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Project BLUE LADY  作者: 宇佐視ひろし
第二章 FLIGHT
13/26

第六話 雪中座談会

 第二章 FLIGHT 開始です。


 お久しぶりです。待っていた方もそうでない方も、お待たせして申し訳ございませんでした。

「ひとつ確認したいんだけどさ……」

 唐突な台詞は第五訓練小隊の戦術魔法師(パイロット)の一言。

 ハヤト・カルランザ達第三小隊の男子は何事かと同時に顔を上げた。あまりに揃った動きに、自分で声をかけておきながら怖気付く訓練生。普段はメチャクチャで自由奔放なイメージの強い第三小隊だったが、その中身は非常に強い連帯感を持っていることがそこから分かる。

「どうした?」

 第三小隊長のハヤトが固まってしまった訓練生の顔を不思議にそうに見やる。

「い、いや……。別にどうでもいい話なんだけど、気になってさ。訓練とも関係無いし」

「別にいいんじゃねえ?どうせ訓練は中断みたいなものだし」

 ハヤトの隣に座り込んでいたカツキ・キリハラは何気なく、待機していた山小屋の外を見やる。指先大の大きさに成長した白い粒が無限ともいえるほどの数で、暗く沈んだ灰色の世界を舞い狂い、極寒の風が小屋と窓をガタガタ揺らしている。

 雪中行軍訓練。年に一回、年明けに行なわれるヴォンデルランドの恒例行事で、トライウェル連合帝国本島メーンラントの山岳地帯の指定コースを三日かけて踏破する訓練だ。長距離行軍装備で雪の中を進み、隊内の連帯を高めるのが目的だ。当然、天候の悪化や付近の猛獣との遭遇もありうるため、自己防衛のための魔法使用は許可されている。

 第三(カルランザ)小隊は、男子五名、女子三名の構成だったため、第五小隊の男子四人と臨時の小隊が編成され、ハヤトが九名の指揮を執っている。なお女子の小隊七名は、エリナ・フルセクターではなく、ハヤトの指示でマリ・コルリーに指揮させている。

 そんな行軍訓練中に、レクス・キャロイが天候の悪化を予見し、小隊は近場にあった小屋に避難していた。一人が交代で大気操作魔法(パスカル)を駆使して小屋を守りながら周辺警戒を行なっており、今はレクスの担当だ。

「いつになったらやむんだ?ナクル」

 天候の回復を待つのに飽きてきたのか、カツキが気だるそうに相棒に呼びかけたが、ナクル・リンデルは手に持っていた小説から目を離すことなく冷たく返す。

「知らないね。俺は気象予報士じゃないんでね」

「使えねえな」

魔術航法士官(CFO)はなんでも屋じゃない」

「エリナだったらそれくらいすんじゃねえ?」

「あんな規格外と一緒にしないでくれ」

 どんどん言い争いをエスカレートしていく二人に、冷や水をかぶせたのは、ハヤトの相棒のリデル・スターン。

「本当に二人とも熱々だねえ?」

「ふざけるな!」

「やめてくれ!」

 今回の雪中行軍訓練で第五小隊から合流した四人は、第三小隊の規格外っぷりに幾度と無く驚かされていた。そして、たぶん一番規格外なのは、喧嘩すれすれの言い争いを始めた三人をほったらかしにして平然としている隊長だろう。

「それで?話ってのは?」

「あ、ああ」

 問われて戸惑う訓練生。

「気にするな。ただのじゃれ合い――猫の喧嘩みたいなものだ」

「誰が猫だ!」

「うるさい!でかい声出さないでくれ!」

「まあまあ、お惚気はその辺で」

「だろ?」

 ハヤトの問いかけに呆れつつも頷く第五小隊。

「んじゃ、話ってのを聞こうか?」

 改めてハヤトに問われたので彼らも腹を括った。

「他の小隊じゃ噂になっているんだけどさ……」

 そう前置きすると、ハヤトの顔に苦笑いが浮かんだ。やはり騒々しくて周囲の目を引きやすい小隊の長であるという自覚はあるんだろう。

「キャロイとフルセクターって付き合ってるのか?」

 途端、小屋の中が静まり返った。第三小隊の面々がまじまじとこちらを見て来る。何故、こんなときにばかり行動が揃うのか、揃いも揃って不思議なものを見るような顔をしている。漂う奇妙な威圧感。

「戦科対抗戦の優秀選手と同期二位の成績優秀者の美少女の関係が気にならないと思うのか?」

 半ばやけくその返答だが、第三小隊の面々は首を傾げている。

「そういえば美少女だったな」

 最初に呟いたのはナクル。まるで忘れていたかのような発言。

「レクスって魔法以外に取柄ってあったっけ?」

 カツキの暴言。

「おいカツキ。次なんか言ってみろ」

 さっきまで和やかだったハヤトが唐突に殺気めいたものを放ち、カツキが慌てて縮こまる。

「あの二人もラブラブだからね」

 かんらかんらと笑っているリデル。

 一体、なんだこいつらは……。これが成績上位者で占められた第一小隊に唯一対抗している第三小隊の実像かと第五訓練小隊の面々は呆れ果てていた。

 正直、雪中行軍の編成表を見た時は心が躍った。落ちこぼれと言われたレクス・キャロイを抱えながら、高い小隊成績を誇り、戦科対抗戦優秀選手にまで鍛え上げた。それは一体どんな人達なのか、ヴォンデルランドの訓練生として興味が無いはずが無い。

 結果はご覧の有様だ。

 一年課程中に三回の営倉入りという偉業を成し遂げた武闘派(ケンカ屋)カツキや、図書室の端末から閲覧権限の与えられていない資料を強制閲覧して憲兵隊の世話になったナクルは、思ったよりも取っ付き易くて意外だったが、二人は何かと言い争いを繰り広げている。

 今は小屋の外で歩哨を行なっているレクスも今日の行軍では、周囲の景色にいちいち反応して、雪に埋もれた木の枝にある芽に目を奪われたり、空中をキラキラと漂うダイヤモンドダストを観察したりとこれが訓練だということをまるで気にしていない。

 しかも第三小隊の連中はその行動を半ば黙認している。まともだと思われていたリデルは周りの騒動を煽って愉しんでいるし、ハヤトは全部含めて黙認している。また、迂闊にもレクスの悪口を口の端に載せようものなら、その小隊長に睨まれることを覚悟しなければならない。

「エリナと付き合う?想像つくか?」

「俺に聞かないでくれ。回答は非常にデリケートだ」

 またカツキとナクルがやり始めた。

「でもエリナもいい子だよ」

「レクス限定だろ?他の人間なんてごみかなんかだと思ってんだろ」

「そうか?人当たりは悪くないぞ。あれだけ成績がいいとそういうこと鼻にかけたりするだろ?」

 いつの間にかエリナ・フルセクター批判をするカツキに対し、リデルとハヤトが諌める形になっていた。

「あいついつも高レベル魔法を使ってんじゃん。ああいうの鼻にかけているって言わねえの?」

「そうかい?むしろ、自分が出来て周りが出来ないことに戸惑っている感じじゃないかい?」

「確かに心当たりがある」

「そうか?」

「お前はいつも感情的だからそういうのが分からないんだよ」

「んだと?」

「あれってある意味天然なのかな?」

「さあ?ま、個人的にはエリナと付き合うのは想像出来ないな」

 ハヤトの一言にリデルが意外そうな顔をする。

「へえ、ハヤト隊長が?年上じゃないから?」

「なんだそれ?ちなみにエリナは年上だぞ」

 え?小屋の中の全員の声が綺麗に揃った。

「昔、事故で二年ほど学校が遅れたらしい。別に機密事項でもないから言うけどな」

 二年も遅れるとはよほどの大事故だったのではないだろうか。とはいえ、デリケートな女の子の話題を平気で口に出来る剛のつわものはこの場にいなかった。

「エリナ・フルセクターは小隊にとって必要な存在だ。自分や周りを客観視出来て的確だし、高い能力だって持っている。確かに俺達のような軍人の卵は、あいつの技能からしたら戸惑いの対象かもしれないが、痛いところを突いて来る。そんなところだな」

 ハヤトはまとめて、どうだ?という表情を見せるが、第五小隊の面々にとって重要なのはそこではない。

「そうじゃなくて、フルセクターとレクスって付き合っているのかって話だったはずだけど……」

 おお、そうだった、と第三小隊の面々が揃って思い出したように目を見開く。こいつら、ボケるのも全く同時か。

「ちょうどいいから本人に聞こう」

 唐突な提案はナクルだった。

「カツキ。交代の時間だ。レクスと代わって来い」

「ん?」

 軍支給の腕時計を確認するカツキ。

「マジかよ。俺寒いの苦手なんだぜ」

「レクスに教えてもらった魔法を行使する練習の場だろ?」

大気操作魔法(パスカル)ね。一生懸命やってきますよ」

「行って来い」

「言ってらっしゃい」

「よろしく」

 仲間の声に押されて嫌そうな表情を見せながらも小屋を出て行くカツキ。意外と素直だ。

 外で二言三言会話が交わされたかと思うと、扉が開いてレクス・キャロイが中に入って来る。

「みんな、あと一時間もしないうちに天気はよくなりそうだよ。ガスもだいぶ晴れてきたし」

「そうか。じゃ、おいおい移動の準備をしよう」

 レクスの報告にハヤトの返答。

「レクスとエリナって付き合ってるのか?」

 いきなりだった。問われたレクスはもちろん、どうやって切り出したものかとタイミングを計っていた第五小隊の面々すらも無視してナクルの懸案が実行された。

「えらく気にしてるね?」

「リデル。そのおちょくり癖はたまには抑えた方がいいよ。特にカツキにはね」

「了解。だけど、どうしたんだい?君がそんなこと敢えて自分から聞くとは思わなかったんだけど」

「いや、そいつらが聞きたくて仕方ないのに、いざその場で様子を窺っているのが見てて鬱陶しくてね。さっさと面倒ごとは終わらせたい」

「なるほどね」

 リデルは納得したが。

「それで、僕に話を訊くの?」

 何故か不思議な圧力を伴なったレクスの問いかけ。小屋の中に居心地の悪さが満ちてくる。

「俺達は気にならないけど、世間一般は気になるそうだ。答えたくないか?」

 敏感に何かを感じ取ったハヤト。レクスはちらりと第五小隊の面々を見やる。ただ見られただけなのに、小屋の中がさらに冷え込むようだ。自分達は何か触れてはいけないものに触れてしまったのではないか、そんな雰囲気が第五小隊に流れる。

「ま、いいか」

 突然レクスが柔らかく笑みを浮かべた。でも、つまらない話だよ、と一旦前置きをしてから彼は言った。

「エリナは僕が魔法師として戦争を終わらせるための大切なパートナーだ。他の人から見て、それが付き合っているという風に見えるのならそう言えばいい。そんなことは僕は知らない。僕はエリナが見守ってくれる限り、やりたいことをやる。ただ、それだけのことだよ」

 戦争を終わらせる?やりたいことをやる?見守っている限り?意味が分からない。ただ、物凄い宣言をさらりとされたことは理解出来た。

 いつの間にか第三小隊のレクス以外の面々はニヤニヤしている。

「面白いだろ?」

 ナクルが笑いを堪えながらもはっきりと言った。

「この大宣言を聞いた時は小隊全員大爆笑。エリナが真っ赤になって抗議してたね」

 楽しそうに貶めるリデル。

「さすがにこれはな」

 ハヤトまで口元と笑いで引くつかせている。

「なんだよ。馬鹿にすんなよ」

「はいはい。エリナはそういうお前の純真なところを気に入っているんだな、きっと」

「子供扱い?」

「二十一で一児の母か。大変だなエリナは」

「なんでだよ」

「だいたい分かったか?」

 ナクルがレクスを楽しげに虐めているのを傍目に、ハヤトが第五小隊の面々に問いかける。

 なんとなく分かった。男女の仲ではないのだろうけど、余人には計り知れない関係なのだと。そして、レクスはとても特殊なのだと。

「みんなバカにしやがって。だいたい、ハヤトだってディータ中尉と仲いいじゃん」

 途端、ハヤトが目を見開いた。衝撃の暴露?ディータ中尉と?教官と?禁断の関係?

「レクス、それは言っちゃダメじゃないか」

「うん?なんで?」

 リデルがたしなめてもレクスには通じないらしい。

「だって、ハヤトと中尉って二人で話してる時すごく楽しそうなんだよ」

 第五小隊の面々はレクスの言ったことが分かった。ハヤトとシャル・ディータ教官が付き合っているとかそんなことはどうでもよく、ただ二人が仲良さそうに話している様子について言っているだけなのだ。

 だが、タイミングとハヤトの反応に問題がありすぎた。

“ハヤトは年上が好み”と言ったリデルの台詞が生々しく思い出される。ディータ中尉は美しい。スタイルもいい。だが、二十歳近くも年上の相手を?疑惑の眼差しがハヤトに集中する。ハヤトは苦笑いを浮かべているだけ。レクスをしょうがない奴だな、と生温かく見守る大人の余裕を見せている。ように見える。内心は窺えない。さすがだ。

「そういえば、最近ナクルってレイと一緒に何やってんの?」

 一瞬問われたナクルが身体を強張らせた……、ように見えた。おもむろに小説から目を上げ、レクスを三白眼で見つめる。

「最近よく絡まれるだけだ。愚痴を聞いて貰いたいらしい」

 意外だ。無愛想の塊のようなナクルが、明るく可愛らしいレイ・ソルビスの相手をしているとは。

魔術航法士官(CFO)同士仲がいいのはいいことだな」

 まるでこの話の収束を図ったかのようなハヤトの台詞だったが、レクスは何かに気付いたかのようにぽんと手を打った。

「そっか、マリに相手して貰えないから寂しいんだね?」

 何気なく言ったレクスの言葉に、今度こそナクルの身体の動きが固まった。

「な……な、なんで知ってる?」

 動揺に満ちたナクルの声。

 それを不思議そうにレクスが見ている。

「最近、マリがカツキと一緒にいるからじゃないの?」

 ナクルが思わずといった感じで立ち上がって、レクスに右手を伸ばしたところで静止する。第五小隊の目に晒されていることに気付いたようだ。

 レクスに向かいかけていた右手の中指を戻し、そっとずれた眼鏡を押し上げ姿勢を正し、レクスにそっと笑いかけた。だが、お世辞にも余裕のある、さわやかな笑顔には見えなかった。

「もう一度聞いていいか?どうして、それを知ってるんだ?」

「時々、エリナと高速詠唱勝負してるんだ。このあいだはサテライトの高速がけの練習してたんだ。そしたら、カツキがなんか物凄い勢いで話しかけながらマリを追い駆けていて、どうしたのかなって?」

「それって年末のこと?」

 急に第五小隊の一人が声を上げた。

「うん、そうだよ」

 レクスがさらっと返事した。

「どういうことだ?」

 何かを感じ取ったのか、ハヤトが第五小隊の面々とナクルの両方を見やる。その所作は、獲物を探る猛禽のそれだったせいか、誰もが言葉に詰まる。

「ああ。例の第三小隊と第三整備分隊の女を取り合ったっていう騒動のことじゃないの?」

 第五小隊とナクルがすくみ上がって内心で悲鳴を上げていた。リデル・スターン、なんて恐ろしい奴。空気をわざと逆読みしてハヤトを煽って状況を愉しんでいる。

「あれはデマだったはずだろ?ディータ中尉に指摘されて俺も調べたぞ。ユル大尉にも確認取った。整備小隊に問題は起きていないって……違うのか、ナクル?」

 最後にハヤトの一睨みがナクルの眼鏡を串刺しにする。

「い、いや……」

「何か知ってるのか?」

 ハヤトの目が第五小隊の三人を向く。

「サエグサ機付長が愚痴ってたんです」

 すくみ上がっていた一人が恐怖に我慢出来ず、思わず敬語で口を滑らせてしまう。

「お、おい……」

「いい。話せ」

 止めようとしたナクルを制し続きを促がすハヤト。ハヤトとナクルを何度も交互に視線を揺らせていたが、ハヤトの冷え切った視線に降参するように口を開く第五小隊の面々。

「第三小隊の訓練生が整備士と言い争いをしていたって機付長が言ってて……な?」

「ああ。その原因が女子訓練生だったらしいって嘆いていた」

「若い若いとは思っていたが、訓練生と喧嘩するんじゃねえって怒っていたな」

「サエグサ軍曹が……。軍曹は第二整備分隊だったよな。ということは緘口令が遅れたってことか。じゃ、誰かがもみ消そうとしたってことか?誰だ?第三分隊のリューデロイ曹長ってそんなこと通じるのか?」

 第三訓練小隊の使用する機体整備を担当している第二整備分隊の面々を脳裏に浮かべるハヤト。気さくな兄貴分たちであり、搭乗員には分からないようなことを色々教えてくれる。マリ・コルリーなんかは特に女子でありながら自分の扱う機体に非常に興味があり、よくハンガーで談笑している姿が見受けられる。

「レクス」

「なに?」

 天候が回復し始めていることを察しているためか、レクスは一人会話に参加せず背嚢と防寒具、それと小銃の点検をしていた。

「エリナとサテライトの練習していたとき、お前が見付けたのはカツキとマリなんだな?」

 そこで何故か嬉しそうな笑顔を見せた。

「エリナに誉められちゃった。エリナは人数とか装備とかの把握は出来るんだけど、特定の個人の識別は難しいんだって」

 ハヤトは半分も聞いていなかった。むしろ最悪の想像をしていた。

「あのさ、ハヤト……」

 普段、辛辣なことを言いたい放題のナクルが恐る恐る小隊長に話しかける姿は、何故か哀愁漂うものがあった。

「悪い。第五小隊のみんなとリデルは出発準備して外で待機してくれ。代わりにカツキを中に」

「ええっ!」

 ハヤトの指示に何故か不満の声を上げたのはレクスだった。普通は極寒の外で待機する方が嫌なはずだ。

「ちょっと実験しようと思ったのに」

 レクス以外の全員が納得した。だからいそいそと準備をしていたのか。

 対照的にどす黒い何かに染まり始めたものがいることに皆が気付き、リデルでさえもその胎動に悪寒を感じていた。それほどまでにその男は怒っていた。

「おい、レクス」

 聞いたことも無いほど低い声。

「なんだよぉ」

 まるで子供のように不貞腐れた声。それは悪魔を召喚する呪文でしかなかった。

「お前も当事者だろうが」


 ハヤトがレクスに延々と説教している間に、リデル達は装備を整え小屋から出たものの、すぐに吹雪除けの詠唱をすると扉から中の様子を窺っていた。

 カツキは屋内に戻るとハヤトに睨まれ、意味も分からず条件反射で竦み上がった。

「カツキ。その……。すまん」

 普段は罵り合いの相手であるナクルがカツキに頭を下げた。それだけで驚愕の事態だ。

「あ?」

 何が起きたか分からず唖然とするカツキにナクルはさらに言う。

「例のコルリーの件、ハヤトにばれた」

「まさか、喋ったのか?」

 途端、飛び跳ねそうな勢いのカツキの詰問。

「俺じゃない」

 ナクルはレクスを見やった。

「レクス?あんとき、お前ハンガーにいなかったじゃねえか」

 だが、問われたレクス本人は一体何が起きたのか今日の演習当初の元気が無く、ほとんど死に体だ。カツキの疑問――俺が外にいた間に一体何が?

「フルセクターと二人でサテライト使ってたそうだ」

「サテライトぉぉぉぉっ?」

 ほとんどナクルに掴みかからんばかりの絶叫。そんな高等魔法で自主練習する学生がどこにいる。残念ながらここにいた。

「なんでよりによってサテライトなんだ、レクス?」

 だが、レクスはうつろな目であらぬ方向を眺めている。

「もう、どうでもいいよ。どうせ、僕なんて……」

「おい待て。待て待て待て。どこに行こうとしてんだ、おまえ?レクス!帰って来い!帰ってきてくれ!帰ってきて下さい!」

 つられて錯乱状態に陥り、レクスの襟首を掴んでぶんぶん振っていたカツキだったが、不意に背筋に悪寒を感じて身体の動きが止まってしまった。忘れていた。もう一人いたんだった。

「カツキ・キリハラ訓練生。言いたいことはそれだけか?」

 全く聞き覚えの無い聞きなれた声。恐る恐る振り返ったカツキの目に映ったのは、床に座っているはずなのに立っている彼よりも遥かに大きな圧力を持った存在だった。

「事情を説明しろ。何があった?」


 一月前。年が明けるほんの少し前のことだった。

 カツキ・キリハラにとって年末とは一種の鬼門だ。それ故に十二月末のこの時期は非常に憂鬱だった。

 南国のヴォンデルランドに冬は無い。しかし、いつも湿っていた大気が冬ともなれば乾いた風に変わることもあり、半袖ではなく長袖に変わり、制服の上衣を羽織っていたりするが、常に健康優良児のカツキにはそんなことは関係無く、講義が終わるや否やハンガーにいるであろう人物の元へ向かっていた。

 全戦科の訓練生が集う教室棟群からヴォンデルランド湖を囲うように配置された三本の滑走路に向かう環状鉄道の座席に着いても、涼やかな風に揺れる森の木々も、暖かく柔らかな日差しを反射して輝く湖面に目を向けることもなく、苛立ちを抑えられずに膝を揺らしているカツキの姿は、居合わせた他の訓練生にも奇妙に映っていたらしい。

 民間の鉄道と違い、軍用列車の居住性はさして良くはない。ゆえにそんなイライラを撒き散らすカツキの姿は周囲の迷惑になるのだが、彼にはかかずらってる余裕は無い。

「おい、あれって……」

「ケンカ屋だよ」

「マジで?一年で営倉入り五回の?」

 三回だよ。

「ああ、それだそれ」

「でも、最近は大人しくなったって……」

 ヒソヒソ噂話する声が聞こえる。戦闘服(BDU)を着ているところを見ると、翌日の実機演習前のハンガー作業に向かう訓練生か。

 だが、そんなことはカツキ自身には関係なかった。今、彼の頭の中を占めているのはたった一つのこと。

「それしかないよな……」

「何がだ?」

 カツキの呟きに返ってきた返答。隣の席に座っていた丸眼鏡の青年、まさかのナクル・リンデルだった。

 思わず仰け反るカツキ・

「なんでいるんだよ?」

「それは俺の台詞だよ。人が読書しながら第三滑走路に向かっていたら、どういうことか偶然隣に居合わせた奴がやたらとイライラしていたから何事かと思ったら、お前だった。そういうことさ」

「おまえ、いつ乗ったんだよ」

「さっき」

「……ってことは、俺と一緒だったってことか?」

「そういうことになるな」

「その時、俺に気付かねえか、ふつー?」

「読んでたからな」

「アブネえだろ」

「そうか?」

 平然と応えるナクルを前にして答えに窮しているカツキを尻目に、再び読書に戻るナクル。

 カツキも押し黙った。今は他に考えるべきことがあった。

 しばらくそうしてると列車が戦術科管理本部前の駅に到着すると、二人は同時に立ち上がった。

「なんでだよ?」

「ん?」

「付いて来んなよ」

「俺はハンガーに用があるんだ」

 目的地までナクルとかぶったことに驚愕するカツキ。冷静に考えれば同じ戦術科の訓練小隊に所属しているわけだから、目的地が同じになるのはありふれたことだということに彼は気付いていない。

 扉が開くと、カツキは脱兎の如く駆け出し、あっという間に見えなくなってしまった。

 一瞬、呆気に取られたナクルだったが、首を一度傾げただけでカツキのことは頭の中から放り出して、列車を降り、手に持っていた冒険小説を読みながら目的地に向かって踏み出した。


 第三滑走路はヴォンデルランド湖の南東に位置し、南北に伸びる長さは三千メートル、戦術科と打撃科の共用滑走路である。そのため、比較的小型の航空機に分類される戦闘機と攻撃機が数多く利用しているし、他の戦科の初等飛行訓練に第九九戦術飛行隊、第七七打撃飛行隊の訓練飛行が常時行なわれているため、ヴォンデルランドで最も忙しい滑走路である。

 戦術科の施設群は滑走路東側に位置し、北側と南側にそれぞれ一個小隊のスクランブルハンガーがあり、北から第九九戦術飛行隊、教官機、練習機、そして三年課程のブルーレイディのそれぞれの格納庫が並んでいる。

 カツキの目的の人物は大概練習機か教官機の格納庫にいる。しかし、格納庫にも三種類ある。整備状況によって区分される、待機、整備、修理の格納庫だ。それらは滑走路に向かって西から東に縦に並んでいる。

 これは常時規定の機数をいつでも発進出来るようにする為のローテーションが、機体についても行なわれているということだ。

 練習機も常時、十二機の高等練習機(イーグレット)と八機の初等練習機(ダック)を稼動状態に置く為、全四十機のローテーションしている。

 その為、格納庫同士の間の誘導路は平日の昼間は行き交う機体と牽引車(タグ)、そして整備兵、誘導員で結構混雑している。その一糸乱れぬ動きは、職業意識の高さを感じさせる手際の良さと気迫に満ち溢れている。

 さすがのカツキもそんな彼らを邪魔するような真似はしない。

 というか、教官達から叩き込まれているのだ。“搭乗員の命綱を本当の意味で握っているのは戦術魔法師(パイロット)でも魔術航法士官(CFO)でもない。管制官でも司令官でもない。機付長をはじめとする整備兵達だ”

 実際、整備軍曹ともなれば歴戦の大尉ですら平伏す存在であるのは見ているし、カツキも機体の扱い方で何度整備兵から殴られたことか。その絶対的治外法権、整備兵の王国こそがハンガーの正体である。

「ようキリハラ、珍しいな。お前はここに来るのは嫌だと思っていたんだがな」

 イーグレット整備ハンガーの入り口で休憩中だったと思しき整備兵、アレク・スンダ曹長だった。よりによってキリハラ・リンデル組が乗る機体の機付長であり、カツキにとっては教官と同等に苦手な存在だ。

「どうも、お疲れ様です」

 カツキは咄嗟に敬礼した。

 答礼しながら曹長は訝しげに頬を動かした。北のノウサウェイ撤退戦にも参加していたため、被弾して離陸に失敗した味方機の事故に巻き込まれた時に負傷したという左頬の傷が強調され、凄みのある表情に変わる。正直、恐ろしい。そのスジの人にしか見えない。

「やけに殊勝だな?何かあったのか?」

 だが、基本はいい人だ。訓練生といえども搭乗員の様子にはすぐに気付く面倒見の良さもある。

「ちょっと人探しをしてまして」

「誰探してんだ?……マリちゃんなら修理ハンガーにいるよ。今日の修理項目を全部クリアしたから今は手が空いてるからな」

「マジっすか?ありがとうございます」

「マジ、じゃねえ。言葉遣いに気を付けやがれ」

 ほとんどヤクザ者の発言にカツキは慌てて姿勢を正した。

「失礼しました。以後、気をつけます」

「おう」

「では、急ぎますので失礼します」

 敬礼し、答礼が終わるや否やカツキは整備ハンガーの奥にある修理ハンガーに向かった。

 スンダはその様子を眺め、なんとなく嫌な予感がしたのか彼も向かうことにした。


 ナクル・リンデルには疑問があった。

 イーグレットの通信魔法系統には傍受されやすいという弱点があるのではないかと。ということは作戦行動中に適性勢力に友軍の情報が漏洩することもあるのではないか、と。そこからイーグレットの制御系統も妨害されることもあるのではないかと。

 それらを問い質したところ、デスクで事務仕事をしていた第二整備分隊長イクム・リューデロイ曹長は呆れたようにナクルを見上げた。

「なんですか?」

「いや、第三(カルランザ)小隊の連中はずいぶんと余裕があるな、と思ったんだよ」

 リューデロイ曹長は五十代半ばの整備兵で整備中隊全体でも最古参の整備兵だ。先代ブルーレイディも整備したこともある豊富な経験を誇る。

 整備帽を取り、真っ白になった頭髪を二、三度掻き、怪訝な表情を浮かべるナクルを向く。

「ま、実物見るのが一番だろ。ちょうど修理ハンガーにお前さんらの機体があるしな」

「ありがとうございます」

「いいってことよ」

 リューデロイ曹長は事務室にいた他の整備兵に声をかけると、ナクルを伴なってハンガーに向かった。

「しかし、カルランザ小隊はつくづく優秀だな」

「そうですか?」

 ナクルは興味無さそうに応え、リューデロイは苦笑いを浮かべた。

「変な奴ばかりだがな」

「ああ、それはよく分かります」

「お前もだ」

「自分でありますか?」

 眼鏡の奥の目まで丸くなるナクル。

 リューデロイは全く自覚の無いナクルを見て、やはり彼らカルランザ小隊はヴォンデルランド戦術科の中でも異質な存在だと改めて思った。

「普通の訓練生はお前らの時期で魔法対抗手段(MCM)に興味は無えんだ。機体の操作に手一杯でそんなこと考えられねえもんだ」

 ナクルには相槌を打つくらいしか出来なかった。

「まあ、お前らは一番機体をぶっ壊してくるからな」

「それは本当に申し訳ございません」

 若干脅えた様子で頭を下げる訓練生。そんな姿を見やって口角を上げはするが、リューデロイ達整備兵は彼らを好ましく思っていたりする。彼ら第三訓練小隊は決して操縦技術に問題があるというわけではない。未熟で荒削りながら、機体の性能を最大限発揮しようという気概が感じられる。訓練が終わり返却された機体を見れば一目瞭然だ。普通の訓練生なら恐がって手加減をしてしまうところを、彼らは平気で踏み込む。

 正直、僅か三ヶ月ほどでイーグレットの性能をここまで把握するとは思わなかったし、来年ブルーレイディが彼らに納品された際は、彼らがどれほどの力を発揮するのか楽しみだ。

「概略だけは説明しておいてやる。イーグレットには操縦系が三系統あるのは知ってるな?」

「はい。ブルーレイディには四系統ありますね」

「そうだ。確実に機体を稼動させるためだ。操縦伝達はどのように行なわれる?」

「フレームや装甲面の刻印魔法と事象変換言語(ワーズ)流体によってですね」

「そうだ。パイロットのイメージを操作をワーズ変換し機体各所の対応する部位の刻印魔法を励起させる。この際操縦系統魔法と刻印魔法の間に物理的接触は必要無い」

「はい。情報交換魔法(エクスチェンジ)ですね」

「そうだ」

 ちょうど二人は戦術科整備棟の通用口を出、教官機格納庫の向こうにある練習機格納庫に向かった。冬でも強さがあまり変わらない陽射しが、二人の目を細める。

「自分はそのエクスチェンジに割り込みをかけられることは無いのかと考えたのです」

「エクスチェンジは距離の概念が無いのは知っているか?」

「はい。しかし情報が行き交うなら……」

「だから、行き交うんじゃないんだよ。交換するんだ。物理法則を無視して、あっちとこっちがぱっと入れ替わる。それがエクスチェンジだ」

「なるほど……」

「だからお前さんは通信不調を起こし易かったんだな?」

 問いかけられて、訓練中に突発的に通信障害に見舞われることがあったキリハラ・リンデル機だったが、その原因がナクルの魔法に対するイメージの欠落にあると指摘されたのだ。思わず顔が熱くなる。

「ま、お前さんの相棒は勘でフォローしているんだからたいした奴だな」

「……はい。そうです」

 なんだかんだ言ってもカツキはナクルの相棒だ。

「さて話を戻そう。エクスチェンジその物は妨害を受けないことが分かったな」

「はい」

「で、続きだ。MCMの基本的な魔法はなんだか分かるか?」

 それは未だ講義でも出てきていない分野だった。だが、魔法その物を妨害することは出来ないということは今聞いた。

「なら、刻印に介入するのか?上書魔法(オーバーライド)ですか?」

「そうだ。刻印魔法に直接介入するにはオーバーライドが一番いい」

「しかし、オーバーライドは対象魔法の詳細が分からない状態では行使が不完全では?」

「行使する必要なんてあるか?」

「はい?」

 問い返されて一瞬呆気に取られたナクルだったが、すぐに気付いた。

「なるほど。行使ではなく妨害が目的なんだから一部分だけ上書き(・・・)すればいいんですね?」

「そういうことだ」

 リューデロイは思わず笑みを浮かべた。本当にこいつらは理解が早い。

「刻印のイメージ伝達部、あるいはワーズ代理詠唱起動部だけ妨害すればいい。……というわけでワーズ流体の封入部位は隔離魔法が施されているし、各操縦系統の伝達部と起動部にはそれぞれ十二種類の刻印の中からランダムで設定されている」

「なるほど」

 ナクルは納得したようだ。

「今からそいつの一例を見せてやる。ちょうど一機が流体交換……」

「だから無理だって言ってるだろ!」

 二人が到着した練習機修理ハンガーに響き渡ったのは、困惑と苛立ちの入り混じった少女の大声だった。


 意味わかんない。

 マリ・コルリーの内心はこのたった一言に尽きる。

 BDUに着替えて、日課とも言える整備見学に相棒のレイ・ソルビスと来ていたのだが、思わぬ闖入者によって彼女の精神は、今すぐ目の前の僚機の戦術魔法師をぶん殴ってしまいそうなレベルまで追い込まれていた。

 なんせ、突然現れた彼は何の前触れも無く言ったのだ。

「冬休み中におまえんちに泊めて欲しい」

 年末年始の冬期休暇中、訓練生はヴォンデルランドで生活することは可能だ。ただし、当直以外教官も四年課程の先輩も少なく、商業区画(PX)も営業を停止し、街や近隣の都市との交通も減らされる一週間は自活能力が要求される。

 だからほとんどの訓練生は実家に帰ったり、旅行に出かけるのだが。

 それが何故、男を自分の家に泊めるという話になるのかマリの動物的先読みをしても理解不能だ。

 ゆえに最初に出た言葉は、

「カツキ、あんたバカにしてんのか?」

 それまで比較的楽しげに整備兵の話を聞いていたとは思えぬ、腹に響く重低音。本気で怒りを顕にしているマリに慌てふためくレイにも気付かないカツキ。

「頼む。俺、行き場所無くてさ」

 なるほど先ほどもそんなことを、この男は言っていたような気がする。

 だが、問題はそこではない。マリの様子に気付かないカツキの態度はあまりにもふてぶてしく、仮にも女性にする願い、というか無茶ブリをする人間のそれではない。

「無理」

 それでも必死にお願いしてくる彼に、さすがに悪ふざけでもそこまではしないと考えた彼女は、何か事情があるのだと思い拳ではなく言葉で応じた。

「そこをなんとか」

「無理」

「迷惑料払う」

「無理」

「頼む」

「無理だから」

「お前しか頼れないんだ」

 その程度の言葉で本当に説得しているつもりがあるのか?必要なのは、分かる。だけど物事には順番というものがあるはずだ。頼みごとの真意がそういうこと(・・・・・・)であるのか、はたまたそうでないにしても真意をはっきりさせてくれなければ応えられるかどうか判別できない。

「理由は?」

「それは……、ここでは言えない……」

 問うて見れば返ってきたのは、不貞腐れたような表情。

 そこに恥じらいは無いことを見て取ったマリは、これは色事ではないと気付いたものの、押し黙り目の前の少年を睨み付けた。苛立ちは募る一方だ。

「おいおい、どうしたんだ?」

 二人の険悪になりかけた雰囲気に気付いたのか、整備兵の一人が話しかけてきた。

「お騒がせしてすみません。問題ありませんから」

 咄嗟に反応するカツキ。

 だが、その面倒だからというのが見え見えな慇懃無礼な態度は隠し切れていない。歴戦の整備兵で構成されているヴォンデルランド整備隊の一員としては当然面白くない。

「おい、貴様。どういうつもりだ」

 この整備兵の問いかけをカツキは完全に無視してしまった。

「だから頼むよ、マリ」

「おい!」

 声を荒げる整備兵。レイが慌てて宥めようとしているのが見える。カツキは未だ必死にお願いを繰り返す一方だ。

 色々なものが頭の中でぐちゃぐちゃになって溢れてきて、もう何もかもが我慢出来なくなってしまった。

「だから、無理だって言ってるだろ!」

 自分でも無様だと思ってしまうほど力任せで震えた声。

 なんだろう。なんでだろう。どうして自分が涙声混じりでなのか分からない。何か期待していたんだろうか。それなのにカツキはどうしようもなくバカで鈍感で、挙句の果てには整備の方に喧嘩売って……。

 言い争いになりかけていたカツキと整備兵が二人揃って静まり返ってマリを見ている。

 そんなカツキの初めて彼女に向けられた申し訳無さそうな表情に、居た堪れなくなって、

「ごめん」

 そう言い残し、修理格納庫の出口に向かって駆け出した。

「待ってくれ」

 唐突にBDUの腕を掴まれ、かけられたのは必死な感情が溢れた今までとは別の人物の声。

 顔を上げると丸顔に丸眼鏡の小隊の仲間がいた。

「頼む」

 勢いよく下げられる頭。マリは驚きとその珍しさで、今までの感情が吹き飛ばされてきょとんとしてナクルの後頭部を眺めていた。

「あいつはバカだけど悪いヤツじゃない。別のところで話を聞いてやってくれ。頼む」

「あ……。はい……」

 気付いたら、返事をしていたマリだった。


「アイツってバカでさ、実家がキリハラ精工だなんて私ずっと気付かなくてね。どうやら実家に帰ると軍を辞めさせられかねないし、下手したら見合いを強要されるかもしれないから行き場所無かったらしいんだよ」

 マリは同期の各小隊から女子七人で組んでいた雪中行軍チームで雪原を歩きながら、キリハラ騒動の顛末について語っていた。

 どうでもいいバカ話だ。今、目の前に広がる真っ白な雪の高原を見ていると、そうマリは思う。

「へえ。意外だね。リンデルってそういうことしないんだと思っていた」

「そうだね。整備の人達も諌めて丸く収めたんでしょ」

「意外とアツいヤツだったんだ」

 どうやら女子の中でナクルの評価は急上昇中らしい。相棒のカツキの不始末を一身に背負って問題にならないように頭を下げまくったのだと、マリの話から分かったのだろう。

「それで?」

「ん?」

 ニヤニヤ笑いの女性陣に詰め寄られ、マリは嫌な予感がした。

「キリハラとはどうなったのよ?家に泊めてあげたんでしょ?」

 予想していたとはいえ、この寒い中でもこのテの話になると元気になるのは世の女の子の共通スキルだ。

「別に何も無いわ。オヤジもアニキ達も前線だったり海外だったりで家には誰もいなかったから、そこら辺は大丈夫。アイツには慰謝料代わりに色々遊びに連れ回して財布の中身吐き出させたわ」

「さすが私達のマリ・コルリー隊長」

「策士だね」

 それは誉めているのか、それとも女子として否定されているのか。

「だけどアイツ本当にお坊ちゃんだったんだな、て分かったよ。だって金銭感覚狂ってんだもん。高級レストランとか物怖じしないし、一本いくらか見当もつかないワインとか平気で注文するんだもん」

「ほうほう。それはまたロマンチックですね」

「そのあとは?そのあとは?」

「だから何も無いって」

「ええ?」

 苦笑いして相棒のレイを見やれば、そこには物凄い不機嫌に頬を膨らませた少女がいた。

「レ……レイ……?」

 どもった。

 じろりとマリを睨むレイ。

「いいですね、コルリー訓練生は。男の子と仲良くなっている間、私のことはほったらかしだったんですからねえ。私のことなんてどうでもいいんでしょうねえ。これだから、男が出来ると女ってヤツは……」

 と、ぶつぶつ呟いている。

 さすがについていけないマリは引き攣った笑顔を浮かべた。

「困ったわね……」

 その声は先頭を歩いて斥候をしていたエリナ・フルセクターのものだった。

 隊長役のマリはさっと左手を挙げ、右手で魔動小銃の銃把を握り直した。エリナが何か障害を発見したと、判断したのだ。個人成績同期二位は変わらないのに、女子小隊を編成してもエリナは小隊長に任命されなかったのは彼女らしいと言えば彼女らしい。

 マリの手信号に他のメンバーも、レイですらもそれまでの遊び半分の態度を切り替え、所定のポジションに散開して油断無く小銃を構え周囲に気を配る。

 だが、最初に声を上げたエリナは振り返り、

「ごめんなさい。違うのよ」

 と、無表情に告げた。

 どうやら周囲に異常があったというわけではないらしい。

 マリは左手を小さく左右に振ってから下ろして、警戒態勢を解除する。

「どうしたんだ?」

「さっきのキリハラの話だけど……」

「ん?」

 エリナが珍しくレクスに関係の無い話に興味を示したことで、女子訓練生全員の注意が向く。

「カルランザは知らないのよね?」

 淡々と話すエリナを見て、マリも思い返す。そういえばナクルが事件を片付けたためハヤトには報告していない。その事実が布に沁み込むインクのようにそこはかとない不安を広げていく。

「困ったわね」

 もう一度エリナが呟いた。

「当事者のあなたとキリハラは当然として、状況になんとなく気付いていたレクスにも罰が下されるかもしれないわ。どうやったら避けられるかしら?」

 自分にも罰が下されるかもしれないのに、相棒のことしか心配していないエリナをさすがだと思う自分は、おそらく現実逃避をしているんだろうなとマリは思った。


 雪中行軍訓練後、第三訓練小隊は緊急ミーティングを開催し、ハヤト・カルランザ小隊長による聴取という名の説教が延々と行なわれ、リデル・スターン以外に対して反省文の提出が命じられ、それは夜を徹して強行された。

 翌日、ヴォンデルランドに帰隊するや否や教官室、整備隊に出頭し陳謝させられ、さらに自由時間における追加ロードワークと整備隊の作業補助という罰が、ディータ中尉のほどほどにな、という言葉を無視されてハヤトによって実行された。

 おそろしいことには、ハヤトは他の隊員が根を上げる中、反省文も罰も全てこなしつつ隊員に対し罵声を挙げ続けたという。

 ここに鬼のカルランザの異名が誕生した。

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