのまま遊撃行動を続ける予定でした。しかし、キャロイが女の子の泣き声が聞こえると言い出し、このハンガーに向かったのです」

「そうか」

 ユル大尉は一度目を伏せ、それからレクスの方を向いた。

「悪いな、キャロイ。妖精戦闘機の譲渡は規則で認められていないんだ。貴様には充分適性があるだろうが……」

「処分するんですか?」

 思いも寄らない強い口調の問いかけに、言葉に詰まる大尉。

「グラニタは解体破棄されるんですか?」

 その表情はいたって平静に見える。だが、同じ質問を二回繰り返した時点で、レクスは冷静ではないことをエリナは知っていた。

 さすがにまずいと感じたのか、数人の古参の整備員達がレクスに説明を始めた。

 妖精が搭乗員の魔法行使の影響下で誕生すること。それゆえ誕生させた搭乗員の精神に強い影響を受けていること。だから、常時接続をしていてもオリジナルの人格たる搭乗員に影響は無い。

 しかし他者の精神によって誕生した妖精が、別の搭乗員と常時接続する影響は計り知れない。過去に数例が検証されたが、いずれも搭乗員に様々な影響を与えることになった。不眠、ノイローゼ、果ては自殺未遂。

 以来、帝国空軍は、妖精戦闘機はコクピットの喪失とともに解体破棄されることを原則とした。

 非難の目を向けるレクスに、整備員達は懇切丁寧に説明をした。

「分かりました」

 レクスは、整備員達が好き好んでグラニタを処分するわけではないことを理解したようだ。

 一度はほっとするユル大尉以下整備小隊の面々。しかし、次のレクスの言葉には凍りつかざるを得なかった。

「でも、この子は飛びたがってます。カッツ大尉がそれを望んでいると」


「本部棟との通信回復。司令部健在!続いて各戦科格納庫との接続続きます」

「打撃科損害軽微、戦略科、兵站科は全機健在。各格納庫の……」

「ナインラントSOCとの通信復旧。現在、大陸からの侵攻に対する要撃は……」

「戦術科、第九九戦術飛行隊(VF099)の損害多数。いまだ攻撃は続いている模様」

 自身の職務をこなしながら、他の訓練生の報告を聞くミリアナ。被害が戦術科に偏っているのは致し方ないことだろう。新規生産機体受領式典の準備に追われていたうえに、大陸からの侵攻に対する要撃。上空から見たら、動かない的が無数に並んでいるように見えたことだろう。

 兄のユリスタンはその作業に携わっていなかった。

 そのことに彼女は心底安堵していた。

「敵総数計数完了。個体数四千七百以上。うち四十パーセントは第三滑走路周辺です」

 索敵レーダーを見てミリアナはうんざりした。戦闘鳥の反応でびっしり埋まったそれは訓練でもなかなか見ない。

「対抗している反応はあるか?」

 問いかけてきたのは、初等教育航空団司令部の当直士官。

「ネガティブ。航空機、対空陣地の反応はヴォンデルランドに存在しません」

「緊急。敵に魔法徹甲(MAP)使用の危険性を確認。戦術科訓練総隊長ハヤト・カルランザの報告です」

 それを聞いた当直士官がアンジェリカに各格納庫、各部署への通達を命じる。にわかに騒がしくなる。

 だが、次の報告に誰もが息を呑んだ。

「戦術科第七ハンガーにて、カルランザ総隊長以下四十三名が篭城中。負傷者多数。なお、新規機体は全機喪失」

 敵に対する最も有効な兵器――主力魔法戦闘機三十機近くを失ったことを意味したからだ。VF099の損害と合わせて五十機に迫る損害だ。

「全員作業を続けろ。今はそんな暇は無い」

 アンジェリカのチームリーダーが叱咤したおかげで、全員なんとか気を取り直すことが出来た。

 不意にミリアナが見ていた索敵レーダーが大きな反応を捕えた。

「コンタクト。大規模事象変換。魔法吸気(クラフトエア)です」

「照合出来るか?」

「照合開始します」

 司令部のアーカイブにアクセスしつつ、ミリアナは通信回線を開いた。

「こちら第一一伝視飛行隊所属アンジェリカ。戦術科第一ハンガー内の機体へ告げます。搭乗者の所属官姓名、並びにエンジン始動についての説明を求めます。繰り返します。……機体番号四四・三一〇四……!」

 魔法識別画面に表示された機体番号とそのデータを読みながら、口を動かしていた彼女の声が途切れる。

「アンジェリカ。どうした?」

 当直士官から問われ、我に返るミリアナ。その口が誰も予想だにしなかったことを告げる。

「当該機はロイド・カッツ大尉搭乗機です」

 通信の向こうで司令部も息を呑む気配が伝わってきた。通信再開と同時に、ロイド・カッツ大尉の戦死は報告されていたからだ。

 その大尉の機体が何故か魔法吸気エンジンを始動させ、発進準備を行なっている。性質の悪い冗談にしか思えなかった。

「こちら四四・三一〇四。アンジェリカ、聞こえますか?」

 そんな彼らの耳に飛び込んできたのは、状況にそぐわない実に冷淡な響きをともなった声。

 すっと頭の奥に、冷ややかな空気が滲みこんで行くのを感じたミリアナ。

「これはこれは、三八八期生次席でありながら、小隊長に任命されなかった、フルセクター残念先輩ではないですか?」

「あら、その声はどこかの名家の落ちこぼれ妹さんね。どうりで気に食わない声だと思ったわ」

 一瞬にして応酬される舌禍。全くもって最悪の相手だ。

 それ(・・)が何故、尊敬できるディータ中尉と命を投げ捨てて自分達をここまで送り届けてくれたカッツ大尉の機体に乗って、エンジンを始動させているのか。彼女にはそれが赦せなかった。

 普段見せない様子に、周囲の仲間達が困惑の視線をミリアナに向けていることに気付かないまま、彼女は状況報告を請う。

「キャロイ訓練生の要請をユル大尉が承認しました。これでいい?」

「よくないですね。全く意味が分かりません。説明してください」

「あらそう。あなたには難しかったかしら?妖精の要求をレクスが代弁したのよ」

 主力戦闘機(ブルーレイディ)に擬似人格ともいえる妖精が顕現するのは知っている。しかし、エリナ・フルセクターの説明はまるで要領を得ない。

 通信に割り込みがあった。

「フルセクターだな?私だアトハウザー大佐だ」

「はっ。ご無事で何よりです大佐。現在、キャロイ、フルセクター両名は四四・三一〇四、グラニタの出撃準備中であります」

「出撃は許可していないが、ユル大尉の許可は下りているんだな?それで、四四・三一〇四にはパーソナルコードが付いていないはずだが?」

「それについては自分が、ユルが後に説明します」

「大尉か。なら、出撃許可の理由について聞こう。なお、カッツ大尉の戦死はこちらで確認している。ディータ中尉は無事だ」

「そうですか……」

「ああ。シャルも精神的に参っている。君は大丈夫か?」

「心配には及びません。自分がすべきことは、飛べるものを飛ばすことです」

「それが理由か?」

「はい。キャロイが言うには、四四・三一〇四の妖精、グラニタが出撃を要求しているということです」

「危険ではないのか?精神接続の影響も分からん。拒絶反応の危険性についてはどうか?」

「キャロイにその兆候はありません。恐ろしく安定しています。フルセクターはそもそもコンタクト出来ていないようです。短時間ならば問題無いと考えます」

「そうか……。すまない。キャロイと繋いでくれ」

「キャロイ訓練生です。大佐」

 渦中のレクス・キャロイの声音は落ち着いていた。だが、ミリアナは何かが引っかかった。

「貴様はその機体に乗る危険性を理解しているか?」

「はい。大佐」

「この情勢下で出撃することの危険性も理解しているな?」

「はい。大佐」

「では、貴様の精神状態は正常だと言い切れるか?」

「いいえ、大佐」

 絶句するアトハウザー大佐。中継作業と索敵を行なっていたミリアナまで思わず眉を顰めてしまうなか、レクスは淡々とその真意を口にした。

「自分は敵を殺しました。この力で、魔法を使って、たくさん」

「そうか……」

「でも、自分はエリナを殺そうとした敵の自業自得だと思いました」

 操縦実技トップの成績を誇るレクスが、トリガーを引かないことは伝視科でも有名である。

 その彼が敵を殺した事実を告げるレクスの声音は、あまりにも平坦に過ぎるとミリアナは感じた。

「自分は正しいですか?」

「正しくはない。……だが、やらなければ貴様が自分自身を赦せなかったはずだ」

 そして、大佐の教え子を気遣う言葉。最前線で戦ってきた大佐だからこそ、その言葉はレクスに届くのだろう。

「はい……。仲間を、守るということを少しは理解できたと思います」

「そうか」

「だから、正常ではありません」

「そうだな。まさしくその通りだ」

「この子も大尉を失って正常と言えない状態かもしれません。でも、この子は大尉の望んだとおりに飛びたいと言っています。せっかく最期になるんですから、望みを叶えさせたいんです。それに、そろそろ増援が来るんじゃないんですか?」

「その通りだが、貴様が囮になるということか?」

「はい。目一杯暴れて敵を第三滑走路に集中させます」

 驚いた。レクスの情勢を推察しての行動に、ミリアナは彼の意外性に気付かされた。いや、以前の事件の時もそうだったではないか。彼は、どこか一歩引いて彼自身と彼女を見つめていた。

 だからこそ、揺らがない。表面はそう見えても、その芯は変わりはしない。

「了解した。ハンガー内のありったけの兵装の使用を許可する。それと担当の貴様は――シュタンジットだったか、二人とは既知のようだ。二人の情報支援を頼む」

 先ほどのやり取りを聞かれていたことに気まずくなるミリアナ。

「ミリアナ・シュタンジット。四四・三一〇四支援任務を了解しました」

「よろしくね、ミリィ」

「命令なら仕方ないわね」

 レクスはいいのだが、エリナの言い草にはムッとする。しかも、軍用通信でここまで空気を読まないなんて……。

 反撃骨子が決まった中、慌しくなる管制室。ミリアナも私情を可能な限り抑えて、グラニタとのデータリンクを開始した。


 ミリアナと言い争いはしたものの、エリナはグラニタの後席で激しく狼狽していた。

 エンジン始動自体はレクスの手によって速やかに実行された。邪魔になる他の機体を動かし、エンジンの排気を逃がすバイパス装置を稼動させ、轟音がコクピットキャノピー越しに振動を伝えてくる。

 対Gスーツを含めた飛行装具もなく、脱出シートに身体が固定されてもいない状態に対する不安は無い。事象変換レーダーに映し出された三百以上の敵がこの教官機ハンガーに向かって来ていることも想定内だ。

 だが、機体を制御する各システムが自動で立ち上がっていくさまには戦慄した。

「エリナ、今日は早いね」

 さすがのレクスも不思議に思ったのか、そんな声がヘッドセットから聞こえた。

「私は何もしてないわ」

「は?」

「機体が勝手にやってるのよ」

 エンジン空気流入量の調節、動翼への動力伝達、稼動制御とチェック、地形情報アップロード――はしかし基地壊滅により失敗、捜索レーダーにより地形情報の簡易更新。空を飛ぶ機能は全て自動で立ち上がっていく。これでは魔術航法士官(CFO)は不要ではないか。

火器管制装置(FCS)アップロードします」

「FCSアップロード、了解」

「二十ミリ、六百五十。AAM3(イリス)、十二発」

 胴体エンジンの外側に左右二発ずつ、両翼に二つのパイロンが設けられ、二発ずつが搭載され、片翼につき計四発ずつ。本来なら、短距離空対空ミサイルのみのこんな偏った兵装はありえない。

 しかし、教官機ハンガーに常備されているミサイルは自己防衛用のAAM3に限られており、しかも今後の戦闘は極めて近距離での戦闘となると想定され、この兵装となった。

「イリス、十二。二十ミリ、六百五十。確認」

「安全ピンの解除を確認。全兵装オンライン」

 ミサイルの安全ピンを抜いた整備員が、親指を立て翼から離れていく。

「了解。戦闘準備完了を宣言」

 離陸準備でも発進準備でもなく、戦闘準備と言ったレクス。

 外部通信を切り、機内通信のみに切り替えるエリナ。

「いいの?こんな不慣れな機体で戦えるの?」

「大丈夫だよ。グラニタはいけるって言ってる」

 またグラニタだ。

「え?重力魔法使ったことない?大丈夫だよ。僕が教えてあげる」

 いきなりのレクスの独り言。

 だが、違う。まるで子供がいやいやするように主翼のフラップがパタパタと動いている。まるで駄々っ子だ。

 エンジンが始動し、全兵装がオンラインの今、整備員が近寄ることはないが、それでも周囲に人がいる状態で動翼を動かすものではない。

「分かっているよ。でも、それじゃグラニタが……」

 今度は主翼の前縁をなす伸縮式のエルロンが大きく動く。

「レクス。スティック操作やめなさい」

「え?僕、何もして……。グラニタ?」

 なんとなくそんな気がしていたが、やはり妖精が勝手に動翼を動かしていたらしい。

 搭乗員の意思に関係なく動く機体。苦い記憶が蘇り、思わず右手を幻痛を感じた腹部に当ててしまう。

「グラニタ。動かすのやめて。お願いだから」

 レクスの嘆願にも逆らって、フラップもエルロンも尾翼もカナードも、全ての動翼が派手に動いている。

「だから、無理だって。それじゃグラニタがやられちゃうよ。ね?飛ぶんでしょ?お父さんの言うとおりに。だから……」

 必死なレクスの説得も虚しく、パタパタと駄々をこねる機体。

 すうっと頭の中が冷たくなっていく気がした。

 気付いたら、両手がコンソールを素早く走っていた。動翼コントロールの権限をレクスに限定。

 妖精からの横槍で拒絶。

 ならば、全センサー系統のオフ。

 狼狽するようにパタパタが不規則になる。まるで急に目隠しをされた幼子の様。

 その隙に妖精の権限をカット。

 だが、今度はセンサーとコントロールが高速復旧。

「エリナ?何してるの?」

「黙ってなさい」

 口からこぼれたのは、酷く冷淡な声。

 エリナの右手はシート右横にある透明なカバーのかけられたボタンに伸び、カバーを弾いてボタンを露出させる。

 途端、警報装置が一斉に金切り音を上げる。ミサイル警報かと思ったが、センサーには何も表示されていない。つまりは妖精が上げた喚き声に過ぎない。

「エリナ。何やってるの?」

「うるさい」

 レクスの抗議も虚しく、エリナは淡々とボタンを押し込んだ。

 途端、それまで感じていたエンジンの振動と各種計器の光が一斉に消えた。

 しんと、静まり返るハンガー内。レクス達を出撃させるための作業をしていた整備員達も何事かと振り返る。

 そのなか、コクピット後席に座っていたエリナは、灰暗い笑みを浮かべていた。

「ほら、人が乗っていなけりゃ何も出来ないくせに」

 エリナが押したのは、機関停止装置(キルスイッチ)。一度押せば、スイッチを元に戻さなければ再びエンジン始動できない、緊急時に使用するそれを、彼女は酷薄な笑みとともに押し込んでいた。

「エ、エリナ?」

「レクス、私は耐えられないの」

「はい?」

「耐えられないのよ。あなたは戦おうとしているし、この機体のために飛ぼうとしている。それはいいわ。私はあなたのしようとすることなら、なんだって手伝う」

 そのことに疑問はない。

 だが、現状はどうだ。おそらくだが、レクスの提示した作戦に妖精が難色を示したのだろう。いや、難色なんてものだろうか。

「ただのガキじゃない」

 それがエリナの感想。

「戦術魔法師の言うことに従わない兵器なんて、ただのガラクタ。ポンコツだわ。だいたい、分かってるのかしら。いきなり上空に向かって飛んだり、重力魔法も使わずに滑走を始めたりしたら、敵にとっていい的よ。その為にレクスが頑張ろうとしてるの。なのに、なんなのこの戦闘機(ゴミ)は?少し、他の機体と違うからって調子に乗ってるのかしら?」

 淡々と語られるエリナの言葉に応える声は無い。

「ねえ。分かってる?レクスは戦いなんて苦手なの、苦しいの。でもね、私のために、傷付いても、心が悲鳴を上げても戦ってくれた。そして、今度は、あなたのために戦おうとしている。あなたのお父さんのために。それなのに文句ばっかり。あなたは偉いの?あなたのお父さんとお母さんの子供は、そんなに悪い子なのかしら?」

 静まり返るコクピット。機体の周囲では整備員達が口々に何か言っているが、キャノピー越しでははっきり聞き取れない。

 だが、そんなことは関係無い。今必要なのは、この戦闘機(わがまま)と彼女達二人の関係性だ。これがきちんとしなければ、この戦いが無駄になる。そして、誰も生き残れない。

 だからこそ彼女は、いるかどうかも定かでないものに向かって言葉をかけた。そして、それは確かに伝わっているはずなのだ。

 返答が無い。

「なんとか言いなさい!このポンコツ!」

 コンソールに叩き付けられたエリナの右手。グローブ越しにも痛みが伝わるが、機体には伝わるわけが無い。

 それでも、待った。レクスが信じたものを彼女が待たないわけがなかった。

 不意に何か暖かい空気を膝の上に感じたエリナ。小さな手が膝に置かれてるようなそれ。しかし、そこには何もいない。いないはずだ。

 それなのに、なにかがいる(・・・・・・)

 ――ごめんなさい。

 今にも泣き出しそうな震えた声。それでも精一杯伝えようとしてくれたもの。そんなものを聞いた気がした。

 それは案外悪いものではなかった。

「レクス。エンジン始動準備完了」

 キルスイッチを戻し、灯火を点すエリナ。

「了解。ありがとう」

 レクスの感謝の言葉を、エリナは黙って受け取る。

 エンジンを再始動し、魔法通信を再開した途端、悲鳴のような呼びかけが飛び込んで来た。

「四四・三一〇四、応答せよ。四四・三一〇四」

 現状、唯一の反撃戦力であるブルーレイディのエンジンが急に停止したことで管制官、つまりミリアナは動転してしまったのだろう。

 煩わしいと思ったが、これもCFOの仕事である。

「こちらグラニタ」

「やっと繋がった。四四・三一〇四、状況を報告してください」

「妖精がぐずったので、説教を少々。おなたも子供嫌いだろうから分かるでしょ?」

「は、はい?」

 分かるわけ無いでしょ、という反応にまた説明しなければいけないのかと思ったが……。

「アトハウザーだ。状況は理解した。どうだ、フルセクター。やれそうか?」

「……悪い子ではありません」

 間が空いてしまった返答に対し、聞こえてきたのは複数の微苦笑。おそらく整備指揮中のユル大尉と、アトハウザー大佐、そしてレクスだ。

 思わずかっと顔が熱くなるエリナ。

「君達はその子を巧く導くことが出来るかもしれないな」

「親が甘いなら、兄姉が厳しくすべきです、大佐」

 一瞬、ぴくりとフラップが動いた。いやいやしようとしたのだろう。だが、もう一度エンジンを切られたらと思ったのか、それ以上は動かさなかった。

 その仕草に、なんとなく笑みを浮かべるエリナ。

「ブルーレイディ四四・三一〇四よりアンジェリカ。当機グラニタは戦闘準備完了」

「色々分からないことだらけですが、アンジェリカ了解。ナインラントSOCより通達、当基地への支援攻撃は十五分後を予定。それまでヴォンデルランドをお願いします。グラニタ、戦闘行(Cleared)動を許( for )可しま(engage)す」

了解(ウィルコー)。グラニタ、エンゲージ」

「エンゲージ、ウィルコー」

 レクスの宣言と同時にバブルキャノピーから見える周囲の壁面が、音もなく下に流れた。機体が浮かび上がったのだ。

 高等練習機(イーグレット)の時はレクスの詠唱が必要だったが、ブルーレイディには重力魔法が実装されている。レクスの右手が操作するコントロールスティックの基部を、イメージしながら外側にスライドさせることで励起される。エンジン音とは異なる淀みない代理詠唱が耳に届き、反動も重力も感じない空間が生み出される。

 高度計は七フィートで安定している。さすがレクスだ。

 胴体下、三脚のランディングギアが引き込まれる。

 周囲に地上要員はいない。

「グラヴィティでどれくらい加速出来る?」

「制限無し。その気になれば隔壁を突き抜けることも出来る」

「それはダメ。敵の火球魔法の反応増大。一部魔法徹甲弾の使用も認められる。敵の三次元位置出します」

 エリナの操作でレクスの眼前のヘッドア()ップディ()スプレイ()に隔壁のすぐ外にいるグリフィンの群が三次元的に表示される。機首方向に固定されているHUDを上下左右に振ることで、状況を確認しようとしたレクスの操作で機首がゆらりと揺れる。

 ヘルメットがあれば、バイザーをスクリーンとするヘッドマ()ウントディ()スプレイ()が使えるのだが、現状では機首を振る必要があった。

 それでもレクスの操作は絶妙で、全長19メートル、全幅14メートルの翼の端が床面や壁面に決して触れることが無かった。

 むしろ、グラニタがびっくりしているのか、床に尾翼が近づいたときにぴくりと動かしたくらいだ。なるほど、教官達は確かに彼女に重力制御を教えていなかったようだ。その挙動がエリナには少し可愛らしく感じた。

「状況を把握。トリガーオープン。MAP」

 レクスの宣言を、万感の思いでエリナは聞いた。

了解(ウィルコー)。二十ミリ機関砲弾種入力、魔法徹甲(MAP)

 それは彼が武力を揮う事を厭わないという宣言。今まで逃げ続けてきたことから、一歩前へ踏み出すその背中に、微かな痛みと温かい感動を抱くエリナ。

「了解。行くよ、エリナ、グラニタ」

「はい。死んでも付いて行きます」

 エリナの返答。

 そして、微かな勘違いと思えるほどのほんの小さな頷きの気配を伝えてくる存在を、エリナは確かに感じた。


 遠くに轟くのは雷鳴。幾重にも重なるそれはまるで嵐のようだ。

 だが、今日の予報は晴天だったはず。降水確率もゼロだったはずだ。航空機に乗り始めて一日たりとも欠かすことの無かった習慣。

 ――そうだ。ロイドと話していたんだ。受領式は問題無いだろうって……。

 耳に届く甲高い金属質の咆哮。十五年毎日のように聞いて来た音。まるで苦難の嵐を、前に向かって切り裂いて飛び上がろうとするその音が好きだった。

 ――あの子に似ている。

 目が開いた。見えたのは白い無機質な天井と、眩しく感じるくらいの照明。

「目が覚めましたか?」

 問いかけてきたのは、一緒に非難していた魔術通信士官(CCO)の一人。申し訳なさそうな、安心したような複雑な表情。

 彼女は、それよりも気になることを口にしていた。

「戦闘しているブルーレイディは?」

 CCOが目を見開く。

「分かるんですか?」

「……十五年も乗っていればね」

「はい。……戦闘しているのは、中尉の機体です」

 薄々感じていた。横たわるシャル・ディータ中尉の胸に深く重く突き刺さる事実。

「やっぱり……」

「え?分かるんですか?」

 またCCOが驚いている。その様子に思わず頬が緩んでしまう。伝視科の訓練生には分からない感覚なのだろう。

「ええ。スロットルをミリタリーに入れるときに、どうしてもムラが出てしまう。妙な溜めみたいな物だ。誰に似たんだか」

 分かっている。似たのは、自分の戦術魔法師だ。あの格好付けたがる性格はいつまでも治らない。どれだけ文句を言っても。

 そのせいで機体も同じ癖が付いてしまった。どんなに整備しても、オーバーホールしても直らなかった。最終的には妖精の癖だということになった。

「あの子を甘やかしすぎたみたいね」

 自嘲気味に笑うシャル。初めて彼女の意思を感じたとき。エンジン始動手順を自分でこなしていくとき。ロイドの指示を完璧にこなしたとき。その愛らしい姿が、シャルにいまだ感じたことの無い母親の感覚を与え、そして幸せだった。

 しかし、それももう終わりだ。ロイドはいない。シャルももうあの子を感じることが出来なくなりつつある。新しい魔術航法士官(CFO)とコンタクトし始めているのだろう。

 あの子は解体される。特例が無いことは無い。しかし、若い訓練生に危険を冒してまで乗ってもらいたいとも思えない。

「そういえば、乗っているのは誰?」

 空爆が始まったとき、教官機ハンガーに搭乗員はいなかったはずだ。

「確か、キャロイとフルセクターって言ってました」

 しばし呆けたあと、こみ上げてくる笑いの衝動が抑えられそうになかった。

 なんてことだろう。信じられないことだった。奇跡と呼ぶのにこれほど相応しいことがあるだろうか。考えてみれば、そういうこともあり得るのだ。今更になって気付いた。

 どうしても先入観ばかりだった。あの子は自分とともにいる、最期の瞬間も一緒だと思っていた。

 だが、あの子とあの二人ならば、その相乗効果は計り知れない。

 受け容れる力に関しては圧倒的に高いものを持つがゆえに、最高の魔法師であるキャロイに拒絶反応は無いだろう。その高い魔法力はあの子の手本になるはずだ。

 自己を否定しているところがあるフルセクターは彼女自身の妖精を得ることは無いと思っていたが、それ故にあの子に無条件で思い入れることも無いだろう。わがままなあの子を厳しく、しかし真っ直ぐ導く教官となるはずだ。

 親から巣立ち、二人の師を手に入れたあの子は、これからより高く遠くへ飛び立つ。

 笑いが止まらない。訓練生達が動揺しているのは分かる。

 でも、止まらない。笑いも涙も。


 グラニタの放った二十ミリ魔法徹甲弾は隔壁を貫き、ハンガーの周囲に群がっていたグリフィンのうち三百メートルほど後方上空の数体を撃ち抜いた。

 ハンガーから飛び出した直後に、頭上を取られることを嫌ったレクスの判断は功を奏した。

 グラニタ以外の敵対勢力がいると勘違いした敵が分散し、ハンガー正面にスペースが生じる。

「起爆!」

 エリナの操作で隔壁の一部、ブルーレイディ一機が通れるだけのスペースが外に向かって吹き飛ぶ。他の機体に残っていた爆破燃焼魔法を用いて、整備員達が細工した爆破装置だ。二体のグリフィンを巻き込み吹き飛んでいく巨大な鉄扉。

 隔壁の欠損により防御障壁を失ったハンガーから、ユル大尉達はグラニタの出撃後、敵の混乱に乗じて撤退することになっている。

 格納庫正面の駐機場(エプロン)に、もうもうと立ち込める爆煙を切り裂くように躍り出たのは、浮遊しながら濃紺の(ドレス)を翻す空の淑女(ブルーレイディ)

 だが今は新たな乗り手を得たことで、その真価を発揮しようとしている妖精戦闘機(フェアリィレイディ)

 エプロンに出ると、左に回答しながら再び機銃掃射。

 装甲車両の分厚い装甲をも貫く徹甲弾を食らった数体の敵が、風船が破裂するように血飛沫と肉片に変わり果てる中、レクスの兵装選択は既に完了。

 上空から抑えようとしてくる敵に向かって、レクスはリリースボタンを押し込む。

「グラニタ、フォックスツー」

 敵を殺す宣言をする。その言葉の重みは、だが彼の意志を押し潰すことは無かった。今の彼には守るべきものが二つも寄り添っているのだから。

 右翼下外側のパイロンに搭載されたダーツ型のミサイルが燃焼推進魔法(ロケットモーター)に点火。白煙と爆音を残して、目にも留まらぬ速さで撃ち出される。

 上空の敵が慌てて散開する。

 ミサイルの行方を確認することなく、レクスの左手はスロットルレバーを押し込んだ。重力魔法による加速は制御が難しく、彼自身の消耗を抑えるためにも加速はグラニタに一任することを選んだレクス。

 それに応える喜びを表すかのように甲高い吸気音が鳴り響き、一瞬の間を置いて総推力七十トンの爆音。

 グラニタは地表すれすれを高速滑走し始めた。

「今の加速、レクスじゃないわね。グラニタ、あなたの悪い癖のようね」

 耳に届くのはエリナの冷たい評価判定。

 びくりと身を縮こまらせる幼子のイメージ。

 思わず笑みがこぼれそうになるが、それどころではない。

 高度は僅かに十フィート。速力は、重力魔法で抵抗が少ないためみるみるうちに五百ノットを突破。地表や、そこらじゅうに点在する航空機の残骸に激突しないように重力魔法を維持し、グリフィンの攻撃を回避、あるいは撃破しなければいけない。

 今も立て続けに三体の敵を、機体正面の重力障壁で弾き飛ばしたところだ。

 この子が空を飛ぶには、まだ敵が多すぎる。

 それを示すように管制のミリアナとエリナから警告が飛ぶ。

「後方上空より五十の個体。グラニタ警戒せよ」

「後方集団上空五十、地上二十。距離四百、六百」

 重力魔法を切り、スロットルを戻すレクス。惰性と翼の浮力で進む機体をスティックとペダルで操作。フラップと尾翼、二次元ベクタードノズルが巧みに動き、コクピットを中心に前後百八十度入れ替わる。

「イリス、クラスター」

 スロットルを全開しながらのレクスのコール。急減速するグラニタの努力か、エンジンのムラはさっきより小さい。

「イリス、コール。クラスター」

 エリナの声と被るようにHUDにロックオンのヘックスが現れ、音信号がヘッドセットから届く。

「フォックスツー」

 墜落しかねない失速限界まで減速したところで、リリースボタンを立て続けに三回。同時に重力魔法再開。

 上空の青空に群がる黒い影に閃光。

「敵、発砲」

 突如下から掬い上げられ、風になすがままの木の葉のように舞い上げられるグラニタ。レクスが地表すれすれに起こした重力爆発。吹き飛ばされ、きりもみしながら虚空を舞うグラニタ。

 入れ違いに火球が通過し、エプロンのアスファルトを無為に割り砕き燃やし尽くす。

 きりもみ状態のグラニタが、姿勢を制御しようとフラップとエルロンが動く。

「グラニタ!ダメ!」

 レクスの意図を理解していたエリナの鋭い声に、動きを止めたグラニタ。

「敵攻撃!」

 回転する視界の中で目ざとく敵の攻撃を見つけるエリナ。

 直後、急降下するグラニタ。上方を向いたノズルに強引に地表に向かって叩き落される。

 今度こそフラップとエルロン全開を指示するレクス。濃紺のドレスの裾を大きく翻し、膨大な白い航跡雲を引きながら降下率が減少。

 その翼を掠めるように火球が通り過ぎる。

 敵はまだ、三次元を急加減速するレクスの動きに対応出来ていない。

 地表十五フィートで姿勢を取り戻すグラニタ。

「よく我慢したわ」

 エリナの言葉に戸惑う気配。そして戸惑うエリナ自身の気配。

 思わず笑みが浮かぶレクス。

 機体の重力魔法がカットされ、加速する機体が微かに振動を始める。

「さあ、グラニタ行くよ」

 スロットルを叩き込むレクス。爆音を轟かせ加速するグラニタ。奇しくもそこは第三滑走路上空。

 スティックを右に傾け、手前に引く。グラニタはレクスの意を汲み素早く旋回を開始。

 旋回Gは十五G。しかし、レクスは元々備わっている慣性制御魔法に重ねるように機体保護とコクピットに対する重力魔法を展開、慣性を相殺しているため、グラニタはさらに急旋回出来ると判断。さらに二十五Gまで上昇。

「エリナ、ロックオンよろしく」

「ウィルコー」

 旋回を終えたとき、正面には格納庫群の前でグラニタ要撃に躍起になりながら置いてけぼりを食った五百余りのグリフィン達。

 ほとんど一瞬に感じるほどのグラニタの急旋回だったのだろう。敵集団は、振り返ったグラニタに躊躇ったように詰まっていた。

 エリナの操作で六発のミサイルにクラスターモードの諸元が速やかに入力されていく。

「入力完了」

「了解」

 HUDに表示された弾道と被害範囲。その範囲は優に三百体を撃滅する。

 だが、レクスに迷いは無い。

「グラニタ、フォックスツー」

 リリースボタンを震える指先で押し込む。

 左翼パイロンから振動とともに放たれる初弾。

 指を離さない。

 右翼から連続して二発。

 さらに胴体左右エンジンナセルから二発。

 兵装管理スクリーンに六発目のミサイルがポップアップ。左翼から六発目が放たれる。

 全ては敵集団の配置を読み取って組み上げたプログラム。

 初弾で回避を選択した地上の集団。しかし、回避方向に迫る二発。押し合いになり上空へ逃げる一部――そこに向けられた二発。そして混乱に拍車がかかり、右往左往する敵集団に向かって放たれる駄目押しの一矢。

 次々と弾頭を回転させながら作動する近接信管魔法。通常の空対空近接信管は目標近縁で作動し、半径十五メートルほどの危害半径を作り出し、超音速の金属片と爆破魔法のジェット噴流で目標を切り裂く。

 一方、エリナが選択したのはクラスターモード。空中の敵集団に向け飛翔し、指定された方向に向け三回に分け信管魔法が作動し、帯状に広範囲に破片を撒き散らす。

 しかも、ミサイル本体の推進用魔法を暴走させ爆破し、さらに多数の目標を血祭りに上げていく。

 格納庫群正面のエプロンに、瞬く間に作り出される阿鼻叫喚の地獄絵図。

 キャノピーの正面にまで巻き上げられる肉片と血飛沫を切り裂くようにグラニタを駆り、トリガーを引き続けるレクス。破片効果弾頭の機関砲弾が、僅かに抵抗の意思を見せる残余の敵をさらに屠っていく。

「第三滑走路周辺の敵、後退します」

 アンジェリカからミリアナの声が状況を告げる。

「撃破個体数八百二十まで確認。初期目標の達成を確認しました。ヴォンデルランド周辺の敵個体、湖上空に集結中」

 直進していたグラニタのスロットルを緩め、エンジン機動から重力制御に速やかに移行する。

 流れるように横移動し、くるりと振り返るグラニタ。

 そして第三滑走路南端上空二十フィートで静止(・・)する。

 伝わってくるグラニタの抗議。それくらい自分で出来るとぷりぷりしているようだ。

「確かにそうね。レクスやり過ぎよ」

 エリナのツッコミとグラニタの激しい同意。いつの間にか、二人は互いの意思疎通が出来るようになっていた。

 ごめんね……、と小さく笑みを浮かべるレクス。その額から鼻筋にかけて垂れる汗。

 魔法戦闘機の行動半径に理論的限界は無い。魔法師の精神が許す限り、魔法戦闘機は飛び、戦う。だが、いくら代理詠唱の複合体であるとはいえ、詠唱を支えるイメージ構築には多大な精神力と体力を消耗する。しかも、状況に応じて十分の一秒単位で数種類の魔法を切り替え、数瞬先まで予測しながらの高速戦闘機動によるレクスの疲労はピークに達しようとしていた。

 震える指先と爪先。乱れる呼吸。激しく暴れまわる鼓動。血流まで耳元でざわざわと騒いでいる。吹き出す汗は止まらない。

「グラニタ、お願い。レクスの右手を触ってあげて」

 はっとした。グローブを通して伝わる温もり。エリナの指示に戸惑いつつも、見上げて来るような仕草を感じる。レクスに対する心配と不安。

 何度目だろうか、これを掴まれるのは。手放しそうになった何かが、またエリナと、そしてグラニタによって引き戻される。

 ――ありがとう。

「これで最後よ。予定が繰り上がったわ」

 淡々と告げるエリナ。冷淡なまでのそれは平常心を保つための気遣いか。

「敵集団は湖上空に集結中。現在、アンジェリカにて敵集団の突撃タイミングを計測中。推定ではマイナス五分。今ごろ御冠ね。飽和攻撃でグラニタを押し潰す気でしょうね」

 びくりと身動ぎする気配。微苦笑を浮かべるレクス。

「だろうね」

 レクスの手元のレーダースクリーンにも、無数とも言える反応が約十キロ先に展開している。密集して陣形を組んでいる。教本に記されている標準的なグリフィンの戦闘隊形――左右に伸びる横隊を何重にも重ねて作り上げる密集陣形(ファランクス)

「SOCより通達。第二〇九戦術飛行隊(VF209)第五打撃飛行隊(VA005)より計二個小隊が出撃を完了。現在、こちらの指示により当施設を迂回し、方位〇-〇-〇(真北)より進入予定。マイナス二百秒」

 僅かに早い。敵が増援に気付いて迎撃行動を取る恐れがある。

「おびき出す必要があるわ。案はある?」

「その為に、グラニタに無理言って低空に留まってるんだよ」

 エリナの問いかけに、さらりと返すレクス。自ら通信回線を開く。

「アンジェリカ。VF209の攻撃開始時間マイナス百五十からカウントお願いします」

「了解。敵を攻撃可能域までおびき寄せるんですか?」

「そうだよ。グリフィンは僕達の頭を抑えに来るからね。それを利用する」

 ヘッドセットの向こうで息を呑む気配。苦笑を浮かべるレクス。

「変かな?」

「変です。レクス先輩みたいじゃないです」

 端的な回答。不思議とそれが嬉しかった。自分をしっかり見、苦言を呈してくれる人間がいる。

そこに戻る。エリナとグラニタを連れて、三人で戻る。

「それでも、必要なことだから」

 レクスが覚悟を伝えた。

「了解。カウント開始します。……百五十、百四十九、……」

「残り全イリス、コール」

「ウィルコー。イリス・コール」

 何も言わず彼の指示に従うエリナ。

 十二発あったうちの残り、二発のAAM3(イリス)が発射可能になる。

「諸元入力。モードクラスター、近接信管」

「入力了解」

「マイナス百十で発射。アンジェリカに発射タイミングを移譲」

「了解。AAM3コントロール引き継ぎました。……百二十、百十九、百十八……」

 ミリアナの返答を聞きながら、レクスはコクピットのコンソールや計器を優しく撫でる。

 くすぐったそうに身をよじる気配を感じる。

「さあ、グラニタ。君の本気を見せてやろう。グリフィンに、この空に」

「百十一……。AAM3発射!」

 ミリアナの宣言と同時に発射される二発のミサイル。これでグラニタは、ほとんど残弾の無い機関砲以外丸腰。

 ミサイルの敵集団到達まで二十秒ほど。それから約七十秒で敵はこちらを攻撃出来る距離に到達する。

 レクスの左手がスロットルレバーを前に滑らせる。同時に重力制御を微調整。機体とエンジン周りにのみ僅かな隙間を残す。エンジンが間を一つ置いて爆発的な推力を生み出す。

 後方に灼熱の暴風を生み出しながら、しかしグラニタは進まない。

 重力魔法が機体とその周囲の空間を固定しているのだ。しかし、その内部は荒れ狂う大気の奔流。

「対気速度五百、六百、七百………、マッハ一」

 瞬間、周囲の森を揺らす爆音。静止していながらグラニタが音速を突破した衝撃音。

 BDUの膝の生地に雫が落ちる感触。それを見て思わず苦笑いを浮かべるレクス。赤黒い滲みは、彼の鼻から垂れたものだろう。

 昔から魔法を使いすぎると鼻血が出た。母や姉、ガンダルフに教わり、愉しくなってついついやりすぎて、頭が焼き切れるような感覚とともに、出血しながら意識を失ったりもした。

 今もマッハ一を得るほどの推力に抗って、機体を静止させている。しかも、まだ対気速度は上げる。

「装甲表面温度上昇。対気抵抗極限に設定」

 装甲表面の流体制御魔法が空気抵抗を減らし、さらに対気速度が上昇する。マッハ二に到達。

「AAM3敵集団に到達。敵集団の突撃開始を確認。マイナス七十二」

 ミリアナの報告どおり、レーダー上ではグリフィンを示す光点が一斉に向かって来るのが見て取れる。慌てたのか、それとも怒りに駆られたのか、その動きはバラつきがあり、しかも陣形が南北に縦に伸び始める。理想的なタイミング、状況。

 頭を内側から割りかねない痛みに耐えながら、レクスは告げる。

吸気魔法(エアインテーク)停止。魔術極超音速(クラフトラムジェット)に移行」

「ウィルコー。クラフトラムジェットに移行します」

 イーグレットに無くブルーレイディにある機能。

 エンジンの性能は吸気速度で大まかに決定される。超音速状態でも吸気の速さはエアインテークの速さに固定され、それ以上の加速は望めず一定の値で頭打ちとなる。

 しかし、超音速状態で吸気を止め、ただの空洞と化すことで、大気はエンジン内に機体の速度のまま流入することになる。その流れを制御すれば、爆発的な推力を得ることが出来る。

 それがラムジェット。

 それを魔法で実現したのが魔術極超音速(クラフトラムジェット)

「マッハ二.二、二.三、二.四」

 対気速度を告げるエリナ。

 表示される機体警告。ガタガタ震えだす機体。異常振動検知。うっすらと赤く輝く機体装甲面。流体制御魔法を越える空気抵抗で、機体表面が赤熱化。異常発熱検知。

 人類が生み出した最強の獰猛な魔獣が、レクスの作り出す重力の檻から抜け出ようと身悶えする。

「まだだ。まだだよ」

 今かいまかと飛び出そうと逸るグラニタを必死に宥める。

「マイナス三十、二十九、二十八……」

「マッハ三!」

 エリナが珍しく声を張り上げた瞬間、レクスの中でひび割れるもの。

 ――まだだ。まだもう少し。せめて……。

「エリナ。……グラニタを、頼んでいいかな……?」


 ヘッドセット越しのレクスの問いかけに、息を呑むエリナ。身を乗り出すと、後方監視ミラーにレクスの血塗れの顔が映る。

 溢れ出そうとした悲鳴を無理矢理呑み込み、エリナは返答した。様々な感情が渦巻くが、今はその時では無い。

 レクスが求めてるのは……。

機体操縦(アイハヴ)権限受領(コントロール)

「十八、十七、十六……」

「……お願いするね……」

 閉じられようとするレクスの瞼。

「グラニタ!レクスをグラヴィティで守りなさい!絶対に!」

 両主翼のフラップが上下に二回動き、感じる頷く気配。伝わる明確な意志。

 完全に閉じたレクスの瞼。

 反射的に両手足を突っ張り、対ショック姿勢を取るエリナ。

 レクスが意識を失えば、機体にかけられた重力魔法が消失する。その後に待ってるのは……。

「進路は直進!指示するまで絶対に変えないこと!」

 ――ウィルコー!

 幼い声が必死の叫びを上げた気がした。

「マイナス十!」

 ミリアナ声はほとんど聞こえなかった。真正面からエリナの全身を殴り付ける衝撃。身体がシートに叩き付けられる。


 グリフィンの集団の先頭、高度百フィートを飛行していた百体余りが火球魔法を放った瞬間、それは起きた。

 今まで動きを見せなかった敵戦闘機が耳を劈く爆発音と衝撃波を放ち、突如発進。後方の木々を薙ぎ倒し、砂塵を巻き上げ、対気摩擦の高熱で滑走路とアスファルトの塗装を溶かし、両側に並ぶ格納庫の強固な防護壁をガタガタと揺らし、幾多の屍体や残骸を弾き飛ばしながら、それはミサイルのように飛び出した。

 あまりの衝撃波に掻き消される火球の初弾。慌てて放たれる無数の火球。

 しかし、一瞬で音速を突破し赤熱化した魔法戦闘機にはほとんど当たることはなく、当たっても衝撃波で蹴散らされ虚しく散る。

 戦闘機は瞬く間に群の真下を衝撃波とともに通過。滑走路北端の四キロ先の木立すれすれを、右上方に急速上昇していく。

 一瞬の出来事に呆然となったグリフィン達。

 そこに襲い掛かったのはさらに上空から迫った無数の火矢。

 VA005の紅蓮のお転婆(クリムゾンフィリィ)四機の放った対空クラスター爆弾八発と、VF209の空の淑女(ブルーレイディ)四機から放されたクラスターモードのイリス八発。

 第三滑走路上空を全て地獄の業火で埋め尽くす攻撃に、なすすべも無く叩き落され、引き裂かれ、燃やし尽くされていく大陸の魔法戦士達。

 戦闘は決した。

苦節30万文字……。


やっと主人公機が戦いました。なげえよ、という苦言は甘んじて受けます。


はい。どうも申し訳ございませんでした。当初の予定ではこの半分の文字数だったんですが、どうしたもんでしょうね。


別に私は軍艦萌えな皆様や、擬人化ものとか、好きかと言われるとそうではないのですが、このフェアリィレイディは書いていて愉しかったです。

可愛かったです。

自分の娘に欲しいですね。


是非、皆様に愛されるキャラに成長して欲しいです。


残念ながら、来週、第三章最終話を更新すると、残弾が尽きてしまうので、しばらく休載となります。申し訳ございません。


より面白い話を書けるように、取材と資料集めと構成をしていきたいと思います。


連載再開の時にはまたよろしくお願いします。


では、また来週。

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