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Project BLUE LADY  作者: 宇佐視ひろし
第二章 FLIGHT
14/26

第七話 金色の小悪魔

難産でした……。色々な意味で……。


大きく育ってほしい物です。

 イライラする。

 あまりにもイライラしすぎて、教官のがなり立てるような声が耳障りでしょうがない。

「このように群で戦闘行動を取る獣人や鳥人に対しては、上空からの機銃掃射という原始的な攻撃が有効なわけだ」

 ロイド・カッツ大尉による戦闘機戦術講義の内容を、教本と照らしつつノートを取る動作はなかば自動的だ。一方で脳裏にちらつくのは、柔らかに波打つ輝きを孕んだブロンドとはにかむような幼い笑顔。鉛筆を圧し折ってしまいそうだ。

 もう一週間だ。あのおぞましい定期健診を終えて、久しぶりに大好きな笑顔を見られると意気揚々と戻って来てみれば、そこにいたのは無駄に輝く小悪魔だった。

「だが、もちろん問題が無いわけじゃない。……そうだな、キリハラ。解るか?」

 珍しい。カッツ大尉のご指名が同じ訓練小隊の仲間、カツキ・キリハラに向いた。ありがたいことにイライラが消し飛び、意識が講義に向いた。同様に三個小隊二十三名の意識もカツキに向いたようだ。

 おや。気だるそうに立ち上がるカツキのそれは、いつもの指名されて困っているものではなく、珍しく憮然とした苛立ちを表に出している。カツキは武闘派(ケンカ屋)などと渾名されていはいるが、基本的に強者には従順だ。整備小隊にも逆らわないし、操縦技術も格闘能力も高いカッツ大尉のような人物にも従順だ。

 そんな彼が苛立っている。

「戦闘機でのストレイフィングは難しいと思います」

 ああ、なるほどね。カッツ大尉の意図が理解出来た。

「相変わらず貴様は機銃掃射(ストレイフィング)精神を蝕む所業(ストレッシング)とかほざいているのか?」

 人の悪いカッツ大尉の案の定な台詞。

 カツキは対地機銃掃射を苦手としている。イーグレットを含む戦闘機全般に言えることだが、低速での安定性の低い機体で地上の目標を攻撃するためには高速で目標上空を通過する一瞬で機銃弾を叩き込まなければならない。ゆえに繊細な操作が必要とされる。ブルーレイディには対地攻撃用の三十八ミリガンポッドというオプションがあるが、イーグレットにはその仕様が無い。練習機だから仕方あるまい。

 カツキはそういう繊細な魔法操作は苦手だった。大尉の言葉に苦々しげに顔を歪めるカツキ。なんとも大尉らしい。

「つまりはそういうことだな。戦闘機というヤツは低空低速での攻撃には向いていない。戦闘機の対地攻撃ミッションは敵の対空邀撃が予想される場合に重点が置かれるわけだ」

 対空防御陣地や敵航空戦力の存在が想定されている場合に、攻撃機よりも運動性の高い戦闘機を選択する。

「では、我々戦術科としては獣人や鳥人の群に対する攻撃手段にはどのようなものがあるか?キャロイ」

 レクス・キャロイの名を呼ばれ、身体の内側に冷たい水を流し込まれていくように何かが冷めていくような気がした。

「はい。高価なところでは、クラスター爆弾やロケット弾ではないでしょうか」

 珍しく淡々と答えるレクス。ちょっと苛立っているようだ。カッツ大尉の意図に気付いているのだろう。

 いい気味だ。あんな小娘にうつつを抜かしているから。二列前の席で立って答えるレクスの頭の後ろの寝癖に、冷笑を浴びせてしまう。

「貴様、面白いことを言ったな。高価なところとはどういう意味だ?」

「機関砲で個体撃破出来る相手に対して、クラスター爆弾やロケット弾を使う場合は、使わなきゃいけないところを選ばないともったいないと思います」

「いわゆる費用対効果だな?」

「はい」

「じゃ、より安価で機関砲以外の選択肢はあるか?」

「自分じゃ思い付きません」

 レクスの声が強張る。異種族を効率的に殺す方法を考えろと言われて、殺傷行為を忌避しているレクスが嫌な気分にならないはずがない。今ごろ、苦虫を噛み潰したような顔をしているに違いない。

 ああ、その顔を見れたらどんなに可愛いだろうか。

「まあ、いいや。でも貴様なら思いつくと思うんだ。少し考えてみろ」

「はあ……」

 カッツ大尉の敢えて空気を読まないで、嬉々として放たれる訓練生を嬲る質問に気のない返事をして、レクスは後方を窺った。

 反射的に笑みを消し、目を逸らした。たまには自分で対処しなさい。

 それでも、嬉しかった。先ほどまでの教官に対する回答は、事前に教えたことじゃないにもかかわらず、きちんとした答えになっていた。それは彼が自分で勉強をしたということだ。少しだけあの寝癖の残った、少し固いあの黒髪を撫でてあげたくなる。

 だが、レクスがむすっとした空気を感じて、少しだけ不安になった。一瞬、このまま彼が遠くに行ってしまうことはないだろうか。さすがにここまでやり過ぎだっただろうか。

「究極の手段で、全弾撃ち尽くしているような場合じゃないと使いたくないですが……」

 唐突に講義室に響き渡らせるような強い声で、レクスはそんな前置きを放った。

 大尉が怪訝な表情を浮かべた。いや、誰も予想していなかっただろう。まさか獣人を効率的に殺戮する方法を、未だに模擬戦でトリガーを引かないレクスが声高に口にするなんてことは。

 そして、その内容に意表を突かれる一同。

「地表すれすれの超低高度で超音速飛行を行なえば、衝撃波でかなりの被害が出せるのではないでしょうか」

 言葉に感じられたのは、八つ当たり。子供っぽいことを時々するレクスらしいガキみたいな感情にイライラさせられる。

 あなたにその資格があるの?そう問い質してしまいたくなる。

 一方、自ら質問しながらカッツ大尉は微かに狼狽を見せた。この教官は腕は確かだし、口の悪さ以外は素行も悪くない。だが、訓練生をいたぶって愉しむきらいがあり、訓練生の誰もがその対象となっている。そんなカッツ大尉が動揺を見せている姿は、訓練生達の溜飲をさげるのに大きな効果を発揮していて、そこかしこで笑いを噛み殺している姿が見受けられる。

「そ、そうか。……シュタンジット。貴様はどう思う?」

 常識的な回答を願ったのか、話はユリスタン・シュタンジットに振られた。

 だが……。

「キャロイ訓練生なら得意の重力魔法や気象魔法で障壁を形成してより威力を高まられるのではないですか?」

 珍しい。シュタンジットも何故か露骨に皮肉を口にした。

 最前列に座る同期主席の表情を窺った。なんだかよく解らないが不満顔で教官の方を見ている。

 奇妙なのはいつもレクスを挑発するような素振りを見せるのに、今日はそれがない。もうそんなことはどうでもいいという心境に至ったのか、……いや、どうやら違う。意地でも後ろのレクスを振り返らないようにしているようだ。

 そんなシュタンジットの気迫に圧されたのか、カッツ教官は一瞬視線を彷徨わせ、そして彼女を見た。

「フルセクター。貴様はどうだ?」

 いかにも苦し紛れな話の振り方にカチンと来た。戦術魔法師(パイロット)の尻拭いは魔術航法士官(CFO)がやれと?

「まず、キャロイ訓練生の案ですが、死にたいのなら勝手に死ね、という感じですね。敵部隊に打撃を与えるほどの衝撃波を得るには、本当に機体を地表にこするほどの低空侵入の必要があるでしょう。よほど腕に自信があるか、精密な地表データが必要でしょ。お勧めはしません」

「ちょっと待て……」

 カッツ大尉が制止する。だが、そんなことは彼女の知ったことではない。

「次にもっとマシな攻撃ですが……」

「だから、待てと言っている」

 たまらずといった感じでロイド・カッツ大尉が一喝したが、それはむしろ悲鳴のようにしか聞こえない。

 鍛え上げられた大の男が、脅えた小動物のように訓練生達の表情を窺い見る。こんなに動揺している主任教官を眺めるのは存外愉しいものだ。思わずレクスに笑みを向けそうになって慌てて目を逸らした。目が合いそうになった。

 咄嗟に口が動いた。

「大尉?なんでしょうか?」

 びくっと肩を震わせる大尉。

「い、いや、貴様の意見は分かった。座ってよろしい」

 動揺を引きずったカッツ大尉の講義は残り二十分ある。


 ユリスタン・シュタンジットにとって障害という物は最初から存在しない物だった。帝国空軍の参謀長を曽祖父に持ち、代々空軍の重職を勤めてきたシュタンジット家である。その嫡男たるユリスタンは幼少期から英才教育を受け、学業、魔法学に秀でた能力を持っていた。それだけでなく理解力、洞察力に優れているため、自分より能力がある者が現れても、すぐさまそれに迫る力を発揮する。

 ある種の天才といえたが、本人は努力をしているという自信はあった。当然、帝国空軍航空士官養成課程への入校も第一位の成績であり、入校後も個人成績では不動の首位であり続けている。

 それは騎士を自任するシュタンジット家の、“力持つ者は国家のために尽くせ”という家訓によるものかもしれない。

 そんな彼には才能を持ちながら、それを他者のために活用しない存在は許しがたいものだった。

「いやあ、今日のカッツ大尉のあの顔は面白かったなあ。ユリ」

 食事中に話しかけてきたのは、ユリスタンの戦術魔法師を勤めるアイザック・ジュピタスである。軍人や貴族の関係者の多い第一訓練小隊の面々の中では珍しい貧しい家庭の生まれで、苦学してヴォンデルランドに入校した一歳年上の青年である。同期であっても年長者のためか、それともブラウンの髪を柔らかく伸ばし、真摯な心根を感じさせる茶色の瞳を持つためか、第一小隊の兄貴的立ち位置をいつの間にか得ているが、難点は少し軽薄な喋り方をしてくることだろうか。

 たとえば、ユリスタンを呼ぶ、その呼び方だ。

「ユリって言うな」

「ええ?可愛くていいじゃん」

 ニヤニヤ笑うアイザック。

「それに可愛い幼馴染みは許されているのに、俺が許されないなんて、なんて不条理だ」

「アイツには言っても聞かないからな。そんな無駄なことをしている暇はない」

「ふうん。ユリスタンって、コルリーのこと嫌いなのか?」

 一体どうしてそういう話になるのか、ユリスタンには想像もつかない飛躍だ。思わず眉間に皺を寄せて、とんこつラーメンを啜り上げた。

 そんな相棒の不景気な顔を見て、アイザックは改めて身を乗り出した。

「仲良さそうに見えるから、疑問に思っただけだ」

「はあ?」

「そんなに驚くことか?」

「驚天動地だな?」

「なんでまた?」

「あの暴力女だぞ?」

 口より先に手が出る。それがユリスタンの知るマリ・コルリーだ。コルリーの父親は空軍の方面隊司令部の参謀を勤めているが、ユリスタンの父との衝突は絶えない。一方で母親同士は学生時代の友人同士らしく互いの交流は未だに続いている。その為、ユリスタンはマリのことを子供の頃から知っているが、活発で運動大好きな彼女はその頃から天敵のようなものだ。

 辟易しているユリスタンをアイザックは醒めた目で見つめている。

「なんだよ」

「いや。ただ、自分を理解してくれる女がいるのに、他の女のケツを追っかけている男ってのは見ていて滑稽だな、と思って……」

 他の女のケツ?滑稽?誰のことだ?

「アイザック。自分の女の趣味を押し付けるものではないと思いますよ」

 横から口を挟んだのは、シルヴァ・イラング・リーヴハン。二番機戦術魔法師だ。気品溢れる切れ長の碧眼に、銀色にも近い薄い色の髪のミステリアスな雰囲気を持つ彼は、帝室にも連なるという名家――法律的にはなんの根拠もないが、いわゆる貴族と呼ばれる家の出で、本来なら陸軍装甲歩兵の中核を成す刻印刀術の使い手なのだが、一族の力が陸軍内部で膨れ上がりすぎる事を懸念した長たる祖父によって空軍に入ることを命じられた不遇の青年だ。

 刻印刀を用いれば銃火器を持つ他の訓練生を圧倒するほどの力を持つため、唯一搭乗機内に私物持込を許されたパイロットでもある。

「俺の趣味ってなんだよ。俺の愛しい人はもっと清楚で慎ましやかな女子(おなご)だぞ」

 それなら気が合うな、とユリスタンは思った。とある黒髪の少女のほんの微かな笑みを思い浮かべながら。

「へえ、そうなんですか。てっきり恋人ってのは、いかがわしい性癖を隠すための言い訳なのかと思っていましたよ」

「お前、俺のことなんだと思っているんだ?」

「ヴォンデルランドの変態魔術師」

「有難すぎて返上して、環月湖の底に沈めて、お祓いしたいレベルの渾名だな」

「じゃ、戦術変態魔」

 しれっと答えるシルヴァの隣で飲んでいたお茶を吹き出したのは、ニカース・ルロイ。

「言葉を並べ替えただけだし、しかも意味が分からん」

 アイザックは評価を下しながら、ニカースが汚したテーブルをそばの布巾で拭き始める。

「あ、ありがとう」

 三番機パイロットのニカースは大人しい見た目どおりの性質の持ち主であり、元々病気がちで体力も無い少年だったのだが、幼少期から戦闘機に憧れ、ヴォンデルランド入校を果たしても度々体調を崩すようなことがあったが、半年もすると努力が実り第一小隊の一員となるほどの好成績を修めるようになった病弱な秀才だ。

「汚いですよ。ニック」

「ご、ごめん」

「いやいや、今のはニックは悪くない。悪いのは明らかにシルヴァだ」

 ニカースの行動を窘めるシルヴァと逆にフォローするアイザック。いつも通りの仲間達の姿がそこにあった。相変わらず軽いアイザックと、シルヴァの毒舌に翻弄されるニカースの姿によくも飽きもしないものだと呆れてしまうユリスタン。

 気にしないで予習をしようと、彼はラーメンを啜りながら教本を取り出した。

「ユリスタン。行儀が悪いですよ」

「ああ、すまんな」

 とシルヴァに答えつつ、ユリスタンは予習をやめない。シルヴァは呆れたように溜息をつく。

 シルヴァはユリスタンのそういうストイックなところは気に入っているが、何事も優雅に行なうべしという貴族的発想からか、時折見せるユリスタンのこういう姿には呆れてしまう。貴族家系と軍人家系の差といえるだろうか。

「ところでシゲル達はどうしたんだ?」

 アイザックがこの場にいない小隊メンバー四名について尋ねた。

「そういえばどうしたんだろう?」

 ニカースは首を傾げている。

「なんか第六(イサーク)小隊と一緒に噂の真相を確かめてくる、とかなんとか言ってましたけど」

「噂?」

「ええ。キャロイの二股とかなんとか……」

 途端、ぴたりとユリスタンの動きが止まったことに、幸か不幸か三人は気付いていない。

「キャロイが二股?フルセクターとあと一人ってことか?」

「ええ。だから今朝のフルセクターは機嫌が悪かったのでは?」

 カッツ大尉の戦闘機戦術講義での一幕のことだ。指名された訓練生が悉く不機嫌だったためにカッツ大尉が目を白黒させていた事件だ。

「つまり、キャロイが二股かけているから、フルセクターがイラついていた?なら、キャロイもなんでイライラしてたんだ?どう見てもそうだったろ?」

「そんなこと知りません」

「でも、フルセクターさんってキャロイ君と本当に付き合ってるの?」

 ニカースが口を挟む。

「まあ、あの二人はあまりにも清潔感がありすぎるな」

 帝国空軍は男女間の恋愛関係には軍隊としては類を見ないほど寛容だ。男女でコクピットを組むことも多いし、コクピットの能力向上に恋愛は無視できないファクターとなっているためであり、魔法戦闘におけるそういう精神的要素は非常に大きいため、空軍では緩いのだ。職場結婚の比率は陸海空三軍の中で文句無しのトップでもある。教官達も訓練生の恋愛関係については節度を守っていれば干渉しない。

 今も食堂内でちらほらそういうカップルの姿が見受けられる。仲睦まじいと思える程度には仲良くしている。

 キャロイとフルセクターもそのような姿を見せていたことは、ユリスタンも思い出したが、そもそもあの二人がそういう恋愛関係だったのだろうか、アイザックとニカースがその根本的な疑問に思い至ったようだ。

「あれは男と女というより、姉弟、へたしたら母子(おやこ)ですね」

「母子って……」

 シルヴァの発言にアイザックもニカースも二の句が継げない。

「なるほどね……」

 不意に呟いたのはユリスタンだった。シルヴァの言うとおり、才能を持つがそれ以外は問題だらけのレクスの面倒をこまめに見ているエリナ、という構図は見受けられる。もし、それが男女の関係だと勘違いしているなら、それはとても不健全な関係だ。

 しかも、ユリスタンの近親者まで巻き込むなどということは許されざる蛮行だ。

「おい、ユリ。何を考えている?」

 またユリと呼ばれたユリスタンは、ムッとして顔を上げた。アイザックの呆れ顔が彼を見下ろしていた。

「余計なこと考えていただろ?キャロイとフルセクターの仲をどうこうしようなんて考えるなよ」

 なんとも物騒なアイザックの発言。だが、それもいいかもと心のどこかで思ってしまったユリスタンは、視線を逸らした。

「なんでそんなことをする必要がある?」

 その言葉を聞いてアイザックが舌打ちした。明らかにユリスタンの心境を察知した態度だ。

「だいたい、お前も今朝機嫌が悪かったな?お前、何か知ってるんじゃないのか?」

 鋭い。

「意味が分からん」

「そうですよ。ユリスタンがそんなことする訳が無いじゃないですか?シゲル達はどうかと思いますが。まあ、野暮だからやめておけ、とは言っておきましたけどね」

 ユリスタンに追従し、そして空気が読めていないシルヴァの発言。アイザックは顔に手をやって天を仰ぎ見ようとしたが、空軍の食堂の天井は味気ない白いパネルでしかない。

「おまえら、もう少し情勢に敏感になれよ」

「ん?」

「はい?」

「そうだよね。マズいよね」

 ニカースだけがアイザックに同意する。

「いいか、この魔法バカども」

「魔法バカ?」

「変態には言われたくありませんね」

「いいから黙って聞け。ユリスタン、お前総隊長になる気あるんだよな?」

「当然だ。そのためにこうして……」

「んなことはどうでもいいんだよ。問題は第一小隊の評価はお前自身の評価になるってことだぞ、分かってるのか?」

「ん?当たり前だ」

 何を言ってるんだ、この相棒は?という顔になる主席殿。

「ユリスタン以外に適任はいませんよ」

「シルヴァぁ~。お前は本当に魔法バカだな。あるいは刀バカか?適任ならもう一人いるだろ?」

 ユリスタンがはっとした一方で、シルヴァは冷めた口調で言った。

「何を言ってるんですか?家柄、実力ともにユリスタンはトップですよ。カルランザは個人成績でも小隊成績でもユリスタンには及びません」

「そこでその名前が出て来るということは、対抗馬になり得ると考えているんだろう?」

 それまで無表情だったシルヴァがムッとする。図星を突かれたようだ。

「総隊長は成績で決定するわけじゃない。同期と先輩の小隊長達、教官達の投票だ。カルランザは結構人気があるんだぞ。面倒見がいいし実力もあるってな」

「そうなのか?」

 一瞬言葉に詰まるアイザック。

「ユリスタン君って本当に他人のこと気にかけないね」

 ニカースの呆れ声に意識が復旧するアイザック。

「それが、ある意味ユリのいいところだけどな……。この間の対抗戦、あれでカルランザの評価も上がっているのが分かっていないのか?」

「二年から出場した三人が第三小隊だったからか?」

「ああ、しかも三人で五勝を挙げた。六戦の内五勝だ。二年としては快挙だ」

 それはユリスタンも認めるところだ。第一小隊から三人出したとして、ユリスタン、アイザック、シルヴァということになるだろうがその三人で六戦中五回も勝利を収めることが出来るだろうか。相当難しい。だが、第三小隊にはそれだけの才能が揃っている。特にエリナの三戦全勝とレクスのレベル5魔法連発。それがたったひとつの訓練小隊の成果だと考えられるわけか。

「特にキャロイ君の大活躍の原動力として、その功績はカルランザ君のものだろうね」

 ある意味容赦の無いニカースの称賛に、ユリスタンの頬がぴくりと引き攣る。あのやる気の無い才能だけの特待生、レクス・キャロイが戦科対抗戦の最終戦でやってみせた、継続重力魔法、複数魔法行使の連発。それは誰にも負けない努力をしてきたユリスタンにとっては許し難いものだった。

 しかも、そんな男にあいつまで……。ユリスタンの脳裏に浮かぶ、いつも自分に向けられていた無垢な笑顔。

「ユリスタン」

 不意にアイザックが改まった声を出した。見ると、シルヴァとニカースも揃ってユリスタンを見つめていた。

「俺達は確かにあんな才能だけで優秀選手になったような奴は気に食わない」

 三人を代表するようにアイザックがレクスをあしざまに扱う。

「無理矢理特待生にされたんだとしても、力がある者は無い者のために立ち上がるべきなんだ。それが努力してもダメだった奴に対するせめてもの慰めだ。それなのにアイツは何もしようとしなかった。そんなキャロイがバカにされるのも自業自得さ。……だが、そんな奴が今や時の人だ。それは認めてやろう。あの実力は本物だ。相棒に支えられているとはいえ、自分で踏み出すことを覚えたようでもあるしな。だがな、俺達はそれ以上に許せないことがあるんだ」

 ユリスタンは珍しく熱弁を振るうアイザックに半ば呆然としていた。

「カルランザが総隊長になることだ」

 言い切ったアイザックにシルヴァが目だけで、ニカースが小さく顎を動かすことで同意を示す。それが小隊の総意だと示していた。

「あんなハグレ者の第三(イカレ)小隊しか指揮したことの無い奴が俺達のトップだと?ふざけるな。他人に厳しくとも自らに厳しく、高みに至ろうと努力を続けるユリスタン・シュタンジット、お前が俺達の総隊長であるべきなんだ」

「あ、ああ」

 気圧されて、それだけ答えるのがやっとのユリスタン。

「だから、お前はシゲル達の暴挙を止めるべきなんだ」

「あ、ああ。……ああ?」

 気圧されて返答したものの、疑問を呈することになんとか成功したユリスタン。

「意味分かるよな?」

「いや、さっぱり分からん」

 念押しするアイザックにユリスタンははっきりと否定した。

「つまりは」

 がっくりと項垂れたアイザックに代わり、シルヴァが口を開いた。

「イジめられてるキャロイを救って、自分の評価を上げて来い、とアイザックは言っているんですよ」

 身も蓋も無いとはこのことだとしか言いようの無い辛辣な言葉。しかし、分かりやすい。

 だが、なんと困難なミッションか……。主に理性と本音の凄まじい葛藤という意味で。


 静謐。

 音という音が眠りについたかのような静けさ。しかし、確かに押し寄せてくる濃密な気配。呼吸、鼓動、僅かな羽音、揺れる枝葉のざわめき、混然一体となってひとつの塊のように、彼が立ちつくす窪地に押し寄せてくるそれに身体は理解出来ない恐怖にとらわれ、鳥肌を立てる。

 大丈夫だよ。彼は自らの本能にそう語りかけた。

 ここにいるのは皆、小さな命たち。ほら、光合成をしていない木々が微かな呼吸をしている。ほら、鳥やリスがねぐらで深い眠りについているゆっくりとした鼓動。虫達が奏でているのは求愛の唄かな?風が少し出てきたみたいだね。取り囲むように並ぶ岩にこびり付いた苔すらも息遣いを潜めている。

 ひとつひとつ気配を感じ取り、それを想像し、そこから生み出されるものに思いを馳せる。

《天と地、そこにありて育むもの》

 事象変換言語(ワーズ)

《風と水、流れて恵みときに奪うもの》

 しかし、それは術者の意志を世界に伝えるものではない。

《木と獣、育まれ、そして旅立つもの》

 それは森羅万象、生きとし生けるもの全てに向けた祝福の言葉。

《世を満たし、死して朽ちてまた巡りて、清らかなる世の理なるべし》

 抑揚に富んだことばを謳いあげながら、いつしか彼は両手を動かし、空中に印を結び、時に足を慣らし、くるりと回り、精緻な陣を描き、森に、いや世界にことばを刻みつけていく。

《美しきなり、醜きなり、潤うなり、腐るなり、すべて変わらず世の理なるべし》

 謳いあげられる世界の礼讃。不思議と押し寄せて来る気配が、ゆるやかに波打っているように見える。無垢で楽しげな、漣のようなものたち。

《全て美しく、暖かく、やわらかな世に、我が感謝を》

 そう締め括り、彼は動きを止めた。

 目を閉じた彼に感じられるのは、高揚した森の空気が徐々に波が引くように引いていく気配だけ。眠りを妨げられたにもかかわらず、観客は謡い手に満足し、そして静かな眠りへと戻っていく。そのようすはどこか愉しげですらあった。

 突然の拍手。

 びっくりした彼は、大慌てで振り返った。もしかしたら彼女が予定を繰り上げて帰ってきたのかと思ったのだ。

 だが、彼女だったら彼の唄を聴いても拍手をしなかったはずだ、とも思った彼の眼に映ったのは、闇の中でも輝いて見えるほどの絢爛なブロンド。肩口で切り揃えられているはずなのに、まるで後光がさしているかのように無邪気に輝き、最近満開になった桜のような笑顔を彼に向けて来る。

 彼のいる真っ暗な窪みに、光が降り注いでいるようだ。

「スゴいです。キャロイ先輩ってそんなことも出来るんですね」

 そうはしゃいでいたように絶賛する小柄な少女を、レクス・キャロイは知らなかった。

 戸惑う彼をよそに少女はレクスの元に向かう。周りに立つ大樹の根と岩の狭間にある窪地のそこに至るまで、苔むした石や湿気を含んだ泥濘がある。少女はふらふらと危なっかしい足取りで下りて来るが、あともう少しという所で足を滑らせる。

 とっさにレクスは両手を伸ばし、少女を受け止める。

 エリナより軽いな、などと失礼なことを思いながら、それまで満たしていたのとは違う豊かな甘い香りが彼の鼻をくすぐるのを感じた。

 足場を確認してから少女を地面に降ろす。

「だ、大丈夫ですか?」

 自分のことを先輩と呼んでいたから、たぶん相手は後輩だと思われるのに何故か敬語のレクス。

「も、申し訳ございません」

 慌てて何度も頭を下げる少女は、レクスの肩より少し上くらいの背丈で訓練生のBDUを着ていた。見たことのない少女だ。対抗戦以来、魔法行使の実習を手伝うようになったレクスは戦術科の後輩達とは意外と面識がある。

 小さく詠唱し、彼女に怪我や汚れが無いかを魔法でチェックするレクス。暗闇でよく見えないので仕方ない。

「す、すみません。わざわざ」

「いえいえ、怪我が無くて何よりで」

 他意無く言った彼だったが、なんだか恥ずかしがっている少女の気配。

「どうした……?」

「あの、少し恥ずかしいですね?身体中触られたみたいで」

 咳きこむレクス。初対面の少女にいきなり変態扱いされて思わず噎せてしまった。

「あ、すみません。そういう意味じゃないんです」

 慌てて否定する彼女だが、レクスは脳裏に浮かび上がった小さいながら柔らかく、丸みを帯びた彼女の肢体の様子を思い出してしまう。エリナ、マリ、そしてレイですら戦術科の少女達は、戦闘機の慣性制御魔法で相殺しきれない高G環境に耐えられるように鍛えられている。

 それとは違う身体のつくり、いやある程度の体力作りは行なっているが、それよりも他の分野に特化しようという教育が行なわれているということは。

「伝視科の人?」

「はい。ヴォンデルランド三三九期生伝視科魔術通信士官(CCO)ミリアナ・シュタンジットです。よろしくお願いします」

 見かけによらず背筋を正し、見事な敬礼をする。

「戦術科三三八期戦術魔法師アレクザルト・キャロイです。よろしく」

 答礼しながら驚いた。シュタンジットということは、あのユリスタン・シュタンジットの親類だろうか。レクスを見下ろすあの冷酷な視線を持つ青年とはだいぶ違った印象を受ける。朗らかな少女の笑顔をまじまじと見てしまった。

 不意にミリアナは目を伏せて居心地が悪そうにしていた。

 しまった。また何かしてしまっただろうか。思い当たるところが全く無い。レクスは内心凄まじく焦っていた。

 だが、それは杞憂に終わった。

「あの」

「はい?」

 意を決したように顔と声を上げた少女に、返事をするレクス。それが、これから始まる災難の始まりとも知らずに。

「好きです。私と付き合って下さい」


 それが先週の出来事だった。

 今、ミリアナはレクスの前で楽しげに魔法のことや抗議の内容について話している。とても理知的な話し方なのに、明るさや奔放さも兼ね備えた魅力的な少女だった。レクスも思わず笑顔になってしまう。

 商業区域(PX)の中にある売店でサンドイッチとお茶を買い、二人は森に面した広場で並んで食事をとっていた。

 あの日からほぼ毎日続いている光景だ。ほとんどミリアナは喋り通しだったが、楽しそうな彼女を見ているだけでレクスも癒されていた。

 実は先週の告白に対して、レクスは返事をしていない。

 困惑してしまったレクスに対し、ミリアナは突然の告白を詫びた上で返事は後日でいいと言った。

 その言葉に甘えた形で結論は後回しにしていることに、レクスは後ろめたさが無いわけではない。

 思わず先週、帝都に戻って昔の大怪我の定期検診に行っていたエリナにどう対応していいかと聞いてしまった。

 途端、エリナは無言になり無表情になった。透き通る黒い瞳が細められた瞼の間から彼を睥睨し、仮面のような表情が一切のコミュニケーションを拒絶しているようで、レクスは背筋が凍り付くような恐怖を味わった。

 だが、直後、彼女はふっと笑みを浮かべた。

「そうね。お互いのことをよく知り合ってみればいいんじゃないのかしら?」

 あまりに正論な彼女に、レクスは目を白黒させた。そして、何故だか不思議なくらい脅えている彼自身がいることに気付いた。

 以来、普通に会話はするし、訓練ではいつもどおりだが、右隣には座らなくなったし、ふとした瞬間には目を逸らされる。自然と苛々を募らせることになって仕方ない。挙句の果てが今日の戦闘機戦術講義でのひとコマだ。

 言いたいことがあったら言えよ。黙ってても分からないだろ。と、何度言いそうになったことか。

「どうしました?」

 ミリアナが首を傾げてレクスの顔を覗き込んでくる。理知的な瞳が探るように動く。

 そう気になっていたのだ。この瞳が彼の中で一体何を探しているのかを。

「お楽しみだな、キャロイ」

 その声を聞いた途端にレクスはうんざりしていた。この嘲りを多分に含んだ粘着質は、第一訓練小隊の面々に違いない。

魔術航法士官(CFO)ほったらかして女の子と遊んでいるのか?」

「いいご身分だね」

「さすがは対抗戦優秀選手は違うね」

 続く笑い声。この手合いの相手はするものじゃない。

 面倒を避けることを決意したレクスは立ち上がり、ミリアナを促がし立ち去ろうとした。

「さっそく無視か」

「女の前で良い格好を見せもしないのか?」

 こういうことは最近減ったと思ったんだけど、やっぱり僕はそういう立場なのかな、と内心愚痴りながら背を向けるために顔を巡らせると、そこに見たくない顔を見付けた。

 第一小隊の連中と他の小隊の連中がつるんでレクスに絡んでいる連中の後ろ、広場の入り口辺りでヴォンデルランドの制服を一部の隙無く着こなしている細身の金髪の青年が、尖った見下ろすような視線をこちらに向けていた。どうせ、内心レクスに侮蔑の言葉でも並べているに違いない。

 だが、事態はレクスの予想を裏切ってくれた。

「先輩方は、一体何なんですか?」

 彼の左側に聞こえた声は、多くの棘を含んでいる。

「レクス先輩がどこで何をしようと勝手じゃないですか?」

 怒りの声を挙げたのはミリアナ。朗らかな彼女の印象からは想像もつかない、まさかの展開にレクスは呆気に取られて彼女が罵声を浴びせるのに任せてしまった。

 絡んできた連中も彼女の剣幕に出鼻を挫かれたのか、目を見開いている。

「それなりの成果を出している先輩を寄ってたかって侮辱するなんて紳士のすることですか?皇帝陛下に忠誠を誓った帝国の士官候補生にあるまじき蛮行です。恥を知りなさい」

 レクスはぎょっとした。この連中は無駄にプライドが高い。そんな痛罵を、公衆の面前でしかも後輩に浴びせられてただで済ますはずがない。

「貴様。先任に対してその態度はなんだ」

 階級と年功序列が絶対の軍隊で彼女の発言は明確な侮辱だ。正直、レクスや比較的そういうことに頓着しない第三小隊の面子でもどうかと思う。

「一対一では敵わないからって、大人数で囲んで侮辱するしか能のない者に対する礼儀なぞ持ち合わせておりません」

 マズい、と思った時には咄嗟に身体が動いていた。ミリアナに向かって伸ばされていた第一小隊の一人の腕を、レクスは掴んでいた。

 しまった。やっちまった。子供の頃からの経験で、これまで明確な態度を敢えてとって来なかったのだが、これは敵対行動と取られても仕方のない行動だ。

 なのに、反射的に口を吐いて出て来たのは……。

「それくらいにしておいてよ。彼女にはきちんと言っておくから」

 なんという上から目線の言い草。この場を収めようという彼の意思を自ら台無しにしたことに落胆しつつ、いよいよ頭にきはじめている連中を視界の収めておく。

「その必要は無いと思いますよ、先輩。この人達は懲罰にかけられるべきです」

 何故に君はそこで火に油を注ぐかな?というレクスの悲鳴は外に出ることなく。

「なんだと!」

 完全にキレた第一小隊の面々。

「そのクソガキをなんとかしろ」

「離せ、キャロイ」

 腕を振り払われたレクスは咄嗟にミリアナの前に立ちはだかった。色々言いたいことはあるが、エリナやマリのような格闘能力を持っていないと思われる彼女を、たとえレクスといえども放置するわけにはいかなかった。

「待って……」

 真正面に立っていた訓練生の顔が、怒りと羞恥で真っ赤になった。他の連中がミリアナに向かってる。いくらなんでも独りでは対処できない。

「この裏切者(・・・)っ!」

 顔面に二重の衝撃が走った。一つは拳がもたらしたもの。そして、もう一つは言葉によるもの。

 裏切者。影で自分の姉がそう罵られているのを知っている。その弟は、裏切ることがないように特待生をさせられたという噂が流れていることは知っている。だから、成績が悪いのに放校処分にならないのだと。

 そして、それは半分は事実だ。彼はこの場にいる誰よりも知っている。自分に向かって放った男よりも、面白半分で噂をしている誰よりも。

 奥歯を噛み締めた瞬間、かちりと何かがはまる感触があった。

 お前たちの誰が、姉ちゃんのことを知ってる……?

 ミリアナを守らなくちゃとか、この場をなんとか収めなくちゃとか、そういったことを考えていたはずなのに、遊び混じりに放たれたたった一言のせいで色々なことが頭の中を一瞬で駆け巡り、頭の中が真っ白になっていく。

 そう思ったときには、自分の顔面の殴りつけた相手の腕を左手が掴んでいた。腕を引き戻す動作に乗じて一歩踏み出す。

 眼前には驚愕で歪む訓練生の顔。一瞬で懐に飛び込まれたことに動揺している。高い格闘センスを持つエリナがよく使う手だ。

 レクスの右拳が握り締められ、相手のみぞおちにそっと触れさせる。

《我が意に従い、その力を解き放て――》

 詠唱が口を突いて出た。それを聞いた瞬間、眼前の相手はもちろん、ミリアナに向かっていた連中も一斉にレクスを振り返った。

「君、知ってる?」

 相手の耳元でのレクスの囁きで、詠唱は中断されたが、彼の頭の中で確固としたイメージが構築されている。これは中止ではない、たたの一時停止だ。レクスが続きを唱えれば、いつでも魔法は発動する。

 それに気付いているのかどうかは分からないが、相手はレクスの言葉の中に蠢いていた黒い物を感じたのか身を竦ませた。

「僕の詠唱速度なら、君が何かするより先に君を粉々に出来るよ」

 選択肢はいくらでもある。重力で押し潰す。全身の水分を瞬時に沸騰させる。真空の刃で腹から食い破る。体内の鉄分を一斉に凝固させる。その薄汚い口を塞ぐためだったら、どんなことでもやってやる。

 だが、それは今はやらない。

 約束したのだ。守ると。そばにいてくれると言った彼女と。

「それまでだ」

 割って入ってきた声を聞いて、思わず詠唱を続行しそうになるほどの怒りを感じてしまった。そもそもの根本は、この声の持ち主が隊の管理をしていなかったから、こんなことになっているんだと叫び声をあげそうになった。

 感情のままにその男を睨みつけていたレクスの前で、突如下に下げられる金髪。

「すまない。私の監督不行き届きだ」

 予想していなかった展開に、ぽかんとするレクス。

「お兄さま」

 え?お兄さま?

 見ると、今までにないくらい晴れやかに笑うミリアナ。

 周りでは呆気に取られ、そして自分達がしでかしたことの重大さに気付いた訓練生達。

「た……隊長……」

 だが、その隊長は頭を上げなかった。

「同じ隊の仲間のしてしまったこと、言ってしまったことの責任は私にある。しかも、今回は妹まで助けてもらった。謝罪はもちろんだが、礼を言わせてもらいたい」

 そしておもむろに顔を上げたユリスタン・シュタンジットは自分の小隊の連中を見渡した。

「シゲル、イオタ、ナルミ、キツハル」

 順々に名を呼ぶ、ユリスタン。そこにあったのは冷淡な響きのみ。

 慌てて直立不動で返事をする四人。

「取り敢えず貴様ら、元気が有り余っているようだ。次の講義までグラウンドを走って来い。アイザック、容赦するな!」

「了解」

 いつの間にか集まっていた、普段レクスに絡むことのない第一小隊の面々によって下手人のように引っ立てられていく四人。

「貴様らはどうする?」

 ユリスタンはあくまでも淡々と訊く。だが、その威圧感は重力魔法かと疑いたくなるほど重苦しい。

 一斉に敬礼し、

「自分達も自主練習に行って参ります」

 ユリスタンが頷くや否や、彼らは一目散に走り出した。いや、ほとんど逃げ出していると言った方がいいだろう。

 凄い。いくら主席だからって、訓練総隊長にもなっていない同格の訓練生のはずなのに、ここまで他者を統率出来るものなのか。レクスには到底計り知れない世界が目の前にあった。

「ミリィ。お前もお礼を言いなさい」

「はい。お兄さま」

 さっきまでの剣幕は何処に行ったのか、とても素直にミリアナはレクスに頭を下げた。煌びやかな金髪がくるくると楽しそうに揺れている。

「ありがとうございました、レクス先輩」

「いや、別に……」

 ごにょごにょと何かを口しているレクス。

 そんなレクスに構わずユリスタンは告げた。

「すまん。処分は免れないと思う。私闘扱いになってしまう。環月祭前だってのに」

「いいよ。ミリィちゃんに怪我が無くてよかった」

 気を遣ってみせたユリスタンに、半ば反射的に気を遣うレクス。その互いの姿に、お互い苦笑を浮かべてしまう。

 あ、こいつ笑うんだ。と失礼なことを考えていたのはレクス。

「そうか……」

 何かに納得したようなユリスタン。

「貴様にも矜持があったんだな……。あとで教官室で」

 そう言い残して去っていく。

 矜持。そんな立派なものかどうかは分からないけど、少なくとも曲がったことは嫌いだよ。

 レクスはユリスタンの背を見送った。背負った物をきちんと背負うと決めている男の背中は存外かっこいいと思った。

「すみません、先輩。私これで……」

 脈絡も無く言うミリアナだったが、レクスは驚くことは無かった。

「ああ、そうだね。だけど、ミリィ。嘘はダメだと思うよ」

 レクスの言葉にミリアナのくりっとした可愛らしい目が、さらに見開かれる。そして、うつむき気味にごめんなさい、と呟く。

 だが、レクスは気にならなかった。所詮、自分に近づく人は何かしら胸に秘めているものだ。そういう立場を彼は自覚していた。

 それよりも、この少女がまたどこかで同じようなことをして、この子が傷つくようなことが起きてしまうんじゃないかと、そっちの方が心配だ。

「ほら、お兄さん行っちゃうよ」

 去ろうとしたミリアナだったが、急に彼女は立ち止まった。

 何事かと窺うレクスの前で彼女は躊躇いがちに口を開く。

「……あの、今度からは私のことはリアと呼んで下さいますか?」

 なんのことだろうと思ったレクスだったが、ユリスタンがミリィと呼んでいたことを思い出し合点が行った。

「分かったよ、リア。君は本当にお兄さんが好きなんだね」

 驚き、しかしすぐに笑顔だけでは足りないと全身で喜びを表現する彼女に、レクスは思わず笑みを深めてしまう。

「はいっ!」


「不様ね」

 エリナは開口一番ばっさりと相棒の戦術魔法師を切り捨てた。

「ごめんね」

 屈託の無い笑顔で独居房の鉄扉の窓越しに彼女に相対するレクスに、エリナはさらに目を細めた。反省の色が欠片も無い。

「後輩の女の子といちゃいちゃしていたら、他の訓練生にインネンつけられて喧嘩沙汰になった?何それ?何の時代劇?」

「返す言葉もございません」

 頭を下げて来るレクス。反省の色が無いのは、彼が反省する必要がないと思っているから。たとえ世界の法が彼に反省を強要していたとしても、彼自身のルールがそれを不要だと判じているからだ。思わず手を伸ばして、刈り上げられた彼の後頭部を撫でてあげたくなってしまう。

 この独居房に来る前、廊下で例の後輩に遭遇した。いや、あれは完全に待ち伏せだった。伝視科の訓練生が、講義終了の解散後とはいえ戦術科の廊下にいることがおかしい。可愛らしい顔して姑息な手を使う女だ。

「あれ、リアじゃん。どうしたの?」

「お久しぶりです、マリさん」

 エリナと一緒に歩いていたマリと挨拶を交わす小悪魔。

「知り合い?」

「ん?うん。ユリの妹のリア。伝視科の魔術通信士官(CCO)だよ」

「そう。はじめまして、エリナ・フルセクターよ」

「はい。ミリアナ・シュタンジットです」

 確かにユリスタンと似ている。いつもしかめっ面の兄と朗らかに笑うミリアナとではだいぶ印象が違うが、鼻筋や顎のラインなどが知性を感じさせるところが似ている。

 だが、それは全て偽装か?

「マリ。ごめんなさい。私、この子と話があるみたい。先に行っていて」

「え?」

 いきなりでエリナとミリアナを見比べて、釈然としないながらも先に行くことを決めたマリ。

「申し訳ありません」

「ん、いいよいいよ。お手柔らかにね、エリナ」

 去り際のマリの一言。しかも、仲間であるエリナではなくミリアナを気遣う言葉まで残していく。

 いい根性だわ。

 それに、この小悪魔に私が手加減などするわけが無いじゃない。

 一度閉じられた目が再び開かれたとき、エリナは極寒と評するに相応しい視線をミリアナに向けた。まるで視線だけで相手を射殺しかねないほどの殺意の篭ったそれを、ミリアナは平然と笑顔で受け流した。

「場所を変えますか、先輩?」

 人の行き交う廊下での会話。今日の講義は全て終了しているが再来月に迫った学校祭に関する打ち合わせを含め、様々なミーティングがこれから色々な場所で行なわれるはずだ。訓練生達が引っ切り無しに通り過ぎる。

「やめておくわ」

 あなたを殺してしまいそうだから、という言葉は口にしない。

「そう」

 素っ気無く少女は頷いた。

 この女は私と同じだ。レイのように偽装した現実主義者ではない。この女は笑顔も、挑発行為も、礼儀正しい所作も、自分の肉体を差し出すことでさえも、全てひとつの目的の為には自然なことなのだ。

「レクスは独房行きよ。満足?」

 ユリスタン自身は軽い処罰で済んだ。小隊員の不始末は自分の責任だとする反省の色が濃かったからだ。

 しかし、当事者の暴言を吐き、暴力行為に及んだ連中と、行使のつもりが無かったとはいえ発動寸前まで殺傷魔法を詠唱したレクスは一晩独居房で頭を冷やすことになった。さらなる処分はこれから下されるだろう。

「違いますよ、先輩。私はそこまでするつもりはありませんでした」

 と言いつつ、その目はこの事態を想定していなかったとは言っていない。

 やっぱり殺そうかしら。不穏な決意が過ぎるエリナ。

「先輩。人はいるべき地位にいるべきだと思いませんか?」

 エリナは目を細めた。ミリアナの意図が読めなかった。

「兄は人の上に立つ人です。兄には他者を統べる姿こそが相応しいんです。そうは思いませんか?」

「興味無いわ」

「そうですか?自分達こそが空軍最高魔法戦闘機(アリス)に相応しいと考えていません?」

「違うわね」

 くだらない。そんなことを考えているわけが無い。

「ん?……あ、そうか。レクス先輩こそがアリスに相応しいんですね?」

 わざとらしく言い直してきた。いちいち癇に障る話し方。図星を突いて動揺を誘おうとでもいうのか。

「だから、レクスに汚点でも着けようと思ったわけ?」

「違いますよ」

 ころころと愉しそうに笑うミリアナ。この可愛らしい笑顔に騙される男は両手の指では足りないのだろう。

「兄は空軍のトップになるべき人です。ゆくゆくはこの国の重鎮となって人類世界に貢献すべきです。それなのに兄は訓練総隊長の地位すら危ぶまれている。それはあり得ないことです」

「今日みたいなことが起きたのよ。それ相応ってことじゃないかしら?」

「違うわ。兄の能力は誰よりも私が知ってるわ。ただ、兄は知らなかったのよ。この世界には色々な物、人、考えがあるってこと。だから私は考えたんです。兄がそれを知るにはどうしたらいいか」

 その答えがレクス・キャロイであると、目の前の金色の笑顔が告げていた。確かにレクスとユリスタンは相容れない存在だ。ヴォンデルランドに来なければ、道で擦れ違うことすらなかったかもしれないほど住む世界が違う関係だ。

「レクス先輩は一流です。兄が決して無視してはいけない存在です」

「へえ……」

 エリナは感心してしまった。

「お兄さん想いなのね?」

 つまり、兄がレクスを無視出来ないようにするためにミリアナはレクスに近付いたということか。場合によっては自分の純潔すら危ぶまれるというのに、よくもまあやるものだ。

 ミリアナはエリナが理解したことに気付き、にっこりと笑った。

「総隊長は無理かもしれません。でも、兄が成長してくれればいつかは上への道が開けるはずです」

 兄のためにそこまでする。胸糞悪いほど面白い少女だとエリナは思った。

「少し興味が湧いたわ。どうしてそこまでするの?」

「兄の為だったらなんでもします。当たり前のことです」

 艶然と笑うミリアナ。

「さしずめ、落ちこぼれの妹に優しくしてくれた優等生の兄に尽くしたい、という妹心かしら?」

 初めてミリアナの表情に変化が顕れた。今まで朗らかに笑っていたのが幻だったかのように表情が失われ、輝きすらも掻き消されて行く。

「次席でありながら、レクス・キャロイの後席で満足しているあなたには理解できません」

 声すら平坦で表情が無い。シュタンジット家は空軍にとっては重要な家系だ。優秀な父母祖先の重圧、兄と比べられ、あるいは家族から疎まれたか。ほとんど無名のCCO訓練生をしていることからして一族では異例なことだろう。

 エリナは小さく笑い、歩き出した。

 ミリアナとすれ違うとき、エリナの左手の甲がミリアナの右頬に触れた。あまりにも自然で注意していても気付かなかったであろう、いつの間にかそこに添えられたそれに篭められていたのは、明確な意志だった。

「今度変なことをしたら、その首刈り取るわ」

「その時は全力でお相手致します」

 互いに凄惨な笑みを浮かべすれ違う二人。

「そうそう。フルセクター先輩」

 エリナの背にミリアナが声をかける。

 エリナは立ち止まった。

「私興味無かったんですけど、レクス先輩って意外といい人ですね。私の狙いもバレてしまいましたし。そのうち隙を狙って私の物にしていいですか?」

 この小娘は何を馬鹿な事を言っているのだろう。エリナは顔だけを向け、何も知らない浅はかな少女を嘲笑う。

「レクスは誰のものでもないわ。私のところに帰って来るだけよ」

 そのまま颯爽と去るエリナ。

 虚を突かれて見送ったミリアナだったが、やがて苦笑いを浮かべた。


 宣言通り、彼は(レクス)帰って来た。いや、例の金色の小悪魔の狙いに薄々気付いた時から彼はどこにも行ってなどいなかった。

 ただ、彼女自身がそれを理解せずに見苦しい嫉妬をしただけなのだ。

「三日間の搭乗停止処分は痛いわ」

 教官達によってレクスには重い処分が課せられた。許可されていない殺傷魔法を行使寸前の待機状態にすることは、最長半年間の航空機搭乗停止処分になる。

 レクスは被害者側であることや、女子訓練生を庇った行為であることがユリスタンによって証言されたことなどが加味されての処分だったが、三日間というのも週一ないし二日行なわれる実機演習を三日停止させられるという意味で、実質二週間ほどになるので訓練生にとっては決して軽いとは言えない。

 それは仕方ない。エリナがフォローすればいいのだ。問題は今までのレクスだったらそんなことはしなかったはずだということだ。何かあったのだろう。

「ガンダルフのこと?」

 ははは、と笑うレクス。友達と呼んだ龍のことではないらしい。

「お姉さんのこと?」

 レクスが目を逸らした。背を向け、扉に寄りかかる。図星のようだ。その背中があると思しき場所にエリナも同じように背を預けた。冷たい防御刻印が成された鉄扉越しに伝わるはずの無い温もりが感じられるような気がした。

 レクスだけだ。エリナがこんな気持ちになれるのは。

「エリナはなんでもお見通しだね」

 違うわ。あなたのことだけよ。

「ありがとう」

 不意にかけられた感謝の言葉。ミリアナに宣言した通りになったと、彼女はこのとき心の底から思った。

 思わず笑いが込み上げて来る。

「エリナ?」

 訝しむレクスの声。

 それでもエリナは、面会時間一杯まで笑い声を上げ続けた。

現状、次回も難産です……。

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