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ソウル・ロンダリング ある日突然、裏導師 ~南大阪御伽草子~  作者: 富田林 浩二
第一章 運命の糸

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第一章 運命の糸 第二節 U列車で行こう(Take Me U Train)

 角成の父さんが高校の入学祝いに買ってくれた日本製の腕時計は、六時半を指している。

 そして角成はまた、あの薬局と駄菓子屋の前にいた。


 なぜこうなったかというと……。


 若菜いわく、

「自分が出来なかったことを角成が一発で出来た」ことに納得がいかないそうで、二人でもう一度行って確かめる事になってしまった。

 しかし、車であの道を何度通ってもあの薬局と駄菓子屋は無く当然路地も無い。

 次に歩いて通ったがやはり無い。

 その結果若菜は、

「方向音痴に道案内をさせた私がバカだった」

 と言い、明日も早起きだから、と、家に帰ってしまった。

 そうなると今度は角成の方が納得出来なくなった。

 若菜に家まで送ってもらった角成は、マンションの駐輪場に止めた自転車に乗りもう一度あの場所へ戻った。

 ちなみにこの自転車は、高校一年の夏休みにバイトしまくり、その給料で買った角成唯一の自慢の逸品だ。

 一人でその自慢の自転車に乗って行くと……。

 ……そこにあった。

 薬局と駄菓子屋と路地。

 猫もいる。

 ちゃんと二匹。

 白猫と黒猫……。

(ここまで来たんだから、断るためにもう一度玄宗邸に行こうか。それとも、このまま回れ右して、何も無かったことにしようか)

「礼儀知らずの恩知らず……」

 おばあちゃんの言葉を思い出す。

 空を見上げると満月だ。

「よし、行こう。行って断ろう」

 そう言った時、白い猫は「にゃんっ」と強く鳴き、黒い猫は「フンッ」と鼻を鳴らした。

 そして角成は自転車を押して暗い路地を進んだ。

 歓迎しているかのように軽やかに歩く、二匹の猫とともに。


 意外な事に玄宗さんの家の大きな木の門は夜だというのに開いていた。

 角成は自転車を脇に止め、中を覗きこむ。

「だぁーっ。」

 玄宗さんが飛び出した。

「どぉ、びっくりした」

 角成は驚いてしりもちをついた。

(……やはりこの人は苦手だ)

「中でさっきからお待ちかねやで、入って入って」

「あのぉ、今日は……」

「わかってるって、バイト断りに来たんやろ。それは後でええから。でもな、大事な人を待たせるのは恥やで、人間として」

 玄宗さんはそう言って奥へと角成を案内しようとしている。

(どうしよう)

 角成は断る言葉を見失った。

 そして、奥に待っているのは、社長が面接のために、だろうか。

 それとも……。

  ……それとも?。


 角成がもじもじしていると、

「あっ、ひょっとして、自転車か何か乗って来た? 」突如玄宗さんが言った。

 角成がうなずくと、

「ヤッバぁー、俺言うの忘れとったぁ。どこに置いたん、こっちに持って来て」

 言われるままに角成が自転車を門の内側に入れると、「こっちこっち」と玄宗さんは前庭を通り、家の裏へと案内してくれた。

「ちょっと待っててや、スグに戻るから」

 そう言い玄宗さんはダッシュで裏口から入り、ダッシュで戻って来た。

 手には紅い紙と竹の筒を持っている。その竹の筒のふたの部分を抜くと、「これ持ってて」と角成に渡し、竹筒の中から筆を取り出してブツブツ言いながら何かを紅い紙に書いていく。

 耳を澄ませると、

「くさいたいしょうそん にゅうしんかえそく しょてんゆうけつじょう てんにんついかんとく つうさいてんちゅうてん にゅうしんにゅかめつ」を繰り返し言っている。

 角成はこのお経のような、呪文のような言葉を聞いたことがある。

 いつ、どこで聞いたかは覚えていないが、確かに聞いた事がある。

 月明かりをたよりに紅い紙を見ると、『苦哉大聖尊 入真何太速 諸天猶決定 天人追喚得 痛哉天中天 入真如火滅』と書いてある。

 意外だったのは、もの凄く達筆だということ。

 玄宗さんはそれを三枚書いて角成の自転車の、ハンドルとサドルとリヤフェンダーに貼った。

「これでいけたらええんやけど……、まぁアカンかったら弁償するわ。中入ろか」

 玄宗さんはそう言って角成から竹筒のふたを受け取り、二人で正面に回り家の中へと入った。

 角成は、「何が」「アカン」のか、かなり気になった。


 今日二度目のあの殺風景な部屋に入る。

 誰もいない。

 今日角成が持ってきた荷物は紙袋に入ったまま、玄宗さんが寝ていた安楽椅子に置いてある。

 その横に大きな三毛猫が紙袋を守るかのように寄り添い丸まっていた。

「おきくさんありがとう。お疲れ様です~、助かったわ」玄宗さんはそう言って猫に微笑んだ。

 三毛猫は大きな身体のわりに軽い身のこなしで椅子から降り、短い尻尾を一振りして廊下へと消えた。

 一瞬その短い尻尾が二つあるように見えたが、(目の錯覚?) 角成はすぐそう思った。

「はい、これ持って、隣の部屋に行って」

 玄宗さんに紙袋を渡された。

(受取人は玄宗さんではなかったの?)

 角成はそう思ったが黙って隣の部屋、昼に破魔子さんが出て来た部屋へと入る。

 そこにはやはり破魔子さんが居た。

 丸い卓袱台の前に姿勢良く座り微笑んでいる。

 後ろで、スッと戸が閉まる音がした。

 玄宗さんは同席しなかった。

「あのぉ、これ」

 何と言っていいのか解らない角成は、そう言って紙袋を差し出した。

「ビックリしたやろねぇ。そんな緊張せんでええきに、座り。座ってこれぇ飲み」

 そう言って破摩子さんは紅茶を出してくれた。

 角成はジャンバーを脱ぎ破魔子さんの向かいに座る。

 脱いだジャンバーの内ポケットから、家を出る前に角成が自分でタンスの奥から引っ張り出した、小さな毛糸のミトンの手袋が顔を覗かせている。

 幼稚園に通う角成に、「手が冷たかろ」と言って、その当時おばあちゃんが手編みしてくれたものだ。

 角成はこれを捨てることができずにずっと持っていた。

「これ……」

 角成がそっとミトンの手袋を差し出す。破魔子さんはそっと手に取り、いとおしそうに、一目一目確かめるように指で撫で、

 ……そして一筋涙をこぼした。

「まだ持っとったんやねぇ。あんたもう入らんやろうに……」

 角成は目を上げて破魔子さんを見た。

 そこにいたのは葛葉おばあちゃんだった。


 ここに来るつもりがなかったはずなのに、手編みの小さな手袋をポケットに入れていた。

 それは、やはり角成が自分で全てを確かめたかったから……。

 いいや、違う。

 角成はおばあちゃんに会いたかった。

 だから一人で自転車に乗って、ここに来たのだ。


 お化け幽霊等は得意ではないが、この時角成は、全く驚かなかった。

「やっぱりおばあちゃん」

 角成がそう言うと、玄宗さんが入って来て大きな風呂敷包みを、そっと置いて行った。

「どうしてもかっくんに渡さなイカンもんがあったんよ」

 声もおばあちゃんの声になった。

 葛葉おばあちゃんは風呂敷包みを膝の上で開く。

 角成は死んだはずの人間、……俗に言う幽霊を前にしているわりに、ニコニコと思いっきり和んでいた。

 やはりそれは、大好きな葛葉おばあちゃんだからだろう。


 ちなみに言うと、角成は心霊や超能力などの『超常現象』『超自然現象』と呼ばれるものを全く信じていない。

 あんなものまやかしや詐欺の道具、くらいの認識、要するに、それらに意識を向けるだけでも時間の無駄、そう考えていた。

 それに今現在体験していることも、妙にリアルな夢を見る体質の角成は、

「目醒めてみたら夢でした」なんてことも充分考えられるので、怖いなど思いもせずこの状況を受け入れ、それどころか後の展開に期待すらしていた。

「びっくりしたやろ、私がここにおって」

「うん、びっくりした。おばあちゃんが若い時、あんなにキレイやったとは」

 角成は少しチャカした。

「高知からこっちにお嫁入りに来てあんたのお母さん産んだ時の姿や。あの時と、あんたが、かっくんが産まれた時が、私の人生の中で一番幸せやったんよ。せやから、この姿と、さっきの姿は私の幸せの象徴。幸せな人はそれだけでキレイに見えるモンよ」

 あの万事控えめなおばあちゃんが、否定も謙遜もしなかった。

「おばあちゃん、単刀直入に聞くけどぉ……」

「何でも聞いて」

「おばあちゃん死んだよね」

「死んだよ」

 常軌を逸した非日常会話だが、角成は臆せず質問を続ける。

「……だったら、なんでここにいてるの?」

「やり残したことがあって、それで玄宗さんとこにおらしてもろぉたんよ」

「やり残したことって?」

「あんたに渡さんといかん物があったきに……」

 そう言っておばあちゃんは風呂敷包みの中から、古い木箱を出し、紙袋の中の荷物の包装を開けて同じような木箱を出した。

「これぇ、かっくんに受け継いで欲しいんよ」

古い木箱が角成の前に、ずいと差し出された。

「これ何? 開けてもいいの?」

そう言って角成は木箱の蓋を持ち上げる。

 手にした箱の蓋が真っ二つに割れた。

 そして、「ブン」と、風が角成の額に当たる。

 木箱が突如自然崩壊したのか、それとも中から何か飛び出したので壊れたのか、卓袱台の上の木箱がバラバラになった。

「やーっぱりもたんかったわ。新しい箱用意しといて良かった。私の力も残り少ないからこうなるんちゃうかと思てたんよ」

「何! これ何?」

 角成は頭がフラフラし、強い耳鳴りまでした。

 おばあちゃんは卓袱台に短冊のような紙と、さっき玄宗さんが持っていたのとはまた別の竹筒を取り出し、蓋を開けて中の筆を角成に差し出し、

「後で説明するから、この紙に神様の神と、座席の座って書いて」と言った。

 頭の中で凄まじい何かが、搾り出すような唸り声をあげている。

 角成は気力を振りしぼり言われた通り、

(なんでラーメン屋さんの名前? )そう思いながら「神座」と書く。

 その紙をおばあちゃんは新しい木箱の底側に貼り付けた。

「それじゃあここにお移りいただくわな」

 おばあちゃんはおおきく息を吸い、「臨兵闘者皆陣裂在前」と言い、それに合わせて中空に二本の指で縦横に線を引いた。

 おばあちゃんはその直後もう一度「臨兵闘者皆陣裂在前」と言い、今度はさっき書いた中空の縦四横五の格子の下に卍を書いた。

 角成には縦四本横五本の線と卍が薄ぼんやりと朱色い線になり、空間に浮かんでいるように見えた。

「左手出して私の前にかざして」

 言われた通り出した角成の手の指先に、おばあちゃんの指先が触れる。

 おばあちゃんは小さな声で般若心経を唱えている。

 その時、頭の中で暴れていた何かが、首を通り、肩から左手に移っていく感じがした。

 そして左手の指先に何かが集まっている。

 指先が熱い。

「天命勝虎 雷地宿印。ハーッ!」

 おばあちゃんがそう唱えた時、おばあちゃんの前にかざした手の指先から、熱い塊が「ポロリ」と落ちたような感じがした。

 落ちた先を見ると、何も入っていないはずの新しい木箱の中にあめ色の何かがある。

 角成がその物体に目が釘付けになっていると、

「これでこの神様とかっくんは一体になったわ」そうおばあちゃんは言った。

 この神様って……、その箱に入っている物体はどう見ても……。                     

「骨? 頭蓋骨? 何? ええーっ? ……ええええーっ?」

 角成の思考は完全に崩壊した。


「大神様。それはオオカミの頭蓋骨。大事にしてね」


 ついさっきまでカラだった角成が持って来た木の箱に突然現れた物、それが動物の頭蓋骨で、しかも神様だと言う。

(……ムリだ。何から何までムリだ)

「ほら、手に取ってよぉく見て。ね」

(持てと言われても、……あぁだめだ)

 角成は言い訳も、逃げ口上も何も思い浮かばない。

 黙って従うしかなかった。

 観念して言われたとおり持ってみると意外と軽い。

 全長は二十センチ足らずで前面に大きな鼻の穴、それとよく見ると左上の牙が一本抜けている。このオオカミは虫歯だったのだろうか?

「歯、一本ないけど」

角成が聞くと、

「それはここに……」そう言って、着物の懐から細紐に牙が付いたペンダントのような物を出した。

「中心に細い穴が開いてるきに、ちょっと吹いてみ、笛みたいに」

(見ず知らずのオオカミとキッスか)

 角成は『毒を食らわば皿まで』という言葉の意味を、こういう形で『身を持って知る』とは思ってもみなかった。

 牙の細い方に唇をつけようとすると、、

「反対がわ」葛葉おばあちゃんが優しい口調で言う。

 改めて角成は、牙の太い方を口先に当て、息を静かに注ぎ込む。

「ピーー」と、犬笛のようなか細い音がした。

 その時角成は、心臓が止まるほど驚いた。

 木箱を覗きこんでいるおじいさんが、 突如目の前に現れたのだ。

「あっ、見えた? この人かっくんのおじいさん。私のだんなさん」

「ほぉーっ、これでこの子は神様持ちかぁ。たいしたモンやのぉ」

 おじいさんは感慨深げに言う。

 そして角成の神経は限界に達した。

「どぉなってんの。説明してよ」

 泣き声になってしまった。

「その牙笛吹いたら霊が見えるんよ。それに本体のこの頭蓋骨は、もっとすごい力持ってるから、修行してその力引き出して。ね」


「『ね』かぁ……」


 葛葉おばあちゃんの『ね』に角成は弱い。

 小さい頃、結局いつもこの『ね』で説得された。

(あの合体するロボット欲しい~)

(お誕生日に買うたげるから、今は我慢しぃ、ね)

(イチゴの飴食べたい~)

(もうすぐご飯やから、その後にしよ、ね)

 いつもその後に、角成は「うん」と言っていた。

 だが今回はダメだ。

 角成のアイデンティティーの根幹部分が拒絶・拒否するように指示している。

「何に使えって言うてるの? この神様を。 それに何で僕がこれを相続せなあかんの? それに、何でおじいちゃんがここにいてるの?」

「おっ、これはお久しぶりで。ワシは葛葉の夫をしてました、源蔵です」

 ミゼットの写真のおじいちゃん。

 角成がよちよち歩きの頃に亡くなっているのだから、物心ついての初対面だった。

 しかし、良く見るとこのおじいちゃんには幽霊としての緊迫感が全くない。

 服装も白いTシャツにズボンはジーンズだ。

 角成が描いていたおじいちゃん像……、服装で言えば『和服に雪駄履き』とか、百歩譲って地味な色のスラックスにカッターシャツ、……とも全く違う。

 それに心霊、幽霊のイメージとも全然違う。

 いや、むしろすべてにおいて正反対だ。

 ……少し透けていること以外は。

「ワシはこの子、角成くんの成長した姿が見たかっただけやから、待合室に先に行っとるわ。ルールやからな」

 角成にそう言っておじいちゃんは部屋から出て行った。

 そしてやっと、おばあちゃんは説明してくれた。


 葛葉おばあちゃんは、高知県の山間の村で産まれて十二歳の時、陰陽師の巫女をしていた祖母からこの大神様を授かったそうで、何でも代々ウチの母方の家系はそういう血筋らしい。

 そしておはあちゃんは縁あって先ほどのおじいちゃん、源蔵さんと大阪で結婚し、そして娘を一人、角成の母さんである、果子を産んだ。

 その時に、大神様は「この子ではない。この子が大人になり、生み育てた子に継がせてほしい」と言ったという。

 要するに、角成の産まれる何年も前からこの相続は決まっていた事らしい。


 しかも大神様の意思で。


 そして、大神様は心霊関係にアプローチする様々な力を持っているので、その力を何に使うかは、角成しだい、角成の自由、ということだった。

「当然自己責任なのでご利用は計画的に」

 とも明るく言われた。

 ちなみにおばあちゃんがどう使っていたのかを角成が聞くと『人助け』とだけ言った。

 にわかには信じがたい話だが、今のこの状況のほうがもっと信じ難い。

 だがこのような状況の場合、逆に信じられない話の方が信憑性があるから不思議だ。

「こんな話、いきなりやったら受け入れるのはムリやったやろ」

 葛葉おばあちゃんはそう言うが、角成にとってこの展開は思いっきり、これ以上はない『いきなり』だろう。

「それと、これはかっくんには本当に申し訳なく思ってるんやけど……」

 そして、葛葉おばあちゃんはつらそうな顔で、

「ごめんな、長生きでけへんかって。せめてかっくんがこの年になるまで生きてられたら、色々守れたし、それに色んなこと教えてあげられたのに。……それも色々あって……、まぁ、そんな話してもアレやから、絶対にこれからも元気でおってや」少し悲しそうにそう言った。

 少し天井を見つめて、葛葉おばあちゃんは、

「まぁ、だいたいわかったやろ。後はこのノートに書いてあること参考にして、自分なりに考えたらええから。…あぁ、もうあとちょっとしか時間がないから、久しぶりにかっくんの耳掃除でもさせて」と言った。

 いつの間にか玄宗さんが現れて、耳かきとティッシュペーパーを置いていく。

 いつも角成はおばあちゃんに耳掃除をしてもらっていた。

 角成は言われるままにおばあちゃんが正座する横に行き、以前と同じように、十年前と同じように膝枕してもらう。

 優しい耳かきのさばき方、それに、おばあちゃんのにおいがものすごく懐かしかった。

(今はおばあちゃんと過ごせる時間、あとちょっとしかない時間を大切にしたい。後の事は、後で考えよう)

 角成は目を閉じながらそう思った。

 そっと髪を撫でる手が優しい。

 耳掃除が気持ち良くて、角成はついついうたた寝をしてしまった。


「大丈夫? 足、シビレてない?」

 角成は飛び起きておばあちゃんに聞いた。

「あんた、私もう死んどるきに、そんな心配せんでも大丈夫や」

 角成はこうやって普通に話をしているから忘れていた。

 おばあちゃんは十年ほど前に亡くなっていたのだ。

「もう時間が来たわ、そろそろお別れや」

 おばあちゃんは黙って角成を抱きしめた。


 どう言葉をかければ良いのだろう。

 何と言葉を発すれば良いのだろう。

 角成にはわからなかった。

 角成は黙って抱きしめる腕に力を込めた。

 だがその力でも涙は止められなかった。

「あんた泣かん子やったのに」

 角成のおばあちゃんはいつも優しい。


「準備が出来ましたよ、そろそろ行きましょか」

 隣の部屋の玄宗さんが控えめに小さな声で言う。

 角成は左手に大神様を持ち、右手でおばあちゃんと手をつなぎ玄宗さんの後に続く。

 今では完全に身長は逆転しているが、いつもおばあちゃんに幼稚園の送り迎えをしてもらい、見上げるだけで角成はいつもホッとした。

 そのおばあちゃんが今も傍にいることが角成はすごく嬉しかった。


 玄関を入ってすぐの広い空間に来て驚いた。

 十数人ほど、人がいる。

 ある人は、隣にいる人と談笑し、ある人は、ぼぉっと中空を見つめ、ある人は、犬 (ポメラニアンだろうか? 角成を見て尻尾を振っている) を抱いている。

 ただ、一つだけ普通の人ごみの風景とは違うことがある。

 そこにいる人達全員が、「うっすら透けている」のだ。

 やはりこの人達は死んでいるのか。

 そして皆ここで何をしているのだろう。


 白いカーテンがかかっていたカウンターの中から、カランカランと大きなハンドベルが控えめな音で鳴る。

 抑揚のない女性の声で、

「はーい、受け付けを始めまーす。一列にお並び下さーい」と言っている。

 半透明の人々は徐々に列を作り始める。

 カウンターでは『トン、トン』とリズミカルに、真紅の長い爪をピカピカ光らせている手がスタンプを押している。

 角成は列の最後尾で、おばあちゃんと源蔵さんとともに並んだ。

「この列、何の列?。みんな今から何するの?」

「今から改札してもろうて、みんなであの世に行くんよ」

「また会えるの?」

「さぁ、どうやろ。会えたらいいねぇ、あんたが死ぬ以外で。……まぁ、期待せんと待っとって」

 笑えない状況なのに、おばあちゃんと角成は微笑み合う。

「俺は先に門の所で案内に行ってるわ」

「玄ちゃん今の今まで、ホンマに色々ありがとう。玄ちゃんがおってくれて、楽しかった、ホンマにありがとう。……あと、この子よろしくね」

 玄宗さんはニッコリ笑って、

「はーい、お任せください」と言い、手を振って大股に歩いて行った。

 すぐ前で並んでいるおじいちゃんが、紅く光る爪の持ち主を見ながら、

「近頃の若いモンは……」

(おっ、出た。頑固ジジイの常套句!)

「ホンッーーマに、綺麗のぉ」

(あっ、スケベジジイだった)

「源蔵さん、良かったねぇ。最後の最後まで」

 おばあちゃんは笑っている。

 確かに、無表情にスタンプを押している女性は、この世の者とは思えないほど美しい。

 カウンターの中は明るいこちら側と違い、際限なき奥行きを感じさせるほどの漆黒の闇。

 そこに美しい女性が駅員さんの服装で存在する、という何とも不思議な空間だった。

 その美しい女性がおばあちゃんに言った。

「破魔子さん、やっぱり今日で帰るんや……」

「お世話になりました。これからはこの子が私の代わりに来ると思います」

「あっホンマや。大神様連れてる」

 綺麗なお姉さんは、そっと長い爪の手を振り……、そして角成は猛烈にテレた。


 そしておばあちゃんとおじいちゃんも『祝』と印が押された名刺大の紙を受け取り、門に向かう。

 その時おばあちゃんがそっと角成に耳打ちした。

「あの女の人綺麗やろ、鬼やけど」

 この場合、性格が恐ろしく悪いことを指して言っているのか、地獄にいるホンモノを指しているのか。

 ……この状況からして後の方? 

(やっぱり、この世の者ではなかったんだ)

 角成が強固に納得できるほどその女性は美しかった。

 つい最近テレビで、

「『鬼のように綺麗な人だ』という表現は、日本語の慣例的使用法としては相応しくない」

 と言語学者が言っていたが、角成はあの学者にこのお姉さんを見せてあげたい気分になった。

 角成がバカなことを考えていると、ちょいちょいと、おばあちゃんが手招きをする。

 耳を貸しての合図だ。

「かっくんの本当の名前は…………。」

 おばあちゃんは角成にだけ聞こえるようにささやいた。

「覚えといてや。それと、誰にも言うたらアカンよ。これは命にかかわることやからね」

 やはりと言うか、何と言うか、角成にも本当の名前があった。

 しかも極秘、トップシークレットの。

 角成は色々とかなり複雑な心境で門に向かう。

 玄関の手前で、源蔵おじいちゃんが切符を落としたので、角成が拾って渡した。

 その時角成は、何気なくおじいちゃんの靴を見た。

 その靴は、内くるぶしに星のマークの入った靴だった。

 角成の中で、さらにおじいちゅんの概念が変わる。

「ええやろ、このバッシュ。キミにもこんなん買ってあげたかったなぁ。ごめんな」

 源蔵おじいちゃんは少し寂しそうに言い、前を歩いた。


 ……角成は驚いた。

 門の外には蒸気機関車が止まっている。

 当然デカい。

「最後に一言だけ」

「なに、おばあちゃん」

「礼儀知らずの、恥知らず、のほうが、恩知らず、より、この辺ではよく聞く慣用句かな」

「えっ、僕のひとりごと、……なんで知ってんの?」

「ここの猫ちゃんたち、おしゃべりなんよ。……ここまでか。色々ありがとう。しあわせになるんやで、絶対やで。あんた河内 角成は、しあわせになるために生まれてきたんやで」

 そう言っておばあちゃんは角成を抱きしめて客車へ乗り込み、先に乗って待っていた源蔵さんの傍らへと向かった。


「かっくん」玄宗さんが呼んでいる。

 角成が走ってそちらに行くと、半透明の母子がいて、子供の方がイヤイヤをしながらダダをこねている。

「この子の夢は、蒸気機関車に乗ることやってんけど、客車と違って運転台のほうやったらしいわ」

 玄宗さんが言う。

 背後からおばあちゃんが、

「右のポケット」と叫んでいる。

 ポケットを探るとセロファンに包まれたひも付きのイチゴの形をした飴が出て来た。

 角成がうたた寝した時に入れてくれたのだろうか。

 おばあちゃんが大きくうなずく。

 小さい頃好物だったその飴を、角成がダダをこねる子供にあげる。

 綺麗な目をした男の子だった。

 その子は小さな声で『ありがとう』を言い、口を尖らせ下を向いた。

「それでは皆様、お待たせいたしました」

 レトロ感満点の機関士さんの服装に着替えた鬼のお姉さんが、誰に言うともなく静かに言った。

 玄宗さんが鬼のお姉さんに事情を説明すると、

「わかりました」無表情にそう言って、お姉さんは男の子の顔を手で挟み、

「私と一緒にこの汽車運転しましょうか」と、控え目な笑顔で、そう言った。

 やさしくぐりぐり顔を挟む手の爪は短かった。

 男の子は『うんうん』と頬を挟まれながらうなずく。

「では、本日の機関士長をお願いします」

 男の子は晴れやかな笑顔になった。

「付け爪……、あんな爪ではこのレトロな怪物操れません」

 鬼のお姉さんはそう言って、白い手袋をはめながら角成を真顔でじっと見つめ、真っ赤な爪を一つくれた。

 鬼のお姉さんは、立派なプロ意識の持ち主でもあった。

 爪を渡す時、

「コスプレがけっこう好き、っていうことは内緒です」と小声で言い、機関車に向かった。

 大神様を玄宗さんに預けて、角成が男の子が運転台によじ登るのを助け、母親が後に続く。

「それでは出発シンコーです。少年、その紐引っ張ってください、お母さんは石炭くべてください」

 ポォーッ。

 汽笛を鳴らして汽車はシュッシュッと、動き始めた。


 ……上空に。


 おじいちゃんがおばあちゃんに投げキッスをしろと言っているのが客車の窓から見える。

 テレながらおばあちゃんは、角成に投げキッスをした。

「空中で受け取るしぐさをして、自分の口に持ってって。早く早く」

 玄宗さんが横で角成を小突きながら言っている。

 角成は言われた通りにした。

 上空にゆっくりと昇っていく蒸気機関車と客車に角成は両手を大きく振った。

 見えなくなるまで振り続けた。


 そして、大きな満月を残し、白いオオカミと真紅のキツネと青白いヘビに守られて、おじいちゃんとおばあちゃんたちは行ってしまった。


「満月と新月の時にこうやって見送るねん。これからよろしくな」

「はぁ、よろしくお願いします。玄宗さん」

「堅い堅い、玄さん、玄ちゃんでええよ。あっ、やっぱり玄サマ。それでいこう」

 そして玄サマは、ポンと手を叩き、

「明日マフラーと眼鏡買いに行こ」そう言って『冬のソナタ』のオープニングテーマをハミングしながら中に入って行く。

 そしてその後ろを白と黒の猫がついて行き、そのまた後ろを角成はついて行った。


 感傷的な気分をふっ飛ばしてくれた玄サマ、この人に角成は少し慣れてきたようだ。


 第一章 第二節 U列車で行こう(Take Me U Train)  終

第一章 第三節 裏導師幽玄会社

               に続きます。

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