第八話 月の環で小鷹は舞う(上)
「接続チェック」
「接続チェック。戦術魔法師、魔術航法士官共に搭乗を確認。ハーネス、情報コード、酸素ホース確認。異常なし。ピンを抜くぞ」
「ありがとうございます」
「いいってことよ。ようし全て異常なし。嬢ちゃんたち、オープニング決めて来い」
機付長の声に前席後席の二人の少女は同時に敬礼した。答礼し搭乗ラダーを降りて外す機付長。
それを確認し機長たる戦術魔法師が相棒に告げる。
「エンジン始動前チェック」
「周辺異常なし、オールクリア」
「コクピット通信開始」
「機内通話正常。聞こえますか~?」
「よくよく聞こえるよ~」
「エンジン始動許可します」
「了解」
戦術魔法師はコクピットから右拳を突き上げ、魔術航法士官は航空標識灯を点灯させる。それを確認した地上誘導員が、右拳を突き上げ応じる。エンジン始動許可だ。
《目覚めよ。翼の化身にして自由なる天空の覇者》
同時に左手はエンジン始動スイッチを捻る。瞬間、大きな風鳴り音がヘルメットを通して鼓膜を叩く。
「機関始動魔法による空気流入魔法の始動を確認。十パーセント、二十パーセント」
相棒の声を聞きながら周囲を見回す。突き抜けるような青い空。雲ひとつ無い、まさに晴れ舞台。
格納庫前の駐機場を埋め尽くす人々。百メートルほど隣で主力戦闘機のエンジン始動が始まっているにもかかわらず、高等練習機のエンジン始動をわざわざ見に来てくれた人達に感謝感激。
「五十パーセント到達」
「了解。点火」
左手がスロットルを押し込みエンジン内の燃焼魔法が始動し、右エンジンが獰猛な咆哮と共に高温高圧のジェット奔流を噴き出す。
観客が一斉に歓声を上げる。
「点火を確認。これより情報魔法を励起する」
「了解」
左右を見る。この展示飛行のために編成された四機の小鷹。オレンジと白の翼が彼女達同様エンジンの始動を行なっている。
「通信網確立。右エンジン出力五十パーセントにて安定」
「了解」
一旦スロットルを戻す。
誘導員の合図で左エンジンを始動させる。右エンジン始動と同じ手順で安定させ右拳を下ろす。
「コクピット閉鎖」
「了解。閉鎖します」
キャノピーが閉じられ、エンジン音がくぐもったものに変わる。
「閉鎖確認。異常なし」
エンジンの暖気が終わるまで二人で操縦系、航法系、伝視系の各魔法の励起を実行し、滞りなく完了する。
「イーグレット・リーダーよりイーグレット各機。イーグレット1は離陸準備完了。各機状況を送れ」
「イーグレット2、準備完了」
「イーグレット3、いつでも行ける」
「イーグレット4、まだですか隊長?」
「そんなに急かすと女の子に嫌われるよ」
「おいおい。隊長が女の子とか言ってるぜ。マジかよ」
「ええ?マジかよ」
「そうだよ。お前、女子に対して失礼すぎるぞ」
「てめえ、裏切るんじゃねえよ」
この二人は相変わらずのコクピットだ。笑顔が通信を満たす。
そんな声を聞きながら、彼女はこの長くも短かった一ヶ月を思い返していた。驚きと、苦しみと、怒りとそんなものに彩られた時間だったけど、今はこんなに笑い合える。そんな仲間達とともに飛べることが嬉しくて仕方ない。
「イーグレット3。紳士の相棒を少しは見習いたまえ」
「そうだそうだ」
「なんせ“ムッツリ紳士”だからな」
「その渾名で呼ばないでくれ」
後席の相棒の冗談から遠慮の無いバカトークが次々飛び交う。整備小隊が徹夜で磨いてくれた機体。歓声を上げる観客。相棒と仲間達。胸が熱くなってくる。
「イーグレットゼロよりイーグレットリーダー。準備は終わってないのか?」
通信に割り込んで来たのは幼馴染みの同期首席。この日のために慣れない彼女の指揮を手伝ってくれた。こうやって急かしてくるところは昔から何も変わらない。
でも、それさえも今は嬉しい。
「ごめん、ゼロ。リーダーよりイーグレット総員。今日までありがとう」
「まあ、その……、なんだ……」
「3。少しは男見せろよ。俺をブン殴ったあの勢いはどこ消えた?」
「そんなんじゃ、口説けないぞ」
「誰が口説くか!お前と一緒にするな」
「俺は隊長に着いて行くって決めたからな」
「リーダー。バカは放って置いて……。それよりもまだ、終わってませんよ」
口々に言い合う仲間達。自分を諭してくれる言葉。
「ううん。違うんだ。皆には本当に感謝しているんだ。皆のおかげで形になった。あとは仕上げるだけ」
彼女の言葉に仲間達が一旦口をつぐむ。
「私みたいな不慣れな隊長なのにそれが出来たのは皆のおかげ。終わった後だと他の皆にお礼を言わなきゃいけないから、このメンバーに伝えられるのは今だけだと思う」
「お前なあ。真面目な挨拶なんて似合わねえぞ」
「うわあ。空気読めてねえ」
「あり得ないね」
「照れてんじゃねえよ」
「イーグレット3。貴様は本当に……」
僚機だけでなくゼロにまで呆れ声が飛び出す、残念なイーグレット3。
でも、さすがは同じ訓練小隊の仲間。彼女の彼女らしい部分を精確に突いて来た。精密な魔法は得意でなかった筈なのだが。
「みんな」
呼びかけると誰もが聞き耳を立てる。この一瞬で揃う一体感。心地よさ。もしこれが最初から与えられたものだったら、こうは感じなかっただろう。
これは、私たちが手に入れたものなんだ。
その気持ちが言葉になった。
「みんな、愛してるよ。あんたたちは最高のイーグレットだ」
途端、雄叫びに埋め尽くされる通信。
「初めて女の子に愛してるって言われた」
「やべ、鼻血出そう」
「ぎゃあああああ、ハズかし!」
「リーダー、お姉さまとお呼びしていいですか?」
「お、お前何言ってんだよ」
相変わらず冗談が通じないイーグレット3。
「ゼロよりリーダー。淑女らしく出来ないのか?」
相変わらず真面目なイーグレットゼロ。そのどれもこれもが嬉しくて、彼女は目一杯叫んだ。
「ようし。行くぞ!」
おうっ!と唱和。
「イーグレット1よりコントロール。全イーグレットの離陸準備完了。移動許可を要請します」
通信を開いたのは後席の相棒。後方確認ミラーに向かってにっこり笑いながら右の親指を立てている。こういう阿吽の呼吸がたまらない。
「コントロールよりイーグレット1。イーグレット全機の発進を許可します。ランウェイゼロ手前にて待機せよ。オープニングはばっちり決めてね」
「サンキュー、コントロール。イーグレット全機発進」
瞬間、一斉に高鳴る四機八発のエンジン音。
「全力で楽しみやがれ、野郎ども!」
おうっ!
夕暮れの戦術科訓練総隊会議室内で、会議卓の中央に着いたままの訓練総隊長ロアシーズ・フェルクラインの肩までで切り揃えられた金髪が夕焼けを反射してキラキラ輝いているさまを眺めながら、彼女は本当に綺麗だなあ、と感心していた。他の総隊幹部達から渡される書類に素早く目を通し、決済していく。環月祭の直前ゆえに増加しているだろう奔流だが、未来の将校候補の筆頭は微塵も動揺することも無く流麗にこなしていく。
さすがだなあ。
その目が不意に彼女を見上げたので、思わずびくりとする。
「聞いていたか、コルリー?」
「申し訳ございません、フェルクライン総隊長。あまりのことに現実逃避してしまいました。もう一度お話しいただいてもよろしいでしょうか?」
バカ正直に答えるマリ・コルリーだったが、フェルクライン総隊長はちらりと他のテーブルで書類整理をしていたハヤト・カルランザを恨みがましく睨んだ。目は口ほどにものを言う。“貴様の隊は、こんな奴ばかりか?”と問い質しているに違いない。
確かにハヤト以外……いや、ハヤトも含めて奇特な人間が第三小隊に揃っていることは認めるが、マリ自身は自分は比較的まともな部類だと認識している。魔法バカのレクスや、レクスバカのエリナ、筋肉バカのカツキと一緒にされるのはどうかと思う。普段ならこんな馬鹿げたリアクションを先任の前で取ったりしない。
だが、敢えて言おう。今は間違いなく異常事態だ。
「マリ」
非難がましい総隊長の視線にハヤトが速やかに声を上げる。
「総隊長は、環月祭のイーグレット展示飛行でお前を小隊長に指名していらっしゃる」
これを異常事態と言わずしてなんと言う?
全ての講義訓練が終了したと思ったら、校内放送で訓練総隊会議室に呼び出され、今までろくに話したことの無い凄い美人のロアシーズ・フェルクラインに言われたのだ。
「環月祭オープニングのイーグレット展示飛行は、貴様に小隊を任せたい」
書類を決裁しながらさらりと言われたから、どうでもいいことなんだろうと思うことにして現実逃避してしまったのだ。それを誰が責められるのか?
だが、ハヤトに改めて言われた以上、反応するしかない。
「なんで!?」
悲鳴にも似た叫びに、会議室内の人間が一斉に彼女を見たが、ああまた第三小隊の奴が騒いでいる、とでも呆れるように業務に戻っていく。
「他に適任者がいない……、だそうだ」
面倒くさそうに声を発するフェルクライン。その所作は美人が台無しだと思うマリ。
「でも、ユリのところが……」
「ユリ?」
「コルリー。人を変な風に呼ぶな」
聞き慣れない名前に反応する総隊長に対し、ハヤトの隣で作業していたユリスタン・シュタンジットがマリを窘める。
それを見てフェルクラインが意外そうな顔でマリとユリスタンを交互に見る。
あ、こういう顔すると、この人凄い可愛い!と見蕩れるマリ。
「貴様ら、仲いいのか?」
「幼馴染みです」
「ただの腐れ縁です」
慌てて断言するマリと、頭を振るシュタンジット。そして笑いを噛み殺しているハヤト。それを見て、フェルクラインは面倒くさい事情を察したのか眉間に皺を寄せた。
「コルリー。シュタンジット訓練生の第一小隊がどういう状態か分かっていないのか?」
面倒だが言わなくてはならない。早く済ませたい総隊長の態度はおざなりだ。
言われて思い出すマリ。
「あ……」
そういえば昨日、第一小隊の訓練生とマリ達第三小隊の仲間であるレクス・キャロイが私闘騒ぎを起こしていた。そのせいで、レクスは搭乗停止処分すら受けている。
一方の第一小隊は加害側だったため、第六小隊と共に処分を受けていた。ユリスタンは直接加担していないが、監督不充分として甘んじて罰を受けていた。
「処分は重いんですか?」
「ああ。七日間の搭乗停止だ」
「うわあ……」
七日間とは、週に一、二回の実機演習が七日間という意味で、実質一ヶ月半ほどの搭乗停止を意味する。演習スケジュールを考えれば、訓練生にとってはかなりの痛手だ。
「でも、第三小隊もダメじゃないんですか?」
至極もっともなマリの疑問に、フェルクラインはまた意外そうな顔をした。
本当に可愛いなあ……。綺麗な碧眼がまあるくくりっと見開かれると、童女のようなあどけない表情が現れ、マリは再び見蕩れた。
「そうだ。だから俺は指揮を執らない。だからお前なんだよ、マリ」
ハヤトの言葉に慌てて復帰する意識。
「なんで?他の小隊だってあるじゃん。そのための小隊長でしょ?」
当然の疑問に頷くフェルクラインが、マリの疑問に答えを提示する。
「小隊毎の成績にバラつきがあるのを知っているか?」
「まあ、対戦成績とかはあると思いますけど」
編隊飛行、標的攻撃、離発着、緊急操作など様々な項目をこなす演習の合間に定期的に九個訓練小隊対抗の模擬戦が行なわれていて、その成績ならばなんとなく知っている。確か、第一小隊が一位で、僅差で第三小隊が二位、他はどっこいどっこい。
「そうじゃない。操縦技能や小隊内の連繋などの様々な要素を点数化したそれぞれの小隊成績だ」
「え?もしかして?」
いきなり声を発したマリに話を遮られた形になった、フェルクラインは右眉を上げた。
「なんだ?」
「自分で言うのも憚れるのですが、第一と第三のその成績ってもしかして他と大きく離れちゃってるんですか?」
前席後席ごとの成績ではなく小隊毎の成績となれば、当然そういう連繋やお互いの技能に偏りが無いことが重要となってくるだろう。マリは、自分達以外の小隊でそういう問題があることを推測したのだが、果たして総隊長のリアクションがその推測が正解だと示してくれた。
三度、フェルクラインが目を見開き、思わず零れるマリの呟き。
「くは……、カワイイ……」
フェルクラインの目が細められる。完全に奇異な物を見る目だ。
慌てて背筋を正すマリ。
「失礼しました」
長身に引き締まった身体、整った容姿、知的な反応、常識的な思考を見せるのに、どうしてこういう残念なところがあるのだろうか、と会議室内のほとんどの人間が思っていることに彼女自身は気付いていない。いや、気付かない方が彼女のためだろう。
一瞬、フェルクラインは小さく諦めの溜息をついてから、改めてマリを真っ直ぐ見つめた。
「というわけで四機一個小隊を編成するにあたって誰が小隊長に適任か協議した結果、貴様に決定した」
ええ、そんなあ。というマリの内心の不満は黙殺され、フェルクラインはさらに告げる。
「とは言っても貴様は小隊を率いた経験が無い。ゆえにシュタンジットに貴様を補佐させる。以上だ」
ふと、ロアシーズ・フェルクラインは会議室内にいるのが、自分と二年課程のハヤト・カルランザだけであることに気付いた。既に日は沈んでいて、お互いを照らしているのは天井の明かりだけになってしまっている。
ヴォンデルランドは日が沈むと本当に静かな場所だ。昼間はあんなに緑を生い茂らせ、南国の強い陽射しの下光り輝いて生命を謳歌しているのに、夜が更けるとひっそりと静まり返る闇の世界に変わる。
それと同時に校舎の人気もなくなり、聞こえるのは離発着演習やスクランブル発進の航空機の音だけ。
「静かだな……」
「そうですね」
独り言に返事があるとは思っていなかったロアシーズ。
「まだ終わらないのか?」
まるで非難するような口調になってしまった。未だに自分は、この年下の青年に対して苦手意識を持っているらしい。無様なことだ。
だが、ハヤトは気を悪くした様子も無く苦笑いを彼女に向けた。
「シュタンジットが抜けると痛いですね。彼の書類を捌く能力は見習いたいです」
確かにこの日の書類は非常に多かった。だからロアシーズ自身も完了していないのだが、こればかりは毎年恒例のことだから仕方が無い。
環月祭、ヴォンデルランド航空魔法士官養成課程学校祭まで残り一ヵ月半となったこの時期は様々な申請書類の締め切りに当たっていた。訓練生の有志による出し物や出店などの申請、学校本部と折衝すべき事項の整理、それらに必要な資材、そして目玉である展示飛行に関する諸々の書類、当日と片付けを含めた行動スケジュール策定。やることは多い。
マリ・コルリーをわざわざ呼び出したのもその任命と書類作成をさせるためだ。例年なら訓練小隊長の書類仕事の延長にあるそれだったが、マリは訓練小隊長の任になかったのでユリスタン・シュタンジットはその補佐にかかりっきりになる。
その結果、皺寄せは全てハヤトのところに行っていたらしい。
「貴様が自分で言い出したことだろう?」
「はい。了解しております」
ハヤトが言い出したこと。それはマリ・コルリーをイーグレット展示飛行の小隊長に任命することだった。例年環月祭の展示飛行は訓練小隊の第一位が担当するはずである。レクスと第一、第六小隊が私闘騒ぎを起こし、同様に当事者に近いということで第三小隊長のハヤトまで辞退したことで事態は混迷を深めることになった。個々の訓練生の能力ではそれなりの者はいたが、小隊というくくりでは第一、第三小隊の代わりを務めるほどの仕上がりではなかったからだ。
代わりにハヤトが提案したのが、マリを臨時の小隊長への任命だった。そして、各小隊から優秀なコクピットを集めるという手段である。これにはロアシーズ以下三年課程の訓練小隊長はもちろん、ユリスタンも反対した。
だが、ハヤトはマリの性格、日々の努力について語り、さらに雪中行軍訓練での女子臨時小隊を指揮した実績や整備小隊との関係性など、彼女がいかに将来性があるかを話すことで説得したのだ。
将来性には納得できたが、次に問題となったのは一介の訓練生を臨時とはいえ展示飛行小隊長に任命すれば、要らない混乱や反発を生み出しかねないことだった。いくらマリの操縦技量が優れているとはいえ、自分達の仲間である小隊長を蔑ろにされたという不満に転じてしまう。そのために飛べないユリスタンにマリを補佐させることで妥協としたのだ。
「貴様は大切な仲間を千尋の谷に突き落としたのか?」
状況を一言に要約したロアシーズの問いかけに、ハヤトは苦笑する。
「訓練小隊長の制度って勿体無いと思いませんか?」
逆に問い返されたが、そこに疑問を持たなかったロアシーズはハヤトの言葉の続きを待った。
「在校中に隊長としての能力を示し始めてきたような訓練生は、訓練生のうちに経験を積むことが出来ないんです」
「つまり、初年度の成績だけで小隊長が決められていることが問題だと?小隊をまとめられない不適格な訓練生は小隊長を解任されることになっているが」
「自分の隊にはフルセクターなんていますしね」
個人成績二位の実力がありながら、人格的に不適格として訓練小隊長の任を与えられなかったエリナ・フルセクターは一種の伝説だ。ロアシーズもさすがにハヤトのその言い草に頬を緩めた。
「実際、訓練小隊長自体は慣れればだいたいの人に出来るように作られています。年の近い学生同士ですし、性格の不一致の問題も教官達が念入りに協議していますから」
「貴様の小隊以外はな」
「いつもご迷惑をおかけしています」
冗談交じりに誉めたつもりだったのだが、ハヤトに謝られ、逆に恐縮してしまうロアシーズ。
「あの?自分何か変なことを言いました?」
「いや、第三小隊は貴様じゃなきゃ指揮出来ないっていう意味だったんだが……」
一瞬思案する後輩。そして、笑顔を彼女に向ける。
「ありがとうございます」
真意が通じてほっとするロアシーズ。同時に後輩の一挙手一投足に動揺する自分は、なんて器が小さいのだろうかと苦笑してしまう。
「あの?本当に自分、変なこと言ってませんか?」
どうやら顔に出ていたようだ。後輩に気を遣わせてどうするんだ、ロアシーズ。自分を軽く叱咤して、笑みを返す。
「いや、こっちの話だ。気にしなくていい。……それで、訓練小隊長に関しての貴様の考察の続きが気になるな」
と言われたハヤトは一瞬困ったような表情を浮かべたが、改めて口を開いた。
「訓練小隊長……というか指揮官って成績とかでは測れない部分が必要だと思うんです。実際、教官達はそれをしてくれていますが……。それで、コルリーについてなんですけど、彼女の周りには常に人がいるんです。自分や小隊の仲間がそばにいなくても、男女隔たり無く、また教官や整備の方、PXの誰かと話している姿が見受けられます。フルセクターとソルビスだってコルリーがいなければ仲間にはならなかったと思います。あのシュタンジットだって面倒くさそうに、それでも彼女の相手をするんですよ。これは一種の才能だと思うんです。確かに座学の成績が芳しくないのはあるかと思うんですが、彼女の人を惹き付ける才覚は確かなものです。だから、将来、いつかは中隊長になるだろう彼女のために経験を積ませたいと思ったんです」
「何故そこでキャロイじゃなかったんだ?」
ほんの悪戯心で訊いてみたところ、ハヤトは頭を振った。まるで有り得ないといわんばかりの態度だ。
「展示飛行は曲芸大会ではないでしょう?努力して実力を身に付けた人が、その技術を披露する場です。キャロイのアレは公式の場で見せる物ではありません」
「それはキャロイは秘匿すべきだと?」
「アイツにやらせるなら、そうですね……、子供向けの魔法デモンストレーションでしょうか?その方が遥かに適任です」
そういえば、と今朝のことを思い出す。独居房から出て来たばかりのキャロイと第一第六小隊の面々に環月祭当日の警備係に志願しろと通達したとき、キャロイが珍しくやる気に満ちた表情をしていたのは、警備係が迷子係の正式名称でもあることを知っていたからだろうか。
「キャロイは子供の面倒が好きなのか?」
「ええ。結構好きですね」
「そうなのか」
「キャロイの話をするってことは、やはり上級生の間では第三小隊か第一小隊かで意見が割れたんですか?」
「ああ。九九の先輩方もキャロイの実力を目の当たりにしているからな。空戦での成績はともかく、操縦技量は帝国空軍全体でもトップレベルだからな」
空戦では撃墜数ゼロだが、イーグレットを操縦する技量、魔法行使は他を圧倒しているのは、今や他の戦科を含めたヴォンデルランド全体で有名だ。
「その口ぶりだと……。もし貴様達に決まっていたらどうするつもりだったんだ?」
「辞退します。それが無理なら、第一とうちの混成にしてレクスは外します。第一小隊のように努力している人達を、無視していいはずが無いじゃないですか」
書類を片付けながら語るハヤトは極めて自然で、そういう風に同僚に思いを向けられる彼は自分より大人の部分を持っているのだな、とロアシーズは思った。
「貴様はいつも余裕だな?」
「はい?」
思わず漏れてしまった呟きは届いてしまったらしく、ハヤトが驚いて顔を上げる。おそらく感じ取ってしまったのだろう。彼女がハヤトに抱いたのは、ある種の憧憬であり、それを手に入れられなかった、いや手に入れようとしなかった自分の怠慢に対する苛立ちであると。
自分で自分のことが厭になることがある。だいたいはこの後輩と話しているときだ。前例が無いとか、組織はそうなっていないと無意識に考えていて、柔軟な発想をロックしてしまっていたのだと気付かされるのだ。訓練小隊の仕組みで考えてしまう。
だが、この後輩は既に同期七十二名全体で物事を見ている。来年度になれば、おそらく戦術科の訓練生全体で考えるんだろう。
戦科対抗戦で自分が見せたような醜態は、彼は決して見せないだろう。優勝したのに先行きの不安に動揺するなんてことは無いはずだ。
だから、自分は彼のことが苦手なんだろう。
「フェルクライン総隊長」
不意に口調を改めたハヤトが、申し訳なさそうな顔を見せて立ち上がった。なんとなく戦科対抗戦の時のことが脳裏を過ぎる。
「いや、いい」
咄嗟に制止するロアシーズ。
「謝罪は要らない」
この数ヶ月お互いに暇が無く、戦科対抗戦での言い争いについて清算できなかったことを悔やむ気持ちはある。
だが、清算でなくとも昇華できることが出来たなら、それはそれでいいことだと彼女は考えるようになった。もし幼馴染が聞いていたら、目を丸くするような考えだということに彼女自身は気付いていない。
「私も貴様らの意に沿わないことをした自覚がある。それに、貴様らが最近本当によくやっていることを知っている」
ハヤトの訓練総隊での働きはもちろんだが、キャロイとフルセクターといえば今や戦術科を代表する魔法師であり、魔法の実習に教官達から引っ張り出されるほどだ。今まで成績が伸び悩んでいた者や、下級生達にとってはいい相談役となっている。
「私情で動かない。それが分かっただけで私は充分だよ」
それでも、ハヤトは当惑を隠そうとしない。仕方が無いとロアシーズは立ち上がった。
「ハヤト・カルランザ訓練生」
放たれた凛とした声で強制的に背筋を正し、指先まで一分の隙も無く気を付けの姿勢を取る。
その姿を見たロアシーズはふっと柔らかく笑みを浮かべた。
「あと半年も無いけど、よろしく頼む」
そう言って差し出された右手を呆気に取られて数瞬見つめていたハヤトだったが、慌てて右手で握手した。むしろ力を込めすぎてしまったくらいだ。
「はい。色々教えてください」
そう答える後輩を見て、ロアシーズはおそらく自分が教わることの方が多いのだろうと思っていた。
ぐったりだ。もうぐったりだ。一体なんなんだ。なんで練習機の使用申請一機につき整備、管制、教官、司令部と四枚ずつ書類が必要で、小隊運用にはさらに四枚必要なんだ。しかも資材や高射群や警備やその他諸々たった一時間で二十枚近い書類に目を通し、凄まじい勢いで計算機を叩き、四千項目くらい記入する羽目になった。
しかも、ミスがあるとその度にユリスタンが冷たく言い放つのだ。
「missed」
まるでミサイルが目標を外れたことを告げるように淡々と……。さすが魔術航法士官だぜ。
「また君は変なこと考えてるな?」
おかしなものを見るように隣を歩くユリスタンはマリを眺めている。
「そりゃ、あんだけおかしな数の書類と戦ったらおかしくもなるわ」
マリはいまだぐらぐらする頭を振りながら足を進めた。目的地は、環月祭イーグレット展示飛行小隊のメンバーが集合したブリーフィングルーム。そういえば、ブリーフィングルームの使用許可申請と校内放送での召集申請と、またまた複数書類を作成した覚えがある。
「あれくらい、私もカルランザもいつもこなしている」
訓練小隊長は、どうやら実機演習の時はあれをいつもやっているらしい。座学と訓練の合間に、週に一、二回とは恐るべし訓練小隊長。同じ人間なのか疑わしい。
「そりゃまあ、知ってましたよ。魔法戦闘機といえども消耗品はあるし、色々な人が携わっているし、滑走路を傷付けることだってあるし、事故や事件に色々な人が備えてくれているし……」
「なら、当然の苦痛だ」
そう答えるユリスタンは、冗談抜きで本気でそう思っているのが憎らしい。せめて冗談にして欲しい。ハヤトだったら冗談にしてくれるのだろうか。
「だいたい、なんでわたしなんだよ」
「蒸し返すのか?その話を」
フェルクライン総隊長の言葉なら知っているよ。だが、問題の根本はそこじゃない。
「だいたいねえ、ユリの監督が悪いからこうなったんでしょ?」
完全な八つ当たりだったが、うっと唸るユリスタン。
「でしょ?」
腕組みして胸を反らし、横柄な態度のマリ。
「すまん」
あっさりユリスタンは陥落した。おそらく彼を一時的とはいえ屈服させることが出来るのは、同期でもマリだけだろう。
満足そうに頷くマリ。そして改めて、ユリスタンから貰った展示飛行小隊メンバーの情報をまとめたファイルに目を通す。
「第二小隊と第八小隊から一組ずつ。それとカツキ達?あいつらってそんな成績いいの?」
「今の戦闘機動操縦技能の成績順は、キャロイ、ジュピタス、リーヴハン、リロイ、カルランザ、コルリー、サガラ、キリハラ、レオノフ、スザキだ」
「よく覚えてるね?」
「今回調査したからな。この中から選ぶなら、コルリー、サガラ、キリハラ、レオノフとなるだろう」
「凄いね。完全に成績順じゃん。何それ、適性とかお互いの相性とか関係無し?」
「すまん」
再び矛先が自分に向いてきたのを察したのか、ユリスタンは他の人が目を剥くほど素直に謝罪した。
それをちらりと横目で見やったマリは、諦めの溜息とともにファイルに目を戻した。どうせ大急ぎで決めなければいけなかったので、そこらへんの精査は諦めてしまったのだろう。
その代わり、ユリスタンを扱き使ってもいいのでマリが隊を掌握しろ、ということなのだろう。
無茶を押し付けてくれる。と、呆れつつも、元来楽天家の彼女はたいして気にしない。時間が無いわけでもない。技能に差があるわけでもない。やれることはあるはずだ。マリは決意とともに目を通したファイルを閉じる。
「もういいのか?」
「名前と顔と以前第三小隊と対戦したときのコールサイン覚えた」
「コールサイン?」
「そ。その時の模擬戦演習を思い出せば、どんな人か分かるでしょ?」
隣でユリスタンが感心していることにマリは気付いていない。一見、自由奔放なマリだが、その中身は周囲の本質を探る能力に長けた猛獣のようなそれだ。敵の能力を察知し、止めを刺し、仲間の懐を伺い、飛び込む。そうやって仲間を増やし、敵を屠る本当の意味での猫科の猛獣だ。
だからこその成績であり、だからこその今回の抜擢だ。マリは自分自身ではそんなことは気付いていないが。
「別に、全く知らない相手でもないしね。カイゼルは、背後を取られると少しビクつくかな。でも、瞬間的な加速では目が見張るものがあるよね。CFOのシエンタがいいフォローしてるんだと思うよ」
さらりと他の小隊のメンバーについて詳細な戦闘機動について語りだす。
「だから、真っ直ぐなんだろうね、カイゼルって。リョウセイは急旋回させたら、とても綺麗に無駄なく決めるよね。ただ、低高度で上から押し込むと、急降下に躊躇いがあるのか少し動揺するね。ちょっと我儘なところがあるのかな?」
細かい。一体いつ覚えているのだろうか。マリの言動からはそれが異常だという認識は無いだろう。こんなことをヴォンデルランド全体で一体どれだけの人が出来るだろうかと、ユリスタンが考えを巡らせていることに彼女は気付いていないだろう。
「よく覚えているな」
ユリスタンは同期の各コクピットそれぞれの特徴を覚えてはいるが、さすがにこんなに細かい所作は覚えられないのだろう。感心を通り越してあきれ返っている声を出した。
マリは、やはりユリスタンの心境には気付いていないのか屈託なく笑う。
「レクスはもっと凄いよ。対戦相手の代理詠唱のほんの少しの張り具合とか、歪みの変わりようから意識を読み取って対処を思いつくんだから」
さすがは第三小隊だ。
ふと、そういえばこんな風に二人で話すのは久しぶりだな、と別にどうでもいいことを彼女は考えていた。近所に住んでいたわけではないから、そんなにしょっちゅう会っていたわけではない子供時代だったが、物怖じしないマリにとってもユリスタンは数少ない異性の友人だった。少なくともマリはそう思っている。ずっと違う学校に進んで来て、初めて一緒に学ぶことになったヴォンデルランドでは、マリがユリスタン相手に一方的に絡んだり捲くし立てるだけだった。
子供の頃に戻ったみたいだ。懐かしさで嬉しくなってきたマリ。この展示飛行小隊の話も悪くない、そう思えてきた。
「なんだ?」
「べっつにー」
よし。楽しもう。何事も楽しまなきゃ勿体無い。それがマリ・コルリーだ。
目的のブリーフィングルーム。マリは自らノックし、そしてドアを開いた。
「お待たせ。ごめん、ね……。書、類に、手間取っ、ちゃ、って……」
勢いよく放たれたはずの呼びかけは、急速に尻すぼまりに小さくなっていく。
ある意味予想通り、そして一番想像したくない空気が室内を充満していて、マリは自分に与えられた任務の難しさに直面した。
自分の中の急ごしらえの何かが脆く崩れ去っていくのを、彼女は止める事が出来なかった。




