その3
「キャロイ。君は実に素晴らしいCFOに出逢ったようだね」
「はい?」
咄嗟に答えられなかったレクスの代わりとばかりに、エリナが激しく噎せて咳き込む。
「大丈夫?」
あまりにも様子が酷かったので、思わず彼女の背をさするレクスの手を制しながら、グラスの水を飲み呼吸を落ち着かせるエリナ。そして、彼女は強い視線でアトハウザーを見据えた。
笑みを絶やさずに、その視線を受け入れる教授。
「君は本当にキャロイ候補生のことになると一生懸命だな」
エリナが口を開くよりも先に、レクスが答えた。
「最高の相棒です。僕のような魔法師で、申し訳ないと思うほどです」
驚きながらどこか嬉しそうなエリナと、大佐に向かって物怖じせずに言い放ったレクス。この二人はお互いのことになると、ここまで反応する。
「しかも息が合っている。君達三人を、まとめて戦科対抗戦に推したのはレイビス准尉だったかな」
「はい」
ハヤトが答え、レクスが僅かながら顔を顰めた。本人は選手に選ばれたことが不服なのだろう。
だが、アトハウザーの感想は違った。
「確かに理に適っている。ここまで息の合ったコクピットはまさに比翼の鳥。バラバラでは、その才能を発揮出来ないだろう。カルランザ候補生は、そのお目付け役といったところか?」
「比翼って……」
「何それ?」
顔を真っ赤に抗議しようとするエリナと、意味が分かっていないレクス。
「いつも、苦労させられています」
苦笑するハヤト。
「君達は、前席後席が、我が帝国空軍が世界に誇る魔法技術の基本だと理解しているな」
三人は頷く。
「多くの異種族による侵攻を阻止するため、この海ばかりの世界で、わが国は海空軍を国防の主軸としてきた。しかし、ブルーレイディをはじめとする魔法戦闘機、魔法艦艇は非常に高価であり、それらを操る魔法師の育成にも長い時間と高額な予算が必要とされる。しかも、我々人類は異種族と異なり魔法適性の多寡があり、さらに一流の魔法師であっても、単体ではほとんど無力だ。全ての個体が準戦闘員である異種族とは、決定的な戦力の差だ。ゆえに我々は武器、そして鎧を必要としている。それは分かるね」
理屈としては理解している。しかし、レクスはどこか感情では飲み込めないものがあるのか顔を顰めた。
それを確認して、大佐は続けた。
「魔法戦闘機は、その最たる物だ。寡兵でより多くの敵を、より広い範囲で倒すために、高度な探査機器を搭載し、強力無比の兵装を施され、超音速飛行能力を与えられている。しかし、それほどの兵器ともなれば行使される術式は多岐に亘り、緻密な制御を要求される」
そのためのコクピット。それは航空魔法士官養成課程で繰り返し言われてきたこと。コクピットの連係こそがエイルワーズの性能を決め、魔法戦闘機の性能が国の空の守りを成す。
「だから私は、キャロイ訓練生にフルセクター訓練生のような魔術航法士官が就いたことを、非常に喜ばしく思っている」
「それは僕に才能があるからですか?」
またやってしまった。こういう、場の空気を読まないところが問題だとハヤトに散々言われてきたのに、またこんなことを言ってしまう自分が、少し憎らしく感じた。
だが、それが偽らざる彼自身の本音だった。
ケネル・アトハウザー大佐の目が、ゆっくりと目を細められた。狙いを定めた猛禽の仕草。士官食堂の一角に張り詰めた緊張が漂い始める。今までエリナが散々無礼を働いてきてもそうはならなかったのに、今レクスは大佐の逆鱗に触れたことを自覚した。
「それが本当だったとして、貴様はどうする?今までどおり、一度もリリースボタンにもトリガーにも触れることなく、軍に対するサボタージュを続けるか?」
事実だった。レクスは、今まで一度も模擬戦中にミサイルも二十ミリ機関砲も発射していない。殺戮を義務付けられた空軍においては、それは明白な背信行為だ。
そんなことを大佐が知っていることに驚き、同時に沸き起こる、胸の奥を締め付けてくるような感触。
「それは、キャロイの操縦技量が……」
「フルセクター訓練生。貴様は私を馬鹿にしているのか。模擬戦を含めた実機演習のデータに、私も当然目を通している。キャロイの操縦技能は、既にイーグレットの範疇を超え、ブルーレイディでさえその力を完全に発揮出来ないかもしれない。そのような者に、ロックオンする余裕が無いだと?」
「申し訳ございません、大佐。それは自分の指示です」
「カルランザ訓練生。貴様は小隊を預かる身でありながら、その命令を避けているのだろう?」
エリナとハヤトの反駁を、容赦なく切り捨てるアトハウザー。
レクスは、そのあいだきつく両手を握り締めて、奥歯を噛み締めて、嘔吐感にも似たものを耐えることしか出来なかった。
「どうしたキャロイ。仲間がフォローしているにもかかわらず、貴様は掩護すら出来ないのか。ここは曲芸飛行のボランティアチームではない。空軍だ。戦争をするための組織だ。仲間が危機に瀕していても、貴様は撃たないのか?国?軍?そんなことは問題じゃない。撃墜されるかもしれない仲間がそこにいる。運良く脱出に成功したとしても、そこは敵の勢力圏かもしれない。虜囚となって辱めを受けるかもしれない。貴様のCFOは女だ。どんなことになるか想像も出来ないのか?」
容赦仮借の無い言葉の刃が、レクスの全身を切り刻む。現実に肉体が痛みを感じるほどの重圧に、何度も意識を手放しそうになる。
それでも、無理なのだ。リリースボタンを押して鳥人をけし飛ばし、トリガーを引いて獣人を八つ裂きにし、龍に遅延信管弾頭を叩き込む。そのイメージを思い浮かべる度に意識が揺らぐ。
あの白い肉片と赤黒い血に塗れた故郷の町。穢された森。引き裂かれた岬の草原。母が壊れることになった、あの光景を再現しろと……。
その恐怖で、指先ひとつ動かない。
ハヤトが撃たれる。エリナが敵の捕虜になる。マリが、カツキが、レイが、ナクルが、リデルが……、多すぎるイメージが頭の中で廻り廻り、レクスの心と身体をズタズタに引き裂く。眩暈が襲ってきて、咄嗟にテーブルの端を右手で掴む。
「大佐」
顔面に叩き付けられた叫び声に、現実に引き戻された。いつの間にか、アトハウザー大佐の傍らにエリナが立っていた。
食堂にいた他の士官が、何事かと見つめる衆人環視の中、エリナが勢いよく頭を下げた。
「これ以上はご容赦願います。キャロイは、私が全力でサポートします。時間を下さい」
滅多に聞くことの無い悲痛な願いに、沸き起こるのは疑問だけ。
「何の真似だ、フルセクター」
「パイロットを支えるのがCFOの役目です。私にはその覚悟があります」
どうしてなんだ。
「ほぉ。顔を上げたまえ。どういうことかご教授願おうか」
顔を上げたエリナの表情は、決意に満ち溢れていた。あまりにも強い意志、深い信念。自分が溺れてしまうのではないか、そう思えるほどの大きくて深い母なる海のような存在。
どうして、僕なんかのために……。
「CFOは、唯一最期の瞬間まで戦術魔法師の味方だからです」
その言葉が耳に、心に届いた瞬間、記憶の奥底に眠っていた文字が浮かび上がる。
――レクス。
姉の遺書に書かれていた言葉。
――あなたには、ただ生きていて欲しい。
エリナの声が重なるような気がした。錯覚かもしれない。いや、錯覚でもいい。それでも信じられる。信じられるなら、一歩踏み出せる。
「僕は……」
うめくように漏れ出す声。ただ声を発することが、こんなにも苦しいのか。ただ、自分の言いたいことを口にするだけで、どうしてこんなに身体が重いのか、痛いのか、苦しいのか。くじけそうになってしまう。
だけど赦せない。いつもそばにいるエリナ。彼女が傷つき穢される。そんなことは赦されない。そんなことを看過する自分なんて、存在していいはずが無い。
レクスは自分の身体の戒めを引き千切るように勢いよく立ち上がり、口を動かした。
「僕はエリナを護りたい」
拙い言葉。明瞭ではない発声。だけど、意志だけは明白な言葉。
エリナがレクスを見て目を見開く。今にも泣き出しそうな表情でこちらを見る彼女に、必死に笑いかける。
ただの意地っ張りだと見抜かれても、彼女の不安を少しでも取り除いてあげたかった。
そんなレクスの心情を汲んだのか、エリナが微笑んだ。まるでしょうがないな、と言っているかのように。
不意にエリナの頭に、大きな掌が乗せられた。
「よくやったな、フルセクター。結果を期待しているぞ」
アトハウザー大佐だった。
立ち上がっていた二人は、何故か士官食堂で沸き起こった控えめな拍手と生暖かい視線に晒されたあと大佐に促されて着席した。真っ赤になった二人の初々しさに、一部から口笛の冷やかしまで上がる始末。さすが軍隊。
落ち着いてから、ようやく食事が再開された。折を見て、大佐が訓練生達に自身の経験を語って聞かせていた。白色の龍ガンダルフエイスとの遭遇の話や、レクスの姉、エイリシーナ・キャロイが如何に規格外だったかなど、レクスに関係する話題も多かった。
「君達には、申し訳ないことをしたと思っている」
食後、ティーカップを手に大佐は言った。レクスは怪訝な表情を浮かべ、上質な茶葉の香りに夢中になっていたエリナもカップを持ったまま大佐を窺い見た。
「我々が不甲斐ないばかりに、イグドラシルのノウサウェイ占領を許してしまい、君達の自由を奪う結果になってしまった」
それが、レクスとエリナの特殊待遇学生のことだと気付いたが、二人にとっては初めて上の世代から成された謝罪だった。国防省の役人も航空総隊の士官も、そんな言葉を投げかけてはくれなかった。
「それどころか、キャロイには母上に姉君まで失わせる羽目になってしまった」
「母は、まだ亡くなってませんよ」
レクスは、出来る限り柔らかく訂正した。ただ、母はレクスを息子として認識出来ないだけなのだ。戦災と娘、エイリの戦闘中に行方不明によって。
「そうか。そうだったな。北の切り札とも言われていたキャロイ女史のことは私も聞き及んでいる。本当に惜しいことだ。早く快復されることを願うよ」
「ありがとうございます。でも、母が切り札って」
「リシア・キャロイ女史といえば、トライウェル皇族に次ぐとされる第一級神格魔法師だった。知らなかったのかね?」
神格魔法師。詠唱と術式構築によって、単独でありながら軍団規模に匹敵する攻撃が可能な、大魔法を行使する魔法師のことである。
それはレクス、ハヤトにとって初耳だった。地元では大魔法師と呼ばれて医療魔法師として親しまれていたが、まさか国防の一翼を担っていたとは。
「我々は、その点で女史に多大な負担を強いていたのだろうな」
そんな事情があったのか。レクスには窺い知ることの出来ない世界だった。
「そんな境遇にしてしまった者の言い草ではないが、君達が信頼し合える仲間を見付けたことは、私も喜んでいるんだよ」
レクスは思わず照れて、隣に座るエリナを見てしまった。そこにあったのは、同じように照れながらも何か吹っ切れたような微笑を湛えたパートナーの横顔だった。
「大佐は、私の身体のことはご存知ですか?」
レクスは驚き、ハヤトがぎょっとしたように顔を強張らせた。
「その話は、この場でしてよいのかね?」
大佐は、なんとか平静を保ったようだ。
エリナはそれに笑顔で応える。
「私は施設での魔法講習の際、実験の失敗で負傷しました。そして片方の卵巣を摘出しました。もしかしたら、将来子供は望めないかもしれないと言われました」
「おい、どういうことだよ」
レクスが詰め寄ると、エリナは彼に笑いかけた。
「そういうことよ」
そして、アトハウザー大佐に向かう。
「自分には何も無いんじゃないか。何をやっても駄目なんじゃないか。私は人に必要とされていないんじゃないかって、思っていました。死のうかと思ったこともあります」
レクスは、笑顔で言葉を紡ぐエリナをただ見守るしかなかった。
気付いているのかいないのか、エリナはまっすぐな言葉を大佐に向け続けた。
「でも、私はここで生甲斐を見付けました。だから、これでも、軍には感謝しているんです」
会食が終わり、大佐と別れたレクス達だったが、ハヤトは寮に戻るレクスとエリナと一旦別れ、アトハウザー大佐のもとに向かった。
「大佐。今日は、本当にありがとうございました」
ハヤトは頭を下げて礼を述べると、大佐は官舎に向かうところだった。
「カルランザか。今日は君の思惑通りだったかな?」
悪戯っぽい笑みを浮かべる戦術科長。
「まさか、彼らを制御することなんて自分には無理です」
「確かに、フルセクターの暴言には君も辟易してるんだろう」
「それも、楽しみだと思うしかありません」
一頻り笑い合う二人だったが、改めて大佐が切り出した。
「少し散歩したいのだが、いいかな?」
「はい。お供します」
士官食堂のあるヴォンデルランド内の商業区画、通称酒保を離れると、辺りは鬱蒼と生い茂る温帯雨林となっている。青々とした緑と力無い者の進入を拒む濃密な気配を持った森は、年間平均気温の高いこの地方特有のものだ。
森を貫く連絡道路を二人は並んで歩く、見上げると満天の星空が輝き、時々瞬いている。
「明日も暑そうだな」
「そうですね」
夜半ともなれば冷えてくるようにはなったが、いまだ残暑の昼間の暑さは、大地を焼き尽そうとしているかのようだ。
「君達の将来も、明るく晴れ模様であればいいのだが」
「それでは面白くありません。自分達は、まだ空を自由に飛ぶことも出来ないんですから」
笑顔で返すハヤトに、アトハウザー大佐は一瞬虚を突かれたような表情を見せたが、また笑い声を上げた。
「さすが個性派の第三小隊長殿だ。充分に君も個性的だな」
「ありがとうございます」
アトハウザーは空を見上げて立ち止まった。
「私のCFOはとっくに亡くなっている」
「写真の方ですね?」
「ああ、そうだ。頼もしい奴だった。奴が病に倒れたので、私も研究職に身を移したのだが、それまでの二十年を思い返すと楽しいことしかなかった気がする」
大佐の最も個人的な話だった。
「奴とは女の取り合いをしたこともあったな。どうも好みがかぶるらしくてな。先に結婚したのは奴だったが、私の妻もいいから交換しろと無茶なことを言って来たりもした」
「ええっ」
「そんな奴もガンで亡くなり、娘さん二人を遺して逝ってしまった。その子達も私の娘のようなものさ」
「はい」
「さっきのフルセクターの話な……、ああいう話は正直身につまされる。彼女のいた施設のことは?」
「知りません」
「なら、今後のためには知っていた方がいいだろう。サウズリーフにある孤児保護施設イザナミという。そこがただの保護施設ではないのは、事象改変言語が学べるという点だな。彼女は、トップの成績だったから特待生になったわけだ」
「なるほど」
「年端もいかない女の子が入隊して来る度に、相棒の娘と比べてしまうせいか、不安になってしまう。彼女達は幸せになれるかな、とね」
その言葉に、ハヤトは昼間に話をしていたディータ中尉のことを思い出していた。
「キャロイ大佐みたいに、教え子なのに私と同じ階級になるような目にあってしまった女の子もいるし、ディータ中尉のことも不安だ」
「え?」
同じことを考えていたハヤトの驚きの声に、大佐はちらりと一瞥をくれただけだった。
「あまりにも戦術魔法師に入れ込んでしまったために、彼女は未だ独り身だからな。それだけが幸せというわけでもないとは思うが、誰かいい相手はいないものかと思うのだが、あの世代の男はみんな結婚しているからな」
「はぁ……」
たぶんにデリケートな話題に、生返事しか出来ないハヤト。
「フルセクターは、その中でもまだ幸運なのかもしれないな」
エリナを護りたい、と言ったレクス。エリナの言葉に触発されたのだとしても、自分の意志をはっきりと告げた。その成長とそれを促したエリナは、確かに強い絆で結ばれている。
「まあ、どういう結果になるかはまだまだ未知数だな」
「そうですね」




