第13話 2つの灯り
被害の確認が行われた。
幸い、死者は出なかった。けれど負傷者は数名いた。中には逃げ遅れた子供を庇って腕を裂かれた、若い母親もいた。アルカディアの治療ポーションの希釈液で傷はじき塞がるだろうとガレオは言った。けれど傷が塞がっても、あの夜の恐怖は村人の心から消えはしないだろう。
アルトは広場の残骸の前に一人で立っていた。
夜明けの光が砕けた金属片を白々と照らした。
昨夜、自分が振った剣の鉄錆が海風に冷えていた。
自分が持ち込んだものだった。
魔物を遠ざけ、村を守るはずのものだった。
それが暴走し村に魔物を呼び寄せ、人を傷つけた。
アルトは三百年前のことを思った。
アルカディアは地上に何もしなかった。豊かで、美しく、強かった都市は、地上を見下ろすだけで、その繁栄を一滴も分け与えなかった。そして墜落の時――その傲慢の代償を地上の人々に払わせた。
自分はそれを償うつもりだった。
アルカディアが与えなかったことの埋め合わせに、アルカディアの知恵を与える。
それが贖罪だと思っていた。
けれど――。
村の暮らしを、慣習を、誇りを、ろくに知りもしないまま、これがお前たちのためだと機械を据えた。ハーロの火を「補い」と呼んで、要らないものにしようとした。
そして、その機械が村を傷つけた。
――施しってのはな。する側がいい気分になるだけのもんだ。
ハーロの言葉が、胸の奥で重く反響した。
これは三百年前のアルカディアと同じではないのか。
上からよかれと思って与える。相手の暮らしを見ようともせず、自分の正しさだけを信じて与える。その傲慢さにおいて、自分はアルカディアと寸分も違わなかったのではないか。
贖罪のつもりだった。
けれど贖罪とは――同じ過ちを優しい顔で繰り返すことではない。
アルトはその場に立ち尽くした。
足音が近づいてきた。ガレオだった。
「アルト」
「ガレオ」
「自分を責めてるな」
アルトは答えなかった。
ガレオが破壊された装置の残骸を見下ろした。眼鏡の縁を軽く押さえる。
「責めるなとは言わん。あんたが今感じてることには、たぶん意味がある」
「……」
「だが、一つだけ。今回の暴走はおかしい」
アルトはガレオを見た。
「どういうことだ」
「装置の波長が反転した原因だ。俺が動力源を調べた」
ガレオの声が、わずかに低くなった。
「設計上、あの装置はああいう壊れ方をしない。出力が落ちて止まる――そこまでだ。波長が綺麗に反転して、誘引信号になるなんてのは」
「……」
「まるで誰かがそうなるよう仕組んだみたいだ」
アルトの背筋に、冷たいものが走った。
「仕組んだ、だと」
「断定はできん」
ガレオは慎重に言った。
「部品の劣化がたまたま最悪の形で噛み合った可能性も、ゼロじゃない。だが俺はこれを偶然と呼ぶには、できすぎてると思う」
二人はしばらく、破壊された装置を見つめていた。 夜明けの光が少しずつ強くなっていた。
*
アルトは岩場の炉へと向かった。
ハーロはまだそこにいた。
一睡もしていないのだろう。赤く充血した目で、炉の火を見つめている。火はもう、いつもの穏やかな大きさに戻っていた。
アルトは老人の前に立ち、深く頭を下げた。
「ハーロ殿」
「……」
「あなたの火が村を救いました。私の機械は村を傷つけました」
老人は何も言わなかった。
「あなたの仰る通りでした。私はこの村の暮らしを何も知らないまま、機械を据えました。あなたの火を、要らないものだと決めつけました」
アルトは頭を下げたまま続けた。
「それは――三百年前にアルカディアが地上にしたことと同じでした」
「……」
「申し訳、ございませんでした」
長い沈黙があった。やがてハーロが深い溜息をついた。
「……頭を上げなせえ、騎士様」
アルトが顔を上げた。
老人は火を見つめたまま――ぽつりと言った。
「わしはな、あんたを憎んでたわけじゃねえ。あんたが据えた機械が憎かったわけでもねえ」
「……」
「ただ……怖かったんだ」
ハーロは皺だらけの手を炎にかざした。
「わしの家は五代この火を守ってきた」
「……」
「わしには倅がいねえ。わしが死ねば、この火は消える。それはもう決まったことだ」
「……」
「だがな、騎士様。わしが生きてるうちに、この火が要らねえと言われるのは――わしの五代がまるごと、要らなかったことになるようでな」
アルトはその言葉を、静かに聞いていた。
「機械の方が確かなんだろうよ。学者先生もそう言う。村の衆もそれを望んだ。それでいいんだ」
ハーロは火に視線を戻した。
「年寄りの火なんざ、いつかは消える」
「ハーロ殿」
アルトは炉の火を見つめた。
「昨夜、村人を救ったのはその火です」
「まぐれさ」
「いいえ」
アルトは首を振った。
「機械は暴走しました。完璧なものなどありません。アルカディアの技術も過信すれば昨夜のように人を傷つける」
「……」
「けれどあなたの火は三百年、この村を守ってきた」
「……」
「機械が壊れた夜に人を守れるのは、壊れない火の方かもしれません」
老人がアルトを見た。
「私が間違っておりました」
アルトは続けた。
「機械で火を要らなくするのではない。機械と火、両方が要るのです」
「……」
「装置が壊れた時は火が村を守る。火だけでは足りない夜は装置が村を守る」
アルトは老人の目を、見つめた。
「どちらか一方ではなく――両方をこの村に残したい」
「両方、だと」
ハーロが、初めてアルトに視線を戻した。
皺の奥の目が何かを測るように、静かにアルトを見つめた。
「騎士様。あんた、本気で言うてなさるか」
「本気でございます」
「機械の方が確かだとあんた自身が言うたじゃろう」
「申し上げました」
アルトは、ゆっくり頷いた。
「けれど――確かなものが壊れた夜のことを、私は昨夜知りました」
ハーロは答えなかった。
火の中で薪のひとつが小さく爆ぜた。
「……ふん」
老人はゆっくりと炎に視線を戻した。
「筋は通る。年寄り騙しの口先じゃねえということは、まあ、認めよう」
「はい。そして――その火の番をする者が必要です」
アルトはハーロの目を見た。
「あなたの五代の知恵は要らないものではありません。装置を直して、また据えます。けれどその時は――灯籠守のあなたに装置の見張りもお願いしたい」
「……」
「火と機械、両方を見られるのは、この村であなただけです」
ハーロはアルトの顔をしばらく見ていた。それから火に視線を戻し、長く黙っていた。
やがて、ぼそりと言った。
「……薪が足りなくなるな。火と機械の両方を見張るとなりゃ」
アルトはわずかに頬を緩めた。
「薪は、いくらでもお運びします」
老人は、ふん、と鼻を鳴らした。
けれどその鼻の鳴らし方は、最初に会った時とは、 どこか違っていた。
*
王都に戻ったのは、その三日後だった。
アルトはリーシェリア王女に、ファネアでの一部始終を報告した。装置の暴走。村人の負傷。そして――それが偶然の故障ではないかもしれない、というガレオの見立て。
王女は静かにそれを聞いていた。聞き終えると、しばらく何も言わなかった。
「アルト卿」
やがて王女が口を開いた。
「あなたはご自分を責めておられますね」
「……はい」
アルトは正直に答えた。
「私は急ぎすぎました。民の期待に早く応えたかった。アルカディアの罪を早く償いたかった」
「……」
「その焦りが、村の暮らしを見ようとしない傲慢に繋がりました」
「……」
「贖罪のつもりが、贖罪になっていなかった。私は、 アルカディアと同じことをしていました」
王女はアルトを見つめ、そして静かに首を振った。
「いいえ、アルト卿。それは違います」
「殿下」
「アルカディアは三百年前、地上を見ようともしませんでした」
王女の声は静かに、けれど確かだった。
「けれどあなたはファネアで火を守る老人の前に、頭を下げた。暮らしを見ようとしなかったことを悔いた。装置と火――両方を残す道を選んだ」
王女はアルトに歩み寄った。
「見下ろすだけだった国と頭を下げることのできる騎士は同じではありません」
「……」
「過ちを犯したことがアルカディアと同じなのではないのです」
王女はまっすぐにアルトの目を見た。
「過ちのあと、どうするか。そこで初めて――違う道が分かれるのだと、私は思います」
アルトは言葉を継げなかった。
王女の言葉はハーロの炉の火のように彼の胸の奥を静かに温めた。
「殿下」
「はい」
「復興は、簡単ではありませんね」
王女はわずかに微笑んだ。
「ええ。簡単ではありません」
「機械を据えれば村が救われる。私はそう安直に考えておりました」
アルトは続けた。
「けれど村には、村の暮らしがあり、誇りがあり、それを守ってきた人がいる。そのひとつひとつを見なければ、技術はただの押し付けにしかなりません」
「ええ」
「時間がかかります。一つの村に一つの装置を据えるだけでも、本当は」
「ええ。けれど」
王女は窓の外を見た。王宮の門前には、今日もまた、アルカディアの騎士を一目見ようと人々が集まっていた。
「だからこそ、私たちがやるのです」
王女は静かに告げた。
「簡単なら、誰かがとっくにやっています。三百年、誰もできなかったから――この時代はこうなっている」
王女はアルトに視線を戻した。
「焦らず、一つずつ。あなたが頭を下げた、あの村から。それでよいのではありませんか」
アルトは深く頷いた。
*
その夜、アルトは客間でファネアから持ち帰った一本の薪を机の上に置いた。
ハーロが別れ際に、無言で押し付けてきたものだった。灯籠守の炉で火の番に使われる、ただの薪。けれどアルトにはそれがひとつの約束のように思えた。
アルカディアが三百年ついにできなかったことを、自分はこの小さな薪の一本から始めるのだ。
窓の外で月が薄く雲に滲んでいた。
アルトはもう、その月に過去の悔いだけを見てはいなかった。
明日、またどの村に何を運ぶか――そのことを考えていた。




