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Project BLUE LADY  作者: 宇佐視ひろし
第三章 SQUADRON
22/26

第十五話 指揮

2014 6/18加筆修正。

ちょっと気に食わない表現等を修正。


なんっつぅか、このシーンむずいわ。と、思いました。

「生き延びるのは勿論だが、その他の保険はあるに越したことは無い。歩兵装備で奴らに対抗出来ないわけではない。いくつかの実例を挙げるとしよう。貴様らは運がいい。この講義室内にその生き証人がいる。シルヴァ・イラング・リーヴハン。帯刀したまま前へ出ろ」

 空色のスラックスの腰に剣帯をした銀髪の青年が教壇に向かう。シャル・ディータは、剣帯に吊るされた反り返った黒い鞘に納められた刀を指し示す。

「規定によりこの場で抜刀させることは出来ないが、その事実だけでも分かるとおり、この刀は純然たる戦術兵器だ。その気になれば、この場の全員を血祭りに上げることも容易いだろう。――ああ、フルセクター。これはただのたとえ話だ。それにキャロイなら、簡単に生き残るだろう。貴様ら三人の魔法行使の速さは私もよく熟知している。だから、睨むな」

 講義室内にくすくすと漏れる忍び笑い。

 大きく咳払いをすると、話を再開する。その間、不動のリーヴハン。

「しかし、刻印刀であっても単独で異種族と戦うことは無い。そうだな?」

「はっ。我が流派では単独での対異種族戦闘は厳に慎むように教わります。絶対少数での戦闘行動は、後退時の掩護あるいは敵後方での撹乱など限定された状況と規定されております」

「ありがとう。席に戻ってくれ。――このように対異種族を想定した強力な個人兵装ですら、その用途は限られている。しかも、刻印刀のような強力な兵器は我々のような訓練を受けていない者では充分に使いこなすことは不可能だ。では、いざというときに貴様らが己自身、あるいは戦友を守ろうという時に使えるオプションは全く存在しないのだろうか」

 教官が取り出したのは一発の小銃弾。

「答えはノーだ。我々人類は有史以来あまたの兵器を生み出してきた。ここにある実包もそうだ。これは貴様らが訓練で用いる通常実包ではない。対異種族用に刻印魔法が施された刻印弾頭だ。使用される魔法は魔法徹甲(AP)。命中、あるいは魔法を受けるとそこに展開された事象変換に対し、干渉作用を引き起こし、敵を丸裸にする」

 小銃弾を教卓に置く。

「だが装備があるからと言って、異種族は簡単に戦える相手ではない。奴らと戦い、生き残るためには高度な連繋、それを確実に発揮するためには有機的な機能を持つ組織、そして指揮官の高い適性が要求される。それだけ生き残るということは、単純なようで難しい」


 漆黒の闇で埋まった空間を左手の懐中魔動灯の光で切り裂きながら、右手に保持した小銃のグリップを握り締め直す。冷気の含んだ空気に身を晒しながらも、しっとりと汗に濡れた掌の感触で取り落としたりはしないかと背筋を冷たいものが過ぎる。

 ガラにも無いと自分を嘲笑ってみるが、あまり効果は無かった。

「クリア」

 自分と同じように前方を警戒していたアイザック・ジュピタスの声に我に返るユリスタン・シュタンジット。

 ホールのような四角い空間には、闇以外に敵性体ないし異常は見られない。

「クリア」

「よし、先に進もう。そろそろ18Rの下だな。もう少しだ」

 先行したユリスタン達の後ろから入って来たのは、数人の魔術通信士官(CCO)訓練生を引き連れた大柄の戦術科教官、ロイド・カッツ大尉。その右手には自動拳銃を携え、左手の端末を確認する。

「ミストレスは目と鼻の先だな」

 ウィルコー、と訓練生達はホールの向かいにある古い扉に向かった。

 ユリスタン、アイザックとカッツ大尉のほかに六人の伝視科訓練生達。六人とも早期警戒管制機(ラピスミストレス)のチーム・アンジェリカの管制官だ。その計九人が武装を携え向かっているのは、第一滑走路東側にある伝視科格納庫群――その南に位置するラピスミストレスのハンガーだ。

 戦術科格納庫群の裏手にある地下シェルターからここまで一時間。地上の常夏と違ってひんやりとした地下。

 それなのに、緊張と焦りで滴る汗。

 時折響く、軽い地鳴り。戦闘はいまだ続行中。

 地下通路という慣れない環境。

 いまだ見たこともない敵が、いつ現れるかもしれない恐怖。意思とは反した動きをしそうになる身体、震えを押し付け、ユリスタン達は進んだ。

「大尉。ここは本当に何なのでありますか?」

 左手で銃身と魔灯を保持しながら、油断なく周囲を警戒しつつ問いかけたのはアイザック。

 こんな状況で、と思ったユリスタンだったが、アイザックがちらとこちらを見返した様子から緊張をほぐす意図を理解して警戒に戻る。

 戦術科は歩兵戦闘訓練も比較的行なわれているが、伝視科はそうではない。それなのに今、小銃を持たされて必死にガチガチになりながら周りの様子を窺っている。相当のストレスのはずだ。

 本当に私はこういうところは、ハヤトにもマリにも劣るな。

 内心、苦笑いを抱いていると、カッツ大尉がすっとぼけた声を上げた。

「ん?なんか変か?」

「失礼ながら大尉。ここはただの地下通路にしてはおかしいと愚考致します」

 何も愚考しなくていいと思うが、というユリスタンの内心の呟きは表に出ることはなかった。

 一方のカッツ大尉は凶悪な笑みを浮かべた。思わず、幼馴染の悪戯を思いついた時の笑顔を思い浮かべてしまい、顔を顰めてしまう。

「お兄さま?」

 小さな身体にはいささか大きすぎる自動小銃を持ったミリアナの気遣いは、今は勘弁して欲しいユリスタンだった。

 意外なことにこの伝視科ハンガーへの移動と、ラピスミストレスの通信機能によるヴォンデルランド全域の通信網の復旧を提唱したのは彼女だった。シェルターに避難したものの、魔法通信が全滅していることを察した教官達に、すぐさま提言したのだ。

 最悪、全ての管制塔と出撃準備中だったカテリーナは全滅している可能性がある。となると、一番早く通信管制が可能なのは、アンジェリカに他ならなかったからだ。

「ほう?どこがおかしいと言うんだ?」

「まず、通路の大きさ、壁面の様子が変化に富みすぎています」

 大尉はアイザックと問答を続けていた。

「大きさは場所によってまちまち、石だったり、コンクリートだったり。あと、一部木の壁もありますよね。扉の類もそうです。引き戸だったり、ガラスだったり、鉄扉だったり、さっきは回転扉でした。規格が全く統一されていません」

「この手の施設は建造時期がまちまちだからな。規格も変わることもあるさ」

「いやいや、ご冗談を。扉を開いたら左右に細い通路が伸びているのに、両方とも行き止まりで、斜め向かいの扉を抜けるなんて、そんな無意味な場所作る意味なんて無いでしょ」

 そういえば、そんな通路もあったな。

「それにさっきのホール。何故か十字型でしたね。しかも、床にはところどころ鉄パイプみたいなのが刺さってましたね。コンクリートの細い意味の分からない柱もあった。意味もなく大きなガラス窓だってあった」

「ほう。よく見ているな」

「極めつけは床です。コンクリートとアスファルト、さらには朽ちた木の床。脈絡もなく変わる。こんな地下施設は、明らかにおかしい」

 この主任教官は実に愉しげにアイザックの考察を聞いている。

 呆れつつ、ユリスタンは周囲に目と懐中魔動灯の光を走らせながら、相棒の言葉を待った。他の訓練生もアイザックの話に耳を傾けているようだ。

「お兄さま。ジュピタス先輩って普段からあんなこと言う人なんですか?」

 敵の攻撃を受けている最中、危険な任務だというのに無駄話に興じているアイザックのことが気に食わないのか。BDUを着て、慣れない自動小銃を携えている妹は緊張した面持ちで、いつもの愛らしい笑顔は無い。

 そんな妹を見て、ユリスタンの表情が緩む。

「なんですか?」

 暗闇で見えないはずなのに、彼が笑ったことに気付いたのだろうか。

「アイザックは、みんなの緊張を解そうとしているんだよ。私には出来ない芸当だ」

 妹が絶句している。アイザックの作戦に対する姿勢に対してだと思っていたユリスタンであったが、ミリアナは兄に向かって目を見開いていた。

「それで、もろもろの状況から考えて、自分はこの通路が都市、または都市の遺跡なのではないかと考えているんです」

「そうか。なら、そういうことでいいだろう」

 教官のいい加減な返答は、アイザックの推察の肯定に等しい。

 思わず周囲を見回すユリスタン。なるほど雑居ビルの一室のような空間だった。その外側が土で埋められているという想像は可能だ。

 しかし、何がどうしてこうなったのだろうか。ヴォンデルランドは湖を中心とする最大半径十二キロほどのカルデラ地形であるが、地質は火山性ではない。街の姿を残したまま、それがそっくり土壌に埋まってしまうことが、火山の噴火も無しに起こることがありうるのだろうか。しかも、この地下通路の上は鬱蒼と茂る密林なのだ。とても何千年という長い時間が必要とされるはずだ。

 人の文明や生活が、一夜にして何もかもが塗り替えられるようにそのまま呑み込まれ、千年も前の景色が地面の中に保存されている。そんな変化を生み出すものとは一体なんだろう。

「まるで、魔法だな……」

「まるで、魔法です」

「は?」

「は?」

 そろってハモる、アイザック(パイロット)ユリスタン(CFO)。警戒を忘れてお互いの顔に魔灯の光を向け合い、お互い眩しそうに目を細めた。

 他の訓練生達は何事かと二人を見ている。

 そこでユリスタンは頭の中でかちっと填まる感覚を抱いた。

「なるほど事象変換言語(ワーズ)か」

「分かってなくて口にしてたのか、ユリ」

「今思い至ったところなんだが、何度も言わせるな。私の名前はユリではない」

「ああ、はいはい。こういう時だけはレクス並に天然だよな、お前」

「なんでキャロイなんだ」

「その微妙な顔をするところが、お前らそっくりだよ」

 本当に微妙だ。

 気の抜けた会話に周りから失笑すら起こる。ミリアナなんてジト目だ。

「貴様ら。今が警戒態勢だって分かってるな?」

 笑みを含んだだみ声に、怖気に襲われる二人。

「失礼しました。シュタンジット復帰します」

「ジュピタス、異常なし」

 慌てて周囲の警戒に戻る二人に、堪えきれなくなった何人かの魔術通信士官(CCO)の吹き出す声。

 貴様ら、戦術科第三八八期主任教官の恐ろしさが分かっていないな?ユリスタンはCCO達に詰め寄ってやりたかったが、不可能だ。残忍な教官の行いは骨身に沁みている。

「まあいい。一つ昔話をしてやろう」

 予想外の教官の一言に、ユリスタンは警戒しながら進み、同時に聞き耳を立てた。

「科学技術を駆使した人類は、とある火山の火口に数万人の人が住む街を、何千年もかけて作り出した。南北二十五キロ、東西十八キロのカルデラだ。豊かな農地が広がり、幹線道路や鉄道まで敷かれていた大きな街だった」

 雄大な自然を科学によって切り拓いた、人類の英知を感じさせる話だ。

「その街が異種族に攻め込まれ、占領され、十年後にようやく取り戻した時には、鬱蒼と茂る大密林だった」

 十年?耳を疑う訓練生達。このヴォンデルランドに広がる密林が、僅か十年で生み出されたというのか。しかも、それまで存在していた都市の上に。

「本来なら貴様ら訓練生には知らされない事実だ。任官されてから貴様らに我が帝国軍の戦いの意味を知らせるために開示される情報だが、今、貴様らは実戦に配備されている。――と、着いたな」

 何の変哲も無い一つの扉の前に着くと、ロイド・カッツ大尉は端末をポケットにしまい、自身の持っていた拳銃とミリアナの持っていた小銃を交換した。彼女は大尉の装備を運搬していただけだったのだ。

「貴様らCCOは、地上に出たら全力で脇目も振らずハンガーを目指せ。通用口の緊急解除用コードは全員覚えているな?」

 チーム・アンジェリカの志願者六名が頷く。彼らのチームリーダーが指定した必要最低限の人数が六名であり、カッツ大尉がユリスタンとアイザックの三人で守れる最大限の人数だった。

「シュタンジット、ジュピタス。貴様らはアンジェリカの露払いだ。刻印弾をチェック」

 ユリスタンとアイザックは手早く小銃のマガジンを外し、弾倉の中身が対異種族戦用の刻印魔法弾頭であることを確認し、腰の予備マガジン二つも相互確認する。

 撃墜されたり、機体を捨てざるを得なくなったときに、白兵戦を強いられることも多い戦術科と打撃科の訓練生だからこその手慣れた所作。緊張で強張っているはずの手指が、度重なる訓練通りの動きをこなしてくれる。

「シュタンジット、スタンバイ」

「ジュピタス、スタンバイ」

「ラジャー」

 大尉がその瞬間、満足げに笑みを浮かべた。滅多に、いやはじめて見たであろう教官の柔らかな笑みに、虚を突かれぽかんとする二人の教え子。

 その笑みもすぐに消え、巌のような表情を引き締める。

「貴様らの目的はチーム・アンジェリカによってミストレスの魔法通信能力を起動、壊滅していると思われる基地魔法通信機能並びに管制能力を回復、反撃の情報支援を行なうことである。先頭はシュタンジット、三名を連れ先行。続いてジュピタス、同じく三名を連れて行け。俺は殿を務める」

 改めて告げられた作戦目標。ミリアナの具申し、カッツがディータの反対を押し切って決定した作戦。

 目の前の教官が、自身の相棒に告げた言葉がユリスタンの耳に残る。

 ――任せとけ。勲章を貰いに行ってくる。

 そう言って、次席教官の心配を振り切った主任教官の鋭い視線が、居並ぶ訓練生達を見回す。

 その度に一人一人の若者達の表情が引き締まっていく。脅えや緊張もあるが、何よりも落ち着いた教官が見せる大きな安心感が、彼ら一人一人の中に暖かいものを湧き起こさせる。

「我が帝国が異種族と戦い続けるのは、何も異種族が敵対的だからではない。たった十年だ。たった十年で環境をがらりと変えてしまうほどの力を、奴らは持っている。俺達の仲間、家族の暮らしていた痕跡は跡形も無く消え去ってしまう。それは俺達の文明の崩壊を意味する」

 都市がたった十年で密林と化する。異種族の真の脅威がそこにある。

「俺達はちっぽけな人間だ。だが、先輩達や先祖が積み上げてくれた技術と経験、そして自ら考える知恵を持っている」

 カッツは左拳を胸の前に突き出す。

「勝つ必要は無い!だが、生き抜く為に考えろ!戦え!抗え!」

 サー・イエッサー!

 訓練生全員が唱和。

「全員生き抜け。以上だ」

「気を付け!」

 反射的にユリスタンは号令を下していた。戦科、年度に関係なく、踵を鳴らし八名の訓練生は背筋を正し、カッツを注視する。

「カッツ大尉に敬礼!」

 指先をまっすぐ伸ばした右手を額に掲げる訓練生達の表情を、見たこともない厳しくも暖かい眼差しで一人一人見回しながら、ロイド・カッツ大尉は答礼し、おもむろに手を下ろす。それに合わせて訓練生達も姿勢を戻す。

「これより地上に出る。必ず作戦目標を達成し、生還しろ。行くぞ」

 カッツ自ら扉を開き、その先の暗がりにユリスタンを先頭に身を躍らせていく訓練生達。


 遠雷のような音。

 何度も何度も響くそれが耳を震わす。

 隔壁の向こうで度重なる爆発音。くぐもって聞こえるそれは、ぽっかりと空いてしまった大きな空間の壁と天井を何度も何度もしつこく揺らす。

 かれこれ何分たったのか分からない。

 分かっているのは、後部隔壁に激突した主翼の破片と、その前に置かれた黒いシートに覆われたさっきまで仲間だったもの。

 レクスとエリナが障壁魔法を展開した。しかし、その隙間を縫うように巨大な破片が自分目がけて飛んで来たのを、マリは覚えている。

 ちょうど隔壁の真ん中にいたマリ。いや、外に取り残されていたレクス達を連れ戻そうとしたため、そこにいた彼女。閉まり切る直前の隔壁の最後の隙間の真正面。

 爆発したイーグレットの主翼が浮き上がり、まるで狙い澄ましたかのように飛んできた。高速で回転しながら飛んで来るそれは、まるで断頭台の刃。

 信じられないくらいゆっくりとした感触をともなって、それを見ていたマリ。何一つ理解することが出来ず、ただ立ち尽くす。

 恐怖はない。その代わり何も考えられない。

 エリナ達の魔法に激突したことで、さらに勢いよく回転しながら振り下ろされるそれ。

 突然途切れるマリの記憶。金属同士が派手に激突する音が身体を震わせたと思ったら、床に叩き付けられていた彼女。ただ、呆然と天井の照明を数えていた。

 遅れて襲ってきた全身の痛み。思わず指先に力が入る。途端、指先からも返って来る痛み。そこで気付いた。

 生きてる。

 言葉に出来るほどはっきりした実感はない。ただ、身体が動く。それだけで充分だった。

 現状確認。咄嗟にその文字が頭に浮かんだのは、小隊長代理としての責任感か。それが何よりも優先された。

「みん……」

 仲間達に声をかけようとして、素早く格納庫内を見回した彼女の声が詰まった。隔壁を閉じる作業に従事していなかった整備員も、障壁を展開していなかった仲間達も飛んできた破片から身を守るために床に伏せていて、それに気付いた者は彼女のみ。

 黒いブーツと青い上下の戦闘服(BDU)。床のコンクリートに大の字に広がっているはずのそれは、大切なものが欠けていた。

 走った。衝動的だった。それで気付いた。破片が飛んできた時に自分がいた場所から、離れていたことを。

「よか……た……」

 マリの耳にその声が届いた。

 いつも不機嫌を示していたその顔は、こんな時に限って安心したように笑っていた。

 なんで?

 足りないのに。

 なんで?

 左腕と左脚が足りないのに。

 なんで?

 その答えを求めていた一瞬が過ぎて、彼女は気付いた。彼が全く動いていないことを。失った部分から、大切なものをどんどんこぼしていることを。

「いやあああああああっ!」

 喉に痛みが走る。

「だめだめだめだめ!」

 飛び付いていた。その傷口からとめどなく溢れる生温かい血に、手を突っ込んだ。

「まだだよ!」

 脇腹からこぼれていた、弾力のある白い帯状のものを掴んでいた。

 喚き散らしながら、掴んだものを傷口に押し込んでいた。指先に纏わりつくぬかるみ。生温かい弾力。背筋に纏わりつく怖気に衝き動かされていた彼女。

 時折、ぴくりと動く彼。そこにあるはずもない希望を見出し、笑みさえ浮かべる彼女。ほら、いつもの悪ふざけは終わりだよ。いつもの悪態を聞かせて。

 突然、カツキの身体が遠のいた。整備員達がマリを引き剥がしたのだ。

「やめて!カツキが!カツキが!」

 激しく抵抗する彼女を、大の男が四人がかりで押さえ付けなければいけなかった。

 やがて、カツキの遺体にシートがかけられ、レイがマリの頭を胸にかき抱くようにすると、ようやく大人しくなった。

 主を失ってぽっかりと空いた格納庫中央に、ただひとつ置かれた黒いシートを、マリは壁際に座ってじっと見つめる。

 何故自分が生きていて、彼が死んだのか。おかしかった。彼女が死ぬはずだった。冷静に考えればそうだったはずだ。それなのに彼女ではなく、背後にいたはずの彼があんな姿になった。

 背後にいたはずの?

 気付いてしまった。あの時、レクス達を連れ戻すために、彼はマリと一緒に動いていたはずだ。

 胸の奥、急激にせり上がって来る感触。指先が、肩が、膝が震えて言う事を聞かない。勝手に動いた口がこぼした音。

「そ……んな……」

「ん?」

 マリのこぼした音に返って来た反応。すぐ耳元で聞こえたそれ。熱く煮え滾った衝動がすうっと、冷やされていく。

 相棒の冷静に問いかけてくる声音。いつも、マリが熱くなったときに抑えてくれる安定剤のようなもの。

 取り乱し、混乱し、暴れまわったマリを優しく抱き締めながら、冷静に自分を見ている後席(CFO)

 いつもそうだ。マリはただ相棒と楽しく過ごせればいいと思っていた。だが、この相棒はいつもマリを冷静に眺めていた。いや、もっと直截に言えば、品定めをされていた。命を預けるに値する人間かと。

 それを感じた瞬間、マリのお腹がきゅっと締まった気がした。だって悔しいじゃないか。同い年の女の子に役立たず扱いされるの。

 少し力が入り過ぎている。それでも、これくらいなら充分な力を出せるはずだ。

 咳払い一つ。うっすらと口内に広がる鉄の香り。羽交い絞めにされたときに切ったか、それとも喚き散らしすぎたか。

「どうしたの?」

 レイの問いかけ。

 それには応えず、自分の姿を見る。青いBDUがどす黒く変色している。両手は甲も平も赤茶に染まっている。

 首に回されたレイの袖も変色している。

 どうやら、自分はまだこの相棒から見限られていないらしい。

 彼女は相棒の袖をぽんぽんと叩いた。

「レイ。ありがと……」

 ――まだ、見限ってくれてなくて……。

「ん?……大丈夫?」

 彼女の礼の意味を勘違いしているのだろう。それでも、それでいいと思った。

「うん。ごめんね」

「いえいえ」

 少し震えたレイの笑い声。そりゃ当然か。今は戦闘中だ。クソ鳥どもが暴れてる地響きは、今も聞こえてくる。不安も脅えもある。

「大丈夫か?」

 少し離れた壁際のナクルだった。その手には格納庫備え付けの非常用の自動小銃。見回すと整備員の何人かも持っている。だが、訓練生はナクルと、反対側の壁際で項垂れたレクスの右手を握り締めたエリナだけが持っていた。

 意外なことにナクルの隣には、床にへたり込んだリデル。呆然と精彩を欠いた表情で、何もない床を眺めている。

 これが今の第三訓練小隊。そして、指揮官はマリ・コルリー。ハヤトに預けられたそれは重く、しかし今はちょうどいいカンフル剤。一種の薬物と言ってもいい。

「ナクルもありがとう」

 ゆっくりと頭を擡げてきたものを自身の中に感じ、その感覚のままに立ち上がる。肩や背中、脚に痛みが走る。

 突き飛ばされたり、羽交い絞めにされたり、押さえ付けられたり、今日は格闘技の訓練日ではなかろうか。くだらないことを考えていると、身体は思いの外軽く動いてくれた。

 それでもまだ覚束ない足取りのまま、格納庫の真ん中に向かうマリ。

 辺りがざわつく。

 それを無視した。今は、そんなことはどうでもよかった。今すべきことは、彼に会うことだった。

 床にしゃがみ込み、黒い防水シートの端をまくり、目当てのものを見つけて、思わず笑みがこぼれる。

 何故なら、普段は眉間に皺を寄せて不機嫌を顕わにあたり構わずガンつけていた彼の顔は、目尻が下がり、ほっとしたように微かな笑みさえ浮かべていたからだ。

 たぶん、初めて見たんだと思う。イライラしてたり、睨みつけたり、むすっとしたり、かと思ったらぶっきら棒だったり、そういうのはたくさん見た。でも、こんな嬉しそうに笑ってる姿を見たのは初めてだった。

 頬についた血飛沫を拭ってあげる。朱を差した頬は、少し生気を取り戻したようで、それがカツキらしいと思った彼女は満足した。

 そして、こみ上げてくる思い。

「あんたがどうしてあんなことしたのか分かんないけど」

 自分の命を救ったのはカツキだ。それは間違いない。何故か分からない。

 でも、彼の嬉しそうな笑みに全てが込められてる気がした。

 カツキは、マリを助けたくて助けたんだ。

 そんな相手に礼をする手段が、他に思いつかないマリの両手がカツキの両頬にそっと添えられる。

「ありがとう。……ごめんね」

 震える唇が、冷たい額に触れる。

 去年の冬、彼女の実家に来た彼との数日間。世間知らずのお坊ちゃんだと初めて知り、ここぞとばかりに連れ回した。不平不満を口にしつつも付いて来てくれた男の子。

 バラバラになった展示飛行小隊をまとめようとしてくれた。乱闘の時には真っ先に飛び込んで来てくれた仲間。

 サボりたがりで面倒くさがりだけど、仲間のためについつい頭に血が上っちゃう。そして貧乏くじを引き続けて不良扱いされちゃったんだろう熱血漢。

 透明な雫が二つ、カツキの目元に落ちる。

「ばいばい。愛してるよ」

 別れを告げ、目元を拭い、シートを元に戻す。

 顔を上げると、リューデロイ曹長がすぐそばにいた。他の整備小隊の人達がほっとしたような表情を浮かべている。

「お別れは終わったか?」

 問いかけてきたのはリューデロイ。

 両足でしっかりと立ち上がり、敬礼するマリ。

「申し訳ございませんでした。マリ・コルリー、第三訓練小隊長代理の任に戻ります」

「さっそくだが、状況を確認する。いいな?」

「はい」

「現在、この格納庫からの魔法通信は全て不通だ。電信は、もともと格納庫外とのやり取りを前提としていないんでな、一応試してみたが、無駄だった」

「バッテリーは?」

 腕時計を見ながらのマリの問い。襲撃から四十五分が経過している。そんなに長い間、わたしは使い物にならなかったのか、と愕然としながらも曹長との話を続けた。

「まだ充分ある」

「しかし、長期戦を見越して無闇に使うわけにはいかない、ですね」

 リューデロイは苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。

 空爆を受けた場合、空軍はいくつかの規定を設けている。まず、篭城戦への移行。対魔法防御能力を有する施設に篭り、防御を固め、援軍の到着を待つ。その為の歩兵装備、食料、携帯無線機等の備えが義務付けられている。

「ああ、それと俺達整備科は有事の際には航空部門か警務科の指揮下に入ることになっている。いきなりで悪いんだが……」

 整備員は基本的な装備の取り扱いは出来る。しかし、集団戦闘の訓練を受けていない。その為、現状、リューデロイ達整備員はマリ達戦術科の指揮下に入らなければいけない。

 つまり、マリがこの場の指揮を執らなければいけないのだ。

「いえ。、曹長達の経験があったからこそ、わたしがポンコツでもここまでみんな生き残れてるんです。皆さんの助力よろしくお願いします」

 それなのに、若輩者のマリに気を遣ってくれている整備員達を無碍にする選択は、マリにあるはずがなかった。

「そうか。よろしくな」

「はい」

「隊長。さっそくですが、状況を説明します」

 聞き慣れた甘ったるい声音が、きちっとした発音をともなって届く。戦闘機動中の相棒の話し方だ。

「魔法通信の不通の原因ですが、エリナが単独で高高度俯瞰探査魔法(サテライト)を実施。第三滑走路管制塔(サードタワー)の崩壊を確認しています。ヴォンデルランドの全管制塔(タワー)が破壊されていると考えるべきです」

 さすがのエリナでもその程度の情報しか手に入らないか。ちらりと壁際のエリナを見やる。申し訳ないと言うように首を振る四番機CFO。

「敵の数は?」

「エリナの観測で千五百」

「うじゃうじゃね」

「だが、そうでもねえ」

 割り込んできたリューデロイ曹長。

「どういうことですか?」

「実は、練習機ハンガー(ここ)と南の三年度課程(ブルーレイディ)ハンガー周辺には敵は僅かなんだそうだ」

「どういうことですか?」

「その代わり、ハンガー前の駐機場(エプロン)には多数の残骸があります」

 つまり、ハンガー内に機体が少ないと予想される格納庫は攻撃を受けていない、ということか。

「南格納庫は煙が少し上がってるのを、監視窓から確認した奴がいる。だが、それだけだ。一番攻撃が激しいのは、四年度課程(VF099)ハンガーだ。バカスカぶっ放されてる」

 管制塔の破壊。エプロン上の機体の破壊、最も機体数が多くしかも戦闘配備中だった格納庫に対する集中攻撃。

「それはつまり、敵には攻撃優先度が規定されている?」

 知性は持つが、組織的な作戦や集団戦闘を行なわないと言われてきた異種族の行動として、それは異常な事態だった。

「奴らは基本的には大挙して押し寄せて来て、大暴れするだけではないんですか?」

「ああ、俺達もこんなの初めて見たし、聞いた」

 整備員は航空戦力が出撃したあと、暇を持て余しているわけではない。戦闘を終えて戻って来たり、再度出撃する機体のために、常に戦況を把握し、損害状況への対応を準備しているのだ。ゆえに、勤続三十年のベテランにとっても初めてと言われる現象には、マリも動揺を禁じえない。

「それに、この奇襲をするために相当な陽動もあったはずだ」

「陽動?……まさか?」

 思い出した。VF209のスクランブル。

「まさか、あれですか?」

「そうでなきゃ、ナインラントの防空群を抜けるなんて不可能だろう」

 ヴォンデルランドのあるナインラント島には、六の早期警戒魔法レーダーサイトを擁する警戒群と、対空ミサイルを擁する防空群が二つある。防空群のひとつは、ヴォンデルランドに属する。この海上と空を監視する目と、それを撃破する力があるのにすり抜けられたということは、大きな目くらましがあったと考えるべきだというのは、マリも納得せざるを得ない。

「グリフィンがそこまで戦術を理解している?」

「当たり前だよ」

 唐突な声。一瞬誰のものかマリは分からなかった。

 壁際に座り込んだままのレクスが項垂れたまま姿勢でいるのが、マリの目に入った。

「みんな勘違いだよ。鳥人(バーズ)は別に知性が無いわけじゃない」

 言葉を発しているのはレクス。だが、顔を見せない彼の声は酷くざらついて耳障りで、聞く者を不快にさせる。

「レクス。何の話だ」

 レイやエリナも含めて怪訝な表情でレクスのことを窺っていた中、ナクルだけはしっかりとした声で問いかけた。相棒が戦死した直後だと言うのに、全くもって冷静。

 苦いものがこみ上げてくるマリ。

 慌ててかぶりを振る。いけない。ナクルが冷静でいるのは現状では正しいことだ。それを非難してはいけない。

「奇襲と陽動でしょ?数だけでごり押しするのが、彼らの戦いだって思ってるんでしょ?」

「そうだよ。じゃあ、レクスはどう考えてるの?」

 ナクルに倣い、姿勢を正して真っ直ぐにレクスを見て問いかけたマリ。なんとか黒い感情を抑え込む。

 すぐには答えないレクス。何度も爆発音が木霊するなか、その沈黙は痛みすらともなう。

 焦れたマリが、リューデロイとレイを伴なってレクスの元へ向かうと決めた時、びくりと硬直してしまう彼女の身体。中途半端に左足を踏み出したままで固まった彼女に、怪訝な視線を投げかけるレイ。

 そのマリの視線を追って、レイもそしてリューデロイまでも息を呑む。

 まるで死人に出遭ったみたいな顔。それがマリの感想だった。虚ろな目に生気はなく、いつも喜怒哀楽を惜しげもなく表すはずの顔には、能面のような虚無がこびり付いている。

「……人間が手引きをしている……」

 静寂に落とされたひび割れた不快な音は、最悪の威力を持っていた。

「――え?」

「人間が手引きしてるんだよ」

「バカな」

 アレク・スンナ軍曹の罵声が聞こえる。

 まったくもってその通りだ。人類にとって異種族は脅威だ。魔法戦闘機という強力な兵器を持ってさえ、毎年多くの搭乗員が戦死している。そんな奴らを手引きするなんて……。

 だが、レクスの言葉が彼女の中で意味を成したとき、それは言い知れない冷気を伴なった。

「その根拠は?」

「ナクル、本気にしてるの?」

 レクスに問いかけたナクルに、反射的に噛み付くマリ。そんなマリにナクルは眼鏡の奥の視線を細める。

「お前は仲間を信じないのか?」

「そういう意味じゃない」

 冷静なナクルに、強く反駁するマリ。

「じゃ、どういう意味だ?」

 抑えていたものが一瞬漏れる感触。いつも通りのナクルの姿が、酷く鬱陶しい。

「ふざけるな。今は、戦闘中だ。遊びの犯人探しはあとでやれ!」

 ナクルが僅かに目を見開き、背後のレイが身体を強張らせたのを感じた。

 違う。わたしが言いたいのはそういうことじゃない。慌てて、黒い物を押し込める。

「ごめん……。ただ、わたしはここの指揮官だ。それ以上、その話題を口にすることは許せない。分かった?」

 固い口調は予想外だったのか、ナクルが渋々と頷いた。

「エリナ、レクスもだ。分かった?」

 エリナは目を小さく伏せただけだが、了承した。

 だが、レクスは応えない。ただ呆然と目の前の床を見つめ、ぶつぶつと呟いている。

 悪寒が走る。それから逃げ出したくて、衝動的に飛び出していた。気付いたら、レクスの胸倉を掴んでいた。

「どうした、レクス・キャロイ。返事しろ」

 そうしてしまってから、傍らにエリナがいたことを思い出したマリ。今までと別の恐怖を感じた。

「レクス。応えて。あなたのためなの」

 そこには必死に相棒を説得しようとするエリナがいた。その言葉で分かる。彼女もマリと同じことに気付いてしまったのだと。

 ざわつく空気。だが、遅れて気付いたのか、リューデロイ曹長やレイが周りを沈静化させている。

 レクスの反応が無い。もう一度怒鳴りつけようとしたとき、掴みあげた決して大きいとはいえない身体が小刻みに震えていることに気付いた。その目はこぼれ落ちんばかりに見開かれ、床の一点を凝視している。

「ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな……」

 延々と繰り返される呪詛。呆気に取られるマリ。彼が一体何を見ているのか、マリには分からなかった。

「レクス。ね、お願い。返事して。レクス」

 子供をあやすように声をかけるエリナ。

 不意に湧き起こる奇妙な感触。

 なんでこんなにエリナはいつも通り(・・・・・)なんだろう。

 いつも通りレクスを心配し、いつも通りレクスを庇う。マリ自身は事態を好転させようと必死なのに、どうしてこんなにいつも通りなんだろう。

 そんな姿が、何故だか……不快だ。

 二人を、水槽のガラス越しに眺めているような感覚がして、指先から力が抜けていく。レクスはそのままずるりと床に座り込んだ。

 マリは思った。

 ここにあるのは別世界だ。

 突然響きわたる笑い声。さきほどまでの不快感を煽る声以上に、気持ち悪いそれにマリはゆっくり振り返った。

 睨み付けたマリを意に介さず、リデルは腹を抱えて床で笑い転げていた。さらさらの金髪を振り乱し、全身を捩じらせるその姿は異常。壊れたラジオのような狂った音程が格納庫内を満たす。

「そいつを黙らせろ」

 リューデロイが、整備帽を弄りながら面倒くさそうに指示を出す。

「こういう奴も出る」

 さすがに経験が違う。この状況下でも動じない。マリは小さく目礼で返した。

 ナクルと何人かの整備員がリデルに掴みかかったのだが、その手は思わぬ強さと意思で振り払われた。

 それどころか、今まで床に座り込んでいたとは思えないほど滑らかな動作で立ち上がる。

「さすがのマリでも、恐いんだ?」

 こいつの発する言葉は、時々どうしてこんなに毒々しいのだろうか。

 端正な顔を歪め、彼女を嘲笑う同僚をマリは気持ち悪いと感じた。いつも何を考えているのか分からないが、今はそれが酷い。

「航空総隊が恐いんだ?」

 マリは無言でつかつかと歩み寄る。その迫力にリデルを押さえ付けようとしていた男達は、みな一様に道を開けてしまう。

 瞬間、気持ち悪い笑顔が吹き飛んで壁に盛大に打ち付けられる。

「黙って、気持ち悪いから」

 吐き捨てるマリ。

「おい。お嬢ちゃん」

「マリ……」

 リューデロイとナクルが、非難するような目を向けて来る。

「なに?」

 問いかけられても、ナクルはじっと見つめ返すだけだった。

 振り返るとレイの冷たい視線と出逢った。見回すと、レクスがエリナに縋り付いているのが見えた。整備員達はなんともいえない表情でマリを見ていた。

 なんでみんな、こんなに落ち着いてるの?

 見えない何かが眼前にある感触。自分が吸ってる空気と、目の前の人達の吸ってる空気が違うような気がする。自分が傷付いているのに、自宅のペットがしつこく纏わり付いてくるのが鬱陶しく感じる瞬間。

 どうでもよくなっていた。

 この状況がどうでもよくなってしまった。

 だから、続いて飛び出したリデルの言葉さえ遮ろうとしなかった。

「グリフィンを手引きしたの、帝国の高位の魔法師だよね」

 凍りつく空気。それを傍観するマリ。

「ごり押ししか出来ないグリフィンに陽動や奇襲を教える実力があって、しかも今日が受領式だって知ってるんだから」

 漠然とした不安のような感覚。その結論は、リデルの言ったとおりだった。それがはっきり言葉にされて動けない。ただ一人を除いて……。

「根拠はあるんだろうな?」

 非常に珍しいことだった。それは低いながら、怒りに煮え滾る震えをともなっていた。マリの目に、ナクルが携えていた自動小銃のグリップを握り直すのが見えた。

 それが妙に不思議に思え、視線が吸い寄せられる。

「あるよ」

 平然とへらへら笑うリデル。

「考えたんだけど、なんでジャヴァウォック以外の異種族って無知なんだと思われてるんだろうね?答えは簡単。短命だからじゃないか」

 対応が遅れてリデルの言を最後まで聞いて、皆が首を傾げる中、ナクルだけは違った。

「つまり、短命だから専門的な知識の蓄積が行なわれない。結果、文化や文明の発展が見られないということか。いや、奴らが単体で高い戦闘力を持っているから、技術や制度に対して必要性を感じないってのも原因か」

「さすが博学だね、ナクル君」

「お前に誉められても嬉しくない」

 言い切ると、ナクルは銃口をぴたと向け、コッキングハンドルを左手で引き初弾を装填した。

「マリ。こいつは排除すべきだ」

 不思議な言葉だった。どうしてそんな攻撃的な態度を取りながら、彼は淡々と言葉を発するのだろう。

「こいつの刹那的な感性は、この状況では危険だ」

 小さく悲鳴が聞こえた。レクスがエリナにさらにしがみ付いていた。それを抱き寄せるエリナが、マリに何かを訴えてきている。

「コルリー……」

「まずいぞ……」

 リューデロイ達が何事か呟いている。その意味が、彼女には分からない。

「まるで管理部だね?ナクルはそういう人だったのか?」

 リデルの問いかけに、ナクルは鼻で笑う。だが、その目は笑ってない。いや、今にも仲間であるはずのリデルを射殺そうとしている。

 違う。撃ち殺そうとしている。

 リデルの発言に辺りに動揺が走る最中、マリが感じたのはまるで別のことだった。

「くだらない噂だな。実在するかどうか怪しいものよりも、目の前の脅威を優先的に排除すべきだ」

 マリも知っている。航空総隊管理部。帝国空軍司令部に存在するその部署は、ありとあらゆることを(・・・・・・・・・・)管理すると言われている。情報、予算、人事、兵員の思想、生殺与奪。しかも、その権限は陸海軍に及ぶという。

 一種の都市伝説。だが、マリの父や兄がふとしたときにその名前を口にして、決まって末っ子(マリ)の顔を見て気まずそうにするのを見ていた。

 漠然とそんなことを思い出していた彼女を襲ったのは、目に見えない力。

「管理部なんてクソ食らえだっ!」

 広大な格納庫を震わす勢いで放たれた怒声は、マリの中にあった色々な疑問を容赦なく薙ぎ払った。

「俺は相棒の意志を継ぐ!」

 銃口をぶれさせることなく、眼鏡の奥から冷たく鋭い視線を放ちながら、発せられるのは熱い何か。

「カツキが守りたかったものを、俺は守る」

 いくぶん勢いが収まったが、そこに秘められたものを、マリはいくらでも感じ取ることが出来た。ぐっと胸を締め付けるような痛み。カツキの亡骸を見たときに、自分は何を思ったんだ。

「レクスは何も悪くない。それなのに凹んだレクスを心配して、自分の失敗のことで凹むことの出来ない、そんな仲間達も俺は守る」

 エリナが驚いたようにナクルを見上げる。

「そして、俺が守りたいものは……」

 初めてその視線が動いた。

 え?

 すぐ脇を抜けた視線に驚くマリ。レイがそこにいるはずだ。真摯に大柄な青年の背中を見つめている気配。

 一度瞬きし、再びリデルを見据えるナクル。

「――俺の手で守る。それ以外、関係無い」

 その言葉に促がされるように周りを見回すマリ。成り行きを黙って見守っている整備員達。いつも色んな話を聞かせてくれたし、厳しくも暖かい兄貴達。

 エリナにしがみ付くレクスと、子を守るように必死に抱き寄せ、ナクル達を見つめるエリナ。いつも冷静な彼女が、涙をこぼしている。殺人機械なんて揶揄されているが、マリと何も変わらない普通の女の子。

 ナクルを見つめるレイ。いつの間に、と思うが、それ以上に本気の彼女の姿が、マリに相棒を取られた寂しさ以上に嬉しさをもたらしている。

 横たわりシートをかけられたカツキ。

 そうだ。守りたかったから守ったんだ。その為に戦ってるんだ。

 そうだ。その為なら心だって殺せるんだ。

 レクスやエリナ、整備のみんなはその経験から。レイはよく分からないけど、ナクルはその豊富な知識から、その手段を選択しているんだ。

「いつも冷静なナクル君とは思えないね」

「そうかな?」

 安い挑発にもぶれない銃口。

 そうだ。ナクルは冷静だ。そして、彼はマリに言っているのだ。

 不安に苛まれるのではなく、激情に駆られるのでもなく、逃げ出すのでもなく、冷たく熱い炎をその身に燃やせと。

 その覚悟を感じたのか、リデルが口を噤んだ。

「リデル」

 マリの口が動いた。

 リデルが何を考えてるのか分からない。彼自身のこともほとんど分からない。だが、これは必要なことだ。

 分からない?一瞬、愕然とした。彼女はリデルのことをあまりにも知らなかったことに気付いた。小隊での日々が騒がしすぎて気にも留めていなかったのか、このさらさら金髪の優男がどんな風に育って、どうして軍にいるのか、さっぱり分からなかった。

 喪失感に似たそれを振り払い、マリは告げた。

「今後一切の言動を許さない。ナクル、スンダ軍曹……」

「待って」

 立ち上がったのは、目元を真っ赤に腫らして美人が台無しのエリナだった。

「お願い。それはやめて」

 遮られて、一瞬苛つくマリ。予想外のエリナの行動は目障りに感じた。

「レクスが悲しむわ」

 その一言に、マリは息を呑み。そして、深く深呼吸した。

 本当に、この子、尊敬するわ。

 自分に縋り付くだけの弱い男のために、寸分も揺らぐことなく立ち上がる。自身も戦って傷付いているはずなのに。この子は、レクスのために世界と戦えるんじゃないだろうか。

 自然と笑みが浮かぶ。エリナたちを安心させたかった。

「大丈夫だよ。レクスは悪くない。それにみんなが生き残るには必要なの」

「でも……」

 レクスのためとはいえ、小隊がバラバラになるのを避けようと必死な姿。カツキもレクスも守りたいのは、そういうことなんだろう。

「ごめんね、エリナ。でも、今は私がそうするしかないの」

 レクスのせいでも、カツキのせいでもない。指揮をいっときでも放棄してしまったマリが悪いのだ。そう思い、謝罪を口にしていた。

 エリナの綺麗な空色の瞳から、涙がこぼれ落ちる。

「何言ってんの?レクスのせいに決まってんじゃん」

 唐突な絶叫。続く鈍い音。

 ナクルが銃床でリデルを殴りつける。

 床に倒れながらも抵抗しようとするリデルの右腕を、自らの左脚で絡めて拘束すると、膝を喉に押し付け、銃口を真っ赤な血を吹き出す鼻先に突き付ける。恐ろしいほどの手際。

 一瞬、唖然とするマリ。

「マリ。命令を」

 淡々とした声に引き戻されるマリ。

 ナクルの親指がセレクターを安全装置(SAFETY)から単発射撃(SEMI AUTO)に切り替える。つまり、殺せと言っている。殴られ、右腕を極められ、喉を押し潰されてもがき苦しむリデルを。

「おい。リンデルやめろ」

「何してんだ」

 咄嗟に判断できなかったマリを代弁するように、整備員達から声が出る。

 だが、銃口はぶれない。

「やめなさい」

「ナクル、やめて!お願い!」

 マリの命令にかぶさるように、縋るように訴えるエリナ。

 だが、それをちらりと見るだけのナクル。

「俺は、結構お前達が好きなんだよ。いや、尊敬してるって言っていい。それを侮辱されたんだ。俺はこいつを赦せないよ」

「エリナ……」

 か細い声。弾かれるように駆け寄るエリナ。その腰に顔を埋めるレクス。弱弱しく幼児退行したような姿に、マリの胸に痛みが走る。

 ナクルも眉間に皺を刻み、苦しげに呻いた。

「エリナ。レクスを頼む」

 引き金に力が込められる。

「待て」

「やめろ」

「お願い!やめて!」

 次々と飛び交う罵声の嵐に、途方に暮れるマリ。どうしたらいい。何が出来る。誰を救えばいい。何を守ればいい。

 リデルを拘束すればいい。そう軽く考えていた。だが、それ以上の害悪だとナクルが判断し、おそらく沈黙を保っているレイも同じだ。

 でもそうしたら、レクスはさらに傷付く。それを許せというのか。そんなことしたら、今度こそこの部隊は駄目になるんじゃないか。

 そもそも、仲間を殺すなんて選択肢はマリは選べない。

 そんな中、沁み込むように辺りに伝わったのは、静かな問いかけ。

「ねえ?この状況が悪いのよね?」

 弾かれたように声の主を見た。レイとナクルも、その場の誰もが顔を向けていた。小さいはずなのに、その問いかけには途轍もない何かを感じたからだ。

 澄み切った空色の瞳を輝かせ、白い相貌が微笑を浮かべた。

「なら、私が終わらせるわ」

 な、なにを……?頭では分かっているはずなのに、その結論を心が拒否したマリと違い、いち早く反応するナクル。

「バカ言うな。出来るわけが無い。生身でヘリを相手にするようなものだぞ。ここは一致団結して格納庫を死守すべきだ」

「でもね……」

 鳥肌が立った。抱き締めたレクスの黒髪を優しくあやすように撫でている。その仕草はまるで我が子に命をかける母親のそれ。慈愛に満ちたそれは日常では微笑ましく、しかし戦場では異常なもの。

「早くしないと、みんな傷付くの。そうなるとね、レクスが悲しむの。レクスは、私なんかと違って、みんなのことが大好きなのよ」

 初めて見た。こんな綺麗な笑顔を、マリは生涯で一度も見たこと無い。思いやりに溢れ、暖かく、柔らかく、そして秘めたものは熱く芯が通っている。こんなものがあるなんて彼女は知らなかった。

 それなのに、感動しているはずなのに、マリを襲うのは絶望。

「だから、私は出る。安心して、プランはあるわ」

 エリナの言葉なんてどうでもよかった。それよりも、誰のどんな制止も彼女には通用しないことを感じ取っていた。

 自分の指揮が拙かったからだ。はっきりと突き付けられた現実。中途半端な自分が招いた結末。

 ただ、それでも知りたかった。

「どうして……?」

 どうして、そこまで命を賭けられるの?

 口には出切らなかった問いかけを全て理解したのか、笑みを深くするエリナ。

「魔術航法士官は、唯一最期の瞬間まで戦術魔法師の味方だから」

 衝撃。マリが感じたのは、それ。前席後席(コクピット)は一心同体。相棒。比翼の要。様々な表現がされるそれ。

 だけれど、マリは今ひとつ実感を伴なわなかった。

 だが、エリナの言葉には全てが詰め込まれていた。パイロットとCFOはひとたび戦場にあっては、撃墜されるその瞬間まで互いを守り通さなければならない。その一瞬まで、決して切り離されない唯一絶対の味方なのだ。

 エリナはそれを既に理解していた。

「俺は……」

 呻くように漏れ出したのは、ナクルの声。

「俺は、あの、バカを……、守れ……、なかった」

 眼鏡の奥からボロボロと涙をこぼしながら、嗚咽混じりの本音。

 拘束が緩み、抜け出し咳き込み始めるリデル。

 それを見て、エリナは小さく頷く。

「違うわ。今もナクルはカツキの味方でしょ。だから、私にもレクスの味方でいさせて」

 ナクルの自動小銃から力が抜けた。奥歯を噛み締め、震える指で安全装置をかけ、マガジンを抜き、コッキングハンドルを二回引いて銃弾を排出する。そして、全てを放り出してへたり込む。

「っざっけんなよ!」

 可愛らしい声が台無しの罵声に、エリナは小さく瞬いただけ。

「あんた独りで何が出来るの?うちらの次席だからって、ただの人間じゃん。調子乗ってんの?んな奴、化物に捻り潰されて終わりじゃん。あんた、カッコつけて死ぬつもり?今の状況なら、そこのクソヤロウを捨てれば落ち着くんだよ。あんたのしようとしてる事で苦しむ人間だっているんだよ。分かってんの?」

 毛を逆立てた猫の形相。それでいて、理路整然とエリナを責め立てる。

 だけど、エリナはレクスの髪を撫でるのをやめない。

「出来ることと出来ないことがあるわ。私は隊を率いることは出来ない。でも、独りなら他の誰にも出来ないことが出来るの。可能性があるなら、私は戦える」

「あんた、バッカじゃないの?」

「ええ。バカよ。あなたのお父さんに、全ての責任を押し付けるような大バカよ」

 びくんとレイの身体が震え、俯いていたナクルが振り返る。

 マリにはその意味が分からなかった。彼女はそれどころではなかった。エリナが口にしているのは遺言なのだ。自分は守れないのだ。小隊の仲間を守れないのだと、ようやく守るということの意味を分かり始めたのに、エリナの優しい言葉ひとつひとつが痛みを伴なった容赦の無い現実を刻み付けてくる。

「マリ。いい隊長になって」

 それなのにエリナは、マリを救おうとしている。

「強くて、真面目で、面倒見がいいんだもん。それにみんなから愛される。素晴らしい才能だわ。隊を全滅させたし、そこから逃げ出した私とは大違い。だから、次は負けないで」

 立っているのが無理だった。もう限界。

 訳が分からなかった。エリナの言ってることも、その覚悟も。全部がぐちゃぐちゃになってマリの頭はパンクしそうだった。そのくせ、胸の中にはぽっかりと大きな穴が空いてしまった。

「いいのかい?」

 問いかけたリデルに、意外にも素っ気無く返答するエリナ。

「知らないわ。私は私のしたいことをするだけ。それよりも、これでみんなを許してあげて欲しいの」

「この男のことはいいのかい?」

「私にも身に覚えがあるわ。でも、あなたがいなくなったら、カルランザ小隊じゃないわ」

「……。君の口からそんな言葉が出るとは思わなかったよ」

「……、レクスの……、それがこの子の望みよ。だからね?」

「約束できないよ」

「珍しい。嘘つきのあなたがそんなこと言うなんて」

 リデルが息を呑み、エリナが柔らかく微笑む気配。

 レクスのため、とエリナは言った。だが、そんなエリナはみんなに心からの言葉を投げかけた。まるで聖母。レクス以外に興味を持たなかったはずの彼女は、今あまりにも残酷に輝いていた。

「それでは、エリナ・フルセクター、敵に対し……」

「……エリナ……」

 遮ったのは、彼女の腹に顔を埋めていたレクス。涙に濡れた顔がエリナを見上げ、両手が彼女に向かって差し出される。母親に抱っこを強請る幼子のそれ。

 何を今更……。やるせない気持ちが、苛立ちとなって冷たい感情がマリを苛む。

 エリナはそっと駄々っ子を抱き上げた。

「レ……っ!」

 文句の一つも言ってやろうとしたマリは、息を呑んだ。

 エリナの肩越しに合ったレクスの目。薄茶色の瞳に宿る、見たことも無い光に戦慄するマリ。

 予想外の力で抱き締められたのか、身体を震わせるエリナ。

 さらに信じられないことが起きた。エリナの首筋で、レクスが口を開いたのだ。まるで吸血鬼の吸血衝動のよう。

 一瞬の間を置いて、彼はエリナのBDUの襟首に噛み付いた。見開かれた目。震える頬肉。奥歯を噛み砕きそうなくらい力強く。必死の形相。沈黙が支配する格納庫に響く、飢えた獣じみた荒々しい息遣い。

 マリはさらに深い絶望に打ちひしがれた。

 カツキとエリナだけじゃない。

 十数秒も相棒をきつく抱き締めていたレクスは、ようやく彼女を解放し、自らの両足でしっかりと立っていた。

 二人だけじゃない。レクスもだ。

 レクスの瞳に宿る確かな光。紡がれるはっきりとした言葉。

「僕も行くよ」

 ぱっと花が咲いたような笑顔を見せるエリナ。

 わたしのせいで三人を守れなかった。

 マリは冷たい床にへたり込んだ。

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