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Project BLUE LADY  作者: 宇佐視ひろし
第一章 COCKPIT
12/26

第五話 祝福の森で

 煌びやかな照明。美しい旋律。彩り豊かなもてなしの品。華やいだ雰囲気の年若い男女。

 私のいる場所じゃないわね。

 私物のドレスの着用が認められていたが、紺色のジャケットと水色のタイトスカート――訓練生の制服に身を包んだエリナ・フルセクターは会場の壁の花となって、談笑している男女の姿を眺めていた。

 ヴォンデルランド戦科対抗戦合同慰労会。試合会場だった体育館を丸々会場にして、訓練生達の健闘を称え、明日への英気を養ってもらう趣旨らしい。

「あ、いたいた。最多勝選手がこんなとこにいていいの?」

 裾や袖口にもふんだんにフリルが使われた、クリーム色の可愛らしいドレスの身を包んでいるのはレイ・ソルビス。明るい赤毛を煌かせ、くるくるとした目を輝かせて笑う彼女は本当に可愛らしいと思う。

「数が多いだけよ。優秀選手ではないわ」

 確かに全登録選手二百四十名中三勝を上げた者は十二名いる。その中には優秀選手に選ばれた者もいれば、そうでもない者もいる。

「謙遜だね。私はエリナのそういうところが好きだけどね」

 レイの隣に立つマリ・コルリー。制服をスラックスで着こなす姿は、男装の麗人の装いであり、レイと並ぶと本当に誂えたかのような二人組だ。一部には倒錯的な趣向の女子訓練生の注目の的らしいが、なるほど納得だ。

「ありがとう」

「それよりも、さっきはユリがまたしつこかったようだけど、大丈夫だった?」

 ユリ?ああ、ユリスタン・シュタンジットか……。

 エリナは、さっきまでそばで何かと話しかけてきていた同期主席のことを思い出した。

「私の試合についていくつか質問されたわ。それくらいよ」

 答えると、マリが何故か微妙な顔をしている。

「なに?」

「いや、あんたって意外と鈍感だなって思って……」

「レクスとどっこいどっこいだね」

 マリとレイが口々に言う。意味は分からないが、なんとなく馬鹿にされた気がした。特に、レクスのことを悪く言うとはいい根性だ。

「レクスは鈍感じゃないわ。感受性が鈍かったら、あんな魔法は使えないわ」

 マリとレイが全く同時に自分の頭に手を当てて、頭を振る。まるで何かの振り付けのようだ。

「悪い、言い間違えた」

「ごめんね」

「レクスのこと以外は極めて鈍感なんだな……」

「だねえ」

 なんか少し腹が立ったので、心の清涼剤を求めてエリナは視線を会場に彷徨わせた。

「レクスなら教授達やら軍のお偉いさん達に捕まってる。優秀選手だからね」

「そう」

 残念だ。今大会の優秀選手は十五名。一試合に一名の計算だが、必ずしもそうではない。基準は目覚しい活躍をした者、チームの勝利に貢献した者、卓越した技術を見せた者などとなっている。

 レクスは複数魔法行使(マルチキャスト)と刻印魔法の上書魔法(オーバーライド)という二つの高等技術で観衆を魅了した。エリナ自身もその美しさを痛感していた。乱れの無い、抑揚に富み、優雅にさえ聞こえる高速詠唱。左右の手が織り成す緻密な陣。そして、事象変換言語を扱いうるだけの正確無比なイメージ力。全てにおいて魔法師としてトップレベルであり、むしろ芸術の域に達している。

 見蕩れた。心を奪われた。

「ずいぶん素直だね?いつもは慌てて否定するのに?」

 にこにこしたレイにエリナは首を傾げる。

「何を?」

「ありゃ」

「ダメだな。恋は盲目っヤツかな」

「は?恋?」

 疑問符は怪訝な表情へと変わって行く。

「みんな見てたんだよ。エリナがレクスに二度も何か話しかけてたの」

 それはそうだろう。数千人が見守る試合場のなのだから。

「たいしたことじゃないわ」

 試合前はそもそも無言だし。試合後は彼の労をねぎらっただけ。いつもの彼ならば到底出来ないことを、あの重圧の中で最高の形でやってのけたのだ。誇りに思っていた。もっと誉めてあげたい。もっと慰めたい。もっと傍にいてあげたい。ただそれだけだ。

 というエリナの思考を読んだわけではないだろうが、レイとマリは半ば呆れた様子で、嬉しげに頬を緩めるエリナに疑問をぶつけてみた。

「レクスって、あんたのなんなの?」

「戦術魔法師よ」

 即答だった。

「いや、そりゃそうだけどさ……」

「エリナって、レクスのことどう思ってんの?」

「どういうこと?」

 首を傾げるエリナ。

「好きとか嫌いとか……」

「好きだわ」

 あまりにも即答を連発するエリナに、二人の方がたじたじになりつつあった。なんかエリナの回答の意味合いが、彼女達の予想を超えている気がして思わず躊躇ってしまうのだ。

 それでもマリは勇気を振り絞って聞いてみた。

「あんたって、レクスを見てるとどんな気持ちになるの?」

 不意にエリナが無表情になる。その美しいまでに冷たい表情に二人の背筋に冷たいものが伝い落ちる。何か地雷を踏んでしまったのではないかと……。

 そんな二人の危惧をよそに、エリナは顔一杯に満開の花を咲かせた。

「とっても可愛いの」

 ぽかんとする二人。

 そんなことに気付かず喋るエリナ。

「普段はやる気も何もないくせに、魔法を使っているときとか、空を飛んでいるときとか子供みたいに無邪気で、可愛くて、私まで嬉しくなって、思わずぎゅって抱きしめたくなっちゃうの」

 どうやらエリナには恋愛という概念は無いようだと、二人は悟った。


 ヴォンデルランドOBの先輩、航空総隊将校達、地元地域で協賛してくださった方々、そんな多くの来賓との挨拶をひっきりなしにこなす。それが戦術科チーム主将としての最上級生の任務でもあった。

 ヒューイ・レイビスはヴォンデルランドの重要性を理解していた。航空総隊直轄初等教育航空団(ヴォンデルランド)は、将来の帝国空軍の全航空機搭乗員を養成する機関であると同時に、二つの教育航空群と一つの防空群で構成されている兵士整備補給人員一万人を抱える巨大基地だ。出入りの地元業者、商会との関係を考えると十万人単位の雇用を支えていると言えるだろう。

 キャプテンとしてそうした人々の支えを理解して応えるのが義務であり、隣に立つロアシーズ・フェルクラインもそれを理解していると思う。

 とはいえまだ若い二人が疲れを知らずにそんな対応を続けられるわけではない。ようやく一息つくことが出来た時、二人揃って思わず溜息を漏らして、顔を見合わせて笑い合う。

 それぞれワイン片手に人の輪を抜け出し、落ち着ける場所を見付けた二人はヒューイ以外の優秀選手が手荒い祝福を受けているのを眺めていた。

 特に今日の主役とも言えるレクス・キャロイは先輩後輩を問わずもみくちゃにされていて制服が皺になってしまっている。試合後ずっとうつむいたままだったから心配していたが、今は笑顔で輪の中心にいる。

「レイビス准尉」

「二人しかいないのに無粋だね、ロア」

 永年使っている愛称でロアシーズを呼ぶヒューイ。一瞬面食らった彼女だが、片頬をつり上げて苦笑いを浮かべる。

「あまり大っぴらにするもんじゃないだろ?」

「そうでもない。飛行隊の連中は気付いている」

 レイビス家とフェルクライン家は縁戚関係にあり、二人は幼馴染みであり、許婚候補でもあった。

 やれやれというようにロアシーズは頭を振った。

「ドレス着てくればいいのに」

「訓練総隊長としてそれは拙いだろう」

「可愛いのにな」

「ヒューイ。酔っているのか?」

「この程度で酔えるか。三次会まで待っているんだぞ」

 その手配をしたのは彼女だったが、ヒューイのこんな愉しげな姿を見るのは久しぶりだった。

 そんな彼がいてくれることが頼もしく感じられた。

 だから、思わず本音が漏れてしまったのかもしれない。

「私は恐くなったよ」

 ヒューイが驚いて彼女を振り返ると、口に出した本人も自分が言った言葉に目を丸くしていた。

「な、何を言ってるんだろうな。柄でもないな」

 そう言って苦笑する彼女の目がかすかに揺れていることに、本人は気付いていないようだ。

 ヒューイはそんな彼女を黙って見つめた。彼女はきまり悪そうに目を逸らしたが、言葉だけは続けた。

「今日、カルランザになじられた」

「カルランザが?」

「ああ。キャロイを傷付けたことを赦さない、と」

 ちらりと会場を見やる。ハヤト・カルランザは教官達と楽しげに話しこんでいるようだった。そんなことを言い放つような雰囲気は微塵も感じられない。

 レクスは訓練小隊の仲間と談笑しているようだ。

「あの二人の試合……。あれを見て、私は……」

「二人?」

「キャロイと……、フルセクターだ」

 エリナ・フルセクターの試合。レクスの直後にあった試合。僅か二十五秒で決した試合。

「あれはハヤテじゃなかったね」

 エリナは試合開始直後、相手選手の背後を取っていた。それは一瞬の出来事だった。誰もその動きを認識できなかった。相手選手や審判でさえ。

 にもかかわらず、エリナは背後を取るだけで動かなかった。まるで相手が自分を認識するのをわざと待っているようだった。

 ただ、相手が慌てて背後に裏拳気味に右腕を振るうのに合わせて、右に一歩回転しながら長い右脚を振り、後頭部を蹴り抜いただけだった。

 驚いたことに、魔法強化されていなかった脚技で相手選手は三メートルも吹き飛ばされた。蹴るというよりも、敵の頭を刈り取るような一撃だった。実際、相手は立ち上がるのに五秒ほど要した。

 ざわめく会場で誰もが感じたはずだ。エリナから隠しようも無いほど溢れ出していた、それは……。

「魔法は何か分からない。あんな高速移動魔法を私は見たことが無い。だけど、フルセクターは、彼女は……」

 いつになく歯切れの悪いロアシーズ。ヒューイには彼女の言いたいことが分かっていた。

 エリナが放っていたのは、明確な殺気だった。まるで打撃科代表チームの選手を全滅させると宣言するような、それが出来ずに悔しいような、そうならないことで命拾いしたなと嘲笑うかのような不遜な一撃。

 競技会の光景ではなかった。あれは戦場でしか味わえない筈のものだ。

 二本目は明らかに動揺している相手を前に、まるでいつでも殺せるというかのように相手の攻撃を受け流し、手を失った相手が棒立ちになった瞬間に再び一撃で刈り取った。

 あのあと打撃科の空気は目に見えて落ち込み、試合は戦術科の四連勝のあと均衡を保ち、大将であるヒューイが勝利して優勝を決めた。

「フルセクターは、他の試合じゃあんなことをしなかった。あの時だけだ、あのキャロイ(・・・・・・)のあとの試合(・・・・・・)だけだ」

 試合からこっち、ヒューイは自分が冷静ではなかったことを悟った。興奮していたのだろう。史上初の五連覇に、それを達成したチームの主将が自分だったことに。ロアシーズの冷静な目が無ければ、彼はそんなことに気付けなかったかもしれない。

「キャロイもそうだ……」

 ロアシーズの呟きが思わぬ名前を告げる。

「キャロイの二本目。私には、あいつが魔法の実力差があり過ぎて、苛立って一撃で決めたように見えた」

 レクスは今も談笑していた。試合中や練習中では決して見せなかった笑顔。ハヤトが指揮するあの小隊だからこそ、彼は笑えるのだろう。

「恐いよ、ヒューイ」

 口元が笑っているのに、手に持ったグラスは微かに震えていた。

「あなたのいないこれからの一年……。彼らを抑えられる自信が、私には……無い」

 四年課程のヒューイは、今後本格的なブルーレイディの実戦運用を学ぶため訓練総隊を離れ第九九戦術飛行隊の任務に就く。訓練総隊は名実ともにロアシーズが統括することになるのだ。

 ヒューイは幼馴染みの肩に手を伸ばした。

「やめてくれ」

 思わぬ拒絶。

「私は……、やらなくちゃいけないんだ……。たとえ、彼らに恨まれようと、憎まれようと……」

 それは違うよ。

 ヒューイはその思いを口に出来なかった。

 それはロアが背負うべきものじゃない。


「不満か?」

 不意にかけられた言葉。

 会場を出て行くレクスを目で追いかけていた自分の行動に気付き、ごまかすように笑っていた。

「いきなりですね、中尉」

 長い黒髪を結い上げ、エメラルドグリーンのカクテルドレスに身を包んだ艶やかな大人の色気を振りまいていたシャル・ディータ中尉は小さく鼻で笑った。

「なら、そんな顔をするな。キャロイのことが不安なのかもしれないけどな」

 見抜かれているのか……。ハヤト・カルランザは潔く諦めることにした。考えてみれば訓練小隊を預かるようになってから、ディータ中尉には散々世話になっているのだ。いまさら隠してもどうにもならない。

「自分はどうしたらいいのでしょうか?」

「何もするな」

「何も?」

 聞き返しながら、ディータ中尉のグラスが残り僅かなのに気付き、ハヤトは彼女に新しいカクテルを差し出した。彼女は魅力的な笑顔で受け取ってから、答えを続けた。

「キャロイとフルセクターの問題だ」

 しかも彼がエリナのことも気にしているのが見抜かれていた。

「それでいいのでしょうか?」

「問題無い。カルランザ。キャロイとフルセクターが試合中に使った魔法の特長に気付いているか?」

「特長?事象変換の効果ということですか?」

「逆だ。魔法に必要なのはイメージだ。それは心の在り様だ。つまり、魔法にはそれを使った者の精神状態が顕れるということだ」

「そうでした」

「なら、上書魔法(オーバーライド)の特長とはなんだ?」

「刻印魔法の代理詠唱に強制的に介入し、代理詠唱をより高次のものへと移行させることです」

「それは今までのキャロイの使っていた魔法だったか?」

 ディータの言いたいことが分かってきた。

「違います。キャロイは常にそこにある物との調和を念頭に置いて、力を借り受けるような行使をしていました。力で無理矢理抑え付けて、従わせるようなことはしていませんでした」

「そういう心理状態だったと推測出来るわけだ。違うか?」

 レクスが捻じ伏せたいと思うほどの心境。有体に言えば、怒りか。

「問題はフルセクターだな」

「はい。ですが、瞬間移動なんて出来る魔法なんてあるんですか?」

「あるにはある。現に私たちは日常的に使っている。情報交換魔法(エクスチェンジ)だ」

「通信用の?」

「ああ。昔から理論は完成されている。人体を情報体として認識して、他のものと交換することで瞬間移動が出来る」

 人間を情報体として認識?それだけで眉唾な理論だ。

「少数の成功例はある。ただ、大概は失敗か事故だ。人は自分を完全に認識するのは難しいし、ただの情報の塊だと開き直るのも難しい。自我は思った以上に大きいものだ」

 それを使いこなすということは、エリナの精神状態は一体どういうことになっているのだろうか。疑問が脳裏を占め始めたハヤトに、ディータ中尉は諭すように続ける。

「二人の問題は二人の問題だ。小隊長のすべきことは、二人の問題を理解し見守ることだ。それしか出来ない」

 悔しげに唇を噛み締めるハヤト。そんな彼を次席教官は微笑を浮かべて見守っていることに、彼は気付いていない。

「話は変わるが、次期訓練総隊長には私は貴様を推薦したいと思っている」

 突拍子も無い言葉にハヤトは目を丸くした。

 ディータはそんな彼の様子に心底意外そうな表情を見せる。

「貴様も驚くんだな?」

「当たり前です。でも、シュタンジット訓練生は?」

 現在、個人成績ではトップのユリスタン・シュタンジット。第一訓練小隊の成績も文句無しのトップだ。次の総隊長は彼だと思っている訓練生は多いだろう。

「あいつはいささか冷酷に過ぎる。正直、小隊編成を考え直したいような状況なんだ。あと、貴様を総隊長にしたい訓練生も教官も多いぞ」

「しかし、総隊長は将来の司令官候補がなるべきです。冷徹な判断能力はあってしかるべきです」

「軍に必要なのは平気で命令を出せる人物ではない。自らを呪い傷付けることになっても、耐え抜いて冷静な視点で冷徹な命令を出せる人間だ。そして、それに多くの人が付いて来る魅力を持っている人間だ」

「自分はそんなに……」

「確かに、キャロイほどの魅力は無いな。だが、部下や仲間を想う心を持っていて、冷静であろうとしている。あとはシュタンジットやフェルクラインを見習うことが出来るかどうかだ」

「フェルクライン総隊長を?」

 露骨に嫌そうな顔をするハヤトに苦笑いのディータ。

「まあ、そんな顔をするな。……今回、戦科対抗戦を優勝したにもかかわらず、浮かない顔をしている者が三名いる」

「自分でありますか?」

「そうだ。キャロイもだ。フルセクターは清々している感じだな。ストレスでも発散したかのようだ。そして、あとの一人はフェルクラインだ。レイビスは目的を達成できたと思っているかもしれないが、もしかしたら今頃彼女の愚痴を聞かされているかもしれない」

 観客席でのひとコマを思い出すハヤト。ホールナー大佐が取り成してくれたが、艦隊司令部からの呼び出しで艦に戻ってしまってからは、再び気まずい空気になってしまった。

「総隊長殿はこれからの一年のことを考えて気が滅入っているかもしれないな」

 それは自業自得というものだろう。レクスを自分の目的の道具と考えたから、レクスもエリナもあんなことをしたのだ。ハヤトは反対したのだ。

「フェルクラインという名は結構重いんだ。ノウサウェイ方面隊撤退についてフェルクライン少将についてよからぬことを言う人間はいまだに多い。その娘も名指しされることには変わりないんだ。そんな時、訓練総隊長になったロアシーズはどうしたらいい?」

 なにもしない、という選択肢は一般家庭育ちの子供の我儘だろうな、とハヤトは冷静に自分を見つめ直してみた。

 それでもわだかまりは残る。

「だから赦せと?」

「いや、違う」

 ディータ中尉はハヤトの胸に、白い手袋に包まれた左手の人差し指を立てた。

「そうせざるを得ない人がいることを理解しろ。それくらいの度量を見せなきゃいい男とは言えないぞ」

 左目でウィンクされてしまった。思わず顔が熱くなってしまうハヤトであった。


 目まぐるしい一日だった。こんなに重く、注目され、逃げ出したいと思いながらも、今やこんなにちやほやされている。なんと上げたり下げたりな一日か……。

 つい今しがたも母と面識があるという将軍に話しかけられ、キャロイの名の思わぬ威力を思い知らされたところだ。

 しかし、慣れないものは慣れない。隙を見てレクスは慰労会場を抜け出し、ヴォンデルランドに広がる深い森の中に足を踏み入れた。

 視界を埋め尽くす闇。全身に迫る数億の気配。恐怖を覚えるほどの命の息吹だ。濃密な大気が彼の全身を包み込む。濃すぎる森の空気は人の侵入を拒むと言われているが、レクスにとってはむしろこの方が自然だった。

 幼い頃、母が言っていた。人は知恵を得たために森に住めなくなったと。そして森を征服するために更なる知恵を身に付けたと。しかし、結局は無残だった。

 今世界が事象変換言語によって支配されている中、人は代理詠唱や刻印魔法無しには生存できない最弱の存在となったのは、そういう知恵のせいであると。

 森は魔法を識るためには最高の環境である。森には言霊が満ちている。存在そのものが奇蹟であると。サウズアイルの北東部を占める森の中にレクスの生家はあった。そして、森は幼い頃から姉弟の遊び場であり、魔法の学び舎であった。

 あんな魔法の使い方をしてはいけない。ふと、自分が試合中に使ったオーバーライドに思い至った。あるべきものをあるべき形で用い、世界の力を借りる。

 白い龍(ガンダルフ)はそんな風に彼をたしなめただろう。支配するのではない。手を取り携えあって、力を糾せるのだと。それを理解出来ないのが人類の限界だと。

 あの時、魔法師としての実力差を痛感し、失望し、苛立った時、レクスもその限界とやらに陥ってしまったのだろう。彼が勝手に痛感し、勝手に失望し、勝手に苛立っただけなのだ。完全に単なる八つ当たりだ。

 こう思えるようになったのも、エリナがあの瞬間通り過ぎようとした彼を引き留めてまで労わってくれたからだ。あの瞬間、心が暖かく包み込まれたような気がした。姉と二人で、草原を駆けずり回って遊んでいた頃を思い出させる暖かさだった。あの言葉が無かったら、おそらく今も彼は独り善がりを続けていただろう。

 これからどうしよう。

 戦術魔法師、軍人としてどうすべきかは皆目見当もつかない。

 だけど、魔法師としてなら何か出来るんじゃないだろうか。

「ねえ、エリナ」

「なに?」

 彼女は彼が望むときにはいつも傍にいた。だから、そこにいると確信して呼びかけると、確かに彼女は彼の背後にいた。

「これからどうしたらいいかな?」

「したいようにしなさい。私はそれが見たいの」

「魔法を使えるようになったら生き残る人って増えるかな?」

「難しいけど意味があることだわ。私も手伝っていい?」

 手伝って貰うんじゃない。一緒にやって欲しい、とは恥ずかしくて言えなかった。

「魔法で戦争って無くなるかな?」

「戦争を無くしたいの?」

「無くしたいよ。少なくとも今の戦争は……」

「龍との戦争?」

「それもあるけど、もっと広く見て、ね」

「そう……。でも、まずはあなたが生き残らなくちゃ」

 鋭い指摘。さすがは魔術航法士官(CFO)。

「だから……」

 不意にエリナが言葉を繋いだ。

「え?」

「いつか、その夢を私にも見せてね」

 夢。そうか、それは自分の夢なんだ。龍や獣人となんの障害も無く暮らせる世界。

 そう思うと、なんだか分からない熱いものが胸の奥からせり上がって来て、それを抑えたくてレクスはエリナの姿を求めていた。

 振り返ったレクスを見て、微笑を浮かべていたエリナは一瞬表情を失い、そして今度は慈しむような深い優しさを彼に投げかけた。

 今にも溢れそうになる、こみ上げてくるものを必死に堪え、たどたどしくレクスは訊いた。

「途中で諦めるかもしれないよ」

 エリナが歩み寄って来る。

「何年でも待つわ」

「イライラしてメチャクチャにしちゃうかもしれないよ」

 暗い森の中、白い相貌に浮かぶキラキラ輝く瞳はどこまでも澄んでいて……。

「落ち着いたら、ゆっくり考えましょ」

「逃げ出しちゃうかもしれない」

 目の前に立ったエリナは、レクスの髪を優しく撫で始めた。

「その時は私が守るわ。誰にも文句を言わせない」

「エリナを傷付けちゃうかもしれない」

 ついに堪えきれず溢れ出すレクスの涙。こみ上げて来るものをそのままに彼はエリナを見つめた。

 そんなレクスをエリナはぐっと引き寄せる。

「あなたが与えてくれるものは、みんな私のたからもの」

 耳元の優しい吐息にレクスもエリナの背に手を回し、抱き寄せた。嗚咽混じりに、最上の望みを口にした。

「ずっと一緒にいて下さい」

 一瞬、エリナがびくっと身体を震わせ、腕に力を込める。漏れる歓喜の吐息。

「はい。死んでもあなたの傍にいます」

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