第12話 灯籠守
アルトとガレオを中心とした復興計画が、ここから動き出した。
最初に取りかかったのは結界発生装置の設置だった。
ノエの記憶を頼りに、ガレオがアルカディアの遺物の中から原型となる部品を掘り出した。完全な形のものはなかった。それでも幾つかの部品を継ぎ合わせ、ガレオの工夫を重ねることで、簡易型の装置がどうにか復元された。
最初の設置先はヴェスタ砦の南、海沿いの小さな漁村ファネアと決まった。
アルトとガレオに加え、ノエも同行した。アルカディアの治療ポーションの希釈液を村の常備薬として伝える――それがリーシェリアから直々に授けられたノエの役目だった。
ファネアは古い村だった。三十戸ほどの漁家が岩がちの入江に肩を寄せ合うように建ち、潮の匂いと魚を干す匂いが路地の壁に染みついていた。魔物の被害が比較的少ないと知られていたが、それは砦に守られているからではなかった。
「灯籠守、と言いましてな」
案内に立った若い漁師が口を開いた。
「うちの村にゃ古い習わしがあるんで。夜になると入江の岩場に篝火を絶やさず焚く。魔物は灯を嫌うって、昔から決まりで。代々、灯籠守の家がその火の番をしてきたんでさあ」
「効果はあるのか」
アルトが尋ねると漁師は曖昧に首を傾げた。
「さあ。けど、ファネアは確かに近隣よりは襲われちゃいねえ。火のおかげか、運がいいだけか――そりゃ、誰にも分からねえですが」
ガレオが横で小さく頷いた。
「篝火の熱と光が海面付近の小型魔物を遠ざける。迷信と切って捨てる話じゃない。理屈はある」
「学者先生がそう言うなら、灯籠守も浮かばれまさあ」
漁師は笑った。けれどその笑い方には、村のしきたりを他所者に値踏みされることへの、ほんのわずかな硬さが滲んでいた。
村の中央、入江を見下ろす岩場に古い石組みの炉があった。そこで火が絶えず焚かれていた。火の傍らに一人の老人が座っていた。
白髪を後ろで束ね、潮に灼けた顔に深い皺を刻んだ老人だった。膝の上に薪を抱え、火の具合をじっと見つめている。煙の匂いが、その人の骨にまで染みているように見えた。
「灯籠守のハーロ爺さんでさ」
漁師が声を潜めた。
「ファネアで一番の古株だ。代々あの炉の火を守ってきた家系の最後の一人で」
アルトはその老人に歩み寄り、軽く頭を下げた。
「火の番、ご苦労に存じます」
老人が顔を上げた。
じろりとアルトを見上げる。
それから視線が、ゆっくり滑った。白い装束。銀の髪。腰の剣。一品ずつ値踏みしてから、また炉の火に戻った。
「あんたが噂の天上人かい」
「アルト・ヴェルナーと申します」
「ふん」
老人は鼻を鳴らした。
「天から降ってきて、何百年も寝てた御方が今さらわしらの村に何の用だね」
声に、隠そうともしない刺があった。
アルトは言葉を詰まらせた。代わりにガレオが穏やかに進み出た。
「ハーロ殿。我らはこの村に、アルカディアの結界装置を据えに参った。魔物を寄せ付けぬ波を出す古代の機械だ。これがあれば、村は今よりずっと安全になる」
老人の手が薪を抱えたまま止まった。
*
「機械、だと」
ハーロが低く呟いた。
「魔物を機械が追い払うと」
「左様」
ガレオが頷いた。
「篝火よりも確実だ。範囲も広い。村中を覆える」
老人はしばらく無言で火を見つめた。やがてぽつりと言った。
「では、この火はいらなくなるということかね」
ガレオが言葉に詰まった。
その一言の重さにアルトはすぐに気付いた。
灯籠守。代々この炉の火を守ることだけを生業とし、誇りとしてきた家系。その火がいらなくなる――それは、ハーロという老人の三百年近い家の歴史が、機械ひとつでいらなくなるということだった。
「ハーロ殿」
アルトは静かに告げた。
「火を消せとは申しません。装置はあくまで、火の補いとして」
「補いだと」
老人が初めて声を荒げた。
「補いというのはな、騎士様。足りんものを足すことだ。だがあんたらの機械は足すんじゃねえ。わしの火を要らんものにする。それは補いとは言わねえ。乗っ取りと言うんだ」
「……」
「天上人ってのはいつもそうだ」
ハーロが火に薪をくべた。火の粉が舞った。
「わしの祖父さんのそのまた祖父さんの代から聞いとる。三百年前、あんたらは空の上におったろう。地上のことなんざ、何ひとつ見ようとしなかったろう。そのくせ落ちる時にゃ、海ごとわしらの世界を巻き込んで落ちやがった」
「……」
「そして三百年経って、今度はのこのこ降りてきて、わしらの火を要らんと言う。施しのつもりかね、騎士様」
老人の目が初めてまっすぐにアルトを見た。
「施しってのはな。する側がいい気分になるだけのもんだ」
アルトの胸が軋んだ。
「ハーロ爺さん!」
案内の若い漁師が慌てて止めようとした。
「天上人様になんてことを」
「いい」
アルトは手で漁師を制した。
ハーロに向き直る。
そして、深く頭を下げた。
「ご無礼をお詫びいたします」
老人がわずかに眉を動かした。
「アルカディアが地上に何もしなかったことは、事実です。墜落が地上を巻き込んだことも事実です」
アルトは頭を下げたまま続けた。
「私はその国の最後の住人です。あなたのお怒りは、私が受けるべきものです」
ハーロはしばらく、アルトの下げた頭をじっと見ていた。やがてふん、ともう一度鼻を鳴らした。
「……殊勝なこった。だがな騎士様、頭を下げられたところで火は守れんよ」
老人は立ち上がり、炉に背を向けた。
「好きにしなせえ。村の衆が機械を欲しがるなら、わし一人が止めても仕方ねえ。だが、わしはその機械を信じねえ。火も消さねえ」
そう言い残してハーロは岩場を降りていった。曲がりかけた背筋をそれでも曲げまいとする背中だった。
その日の午後。村の集会所ではノエが女衆に囲まれていた。
卓の上に並ぶのは、何種類かの薬草と、銅製の小さな乳鉢と、清潔な水を張った素焼きの器。ノエはアルカディアから持ち込んだ干した薬草の束をひと束ずつ女衆の手に渡し、その匂いと触感を確かめさせた。
「この薬は、私どもでは『塞ぎ薬』と呼ばれていたものでございます」
ノエの声はいつもの落ち着いた抑揚だった。
「切り傷、擦り傷、軽い火傷にお使いいただけます。重い傷には足りませんが、ご家庭の常備としてお役に立つかと存じます」
漁師の妻と思しき中年の女が薬草を鼻に近づけて顔をしかめた。
「えらい臭いね、姐さん」
「申し訳ございません。乾燥させる過程で、どうしてもこのような匂いが」
「いやいや、文句じゃねえよ。これくらい臭けりゃ効きそうだ」
女衆がどっと笑った。ノエもわずかに口元を緩めた。
「乳鉢でこのように細かく挽きまして」
ノエは銅製の乳棒を女衆のひとりに渡した。受け取った若い娘が緊張した手つきで薬草を挽き始める。ノエはその傍らに立ち、力の入れ方を手の動きで示しながら、急かさず待った。
集会所の窓の外を通りかかったアルトがその光景に足を止めた。
ノエは三百年、誰もいない宮殿でひとりだった。それが今、女衆の輪の中にいる。隣の娘の手の動きを、静かに見守っている。乳棒を握る手の角度。力の入り方。女衆の質問。笑い声。そのひとつひとつをノエは決して見下ろさなかった。
見下ろさない。
アルトはそう思った。
三百年前のアルカディアが地上に対してできなかったことをノエは今、ごく自然にしている。
アルトは集会所の前を通り過ぎた。胸の奥に何か温かいものがひとつ残った。
その夜、ガレオとアルトは村の広場に結界装置を据えた。村人の多くは歓迎した。古い篝火より確実だという学者の言葉を彼らは信じた。
ただ一人、ハーロだけが入江の岩場でいつも通り火を焚き続けていた。
その夜、ファネアにはふたつの灯が並んだ。
広場の中央に白く澄んだ魔導の光。
入江の岩場に赤く揺れる篝火。
ひとつは、整っていた。
もうひとつは、息をしていた。
*
異変は三日目の夜に起きた。
アルトとガレオは装置の稼働状況を見るため、ファネアに滞在を続けていた。装置は順調に作動しているように見えた。設置以来、村への小型魔物の接近はぴたりと止んでいた。村人たちは喜び、初めて篝火なしで眠れる夜が来ることを半ば信じ始めていた。
夜半――。
アルトは目を開けた。
枕元の『月の鏡』が淡く青い光を放っていた。
警告。
跳ね起きた。剣を掴み、客間を飛び出す。
広場の方角から奇妙な音が流れていた。
結界装置の駆動音。
だが、いつもの安定した響きではない。
途切れ、震え、喘ぐような音だった。
広場に駆けつけるとガレオがすでに装置の前にいた。装置の魔導の光が白から不穏な紫へと明滅していた。
「ガレオ! 何が起きている!」
「分からん! 出力が暴走している!」
ガレオは制御盤に張りついていた。
「波長が反転してる……! これじゃ、魔物を遠ざけるどころか――」
ガレオの言葉が終わる前にアルトは悟った。
海の方角――。
入江の闇の中で、いくつもの影がざわめいていた。
呼んでいる。
装置が魔物を呼んでいる。
本来遠ざけるはずの波長が反転し、逆に引き寄せる信号と化していた。
「村人を起こせ! 全員、村の奥へ!」
アルトは叫んだ。
「ガレオ、止められるか!」
「やってる! だが反応しない……! 完全に制御を失ってる!」
海面が、割れた。
小型の魔物が次々と入江に這い上がってくる。一体一体はヴェスタ砦のものよりはるかに小さい。けれど、数が違う。そしてその大半が、まっすぐに広場へ――村の中心へと向かっていた。
村は混乱に呑まれた。眠っていた村人たちが悲鳴を上げて飛び出してくる。子供が泣き、女が走り、男たちが慌てて漁具を武器代わりに掴んだ。
アルトは剣を抜いた。青白い光が刃を走る。
「ガレオの周りを空けろ!」
広場の入口に立ちはだかった。装置に殺到する魔物を、一体、また一体と斬り伏せていく。
それでも数が多い。魔物は四方から湧いてくる。
一人では、村全体を守りきれない。
その時――。
入江の岩場で夜が裂けた。
赤い柱が、天を衝いて噴き上がった。
ハーロの篝火だった。老人が抱え込んでいた油を、一気に炉へぶちまけたのだ。炎が岩場を金色に焼き、熱気が入江の海面を焙った。火の粉が高く、高く、夜空に舞い散った。
そして、魔物の動きが乱れた。
装置の誘引信号と、篝火の熱と光と。海の生き物にとって相反するふたつの合図が、入江の闇の中で交錯した。装置に引き寄せられていた魔物の群れの半分ほどが、燃え上がる篝火を避けて進路を乱し、岩場を迂回しようと右往左往した。
「騎士様!」
岩場の高みから、ハーロの声が降ってきた。
「村の衆をこっちへ寄越せ! 火のそばなら、奴ら来やしねえ!」
アルトは即座に判断した。
「村人は灯籠守の炉へ! 火のそばに集まれ!」
村人たちがハーロの篝火の方へと殺到した。アルトはその退路を切り開きながら、最後尾を守った。
魔物の群れは篝火を避け、装置の周りに殺到した。
広場の中央。ガレオが装置の核に取り付き、最後の手段に出た。動力源そのものを、自らの手で打ち砕いた。
火花が散った。
暴走した波長が、ようやく途絶えた。
信号を失った魔物たちは統率を欠き、散り散りに海へと退いていった。
夜明け前の入江に、静けさが戻った。
広場の中央、白い魔導の光は消えていた。砕けた金属片だけが夜露に濡れていた。
岩場の篝火だけが変わらず赤く、燃え続けていた。




