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ソウル・ロンダリング ある日突然、裏導師 ~南大阪御伽草子~  作者: 富田林 浩二
第二章 遺ー産ハント

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第二章 遺―産ハント 第四節 鬼ころし


 テーブルに座ると玄宗さんと般若さんはハンバーグステーキと茶碗蒸しなのに、角成のところにはお子様ランチが置かれた。ご丁寧にチキンライスには日の丸が立ち、その横には、かわいらしいオモチャまで付いている。

 角成が般若さんのほうを見ると、

「今日はよくがんばったね、っていうことを形にしてみました」そう言った。

 玄宗さんはこの世の終わりが五分後に迫っているかのような勢いで食べている。

 角成は大吟醸の1.8ℓパックを、般若さんに渡す。

「おっ、いいですねっ」

 そう言って般若さんは、嬉しそうな顔をした。

  大吟醸を冷やのまま一杯飲んだ時も、

「あっ、五臓六腑が、キュッて音鳴ったぁ。かぁ~っ、たまらんっ」

 順調に、般若さんにおっさんが宿ったようだ。

 玄宗さんは食事を終えた時点で缶ビールを五本開けている。

 しかも缶を開けるたびに、

「冬場でよかったぁー。外気で冷えてる」と、缶に頬ずりしながら五回とも言った。

 二人ともものすごい飲みっぷりだった。

 角成はお茶を飲みながら、酒屋さんで買った小さな紙パックの清酒を出した。

「これはどうですか?」

 その紙パックの清酒のラベルには『鬼ころし』と書かれている。

「あっ、それ好きぃ。辛口をありがとう」

 鬼がそう言った。

「おっ、ええモン買うて来たやんか。このねえさんそれ飲んだらオモロいことになるでぇ」

 玄宗さんがほくそ笑む。

(あれっ、ひょっとして怒られるかな? と思って出したのに……)

 角成は完全に拍子抜けした。

 さっそく般若さんは『鬼ころし』もそのまま冷やで飲み始めた。

 ……当然のことだが、般若さんは死ななかった。

「これは冷やがおいしい」

 そう言った般若さんは、急速に変化した。

 顔が赤くなり、目がトロンとなった。

 酔った?

 昨日あれだけ飲んで何ともなかったのに、冷や酒一口で?

 玄宗さんが説明をしてくれる。

「このねえさん、見た目はコレやけど、中身は鬼やろ。鬼の部分を殺したら何が残る?」

「女性ですか?」

「そう。単なるきれいなねえさんになるやん。かっくん責任取りや」

「ええーっ、責任って? 僕に、ええーっ……」

 般若さんが角成の横に来て腕を組み、身体をグイグイ押し付けた。

「ちょっと、あの、そのね、えっとぉ……」

「心配すんな、酔っただけや」

 玄宗さんと般若さんは笑った。

 また遊ばれたらしい。

 角成は本気でホッとした。

……だが、心の底の方に少ぉしだけ「残念」という気持ちが、ほんの少ぉぉしだけだがあった。

 酔ってしまった般若さんを、酔わせた角成が肩を貸して、ソファまで連れて行って寝かせて、当面の責任を取る。

「般若さんって、この銘柄だけはダメなんですか?」

 角成の問いに玄宗さんは初耳な言葉を言った。

「意味論って知ってる?」

 角成は首を横に振る。

「じゃあ、言霊論は?」

「聞いたことはあるけど、何かはちょっと」

 角成がそう言うと、「ちょっと待っててな」そう言って玄宗さんは出て言った。

角成が、

(辞書でも持って来るのかな?)と思っていたが、

 玄宗さんは裏庭から花が付いた梅の小枝を二本持って来て、花を落としてきれいに洗い、「はい、かっくんのお箸」と言った。

 角成は何かの儀式が始まる準備かと最初は思ったが、どうもそうではないらしい。

「その枝見てどう思う?」

「これで食べるのは、ちょっと長さや太さが不均等なので、食べにくいなぁ、と」

「せやろ、それが意味論」

 角成は断言されても全くわからなかったので、眉をひそめて首をひねるしかできなかった。

「この枝は、木につながってる時は、木の枝やんか。それが切りはなされた時から、花付きの枝になって花瓶に飾られる切り花的存在になるやろ。でも、花を取って単なる細い木の枝に『お箸』っていう名前を与えたら、『お箸』になるやんかぁ、人間の頭の中で」

「なるほど、僕はこれで食べるのかぁ、とさっき思いました。単なる枝なのに」

「あのねえさんが寝てるのも、ソファ、長いす。本来は座る物、でも非常用として寝かせることもできるので、ああして活用してる。だから、後で起こして、本来眠るための場所『寝室』に連れて行ってあげよう。そう思うやろ、それも意味論。名称というものによって、役割やら、機能やらが、付帯してしまうこと」

「なんとなくだけどわかってきた、……ような気がします」

 玄宗さんは、

「ほんなら次いくで」と笑顔で続ける。

「言霊論は、まぁ意味論と同んなじような感じやけど、言葉には魂が宿る、から言霊やねん。それで食べてみて」

 角成は言われた通りに箸の先を一生懸命揃えて食べようとするが、かなりやっかいだった。

「やりにくいけど『食べてみて』って言われたからやってみたやろ。これが言霊論やねん。言葉には、その通りに実現する力を持つ。極端な言い方をすると、発した言葉に縛られるみたいな。それが言霊論」

「なんとなくわかった、……ような感じもしないではない感じです」

玄宗さんは、

「どっちやねん」と笑いながら突っ込み、

「まあ言霊論には語調・語感とか、あとリズムとかも関係するっちゅう説もあるから、これはかなり乱暴な説明やけどね」とも言った。

 そして玄宗さんは続ける。

「昨日話した百舌鳥のおっさんの話も、つき詰めたら言霊論や。おっさんは俺に呪いをかけた。その瞬間から呪いが返る可能性が出る。ワンクッション入れた呪いはバレにくいのに、俺が完全無欠に遡っておっさんに到達した。完全に自分の負けを認めたかたちで、身体が硬直する。俺が呪いは完全に解いたと説明されて、初めておっさんは呪いから開放された、 ……はずが、心の底ではまだ『天狗が助けてくれる』と、思ってたから、おっさんのマイナス思考が頂点に達した時に、天狗が半実体化してしまった。どぉ、わかる?」

「ボヤッと、漠然と、なんとなくかなりわかったような感じ、だけしてきました……」

「つまり事の始まりは、俺が呪いというものを知ってること。あのおっさんが呪いをかけても『呪いなんか気の迷いじゃ、そんなモンあるかーい』と俺が思えば、百舌鳥に襲われることもなかった。でも、俺は呪いということを知ってたから、呪いを感知して百舌鳥に襲われた。だから呪いに対して一番強力な武器は『知らんこと、無視すること、近付かないこと』呪いなんて結局そんなモンやねん。言葉による自縄呪縛」

「それを言うなら自縄自縛……」

 般若さんが、寝言で突っ込んだ。

 角成は昨日今日を思い返し、

「確かに呪いに関しては玄宗さんの言う通り、かも……」と半ば確信的に思った。

 見えるものだけが全てではない。

 しかし、見えない感じないでは、人は何の対象にもしない。

 ただ素通りするだけ。

 通行人と何万人すれ違っても、人生の接点なのに全くお互い関知しない。

 呪いもそれと同じと言えば同じ……。

……少し違うかもしれないが、そんな感覚なのかもしれない。


「話は少し逸れるけど、合格祈願の御守りもらっても『こんなん御利益あんのか?』と思たら、せっかくのありがたい御祈祷も御守りも何もかんもパーやんかぁ。それと全く同んなじ。

『信じる者は救われる』じゃなくて、『信じる者【しか】救われない』。だから呪いの場合も同様に、『信じる者【だけ】が呪われる』やな、言霊論的に言うと」

御守りの喩えは角成自身に経験があるのでわかりやすい。

 気休め程度にしか思っていなかった、バチ当たりのほうなのだが。

「とまぁ、ごちゃごちゃと言うたけど、言霊を武器転用したのが『呪い』で、平和利用したのが『信仰』と、そんなとこかな。そして、そこで寝てるねえさんも言葉の縛りで鬼をはずされた、と。……まぁ話は少しそれたけど」

 角成は、

「なるほど、ちょっとわかった、……ような気が少しだけしたような感じがしないでもないです」そう言って笑った。

「正直俺も、意味論も言霊論も俺独自の解釈でしかないから、他所で言うて恥かいても俺は責任取らへんで」

 玄宗さんは最後にそう付け加えた。

 最近では平和利用の『信仰』自体を悪用する者もいるから、世の中なんだかややこしい。

 どうやら、角成のいたずら心からムツカシヤヤコシイ話になったようだ。

「……ん~、今日は三人だから、ご飯は三合でいいですか?」

 般若さんの寝言がそのムツカシイ雰囲気を、ナイスなタイミングでブチ壊す。

「おーい、ねえさんそろそろ起きろよ」玄宗さんが言った。

 般若さんは「うーん」と大きく伸びをして復活した。

 頬はまだ少し紅い。

「玄ちゃん忘れてるやろ、破魔子さんからのお使い」

般若さんはトロンとした目で玄宗さんを睨む。

「あっ、道明寺さんに渡してくれっていう封筒か。完全無欠に忘れてた」

 玄宗さんは奥から封筒を持って来た。

 道明寺さんといえば『木の箱をここに持って行ってくれ』と、若菜に頼んだ人物だ。

「これを明日、道明寺さんちに持って行って、中に入ってる紙とイモリの黒焼きと梅の花を水から煮詰めて、それを飲ませたげて」

「今、サラっと言いましたけど、えっ、紙? イモリ? 煮詰める?」

「そう、それを煮詰めてる間に、小麦粉と梅干と木炭を水で練って、道明寺さんの膝に塗って、その後に煮詰めた物を飲んでもらう、と。 それだけ」

「それだけ、って、そんな大それたことをしても大丈夫なんですか?」

「イモリの黒焼きは一般的にはホレ薬やねんけど、道明寺さんは昔それで『はしか』が治って、イモリに全幅の信頼寄せてるからそれ使うんやて。破魔子さんが言うてた」

「でも、……衛生的にも……、ホントに大丈夫ですか?」

「焼いてるからOKやろ。それにこのねえさんが捕まえたイモリやし」

「そっ、かっくんに使おうと思って」

「ぼっ、僕はイモリは食べませんよ。……だって焦げてニガそうだし……」

 般若さんと玄宗さんは笑った。

 角成はまた笑いのツボがわからず、一人おいてきぼりだった。

 玄宗さんが説明してくれる。

「イモリの黒焼きは食べて効く物じゃなくて、女の人の背中に、気づかれヘンようにそっとひっ付けて、「お嬢さん何か付いてますよ」って言うて、イモリを取ってあげると、女性が「キャーッ」て男性に抱き付く、と、これがホレ薬としての、イモリの黒焼きの使用法」

 般若さんが「キャーッ」のところで、角成の肩に優しく両手を乗せて微笑んで、

「中に手順書いた紙が入ってるから、安心して道明寺さんとこに行ってちょ」と言った。

 正直言って角成はマニュアルがあると安心する。

 だが、研修なしのぶっつけ本場は、角成にとってこのミッションは、非常にインポッシブルだ。

 角成が眉間に『不安』という文字の皺を寄せる。

「どうする? 手順の確認だけしとく?」

 角成の眉間から、皺を破って不安が噴出しているのに気がついた、玄宗さんが言った。

「はい、あのぉ、そうですね。道明寺さんに失礼にならないように……」

「見栄張らんでいいんやよぉー。誰でも最初は不安やから、予行演習するのは当然やんか」

 優しい眼差しの般若さんは、お見通しだっだ。

 角成は確かに見栄を張った。

 誰に対してなのかわからないが、本当の自分の姿を見せるのが、なぜか怖かった。

 そうなのだ、角成はいつもこうして自分を守ってきた。

 しかし角成は、この人達の前ではそういう言動が、ものすごく無意味に感じた。

 本当の自分、……情けなく、無責任で、愚かで、誇れるものなど何も持たない、そんな自分をさらけ出しても、この人達なら受け入れてくれるような気がした。

 だが、

(本当に、そんなことをしてもいいのだろうか……)とも同時に思った。

「嫌われるかな……」ぽつりと角成が言った。

「誰に? 俺は好きやぞ、かっくんのこと」

「私も、だ~い好き」

 般若さんにもう一度強く抱きしめられた。

「僕、情けない人間なんです。さっきみたいに、不安があるのにないフリしたり、今日の夕方もそうでした、怖くても虚勢張って怖くないフリしたり。……玄宗さんは神仏幽霊妖怪とかのことを色々知ってるエキスパートやから、僕も一緒にいると今日みたいに一人前に見てもらえるかなって、必死になって土師ノ里さんの前で背伸びしたり……」

 角成は涙が出そうになった。

「わかる。俺もそうや」

「えっ? ……えぇっ?」

 角成はものすごく意外だった。

 いつも自信たっぷりに常に悠然とかまえる玄宗さんに、そんな部分があるとは到底思えない。

「俺も嘉介じーさんと一緒に、拝み屋の仕事しに行った時はそうやった……。ずいぶん情けない思いしたわ」

 そう言えば、玄宗さんは生まれて急にこの姿年齢になった訳ではない。

 嘉介老人に色々教わり、それを土台、基礎として、今まで様々な経験で自分自身という立派なお城を築き上げてきた。

 だからこそ、あれほどの自信と余裕があったのであろう。

 角成はこの玄宗さんの言葉に、今の角成の心の中の一番大事な部分が救われた気がした。

(そうだ、誰でも最初は素人から、ダメな自分から始まるんだ)

 玄宗さんが、身を乗り出し、例の怖い顔、三白眼でにらみながら、

「ひょっとして、かっくんは自分のこと嫌いか?」と言った。

 角成は自分のことが好きか嫌いかなんて、正直恐ろしくてこの時まで考えたことがなかった。

「どちらかと言うと、嫌いかもしれません」

 角成が正直に答える。

「玄ちゃんはどう? 自分のことどう思ってんの?」

 般若さんが聞く。

「俺は自分のことを好きでいたい、嫌いになりたくない。だから、自分の中での決め事、掟を作って守る。それだけでも結構自分を嫌いにならずにすむ」

 これは角成にとって新鮮・斬新な考え方だった。

 小・中学生の大事な時期に友達を作らなかった角成は、協調性がなくてもよい人生を歩んでいた。

 なので、誰からも好かれなくてもいい、嫌われてもいい、と思っていたので、自分を省みる、や、自分を律する、あと、空気を読む、という部分が完全に欠けている。

 角成が『友達を作らない』ということは、それらの訓練をも拒否して、完全に身勝手・自分勝手・得手勝手に生きるということだった。

 それは自由でも何でもない、単なる孤独なわがままでしかなかった。

「じゃあねぇ、かっくん、自分の好きなところは?」

 般若さんが角成の首に手を廻したまま、じっと見つめている。


 ……嘘はつけない。

 ……見栄も張れない。


「えっ、……うーんとぉ、ありません」

「素直で、優しくて、繊細で、いっぱいあるやんか」

「でもそれって、バカで、弱くて、神経質ってことでしょ?」

「貴様~、マイナス思考強いなぁ。モテへんぞぉ、そんなこっちゃぁ」

 玄宗さんは笑う。角成にしてみれば笑い事ではないのに。

「どうしたらいいですかねぇ……」

 (無責任だなぁ)

と思いながら角成は、二人にマニュアルを求めた。

「まずは、自分に自信を持つための『努力』をすることやろ。持って生まれたものは自分にとって虚ろなものやけど、築き上げたことはハッキリ実感できるから、自発的に何かを始めてそれに向かってがんばりゃぁええやん。それに、がんばる自分は好きやろ」

 そう言われて角成は気付いた。

 自発的に何かを始めたことは一度もない。

 いつも人から言われてやっていた。

 しかも、いつも必ず途中で投げ出した。

 高校生活にしても、あまりの寂しさから一度退学することも考えたが、結局退学はせず、気力も目的も、当然意欲もなく、ただ漠然と何の意義も見出さず通っていた。

 だがそれは、『誰かに責任を押し付けて退学しても、社会に出るのが怖いので、学生というぬるま湯に浸かっていたかっただけの話』だったことも事実だ。

「あっ、ええこと思いついちゃったぁ。かっくんちょっと待ってて」

 そう言って般若さんは少しふらつきながら、タオルで包んだ物を持って来た。

「これバラして、掃除して組み立ててみそ」

 それは少し汚れた目覚まし時計だった。

「玄ちゃんのん、それ。壊れたから修理してって頼まれてたやつ」

「ええーっ、僕、機械モノは苦手ですよぉ。ビデオの留守録も自分では出来へんのに……」

「だったら自分で責任持ってやってみたら。新たな挑戦を」

 般若さんはドライバーを、手術中の助手さんのように角成に手渡した。


 角成は黙ったまま分解を始める。

 裏側はネジ四本で止まっているだけなので簡単に外せた。

 外したネジは、般若さんが粘着面が表にくるよう、くるりとテーブルに貼り付けたガムテープ上に、順番に並べていった。

 しかし、問題はそこからだ。

 中を見ると線が数本と時計を動かす機械が入ったものがある。

 (ダメだ。頭が全く働かない。分解マニュアルが欲しい)

「このタイプはクオーツやから、中の部品数は意外と少ないんよ。まず、文字盤の前の透明プラスチックを外して、針を抜いて、後は四本の爪を外したら簡単に機械の入った箱は外れるよ」

 角成が言われる通りやると、意外なほど簡単に取り外せた。

 線で何かぶら下がっているものがある。

 これが何で、どうすれば良いものか、角成にはやはりわからなかった。

「この時計『アラームは鳴るし一応は動くけど、夜中に一時間から二時間遅れる』って、玄ちゃんが言うてたから、配線には問題ない。問題はこの機械の中、要するに歯車の汚れ、もしくは摩滅が問題かと思われますっ、隊長」

「ハハハ、お前ら爆発物処理班みたいやな」玄宗さんが、敬礼した般若さんを見て笑う。

 角成は配線を切らないように気をつけて、歯車の入った部分を開けた。

 角成のイメージではそれを開けると、「バヨ~ン」と何かが飛び出してくるように思っていたが、実際は何も飛び出さず、歯車が七、八個組み合わさったものがそこにあっただけだ。

「うわぁぁぁぁぁっ」

 般若さんが裏ぶたの内側を見て突然奇声を上げた。

「汚ったな~っ! 玄ちゃぁーん、ジュースこぼしたなぁ、この時計に」

 そう言われれば、機械の入った部分の針のある側に、ジュースか何かが垂れた跡が、べっとりと付いている。

 歯車を一つずつ慎重に出すと、三つの歯車にもジュースがわずかに付着していた。

「かっくんおいで、洗お」

 般若さんと角成は流しに行って、古歯ブラシで優しく歯車と裏ぶたを洗った。

「この歯ブラシは誰のですか?」

「んっ、私の」

「般若さんも虫歯になるんですか?」

「エチケット。身だしなみ。チュッ」

 角成は般若さんの『エアキッス』を見て、猛烈に照れた。

 部品を洗い終わり角成がタオルで丁寧に歯車を拭き、機械以外の汚れた部分は般若さんが、玄宗さんを時折睨み、舌打ちしながら、綿棒できれいにジュースの残骸を落としていた。

 さぁ、あとは組み立てれば良いだけだ。


( ……ダメだ、歯車を組む順番を忘れた)

 角成は困った顔をして般若さんを見る。

「どうしました? 隊長。この機械類は誰の責任でバラしたんでしょうか?」

「こらこらそこの酔っ払い、ちゃんと教えたれよ。かっくんも素直に声に出して聞いて」

 玄宗さんの言う通りだった。

「すいませ~ん。順番がちょっとぉ……」

「ちょっと、何?」

「全くわかりませ~ん」

「じゃあね、ヒント。入るところにしか入らない形状にできています」

「うわっ、不親切ぅ~」

 般若さんと玄宗さんは、角成を見て嬉しそうに微笑む。

(こんなこと言っても良いんだ、失礼ではないんだ、この人達には)

 この程度のことすらわからなかったことが、角成にとって今日一番恥ずかしい出来事だったかもしれない。

 なんだかふっ切れた感じがした角成は、歯車との格闘を始めた。

 漠然と歯車たちを見た時は、どうしていいか全くわからないと思ったが、冷静に一つ一つの歯車を見れば、その形の違いからどれとどれが噛み合うのかが比較的簡単に理解できる。

「いいよねぇ、何かを真剣にしてる時の人の手って。ミ・リョ・ク・テ・キッ」

 般若さんが角成の手を見て言った。

 角成はちょっと嬉しかったが集中力が削げそうだったので、必死に嬉しさを追い払おうとした。

 角成はこの時『嬉しさを噛み殺すのが心地よいこと』これも生まれて初めて知った。

 三十分ほどかかったが、目覚まし時計を組み上げた。

 角成一人の力で。

「おおっ、動く動く。これで明日の朝は寝坊せんですむわ。ありがとう」

 角成は、自分の功績、というのも大げさだが、自分の能力に対してお礼を言われたのは、これが始めてかもしれないと思い、そのことを玄宗さんに言うと、

「今日土師ノ里さんに「ありがとう」て言われたやんか」と言われた。

「でもあれは、玄宗さんに言った言葉で…」

「あれは、下準備した俺に言った言葉でもあるけど、神様呼び出してくれた、かっくんに言った言葉やんか。あかんよ、自分の人生の主役は自分やねんから、もっと自分自身のことを大事に思わんと」


 そうだ、角成は自分のことを大事に思っていない。

 だから他人を大事に思えなかった、のかもしれない。

 角成は自分に欠けているものが何か、具体的にいくつかが見えてきた。 

 もし、万一、家族団欒中に突然誰かが家に乱入して来たら、玄宗さんが咄嗟に猫を庇ったように、角成が父さんや母さんを庇えるだろうか?

 今の角成では無理だ。

 誰かが守ってくれる、そう考えて動かず、そのままやられてしまうことは、火を見るより明らかだ。

(僕はそんな時でも、たぶん無責任だ。強くなりたい。芯が強い立派な大人になりたい)

 そう角成は真剣に思った。

(そうだ、言霊論だ。『強くなりたい』じゃない。『強くなろう』、いいや、『強くなる!』)

 角成は、この時生まれて初めて自分の意思で、決心というものをした。

「んっ、どうした。真面目な目ぇして」

「僕、強くなります。人間として、誰かを守れるくらい強くなります」

 角成は立ち上がって宣言した。

 玄宗さんは、「うん、協力する」と言った。

「すてきっ」

 般若さんはそう言って角成をもう一度抱きしめ、頬にキスをした。

 本当に大丈夫なのかぁ?

 角成の寿命……。


 第二章 第四節 鬼ころし 終


第二章 遺―産ハント

第五節 笑顔は他人のためならず

               に続きます。

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