第三章 見返りと美人 第一節 人を呪わばアナコンダ
令和七年 二月十五日(土曜日)
角成は朝早くから、玄宗さんが前日までに買って車に積んであったお酒を、玄宗邸に運ぶ手伝いをした。
帰りにまた般若さんに力いっぱい抱きしめられたが、何とか逃げ出して、その帰りに家の近くの和菓子屋さんとケーキ屋さんへ、葛葉おばあちゃんの好きだった品を買いに行った。
仏壇に和菓子とケーキを供え『チーン』と、お鈴を鳴らした時に、玄関が騒がしくなった。
お父さんとお母さんが徹夜仕事を終えて帰って来たようだ。
「あぁーっ、やっぱり家がいいわぁーっ。角成ただいまぁー。何してんの? 仏壇の前で。まぁ、珍しい。あれっ、葛葉おばあちゃんの好きなモンまで用意して。どういう風の吹き回し?」
お母さんが一気に喋る。
角成は、
「ちょっとね」と言って、お母さんに仏壇の前を譲った。
お父さんは着替えるために『ただいま』とだけ言ってすぐ奥に消えた。
角成がコーヒーを入れるためにキッチンへ行く。
お湯を沸かしミルでガリガリと豆を砕いていると、お父さんがパジャマに着替えてやって来た。
「どう? 体調のほうは」
「うん、もう大丈夫。……それとアルバイト見つけたから、しばらくはそこでお世話になろうかと思って」
「そうか。……そこは将来、そのぉ、……正社員にしてくれる、とか?」
「 ……」
角成はミルを回す手を止めて絶句した。
(正社員? 半透明の人たちを送り出す人たちの?)
自然と笑みがこぼれる。
「なんだ、どうした? 急に笑って。何かあった?」
角成はミルの音に負けないように大声で、
「よくわからないけど、僕の働き次第で色々と……、何かと変わるみたい、……だから、……んーと、まぁがんばってみる」と言った。
お父さんは、
「そうか。まぁ、がんばれ」とだけ言った。
小学生の時に角成がイジメに遭ったことを、お父さんはまだ気にしている。
自分の不甲斐なさが原因と、一度だけだが言っていた。
正直角成は、お父さんの『あの時は申し訳ない』という気持ちの上にあぐらをかき、ずいぶん身勝手な考えと振る舞いをしてきた。
角成はそんな自分が、今とても恥ずかしい。
角成がネルの袋に中荒挽きの豆を多めに入れ、沸騰する前のお湯の温度を角成は指先で確かめて一気に注ぎ、お父さんとお母さんのお気に入りのマグカップにコーヒーを注ぐ。
お父さんは一口飲み、
「うん、いつも旨い」と言った。
お母さんは仏壇から戻り、ふうふうしながら飲んでいる。
角成は仏壇からケーキと和菓子を持ってきて、二人の前にそれぞれ置いた。
「角成が食べなさい」
いつものようにお母さんが言う。
「今日は僕のおごり。二人で食べて」
親のすねをかじっている身分で、その親に対して『おごり』も妙な話かもしれないが、
(そのぶん労力と気持ちで勘弁してもらおう)と、角成は強引に二人に勧めた。
お父さんは昨日全く眠っていないらしく、ケーキを食べるとすぐに寝室に行ってしまった。
お母さんは角成に話があると言って、そのまま座っている。
仕事の方はなんとか一区切りついたらしく、
「ちょっとだけ、ホッとした」そうだ。
お母さんの話とは、この前の電話でのこと、葛葉おばあちゃんの話だろう。
葛葉おばあちゃんに、もう一つの名前かあるのを知ったのは、お母さんが中学生の時に、
「私が何かあった時、もしも万が一っていう時『変死・怪死を、しそうな時』に『呼び戻す』ために、この名前『破魔子』を覚えておいて欲しい」そう言われたそうだ。
それと同時に、『知っていることすら誰にも知られないこと』、要するに『絶対に秘密にし、冗談でも人前でこの名前は言わないこと』それと、『死んでしまえばもう全く用はなくなるので、キレイさっぱり忘れて欲しい』などをこの時に言われたそうだ。
年頃の難しい時期の娘が、母から 突然『秘密だ』と、何の説明もなしに言われても『はいそうですか』と納得する訳がない。
当然お母さんは『なぜなぜ攻撃』を開始した。
葛葉おばあちゃんは、
「百聞は一見に如かず、やから、これから一緒に来なさい」ということになり、お母さんは葛葉おばあちゃんが運転する車に同乗した。
豪邸が立ち並ぶ住宅街の中でも、最も広大な敷地を持つ『高鷲』という表札の邸宅の前に車が止まった。
葛葉おばあちゃんがインターホンに話かけると、車が入れるように玄関横のシャッターが電動で、軋み音一つなく静か~に開く。
そのまま車を敷地内に乗り入れると、家から五十代半ばくらいのダンディな男性が現れた。
「お待ちしておりました、汐ノ宮さん。おや、そちらは娘さん、助手を務められる? これはこれは、ようこそ。まっ、お入り下さい」
家の中は当然のように広い、のだが、何か霞がかかったような感じがする。
家具調度品は贅の極みを尽くしているのに、少し埃っぽいことに違和感を覚えた。
「家政婦さんが一週間おらんと家はこんなに荒れるんですなぁ」
若きお母さん、果子は、その言葉に納得した。
「茶室の方はそのままです。いつ始めていただても結構ですよ」
ダンディな男性、高鷲の御主人は口ではそう言っているが、ずいと身を乗り出し「さぁ、ぐずぐずせずにすぐに始めろ」と誰が見てもそうとわかる視線で、葛葉おばあちゃんを急かした。
「では、さっそく」
葛葉おばあちゃんはそう言って、案内なしで一番奥にある部屋まで行き、ドアをコンコンコンとノックする。
返事はないが中に入る。
中には小太りの目が虚ろな初老の女性が、ベッドの端に腰掛けていた。
「一昨日から今までどうでしたか?」
葛葉おばあちゃんの問いかけに、女性は首を横に振るだけで返事はない。
「あれから何か出ましたか? 仕草だけでなく、ご自分の言葉でどうぞ」
「出てない」
「では、何か変化が?」
「この部屋にいてる限りは大丈夫みたい」
「それはよろしゅうございました。では、茶室へとまいりましょう」
こういったやり取りの間、果子は部屋の天井の隅や、ドアの横に貼られたおふだや、人の形や猫の形に切られた白い紙などを不思議そうに眺めていた。
果子はそれらを帰りの車中で説明を受けたのだが、その部屋にはそれらで強力な結界を張っておいたそうだ。
葛葉おばあちゃんが先を歩き、後ろから女性に手を貸して果子がついて行く。
その時にその女性は、
「どうせやったら、風呂とトイレと台所にも結界張ったらもっと楽やったのに、ほんっまに気が利かん……」などの不平不満をブツブツ言い続けたそうだ。
「前にもご説明しました通り、結界は一つ所に力を集中させてこそ、始めて威力を発揮できるもの。あちこちには張れるものではございません」
葛葉おばあちゃんは振り向きもせず、慇懃無礼に言い、
「それに、高鷲さまのお宅、こじゃんと広ぉございますんでねぇ」と、抑揚のない声で付け加えた。
果子は、
「あんな冷たい言動を見たのは、後にも先にもその時だけ」と言った。
聞いている角成も、あの優しい葛葉おばあちゃんの冷たい言動、は、ピンとこない、どころか、全く想像できなかった。
角成の知っている葛葉おばあちゃんは、それほど誰にでも優しく、朗らかだった。
そして三人は、離れの横手にある茶室の狭い入り口、にじり口というのだろうか、そこの前に立つ。
葛葉おばあちゃんは、一、二メートルはありそうな長い数珠を三重にして首に巻き、経典を片手に持っている。
そして果子と女性には猫の切り絵が連なったものをレイのように首に掛けた。
葛葉おばあちゃんが先に茶室に入る。
女性も入ろうとするが、五、六十センチ四方ほどしかない入り口は、小太りでしかも身体の固い人にはそれだけで難行荒行に等しいらしく、
「後ろから押して。いや、やっぱり手ぇ引っ張って。痛たたたたっ、もっとゆっくり押してよっ、痛いやんか……」大騒動だったらしい。
何とか三人が、正方形の茶室に入る。
この日は茶の湯でここに三人がいる訳ではないので、茶釜もなければ掛け軸も季節の花もない。
その代わりに、紅い紐が部屋を縦横に走っている。
よく見ると、天井の中心や部屋の壁にに太い釘が打ち込んであり、五芒星が斜めに壁の四隅から天井の中心に向かって立ち上がるように、紐が張られている。
葛葉おばあちゃんが、畳の中心の本来茶釜で湯を沸かすところに、様々な文様を描いた紙を敷く。そこには当然茶釜も五徳も炭もない。
灰の上には紙が敷いてあり、その上にその女性が座った時、思わず、
「破れるっ!」 と、口に出して言いそうになったのを、必死の思いで飲み込んだこと、を、今でもそのシーンごと思い出せるそうだ。
果子もその女性の横、五芒星ピラミッドの内部に座った。
その女性はブツブツと、ずっと文句を言い続けていた。
「これら五芒星の力を借り、今から悪しき念の全てをここに集めます」
葛葉おばあちゃんはピラミッドの外からそう宣言した。
葛葉おばあちゃんは呪文を唱えながら、『神剣 蟲切之司』という、名前は仰々しいが、刃渡り二~三センチ、ポケットサイズの匕首のようなものを出し、用意した板の上で紙を突き刺すように切っていく。ほんの数分で首に掛けてもらったのと同じ、猫が連なる長い紙ができた。
その紙を五芒星のピラミッドにぐるぐると掛けていく。
その次に葛葉おばあちゃんが出したのは、釘を板に刺してその釘に百目ろうそくが立ったものだった。
果子はここで、信じられない出来事を目の当たりにする。
葛葉おばあちゃんが手をかざしただけで、ろうそくに火が点いたのだ。
小太りの女性など『ひっ』と小さな悲鳴を上げ、それをきっかけに小言のぶつぶつがピタリと止まった。
そこからは全て葛葉おばあちゃんのペースでことが進ぶ。
葛葉おばあちゃんは首から長い数珠をはずして、ジャラジャラ盛大な音をさせながらお経を上げる。
お経の合間に葛葉おばあちゃんは、果子とその女性に一つずつ、直径三センチほどの透明な水晶玉を渡し握らせ、
「いいと言うまで、手を開かないように」と言った。
葛葉おばあちゃんは、果子とその女性を、ろうそくを挟むかたちで向かい合わせに正座させる。
そして、合掌した手の両親指で一枚の何も書かれていない半紙を挟み、念を込めている。
しばらくすると、ぼんやり紙の真ん中に茶色いシミが現れた。
しかしそのシミは見ているうちに次第とハッキリした輪郭を描き始め、葛葉おばあちゃんが『ハーッ』と気合を入れた時には、すっかり『虫』の形が……。
……『ゴキブリ』が紙に浮き出てきた。
「蠱毒を使いましたね」
葛葉おばあちゃんの言葉に女性が静かにうなずく。
「何匹もゴキブリを捕まえて、壷の中で溺れさせて、最後に残った一匹で、……かけたのですね。……呪いを。……あなたが」
「あいつが、……あの女がゴキブリ嫌いつて言うたから、困らせようと思て」
「違いますね。……殺そうと、……ショック死させようとしましたね」
女性は顔を背けた。
……無言による肯定。
「でも効かなかったでしょ。……生兵法は大怪我のもと。呪いなんて素人の手に負えるものではありません。何を参考になさったの? それとも誰かから教わったの?」
「……本」消え入りそうな声だった。
「愚かな、なんと愚かな。 ……人を呪わば穴二つ。 ……人を呪えば相手を倒した後に自分に返ってきて、がんじがらめ、ぐるぐる巻きにされるのはご存知?」
女性は黙って首を横に振る。
「相手に呪いがかからなかった時も、返ってくるのはご存知?」
若き日のお母さん、果子はこの時、信じられないものを聞いた。
「チッ」
その女性は、舌打ちをした。
葛葉おばあちゃんは舌打ちを無視して話す。
「相手に呪いがかからなかった時は倍返しですからねぇ、さぞやお辛かったことでしょう」
そう言い終わるか終わらないか、その時異変が起こった。
室内に風が巻き起こる。
紅い紐に風が当たり、ブンブンと唸りを上げている。
「やめてぇーっ、やめてぇーっ。私が悪かった、だからやめてぇーっ」
女性は目をつぶり両手で耳をふさぎ、小太りの身体をゆすりながら叫んだ。
果子は周りをゆっくりと見回すと、風は紙でできた猫は全く動かさず、ろうそくの炎も揺れてらず、紅い紐だけを狙って吹いてるような感じだった。
(このブンブンっていう音、紐に風が当たってうなってる? なんか虫が飛ぶときの羽音みたい? こんな不思議なこと、どうして?)
と思っていると、
「お願いしますっ、お願いですから許して下さい。もう二度とこんなことしませんから、お願いですから許して下さい」小太りの女性が叫ぶ。
「どこにありますか。呪いの本体、ゴキブリは」
葛葉おばあちゃんが厳しい口調で問う。
「ベッドの下、ベッドの下です。そこにあります」
葛葉おばあちゃんが出て行く。
まだブンブンと風が唸りを上げている。
取り残された果子は葛葉おばあちゃんがいたところを見ると、広げられた紫の風呂敷の上には蓋の開いた木箱が二つ。
一つには木切れや紙類が入っている。
問題はもう一つの木箱、そこには、 ……動物の頭蓋骨が入っていた。
(出ました大神様!)
角成は危うく叫んでお母さんの話の腰を『ボッキリ』折りそうになった。
この時角成の若き日のお母さんは、
(葛葉おばあちゃんは、なんちゅう気持ちの悪いモノを持って来たんや?) と、大神様を見て思ったそうだ。
しかしその時、そう思った瞬間のことだった。
……大神様の目が青白く光った。
果子は見まちがいかと思い、目をバチクリさせてみたが、もう一度ジッと見ると、今度は少し口が開いて、まるで笑っているかのように思えた。
不思議な体験というか、充分に恐怖体験なのだが、果子はこの時本能的に『危険はない』と感じたそうだ。
葛葉おばあちゃんが戻って来た。
手には何かを包んだティッシュペーパーを持っている。
「むごいことをしましたね。生きとし生けるもの、皆これ仏なり。聞いたことがありますよね。それをこんなかたちで殺めて、しかも死んでからも縛り付ける。これはあきらかな罪ですよ。おわかりになりますね」
意外なことにその女性は泣いていた。
泣きながらうなずいた。
「では、丁重に供養して、あなたなりに弔えますか?」
女性はうなずいている。
「わかりました。それでは、今から行き場のない、この子たちの怒りを一箇所に閉じ込めます」
そう言った後『おんばさら……なんとかかんとか』やら『あびらうんけん……なんとかかんとか』などの、呪文らしき言葉を唱えた後、その女性の水晶玉を握らせた手に自分の片手を重ね、もう片方の手を角成の果子の水晶玉を握らせた手に重ねて、
「我の前 いかに啼けども 虫は虫 雄々しき牙の かげな忘れそ」 という句のような何かを唱えた。
「今その玉に虫の怒りを封入しています。少し我慢して下さいね」
果子の横で女性はその直後「熱い、熱い」と足をばたつかせながらしきりに大声で訴える。
だが果子のほうは、握っている水晶玉は体温が移ってなま温かくなっただけで、何の変化も感じなかった。
果子はその時、何気なく葛葉おばあちゃんの後ろにある、大神様の木箱を見ると、
……蓋が横にズレて自動的に閉じる瞬間を見た。
不思議なことに、蓋が閉まると室内の風はピタリと収まった。
「これで封印完了。もう大丈夫ですよ。手を開けてみましょうか」
葛葉おばあちゃんに言われて女性はそっと手を開く。
「ヒッ!」
女性が水晶玉を投げ出した。
透明の水晶玉は、見事に真っ黒に変色していた。
そして、水晶玉を握っていた女性の手のひらは、うっすら紅く皮膚が変色していた、
果子がおそるおそる手を開くと、そこには透明の水晶玉があった。
手のひらも無事である。
その透明なままの水晶玉を見た時に、果子は正直なところ、
「心底ホッとした」そうだ。
葛葉おばあちゃんは黒く不気味な水晶玉を、結界神符というものでキャンディー包みして、
「これは私が、二度と悪さをできないようにしておきます」
そう言って、小さな巾着の中に入れて大神様のいないほうの木箱に仕舞った。
「全ての霊障は取り除きました。もうこれで枕を高くして眠れますよ」
葛葉おばあちゃんはそう言ってさっさと荷物を片付けて、茫然自失状態の小太りの女性一人残して茶室を出て行った。
急いで果子も一礼し、後に続く。
葛葉おばあちゃんは、
「あっ!」と、何かを思い出したように、茶室のにじり口に戻り、
「またしくじったら、いつでも連絡くださいね」と、少しぞんざいな口調で、室内に向かって投げかけるように言った。
葛葉おばあちゃんはそのあと、豪邸の玄関に顔だけ突っ込み、
「終わりましたから、帰りまーす」と言って、車の方に向かう。
そこに高鷲の御主人があたふたと飛び出してきた。
「終わりましたか。それはそれは。それに、……あのぉ、申し上げにくいことなんですが、お礼の方を……」
「あっ、それなら結構です。いただきません、って、源蔵さんにも言っておきましたから」
「いやぁ、実はここに用意して……」
御主人は分厚い銀行の封筒を取り出した。
「いいえ、それはまた源蔵さんを連れ回す時にお使いいただくということで」
「あっ、それはまた別に用意してありまして、まぁあれは接待費で落ちますんで……」
「えぇ、またどちらがモテるか、競争してやって下さいな」
御主人は下を向く。
「そういじめんで下さい。……どうかこれを気持ち良く、どうか、受け取って下さいな」
そう言われて葛葉おばあちゃんは、
「そうですか、では頂戴いたします」と言って、分厚い封筒を受け取った。
「それじゃあ御主人、すぐに茶室のほうに、……あとはこの前お話したとおり、じっくりお話を聞いてあげて下さい。アドバイスとか無しで聞くだけ。今日だけではなく、これからずっと。じゃ、そういうことで」
踵を反そうとすると、高鷲の御主人が、
「あのぉ、……こちらは助手を務めた娘さんに……」遠慮がちに同じ銀行の、厚さが全く違う封筒を果子に差し出した。
葛葉おばあちゃんがそっとうなずいたので、
「ありがとうございます」と受け取り、葛葉おばあちゃんに渡した。
帰りの車で果子は、何をどう聞いてよいかわからずにいた。
手にはまだ先ほどの水晶玉を握っている。
「これ、どないしたらええの?」
運転をしている葛葉おばあちゃんはチラッと見て、
「欲しかったらあげるよ、まだたくさんあるから。あっ、何やったら黒い方もあげよか?」
果子は走行中の車が左右に揺れるくらい、ブンブン首を横に振る。
車が赤信号で止まり、葛葉おばあちゃんが、
「手を出して」と言う。
果子は空いたほうの手を出す。
葛葉おばあちゃんはまた、透明の水晶を出して親指と人差し指でつまんだあと、手のひらを下にして、果子の手に握らせた。
「握った手にフッと息かけて、開いてみ」と言った。
果子が言われた通りに息をかけて手を開くと、手の中には黒く変色した水晶玉がある。
「うわっ!」
先ほどのくだりを見ていた果子が、驚いて声を上げる。
「これ見てみ」
そう言った葛葉おばあちゃんは、透明の水晶玉をつまんで持っている。
「それって、……ひょっとして……」
「そう、最初から私は二個持ってたの。チャヤラララララ~ン」
と、葛葉おばあちゃんは、オリーブの首飾りでおどける。
「じゃぁ、さっきの水晶玉もそうやって?」
「そういうこと~。最初から私にあの人は、黒い方握らせてたの。ちなみにそれは一個二十円の大きなビー玉の透明と黒。水晶とちゃうでぇ~」
果子はああいう神秘的な場面に出てくるのは『水晶』と思い込んでいたので、あれが安いビー玉だったことに、少なからず驚いた。
だが、果子は何かひっかかるものがあった。
「そういえば……、あの女の人そのビー玉握ってるとき『熱い熱い』って言うてたよね。手のひらも赤くなってたし。すり替えた黒いビー玉になんか塗ってたとか?」
「何にも塗ってないよ。もし塗ってたら、そのあとすぐに流水で洗って落とさんとエラいことになるやん、私の手も。学校の理科の授業でやったやろ?」
「じゃぁ、なんで手のひら赤かったん?」
「かなりの力で私があの人の手を、上から握ってたからやろ」
「圧迫で赤くはなるけど、もっと強い力で圧縮せんと熱は発生せぇへんのと違う?」
「あんた、なんで真面目に学校の授業受けてたんよ。テキトーにごまかされへんやんか」
「ねぇ、なんでビー玉が熱くなるん?」
「う~ん、……思い込ませたの、以前あの人に聞き取り調査をした時、悪いもんが集まると、悪質さに比例して熱量が上がる、とかナンとか」
「それって、ホンマ? 何を根拠に?」
「根拠なんかないよ、思いつき。その思いつきを利用して、ビー玉握らせて外から手をぎゅぅ~てされたら痛いやろ。その痛みがあの人の脳内で熱さに変換されるように、ちょっとね、ほら」
「ほら、とちゃうよ。そのちょっとね、のところが知りたいんけど? やっぱり暗示か何か?」
「そうそう、たぶんそう、それ。……そうやねん、わたし理科の授業は寝てたか欠席してたかで、ちゃんと受けてへんねん、ごめん、だから誰にでもそんな無茶苦茶言えるねん。あっ、そうや、思い出した! 茶室とあの女の人の部屋、片付けてくるの忘れた。帰ったら源蔵さんにお願いしよ。仕事サボる口実できたよ~、って」
この訳のわからない支離滅裂な説明というか発言を、果子は『これ以上聞いてくれるな』のサイン、と受け取った。
だが、まだ別の疑問があった。
「それともう一つ」
「なに? 理科的なこと以外でお願いね」
「なんであの狭い茶室の中で、なんで風があの人と紐にだけ、吹いてたん?」
「科学や~ん、その内容ぉ~。理科から進化してるやん。あれは、……たぶんあれやん、色々チューブとかぁ~、……は今回仕掛けてないから、換気用の小さな、なんとかいうとこから吹き込んだ風と音とちゃう? うん、そうやで、あれは、たぶんそうや」
「今日どこもかしこも、気持ち悪いくらい無風やで。それに、ピンポイントにあんな大風ムリちゃう?」
「あれっ? 茶室入る時につむじ風吹いてたん、気ぃ付かんかった?」
「そんなん吹いてた?」
「吹いてた吹いてた、今日は無風ずっと無風って思い込んでたんちゃう? もとはと言えば、あの女の人の思い込みから始まったのが、今回の呪い騒動やし」、
葛葉おばあちゃんはさらに、
「こわいやろ『思い込みとか暗示』って」そう言って高らかに笑った。
果子は心の底から『確かにこわい』と『笑い事ちゃうやろ』を同時に思った。
「そしたら、あと一つだけ!」
「何? まだなんかあんの?」
「お母さんの合掌した手に挟んでた紙に、茶色いゴキブリ浮かび出たやん、あれどうやったん?」
「 ……んん~っっとぉ、あれはほら、あぶり出し? そうそう、あぶりだし。理科の時にやったやろ、あれ、あぶりだし」
「あぶりだしって、お母さん、いつろうそくに紙かざしたん?」
「そこはみんなのスキ見て……」
「なんか、さっきから聞いてると、ビー玉すり替え以外ぜんぶテキトーに答えてるやん」
「そんなことないよぉ~、だいたいホンマのことよぉ~。自分の行動って、案外自分で言葉にしにくいやんか、だから、なんかどっか支離滅裂になることあるやん」
「それにしてもあやしい、なんかあやしい、どっかあやしい。……あやしいで思い出した。あの風吹きまくってる部屋の中で、なんであのろうそく消えへんかったん? というか、炎が揺れてもなかったやん。私、紙とかピラピラしてる狭い部屋で、この風の中でろうそくの火使って、火事になったらどうするんやろ、って怖かった。でも、揺れへんかったやん炎が。というか、そもそも、あの火って、マッチとかライターとかの火の気もなく点いたやん、あれなんで?」
「え~~~っとぉ、……あれは~、あのろうそくの火は、実は……」
「実は、何?」
「 ……あのろうそくは、火が点いてたんと違ごて、炎が立体的に見える、……ほら、なんて言うたっけ?」
「ホログラム?」
「そうそう、ホログラム? そんなやつ、せやから風にゆれへんかったし、リモコンで点くし……」
「え~っ、もう一回見たい。帰ったら見せて」
「ええけどぉ、夕ごはんせなあかんきに、時間あったらね」
果子は、
(何かごまかそうとしている、というか、はぐらかそうとしてる)と思ったが、寸前のところで逃げられている感じがして、食い下がる。
「じゃぁ、なんで、虫、ゴキブリ使って呪いかけた、ってわかったん?」
「あぁ、あれは最初にお邪魔したときに、あの女の人がお手洗い行ったスキに、本棚に呪いの本あって、その本に『ゴキブリ二十匹以上で蠱毒』って書いたメモ用紙挟まってたから、あのあぶりだしも用意できたんよ」
「ちょっと待って、ろうそくは火使ってないって言うたよね、どうやってあの絵あぶりだしたん?」
「それはぁ~、ほら、……常温? っていうか、体温? ……そうそう、手の体温と汗に反応する……、んやったと思うわ。なんか、そんなん。……言うたやろ、私、理科苦手やって」
「でもさっき、火にかざしたって」
「私は言うてないよ。かざしてないし。……たぶん」
「あやし~、なんか、全てがあやしい。ビー玉すり替えと本にメモが挟まってたくだりはスラスラ答えたのに、あとは何でしどろもどろなん?」
「理科苦手やねん、って。もうええやんか。世の中不思議なこと、いっぱいあるって」
勘の良い角成のお母さんは、これ以上聞いても本当のことは説明してもらえない気がしたので、それ以上は突っ込まなかったそうだ。
「そもそも今日の人も、思い込みから始まったことやからねぇ」
葛葉おばあちゃんは、
「もうそろそろ家やから」と、高鷲家についての詳細は、家に帰ってから聞いたそうだ。
今日会った人達は高鷲さん御夫妻で、御主人は古くからのおじいちゃんの飲み友達だという。
その当時少なくて週に二、三回、多い時には週に五、六回は高鷲さんとおじいちゃんはご一緒していたそうだ。
おじいちゃんは若い時から、酒席での盛り上げ方の天才』、だったそうで、仕事も『日が暮れて以降が本番、真剣勝負』と常々会社で豪語していたらしい。
おじいちゃんと高鷲さんとの出会いは、仕事の取引先とかの関係は全くなく、昭和のいつかはわからないが、ミナミのラウンジでおじいちゃんが盛り上がっているところに高鷲さんが合流して意気投合し、それ以来二人で飲み歩いたり、高鷲さんの会社の大事な接待がある時には、おじいちゃんが社外接待主任を務めたりしたという。
なので、高鷲夫人に相談相手話し相手がおらず、呪いに手を出したことに関して、おじいちゃんにも少しだけ責任があった。
御主人が接待ばかりで夜の帰りが遅いのは、新婚時代から続いていることだが、高鷲夫人の不満が爆発したのは、この年の前年に息子さんが結婚してからだった。
「わたしが何とかしなければ!」
いったい何をどう何とかするのか、夫人は漠然とそう思い込んでしまった。
息子夫婦は結婚当初同居していたのだが、半年足らずで高鷲夫人に何の相談もなく神戸のおしゃれなマンションに引っ越してしまった。
そのことに夫人はたいそう腹をたてた。
高鷲夫人本人は『自分は物わかりの良い人間』だと思っているだけに、何の相談もなしにというところが気に食わなかった。
しかも御主人は、お酒の席で息子さんからあらかじめ聞いていたのに、奥さんである高鷲夫人に話をしなかった。
高鷲氏が飲み歩き続けて話す時間がなかった、のと、息子から聞いて知っていると高鷲さんが勝手に思い込んでいたので『わざわざ二度も聞かせなくても……』というのが、奥さんに話していない理由だったそうだ。
そして高鷲夫人は『息子は嫁の言いなりになっている』と思い込み、ゴキブリが嫌いなお嫁さんを本人いわく『懲らしめるために』呪いを掛けた。
だが、引越しを決意したのは息子さんだった。
「幼い頃からの過干渉に嫌気がさした」
というのが決断理由だった。
そして実母である高鷲夫人に話さなかったのも、場所がどうの、間取りがどうの、あれやこれや言われると面倒だったからだ。
しかし、高鷲夫人は決してヤワではなく、 そして、どこにでもいるような母親ではなかった。
大型書店を数件ハシゴして、丑の刻参りやブードゥーの呪いなど、様々な呪いの本を買い漁り、インターネットでも検索し、その中から自分でもできそうで、尚且つ強力なものということで『蠱毒』という方法を選択し実行してしまった。
しかしそこは素人仕事の粗さというか、いい加減な作法しか行わず、これで良いのか不安ながらに呪いを完成させてしまい、また、これで相手に不幸が舞い降りると思い込もうとした。
だが、その詰めの甘さから『自分に呪いが返ってきた』と思い込んでしまい、パニックに陥る。
まぁ、簡単に言えば、全て自業自得。
それに、葛葉おばあちゃんの聞き取り調査によると、高鷲夫人に対する家族の評判は、……あくまで家族内限定ではあるが、お世辞にも良いとは言えなかった。
娘二人と息子が一人、この三人が共通して言ったことは、
「子供のことより自分のこと。要するに、自分の社会的評価が子供によって上げることだけしか考えていない」だった。
独断専行型で感情爆発型の母親には、逆らうどころか、何を言っても倍になって返ってくるので、自然と母子のコミュニケーションは希薄になり、次第に『はいはい』と言っておけば波風が立たないという意識が三人の子供に定着した。
そして高鷲夫人は子供達に、やりたくもない習い事をさせ、行きたくもない所に留学させ、娘さんには『絶対にイヤだ』というタイプの男と見合いをさせ、と、三人とも母親の権威に振り回され続けた人生だった、ということらしい。
そして息子さんは、結婚後も身の回りの世話全般を母親が受け持つことを、親離れしていないと奥さんに思われることを嫌い、自分一人の決断で実家から離れた。
だが、息子さんのお嫁さんはその状況を別に嫌がってはおらず、義母とも(表面状は)仲良くやっていたので『微笑ましい仲の良い親子』と思っていた。
それなのに夫から『実家から離れる』と聞いた時には、むしろ反対したくらいだった。
葛葉おばあちゃんはこの家族のことを失礼ながら『コミュニケーション不全家族』と呼んだ。
落ち着いて話せばお互いわかり合えるのに、衝突を避け続けていたら、気が付くとこんなことになっていた、ということらしい。
それにこの家族内では親も子も、行動が先で、説明が後、が慣例化していたそうだ。
そういう関係性の中で高鷲夫人は、自分で掘った落とし穴に、頭から落ちて、細い穴の中で手足をバタバタさせて、懸命にもがいていた。
そのあと、
「これは専門的で話が長くなるけど……」という、葛葉おばあちゃんの注釈付の説明が始まった。
高鷲夫人は決定的なミスを犯していた。
人を呪う時に、絶対に欠かしてはならないことがある。高鷲夫人はそれを行っていなかった。
結論から言うと、それは『呪いの告知』である。
有名な『丑の刻参り』を例にすれば、
『七夜にわたり午前二時前後(丑の刻)に白装束に足は一本足の高ゲタ、髪は結わずざんばらのまま、その頭にろうそくを立てた五徳をかぶり、口には櫛をくわえ右手には木槌に五寸釘、左手には五三五三と縛り上げた藁人形を持ち、神社のご神木、それがなければ朱塗りの鳥居に、一心に呪う相手への恨みを込めて……』
だけでは『不十分』なのだそうだ。
これでは『呪いのピンポイント攻撃』ができない。
誰に対して呪いが発せられたか、それがない。
要するに、呪われた相手を特定できる『名前』がないと、昔なら村中、町中の噂にはなる。
中には、
「もしや、自分が」と、良心の呵責や、思い当たるフシ等々、がある人間はその昔から、それなりにいただろう。
その中には体調を崩したり、怪我をしたことで『呪いのせいだ』と自分の不品行をカミングアウトする人も、いたかもしれない。
もしその人達の中に『呪いをかけた相手』が入っていればラッキーだが、当の本人がピンピンしていれば、かけた人間は単なる『呪い騒動の愉快犯』になってしまう。
そういうことを避けるために、一人の人間を特定するために、本人の持ち物と名前を藁人形と一緒にして五寸釘で打ち付けるのが『呪いの告知』である。
これが『儀式の作法の中での、最重要項目』ということだった。
高鷲夫人はそれを行わなかった。
理由は簡単、
「もしバレて、自分が呪いを実行するような人間だと、誰からも思われたくなかった」から。
もっと簡潔に言うと、
「自分の評価を下げたくなかった」から。
シンプルに身勝手な話しである。
「『蠱毒』っていうのは何をどうするの?」
角成がそう聞くとお母さんは覚えていた。
昔の中国から伝わった呪術の一つで、壷などの閉鎖空間に数種類の虫を入れ、最後に生き残った虫を残忍な方法で殺し、その虫の怒りや恨みの念を呪いたい相手に飛ばす、というのが本来のやり方らしい。
だが、
「数種類の虫って、それ、食物連鎖じゃん」と言ってしまえばそれまでなのだが……。
しかし、ゴキブリは生きたままの共食いを基本的にはしない。
そういう場合は、水を入れた容器に数匹のゴキブリを入れ、最後まで生き残った一匹を残忍な方法で殺す、ということだそうだ。
本当にバチ当たりだ。
命の軽視も甚だしい。
高鷲夫人もゴキブリを水死させ、最後の一匹の足と触角を一本ずつ抜き、最後は手でグヂャグヂャにしたそうだ。
ちなみに、それでもしばらくその犠牲になったゴキブリは動いていた、……生きていたらしい。
これには単にゴキブリの命というより、生物の頑な生きることへの執着を、高鷲夫人は感じたという。
だからこそ、高鷲夫人は手をよく洗ったのだが、ゴキブリの臭い=生への執着の象徴が染み付いた気がして、何度も何度も洗い直したそうだ。
しかし、呪ったはずのお嫁さんには、何の変化も見られない。
「そちらの家にゴキブリは出ないの?」
そう、探りを入れても、
「ええ、専門の駆除業者さんに定期的に来てもらってますから」と言うだけで、見た目もいたって健康優良嫁。
それは当然のことだろう。
数百年前の非科学で『あなたを呪いました』と告知すれば、精神医学的に通用するかもしれないが、やはり呪われた本人に呪われている意識がないことには、現代の駆除技術の前では、全く歯が立たなくて当たり前の話である。
そうすると、人を陥れるためとはいえ、真面目にひたむきに調べまくり、中途半端に知識をつけた高鷲夫人が、今度は窮地に立たされる。
「呪いが効かないのは、彼女の守護霊は強靭な人? ……ということは、彼女にかけた呪いは全て自分に返される……」
中途半端な知識は、特にとんでも系の場合、ありもしない妄想を生みやすい。
そうなると、
「何日たっても指に付いた臭いは消えていないし」とか、
「最近特にゴキブリを家の内でも外でも見るようになったし」とか、
「テーブルの脚に足の小指をぶつけたのもゴキブリの視線の高さだし」などを全て呪いとリンクさせて考えるようになる。
しかし、誰にも相談できない。
高鷲夫人は一度、テレビに出ている有名霊能力者にお願いしようか、と考えた、が、もしその人が、
『秘密にして欲しければ……』と強請ってきたらどうしよう……、などと考えていると、誰かに相談する訳にもいかなくなる。
そうこうしているうちに、眠れない、食べられない、落ち着かない、などからパニックに
陥り、意を決して御主人に相談した。
御主人は、夫人の普段とは全く違う雰囲気を察知し、この時は何も意見を挟まず『うんうん』と聞いてくれたそうだ。
そして御主人は、源蔵おじいちゃんが、以前言っていたことを思い出した。
「もし誰かに呪われたら、すぐ私に言いなはれやぁ。ウチの嫁はんその筋のエキスパートでんねん。すぐパッパーッと祓ろてくれますわぁ。あかんかったらゴメンやけど」
御主人はまさか現実にそんな時が来るとは思っていなかったが、今がまさにその時だと思い、
「よっしゃ。わしに任しとき。口の堅い、ええ人知っとる」そう言って、夫人を安心させ、即座におじいちゃんと連絡を取り、そして葛葉おばあちゃん登場、からのヒヤリングと下準備開始……。
……ということだった。
角成はおじいちゃんと、……会ったというか、見たというか……、あの軽薄そうな感じからは『口が堅い』というふうには考えにくかった。
角成は、
(やはり人を見た目で判断するのは、金輪際よそう)つくづくそう思った。
果子お母さんの話が始まった時は、ケーキにコーヒーだったが、今は昼食も終わり食後のコーヒーを角成とお母さんが飲んでいる。
お母さんは、昨日ほとんど寝ていないのだろう。
裏の幼稚園で飼われている、白うさぎより目が赤い。
角成はお母さんの後ろに回り、肩を揉んだ。
「角成はさすがにおばあちゃんっ子やねぇ。小さい時から肩揉みは上手やわぁ」
お母さんはテーブルに臥した。
「さっきの話やけどねぁ、私一つだけよう聞かんかったことがあったんよぉ」
「何をよう聞かんかったん?」
「あの動物の頭蓋骨のこと。あれは、なぁ~んか聞いたらアカン気がして、……聞いてしもたら私とお母さんの間に深~い溝ができそうな気がして……」
(大神様のことだ。僕と違ってお母さんはすごく勘がいいから、自分には縁、つながりがないって、直感的に感じ取ったのかな)
角成は自分の知っていることを、すべて話してしまうかどうしようか迷った。
でも、どう説明しても信じてもらえる自信などない。
しばらく逡巡した後
(よしっ、ありのままを話そう)そう決意した時に、
「スーッ」という寝息が聞こえた。
……角成は自分のタイミングの悪さや決断力の遅さを、本当に情けなく思った。
角成は居間に布団を敷き、お母さんを抱き上げて運ぶ。
もちろんこんな『テレくさい』ことをするのは初めてだった。
華奢なお母さんは思っていたよりも軽かった。
よく考えてみれば、身長も体重も、遠ぉっくの昔に角成は追い抜いている。
「あっ、……角成が運んでくれてんの。……ありがとお。……重たくない?」
「うん大丈夫」
布団に寝かせた時に、
「誰か女の人と一緒やったん? ……日本酒と香水が混ざったみたいな、ええ香りが移ってるよ」
お母さんはそう言って眠ってしまった。
そして角成は、
……一人激しく『鬼のええ香り』に赤面した。
第三章 第一節 人を呪わばアナコンダ 終
第三章 見返りと美人
第二節 対峙・対自・退治 その1
に続きます。




