第十六話 喪失
半日遅れです。
いつも通りの時間にアクセスしてくださった皆さん。ありがとうございます。
人生でへこたれても、続きは書きます。
「分かっていると思うが、小銃や刻印刀は個人防御火器に過ぎない。この程度の火力、魔力では戦闘ヘリコプター並の機動性と火力を持つ戦闘鳥単体にすら及ばないだろう」
次席教官は室内を見回した。
「この中には多少魔法の心得があり、それなりの自信を持つ者がいるだろう。だが、その程度では対異種族戦闘では何の役にも立たない。人類が個人単体で同時に行使出来る魔法は、結印代理詠唱を用いた複数魔法同時行使を用いても三種程度。刻印魔法を駆使しても、その意味を理解し明確なイメージを維持しなくては、効力を発揮し続けることは出来ない。貴様らは、いわばその訓練を行なっているわけだ」
改めてスクリーンにグリフィンの姿が映し出される。
「様々な研究により、この背部の翼は計十二もの魔法を行使する代理詠唱器官であることが判明している。周囲の大気の運動をコントロールすることで空中移動能力を維持する一方、肉体強化、感覚強化を同時に行使可能だ。それも常時だ。対物理、対魔法の障壁も展開できるだろう。そして、一撃で航空機を破壊する火球魔法。これに対し、単身戦闘行動を取ることは一言で言えば無謀だ。これに対抗できるPDWは、適切な運用戦術と高度な指揮で初めてその威力を発揮するに過ぎないのだから」
スクリーンを消し去り、彼女は今一度言う。
「ROEはどんなに無様でも生き残ることだ。しがみ付いてでも生に執着しろ。――だが、そのためには辛い決断をしなければならないときが来るだろう」
言いつつもその姿勢は毅然としたものだった。
「戦闘目標の達成のためには、味方を切り捨てなければいけないときもある。指揮官になる者にはその覚悟が必要だ」
最初に感じたのは焦げ臭さだった。
ぴくりと鼻腔のむず痒さを感じ、感覚が急激に戻ってくる。頭を内側から無理矢理膨らませられるような痛み。胸を真上から押し潰そうとする圧迫感。それらに顔を顰めた時、意識が覚醒した。
暑い。異様に蒸し暑く、汗が次々と噴出してくる。
暗い。ゆらゆら揺れる赤い灯りは見えるが、ほとんど真っ暗だ。
何かが起きた。それも異常な何か。
なかば朦朧としつつ、意識はその探求を開始する。いつごろからそんなことが出来るようになったんだろう。
故郷の空を黒い翼を持つ巨人達が埋め尽くしたときだろうか。実家の近所、同じ商店会の知り合いたちが次々と戦禍に呑まれるのを見せ付けられたときだろうか。友達だった島一番の魔法使いの息子が、母親と姉を失って都会に放り出され、その輝きを失ったときだろうか。
もうあんなのはごめんだ。次々と浮かび上がる記憶の果てに溢れてきたのは、そんな感情。
自分の胸を押し潰そうとしている重みを脇にどけようとして、それが人の身体であることに気付いた。
「おい、大丈夫か?」
何者かに押し倒されていたことに気付いた。だが、温もりや微かな息遣いは感じられるが、反応が無い。
上体を持ちあげようとして、聞こえてくるのは呻き声。そこで彼は気付いた。
「カルランザか?」
「喋るな、ナルミ。今すぐ治療する」
言うなり自身のBDUを脱ぎ始めたハヤト・カルランザを、ナルミ・カッファーはやんわりと止めた。朴訥な青年は柔らかく笑みさえ浮かべた。
「あんたが生きていてよかった」
それだけ言うとナルミは静かになった。
まずい。ナルミの背には冗談みたいに複数の金属片が突き刺さっていた。中にはノートほどの大きさの物さえある。BDUは黒焦げになり、赤黒く焼け爛れた皮膚と癒着していた。どす黒い血が滴り、ハヤトの手をどんどん赤黒く染めていく。
何故だろう。ほとんど明かりがないのにその色が分かる。
それが過去の幻影だと気付き、力一杯奥歯を噛み締め、途方に暮れようとする意識を保つ。
お前はなんと教わったんだ。
――無様でも生き残れ。ディータ中尉はそう指導したはずだ。
それを守れ。自分自身に言い聞かせ、そして大切な仲間の命を守ろうとして、破片の除去に取り掛かろうとした瞬間だった。
「カルランザですか?」
動き出そうとしたハヤトを誰何する声。その涼しげな声は覚えている。
「シルヴァか?」
「はい。大丈夫ですか?」
薄暗がりにゆらりと現れた小柄な訓練生。灯りに銀髪を真っ赤に染めて、まるで返り血のようだ。
「俺は問題ない。だが、ナルミが危険だ。手伝ってくれ」
シルヴァ・イラング・リーヴハンはまさに跳んで来て、床にうつぶせにされたナルミの状態を確認し、そして小さく息を吐いた。
「もう無理です」
淡々と告げられた事実に、ナルミ達の小隊長の顔が思い浮かばされ、頭がかっとなった。
「おい!」
「無理です。他の方を優先しましょう」
「同じ小隊の仲間だろ?」
なじるように発されたハヤトの声に、シルヴァは冷たい視線で応じた。
「今は戦闘中です」
冷水のような声。
心のどこかで分かっている。今はシルヴァの言うとおりにすべきだと。だが、脳裏を過ぎる仲間達の顔。そんな彼らを失うことを考えると、いても立ってもいられない。
「ユリスタンの仲間を切れと言うのか?」
教官達への報告を任せていたユリスタン。ナルミは彼から借り受けた仲間なんだ。
不意に胸倉を掴まれたかと思ったら、顔面に激痛が走った。
眼前に整った美青年の相貌。思い切り頭突きを食らったらしい。あまりの早業に目を白黒させるハヤト。いや、ただ気が動転していただけかもしれない。
そんな彼の耳に届いたのは、澄んだ清流のような声。
「あなたは指揮官だ。あなたにはするべきことがある。私にもある」
「な……」
「今すぐ防御を再構築しなければいけません。敵は何故か魔法徹甲を使用していました。障壁を改編しなければ全滅です。分かりますか?」
「あ……」
「私はそれを実行します。あなたは無事な人間を動かして、負傷者を救護してください。いいですか?」
シルヴァからもたらされた情報に頭は追い付いてくれたが、口が廻らない。
「だいたい、この状況から察するに、ナルミはあなたを庇ったのでしょう?」
口を挟む間もなく矢継ぎ早に放たれたシルヴァの言葉にはっとする。ハヤトの胸に乗っていたナルミ。ハヤトの訓練総隊長着任を快く思っていなかったはずの彼が何故。
「何か言ってましたか?」
そうだ。ナルミが言い遺した言葉は……。
「……お、俺が生きていてよかったっと……」
ほとんど無表情のシルヴァの頬が微かに緩んだ気がした。
「それはナルミがあなたを認めたということです」
身体の中心で何かが盛り上がり、溢れ出しそうになる。反感を持っていた相手から認められることが、こんなにまで嬉しいことだったとは。
そして、その気持ちを本人に伝えられないことが悔しかった。
「ナルミが庇うに相応しい指揮官になってください。悔しいですが、あなたならいますぐ出来るはずです」
シルヴァが口にしたのは激励。それも、ハヤトを大いに力付けた。彼も自分に反感を抱いていたはずだったのだから。
「ああ。ありがとう」
自然と言葉が出た。まだ身体は震えている。動揺は残ってる。でも、前に進まないといけない。
他の誰もが困惑してしまうこの時に、ハヤト・カルランザは先を見て進まなければならないのだ。
「ロア!」
耳に届いた悲鳴は、ハヤトを立ち上がらせるには充分な力を持っていた。それもよく知った名前を叫んでいた。
「誰か来て!」
危急の報せだが、ハヤトは冷静だった。
「シルヴァ。障壁を任せた」
「了解」
悲鳴の元に向かおうとしたシルヴァだったが、きっぱりとしたハヤトの指示に頷き身を翻していく。
ナルミの亡骸に小さく目礼すると、すぐ近くに聞こえた悲鳴の場所に向かった。それはロアシーズ・フェルクラインとアリア・ネルーの乗っていた牽引車のすぐ向こう側から聞こえた。そして今も懸命に相棒に呼びかける声が聞こえる。
ちょうどそこに駆け寄ろうとしていた訓練生を止め、格納庫整備隊詰所にある救命キットを持って来るように指示を出し、数名に整備員とともに消火作業と他の負傷者の確認をさせる。
「ロア!しっかりして!ロア!」
聞いたこともないほど狼狽した聞き覚えのある声。
ハヤトは半壊したタグの助手席を外し、その中にあった工具箱からカッターを取り出し、声の主の元へ向かった。
数人が集まっているが、気が動転した上級生に困惑して手出しできないでいる。ハヤトは彼らに手早く指示を出して散らせると、BDU姿の倒れた女性と、その傍に座り込んで声をかけ続けている赤髪の相棒に近寄った。
「意外です。アリア先輩もそんなに可愛らしい声が出るんですね?」
そんな軽口を叩いたハヤト。
離れて作業していた訓練生がぎょっとし、当のアリアは殺意の篭った涙目で彼を睨み付ける。いつも陽気な彼女とは思えない暗い炎の揺らめく瞳。
ハヤトは意に介さず、倒れている女性――ロアシーズ・フェルクライン准尉の状態を確認した。一見して酷いのは左腕。金属片がいくつか突き刺さり、青い布地が黒く変色している。
「カルランザ。お前」
アリアの唸り声を、ハヤトはさらりと無視した。手早くロアシーズの左腕を覆う布を、持っていたカッターで切り裂き、白い肌理の細かい肌に穿たれた傷を露出させる。動脈は傷付いていないようだが、じわりじわりと血が流れ出している。
「止血テープ。あるいは幅広の紐」
「あ?」
「早くしろ。あんたの相棒が死んでもいいのか?」
脅すように言うと、アリアは血相を変えて飛び去った。
ハヤトはその間にロアシーズの状態を確認していく。柔らかな金髪が黒い煤や血で汚れている。顔は少し青いようだ。左のこめかみから少し血が滲んで腫れている。頭を打ったらしい。
ポケットからメモを取り出し、頭部検査の必要性をメモして、ロアシーズの胸ポケットのジッパーに挟み込む。その胸のゆっくりとした上下動から、呼吸はしっかりしているのが分かる。まだ大丈夫だ。
「持って来た」
アリアだった。タグにあったらしい幅広のロープだった。
「ありがとうございます。上腕部を縛って血を止めましょう。それから破片の除去です」
「ウィルコー」
アリアは素直に頷くと作業に移った。その動きとロアシーズの状態を見ながらハヤトは問いかけた。
「アリア先輩はどこか痛みとかありませんか?」
「ん?大丈夫。さっきまで耳が痛かったくらい。気を失いもしなかったし」
「じゃ、何があったか覚えていますか?」
「APって誰かが叫んで、突き飛ばされたよ。そんで爆発と熱風って感じ」
「徹甲榴弾か?」
あるいはグリフィンが火球魔法意外を使ったのか。力技だけだと言われている異種族が、破壊対象の特性に合わせて攻撃手段を変えた。しかも、この奇襲。
「さっきはごめんね」
思索に耽っていたハヤトの耳に届いたのは、そんな謝罪。
「私を冷静にさせるために言ってくれたのに、わたしどうかしてた」
「問題ありません」
そっか、と小さく呟いて、アリアがロアシーズの腕にまわしたロープに力を込めると、彼女が呻き声をあげた。
「ロア!」
「分かりますか?」
うっすらと目を開けたロアシーズ。胡乱な目でハヤト達を見やる。
「……カルランザか……、アリア……」
途切れ途切れだが、意識ははっきりしているようだ。身体を起こそうとした彼女を、押し留める二人。
「手がね、酷いんだ。じっとしてて」
髪を撫でながら諭すように言うアリアに、ロアシーズは小さく頷いて、自身の左腕を見やる。その目が大きく見開かれる。止血はうまくいったようだが、あとは破片を取り除く必要がある。
その目に隠しきれない怯えが浮かんで、ハヤトの胸が痛んだ。
一人の訓練生がやって来て、救急キットが届いた。
「ハヤト。あとはいいよ。他を見て」
アリアはキットを確認すると、そう言った。その目はまだ少しぎこちなかったが、はっきりと彼女らしい前向きさを顕して明るく澄んでいるようだった。
「分かりました。――ロア先輩」
「なんだ?」
気丈にも返事はあったが、その目は今にも泣き出しそうだった。
「レイビス少尉に逢えるまでもう少しの辛抱です。麻酔は無駄には出来ないので痛いとは思いますが」
その形の良い唇がわなわなと震える。堪え切れなかったのか、その目から涙が零れた。そこにはどんな感情があったのだろうか。応急処置に対する不安か。何も出来ない悔しさか。それとも……。
「あとは、任せて……いい?」
前訓練総隊長としてではなく、年頃の女性の言葉にハヤトは笑顔で頷いた。
「ハヤト・カルランザ。以降の指揮を執ります」
「許可します」
ボロボロと涙をこぼしながら応じるロアシーズと、そんな彼女の髪を優しく撫でるアリア。
二人に一礼して立ち去るハヤト。
その胸に去来するのはこの一年思っていたこと。
やはりロアシーズには軍人は似合わない。あの涙には、そんな重圧から解放された安堵もあったのかもしれないと思う。
戦術科南第七格納庫に収容された四十七人のうち、敵の放った魔法徹甲榴弾によってさらに四名が死亡し、十三名が重傷を負った。整備隊の先任下士官はみなそこに含まれてしまい、実質訓練生が格納庫の指揮を執らなければならない。
外壁の貫通痕は四ヵ所。四発も撃ち込まれて、これだけの被害で済んだのは運が良かった。中央に固まらず、方々に散らばっていたのが幸いした。
照明はほとんど破壊され、内装はズタズタ。多少の延焼。アリアが運転していたタグは大破。動いたところで何に使えるかは分からないが。
「シルヴァ。周囲の状況は?」
訓練小隊の小隊長、副長級数人と整備員の代表を集めたミーティングで、ハヤトは切り出した。まずは状況整理だ。
「風鳴の探査範囲内では攻撃魔法はありません。隣の第六ハンガーの障壁と周囲にいる一、二体の敵の反応があるだけです」
「つまり、もうここには攻撃を仕掛けて来てないと?」
「はい。監視窓から見たところ、敵は北側に集中しているようです」
その方向には、第九九戦術飛行隊のハンガーや管理棟などが集中している。
「機体の残ってるハンガーが狙いか?」
「そのようです。しかも、この周辺の魔法通信は沈黙しているようです」
「ということは管制塔がやられた?」
「それは私の目で確認しています。真っ先に攻撃していました」
襲撃からいまだ三十分。あまりにも色々なことが起きすぎて時間感覚が麻痺していたが、まだそれしか経っていない。その間に一体何人の仲間を失ったのか。
ここから生き残るためには情報収集は必要だ。
「つまり、敵の動きには優先順位が決められているということだな。通信、管制の要を破壊し、次いで最も脅威のある攻撃能力を有する箇所を攻撃している」
「本気?」
噛み付いたのは、第四小隊のマユミ・リズデールだった。ハヤトとはあまり交流の無い女の子だったが、第四小隊の生き残りの代表としてこの場にいた。そんな彼女には信じられない話だったのだろう。ハヤト自身もいまだ半信半疑だ。
「マユミ。そう推測するしか無いのは分かるだろ?なんらかの方法で防空網をすり抜けての成功させた奇襲。MAPの使用。敵は一定の戦術に基づいて行動している。違うかな?」
「じゃ、なんで外に出ないのよ」
ほとんど悲鳴のような金切り声だった。おそらく彼女の小隊長が行方不明なのを心配しているのだろう。
その声に何人かの気持ちが揺れ動いているのを目の当たりにして、小さく頭を振るハヤト。
「なんで?敵はいないんでしょ?」
「ダメだ。動けば、こちらに攻撃力があると敵は判断して雪崩打って来るはずだ。これ以上の被害は出さない」
「他のハンガーと連繋すれば、打って出ることも」
「マユミ。他のハンガーとの通信手段を確保したのか?」
「私達が動けば、他も呼応する……」
「希望的観測ですね。そもそも外にいる人間が生きているとでも?」
シルヴァがばっさりと切り捨てるように言った。
「やめろ、シルヴァ」
なおも続けようとしたシルヴァだったが、ハヤトに窘められ口を噤む。
それを見たマユミが冷笑を浮かべた。
「リーヴハン。あんたさ、カルランザのせいで仲間失ったんじゃないの?なんであんたそんなに冷静なの?」
感情的な彼女の言葉が格納庫に反響し、広がっていく。それはある者に不安を、ある者に恨みを、そして多くの者に不信を植え付けていく。
「今は戦闘行動中です。なら、私はただの刀。指揮官の命ずるままに力を揮うのみ」
「へえ。シュタンジットから鞍替え?随分、軽いのね」
彼女の侮辱にシルヴァは眉をぴくりと動かしただけで、表情は変えない。その精神力にはハヤトは感心しつつも、この事態は良くないと感じていた。
「いい加減にしろ。今の俺たちには何も出来ない。ブルーレイディどころかイーグレットすらない。あったところで戦闘速度を得る前に粉砕されて終わりだ。こんな状況で打って出て何が出来るんだ?」
「だからってこのままじっと縮こまってろって言うの?外で助けを待ってるかもしれない人を放っておいて?」
マユミの発する感情の波。
「そうだ。打って出れば、なんとかなるかもしれない」
「他の連中だって動くはずだ」
「こんなところでただ待ってるなんて出来るか」
「やられっぱなしなんて我慢できない」
受領するはずだった自分達の力を奪われ、仲間を失い。多かれ少なかれ傷を負い、やっと人心地着いた訓練生達の中に残ったのは、何も出来なかった悔しさと、これからもただ縮こまって救援を待つしかないという現実に対する焦りと不安。
ごちゃ混ぜになってしまっているのか、ハヤトとシルヴァの冷静な言葉なんて受け付けられないほどの混乱。それが広がっていく。教官や整備の下士官が普段なら抑えてくれるそれを、普段の反感も手伝ってかハヤトでは抑えきれない。
どうしたらいい。一瞬、シルヴァの力を使うか。
だが、それではダメだ。
目標が無い。恐怖で押し付けただけでは、集団は簡単に瓦解してしまう。
迷いの生じたハヤトの前で、シルヴァが両手を刻印刀に添えた。
咄嗟にその手を掴んだハヤト。
睨み返してくるシルヴァ。その目は自分の独断であれば、ハヤトの責任ではないと言っている。
しかし、それは何も変わらない。相手はハヤトとシルヴァが結託していると思っている。そう決め付けてしまう。そうすれば、彼らは楽だからだ。
二人の無言のやり取りが目に付いたのか、いつしか周囲の声は。怒号と化していた。
「やるってのか?」
「怪我人もいるんだぞ。それをさらに痛めつけるのか?」
「それが総隊長のやることか」
「今すぐ、指揮権を捨てろ」
殺気だった訓練生達が十数人、ハヤト達を囲むようににじり寄ってくる。
シルヴァの腕に力が篭められる。今すぐにも彼は抜いてしまう。
どうしたらいい。
「静かにしろ!このクソガキども!」
暴風のような罵声。拡声魔法でも使ったのかと思われるほどの声量に、全員がはっと静まる。
声を発したのはアリアだった。怒髪天に突くとばかりに、薄暗がりの中怒りの炎のようにゆらゆら揺れる赤い髪に誰もが息を呑む。
「怪我人に障る!怪我をした仲間を蔑ろにする貴様らは帝国軍人、いや人間ですらない!ただの犬畜生だ!恥を知れ!」
陽気な性格で知られるアリアの叱責に、思わずハヤトでさえ背筋を伸ばした。直立不動の訓練生達に、鋭い睨みを利かせるアリア・ネルー准尉の紺色の瞳。
「アリア。あなたもうるさいよ」
途端、ころっと朗らかに笑うアリア。
「ごめんねロア。でも、ちょっとムカついちゃって」
柔らかな声に窘められたアリアの豹変ぶりに緩みそうになった空気。だが、最後にもう一度一睨みされ、一瞬で引き締まる。キレると教官並に恐ろしいネルー准尉の本性に、後輩達は戦慄した。
「ごめんなさい。ミーティングの邪魔しちゃったわね」
アリアを窘めたロアシーズだった。頭部と左腕に包帯を巻かれ、タグから外された座席に腰掛け、左腕を車体に預け出血を抑えている痛々しい姿。
何人もの訓練性が、その姿に顔を顰める。尊敬する先輩の姿から目を背けたいのを堪えている。
当の本人はそんなことにお構いなく、今まで見たことも無いほど柔らかく微笑んでいた。
「ちょっと聞きたいことがあったの」
「はい。なんなりと」
軍人らしからぬ、しかし、不思議としっくりくる女性らしいロアシーズの姿に、ハヤトは素直に応じた。
「敵の攻勢に対する防備は?」
「障壁魔法の構築は完了しました。他のハンガーの抵抗がいまだ続く限り、あるいは敵の大規模な増援でもなければ、二十四時間死守できるように魔法維持のローテーションを組みたいと思っております」
ハヤトの目配せにシルヴァが答え、満足げに頷くロアシーズ。
「カルランザ総隊長。少し残念なお知らせがあるの」
「なんでしょうか」
「たぶん、私はもう飛べないわ」
ぶん殴られたような衝撃によろめきかけたハヤトは、必死に足を踏ん張り耐えた。周囲ではざわめきが広がっていく。
「まだ、諦めるのは早いのでは?」
問いかけに、ロアシーズは左右に頭を振った。
「指先の感覚が無いの。ぴくりとも動かない。神経を切っちゃったのかな。再生手術を受ければなんとかなるかもしれないけど、ブルーレイディのCFOはそんな簡単なことじゃないの、みんな知ってるね?」
高G下で複雑な機器を操作するのは、非常に繊細な作業だ。たった一つの数字を間違えるだけで、機体が失速することもありうる。たとえ再生できたとしても、一度切断された神経でそれが可能だろうか。
誰もが講義で教わる数々の実例を思い浮かべる。この場合、八割の確率で機体を降りているという現実。
それなのにロアシーズは、どこか安堵したような表情を浮かべていた。
「だから、私はみんなを指揮する資格も無いし、でしゃばる気もないの。だけど……、だけど一つだけわがままを言ってもいい?」
沈痛な面持ちで続きを待つ訓練生達に、彼女ははっきりと自身の希望を告げた。
「ごめんなさい。私は、生きて家族に会いたいの」
何に謝ったのか、ハヤトには分からなかった。ただ、その言葉は決してわがままではないとと思った。
今まで、似合わない軍の訓練総隊長として無理して頑張ってきた彼女が得るべき正統な権利だ。そんな彼女だから、第三八七期生はあんなにも団結しているのだろう。
「ハヤト・カルランザ、拝命しました」
唐突に敬礼するハヤト。唖然とするロアシーズ。そんな彼女に微笑みかけると、ハヤトは格納庫全体に向けて声を発した。
「総員傾注!これより作戦目標を伝える」
作戦目標という単語に、誰もが驚いた。格納庫を飛び出すことに否定的だった彼とは思えない言葉に、誰もが注目した。
「俺に至らないことがあるのは分かっている。このままでは仲間の仇も討てないことも悔しい。だが、俺はここを出てからもっと見たいものが出来てしまった」
何故か身の上話を始める彼に、誰もが浮かべる疑問符。
そんな彼らに、ハヤトは胸を反らして堂々と叫んだ。
「俺は、ヒューイ・レイビス少尉の隣りで笑顔を浮かべるロアシーズ先輩の花嫁衣裳が見たい!」
堂々たる宣言。
しんと静まり返るハンガー。
眉間に皺を寄せて見回すハヤト。
「なんだお前ら、こんな可愛いロアシーズ先輩の晴れ姿を見たいとは思わんのか?」
びしりと指を指し、責めるように言うと、何人かが慌てたように首を振る。
「確かに、悔しがる男性陣を尻目に優越感に浸るレイビス少尉を見るのは、癪だ。実に癪だ。ああ、想像するとすんげえムカついてくる」
顔を顰め、上官を蔑ろにする発言をバンバン繰り返すハヤト。何人かが吹き出す。
「だが、ロア先輩の花嫁姿は絶対に可愛い。いや、可愛くないはずがない!」
誰もが、たどたどしく頷く。数人の女子がうんうん頷くのが見える。そんな中、マユミが辺りの反応に狼狽しているのが見える。
やっぱり、お前は理解してくれないか。
そんな風に諦めつつも、ハヤトは仕上げに入った。
「なら、することはただ一つだ!」
ハヤトは右手の人差し指を頭上に突き立てた。
「当ハンガーの死守。そして、ロア先輩をレイビスの野郎のところに送り届ける!」
ハヤトが浮かべたのは狂気にも近い笑顔。だが、そこには今まで悲観するだけだった篭城戦に確かな光があった。
「先輩の心からの笑顔が見たい!」
おお!何人かのノリのいい整備員が叫んだ。
「レイビスをたこ殴りで祝福してやりたい!」
おお!訓練生にもその波が広がっていく。
「なら、みんな結婚式に参加でいいか?」
おお!気付くと負傷して成り行きを見守っていた者達まで声を挙げていた。レイビス少尉を嵌める方法を口々に口にする物騒な者、ロアシーズの花嫁衣裳について相談しあう女子、魅力的なバカ騒ぎに口々に乗り気な声が上がって、困惑している少数の訓練生達を飲み込もうとする勢いだ。
それを左手をすっと差し出すことで鎮めるハヤト。
キラキラした目を向けてくる訓練生達に向け、ハヤトは満面の笑みを浮かべた。
「やろうども!結婚式で最高の酒を呑むぞ!」
爆発する歓声。希望と意志に満ちたそれは、今までのどんな叫びよりも生きる力に満ち溢れて、膨れ上がっていく。
だが、それもすぐに収まる。この戦いに初めて明確な希望を見出した若者達が、自分が出来ることを必死に探し出し考え始め、それを仲間達と話し合う姿。
それを見てハヤトは矢継ぎ早に指示を出す。
ちらりと見ると、マユミと数人が彼を睨み付けていた。
仕方ないと諦めるしかない。
振り返ると、シルヴァが呆れ返ったような半眼で睨んでいた。同じ睨み付けるのでも、その温度は明らかに違った。
「障壁のローテ編成に入ります」
「頼んだ」
短いやり取りの最後に残ったのは、お互いに向けられた苦笑。それだけで充分だった。
立ち去るシルヴァの向こうに、ロアシーズが穏やかに微笑んでいた。ハヤトと目が合うと、一筋の涙をこぼしながら、小さく何か呟いた。
辺りの喧騒でその声は届かない。
だが、
ありがとう
と言ったように彼には見え、それだけで充分だった。
マユミの言うように、生きているかもしれない者達を切り捨てたのは確かなのだ。
それを慰めてくれたのは、みんなのやる気とロアシーズの笑顔だ。
そっと開けられた扉の隙間から眩い光が差し込み、奪われる視界。見えない恐怖に脅える脚を叱咤するように短く呼気を鋭く吐き出し、ユリスタンは地上の誘導路に飛び出した。
数瞬で光に慣れた視界に飛び込んできた空の蒼と、深い滲みのように立ち上る煙の黒。アスファルトの先に見えたのは瑠璃色の機体を無残にもバラバラにされ炎上する大型機。早期警戒管制機ラピスミストレス。チーム・カテリーナを乗せた機体だ。離陸滑走中を狙い撃ちか。
ひとつ間違えれば、妹のミリアナがああなっていたかと思うと気が気ではなかったが、大尉に与えられた使命を果たさなければならない。
ミストレスの周囲に数人の人影が見える。戦闘鳥だ。翼を背中に生やした人がいるわけがない。
素早く肩付けした小銃の銃口を周囲に巡らせる。運がいい。近くにグリフィンはいないうえに、みな背を向けている。
だが、肉眼で直に捉えた異形の姿に、胸が押し潰されそうな感触が襲う。これが、恐怖か。
浮かんできたそれを振り払うように、地下からの登り口であった給水塔の扉に向かって手招きをし、チーム・アンジェリカを走らせる。
ミリアナを含めた三人が駆け出し、相棒のアイザックも出て来て、ユリスタンもミリアナ達とともに戦術科の格納庫より遥かに巨大なラピスミストレスの格納庫に向かって走り出した。旅客機サイズのハンガーはまるで巨大な城壁のようで、遠近感が掴みづらい。あるいは緊張でたった二百メートルの距離が、マラソンか何かのように感じているだけなのかもしれない。
ちらりと給水塔を見やると、アンジェリカの残り三人とカッツ大尉が後方を監視しながら出て来るところだった。
前方に目を戻すと、最初の一人がハンガーの側面外壁に取り付き身を潜めたところだった。ユリスタンもすぐにハンガーの後ろ側の角から、後方を覗き込んだ。緊急解除コードで開放出来る扉はハンガーの後方にしかないのだ。
そのハンガー後方、森と敷地を隔てるフェンスの間際に二体の戦闘鳥がいた。辺りを警戒する役目なのだろうが、手持ち無沙汰に見える。やはり正規軍人とは違い、哨戒の重要性は認識できないのだろう。
さて、いかにして排除するか。
その方法を頭の中で組み立てようとしたとき、背後で大きな音がした。
二体のグリフィンも振り返り、ユリスタンは慌てて角に身を隠し、後方を振り返ったところで何が起きたのか理解した。アンジェリカの一人が転んで、持っていた小銃を地面に叩き付けた音だ。四キロもの重量物を取り落とせばどうなるかは想像に難くない。
敵はすぐにこちらに気付いた。
アイザックが戻ろうとした。
だが、カッツ大尉はそれを手で制すと、転んだ訓練生の後ろ襟を掴むと引きずるように後ろに下がった。それも給水塔ではなく滑走路の方向へ。
二人のもとに向かおうとした他二人の魔術通信士官を、大尉の意図を理解したアイザックが銃口で押し戻し、ハンガーに戻って来た。
「お兄さま……」
震える妹の声に、ユリスタンは覚悟を決めた。大尉は囮になろうとしている。アイザックもそれを理解したからCCO達を連れて戻ってきたのだ。
ユリスタンは、無言で小銃のコッキングレバーを引くことで妹に応えた。アイザックもそれに倣い、ミリアナは拳銃のスライドを引き、四人のCCOも戦術科の二人に促がされ小銃の装弾を終えた。
ユリスタンは頷くと、一人一人顔を指差し、それぞれ銃口を向ける方向を指示した。ハンガーの角、あるいは屋根を越えて二体の敵が現れるはずだ。それを彼の合図で撃てと指示する。
細かいところをアイザックも補足してくれる。
後方で銃声が聞こえる。燃焼魔法と音速を超えた銃弾が飛び出す爆音の二つが成す、乾いた連続音。カッツ大尉達二人は上方に向けて射撃している。
ということは敵は屋根を越えて来る。
はたしてユリスタン達の頭上に幾重にも重なる合唱のような詠唱が聞こえるや否や、屈強な脚を持つ巨人が宙に浮かんでいるのが見えた。
撃とうとしたアイザック達を、ユリスタンは制止した。
怪訝な彼らに向かって二本の指を突き出す。相棒はそれで敵は二体いることを理解してくれ、銃を持ったCCO達を制止してくれた。
今にもグリフィンに攻撃されそうなカッツ大尉達の姿に胃が捩れるような、いや全身が押し潰されるような軋みを上げている。
大尉達の銃弾は敵の正面で弾かれているが、ユリスタン達には敵の無防備な背中が見えている。敵は非力な人類を見て油断しているのか、ゆっくりと大尉達に向かっていくだけだ。
今、目の前にある仲間の危機。
それを止める事が出来る自分達。
だが、それを実行した瞬間にもう一体の敵に見つかる。そんな状況で全身に脂汗を垂らし、掌の汗で滑りやすくなった銃把を握りなおし、その瞬間を待った。
訓練中なら抱くことのなかった、纏わり着くような南国の熱気が鬱陶しい。
そんなことを思ったとき、それは現れた。瞬きしていたのか、突然それが目の前に出てきたような気がした。
大鷲を思わせる嘴を持つ黒い頭部に、肌色の人と変わらないように見える屈強な肉体、そして濃い茶色の羽毛で覆われた一対の翼。
その黒い瞳が小さく動きユリスタンを捉えた。
ああ、グリフィンも驚くんだな。
なんとなくそんなことを思っていたユリスタン。しかし、見開かれた敵の目を見つめながら、ユリスタンは叫んだ。
「撃て!」
同時に引き金を引く。閃光と爆音が感覚を塗り潰し、激しく右肩を叩きながら暴れる小銃。次々と排出される撃発用のカートリッジ。
目で捉えることが出来ない力が黒い瞳を吹き飛ばし、嘴を抉り、腕、胴体、脚と全身を、そしてグリフィンの象徴たる翼をズタズタに引き裂いていく。一瞬で三十発もの銃弾を食らったグリフィンは、鮮血を撒き散らしながらもんどり打って地面に倒れ伏した。
「クリア!」
「クリア!」
ユリスタンが叫ぶとアイザックの報告が飛んで来る。
どさっと何か重いものが地面に叩き付けられる音。
振り向かず、さらに指示を叫ぶユリスタン。
「全員、走れ!」
ミリアナ達を先行させながら、併走する形で駆けながらマガジンを交換する。通用口まで二百メートル。
敵はすぐに向かってくるはずだ。だが、組織的な攻勢に出るまでは僅かな隙がある。そこしか彼らが付け込む隙は無い。
「後方注意!」
普段はCFOたるユリスタンの台詞をアイザックの声で聞き、振り返ると給水塔の向こうから一体の敵が現れた。
「振り返るな!走れ!走れ!」
怒鳴りながらユリスタンとアイザックの二人で銃弾を叩き込む。ちょうど敵は火球魔法を使おうとしたところだったらしく、右肩付近に命中した銃弾でバランスを崩し、放たれた火球がハンガーの屋根付近に炸裂する。
熱風に晒されたCCO達の悲鳴が耳に届いた。ミリアナのことは気になったが、それどころではない。
「リロード!」
アイザックの声で、射撃を小刻みに途切れさせるユリスタン。その間にアイザックがマガジンを交換し、射撃を再開した。
それはユリスタンに一撃必殺を用意するための時間稼ぎ。
《励起。硬化、高速化。弾種魔法徹甲》
引き金から一旦指を離したユリスタンの口から紡がれた事象変換言語に、小銃が唸りを上げる。
敵が気付いたのか、ランダムに動き回避しようとする。その急激な運動にも動揺せずユリスタンの銃口はゆらりと動くと、柔らかく引き金が引かれた。
通常の発砲音と異なる甲高い衝撃音をとともに、辺りに衝撃波が放たれ、極超音速の銃弾が大気を切り裂く。
空中のグリフィンが、見えない力で左肩から先を吹き飛ばされる。
外した。敵の激しい回避運動にもかかわらず命中させただけでも充分なのだが、今の狙いは撃破だった。敵はまだ墜ちていない。
空中でふらふらしているグリフィン。翼はまだ唄を奏でている。
そこに横合いから銃撃が襲う。たまらず吹っ飛び地面に叩き付けられる敵。カッツ大尉だった。
「見事だ!誉めてやる!」
「ありがとうございます!」
ユリスタンは礼を返し、ミリアナ達が向かった扉に駆け寄った。
ちょうど解除に成功したらしく扉が開いたところだった。
チーム・アンジェリカが転がり込み、ユリスタンとアイザックも飛び込む。
「閉鎖する!」
CCOの一人が叫んだが、制止するユリスタン。
「まだ二人いる!」
思い出して困惑顔を浮かべるCCO。恐怖で引き攣っている。仕方の無いことだ。制止したユリスタン自身、さっさと扉を閉めてこの状況から解放されたい。
だが、それは仲間を安易に捨てるということだ。
ユリスタンとアイザックは扉から身を乗り出し、走ってくる最後のCCOとカッツ大尉に群がっている異形の影に銃弾を放つ。
だが、敵が多すぎる。十体以上がたった二人に殺到していた。次々と火球が放たれ、ハンガーの障壁に弾かれた爆風が二人を何度も嬲っていく。それでも命中しないのは、ハンガーの障壁魔法が近寄った火球に干渉してしまうからだ。
三体の敵が左に向かって移動した。障壁に干渉されない位置から撃つつもりだろう。
ユリスタンとアイザックはその三体に向かって引き金を引いた。だが、銃弾が尽きた。
下腹から這い上がってくる凄まじい冷気。この瞬間に。目の前で、教官とここまでやってきた勇気ある仲間が窮地に陥っているというのに。
「お兄さま!」
「そんな!」
そんな悲鳴が幾度か耳朶を打つ。
三体が火球を放った。目の前で炎の嵐が渦巻き、眼前を何かが物凄い勢いで横切った。
背後で女子CCOの悲鳴が聞こえる。
その何かを追うと、黒焦げになった訓練生のBDUを着た人型が、地面に倒れぴくりとも動かない。
「閉じろ!」
逆方向からの声。障壁魔法を展開したのか、無事な教官がほんの数メートル先にいた。
いや、無事ではなかった。肩付けされた小銃のハンドガードを支えていた左腕が垂れ下がると肘からぼろりと崩れ、アスファルトに叩き付けれる。続いて身体がぐらりと倒れ込んだ。左膝から下も崩れ落ちていた。障壁魔法は展開したものの、腕と脚まで守れず瞬時に高熱で炭化したのだ。
「大尉!」
「いや!」
「今っ!」
地面に倒れ込んでいたロイド・カッツ大尉はそんな訓練生達を見やると、汗と煤で汚れた巌のような顔にいつも通りの凶悪な笑みを浮かべた。
「いつまで、教官の無様な格好を見てやがる」
その一言で前が何も見えなくなったユリスタン。両手が弾かれたように銃口を真上に向ける。捧げ銃。
「失礼しました!」
同時に扉の操作パネルに拳を叩き付けた。圧搾空気とともに閉鎖される扉。すぐさま扉を守る障壁が展開される。
直後、爆音とともにびりびりとハンガーの壁が震える。頭上の明り取りの窓から紅蓮の炎が揺らめいているのが見える。
一瞬の出来事だった。あまりの衝撃に訓練生達は身動き一つ出来ない。
突然の騒ぎに篭城していた整備員達も、何事かと寄って来てはいたが、七人の訓練生達の纏う空気に声もかけられずにいた。
そんな奇妙な静寂を破ったのは、突然の罵声。
「くそったれがあああああああああっ!」
ガン、と扉を殴りつける。冷静沈着なはずのユリスタンに、誰もが驚き脅え、そして困惑した。
守れなかった。ミリアナの仲間と、自分の教官を。右手に疼く痛みのなか、彼は悔しくて溢れてくるものを押し留めることを忘れていた。
なんて弱いんだ。人間は自然に淘汰されるべき存在なのか。そんな現実を見せ付けられているようだ。
もしかしたら、戦術科の仲間達もハヤトやロアシーズ、そしてマリも同じような目に遭っているのではないかと気が気でなかった。
「まだだ」
まだ負けは認められない。少なくとも自分達は目標地点に到達したのだ。やるべきことがある。
ユリスタンは振り返ると、居合わせた整備員達が一斉にぎょっとした表情を浮かべた。
「ここの責任者は?」
「俺だ」
一人だけ彼らを品定めするように鋭い視線を向けていた、老骨な白いつなぎ姿の少尉だった。
「失礼しました。自分は戦術科第三八八期第一訓練小隊長のユリスタン・シュタンジットであります」
「第五整備中隊のサツナギだ。その子達はアンジェリカだな?悪いが、お前さんらじゃミストレスは飛ばせねえぞ」
「飛ばす気はありません。エンジン始動とレドームの起動のみが目的です」
「ん?管制塔にする気か?他の管制塔もやられたのか」
ということは、ここ第一滑走路の管制塔も破壊されたのだろう。
「少なくとも第三滑走路の魔法通信は沈黙しています」
「誰の命令だ」
言葉に詰まるユリスタン。ここまで死線を潜り抜けてきた仲間達も、その身をびくりと震わせる。
怪訝な顔を浮かべるサツナギに向かって、震える口元をなんとか堪え返答するユリスタン。
「先ほど戦死されました、ロイド・カッツ大尉であります」
ゆっくりと見開かれるサツナギの目。
「なんだって?……じゃ、さっきのは」
思わぬ食いつきだった。面食らったユリスタンの前で、サツナギは整備帽を胸に当て、小さく目礼する。
「そうか、ロイドも逝っちまったか」
知り合いだったのだろう。あとたった数メートル。それで誰もこんな感情を抱くはずも無かった。自分達にもっと力があれば。
「お前さんらのせいじゃない」
見透かされたような言葉にはっとする。
するとそれまで黙って成り行きを見守っていた整備員達が、ユリスタン達に寄って来た。
「よく頑張ったな」
「見事だ」
「すげえよ、お前ら」
口々に投げかけられる言葉に、泣き崩れる者や肩を震わせる者、ユリスタンも危うく膝をついてしまいそうになる。
だが、まだ任務は終わってない。
「いい目だ。いい教え子を持ったんだな」
サツナギはそう言うと、後方に佇む瑠璃色の翼を示した。
「お前さんらが使える機体はこの三号機だ。ロイドの弔い合戦をしてやってくれ」
シャル・ディータがヴォンデルランド本部棟との通信を確保できたのは、ほとんど偶然に等しかった。シェルターから使える電子無線機の周波数をいじっていた彼女は、本部棟のラジオ局から発せられている電波を捉えることが出来た。
「つまり、カッツ大尉と訓練生達がミストレスの起動に向かったのですね?」
初等教育航空団司令カーティア・ミュアー少将の落ち着いた声音。
「はい。独断専行については申し訳ございません」
「いいえ。彼らの判断は最善と言えるでしょう。こちらからの観測では全ての管制塔が破壊されていることが判明しています。高射陣地も沈黙しています。一応こちらでもミストレスへ送る人員の準備はしておりますが、もし彼らが成功したならば、これもいい意味で無駄となるでしょう」
ミュアー少将は伝視科出身の女性将軍だ。来年退官予定だった彼女に、この事態はキャリア最後にして最大級の汚点となるのだろう。しかし、そんなことはおくびにも出さないところにシャルは尊敬の念を抱く。
「ただ、第一滑走路に赴いた彼らが心配ですね。無事だといいのですが」
「はい」
司令官の心配りに、シャルはそう答えるしかなかった。
勲章を貰いに行くと、軽口を叩いて戦場に向かったロイド。訓練生の頃は小心者のくせに大口を叩いていたくせに、泣きながら必死に訓練にしがみ付いているような若者だった。それが、いつしか、機体に妖精体が宿り、戦果が伸び始めてから変わっていった。
お調子者なところは変わらない。だが、確かな自信を身に付けていた。いつの間にか相棒たるシャルに相談もなしに物事を決めるようになっていた。
家庭を持ったこともそうだ。
「ディータ中尉。聞いていますか?」
「申し訳ありません。なんでしょうか、閣下」
物思いに耽っていたらしく、ミュアー少将の問いかけに気付いていなかった。
無線の向こうで小さな溜息。
「シャルバート。疲れているのではなくて?少し休みなさい。そこは安全でしょ?」
それは父方の伯母としての発言。
だが、それは受け入れられない提案でもあった。
「いいえ。自分は大丈夫であります」
このシェルターにはシャル以外に教官はいない。職員も、教官代わりになりえない環状鉄道の運転員だけだ。彼女以外に士官はいないし、アンジェリカのチームリーダーはミストレスへと志願して行ってしまった。
「今後も出来る限りの観測を続け、司令部に伝えます」
無線の向こう側が、何故か沈黙した。ほんの数秒だったが、妙な間がそこはかとない不安を感じさせる。
「そう。分かったわ。アトハウザー大佐に代わります」
「アトハウザーだ。中尉。状況はだいたい把握しているので、一応伝えておこう。敵はまだシェルターに対する攻撃を開始してはいない。君達は防備に徹していて構わない状況だ」
直属の上官であるアトハウザー大佐にも心配させてしまったらしい。
「いいえ。問題ありません」
今までもこんなことはあった。本土の基地では滅多に無いことだが、前線の橋頭堡として設営された基地では日常茶飯事だ。
そう自分でも理解しているはずだった。だが、何故だか、胸の真ん中に居座るわだかまりや全身の倦怠感が酷い。
「パイロットがそばにいない状況では、CFOは不安に陥りやすい」
戦術科長の言葉はまるで鋭いメス。すっぱりと柔らかな表皮を切り裂いて、自身で目を背けていた患部を晒された。
いつも傍にあったはずのものが、今手元に無くて、ぽっかりと空いているような感覚。いや、まだ繋がっている。その感覚はあるが、存在が遠く希薄になっている。大佐の言葉はそれを白日の下に晒しているかのようだ。
そして、それは決して彼女にとっていいことではない。
「大佐。自分はまだ戦術魔法師を失っていません」
知らず知らず口調が硬いものになっていた。
「そうか……」
その返答は、大佐が自分の言を信じていないことを表している気がした。
「自分が不安障害になっているとでも?」
傷付けられた自尊心。年若いCFOならまだしも、ロイドの後席を十五年も続けている、撃墜数五千を超えるコクピットの一員である。それが、不安障害に陥っていると断定されようとしている。
シャルにその事実を突き付けているかのような、返答の無い僅かな間。
「冗談じゃありません。そこら辺の小娘と一緒にしないでいただきたい」
彼女は気付いていなかった。普段の彼女なら上官の言葉を真摯に受け止め、それから反論したことだろう。だが、今の彼女は核心を突かれ、揺れる心が乱れるままに言葉の刃を振り翳していた。
「私はロイドが戻って来るまでここを死守します。それが私がロイドから与えられた役目です」
言葉は丁寧だが、荒々しく吐き捨てられたそれに、訓練生達が不安を見せていることに彼女は気付けていない。
「私はロイド・カッツの魔術航法士官です。戦場にあっては一心同体。戦術魔法師が戦っているなら、私も戦う以外にすることはありません」
「分かった、中尉。命令だ。これより四時間の休息を命じる」
冷徹なアトハウザー大佐の声がスピーカーから放たれ、訓練生と職員が一斉に注目する。
シャルには意味が分からなかった。自分は大丈夫だ。まだ、部隊のために、航空団のために、軍のために動ける。それなのに何故軍務から外されるのか。
「承服できません。ここには指揮官は自分しかおりません。誰が、指揮を執るのですか?」
問いかけに返って来たのは沈黙。そこにどんな意味があるのか、シャルには分かっていた。だが、何故そうなったのか理解出来ない。
痛いほどの一瞬が、痛いほどの数秒になろうとするとき、
「シャルバート・ディータ中尉……」
その呼びかけは今までになく冷厳だった。
「私は貴様を解任したわけではない。休息を命じただけだ。だが、その程度の判断力すら貴様には残っていないようだ。ならば致し方ない」
気配を感じて振り返ると、一人の訓練生――伝視科の三年度課程――が座っていた椅子から立ち上がり、救急救命キットのケースを開けた。
「貴様をそのシェルターの指揮から外す。その場にいる職員、訓練生は速やかに中尉に鎮静剤を投与しろ」
「了解しました。シャル・ディータ中尉に鎮静剤を投与します」
ケースから無針注射器を取り出し、中の薬剤を確認していた訓練生が応答する。そして、速やかに後輩達に指示を出す。中尉を拘束しろと。
立ち上がる訓練生達。だが、その足取りはまだ躊躇いがある。
「き、貴様ら……」
シャルが何かを口にするよりも早く、三年が言い放つ。
「これ以上中尉に恥をかかせるな。速やかに対応しろ」
戸惑っていた訓練生達は、その言葉で意を決したように表情を引き締め、シャルを半円状に包囲する。
それは彼女にとって、まるで異種族に包囲されたときのような恐怖をもたらした。
右腕を掴まれる。
「やめろ!貴様らが、何をやってるか分かってるのか?」
喚きながら掴まれた腕を振り払う。
だが、別の一人が左腕を取り、それを払おうとした瞬間に右腕を取られる。
「申し訳ありません。命令ですので」
告げられた一言で、彼女の中で何かが壊れた。
「やめろおおおおおっ!」
叫ぶというよりも、獣のような咆哮を上げ、力任せに両腕を振りほどく。伊達に戦闘機搭乗員を十五年務めているわけではない。体力は伝視科のCCOに比べれば遥かに上だ。拘束していた二人が弾き飛ばされる。
眼鏡の奥に獰猛な光を宿し、自分を捕まえようとする脅威を睨み付ける。
だが、彼女は気付いていない。自分が異なる戦科とはいえ。教え子に手を挙げたことを。
「怯むな。これは中尉を守るために必要なことなんだ」
上級生の彼がこう言ったのは、かつて実戦で出撃したとき、補給のために立ち寄った基地で錯乱した搭乗員を見たことがあったからだ。その哀れで物悲しい姿を、訓練生の誰もが憧れるシャル・ディータが晒すのが彼には忍びなかったのだ。
同じように感じたCCO、そして元々軍属だった職員も意志を同じにしていた。
一斉に飛び掛る彼ら。
シャルは迎え撃とうとしたが、二人を弾き返したところで両手を抑えられ、腰に体当たりを食らい床に押し倒される。
「やめろ!ロイドが!あの子が!」
それでも両手足を闇雲に振り回すシャル。
「お願いです!大人しくしてください!」
「俺達に中尉を守らせてください!」
激しく抵抗する彼女を冷たいコンクリートの床に押し付けながら、訓練生達は涙をこぼしながら訴えかけたが、それらの言葉は彼女に届くことは無かった。
一瞬の隙を突いて、注射器を首筋に当てようとした訓練生。
唐突に彼女の動きがぴたりと止まった。まるで動画を唐突に一時停止したかのように、手足を振り回したままの形で。
突然のことに困惑してすべきことを忘れる訓練生達。
そんな彼女の中に不意に滑り込んできたもの。か細く、柔らかく、ついつい守ってしまいたくなるような愛らしいそれに、彼女は確かな温もりを感じていた。
しかし、今はそれはいつものそれではなかった。
ママ……。
震える気配が彼女をそう呼んだ。
《四四・三一〇四。状況、提示》
シャルの口から滑らかに紡がれたのは事象変換言語。この密閉空間で魔法を使うのかと誰もがぎょっとした。
慌てて注射を首筋に当てた。
注入しようと押子に力を込めようとした瞬間、その首筋からがくりと力が抜けた。シャルの全身から急に力が抜けたのだ。
拍子抜けする訓練生達。
誰も何も口にすることが出来ない沈黙のなか、ぽつりと少女のようなすすり泣きがこぼれ落ちる。
「……置いて、いかないでよ……」
ようやく、第三章前半戦終了です。
来週から主人公とヒロインが、それらしくなります。
え?ハヤトが主人公じゃないの?とか、ユリスタンじゃないの?とかおっしゃる声が聞こえてきそうです。
一応、違うんですよ。これでも。




