人間の境界
ハイデルはソファーに腰かけてグラスに注いだ酒を一杯飲んだ。
「さて、どこから話したものかな」
「今の状況の要点だけでお願いします」
「ふむ、それならば、君がこの町に現れる少し前から話そうか。私はこの町は気に入っていてね、それなりに長い間ここに住んでいるが、最近若い吸血鬼がこの町にやってきた」
そこでハイデルは酒を再びグラスに注ぎ、一口飲む。
「その吸血鬼は君が今日大体潰してしまった組織の人間に力を与え始めた。私はあまり色々なことに干渉したくないし、目立っていたので、そのうちハンターが来て収めるだろうと思っていた。だが、ハンターの二人組みが来てみると、そのうちの一人は意外な人物でね。私のような者の力を取り込む術を持っている、野心的な人物だった」
「その人なら私も見ました。油断のならない人物のように見えましたね」
「私も狙われているようだが、まあ、いざという時のために保険はかけている。それもどうなるかな」
「あなたは狙われているというのに、ずいぶん落ち着いていますね」
「私はこうした態度しか知らないのだよ。どうも定命の者とは感覚が違ってしまっていてね」
「そうですか。護衛は、必要ですか?」
「いいや、それなら必要はないかな。君は君の仕事をしていればいいのだよ」
「いえ、そうも言っていられない状況になりそうですね」
カレンが立ち上がるとほぼ同時に爆音が響いた。数秒後、居間のドアが蹴り破られ、銃を構えたアニエルドが入ってきた。
「変わったお客さんですね」
カレンはアニエルドとハイデルの間に立ち、ナイフを抜いた。アニエルドはそれを見てかすかに笑う。
「イシルドと一緒にいた奴か、俺の邪魔はしないほうが身のためだぞ」
「そうもいきませんね、今の私の仕事は用心棒なので」
「なるほどな、そういうことなら軽く相手をしてやるか」
アニエルドは銃を一発撃つ。カレンはそれをナイフで受けて弾こうとするが、少し押されるようにしてから、銃弾を弾くことができた。アニエルドはそれを見てにやりと笑う。
「やるな、だが、一発じゃなかったらどうだ?」
そう言うと今度は三発の銃弾を撃った。カレンはその一発だけをナイフで弾くと低い姿勢で残りの二発をかわしながらアニエルドとの距離を詰める。
だが、アニエルドは床を蹴ってカレンの頭上を跳び越え、上から残り二発の銃弾をカレンに向けて撃った。
カレンはそれを身をよじって避けるが、そのぶん体勢を崩してしまう。その隙にアニエルドは銃をホルスターに収めると長剣を抜き、すぐにカレンに向けて突きを放った。
だが、カレンは体勢が崩れた状態からもナイフを投げた。それを長剣で払ったアニエルドは攻撃の手を止め、横に動いた。そして、いまだに座っているハイデルと体勢を立て直してショートソードを抜いたカレンの両方に視線を動かす。
「そっちの吸血鬼、お前は動かないのか?」
「私はこのまま君達を見させてもらうよ」
「いい根性だ。それなら待ち時間を短くしてやろう」
アニエルドはいきなり長剣に自分の右手首を這わせた。その傷から血が流れ出し、長剣が血に濡れていく。そして、アニエルドがその血を舌で舐めとると、その肌から血の気が引いていく。
「なんの芸です?」
「こうしたほうが取り込んだ力は使いやすくてな」
そう言ってうっすらと笑うアニエルドの犬歯は牙のように鋭くなっていた。次の瞬間、アニエルドの長剣がカレンに振り下ろされていた。カレンはそれをなんとか自分のショートソードで防ぐが、強引に力で押し込まれて膝をつく。
「なるほど、ただの手品ではないようですね」
「この状態でそんな減らず口がたたけるとは大したもんだよ、あんたは」
「光栄です」
カレンはショートソードを肩に当て、身体ごとアニエルドを押し返す。アニエルドは体勢を崩される前にバックステップをして距離をとった。カレンもショートソードを構えなおし、再びアニエルドと対峙する。
「君はすでに人間とは呼べそうにないね」
そこにハイデルが声をかけた。だが、アニエルドはわずかに首を横に振る。
「いいや、まだだ。だが、お前の力を手に入れれば、俺は完全に人間を越える」
「さて、そうかな」
ハイデルは静かに微笑む。だが、アニエルドがその意味を問う前にカレンは自らのショートソードに雷をまとわせた。アニエルドはそれを見て真剣な表情になった。
「そいつが切り札か。来いよ」
カレンは正面からその雷の剣をアニエルドに打ち下ろす。アニエルドは一撃目は長剣で受け流し、切り返しの逆袈裟は上から長剣で押さえつける。雷光が周囲にほとばしるが、アニエルドは表情一つ変えずにカレンのショートソードを押さえ続ける。
「いい技だが、そいつじゃな!」
アニエルドはカレンに回し蹴りを入れた。カレンはショートソードを放すと、自分で飛んで衝撃を和らげたが、壁にぶつかってしまう。
そしてアニエルドはハイデルの方に身体の向きを変えると、一気に近づき、長剣でその胸を突き刺した。ハイデルは穏やかな表情のまま、それを受け入れる。
長剣が胸を抉るように動き、血に塗れた宝玉が取り出される。アニエルドはそれを口に入れて飲み込むが、すぐに意外そうな顔をした。
「どういうことだ?」
ハイデルは血を流しながらも、ゆっくりと微笑んだ。
「私の力がこの程度ということさ。残念だったね」
「そんなわけがあるか!」
アニエルドはそれまでの態度とは全く違い、声を荒げてハイデルに長剣を振り下ろした。血が飛び散り、肩に長剣が食い込む。だが、そこでアニエルドの肩に投げナイフが刺さった。
「ちっ!」
アニエルド長剣から手を放し、銃を抜いたが、それは一発の銃弾で弾かれた。アニエルドが首をまわすと、部屋の入口には銃を構えたイシルドが立っていた。
「何をしている」
アニエルドはそれで逆に落ち着いたようで、長剣を手に取ると数歩後ろに下がった。
「そこの奴は吸血鬼だ。まあもう長くはないがな」
「なに?」
イシルドが一瞬ハイデルに気をとられると、アニエルドは背を向けて走り出し、ドアを突き破っていった。それから轟音が響く。イシルドはそれを追おうとしたが、それは立ち上がったカレンに止められる。
「追っても無駄です。それより、イシルドさんには話があります」
そう言ったカレンはハイデルの横に膝をついた。
「大丈夫ですか?」
「いいや、大丈夫とは言えないだろうね」
「それならば、あなたが言っていた保険というものを教えてください」
「それは」
そこでハイデルは口から血を吐いた。だが、それでも言葉を続ける。
「すでに君たちの近くにいる。あの男を止めたいのなら、急いだほうがいいね」
それだけ言うと、ハイデルの身体は灰になって崩れた。イシルドはまだ状況がよく飲み込めないようだった。
「どういうことなんだ、これは」
「話は後です。今は娼館に戻りましょう」
イシルドはまだ何か言いたそうだったが、しばらくしてうなずいた。
「わかった」




