第十四話 退避
そういえば書き忘れていました。
この第三章は、多少残酷なシーンがあります。ご容赦下さい。
「対群戦闘に肝要なのは一撃離脱だ。それもブルーレイディの速度を生かした、高速の一撃を繰り返し行なう。これはグリフィンやユニコーンが、対空戦闘能力が限られているからだ。音速に近い対空目標を狙い撃つ事は困難だ。我が軍は破片効果弾頭や二十ミリ機関砲の広域モードを利用して、度重なる一撃離脱を行ない敵の数を削り続けることで敵に勝利する。
不用意な接近は厳に慎め。確かに敵は、単体ではブルーレイディの敵ではない。だが、奴らには物量がある。誘い込まれ弾幕を張られれば、たとえブルーレイディであってもひとたまりもないだろう。
また、生身での遭遇についても考えるべきだろう。
たとえば、駐機場での機上点検中に襲撃があったとしよう。滅多に無いことだが、我が帝国以外の人類国家では決して無いとは言い切れないからな。その場合の交戦規定は二つだ」
人差し指を立てるシャル・ディータ教官。
「まず、機体を捨てろ。地上滑走中の機体なぞ、ただの動く的だ」
立てられる中指。
「そして、どんなに無様でも生き残れ」
ユリスタンは、ヴォンデルランドの全施設を周回する環状鉄道のホームにいた。相棒のアイザック、ロイド・カッツ大尉、シャル・ディータ中尉を伴なって戦術科格納庫に戻るところだ。
そこに他の科の訓練生十数人が入って来る。ちらりと見知った顔を見かけたユリスタンだったが、互いの会話に盛り上がっている訓練生達に割り込むのは遠慮していた。
「お久しぶりです。お兄さま」
だが、妹のミリアナはそうではないようだった。
「ミリィ。いいのか?」
くりくりと丸い愛らしい目で見上げて来る妹は朗らかな笑顔だったが、妹の仲間達が気がかりのユリスタン。
「お兄さまに会ったのに挨拶もしないなんて、私はそんなに躾のなっていない妹ですか?」
そんなことはない。とてもよく出来た妹だ。
「おお。ミリアナさんか。久しぶりだね」
「はい。アイザックさんもお元気そうで」
アイザックが気付き、教官達も小柄な少女に気付く。ユリスタンやアイザックに対するのとは違って、教官達とびしっと敬礼を交わす妹に、兄の頬は少し緩む。
「伝視科の魔術通信士官が一チーム揃ってるな。どうしたんだ?」
カッツ大尉はすかさず疑問を口にした。
「はっ。先ほどカトリーヌに出撃命令が下り、私達チーム・アンジェリカに待機命令が出ました。これから待機所に向かうところであります」
ミリアナの報告に気付いて、伝視科のCOO達が寄って来て教官達に敬礼する。ミリアナを含めて十五名。戦術科と違い、伝視科、特に早期警戒管制機課程の教育は年度を跨いだチーム単位で行なわれる。二年度課程以上の訓練生で編成され、教育の初期から実戦での出撃も想定されている。
六チームが編成され、四機のラピスミストレスの待機と訓練に従事している。
そうした事情をユリスタンも当然承知していたが、自分がまだ就いていない実戦を前提とした待機任務に、妹が就くことを誇らしく思うとともに、状況によっては危険を伴なうことに心配が無いわけではない。
「そんな顔しないで下さい、お兄さま」
ほとんど表情が変わらないはずの変化を、妹は確実に汲み取って天使のような笑みを浮かべる。
「出撃することはあっても、アンジェリカではもう二回目です。私達のことは多くのブルーレイディ達が守ってくださいますから、とても安全なんですよ」
「おお、リアが生意気な口叩いてるぞ」
女性CCOの一人が突然ミリアナの首に腕を回し、じゃれ合いを始める。
「やめてください」
「なんだと?上官に楯突くのか?リアのくせに、生意気だぞ」
「お兄さまがいるんです」
「このブラコンめ。イケメンお兄さまといちゃいちゃしすぎだ」
「な、ななな、何を言ってんですか?」
「うわあ。お兄さまの前だとなんでこんなに初心なんだ」
「わ、わけわかりません」
「畜生。少しはオレにもそれを分けろ」
「意味分かりません。ムリです」
「そのカワイイ成分よこせ」
「いいいやああ」
目の前にいたユリスタンは、途中からその光景を視界から外した。妹の名誉のために。
チームの面々は二人のじゃれ合いを囃し立てているだけで、妹を助けようともしない。これが日常なのだろうか。
「イケメンお兄さま、だそうですよ」
「ブラコンとシスコンか……。まさか。禁断の?」
「あら?そうなるとコルリーはどうなるのかしら?」
背後には相棒と教官達。思わず轢きつる頬。
「訓練生を出撃させるってことは、戦況は悪いんですか?」
にやりと笑うカッツ大尉。自分で問いかけておいてなんだが、さすがのユリスタンもその悪い顔には心持ち仰け反ってしまう。
「妹が心配か?」
「ええ、まあ……」
チーム・アンジェリカは少し離れた座席で、軽い打ち合わせのようなものを行なっている。ミリアナを含めた二年は先輩達の話を真剣に聞いているようだ。
伝視科が使うのは第一滑走路で、彼らが列車に乗った教育棟群からは、ヴォンデルランド湖の正反対に位置する。しかし環状鉄道は東回りの単線であるため、ユリスタン達も同じ車内にいた。
「戦場に出る以上は危険は付き物だな」
やはり。早期警戒管制機が戦闘空域に進入することはないとはいえ、戦場であることに変わりは無い。
「いて」
「ロイド。あなたは何故、そう教え子を不安にさせるの」
カッツ大尉の後頭部を小突いたのはディータ中尉。
「いや、シュタンジットの凹んでるところなんてレアだろ?」
「あなたは……。ごめんなさいね。けど、心配はいらないわ」
カッツに向けていた呆れ顔を、苦笑に変える。
「カテリーナの出撃は、おそらく今現場にいるミストレスの交代のせいだと思うわ。別の正規部隊のミストレスも向かっているはずよ。その機体が戦闘の管制に集中している間に、カテリーナは周辺の警戒に就くんじゃないかしら。つまり、訓練生に経験を積ませるための命令ってこと。アンジェリカも同じよ」
珍しく柔らかい口調で語って聞かせるように言うディータの気遣いに、少し気が楽になったユリスタン。
「だいたい貴様ら、我が帝国空軍が最初のスクランブルからたった一時間ちょっとで、訓練生を投入しなきゃいけないほど打撃を受けると思っていたのか?」
「滅相もございません」
カッツの嗜虐的な笑みに、慌てて背筋を伸ばすユリスタン。ついでにアイザックも。迂闊に聞き流して、教官に玩具にされることは避けたい相棒である。
ちょうど列車が戦術科管理棟前に到着し、それ以上の追及は無かった。扉が開くとそれまで聞こえてなかった轟音が耳に届く。
「VF099も出るのか。カテリーナの護衛だな」
駅の正面、二階建てのコンクリートビルである管理棟の向こうから響くエンジン音で、カッツはなんとなく当たりをつけた。列車内では出撃情報は得られず、感覚で想像するしかなかったが。
エンジン音はたちまち爆音となり、駆け抜けていく。離陸滑走中なのだろう。
「さて、ひよっ子どもの仕事でも……」
凶悪な笑みを伴なったカッツの言葉は、突然の大音響に打ち消された。格納庫、管理棟、それらの建築物が遮っているはずなのに、駅舎や列車の窓がびりびり震え、全身が激しく揺さぶられる。
しかも、それは一度では済まなかった。次々と、耳元で何十もの銅鑼を打ち鳴らされるような爆音が続き、駅舎の周囲の木立から鳥達が狂ったように飛び上がる。
「おい!あれ!」
緊急停止となった列車から飛び出した、チーム・アンジェリカのCCOの一人が指差す方向、木立の向こう格納庫の上にまで達する毒々しく赤く膨らみあがる炎の塊。
「火球魔法?……空爆か!」
事態にいち早く気付いたカッツの行動は早かった。
「貴様ら、すぐ避難だ。付いて来い!」
襲撃が始まった瞬間、最も組織的に対応できたのは、ハヤト率いるブルーレイディ受領作業に当たっていた訓練生達だった。
「総隊長。VF099ルーキーズ並びに011SQカテリーナに出撃命令」
戦術科格納庫群南端の第六、第七ハンガー前に並び始めた、優美なドレスを纏った紺色の翼。その周りで作業を続けている訓練生や整備員の動きを見ていたハヤトは、通信担当のナルミの報告に即座に反応した。
「VF099が出るぞ。18LおよびVF099周辺の訓練生は速やかに退避だ。フェルクライン准尉。連絡橋閉鎖お願いします」
「フェルクライン、ウィルコー。VF099、1Fに指示は?」
マイクを押さえ、ナルミに問うハヤト。
「今のところは無い。だが、最悪あるんじゃないか」
ハヤトは、VF099の全小隊が出撃態勢になることは無いと考えていた。領空侵犯はいまだ始まったばかりだというのに訓練生を出すのは、それが訓練生にとっての経験になるとSOCは捉えているだろうからだ。
だが、最悪に備えるのはいいことだ。ロアシーズは、現在第一滑走路と第三滑走路の間を流れる川を跨ぐ連絡橋の通行整理を担当していた。となると、いざという時、行動が阻害されることになる。
「退避以外の全行程中止!繰り返す。全行程中止!ナルミ、タワーにフェルクライン准尉の移動許可要請。准尉、配置交換します」
「フェルクライン、ウィルコー」
「タワーより、フェルクライン准尉の移動許可」
許可と同時に首に提げていた双眼鏡を覗き込む。南北に伸びる第三滑走路の東側にある戦術科格納庫群。その最南端に位置するのが、三年度課程訓練生達、つまりハヤト達第三八八期生がこれから世話になる四棟の南格納庫群。そこから北に順番にイーグレットを含めた練習機格納庫、教官機格納庫、そして最北に位置するのが第九九戦術飛行隊格納庫だ。
作業指揮用の櫓に乗ったハヤトの位置から、約一キロ先、VF099格納庫前では人の動きが慌しくなっている。四年度課程訓練生達のブルーレイディが、出撃準備を本格化させたのだろう。
ハヤトの耳に届く、各所からの退避作業完了報告。教官格納庫の前には移送を中止した牽引車に繋がれたブルーレイディ一機。教官機は固く閉ざされた格納庫の中なので思考から捨てる。練習機は、マリ達の清掃作業のため全機駐機場に広げられている。その前の誘導路には一機のブルーレイディ。そして、南格納庫の前には八機のブルーレイディと中途半端な形で停止している一機。ここまでは問題無い。エンジンが点いた機体は存在しないからだ。
VF099ハンガーから爆音が轟く。いや、同時にさらに北、滑走路北端の緊急発進ハンガーからも。エンジン始動だ。
「出撃命令は何機?」
「八機。第四小隊と第六小隊」
「ということは、リザーブだった2Fと5Fがアラートになるわけか」
「そういうことになるな」
「VF099前の機体、そのまま教官ハンガー前に進入しろ。許可は出ている」
「ゼッタ、ウィルコー」
未だ退避が完了していなかったブルーレイディに指示を出す。遠目には分からなかったが、第二訓練小隊長のフィタス・ゼッタ達だったらしい。
「と、来た来た……ん?」
ハヤトの視界の中に一台のタグが左から飛び込んで来る。西側の第一滑走路から連絡橋を渡って来たのだろうそれは、VF099のハンガーに突っ込むのではないかと思うほどの物凄い勢いで飛び出して来て、砂塵を巻き上げながらカーブを決めてこちらに向かって来る。
「おいおいドリフトしてるぞ。あれ運転してるの誰だ?まさか、フェルクライン准尉じゃ……」
タグの背後を濃紺の大型戦闘機が続々発進して行くのを確認しながら、無駄口のハヤト。
「たぶん、ネルー准尉じゃないか」
艶のある赤髪をポニーテールにした陽気な先輩を思い出す。
「マジで?ああいうことする人なのか?」
「らしい。なんでもブルーレイディでクルビット三連続決めたとか」
なんて無意味な。いや、酔狂だな。そんなことマリですら思いつかないな。
「コルリーが環月祭で決めたことで触発されたらしい」
マリのせいだったが……。
「ロアさん、大変だな」
「聞こえてるぞ、カルランザ!」
必死な声音がヘッドセットから零れる。おそらく相棒の凄まじい運転に振り回されているロアシーズ。余裕は無いのだろうが、無線でだだ漏れの後輩の失言に目くじらを立てているのだろう。
「しつれ~しました~、ロア先輩」
「貴様。その……いっ!」
小さな悲鳴が届いて、慌てて双眼鏡を覗く。視界に、滑走路北端で離陸態勢に入ったスクランブル機が見える。
だが、タグは問題なく爆走を続けている。爆走の時点で既に異常だが。
「……いったぁ……舌かんだ」
咄嗟にマイクを抑え、顔を背けて吹き出した。不意打ちにロアシーズの可愛らしい声は反則だ。
違う通信帯を使っているナルミは、そんなハヤトを見て呆れている。
その笑いが不意に止まった。
南の空を見て急に無言になるハヤト。今までなんとも感じていなかった南国の陽気が、急に煩わしくなった。それでも手が自動的に双眼鏡を持ち上げる。頬を伝う汗。
そして、それを視認した。
「我、戦闘鳥を捕捉せり。総員退避」
それは内容に反して恐ろしく静かな声だった。
「は?」
思わずナルミが問い返してしまうほどに。
「繰り返す。コード・グリフィン。戦闘鳥どもの襲撃だ。総員、作業、機材全てを放棄し最寄りのシェルターに退避しろ。今すぐ!」
最後の一言に弾かれたようにハヤトの視線を追ったナルミ。南方の空に、今も増え続ける複数の黒い影を認めるや否や、通信を開始する。
「コード・グリフィン。コード・グリフィン。コード・グリフィン。南方に複数の敵性個体を捕捉。繰り返す」
それを確認しながら、そばで作業をしていた銀髪の訓練生を呼ぶハヤト。
「シルヴァ!」
シルヴァ・イラング・リーヴハンが何事かと振り返る。その左腰の剣帯で携えられた黒い鞘に収められた刀を確認するハヤト。
「グリフィンの襲撃だ」
そばで訓練生や地上作業員がざわつく中、シルヴァは素早く視線を周囲に走らせ、黒い影が広がっていくのを確認した。
「みんなの退避の時間を稼いで貰いたい。頼めるか?」
背中にかけられたハヤトの問いかけ。それがどれだけ無茶な命令か、ハヤトにも分かっている。古参の整備員や誘導員が止めようとしている。複数の事象変換言語を同時に使うグリフィンは、人類にとって圧倒的な天敵だ。刻印刀を持つシルヴァでもそれは変わらない。何せ、敵は既に百を超えようとしている。
振り返ったシルヴァの、切れ長の青い瞳から放たれる剣呑な視線。
「何分ですか?」
「五分で掩護を開始する」
ハヤトの即答に、シルヴァの左手が鞘に添えられた。
さらに畳み掛けるハヤト。
「機体、機材は全て使って構わない」
形のいい銀色の眉が寄る。
「必要なら破壊しても構わない」
言い切ったハヤトの耳に届く爆音。
見ると、離陸滑走を開始したブルーレイディ二機。まさか、気付いていないのか。それとも一か八かに賭けたのか、濃紺の機体が疾走する。
だが、無情にも滑走路上に数十発の火球が殺到し機体を捕らえる。強化魔法を施された装甲が炎の顎門に食い破られ、次いで膨れ上がった炎が機体を粉々に砕く。
「退避だ!」
悲鳴と怒号が交錯する中、飛翔する破片の一つが向かって来る。舌打ちするハヤト。
「障!」
耳元で涼やかな声が凛と鳴る。
途端、櫓の上のハヤトの眼前に迫っていた破片が見えない壁に阻まれるように粉々にされる。
いつの間にか櫓を登り、剣帯から外した鞘を左手で前方に突き出していたシルヴァだった。刀を納めたままの鞘が、シルヴァ同様涼やかな唄声を奏でている。
訓練生で唯一帯刀が許されているシルヴァ・イラング・リーヴハン。連合帝国陸軍の花形戦科、装甲駆逐兵の中軸たる刻印刀術の最大流派、世応流の一族にして帝国皇族に連なる彼が携えるのは、歩兵でありながら異種族と単騎で戦う力を与える魔術刻印兵装、風鳴。
呆気に取られるハヤトを、比較的小さな背で守り問うシルヴァ。
「作戦目標は?」
そのあくまでも涼やかな声に、ハヤトは彼の覚悟を悟る。
「人命最優先。他の全てを捨ててでも仲間を守れ」
ちらりと振り返るシルヴァの綺麗な横顔に浮かんだのは、普段の難しい表情とは比較にならない妖艶で背筋を凍らせるような不敵な笑み。
「応!」
気合一つと共に櫓を飛び降り、駆け出す。
ハヤトはそれを見送ることなく周囲に指示を出す。
「シルヴァが時間を稼ぐ。全員格納庫内の非常兵装を取れ!急げ!」
――お前が陸軍に入ることは許さん。
三年前、一族の長たる祖父が放った衝撃は未だに覚えている。
世応流は今、連合帝国陸軍で大きな力を持っている。単騎で異種族と戦う力を持つ刻印刀術は、それだけ大型兵器に頼っている陸軍にとって戦闘単位を増やすことを可能にする技術だからだ。
当然、シルヴァも陸軍士官学校に入ることを志していた。
だが、祖父は違った。陸軍内での世応流の発言力が大きくなり過ぎることを危惧した祖父は、正統な嫡流である孫の入隊を禁止したのだ。
それは物心付いた頃から仕込まれてきた努力と、積み重ねられた技術全てを否定されたに等しかった。
ヴォンデルランドに入校した当初は何故装甲駆逐兵がここにいるのか、と言われたことも多かった。だが、元々の魔法の素養を存分に生かして、またユリスタンという得がたい指揮官を得て成績を伸ばしてきた。今では誰からも文句は言われない、同期トップクラスの戦術魔法師である。
それでも、何か胸の奥にはぽっかりと空いたものがあった。
今、逃げ惑う訓練生や整備員達と逆方向に駆け抜ける銀髪の剣士は、並べられた主力戦闘機の列の間を駆け抜けながらほくそ笑んでいた。
面白い。ぽっかりと空いていたはずのものが、今は満たされようとしていた。
「格納庫へ急げ!武器を取れ!篭城準備だ!」
蒸し暑い陽気と戦闘の緊張を切り裂くように走りながら、指示を出しながら、思い出すのは自分に命令を下した訓練総隊長の言葉。
他の全てを捨てろ、とは穏やかじゃありませんね。
そこら辺のタグや隔壁の一枚や二枚なら分かるが、まさか一機数十億する主力戦闘機まで捨てても構わないという胆力。流派の門下生が口々に褒め称えていた北の女王、フェルクライン少将を彷彿とさせる物言い。
それだけの覚悟があるということか。
足元のコンクリートが赤く照らされた。敵の火球だ。既に鞘に備わった常時発動型の受動魔法探査が、火球の軌道が自分に迫っていないことを察していた彼は、その行方を確認して顔を顰めた。
戦術科管理棟前に立つ第三滑走路管制塔が、一度に数十発の火球に食い尽くされ崩壊する。強化魔法が施されていても、あれだけの集中砲火には耐えられない。
違和感。未だエプロン上に多数の航空機と兵士がいるというのに、管制塔を優先した。それはつまり敵は管制塔の意味を知ってる。異種族に知性の欠片も無い、数と個の力に任せた突撃を繰り返すだけの野蛮な種族、と教えられていたシルヴァはそこに疑問を抱かずにはいられない。しかも、この奇襲。空襲警報も何もなかった。あったのはオフコードでの領空侵犯のみ。まさか、陽動?
しかし、剣士に思索に耽る暇は無かった。
視界の隅に、戦闘機のそばで腰を抜かしている訓練生。
間の悪いことにそこに火球が向けられている。
「打!」
鞘ごと刀を振るう。起動句とともに代理詠唱が開始され、彼の脳裏に描かれるイメージを正確にトレース。事象変換を開始する。
形成されたのは、鞘の先端を中心とする最大半径三メートルの斥力場。そして、下半身の相対位置固定と上半身の筋力、骨格のアシストの魔法が同時に発動する。近接戦闘に必要な複数の魔法を同時詠唱する、それが刻印刀――シルヴァの愛刀、風鳴。
シルヴァは迷うことなく、そばに停まっていたブルーレイディの機首付け根を、胴体下面から鞘で掬い上げる。数十億の巨額の金を注ぎ込まれた戦術兵器。だが、今はただの動かない的に過ぎない。ならば、自分の思うように使う。その許可は既に得ている。
バコン、という大きな鈍い音と共に、三十トン近い物体が浮き上がる。
右手が握りこむのは、鞘に納められたままの刀、その人間工学を考慮した波状の柄。
「波!」
抜刀。勢いをつけて真上へ向け振り抜く。一連の動作が全て魔法起動動作。
流麗な波紋と煌びやかな魔法刻印が鞘を走る音と代理詠唱が、鈴が鳴るような涼やかな和音を奏でる。刀身が走り抜けた線に浮かび上がる、残像のような事象変換。形成される、大気の強力な凝集点。
一瞬の後、開放される点。刀身の駆け抜けた軌跡の前方左右二十度、上下四十度の範囲に対し放たれる圧縮空気の散弾。
狙い違わず散弾は浮かび上がった濃紺の機体下面に命中。ばしゃ、という大量の水を一度にぶちまけたような衝撃音と共に、装甲板が次々と穿たれ、弾き飛ばされる巨大な戦闘機。
そのまま敵の火球魔法を下から掬い上げるように命中。左主翼とカナード翼を粉砕されながら、火球を斜め上へ逸らす。
「さらに波!」
振り上げた刃を翻し、渾身の振り下ろし。
半壊した機体が、コンクリートの地面に尾翼から激突しながら、自らの重量で押し潰されいよいよ全壊していくその上を掠め、迫っていた数体のグリフィンに襲い掛かる散弾。
慌てて退避する敵。
「立て!立って走れ!」
目の前でブルーレイディが盾になった事実を呑み込めなかった訓練生だが、シルヴァの声で我に返り、立ち上がる。
「リーヴハンか?」
突然の誰何。一台のタグが目の前でドリフトを決め停車する。
運転席には赤毛のポニーテールを振り乱すアリア・ネルー。その横で車体にしがみ付きつつも、上体を起こしている豪奢な金髪のロアシーズ・フェルクライン。その後ろには、途中で拾ってきたのか、何人かの訓練生や整備員が折り重なっている。荷台も座席も無いが、航空機を牽引する馬力を持つタグならではの運用。
「そいつを連れて格納庫へ!目晦ましを行なう!」
素早く指示を出し、シルヴァは上空へ向け三度散弾をばら撒く。ただの牽制だ。
その間にフェルクラインが、シルヴァが助けた訓練生をボンネットに引きずり上げる。
「貴様は?」
「早く行け!」
切り捨てるように指示を出すシルヴァ。フェルクラインが頷き、タイヤを派手に鳴らし発進するタグ。
「疾風!」
起動句を認識した風鳴。駆け出すシルヴァ。足元に風を纏い、牽引車に併走する。
だが、彼が目指すのは居並ぶブルーレイディ達の胴体下。
「点!」
肉体強化とともに刀身が甲高い金属音を放つ。代理詠唱とは異なる耳障りな音。
それをためらいも無く真上の戦闘機の胴体に突き刺す。大量の火花と不快な金切り声を撒き散らしながら、装甲を容易く貫く刀身。刻印刀術師を俗に“歯医者”と呼ぶ由来となった、超高速振動刀による刺突。
あまりの音と火花にシルヴァは耳と目を塞がれた。本来、刻印刀術師が主力となる装甲駆逐兵は、敵からの攻撃を防ぐためだけではなく、自分の攻撃の余波から五感を守るために装甲を纏っているのだが、今の彼にはBDUだけだ。
だが、世応流宗家の人間であるシルヴァには関係無い。既に戦闘に必要な感覚は愛刀、風鳴がもたらす探索情報に拠っている。そういう訓練を幼少の頃から受けて来た。
「爆、二!」
起動句を叫ぶや否や、彼は疾風魔法で駆け出す。
上空から一体のグリフィンが彼に襲い掛かろうと近寄る。
瞬間、真下から予期しなかった衝撃と無数の金属片。全身と翼を穿たれ、吹き飛ばされ地面に叩きつけられるグリフィン。
“爆”という“点”から続く、内部破壊魔法。高い防御力を有する戦闘馬に止めを刺すために編み出された対堅固目標破壊魔法。起動句の後に続く数字は、起爆までの秒数。
シルヴァは爆発によって耳と目を塞がれた状態のまま、三機のブルーレイディを次々と地雷に見立て、敵を牽制する。
約束の五分が経過した。
途端、シルヴァの前方で無数の魔法反応。
背筋を冷たいものがぞわりと撫ぜる。回り込まれたか?
だが、その向きは彼の頭上。そして、それは感じ慣れた連合帝国軍制式採用魔動小銃ヴァーミリオン四式の魔法。
戦闘行動の一切を放棄。走るタグを全速力で追う。
カルランザは格納庫の隔壁を五メートルほど開いたまま、数人交代で敵に銃撃を浴びせているようだ。
相変わらず手際のいい奴ですね。
ハヤト・カルランザと言う男は、嫌味なくらい手際がいい。総隊長就任以来、恐るべき手際で次から次へと実績を積み上げていく。戦科対抗戦なんてその最たるものだ。全ての試合で効率よく勝ち点を稼ぎ、結果圧勝して見せた。
そしてそれは今も。捨てるべきものを最初に明確にしたからこそ、彼には迷いが無いし、手際も良くなる。ユリスタンには出来るだろうか。いや、まだ難しいだろう。彼はよくも悪くも軍人だからだ。
我々はまだまだですね。
内心、苦笑いのシルヴァは、タグが飛び込んだ隙間に、疾風魔法を纏ったまま十数メートルをスライディングで滑り込む。
目の前に横滑りしながら停まったタグの後輪に背を押し付けるようにして、視覚も聴覚も無いままシルヴァも止まる。
その身体に床から伝わる鈍い振動。隔壁が閉じられた音。これで格納庫を守る障壁魔法の庇護を得られる。やっと一息つける。
弛緩する身体。思わず床に寝そべる。肺から空気が凄まじい勢いで抜けて行き、全身の肌という肌がじっとりと湿り気を帯びて急に暑苦しくなる。BDUの通気性の悪さが憎たらしい。
肌に誰かが声をかけてきたような感触がある。
「すみません。今、目と耳が使えないんです。少し待ってて貰えますか」
取り敢えずという感じで告げたのだが、相手が気を動転させる気配。
身を起こそうとしたのだが、タグに叩き付けられたときに痛めたのか左肩が痛む。思わず呻き声を上げる。
さらに相手は動転したようだ。
「大丈夫です。ちょっと身体が痛むだけで動きますから」
「……うに、だい………な……だな?」
かすかに聞き取れた声はフェルクライン准尉。普段の彼女とはえらい違いだ。
シルヴァはゆっくりと立ち上がる。
「ええ。駆逐兵の職業病のようなものです」
やっと相手が落ち着いた気配。こっちも煩わしいのは願い下げだ。
すると、刀を持っていた右手の甲をすっと握る手があった。女の手ではない。そこそこ大柄の男だ。そこには労うような感触があった。
「カルランザですか?」
その手がぴくりと動く。正解だったらしい。
シルヴァは慣れた動作で刀を納め、鞘を剣帯に吊るした。
「ここには何人いますか?」
両掌を広げ、差し出しながら問うた。
揺れる気配。それで全員でないことは理解できた。
カルランザらしき気配が、左右の指を折っていく。左手に四、右手に七。七十四人では多すぎる。この格納庫の付近には五十名ほどしかいなかったはずだ。あと五十名ほどは、滑走路の北側や第一滑走路側にいたはずだ。
「四十七人ですか。分かりました」
労うように両肩をぽんぽんと叩かれ、少し下に押し下げられた。座れと言うことだろうか。手で後ろを探ると椅子があった。
「本当にあなたは手際がいいですね。嫌味ですか?」
苦笑する気配。
シルヴァが座ると、色々な気配が遠のいていく。
背もたれに身体を投げ出し、頭上を仰ぐ。しばらくは動く気になれない。予期しなかった初の実戦が、まさか風鳴とともに訪れようとは。予想していなかった展開。度重なる魔法行使。増援の無い単騎突撃。初陣としては最低で、切り抜ければ最高の経験になるものを得られた、と納得するのは駆逐兵としての矜持か。
格納庫の魔法灯の光を感じる。視覚が戻ってきた。
ほとんど同時に聴覚を支配していた細波のような雑音が遠のき、徐々にクリアになっていく。幾人もの声が聞こえる。話し合ってるのは、カルランザとフェルクライン達四年。怒鳴り声は整備隊や作業に従事している訓練生のものか。微かに聞こえる轟くような爆音は、外で暴れるグリフィン達の攻撃だろう。ガンガン鳴っているのは、破壊された機体の破片が障壁に激突する音か。
茫然と見上げるシルヴァを襲ってきた身体の震え。カルランザに無茶とも言える命令を受けたときは、そんなこと微塵も感じなかった。
あの時のカルランザは、刻印刀術としてのシルヴァを求めていた。それは幼少の頃から使い手として育てられ、愛刀風鳴を授けられた彼の誇りを満たした。政治的な配慮によって祖父に切り捨てられた彼にとって、それは心躍る瞬間。
違う。そんなことじゃない。
ここにいない者達のことだ。今のところ生死不明。同じ第一小隊でここにいるのはナルミ・カッファーのみ。今は本部との通信を試みているようだ。
だが、ユリスタン、アイザックらはこの状況ではどこにいるかなんて分からない。それ以外にも多くの者達がここにいない。
初陣で勝てるとは限らない。むしろ、命を落とす者の方が多いくらいだ。
それでも、守れなかった。その思いが強くなっていく。
大きく息を吐く。今はその時ではない。兄弟子達に指導を思い出す。カルランザ達指揮官達が方針を決定した後、駆逐兵の戦いは始まる。今は心を静かに落ち着けるべきだ。
ゆっくりと沈静化していく精神。
不意に何かが気になった。なんだ。
極度の緊張から解き放たれて談笑する仲間達のざわめきか。未だにはっきりしない視界にうろつく天井の照明か。それとも外の爆音だろうか。
ガン、と壁が鳴る。先ほどと同じ破片の激突する音。
…………先ほどと同じ?
再び、ガンと鳴る。
間違いない同じだ。そんなことがあり得るのか。破壊された対象が違えば、その位置も破片の大きさも違う。それなのにこの音は、大きさも調子も、感覚でさえ判を押したかのように同じ。
空軍の訓練だけで分からない、装甲駆逐兵としての訓練を受けたからこそ分かる感覚。
左手が自動的に腰の鞘を握り締める。脳裏に浮かぶ魔法探査。そこに現れたのは、あまりにも見慣れた事象変換効果。
「敵弾種、魔法徹甲!全員伏せろ!」
自らも床に身を投げ出しつつ叫ぶ。
直後、ひときわ大きな音で隔壁が鳴り、続いて衝撃と熱風が彼の意識を刈り取った。
一斉に床に伏せてくれた仲間達のうち、一体何人が生き残ることが出来ただろうか。最後の瞬間、それだけが彼の気がかりだった。
その女は実に愉しげだった。
ノースリーブのふわりとした空色のサマードレスに、白いサンダルで歩む姿は実に軽やか。麦わら帽子をかぶり、白いリボンで緩くまとめられた豊かで艶やかな黒髪は、楽しげに揺れ動き、ときに跳ねる。白い陶磁を思わせる白い肌に、すうっと通った鼻筋、ぱっちりと落ち着いた明るい茶色の瞳。柔らかく微笑を湛えるそれは、落ち着きのある大人の美貌。しかし、そのうちから抑え切れないほど溢れいずるものは、無邪気なまでの愉悦。
自然の要害と化した木々が生い茂る森の中を歩く姿は、不思議の国を闊歩する少女の如く――。
――もし、黒煙立ち上る凄惨な破壊の場でなければ……。
辺りに転がる金属の塊。いまだ燃え続け、くすぶる建物の残骸。捻じ曲がった砲身。へし折られ地に伏した鉄塔。そして、燃え、焦げ、捩れ、砕かれ、内容物を撒き散らした無数の亡骸。
ありとあらゆる穢れの中を、その女は一切染まることなく微かな鼻歌を口ずさみながら軽やかに歩む。足元の泥、灰、火の粉、血、焼け焦げたような異臭、ありとあらゆる物が女に届くことは無い。
ほじくり返された地面、血だまりを踏んでも白いサンダルは汚れることは無く、宙を舞う火の粉も灰も、帽子にも髪にも寄り付かず、白いたおやかな指先が壊れた対空砲の砲身を撫でようが、高熱で火傷を負うこともすすで黒く穢されることも無い。
完璧なまでの清純。女はそれを体現するかのよう。常夏の地の湿り気すら拒絶する。
耳に届く、遥か彼方の遠雷を思わせる破壊の音。
「ふふふ」
予定された時刻。予定された行動。
《我、森羅万象の揺らぎを示されんと欲す》
たおやかな声が紡がれ、事象変換が行なわれる。脳裏に描き出されたのは、周囲二十キロの範囲で行なわれた事象変換の記録。
「やれば出来るじゃない」
口角を吊り上げ、目は三日月に笑う。実に満足げだった。
この結果を得られるならば、この対空陣地一つを破壊する程度の労力なんて安い物だ。
ヴォンデルランド湖南岸に位置する初等教育航空団に属する第一三防空群の中央陣地にあった対空ミサイル、自走対空砲は完膚なきまで破壊された。その場に居合わせた四百名の兵士達とともに。
実に簡単なことだった。
認識阻害、絶対防御の魔法が施された衣装で陣地正面から入り、陣地中央にあったミサイル発射機と対空砲内に備わった激発魔法、破片効果魔法など破壊をもたらすことが可能な魔法を暴走させただけだ。それだけで破壊に次ぐ破壊が繰り返され、弾薬庫が吹き飛び、あとは生き残った兵士達を薙ぎ払った。
実に簡単だった。
人類世界最強と言われるトライウェル連合帝国軍。その精鋭といわれる第一三防空群。
そんなことは関係無い。
何故なら、帝国を創ったのも、各種兵器の基幹魔法を組み上げたのも誰であろう、この女なのだから。
全ては予定通りだったが、その表情がほんの少し顰められる。ただ一つの懸念に思い至ったのだ。
「あの子は大丈夫かしら?」
この状況、この事態、それに費やした労力、時間、資源、金。ここで失われるのは、あまりにも勿体無い。その為に人形は送り込んだとはいえ、懸念は残る。
――だが、それでも。
「ま、いいか」
女はあっけらかんとした。童女のような屈託の無い笑顔。
「壊れたらまたやり直せばいいわ」
時間ならいくらでもある。その場合はどんな設定にしようかしら、ああしましょう、こうしましょうと、まるで買い物を楽しむ貴婦人のように口に出してころころと笑う。
まるで時の流れすらも拒絶するかのような不自然な幼さ、清らかさ、無邪気さに溢れていた。
突然の衝撃。
立て続けにドレスの表面で弾ける火花。超音速で飛来した金属の飛礫を、ドレスの繊維に刻み込まれた絶対防御魔法が代理詠唱によって励起され、あっさりと弾く。
《我が肉体は羽》
詠唱と同時に地面を強く踏み切り、跳躍。
一瞬の判断だった。気付かれることのない接近。認識阻害を無効化された攻撃。複数の小火器による銃撃。
――対高位魔法師戦用特殊部隊。
重力魔法を用い自身の肉体の質量を極限まで減らし、予期しなかった脅威から離脱すべく素早く残骸に隠れる女。
どこの特殊部隊か。この国の軍部中枢たる航空総隊は把握済み。他の同盟国には大した部隊は存在しない。
「ステイツかしら……」
銃弾がドレスの表面で再び弾ける。衝撃の中、代理詠唱の歌声に微かな歪み。刻印魔法の文字の劣化。自動的に詠唱する刻印魔法文字だが、その音が発する振動で確実に劣化する。ゆえに戦闘機の装甲板は定期的な交換が必要だし、このドレスもあとで廃棄せざるを得ない。
しかし、ここまで劣化が速いとは。
刻印干渉弾頭か。命中したときにのみ魔法を発現し、防御魔法の詠唱に不協和音を混ぜ劣化を促進させる。いよいよそんな物を持つ国、組織は限られてくる。
《我はこれより四十八分の一転、あらゆる森羅万象を拒絶する》
代理詠唱に頼らず時間制限の絶対防御に切り替える。だが、難点は指定した時間の間防御のためのイメージを維持し続けなければならない。攻撃の手段は制限されるはずだ。
そう判断した敵は速やかに集まり、銃撃が増す。
《我が右手が指し示すのは、荒れ狂い渦巻く風の行方》
だが、女には関係無い。
視界に入った敵、全身にデジタルパターンの森林迷彩を施されたプロテクターを纏い、短銃身自動小銃を構え無駄なく動く人影に向け、右手を振り下ろす。
暴風が捲き起こり、敵を襲ったが、素早く地面に伏せられる。慣れた動きだった。この部隊は高位魔法師との戦闘に慣熟している。
彼女はしかし追撃はせず、後方から射撃して来る二人の敵に向かい風を叩き付け牽制すると、今度は足元に叩き付ける。
浮かび上がる空色のドレス姿の女。驚いたことに、先の重力魔法まで未だ効力を発揮していた。つまり、彼女は三種の魔法のイメージを維持したまま行動し続けているということになる。
全く別々の事柄を、同時に寸分の狂いもなく脳裏に浮かべることの出来る人間が果たしてどれだけいるか。それだけで彼女の魔法師としての実力が驚異的だと分かる。
跳び上がった女。
それに対し、先の三人とは別の三人が頭を抑えるように銃撃を繰り出す。内一人はグレネードランチャーを構えていた。
ぽんと軽い発砲音。目で追えるほどの速さで放たれるそれは、彼女の頭上を飛び越えていく。外れたのではない。それが正しい選択だ。
炸裂するグレネード。絶対防御圏に触れていなかったため、焼夷魔法が励起。爆炎とともに膨張する大気が女の背中に叩き付けられ、地上に押し戻される。
着地した女に向かって、すかさず叩き込まれる銃弾。このまま絶対防御の時間切れ、効果切れを待つつもりか。
上へ動けば頭を抑えられたうえ、敵は残骸を盾に距離を取り、互い違いに銃弾を叩き込んで来る。その度に衝撃による苦痛で顔を歪める。
巧みな連繋と正確な射撃。魔法師に対する深い知識と洞察力。いずれも一流と呼べるものだ。
八方塞。逃げ場は無い。
しかし、女に浮かぶのは妖艶な笑み。
「面白いわ。まだステイツは私のことを覚えていたのね。嬉しいわ」
笑みはより深くなり、迸る歓喜の声。
対する敵はその凶状にも淡々と射撃を続ける。
「私を倒すためにここまでしてくれるなんて」
両手を広げ空色のドレスを翻し、女は踊る。無邪気に、愉しげに。銃弾が度々たたきつけられても、無垢な少女のように舞い踊るさまは、もはや異常。
「殺してごらんなさい。さあ、ヴァルタザールを信奉する者達よ。私のこの胸に、あなた達の鋭い牙を突き立ててみなさい」
舞い踊り、詠うように挑発する。
浮かれた熱病のようなそれに対し、敵は冷徹に単純作業に徹するが如く射撃を繰り返す。
不意に女はその表情を消した。それまであった狂気じみた歓喜はなりを潜め、まるで地面に転がる虫か石でも眺めるように。それは無関心。
「飽きたわ」
頭上に掲げられる右手。
《風よ、我を中心に荒れ狂え》
吹き荒れる暴風。女を中心にして、凄まじい大気の渦が踊り狂う。高速で回転する渦と、切り刻まんと叩き付けられる砂埃と破片に、敵はたまらず身を伏せたが、狙いはそこではない。
《さらに廻れ!》
ごうっという轟音とともに渦はさらに加速、そして鋭くなっていく。敵は身を伏せ、必死に地面にしがみ付き、その頭上を残骸や破片が通り過ぎ、舞い踊り狂う砂埃で視界が失われる。
《廻れ廻れ廻れ》
三たび繰り返される言霊に、渦はさらに加速。鋭い刃となった風が残骸や敵に襲い掛かり切り裂く。だが、絶対防御を施された敵にそれは効かない。
暴風が吹き荒れ続ける、敵にとって絶望的な時間が流れ、不意にバチンと風とは異なる音が微かに鳴る。
それに気付いた敵の一人が顔を上げたのを、女は喜色満面の笑みで迎えた。
「さあて、あなた達の絶縁処理はいかほどかしら?」
問いかけた直後、青白い閃光が視界を奪い、轟音が耳を貫いた。
高速回転していた大気は砂塵と水分を含んだまま、周辺大気や内部で摩擦を繰り返し、空間中に大量の電子を生み出していた。そして、大きな電位差が発生する。
「簡単な物理の問題よ」
イメージを終えたことで回転をやめた風が緩やかに収まるなか、女はにこやかに笑う。
辺りには風に切り刻まれ、薙ぎ倒され、吹き飛ばされた残骸と深く抉り取られた地面、そしてぴくぴくと痙攣する六人の敵の姿が残されている。発生した電位差によって引き起こされた雷撃に感電したのだ。
服飾に施される絶対防御には通常、一定濃度以下の金属、水と電流に対して防御が成されていない。人体の生命活動に必要なものだからだ。だから、魔法以外の絶縁対策が必要となる。
だが、魔法以外で完全な絶縁が出来るのは装甲駆逐兵ぐらいだ。特に、擬似的とはいえ、密閉された空間全域に放電された場合には無防備も同然だ。
女は風速百メートルを優に超える大気運動を起こし、巨大な静電気発生装置を作り、それを飽和させたのだ。
「どうして私が平気か、ですって?」
女は愉しげに話しながら、敵の一人に近寄り、その足首に付けられた拳銃を抜いた。
「やっぱりあった。非魔法式の銃」
すこしぎこちないながら、銃を操作し初弾を装填。敵の被っていたヘルメットを脱がし、躊躇いなく引き金を引く。
耳元で思い切り手を叩いたような炸裂音と、鼻につく焦げ臭さ。魔法式の銃では味わうことのないそれ。
「久しぶりね、この香り。千年ぶりかしら。やっぱり人を殺すときはこれが一番だわ。こういう汚くて臭いのが人間には相応しいもの」
さらに二人のヘルメットを脱がし、頭部を撃ち抜く。
「あ、そうそう。なんで私が平気かって話だったわね」
小鳥のように囀りながら、また射殺。
「私のドレス、どう?正真正銘の絶対防御なのよ。水も電気も鉄も何もかも、肌が露出してる部分もだ~いじょ~ぶ」
おどけた様に引き金を引く。
「え?それじゃ、人体に影響が出るかもしれないって?」
最後の一人、グレネードランチャーを持っていた敵の前に立つと、小さく首を傾げる。その右手に軍用拳銃を持っていなければ、さぞ可愛らしい姿だったろう。
痙攣する敵は乱れた呼吸で女を見上げるしかなかった。肉が焦げたような生臭い悪臭も漂う。雷撃で火傷も負っているようだ。
そういえば、さっきも匂いしたな、と思いつつも手足を露出させ立て続けに撃ち抜く。
「私の下着は対魔法防御なのよ。だから、自分の服の影響を受けないわ。簡単なことでしょ?」
確かに簡単だ。だが、それはただの原理の話だ。技術、予算の面で考えれば非効率極まりない。
だが、そこまでやる。だからこそ女はこう呼ばれる。
「クソ魔女め」
火傷と銃創の痛みに顔を歪めながら、男は吐き捨てた。
魔女はしかし、両目を爛々と輝かせ笑みを深めた。
「そうよ。私は魔女よ。どうしてあなた達の考えどおりにする必要があるのかしら?あの場合、あなた達を倒す方法はいくらでもあるの。ワーズを理解して、初歩の物理や化学をお勉強していれば、これくらい簡単なのよ。ほんとう人間は想像力が足りないわ。いまだにこんなものに頼る下等生物ね」
炸薬式拳銃を構え、男の胴体に向けて立て続けに引き金を引いた。命中した弾はプロテクターの絶対防御に阻まれるも、衝撃だけは伝え、その度に男の顔が歪む。
六発でスライドが後ろに下がり、弾切れを示す。
興味を失ったようにそれを捨てる女。
「ま、いいわ。あなたリーダーかそれに準ずる人でしょ。グレネードなんて使っていたから。ま、特殊部隊にリーダーって概念は無いかも、だけど」
「俺は何も話さん」
「期待してないわ」
そう言って男の頭を左手で鷲掴みにする。
《我、この者の情報を示されんと欲す》
瞬間、女の頭に流れ込む奔流。普通はこんな乱暴な手段は用いない。対象の保有する感情や記憶を含めたありとあらゆる情報によって、自我を失う可能性すらあるのだ。
だが、魔女に抜かりは無い。彼女の精神を洗い流してしまうほどの奔流であったが、麦藁帽子に刻まれた流入情報自動類別消去魔法が発動し、女の自我と記憶を守りつつ、必要な情報を検索類別して行き、余計なものを消して行く。
「ふうん。十年も潜伏してたんだ。……あら、あの子生きてるの?そんな気はしていたけど。……見つけた見つけた。WOLG。今はそう名乗ってるのね」
鷲掴みにされた男の目が驚愕で見開かれる。
「あら、いい反応ね。で、あなたはウォルグ防衛機構、素直に軍って言えばいいのに。相変わらずの臭いものには蓋主義ね。ヴァルタザールに五百メガトン叩き込んだくせに。ま、いいわ。充分」
《我が左手指先はあらゆる物を裂く鋭利な刃》
詠唱するなり、左手の五指が男のこめかみに食い込み、そのまま頭蓋骨すら貫き、辺りに鮮血と灰白い中身が飛び散る。
脳の破壊を確認した魔女は、用は無いとばかりに男の頭を放り捨てる。その白いたおやかな指先には血一滴、脳漿一粒残らない。




