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ソウル・ロンダリング ある日突然、裏導師 ~南大阪御伽草子~  作者: 富田林 浩二
第二章 遺ー産ハント

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第二章 遺―産ハント 第五節 笑顔は他人のためならず


 角成が強くなるための第一歩は、

『今できることをやる』だった。

 玄宗さんがダイニングに座ったままで手順を言う。

 これで五回目に入った。

 般若さんが横に立ち、角成はお鍋に水を入れたふり、イモリを入れたふり……、と繰り返している。

 角成はこれで手順をほぼ覚えた。

 だが、問題が一つだけある。

 それは『煮詰めたイモリとおふだと梅の花は自分の判断で火から外すこと』だった。

 梅シップの方は実際に作ってみたが、難しくはなかった。

 だが、煎じ薬のほうは、予備のおふだが用意されていないため、これだけはぶっつけ本番でいくしかない。

 玄宗さんは、

「その時が来ればわかるから、自分の感覚を信じるように」と言った。

 角成はこんなに真剣に何かに取り組んだのは初めてだった。

 それは『道明寺さんに自分の評価を高くしてもらうため』の努力、自分のメンツのため、ではない。

『道明寺さんのために』

 純粋にそれだけを考えてのことだった。

 だがこの時……、

 角成は、昼間の緊張と車内の気まずさから解放されたことから、自分がやらかしていることに気が付いた。


 携帯電話が制服の上着のポケットに入ったままだ。


「あのぉ、ちょっとすいません、相談したいことがあるんですがぁ」

「何ぃ~、言うてみ」

 ビール片手に玄宗さんが答える

「携帯電話持ち込みました」

「あっ、俺もや!」

 玄宗さんも角成同様やっちゃってた。

「それなら二人ともケータイ出しと~いて。万一のためにデータのバックアップ取りまっす」

 変なイントネーションで言った般若さんは、奥からノートパソコンと周辺機器を持って現れ、手際よく角成たちの携帯電話のバックアップを作ってくれた。

「それと帰りにこの袋に入れて持って帰って」

 そう言って出したのは、コンビニのビニール袋だった。

 非常ぉーーにっ、御利益は薄そぉ~である。

 角成は、一応そのビニール袋に、携帯電話と道明寺さんちに持って行く封筒を入れた。

「電話はそれでOKっ。で、手順の方はどお? ちゃんと覚えた?」

 般若さんがパソコンを片付けながら言う。

「はい、何とか」

「じゃぁ、今日は早く帰って寝た方がいいよ。何から何まで疲れたよね」

 角成は着実に思考も行動も緩慢になっていた。

やはりかなり疲れているようだ。

「じゃぁ、俺も早く帰るか」

 玄宗さんと角成が帰り支度をし、門のところに行く。

「二人とも、袋貸して」

 角成が言われるままに渡すと、般若さんは息をふーっと入れて袋を膨らませてくれた。

 玄宗さんも同じようにしてもらっている。

「玄ちゃんの方には、生にんにくのニオイ吹き込んどいた」

「えっ、うそっ、やめてくれよぉ、俺にんにくだけはドラキュラ並みにアカンねん。うわぁキッツいなぁ」

「ウーソっ、早よ帰り」

 どうやら玄宗さんも遊ばれることがあるようだ。

 だが角成はものすごく意外だった。

(玄宗さんに弱点があるとは……)

 そして、二人で玄宗邸を後にする。

 今日は角成が振り向いて、先に投げキッスをした。

 般若さんは大きく手を振って喜んでいた。


 玄宗さんは車をコインパーキングに預けて、酔い覚ましに徒歩で帰るという。

 大人として、法令は遵守するそうだ。

 一緒に歩きながら角成は、なぜ般若さんを『ねえさん・ねえちゃん』と呼ぶのかを玄宗さんに聞いた。 

 その答えは、

「自己紹介せぇへんかったから」だった。

 ということは『玄宗さんは昨日まで本当に般若さんの名前を知らなかった』ということなのだろうか?

 ひょっとすると、この業界(何業界と呼ぶかは知らないが)では、名前を聞かないのが一般的なのか。

 そのことも角成は聞いたてみたが、

「名乗りたいヤツは名乗るし、名乗りたくないヤツは名乗らない」ということらしかった。

 それに玄宗さんは、

「名乗らないヤツには、決して聞かない主義」だと言った。

 玄宗さんの発言は、人間関係という言葉と無縁に過ごしていた角成にはすごく新鮮だった。


 角成が家に帰るとものすごい疲労感におそわれた。

 何から何まで始めてずくしの二十四時間だったのだから、それは仕方がない。

 角成は「もうひとがんばり」と自分を励まし、若菜に電話で道明寺さんの住所と電話番号を聞く。

 その時に、若菜が道明寺さんへ、角成が明朝訪問のアポイントメントを取って、結果をメールする、と言ってくれた。

 方向音痴の角成用に父が買ってくれた、地図を出して道明寺さん宅を確認した。

 

実はこの地図を、角成が自分の意思で開いたのは、この時が初めてだった。

「地図を見てもどうせ迷う」

角成はそう思っていた。

 道順を覚える、という生活をする上で基本的で重要な事柄を、角成は意識的に遠ざけていた。

 角成はいつも誰かに頼り、上手く事が運べばそれで当然、上手くいかなければその人の責任、という、ひどく無責任なスタンスだった。

 だがこれからは、そうはいかない。

 自分が出来ることを、自分の責任で、まず自分一人で行う。

 それが無理なら、誰かに素直に正直に話し、助けを求める、これを今日学んだ。

 あとはそれらの実践あるのみ。

 若菜の話だと、道明寺さんは朝の五時には起きているらしい。

 膝が今ほど悪くなかった数年前までは、四時起きで近所を散歩していたそうだ。

(明日は早起きだ。 ……でも、何とかなるだろうか、明日……)


 道明寺さんのために、おばあちゃんのために、そして角成自身のために。



 令和七年 二月十四日(金曜日)


 朝からよく晴れている。

 今角成は、バスを乗り継ぎ、地図で確認しながら道明寺さんの家の前まで来ていた。


 ……迷わずに。


(やっぱりやれば僕でも出来るんだ)

 角成の今までのやる気の無さを、今、角成自身が証明したことになった。

 時計の針は六時を指している。

 約束は六時半だ。角成はとこかで時間を潰そうとキョロキョロしても、ここは旧市街地らしく、ファミレス・コンビニどころか喫茶店すらない。

 この付近一帯は広い庭がある閑静な佇まいの旧家ばかりだった。

 角成がどうしようか迷っていたら、

「おーい、葛葉さんの孫さんかぁー」と、生垣越しに叫ぶ声がする。

「はーい」と声がする方向に角成が答えると、

「門は開いとるー、入って来―い」と返ってきたので、

「それじゃぁ、お邪魔しまーす」と角成はお言葉に甘える。


 道明寺邸の庭は定期的に手入れされているらしく、樹木はきれいに剪定されている。

 木や花に疎い角成にも、松と梅、竹の替わりに笹が、松竹梅をなぞって植えられているのがわかる。

 そして、生垣の一角に植えられているのは、お寺の鐘を伏せたようにきれいに刈り揃えられたキンモクセイ。

 秋に道行く人へ、香りのおすそ分けをしてくれる木だ。

 当然今は花も香りもない。

 その代わりに紅梅が、冷え込む朝の空気に、よい香りを控え目に主張している。

 角成は梅の木のところに立つ道明寺さんを見つけて挨拶する。

「梅の花びらが必要やと思ぉてな、今摘んどったとこや」

 道明寺さんは掌に紅梅の色鮮やかな花びらを乗せている。

 なぜかこの時、目が合った角成と道明寺さんは、一緒に笑った。

 自分でもなぜ笑っているのかよくわからなかったが『道明寺さんの笑顔につられて笑った』という自覚はあった。

 『初対面の人同士は笑顔によって敵対関係でないことを確認し合い、ある一種の緊張を解く』

小難しく言えばそうなるのだろうか。

 角成が初対面の人と笑顔を交わしたのは、実は今、この時が初めてだった。

 以前行っていたバイトでも、初対面どころか慣れてきても挨拶以外の、ごく普通の日常会話すら交わしたことがなく、いつも目すらも合わさず相づちを打つだけだった。

 でもそのぶん角成は、仕事を一生懸命した。

 それに誰もが嫌がる仕事や、トイレ掃除も、自分から進んでやった。

 しかしそれは『人の嫌がる仕事なら一人になれるから』という側面に着目したからで、自分の評価を上げようと思って、のことではない。

 ……まぁ、角成がそれを全く意図しなかったと言うとウソになるが。

 だが今日は、初対面の笑顔の交換が、とこんなにも気持ちいいモンだということに気付き、ちょっと嬉しかった。


 角成は、道明寺さんに案内されて家に入る。

 初めての場所で、初めての人に会い、今から初めてのことを行うのに、不思議と緊張していない。

(『笑顔には魔除けの意味がある』か。玄宗さんの言ったことは本当だ。弱気や不安といった僕にとっての『魔』は退けられたから。感謝だわ本当に)

角成は洗面所で手を洗い、道明寺さんが摘んだ梅の花と玄宗邸から持ってきた梅の花をザルでさっと洗う。

 そして、道明寺さんの前で正座して、

「本日は突然のこちらの申し出をお受け頂き、誠にありがとうございます。宜しければ始めさせて頂きます」深く頭を下げて言う。

「高いところから言うてスマンが、こちらこそよろしくお願いいたします」

 道明寺さんが椅子に腰掛けて言う。


 そして角成は始めた。


 角成が昨日練習した通りの手順で事を進める。

 角成は昨日よほど不安だったのか、夢の中でも小麦粉を練って何かを煮詰めていた。

 失敗をして道明寺さんに迷惑を掛けたくなかったので、角成は梅シップを先に作り、イモリを煮るのは後にした。

 道明寺さんの膝に、ガーゼに塗布したシップを貼る時、角成は梅のつぼみがあったことを思い出し、シップの中に埋め込んだ。

「おおっ、なるほど。梅の実のもとになる生命力をそれに込めたか。うーん、さすがに葛葉さんの孫さん、やるなぁ……」

 道明寺さんは角成の思い付き行動に、しきりと感心している。

 実は昨日般若さんに、

「自分が「これは良い」と気が付いたことやら思い付いたことは、自分を信じるためにすぐに実行に移す」

 そう言われたことを思い出し、実行したのだった。

 薄桃色のシップを道明寺さんの両膝に貼り、角成はキッチンで例の煎じ薬に取りかかる。

 昨日はぎこちなかったが、今日の角成の手は嘘のように自然な感じに動いた。

 うっすらと湯気が上がるゆきひら鍋を、角成は静かにかき回し続ける。

 おふだの墨がどんどん溶け出し、ほとんど判読不可能になった時、「よし、できた」心の中で声がした。

 角成はガスレンジの火を消し、

「猫舌ですか?」そう道明寺さんに聞いた。

 道明寺さんは角成とは正反対の熱いもの好きで、

「風呂もお茶も熱くないと嫌」と言った。

 角成は茶漉しで二つの湯飲みに煎じ薬を注ぐ。

 一つの湯飲みには、角成が飲める温度にするために、氷を入れた。

 別に「一緒に飲め」と書いてあった訳ではない。

 角成は自分の判断、思いつきで『自分も一緒に飲むべき』だと感じ、そうした。

 用意してあったお盆に載せ、道明寺さんのところに運ぶ。

 角成は正座して背筋を伸ばし、

「いただきます」を言った後、少し口に含む。

 角成は『生臭く焦げ臭くニガ~い飲み物』を想像していたが、実際飲んでみると、香りはほんのり生臭い程度で、味はほんのうっっっすら塩味くらい。

 正直言って美味くもマズくもなく、材料が異質な割には、ヒドくもない。

 が、決して、コーヒーや紅茶、ココアもような嗜好目的で飲みたい味、でもなかった。

 だが、道明寺さんは意外なリアクションをしている。

「おぉーっ、これこれ。葛葉さんのと全く同んなじや。あぁーっ、シミる、シミ渡るわ」

 道明寺さんはひどく嬉しそうに大声で言う。

「あの時と全く同じや、違うのは葛葉さんか孫さんかいうことと、わしの女房がおらんことだけで、あとは全く同じや。氷を一つ入れてそこにそうやって座って飲む姿も、何から何まであの時の葛葉さんと寸分違わず同んなじや」

 単なる思いつきで取った角成の行動が、何年か前のおばあちゃんの行動とシンクロしていたとは。

 角成は正直かなり驚いていた。

「へぇーっ、そうだったんですかぁ。ふーん」

「何や、知らんかったんか? ほんなら偶然か、そこに座ってそれを飲んどるのは」

 道明寺さんは大げさに腕組みしながら感心し、

「血ぃやな、血。血がきっとそないさせるんやな」そう言った。

 角成がほんの数日前まで全く意識したことがなかった言葉がここでも出た。


***


 道明寺さんは、葛葉おばあちゃんと初めて会ったのは病院だと言った。

 道明寺さんは今から十数年前にくも膜下出血で倒れ、リハビリのために通院していた病院でのことである。

 風邪をひいた角成を連れた葛葉おばあちゃんと、リハビリに疲れた道明寺さんが、たまたま隣に座ったことが縁の始まりだと言った。

 そのころ同じ年格好の小さな孫がいた道明寺さんは、赤い顔をして辛そうにしている角成を見ていたたまれなくなり『小さい子は容態が急変しやすい』と、看護婦さんに直談判に行き、角成は十数人飛ばしで診察してもらった、ということがあったそうだ。


 そしてその次の日に角成が点滴をしていた時、葛葉おばあちゃんは道明寺さんを見つけて、丁重にお礼を言い『何かお礼をしたい』と言ったそうだ。

 道明寺さんは、一度は断ったが、

「何でもいいから言って下さい」という葛葉おばあちゃんに、

「それなら、リハビリの助けになるようなことがいい」と道明寺さんは言い、内心戯れ半分にイモリの黒焼きの煎じ薬をその時に話した。

 葛葉おばあちゃんは、

「それならご用意できます」と言って、一週間後に道明寺さんの自宅を訪問することを約束した。


 道明寺さんはその時のことを、

「自分から言い出したことながら『物や技術のない時代ならいざ知らず、科学万能のこの時代に、病院でイモリの黒焼きもなかろう』と。あの時、半年間リハビリに通おて、やっと松葉杖から普通の杖に替わったばっかりのそんな時に『そぉそぉ簡単に機能回復が叶ぉたらお医者さんはいらん』ってな。でもわしが言い出したことやから承諾はしたけど、さて、どれほどの効果があるもんか、と思った」そうだ。


 しかし、道明寺さんは直後に「奇跡を体験した」と言った。


 葛葉おばあちゃんがイモリを煎じて、それを道明寺さんが飲んだ瞬間から身体の中で何かが変化したことに気づいた。

 マヒが残る痺れていた左手の指が五本とも温かくなり、その場で少し動くようになった。

 次の日の朝食では、左手で持つお茶碗の震えが少なくなった。

 そして一週間後には杖が無くてもかろうじてバランスを崩さず歩けるようになったりと、機能回復に急速な加速がついたのは誰の目にも明らかだった。

 そして一ヵ月後、道明寺さんの左半身に残っていた後遺症は、ほぼ消えた。

 道明寺さんはあまりの嬉しさに、葛葉おばあちゃんにお礼を言いに家を訪ねたという。

 その時の葛葉おばあちゃんの説明は、

「イモリの黒焼きの刺激が、道明寺さんの身体のあちこちの細胞に残っていた記憶を呼び起こし、色々な力をうまく引き出せたのでしょうね」ということだった。

 道明寺さんはその時、

「そうか! そうやったんかぁ~」としきりに感心したことを、覚えているそうだ。


 道明寺という名前を、角成の記憶にうっすら残っていたのは、これらのことで、葛葉おばあちゃんが、

「道明寺さんとこ行ってくる」とか言っていたのかもしれない。



 それから道明寺さんは風邪ひとつひかず、元気に暮らしていたのだが、一昨年の年末、いつもお願いする植木屋さんが忙しかったので、自分で庭木を剪定していた時に、誤って低い脚立から転落し、膝を強打してから調子が悪い、ということだ。

「そんなこんなで、今こうやって、孫さんの力借りてもう一回イモリの黒焼きで、細胞の記憶を引き出しとる最中なんや」と、道明寺さんは言った。

「なぁ、孫さん、かくなりさん言うたかなぁ。今日はホンマにありがとうな。わしの膝はこれで大丈夫や。感謝してる」

 道明寺さんは軽く屈伸しながら、角成に深々と頭を下げた。

 角成はジーンときた。

 こんなに真正面からお礼を言われて、真正面で受け止めたことは初めてだ。

(あぁ、なんて気分がいいんだ)

 だが角成はジーンとしている場合ではなかった。

 なぜ角成に玄宗邸へのお使いを頼んだのかを聞きたかった、確認したかったのだ。

 角成がそのことを道明寺さんに質問すると、

「葛葉さんに頼まれた」と言った。

 角成はこの二、三日のことを振り返ると道明寺さんの答えに納得できるが、道明寺さんはどう見てもあっち側の(玄宗さんや般若さんみたいな)人には見えない。

角成は、

「死んだ人間がどうやって」と、率直に聞いてみた。

「何日か前に夢に出たんや、葛葉さんが。その夢の中で、わしの古い知り合いの木地師さんに箱の作成頼んでくれっちゅうてな。ほんで目が覚めたら、そこの本棚から一冊、本が畳の上に落ちとってな。その本に箱の図面とお金が挟んであったんよ。……それで現金書留でわしは木地師さんとこに依頼したんや。そしたら投函したその日の夜に、また夢に葛葉さんが出てな、私の孫がその膝の面倒見ます、っちゅうたんや。……わしは八十年近こう生きとるけど、こんな不思議な正夢見たんは始めてや」

 角成は、

「まだあの世に行ってなかったですし、鬼のおねえさんとかと、かなり色々なことやってたみたいですから、まあこんなこともアリですかねぇ」

 ……などとは、言える訳がない。

「 ……おばあちゃんのお導きですかね」

 と言うのが精一杯だった。

 道明寺さんも、

「そういうこっちゃなぁ」とだけしか言わなかった。

 そして角成は、道明寺さんの膝からシップを剥がし、電子レンジで温めた濡れタオルで膝をきれいに拭く。

 それらを行っている時、

「孫さんは、その制服、どこの学生さんや?」と聞いた。

「あぁ。僕は○○高校の一年です」

 と角成が答えると、

「そうか、△△高校と□□高校が合併してできた学校やな。そうか……」と言った。


 こうして角成が全ての作業(儀式)?を終えて帰り支度を整えた。

 玄関まで杖なしで来た道明寺さんは、

「これは感謝のしるしや、受け取って」そう言って『お礼』と書いた白い封筒を差し出した。

 角成は一度断ったのだが、

「お礼を口で言うのはた易い。でも形に表すとどうしてもこうなる。ここはひとつ、わしのこの、ええと……」

 そこまで言って、道明寺さんは斜め上を見て少し考え、

「 ……男前の顔、この男前の顔を立ててやってくれ。道明寺 久、一世一代のお願いや」少しお茶目に笑い、そう言った。

 角成はしかたなく受け取る。

「その封筒には『お供え』って書いてない。どういうことかわかるな。葛葉さんのために使わず、自分のために使って下さい、って、そういう意味や。今日は本当にありがとう」

 道明寺さんは深く頭を下げた。

 角成は、後日連絡することを約束し、道明寺邸をあとにした。


 角成は帰りに歩きながら封筒の中身を確認すると、なんと、1万円札が何枚も入っていた。

(いくらなんでもこれは多過ぎる)

 引き返そうかどうか迷ったが、あそこまで言われて受け取ったものを、今から引き返してどういうやり取りをすれば良いのか、角成にはわからない。

 迷いながら駅に向かって歩いていると、早朝なのに開店しているリサイクルショップがあった。

 その店先に自転車が並んでいる。

 子供用を除くと一番安いのは四千五百円のママチャリだった。

 角成がその黄色いママチャリを見ていると、そのリサイクルショップのロゴが入ったエプロンをつけた女店員さんが、

「何かあれば、いつでも呼んでくださいね」と声をかけてきた。

 角成は正直言って、一番安い物=貧乏=カッコ悪い、という図式が頭の中に出来上がっていたので、見栄を張るかどうか、一瞬だけ悩んだ。

 だが今日は、それが最もばかばかしいことだとすぐに思え、

「もう少し安くなりませんか?」と笑顔で言った。

 なんとなく、昨日までの自分より一歩、いやもっと前に進めた気がした。

「店長―っ」店員さんは奥に聞きに行く。

「四千円でどうでしょう」戻った店員さんは輝くような笑顔で言う。

「税金とか登録料込みで?」

「私からそうさせましょう」

 角成は店員さんと笑い合った。

 生まれて始めての値切り交渉。

 生まれて始めての笑顔での商談成立。

 いじめが原因の対人恐怖、それに起因するのか対面販売が最も苦手だった、以前の角成からは考えられない成長ぶりだった。

 売り物の空気入れを借りて、角成はママチャリのタイヤをキンキンにした。

 帰り際に美女店員さんが、

「これどうぞ」とチョコボールのキャラメル味を一つぶ、角成の手に乗せてくれた。

(玄宗さんなら、何て言うんだろう?)と考えて、

「すいません、お姉さん。僕こう見えても妻子持ちでして、せっかくの告白なのに申し訳ありません」と、学生服姿でそう言った。

 店員さんは、

「わぁ、それは残念、それなら来世でお会いしましょう」と、左手の薬指の指輪をキラキラ揺らしながら、美しい笑顔で答えてくれた。


(この数日間で僕はひょっとしたら十歩、……う~ん、半歩くらいは前進できたかな?)


 中古のママチャリが軽快に走る。

 この自転車も修理されてきれいに磨かれ、再び街を走れる喜びの声を上げているようだ。


 自然と誰にともなく笑顔を投げかけ登校する、角成がそこにいた。


第二章 第五節 笑顔は他人のためならず  終


第三章 見返りと美人

第一節 人を呪わばアナコンダ

              に続きます。

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