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前世の記憶を取り戻した少女、碁盤へ戻る  作者: P. Lum
第1章(完)

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11/13

第11話 そこ?

 白二百二手目。


 小春の視線は、凛が置いた白石へ落ちた。


 下辺中央。


 普通に受ければ、白にもまだ動かせる場所がある。間違えれば、もっと大きく動く。そのために打った。


 勝つためというより。


 間違えてもらうための一手だった。


 小春の時計が動いている。


 三十秒。


 小春は盤を見る。


 白の勝負手。


 その周り。


 少し離れた場所。


 そして。


 黒石を一つ摘まんだ。


(来る)


 凛は下辺を見た。受ける場所は、いくつかある。強く来るなら、ここ。軽くかわすなら、こっち。その先も読んである。


 黒石が盤へ触れた。


 音は、下辺からしなかった。


「……え?」


 凛の目が動く。


 白の二百二手目から遠く離れた、右下。


 そこに黒石があった。


「……そこ?」


挿絵(By みてみん)


 思わず声が出た。


 小春は答えない。もう次の盤面を見ている。


 凛は右下の黒石を見る。


 意味が分からなかった。


 今、そこなのか。


 白は下辺へ仕掛けた。受け方を間違えれば、手になる。そう読んでいた。だから打った。


 なのに。


 小春は受けなかった。


 もう一度、下辺を読む。白から続ける。黒が返す。その先。もう一手。


 そこでようやく分かった。


(……受けなくていい)


 白の仕掛けは、黒が今すぐ付き合わなければならないほどではない。それより、右下の一手の方が価値がある。


 小春は、白の狙いを無視したのではない。


 分かったうえで。


 もっと価値のある場所を先に打った。


 凛は唇を噛んだ。


 まただ。


 目の前へ打ったのに。


 小春は、盤全体を見ている。



◆◆◆



 まだ何かある。


 凛は白石を摘まんだ。下辺へ続ける。


 黒が応じる。


 次。


(これなら)


 別の場所へ打つ。


 小春は時計を見ることもなく、盤へ視線を落としたままだった。


 数秒。


 黒石が置かれる。


 白の狙いだけを消す手。余計なことはしない。そのくせ、こちらにも得をさせない。


 凛は読む。もう一度。別の筋。


 まだある。


 白石を置く。


 黒が返す。


 また白。


 また黒。


 一手ごとに。


 白が盤を動かせる幅だけが、狭くなっていく。


(お願いだから)


 次の白石を持つ。


(間違えて)


 置く。


 小春は盤を見る。すぐには打たない。必要なだけ考える。けれど、迷わない。


 黒石が置かれる。


 凛は息を止めた。


 違う。


 そこでもない。


 こっちでもない。


 白が欲しかった崩れ方を、黒は一度もしてくれない。


 派手な手ではなかった。驚くような切り返しでもない。


 ただ。


 必要な場所に、必要な手が来る。


 一つずつ。


 逃げ道を塞ぐように。


 凛は盤を見る。


 右辺。


 中央。


 下辺。


 まだ打てるところはある。白石を置ける場所なら、いくらでもある。


 でも。


(……動かない)


 もう、どこへ打っても。


 勝負そのものが動かない。



◆◆◆



 それでも、凛は石を持った。


 投げたくなかった。


 まだ一手ある。次もある。小春だって三十秒しかない。


 一度くらい。


 一度くらいは。


 白石を置く。


 黒石が返る。


 また置く。


 また返る。


 小春は何も言わない。あの「わし」が嘘だったみたいに、静かな顔で盤だけを見ている。


 凛には、それが余計に腹立たしかった。


 自分はこんなに必死なのに。


 向こうは。


 向こうは――。


 違う。


 小春だって必死だ。余裕があるわけではない。


 ただ。


 最後まで、盤から目を逸らさないだけだ。


 それが、分かってしまった。


 だから。


 余計に悔しかった。


 黒石が置かれる。


 二百十一手目。


 凛は盤を見た。


挿絵(By みてみん)


 まだ打てる場所はある。白石を置く場所もある。少し得をする手も。少し損を減らす手も。


 ある。


 けれど。


 勝負を動かせる場所がない。


 黒二百三手目から。


 ずっと。


 自分は、それを確かめていただけだった。


 凛の指が、碁笥へ伸びる。


 止まる。


 白石に触れない。


 盤が滲んだ。


(……やだ)


 負ける。


 分かっていた。全国大会でも負けたことはある。自分より強い相手だっていた。


 それなのに。


 こんなに嫌なのは、初めてだった。


 少し前まで、名前すら知らなかった子だった。変な碁を打つ子だと思っていた。石を助けて、自分で苦しくなる子。


 そんな打ち方では強い人に勝てないと。


 自分で言った。


 小春は、右上を捨てた。


 その小春に。


 負けるのは、自分だった。


 視界の端から、何かが落ちた。


 盤の縁に、小さな雫が一つだけ残った。


 凛は俯いた。声を出したら、もっと崩れそうだった。


 だから。


 息を整える。


 一度。


 もう一度。


 それでも声は、少し震えた。


「……ありません」


 白投了。


 小春が、ゆっくり頭を下げた。


「ありがとうございました」


 凛も、頭を下げた。


 声は、出なかった。

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