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Project BLUE LADY  作者: 宇佐視ひろし
第一章 COCKPIT
11/26

第四話 戦科対抗戦

 衝撃が交差させた両腕を突き抜けて顔面を襲って来た。作用点偏倚魔法(ディヴィエイション)。拳によってもたらされる打撃の作用点を拳から前方にずらすことで、格闘技の延長を狙ったものであるが、副次的な効果として防御用障壁等を用いた防御の効果が無い。

 何故なら打撃の作用点(・・・・・・)をずらしただけ(・・・・・・・)であるため、作用点と拳の間には物理的な関連性は無く物理障壁が用を成さないのだ。詠唱を妨害するノイズか、術式を破壊するリセットしか防ぐ手立ては無いが、両方ともレベル4に属する。対処法は避けるか、逸らすしかない。

 ゆえにレクスの展開した重力障壁は何の意味も成さず、顔面に拳打の衝撃が襲って来て身体が吹き飛ばされる。全身を覆う術式防具を身に付けてはいるが、そのインパクトは彼を床から持ち上げる。

 床のマットに倒れ込んだレクスを組手の相手をしていたロイド・カッツ大尉は追い討ちをかけるように跳躍して来るや否や、ほぼ垂直に拳を顔面に叩き込む。容赦の無い打撃は、さすがの先任教官だ。

 交差された腕と障壁を抜けて打撃が到達して、レクスの両腕から力が抜けた。

 カッツ大尉は嬉々としてレクスの襟首を掴み、怒鳴り付ける。

「馬鹿か、貴様は。ディビエイションにグラヴィティは意味が無いと言ってるだろ。何度同じことを言わせやがる」

 言いながらも愉しそうなのは、さすがのカッツ大尉である。物静かなディータ中尉とは正反対だ。くらくらする頭に、さらに罵声という名の苦痛を叩き込む。

 それでもレクスの両手は床を捉え、両足はしっかりマットを踏み締めた。

「よし、まだやれるな。もう一本行くぞ」

「はいっ」

 ありったけの声量でレクスは返事をした。

 その姿を戦術科代表総キャプテン、ヒューイ・レイビスはじっと見つめていた。

 戦科対抗戦まであと三日。一か月に亘った戦術科代表チームの特訓は総仕上げに入っていた。

 だが、不安が残ることには変わりはなかった。


「毎年毎年のことですが、どの戦科が優勝するか最終戦にもつれ込むというのはハラハラして見応えがありますな。今年は戦術科の五連覇がかかってますが、四年連続最後の最後の試合まで激戦でしたよ」

「はあ」

 偶然隣に居合わせた乗客はどうやらヴォンデルランド戦科対抗戦の大ファンのようだ。見たところ空軍OBという感じではないやせた老人である。そんな人が毎年毎年通うというのは、戦科対抗戦は彼の予想を大きく上回る一大イベントのようだ。

「あれは今の戦術科長、かのケネル・アトハウザーがキャプテンを努めていた時のことですがね、戦術科は三戦目の機動科に惜敗しまして。最終戦までで三チームが星の潰し合いで三勝一敗で並ぶ混戦だったんですよ」

「それはまた凄い混戦ですね」

 なんとなく座席から窓の外を見ると、鬱蒼と茂る森が眼下に広がり、その向こうにきらきらと陽光に照らし出された湖が見えて来た。

「しかも戦術科と打撃科の最終戦は十五戦終わった時点で七対八。どっちに転ぶか分からない、まさにシーソーゲームでした」

「確かに……」

 彼にはそういった空軍の催しに感心が無かったのだが、身内がそれに参加するとなるとどうも気恥ずかしい緊張を感じるのは不思議だ。

 窓の外では湖の周りに平らに地均しされた広い長方形の敷地と、木々の間に巨大な建造物群が並んでいるのが見える。半地下式のかまぼこ型の巨大な建物は格納庫、コンクリートで鉄壁の防御がされているのは弾薬庫、そのほかの細々としたものは支援施設や校舎だろう。

 確か四千二百メートル、三千六百メートル、二千八百メートルの三本の滑走尾路が湖を囲むように配置され、六つの戦科がそれぞれ運用していると聞いた。

 自分の艦にやって来る新人達のような少年少女達が、希望の未来を目指して日夜奮闘しているのだろう。

 彼の身内の少年が希望の未来を目指しているかどうかは分からないが。まあ、戦科対抗戦なんて大会に出場するくらいだから、元気にやっているのだろう。

 だが、自分が保護者として養育していた少年は確かに魔法の技術は突出していたが、あまり人付き合いは上手ではなかったし、衆目に晒されるような舞台は好まないはずだったのだけれど、そこのところは大丈夫なのだろうか。いい仲間が出来ていたりするだろうか。

 どうも、試合も心配だが、身内の心配ばかりをしてしまう。そんな自分が本当の肉親のようで自嘲気味に笑ってしまう。

「ところで、あなたは空軍の方ではないのですか?軍の方とお見受けしたのですけれども」

 サマージャケットとポロシャツという格好にもかかわらず自分を軍属と見抜いた眼力には、舌を巻いてしまう。メイヤにコーディネートして貰って、なるべく目立たないようにしていたし、元々軍人らしくないと部下からも散々な言われようをしてきたんだけどな。

 軍人らしき人物が対抗戦を知らないものだから、老人は自分のことを気になったのだろう。

「はい。海軍なんです。知り合いの少年達が参加するというので初めて観戦に来ました」

「ほぉ。海軍の方ですか。海軍ではこういう大会はあるんですか?」

「対抗戦にはならないんですよ、兵科があまり独立していませんから」

 トライウェル連合帝国海軍は基本的に三種類の戦力で構成されている。海上護衛艦隊、潜水艦部隊、そして空中警戒哨戒部隊。それに様々な補助戦力が付随している。しかも、それぞれの艦の内部で様々な兵科が統一した指揮の下運営されているので、なかなか兵科同士の対抗意識というのは芽生えない。

 その代わり他の艦に対する対抗意識というものは根強いが。

「それぞれの兵科の競技大会ならありますね。艦隊ごとの代表チームが参戦する大会です」

「へえ、艦隊ごとですか。それは是非観てみたいですな」

 そこから老人は根掘り葉掘り聞いてくる。話し好きなのか、それとも軍の催し物マニアか。結局、旅客ティルトローター機が着陸するまで延々と情報を引き出されてしまった。

 未だ夏を主張している眩しい陽射しの中、タラップを降り、乗客を迎える訓練生達の白い半袖Yシャツと空色のスラックスの群を眺めていると、自分の名前が書かれたカードを持った女子訓練生を見つけた。どうやら迎えのような。

「ダール・ケンタ・ホールナーだが」

 声をかけられた女子訓練生はこちらを見やって目を丸くした。小麦色の肌に短く切り揃えた黒髪が似合う、健康的な長身の少女だったが、こういう反応には慣れている。三十五歳で大佐というだけでも驚きなのに、メイヤに言わせると階級に見合った威厳がまるで無いらしい。

 少女は一瞬呆けたあと、慌てて敬礼した。その所作自体はきちんとしたものだ。

「失礼しました。ホールナー大佐。自分はハヤト・カルランザ小隊長の命により大佐の案内役を仰せつかりましたマリ・コルリー訓練生です」

 少女の口上に隣にいた少年がぎょっとして同じように慌てて敬礼する。コルリーと名乗った少女よりも頭半分背が高くホールナーと同じくらいでがっちりしているが、無駄な肉付きが無く格闘家のような角刈りの金髪少年だ。

「同じく、カツキ・キリハラ訓練生です」

 ホールナーが答礼するとキリハラが荷物を持ってくれる。

「へえ。あなた大佐だったんですか。若いのにたいしたもんだ」

 振り返ると先ほど隣席だった老人が感心したようにしきりに頷いている。

 ホールナーはそんな老人に苦笑して見せた。

「これ以上出世できない大佐ですがね」

 その言葉に何かを察したのだろう、老人はひとしきり笑い声を上げると、

「いやいや、あなたのような方がいてくれるからこの国も健在なのでしょう。ありがたいことです」

 と言って去って行く。

「ねえ。出世出来ないってどういうこと?」

「知るか」

 おいおい。聞こえているよ。さすがハヤト君の人選だ。

「待たせてしまったね。案内お願いしていいかな?」

 二人は全く同時に、はいと返事をして先導を始める。息が合った二人だ。

 ホールナーが降り立ったのは二千八百メートル滑走路のようだ。色々な方面から来るのか、複数の旅客機がプロップローターを緩く回転させながら駐機しており、駐機場は降り立った乗客でごった返していた。

「こんなに人があつまるんだね」

「はい。選手の家族だけでなく、卒業生や航空総隊の方々をはじめ各方面隊の幹部、それに意外と一般のお客様も多いです」

 用意されていたかのような台詞を一生懸命答えるコルリー。

「どれくらいの人が来るの?」

「去年は五日間で延べ五万人だったそうです」

 そのせいか駐機場から会場へ向かうと思われる道の周囲には出店が立ち並んでいる。一種のお祭りだな。

 先頭を歩くキリハラは会場に向かうバスに向かっているようだ。

「ここからバスで一旦宿泊施設に向かいます。試合開始は一四〇〇(ヒトヨンマルマル)ですが、お食事の希望はございますか?」

 腕時計を見ると一二時を少し過ぎていた。

「会場では何かつまめるのかな?」

「はい。持ち込まれる方もいらっしゃいます」

「じゃ、あとで売店に案内してくれるかな?」

「了解しました」

 バスに乗ると座席が埋まっていたので次の便にするかと問われたが、ホールナーは面倒だと断った。訓練生的には高級士官をバスに立ち乗りさせるのは気が引けたのだろうけれども、ホールナーは実益主義者だった。

 途中、会話の中でコルリーが大佐と呼んだものだから、席に着いていた軍属数名がぎょっとして慌てて席を譲ろうとする一幕もあったが、混み合っていたので固辞し、ほどなくバスは将校用宿泊施設に到着した。

 今回ホールナーは軍属であり、遠方に寄航中の巡洋艦ゲルンシュテロムからの来訪ということで特別に将校用の個室が提供された。

「ここの手配はやはりハヤト君なんだろうね」

 個室の窓から見える、森の木々と森を囲むように連なる山脈を見渡す雄大な景色に感謝しつつ、手配に奔走したであろう大人びた雰囲気の少年の顔を思い出す。

「はい。あ……、いえ、キャロイ訓練生が手配していたようです」

 見事に言い間違えたので状況は明白だった。それにしても気を遣ってそう答えたということは、ホールナーと少年達の関係性をこの少女も知っているということだろう。自分の家庭の事情を話すことが出来るほどの仲間が出来たのだろうと想像出来て安心した代わりに、この案内役の二人に対する悪戯心が芽生えてしまった。

「本当に?」

 疑惑の視線を向ける。

 みるみるうちに彼女の表情が強張っていくのが分かる。快活さを感じさせる容姿をしているが、慣れない接待のせいか萎縮しているのだろう。

「す、少し、カルランザも手伝っていたようです」

 コルリーの隣で荷物を置いていたキリハラが湿気を多分に含んだ視線を彼女に向け、小さく溜息をついた。どうやら、彼の方が本音が出やすそうだ。

「キリハラ君だっけ?ハヤト君とレクスの働きっぷりはどうかな?」

 いっと小さな悲鳴を上げて目を剥く少年。任官後だったら叱責ものだろう。メイヤなら間違いない。

 だが、ホールナーはそういうのはあまり好かない。

「まあ、保護者として気になるんだよね」

「そ、そうですね」

 キリハラが答えようとすると、コルリーが小さく彼の袖口を掴んだが遅かった。

「二人とも自分で出来ることはやっていると思います」

 なるほど。意味深な言葉だ。善きにつけ悪しきにつけ一人一人に出来ることには差があるものだ。

「でも最近はエリナのおかげでレクスも少しずつ変わってきているじゃん」

 コルリーがキリハラに文句を言い、キリハラが面倒くさそうな目を彼女に向ける。

「エリナというのは?」

「あ、はい。エリナ・フルセクター訓練生です。キャロイと前席後席(コクピット)を組んでいる魔術航法士官をしている同期二位の成績優秀者です。今回の対抗戦でも二試合出て二回とも勝っている二年度のエースです」

「フルセクター、ね……」

 ホールナーが呟いたことでコルリーが不審に思ったのか、窺うような顔をする。

「いや、なんでもないよ。レクスはその子のおかげで成長しているのかな?」

「あれは尻に敷かれている、ともいうな」

 キリハラの軽口に、想像が出来たホールナーも思わず苦笑いした。

「今日の試合は最終戦だったね。相手はどこかな?」

「はい。相手は打撃科。四勝同士の文字通りの優勝決定戦です」

 大一番だ。そんなところに出てあの子は大丈夫だろうか。

「ハヤト君は出場するのか?」

「いえ。既に二戦出場しました。初出場のキャロイとフルセクターは出ます」

 フルセクターという子はおそらくポイントゲッターなのだろう。四ヵ年制のヴォンデルランドで二年度にしてそれほどの実力を持っているとは、相当な魔術格闘の適性があるのか、それとも……。

 後見人をしている少年の試合ともども、

「それはそれは楽しみだ」


 奥歯の根が合わない。自分で意識していても止めることが出来ない。身体が震えているから歯が鳴っているというのに、一度意識してしまうと奥歯の振動が身体全体の震えの原因のように錯覚してしまう。

 止まれ。止まれ。止まれ。何度も奥歯を噛み締めようとしても状況は改善しない。むしろ止めようと身体に無駄な力が働いて余計に身体が震えていることに気付かない。

 何だよ。どういうことだよ。こんなの僕にどうか出来ないよ。

 もう一体何度繰り返したか分からない悶え苦しむような呟き。

 無理だ。不可能だ。絶対。

 ヴォンデルランド戦科対抗戦、戦術科対打撃科の試合は一方的な展開で始まった。試合開始から二十分。十五試合のうち四試合が終わっただけというのに既に趨勢が決したかのような空気が会場となった中央体育館を支配していた。

 四連敗。かつて幾度となく優勝を争ったことのある戦術科対打撃科戦は、打倒戦術科に燃える打撃科の四連勝によって戦術科は既に敗色を濃くしていた。

 魔法戦闘機を運用する戦術科は精密で多彩な魔法を駆使することから魔術格闘の分野でも高い成績を修めており、さらに全戦科中最多の訓練生を抱えることから選手層も厚く戦科対抗戦の優勝回数は最多を誇る。

 それに真っ向から対抗するのが魔法攻撃機を擁する打撃科だ。敵地に深く進出し対地攻撃を行なう攻撃機搭乗員にも戦術科同様高い魔法技術が要求される。特に一撃離脱戦術への評価は高い。

 打撃科の選手が駆使したのは、この一撃離脱戦術だった。先鋒戦以外の三試合の三年度、四年度の戦術科選手がともに技巧派だったためか、長距離からの高速接近と高速離脱に翻弄されて力尽きていた。

 そして、目下五試合目はパワータイプ同士の試合でありながら、訓練密度の差か戦術科の選手が押され気味で三本試合の一本を既に先取されていた。

 残り時間はあと一分ほど。

 このまま時間が過ぎればレクス・キャロイの出番だ。全身を防具で覆われる重圧の中、冷たい汗が滴り落ち、心臓が跳ね回り、幾度となく胸のうちにせりあがってくるものがあり、視界が何度も狭まる。慌てて頭を振って意識を保つが、強張った身体は両手の指をきつく握り締めさせ、両足の震えを助長する。せわしなく四肢を動かすが改善は見られない。

 耳に届くのは自分の異常に荒い呼吸と、深い水の底にいるような重みをもたらす歓声と怒号。

 この中で僕に何をしろって言うんだ。

 あまりの重圧の中、へし折られてしまいそうな心を何度も支え直す。自分を推薦したレイビス准尉が憎らしく思え、親友にその思いをぶちまけたいが生憎ハヤトはこの試合から外され、今は応援席だ。

 最悪というよりも既に状況云々などと言うこともおこがましい中、レクスは次第に力を失おうとしていた。

 嫌だ。

 こんなところにいたくない。

 嫌だ。

 帰りたい。

 嫌だ。

 ハヤトと遊んでいたあの島に帰りたい。

 嫌だ。

 姉ちゃんと母さんがいる島。

 嫌だ。

 ガンダルフのいる島。

 嫌だ。

 その瞬間、彼の全身を襲う音という名の暴力がピークに達した。

 彼の目には試合場の左右にある開始線に戻る二人の選手の姿。そして勝利を宣告する審判。戦術科の五連敗。

 ここでレクスが負ければ六敗。十五試合形式の対抗戦においてそれは敗北に限りなく近付くことを意味する。

 僕が負ければ終わり。

 厳密には正確ではない。しかし、心理的にはそういう状況だったため、その一言がレクスの思考を縛っていた。

 逃げ出したい。今すぐ逃げ出して補欠の選手と代わりたい。だいたい実力は僕よりも上の補欠なんてどういう冗談だ。

 もう……、いっそ……。

 薄れいく意識。すうっと音も光も遠ざかっていく。

 ああ、もうこれで終わりか……。

 そんなことを思っていたら、不意に何かが彼を掴んだ。

 つかまれたのは彼の右腕だったはずなのに、その感触が掴んでいたのは彼が放り出そうとしていた何かだった。

 慌てて振り返ると、そこには自分と同じように防具を着込み次の試合の準備をしていたエリナだった。頭部を護るマスクの中から真っ直ぐな視線が彼に向けられていた。

 咄嗟に目を逸らそうとするレクス。

 だが、エリナの手に僅かながら力が入り、意識を再び引き寄せられる。

 何も感情を表していない黒く透き通った瞳に、弱弱しい捨てられた子犬のような顔をした奴が映っているかと思ったら自分だった。弱くて惨めな自分。無表情な彼女はただ無言で、彼を厳しく、いや一方的に突き放しているようですらあった。

 なのに、不思議なことに彼は彼女の視線に惹き付けられていた。

 自分の名前を告げるアナウンスの声。

 それに合わせて彼女の目が伏せられ、そして再び彼を捉えたときそこには別の(かお)があった。

 右手を放され、足取りも覚束ぬまま試合場に向けて歩き出すレクス。

 試合場から出て来た先輩と健闘を称える拳を機械的に打ち付け合い、入れ替わりで試合場に足を踏み入れる。

 これまでに何十ものドラマを生み出してきた一辺二十メートルの空間。その中心から五メートル離れた開始位置に立ちながら、しかし彼は何故か全く別のことを考えていた。いまだにこの場から逃げ出したい一心だったし、胸の痛みも全身の強張りも無くならない。体育館を埋め尽くす歓声も身体を押し潰す暴力にしか感じられない。いっそ死んでしまった方が楽だ。

 それなのに、気になるのはたったひとつ。先ほどエリナが見せた表情だった。

 何故、彼女は何も言わなかったのか。

 何故、彼女はあんなに冷たく突き放したように見つめてきたのか。

 何故、彼女は最後にあんなに綺麗に微笑んでいたのか。

 審判が構えを取るように指示する。

 レクスはぎくしゃくと両拳を構えた。前方では背の高い打撃科の選手が軽快なステップを踏んでいる。ヤル気満々だ。

 僕、殺されるのかな……。

 不意に過ぎった思考。かちりと何かが音を立てた。そんな気がした。

 死ぬってどういうこと?死って何?浮かび上がる疑問。

血が噴き出すこと?肉を撒き散らすこと?蘇える記憶。

終わり?全部終わり?もう終わりってこと?もうエリナの怒った顔が見れない?もう姉ちゃんの笑い顔が見れない?溢れ出す想像。

それは、嫌だ。

 あなたには、ただ生きていて欲しい。

 最期の瞬間まで戦術魔法師の味方だからです。

 二つの顔が重なり、二人の声が幻のように浮かび上がる。

 僕は……。

 審判が開始の合図をする寸前、

「護るんだ……」

 口にしたのは、その日初めて自発的に発した言葉。


「ホールナー大佐、ようこそいらっしゃいました」

 長身で実直な雰囲気のさわやかな笑顔でホールナーを迎えたのは、よく知る少年だった。

 試合場を臨むスタンドで席を探していた彼を見付けてくれたハヤト・カルランザ。四年前のサウズアイル脱出作戦以来、ホールナーが面倒を見てきたレクス・キャロイ少年の幼馴染み。久しぶりに顔を見たが、元気そうで何より。しかも落ち着いた空気も纏っている。

「久しぶりだね、ハヤト君。元気そうだね」

「はい。おかげさまで。キャロイには会えました?」

「いや。部屋を出ようとしたところで連絡があってな」

「連絡?」

 ハヤトが瞬時に笑みを消す。不測の事態を想像しているのか。

「連合艦隊司令部の通信内容にちょっとした錯誤があっただけだよ」

 その錯誤の為に特務巡洋艦ゲルンシュテロムの半舷待機が全艦待機になったことは若者に教えはしない。それにここでは不特定の耳が多すぎる。

「そうですか」

 さらりと返答するハヤトだったが、どうやら状況は大まかに推察出来たようだ。こういう聡いところは本土に移り住んでから変わらない。

 思わず右手で頭を撫でてやりたくなるが、自分よりも少し背の高い少年にはもう出来ないことだろう。

「それで試合はどうなっているんだい?」

 そこでハヤトの表情が曇った。

 席に案内する間、ハヤトはホールナーに状況を説明してくれた。四連敗。さらにもう一戦も敗色濃厚。その状況のままレクスの出番を迎えている。

 ホールナーの知るレクスにとって最悪の状況だった。重要な局面、衆人環視、人の思惑。あまりにも色々と絡み合いすぎている。過ぎた逆境はレクスにとって単なる重圧でしかない。

 席に着いた頃、レクスの前の試合が決した。戦術科の五連敗。今頃、レクスは凄まじいプレッシャーに押し潰されそうになっているに違いない。

 隣の席ではハヤトが苦々しい表情で試合場を見つめている。何故よりによって、この試合で彼は補欠にも選ばれていなかったのかと悔やんでいるようだ。選ばれていればレクスと交代することも、あるいは声をかけてやることも出来たはずだ。彼はそう自分を責めているのだろう。

「君のせいじゃないよ」

 ホールナーの言葉にハヤトにはっとして目を見開く。

 そして、

「申し訳ございません」

 以前なら、ごめんなさいと返ってきたのに、成長というのは残念なものだと思う。

 ハヤトは元々はレクスに付いて回るような子供だったらしい。魔法師の子供で、そこそこ魔法を使えるエイリとレクスの姉弟は、地元の子供達の憧れでもあった。ハヤトも同い年のレクスに魔法の基礎を教わっていた。

 だが、サウズアイルの占領という戦争は姉エイルを失わせ、母リシアを重度の精神疾患に追い込み、レクスを大人しい少年へと変え、ハヤトは彼を守る為に強くなると決意させることになった。

 最低な現実だ。

 そして、レクスは独り闘い、ハヤトはそれを耐えて見守ることしか出来ない。

 少年達に戦争させるとは、なんて不甲斐ない大人達なんだろうな。

 ホールナーが独りごちていると、試合場に向かうレクスに動きがあった。

 いや、違う。動いたのはレクスの次の選手だ。その選手がレクスの右腕を掴んだのだ。そして二人は、レクスの名を告げるアナウンスと歓声の中、数瞬見つめ合っていた。

 ホールナー達にその意味が分かるのは直後のことだった。

 試合場の開始位置に着いたレクスと相手の選手。試合場の一辺二十メートルの空間に充満し、重く鈍く粘りつき沈みこむ空気。

 それを圧潰せんと迫り来る歓声。勝利を確信した打撃科の応援。絶望が去来しながらも打ち払うような悲鳴にも似た戦術科の怒号。無数の音が重なり連なり混ぜ合わされ、頂点に達した直後、引き波のように一瞬にして静寂に引く。

「始めっ」

《疾き足、風が如く》

《万物に在りし誘いの子ら、我が左手に従い、その力を示せ》

 前者は自身の足元を風に変換することで動きを加速する疾風魔法(ハヤテ)。対して後者は、イメージの続く限り重力子に干渉し続ける継続重力魔法。

 だが、驚くべきはこの二倍ほどの詠唱にもかかわらず、時間が一秒弱とほぼ同時だったこと。

 打撃科の選手がレクスに一瞬で迫り、右拳を打ち付けようと振りかぶる。

 え……。

 そんな声が無数に漏れた瞬間。一瞬の静寂。

 原因は会場の中央。レクスに襲い掛かった選手が右拳を振り抜いた格好のまま素通りして、何が起きたか理解できずに立ち止まっていた。

「考えたな、キャロイ」

 ホールナーの耳に前の席に座る女性の声が届いた。どうやら隣に座る学生に教えているようだ。

「重力障壁を使って打撃を逸らすのではなく、相手選手自体を遷移させたか。しかしあの高速詠唱はやはり見事だ」

 レクスの魔法の意図を悟った学生がいることにホールナーは感心した。

 打撃科の選手が振り返り、猛然と襲い掛かる。だが、いずれの攻撃も逸らされてしまう。

「だが、それだけでは相手は倒せんぞ。やはりそこまでの技量か」

「お言葉ですが、フェルクライン総隊長」

 それまで黙っていたハヤトだ。

「あれは単なる重力魔法(グラヴィティ)ではありません。継続重力魔法(チェーングラヴィティ)です」

 フェルクラインと呼ばれた女性が振り返った。なるほど北の女帝ロクレイ・フェルクライン譲りの美貌と光り輝くブロンドだ。その双眸がハヤトを射ぬかんとしている。

「チェーン?詠唱はもうしていないぞ」

「代理詠唱と同じ原理です。キャロイの左手の動作が詠唱を構築し、それと彼のイメージがリンクしているんです」

 さすがはハヤト君。ホールナーは被保護者の親友の洞察力に感心した。確かにこの距離では正確に選手の詠唱を聞き取ることは不可能だ。

 だが、レクスが相手の動きを逸らす度に左腕が小刻みに動いていることから、彼の魔法の構造を理解できれば察することが出来る。

「なんだと」

 フェルクラインが呆気に取られている。先ほどまでの鋭利な雰囲気が無くなると、あどけない表情になるのがホールナーには面白かった。

「だが、いくらレベル5魔法だろうと、それだけでは勝てない」

 魔法による事象変換を継続的に実行するには、精密にして膨大なイメージ情報を必要とする。詠唱自体は簡易ではあってもそのイメージの構築は困難を極めるがゆえにレベル5に相当する。いや、それにレベル5の高速詠唱という尋常ならざる二倍がけだ。

 そんな大魔法でも防御にしか使っていないのであれば、確かに勝機は無い。この若い士官候補生の冷静な分析は的確だ。

「ご安心下さい総隊長。レクスは勝つつもりです」

「なに?」

「ですが、こんな風に彼を傷付けたあなたは赦しません」

 どうやらハヤトはフェルクライン嬢のことが気に食わないらしい。フェルクラインも同じようだ。

「済まないね。フェルクライン君。彼はレクスのことになると人が変わってしまうからね」

「あなたは?」

「レクス・キャロイの後見人をしているホールナーという者だ」

 フェルクラインは一瞬思案気な顔を見せたが、すぐに立ち上がろうとするのをホールナーは手で制した。

「敬礼はあとにしてくれないかな。今は彼の試合が見たいのでね」

「はっ。見苦しいところをお見せして申し訳ございませんでした、大佐」

 さすがフェルクライン将軍の娘だ。教育が行き届いている。

 ホールナーはちらりとハヤトを見やった。その意図に気付いたのか、ハヤトがフェルクラインに頭を下げる。

「申し訳ございませんでした。総隊長」

「いや……」

 どう応えていいか困惑しているフェルクライン。それはそうだ。ハヤトが何故彼女にこれほどの悪感情を向けているのか理解していないのだろう。

 それは致し方ない。お互いの立場も、育ってきた環境も違うのだから。

 しかし、悪感情をぶつけ合ったままというのは気分が悪いので手打ちにしておかなければならない。今この場はこれでいいとホールナーは思う。

 その時大地を震わすような歓声が、体育館という狭い空間を破裂させかねない勢いで沸き起こった。

 試合場を見ると、踵を返し開始線に戻ろうとしているレクスから少し離れた床に相手の選手が倒れていた。

 この試合には不安が無い。だが、レクスの今後が実に心配だ。


 継続重力魔法による斥力障壁の防御を延々と繰り返すレクス。左腕の代理詠唱によって生み出され変化する重力障壁は、相手の攻撃を受け止めるのではなく疾風魔法で移動する相手の動きを逸らし続けている。

 対する打撃科の選手は、任意に操作可能な作用点魔法の作用点を移動させてレクスの防御を崩そうとするが、レクスは障壁の位置を巧みに操作して空振りを誘引していて、今のところはレクスの読みが勝っていた。

 だが、いつまでもこんなことを続けているわけにはいかない。いつかは隙を突かれる。

 相手の絶え間ない攻撃をいかに止め、こちらの反撃のチャンスを作るか。

 狙わなきゃいけないのは、やっぱり足元……。

《大いなる息吹よ。我が右手に従い、その力を示せ》

 二つ目の継続魔法の詠唱。レクスの左腕と全く別に右腕が動く。十本の指、上腕、下腕、四十個の関節、それらがまるで別々の意志を持った生き物のように位置を変え、向きを変え、角度を変えそれが事象変換言語の印を形成する。そこにレクス自身の脳裏に浮かぶ全く別の二つの正確なイメージが載せられ、事象を瞬時に書き換えていく。

 複数魔法同時行使(マルチキャスト)。同時に二つ以上の魔法を行使する、本来ならば第一線の上級魔法師以上でなければ出来ない高等技術。レクスは十代にしてそれを身に付けていた。いや、彼がマルチキャストを覚えたのは八歳の時だった。

 だが、相手の選手はレクスが二つの魔法を発動させたことに気付いていないのか再度、真っ向から突っ込んで来る。

 いや、違う。レクスのマルチキャストがはったりだと判断したのだろう。まさか、ただの訓練生にそんな高度な詠唱が出来るはずが無いと踏んだのだろう。

 レクスの口元に笑みに似たものが浮かぶ。

 勝利を確信する笑み?

 いや、相手の無知への嘲笑?

 いや、状況に対する愉悦?

 いや。

 彼はただ笑うしかなかった。何故、今まで自分が気付かなかったのか。相手と自分との間に横たわる歴然たる実力という名の壁。天と地というのもおこがましい。次元というものが違う。

 兵士、航空魔法士官としてはたいした差ではない。

 だが、この目の前に横たわる魔法師としての技能の愕然とするほどの溝は一体なんだ。これが世界最高といわれる空軍の士官養成課程のエリートの実力か。

 だとすると、自分はなんて異常なのだ。

 その時、レクスの中の躊躇いは全て消え去ってしまった。

 左手の五指が印を結び、左右に動きながら更なる陣を描く。

 突進する相手を押し留める障壁が発生する。振り被られる左拳。おそらく作用点偏倚魔法の座標が延長されているのだろう。

 だが、もう遅かった。

 レクスの右手が瞬時に左から右に振り払われると同時に、更なる口頭詠唱。

《疾き足。風の如く》

 右足を踏み込むと羽のように身体が浮き上がり、長大な放物線を描いて突進する。

 その真正面に足元を掬われ体勢を崩した相手が、驚愕の表情でレクスを見ている。母親が最も得意としていた右手の大気操作魔法(パスカル)が、疾風魔法に干渉し、バランスを崩したのだ。

 無防備な胴体に、レクスは左拳を叩き込んだ。

 受身も取れず盛大に吹き飛ぶ相手。

「一本」

 審判の宣言。

 途端、爆音が彼の身体を包み込むように押し寄せる。絶望視された戦術科優勝を願う者たち、想像を超えた魔術格闘を、いやこれはほとんど魔法戦闘と呼ぶに相応しい戦いに興奮した一般観客が口々に叫ぶ声が、一つに重なり津波となって彼を容赦なく包み込んだ。

 だが、相手選手や審判に目もくれず開始線に戻るレクスの胸中に合ったのは、ただひとつ。

 早く、このつまらないもの(・・・・・・・・・)を終わらせたい。

 真正面に立つ相手に対し、冷ややかな視線を送るレクス。

 一撃で決める。こんな連中にかかずらわされるのはもうご免だ。

 相手選手が開始線に立つ。先ほどまでの余裕は無い。しかし、闘争心を失っていないのも分かる。まだ逆転は可能だと思っている。

 もう何もかもが面倒だ。

 邪魔だ。

「始め」

《枷を解き放て》

 レクスが唱えたのはそれだけ。

 同時に開始位置に立ったまま右拳を素早く突き出す。イメージは完璧。拳のグローブに刻まれた刻印と詠唱にイメージが重なり、合成された事象が世界に描き出される。

 踏み込もうとした相手選手の胸部に凄まじい衝撃が発生し、そのまま後方に吹き飛ばされる。

 グローブに刻まれたディビエイションは詠唱を必要としない。だが、レクスは代理詠唱に追加の口頭詠唱を重ね、作用点の偏倚距離を延長し射撃術装として打ち出したのだった。

 あまりの呆気無い結末に観客はもちろん、居並ぶ代表選手達、さらに審判までもが忘我の境地に放り出された。

 その中でレクスだけが機械のように無感動に開始位置に留まる。

 魔術格闘は格闘技である以上、手足による打撃およびその延長による致命的打撃を一本と判定する。ゆえに打撃以外の魔法でのダメージは判定されない。

 だが、審判はレクスが放ったのが単純な打撃の延長だと認識していた。

「勝負あり」

 やっとなされた審判の宣告。

 一体、何度目だろう。こう何度も歓声を浴びるともはやどうでもよくなる。祝福の言葉、褒め称える言葉、そんなものが聞こえてきても彼には邪魔な雑音にしか聞こえない。そんなものは要らない。

 早く、帰りたいな……。

 どこへ?寮の自室?母親のもと?故郷?

 どこか分からない。それでも彼は思った。帰りたいと。

 礼を終え、試合場を後にしようとするレクス。次の試合に向かう選手と拳を打ち付け合うこともなく擦れ違おうとする。

 不意に掴まれた。

 まただ。今は邪魔にしか感じられないそれを、彼は振り払おうとした。

 力を込めた手がそれを押し留める。さらに、三回ゆっくりと何かをほぐすように手に力が入る。

 レクスは目を上げた。

 そこにあったのは、表情のない彼女の顔。だが、それは怒りでも、嘲りでない。ただ彼が望むものを与える為に、全てを用意しているが故に無。

 一旦彼女が目を伏せたあと、そこに顕れたのは、

「レクス」

 ああ、なんて優しい声だろう。

「ゆっくり休みなさい」

 なんて安らぎに満ちた心地にさせてくれる微笑。

 熱い物が頬を伝い落ちる。止められなかった。彼女の前でそんな必要は無かった。

 エリナはそれ以上何も言わず、レクスと擦れ違った。

 レクスも振り返らず、声をかけず、自分に祝福の声をかける仲間達のもとへとゆっくり足を進める。

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