第三章 見返りと美人 第二節 対峙・対自・退治 その1
令和七年 二月十六日(日曜日)
角成の家族が三人で週末を『楽しく』過ごしたのは何年ぶりだろう。
お父さんとお母さんはよほど疲れていたのか、あれから日曜の朝まで寝ていた。
二人が目覚めてから角成と三人で郊外のショッピングモールへ買い物に行き、食事をして家に帰ったのは六時を過ぎていた。
何年ぶりだろうか、三人でほがらかに外出したのは。
角成はなんだか、あらためて本当の家族の一員になれた気がして上機嫌だった。
家に帰るとお母さんはシャワーを浴びてすぐに寝てしまった。
ダイニングテーブルにお父さんと向かい合わせに座り、二人でコーヒーを飲む。
意外だが父子水入らず状態が初めてなので、何となく気まずいような照れくさいような、少し重い空気が流れもせず滞留する。
突然角成のお父さんがあらたまった顔つきで言う。
「お前には苦労させたなぁ」
角成は無言で頭を横に振る。
「今日はいい機会だから……、角成に話しとくわ」
角成は緊張した。
「あの時、……お前が、……いじめられた時なんだけど……」
(やはりそれかぁ。 ……一度はこうなるとは思っていたけど、今がその時なんだ。……とりあえず、病気のカミングアウトじゃなくってよかったぁ)
そんな事を考えながら、重い空気につぶされないよう、角成は姿勢を正してお父さんを見つめた。
「あの時のことは、未だに後悔してる。 ……俺が、ちゃんと相手の親と話をしとけば……」
「もうええよ、僕もう気にしてないから」
「違うんだ、運動会前に学校に行って校長はじめ先生たちに相談しても『いじめられる側にも問題がある。角成くんが強くなったら問題解決する』とか言うし、相手の親は訳のわからないごたく並べて、全ったくお話にならなかったし……、」
よりいっそうダイニングの重力が増す……。
「あの時……、あの時に俺が『今度何かあったら、テメェらのガキにブチかます』って言うだけで、解決したんじゃないかと……、ずっとそう思ってた。 ……でも、言えなかった。……怖かった……。お母さんには『俺らが問題大きくして、角成にもしものことがあったらどうする』って言ったけど、実はむこうの、……俺は、……相手の親が怖かった。 ……本当にあの時のことは、意気地が無くって、申し訳なかった」
お父さんが深々と、テーブルに額を付けて謝った。
角成は知らなかった。
あの時お父さんもお母さんも何もしてくれなかった、と思い込んでいた。
角成の知らないところで、そういったやり取りがあったことも。
確かに角成をいじめていた数人は、親も子も怖かった。
運動会の時にそいつら親子に、角成が睨まれたことがあった。
そしてそれは、お父さんが抗議のために学校へ行き、相手の親を呼びつけた事が原因だったのだろう、ということを、この時初めて角成は理解した。
だからと言って、お父さんを責めるつもりは全く無い。
それどころか、今、この話を聞き、すごく感謝している。
「知らんかった。お父さんがそんなことしてくれたって、そんな風に考えてたって。言うてくれたら良かったのに」
「結果があれだったから、……最終的には、若菜ちゃんが助けてくれたから、結局俺は、何もしていないのと同じ……」
「お父さん、あの時はありがとう、仕事で疲れて、しかも、資金繰りとか、一番大変やった時やのに、僕のために色々してくれて、ホンマにありがとう」
今度は角成が頭を下げた。
角成が顔を上げた時、お父さんは泣いていた。
「いや、俺は何もできなかった、力になれんかった」
「お父さんはそう思ってるかもしれんけど、……ほら、暴行罪には時効があるやんかぁ、ちょっと小突かれただけやけど」
(本当はそんな生易しいもんじゃなかったけど……)
「でも、お礼を言うのに時効はないやんか」
お父さんは目頭を押さえて立ち上がり、風呂場に消えた。
角成は残っていたコーヒーを一気に飲み干した。
角成は何を恐れていたのだろう、何が辛かったんだろう、どうして欲しかったんだろう。
少し考えただけで答えが出た。
角成はシャワーを浴びているお父さんのところへ行く。
「背中流そか?」
「あ、……あぁ、そうか、すまんな」
お父さんは少し鼻声だった。
角成が泡のついたスポンジを受け取り、お父さんの背中を擦りながら言う。
「やっぱしあの時に、お父さんお母さんの取った行動を全部聞いてたら、少しは違ったかもね」
「あぁ……、うん」
「僕はさっきまで何もしてくれへんかったと思てたから、さっきは嬉しかったけど、もっと前にこの嬉しさを経験しときたかったな」
「あぁ、そうやな、……申し訳なかった」
「でも、これからはもう昔のことは何も気にせんといて、バイト仲間もみんないい人……、人? ……やし、良くしてくれてるから。それに僕今、…………元気やから。」
お父さんは何も答えない。
……答えられないのだと思う。
背中が小刻みに震えていた。
角成はお父さんの背中を、般若さんにしてもらったように洗う。
角成は梵字や呪文の類は一切知らない。なので心を込め、無念無想、一心不乱に背中を流すことだけに集中し、角成自身も溢れ出る涙を堰き止めようとした。
浴室内に二種類の鼻をずずっ、とすする音が響く。
お父さんは、洗面器に溜めてあったお湯で顔をバシャバシャ洗い、
「背中流すの上手やなぁ、誰に習ったんや?」と、鼻声だが明るく言った。
角成はもう少しで、
『うん、キレイなお姉さんにやってもらったのを真似た』と、猛烈に莫大に甚大な誤解を招く発言をしそうになったが、
「おばあちゃんに教えてもらった背中の流し方」という嘘をサラリと言い、ギリギリ紙一重で逃げる。
「そうか、そう言えばお前が背中流すの上手って、葛葉おばあちゃんっうてたような気がする。……懐かしい名前だなぁ。あの世で元気にしてるのかなぁ……」
「おじいちゃんと一緒に仲良くやってるよ、絶対に」
角成は、葛葉おばあちゃんが源蔵おじいちゃんを見る目、愛おしい人への眼差し、を思い出しながら、自信満々に言った。
「そうだろね。……おばあちゃんとおじいちゃんは俺の目標にしている夫婦像だから。……そうだろね。……うんうん」
お父さんは満足げにうなずく。
角成はお父さんの背中を遠慮なく『パシーッ』と叩き、
「はい、終了―っ」と大きな声で言った。
「あはははは、おう、ありがとう」
お父さんは高笑いしながら礼を言った。
これで良いのだと思う。
こうでなければいけなかったのだと思う。
今まではお互い遠慮が過ぎた。
(これでお父さんと本当の、本物の親子の関係、間柄になれた……、う~ん、まだ早いか、わだかまりが取れた……、薄まったから、これからは良くなる……、今はそんな感じかな)
角成は、確実な一歩を踏み出す足場を築けたような、そんな感じがしていた。
角成はまだお父さんともう少し、何でもいいから話をしたかった。
だが、お父さんはまだまだ疲れているようなので、残念だけれど『おやすみなさい』を言った。
角成はやることが無くなり、なんとなく外に出てブラブラと散歩した。
自然と足は玄宗邸へ、新しい『バイト』仲間のいる場所へと向かっている。
目的もなく呼ばれてもいないので、まずたどり着けないだろう、と思っていたが、なぜか角成はあそこに向かっている。
(げっ! 薬局と駄菓子屋が……、玄宗邸への入り口に続く路地が開いてる)
角成は少し悩んだ。
(用事の無い時は玄宗さんでも入れないって……)
ある意味『異界への入り口』が開いているわけだが、当然そこにはおどろおどろしさなどかけらもない。
音も無く木製看板が揺れている、だけである。
(まぁいいか、開いているんだから入って行こう)
角成はスキップで入っていった。
今日は新月でも満月でもないので、当然のことながら大きな木戸は閉じている。
横の小さな戸はロックが掛かっていなかったので角成は勝手に入っていく。
「こんばんはーっ」
声を掛けたが返事はない。
それはそうだ、今日は何の用も無くフラッと立ち寄ったのだから誰もいなくて当然だ。
(入っていいのだろうか? これでこの屋敷に入るのは厚かまし過ぎるだろうか?)
その時、奥から「ニャー」と大きな三毛猫が出てきた。
「おきくさんでしたっけ? こんばんは。ちょっとだけお邪魔していいですか?」
角成はなぜか猫相手に、真剣に許しを乞うた。
おきくさんはまるで、
「いいですよ、お入りなさい」
とでも言うように「ニャー」とひときわ明るく返事をした。
角成はおきくさんの先導で、ダイニングキッチンに向かう。
おきくさんが先にカウンターに飛び乗り角成を見つめる。
角成は「誰もいないのか」と言い、手持ち無沙汰に辺りを見回す。
「今日は、アイツと一緒じゃないの?」
誰かが角成に声をかける。
もう一度見回しても誰もいない。
「ほら、あの品のない狼。今日はお留守番?」
最初は玄宗さんか般若さんのイタズラかと思った。
だが違った。
おきくさんが、大きな三毛猫が、直接角成に話しかけている。
「悪い子じゃないのはわかってるんだけど、品のなさにはちょっとね……」
(う~む、どうしよう……。 答えて良いのだろうか? それとも、何も答えないほうが失礼か?)
角成は悩みまくる。
「さっきね、かっくんどうしてるかなぁ、ヒマしてたら来ないかなぁ~、って思ってたら来てくれた」
おきくさんは嬉しそうだ。
「玄ちゃんなら裏庭にいるよ、案内しよっか?」
「あっ、えっと、あのぉ、そのぉ、はじめまして、あのぉ僕、河内 角成です」
角成は見事なまでの混乱っぷりを見せる。
おきくさんは目を細めて、
「名前知ってるしぃ、はじめましてじゃねぇしぃ、案内するわ」
おきくさんは軽々とカウンターから飛び降りて、角成を案内してくれた。
案内されながら角成は思った。
(もう何が起きても驚かないつもりでいたが、これは反則だろ)
「何が反則?」
おきくさんが振り向いて言った。
いや、おきくさんが『言った』というのは語弊がある。
直接角成の頭の中に語りかけているようだ。
現にこちらを向いている話しかけている時に、おきくさんの口は動いていない。
角成があることに気が付いた。
(……と、いうことは、こっちの考えていることも、おきくさんには筒抜けか?)
「あのぉ、おきくさんは僕の考えていることがわかるんですか?」
「わかるわけねぇわ。さっき反則ってその口で言ったじゃんか」
角成はどうやらかなり混乱しているらしく、考えていることを思わず口に出していたようである。
「まっ、今まではおしゃべりさん数人いたから遠慮してたけど、何か用があったらいつでも話しかけてね」
おきくさんはそっとウインクした。
「はい、ありがとうございます」
角成が丁寧にお礼を言うと、
「そこのしょぼい戸を開けたら玄ちゃんいるから、またあとで。玄ちゃんにはすぐ戻るって言っといて、じゃぁね」
そう言っておきくさんは廊下をすたすたと戻って行った。
玄宗さんは細短い棒の束らしきものを左手に持ち、そこから一本を右手で抜いた。
「おぅ、かっくん。こんな時間にどうした?」
シュッと玄宗さんが棒を松ノ木に立てかけた板に投げた。
ボスッという音がして棒が板に刺さる。
角成は思わず「おぉー」と声を上げてパチパチ手を叩いた。
「やってみる?」
挨拶もなしに、玄宗さんが角成に棒を一本手渡す。
「割り箸?」
それは先を尖らせてすらいない、普通の割り箸を割った一本だった。
「刺さりますか?」
「刺さったねぇ」
「コレが?」
「それが」
玄宗さんは角成が持っている棒、いや、割り箸を投げた。
やはりボスッと刺さった。
「はい次はかっくんの番」
角成は見よう見まねで、全力をこめて投げてみた。
割り箸は角成が予想した通り『ペトっ』と情けない音をたてて、板に当たり地面に落ちた。
「やっぱ無理ですよね」
「何が無理?」
玄宗さんが怪訝そうに言う。
「やっぱ刺さらんでしょう、普通は」
「じゃ俺が普通じゃないとでも? 俺、結構普通やと自分では思てるんやけど」
角成は困ってしまった。
角成は玄宗さんが、色々訓練やら練習やら鍛錬やらを積んでいるから、という意味では普通ではない、と思っている。
(……ん? よく考えてみれば、玄宗さんって何でもかんでも普通からかけ離れまくっているけど、その自覚がない?)
「当たる、刺さるって信じて投げると刺さるけど、自信もなしに投げても刺さらんよ。ナイフとか釘とかなら、偶然とかまぐれで刺さるかもしれんけど、お箸は無理やよ」
そう言われても、手裏剣投げやナイフ投げどころか、野球のピッチャーすらしたことがない角成が投げて刺さるはずがない。
一般的にそう考えるのが普通だろう。
「よし、んじゃぁ、俺の言う通りに投げてみて」
角成は玄宗さんの言う通りに投げた。
やっぱり刺さらない。
もう一度。
刺さらない。
しかし、次に投げた時に、明確な変化があった。
板に当った時の音が、大きくなった。
「よし、んじゃぁ二メートルくらいの距離で投げてみよっか」
角成は言われるままに板に近付く。
投げてみた。
今度は近いからか、かなり大きな音がした。
角成はほんの少しだが「刺さるかも?」と思った。
「一歩下がって、大きく深呼吸して、刺さると信じてぇ~、投げてっ」
角成は玄宗さんの言うタイミングで投げた。
「バスッ」
割り箸がベニヤ板に浅く刺さった。
角成は信じられなかった。
が、感動で全身鳥肌が立った。
「おっ、おきくさんありがとう。成功体験が有ると無いじゃ、自信につながる道筋の見え方が違うからね」
なぜか玄宗さんがそう言った。
(なになに? おきくさんって? おきくさんが何? 何かしたの?)
おきくさんは優雅に歩きながら、角成の近くに来た。
「かっくんってすごく素直ね。ものすごく操りやすかった」
おきくさんはベニヤ板を立てかけている老松に、するすると登りながら言った。
(ん? ちょっと待てよ、操るって何だ?)
「玄ちゃんはひねくれてるから操るの難しいけど、やっぱしかっくんは破魔子さんの孫ね。オーラも匂いも同んなじ」
(言っていることがよくわからない……、 …………と言うか、なんかコワイ、わかりたくない)
角成は勇気を出して聞いてみた。
「化け猫が人を操るって、……本当だったんですね」
「うん、本当」
おきくさんがさらりと答えた。
「でもね、相性もあるし、寝ている人を動かすのも無理だし、その人のできない動きはまだ操れないのよ。だからそのへんは安心してね」
「そうですか、それなら安心……、してもいいのか悪いのかわかりませんが、まぁ、………………………………いっかぁ」
こういうことに慣れてきた角成は、少し情けない顔にはなるが、笑いながら言った。
こういう現象・出来事を前にしてあの内気な角成が笑うとは、慣れとは色々な意味で恐ろしく、また、頼もしいものである。
とりあえず、納得はしていないが練習を再開する。
結局その後一回も刺さらなかったが、角成はできるだけこの訓練を続けようと心に誓った。
続ける理由は単純明快、
『刺さった瞬間ものすごく気持ち良かった』から。
第三章 第二節 対峙・対自・退治 その1 終
第三章 見返りと美人
第二節 対峙・対自・退治 その2
に続きます。




