004 ◇ 赤い女
考えてみる。
こんな事態になることを予測できた人間はこの世に一人たりともいないだろう。律の話を聞いた時、いつも冷静な彼が取り乱していることを感じた。強い精神的ショックを受けたのだと思う。
テレビでは相変わらずこの現象についてのニュースが流れている。全てのSNSは、ジャックされた五分間、投稿が一切されなかったらしい。そりゃそうだろう。そんな情報が重要なのかどうかはよくわからなかったけれども。
そんな時。
玄関のインターフォンが鳴った。唐突に鳴り響いたその音は、この世の終わりのような重低音。
こんな真夜中に誰だろう、とは思ったが、世界がパニック状態の最中である。不安になって誰かが訪ねてきてもおかしくはない。私は玄関のモニターを確認した。誰も映っていないように見えた。が、声は聞こえてきた。
「はい、佐内です。どちら様でしょう?」
「ハァ、ハァ……はじめまして……な、中に入れてください、ハァ、ハァ……」
「このアパートの住人の方ではないですよね?」
「はい、ハァ、ハァ、……」
パニックに陥って息を切らしている。
……アパートの玄関は、オートロック式で二つのキーを用いなければ開けることができなくなっている。声のトーンからして女性だとわかったし、パニックを鎮めてあげないといけないと思い、玄関を解錠することにした。ガチャッ。ガチャッ。
そこに立っていたのは、全身が『燃えるような赤』に染まった美しい女性だった。年齢は私の少し上かな、という感じだ。
センスもへったくれもない。着衣すべてと、髪の色までもが燃えるように赤い。普通の人がこのような配色で着飾っていたとすると本当にセンスのない人だ、となるだろうが、この女性は顔の造形が極めて引き立っており、成立している。
――先ほど、モニターには何も映っていなかったような……まあ、気のせいだろう。
「何のご用件でしょうか?」
「ハァ、ハァ、ひとまず、お部屋に上がらせてください、ハァ、ハァ、……」
「いや、ちょっと待――」
と、強引に赤い……足袋? ……なにかよくわからないものを脱ぎ捨て、部屋に上がろうとした。バランスを失いかけ、なだれ込むようにして部屋に入ってきた。しかしまだ足元がおぼつかない。
「ちょっとあなた! こんな時だからって……警察呼びますよ!? いいんですか?」
「ま、待ってください……ワタクシは決して悪い者ではない、です、ハァ、ハァ」
改めて女を見た。真っ赤。真っ赤ではあるが、やはりこの女にはそれが似合っている。
まあ……何か危ないものは持っていないようだし、同じ年くらいの女だ。
私は今にも倒れそうな女の肩を抱いて、部屋の中央にあるローテーブルの前に座らせた。まずは落ち着いてもらおう。
女はテーブルの上に両腕を交差させて置き、その上に更に自分の頭を置いて脱力した。ようやく休める、といった感じだ。
深呼吸をしている。呼吸を整えているようだった。その様子から、運動することには慣れている感じに見受けられた。
少し経ってから顔を上げ、私の方を見て話し始めた。
「あの――ワタクシ、追われているんです」
「追われている? 誰にですか?」
「黄泉軍です」
黄泉軍? ……まだパニック状態か、もしくは最初からどうかしている人なのだろう。私はこの女の話に合わせてみようと考えた。
「黄泉軍って……黄泉国の、あの黄泉軍ですか?」
「その通りです、黄泉国にいる魑魅魍魎の軍勢です」
「なるほど……」
仮に言っていることが本当だとしても、私を訪ねてきた理由が全くわからない。
「あの、それでどうしてうちに来たんですか?」
「ワタクシだけではもう、逃げ切ることは不可能だと判断しました。そこでこうやって葦原国に黄泉国から《《登って》》きて、お願いに参った次第です」
葦原国――現世、人間界ということで間違いないだろう。しかしながら私には人間以外の何者かに、何かをお願いされるという心当たりはなかった。当然だ。
「えっと、それでどうしてうちに……」
「……力をかしてください。ワタクシ、豊玉姫命はこの座の半分を佐内美衣子様に譲り――」
「――えっ! ちょっと待って! どうして私の名前を知っているのですか?」
豊玉姫命姫と名乗った少女は、妙に落ち着いた声で話すわりに、言っていることはだいぶ突飛だ。彼女の錯乱状態は一旦置いておく。それよりも下の名前に関してだ。どこにもないはずだった。念のため普段から隠していたのだ。
しかし、この女は私のフルネームを知っていた。
「ワタクシは、日頃から『何かあったら葦原国の佐内美衣子を尋ねなさい』と言われていたので知っていました」
「……どなたに言われていたんですか?」
「我が主、伊邪那美命にです」




