第四章 過去からの奪還 第六節 タネも仕掛けも
令和七年 三月二十二日(土曜日)
学校が休みで、角成は家で何をするともなくごろごろしていた。
来客を告げるインターホンが鳴る。
角成が応答するが、返事はない。
一応確認のため、ドアスコープをのぞくが、誰もいない。
念のため玄関ドアを開いたが、やはり誰もいない。
「いまどきピンポンダッシュもないだろ」
角成が独り言をつぶやいて、何気なく下を見る。
そこには倒れたボロボロのビニール傘と、花の根元で二股に分かれた『小菊』が一本、置いてあった。
角成はうれしそうに用意をして、家を飛び出す。
自転車をショッピングセンターに停め、あとは歩いて向かう。
薬局と駄菓子屋はそこにあった。
あれから昼夜問わず何度もここに来た。
だが今日までこの入り口には、お目にかかれなかった。
角成は、キャットフードの缶詰と、若菜から預かった缶ビールと大吟醸の2ℓパックを抱えて路地を入って行く。
玄宗邸に大声で挨拶をしながら入る。
中から返事はない。
かまわず角成は奥へと進み、いつも皆がいるダイニングキッチンに入る。
いた。
ソファーにおきくさん。
「おきくさん、あのぉ……」
「奥でお待ちかねですよ」
「誰が?」
「さっさと行く。あまり待たすものじゃないの」
おきくさんが毅然と言う。
角成は初めてここに来た時、玄宗さんに会った部屋に行く。
玄宗さんが座っていた椅子の上に、ニホンオオカミの姿をした大神様が。
「あのぉ、その節はすいませんでした。なんと言っていいか、そのぉ、決して大神様のことを忘れていた訳ではなくって、……子供の救助に気を取られた結果が、…………えっと、そのぉ」
「何言うてんの、かっくんはまだわかってないみたいやね」
「あっ、すいません。言い訳をした僕が間違っていました。すいません」
「ちゃうって! この世でのワタシの本体はかっくんの頭ん中、心ん中、魂の中にいてるって、それがまだわからへんの?」
「えっ? この世の本体は、あの頭蓋骨……」
「あれは象徴。人間ってすごい厄介な動物やん。何もなかったら実感でけへんから、象徴的な物が必要やんか?」
「はぁ、そう言われれば……」
「ちょっと思い出して。この隣の部屋で、破魔子さんと一緒やった時、どうやってあの頭蓋骨出したか」
「 ……そう言えば、僕の手から出てきた? …………んんんんっ?」
「でも探してよ。この世で実体化できる頭蓋骨はあれしかない。オンリーワンやからね。それと、もともと特別な、的なベタな突っ込みしたら、おケツ噛んだる」
「 ……っとぉ、危なかったぁ。 ……わかりました、急いで探します」
「うん、わかったらおきくさんとこ一緒に行こ。ワタシも一緒に謝ったるから」
「えっ? 僕がおきくさんに謝る?」
「えっ、かっくん思い当たることないん? おきくさんカンカンやよ」
「えーーっ。何かなぁ……」
「なんでもええ、謝ろ謝ろ。行くよ」
そう言って大神様が先にダイニングに戻る。
ダイニングには般若さんもいた。
「あっ、般若さん、こんにちは、お疲れ様です」
「あらあら、かっくんにはゆっくりしてもらおうと思って、次の満月まで招集かけへんつもりやったのに……。まぁ、会えて私は嬉しいけど……」
般若さんはそう言って、チラリ、と、怒っているおきくさんを見た。
角成が
「おきくさん、あのぉ、すいませんでした」と謝る。
「気に入らない」
「はい、すいません」
「何を謝ってるかわからない人間が、私は一番気に入らない」
角成は絶句した。
「大神様が、あのぉ、おきくさんが怒ってるって……」
「まずは、『何を怒ってるんですか』でしょ? 相手の考えなんかわらないんだから、まず聞かなきゃ!」
角成はこういう部分が未だ欠落している。
角成は恥ずかしかった。
「おきくさん、改めて、ごめんなさい」
角成がしっかり頭を下げる。
「それと、僕の何がおきくさんを怒らせたのか、教えて下さい」
おきくさんはソファーから床に降り、きっちり座り直す。
般若さんが立ち上がり角成と向かい合う。
「あちゃー、かっくんごめん、私おきくさんに操られてる」
『パァーン』
般若さんが角成の頬を平手で叩いた。
角成は突然のことに驚いたが、おきくさんの方をしっかりと見た。
「私が殴ると、爪が刺さって傷跡残るから、二人とも勘弁してね。で、あんた、坊やを助けた時どう思った?」
「どうしても助けたい、って」
「あの時、坊やの服を掴まえた時、あんたどう思ったか、キッチリ思い出しなさい」
「 ……僕が、自分はどうなってもいいから、この子を助けたいって」
『パシーン』
般若さんが涙を一筋流し、もう一発叩く。
「今のはそのお姉さんで私じゃないからね。 あんた、一体全体何様のつもり? いったい誰がそこまで大きく育ててくれたと思ってるの? いったいどれだけたくさんの人間があんたと関わったかわかってるの?」
角成は何も言えない。
「あんたに何かあったらその人達全員が悲しむの、あんたがあの子を助けたのは偉い、でも、本当に偉いのは、あんたが死ななかったこと、あの坊やの人生に汚点を残さなかったことなのよ。そのことをあんたちゃんと理解してるの?」
角成は、そう考えてもいなかったし、安直に『死んでもいい』と思っていた。
「それに、……あの子供を助けて、っていうのは、誰からの依頼だった?」
「 ……般若さんと、おきくさん」
「あんたが、かっくんがあの時死んでたら、無茶なお願いをした私とそのお姉さんは……」
人間の生きものとしての責任、自分の命を守り生き抜く。
そしてそこから派生する、今生きていることへの感謝。
そして、他者とのつながりで生まれた絆。
理解と信頼と期待、そして悔悟。
それらのことに気付きもせず、また考えもせずに生きてきた。
角成は強く自分を恥じた。
「ごめんね、年を取ると理屈っぽくなって」
おきくさんはそう言って、般若さんを使って角成を優しく抱きしめた。
「おきくさん、すいませんでした。僕、あの子の命を助けることが、本当の意味でおきくさんを救えることになるとか、そのためには命をかけても、って、……浅はかでした」
「あれであんたが死んだら、私に救いは二度と訪れない。そう思わない?」
「本当に、本当にバカでした、ごめんなさい」
「そういうことをわかってないと、これから先、本当の意味での、『魂を救う』ってのは無理なのよ。『行ってきます』と『ただいま』は必ずセットなんだからね。『無事に帰る』そのことが基本なんだから、そのこと『自分を大事にする』っていう、そういうことをキッチリ押さえて、これからもよろしく頼むね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
そして般若さんが角成の頬に優しくキスをした。
「今のも私じゃ……」
「はい、わかってます」
角成が間髪入れず言った。
そして、おきくさんが居住まいを正す。
「かっくん、……いいえ、河内 角成さん。この前、私の頼みを聞いてくれて、ありがとう。そして、生きるか死ぬかの思いまでさせて、ごめんなさい。痛かっただろうし、苦しかったと思います、本当にごめんなさい。でも、私が本当に言いたいのは、あなたと知り合えてよかった、ありがとう」
おきくさんは深く頭を下げた。
角成は何と答えてよいかわからず、おきくさんの横にちょこんと正座した。
おきくさんが顔を上げて、
「それと、今日のピンポンダッシュは私だからね。傘を立てかけて、それに足をかけてよいしょって」と言った。
「えっ、じゃぁ、ここからウチまで忘れ物の傘と小菊くわえて行ったんですか」
「ナイショ」
「うわぁ、それはお疲れさまでした」
「おっ、酒盛りの準備? 何か足らんもんあったら買ぉてこよか?」
長かった髪をこざっぱりと切り揃えた玄宗さんが、一連の流れを押し流すかのような勢いで突然入って来た。
「玄ちゃん昼間っから何言うてんの? かっくん元気に帰って来たからお祝いにぃ、私には安物のブランデー。それと大神様にも何か、おいしそうで歯ごたえあるもの買ぉて来てね~」
それを聞いて大神様が、
[玄ちゃ~ん。なんか、般若のお姉さん変わったねぇ。私に話しかけた事、今まで一度も無かったし、笑顔とか涙とか……。あの人、いっつも嘉介さんか破魔子さんの後ろでうつむいてただけやったもんね]と言った。
般若さんは照れて微笑んでいる。
「ホンマそうやったねぇ。……何となく俺が最近思ったのは、彼女、般若っちは『喜怒哀楽』を、もとは持ち合わせてなかったんちゃう? それを、ゆっくりゆっくり自分の中で作り上げて、この前保護者の破魔子さんとのお別れと共に、かっくんと待望のご対面ができて、それから感情を表に現せるように、やっとできるようになった、……要するに、感情の発露をやっと獲得できた。みたいに、あくまで何の確証もなくやけど……、俺感じてる」
[そうかぁ、言われてみたらそうやね。保護者おらんようになって、今度は弟出来て保護する側になったら、愛情もらう立場から、あげる立場になるもんね。……なんか私にもそんな覚えあるわ……]
優しい笑顔でしゃがんで大神様の背中に手を当てている玄宗さんを、大神様は見上げた。
「おっしゃ。んじゃぁ、なんか適当にみつくろって買ぉてくるわ」
玄宗さんがスキップしながら買い物に行く。
[歯ごたえよろしく~。あと、人間の食事的な物もね~]
大神様の言葉に、玄宗さんが笑顔で答えた。
抱擁から解放した般若さんが、
「そうそう、かっくん桐の箱も一緒に流されたよね」と言った。
「うん、あの箱って水に濡れたらどうなります?」
「う~ん、あの桐箱って特別異常なくらい頑丈やから大丈夫やと思うけど、神様の住まいが泥水沁みてるよりはキレイに越したことないから……。また道明寺さんにお願いしてみる?」
「うん、今から行ってこようかな」
おきくさんが、
「お出かけ前にちょっといい?」と、ソファーに戻り話しかける。
「はい、なんですか」
「かっくんはなぜ関西弁話さないの? あんたこっち長いでしょ?」
「ん~それはぁ……、キライなヤツがこっちの言葉だったんで、意地でも同じ言葉を人前で喋らなかっただけで……」
角成が少しだけ恥ずかしそうに答えた。
「あらまぁ、頑固。……まぁ、そういうことだったのね」
「でもこれからは、もう気にせずに喋りたい言葉で喋れそうです」
「かっくんの中で解決したのね。よかったじゃんか」
「そういえば、おきくさんもどうしてなにわ言葉じゃないんですか?」
「そらぁなにわ言葉喋ると、えらい老けて見えまっさかいになぁ」
「でも、おきくさん猫……」
「般若っ! 遠慮はいらない、角成をやっておしまい!」
「あっ、いや、ちょっと待って……」
般若さんが物凄く邪悪そうな笑顔で近づく。
角成が金縛りにあって動けなくなる。
般若さんが、おきくさんを恐れてカウンターの陰に隠れていた大神様を捕まえ、その尻尾で角成をくすぐる。
「あっ、ちょっと、お姉さんコラ、ちょっと待って!」
「こんな神罰ナシ?」
「う~ん、 ……アリ、余裕でアリ。思う存分こちょばしたって」
そして角成は、般若さんが飽きるまでくすぐられ続けた。
角成が妙な神罰から開放された時に、
「善は急げですから」と、道明寺さんの家に自転車で急行した。
事情を簡単に説明し、そして前と全く同じ規格の箱の製作をお願いしてみた。
一連の経緯を知る道明寺さんは快諾し、その場で木地師さんに手紙を書いてくれた。
そして道明寺翁から、
「今日も、角成君の元気な顔を再び見られたことが、最も喜ばしい」そう言われた事が、角成にも喜ばしかった。
角成は帰りに手紙をその地区の本局に持参し郵送する。
これで大神様の普段の居場所の手配が済んだ。
あとは、この世での象徴的大神様、要するに頭蓋骨を探すだけだった。
とりあえず角成は、警察署の遺失物係に届いてないか聞いた。
「雨水で流されてここに届いてないなら、役所の上下水道の人に相談してみる?」
心優しい警官にそう言われて、市役所に行ってみた。
土曜日なので正面玄関のドアは開いていない。
裏口に回ってみると警備員さんがいた。
「大雨で流されたものを探しています」
角成は率直にそう言った。
警備員さんは、
「今、警察から連絡ありましたよ。上下水道の人へのご相談ですね」
そう言ってくれた。
警備員さんは、警察から連絡来てすぐに、電話で下水道にも詳しい水道工事業者さんに話を通してくれて、地図のコピー付きで角成に紹介してくれた。
渡された地図を頼りに水道工事会社に行ってみた。
角成は全く迷わずにたどり着く。
ほんの三ヶ月前なら永遠に到着することもなかったかもしれないのに、角成はこの一点だけを見てもかなり成長したと言える。
水道工事の会社では、この道五十年の会長さんが、市内地図を持って来て対応してくれる。
「どこで流してしもたんや?」
「はい、……あった、このあたりです」
角成が軽バンを落としたあたりを指す。
「おぉ、この前色々あったとこやな」
会長は知ってか知らずか、それ以上何も言わなかった。
「ここからやったら雨水は川まで一本やから、ここに出る。このあたり探してみ」
「会長さん、ありがとうございます」
「なんの、あんたの大事なもんがしっかり見つかるように、わしの神さんに祈っとくわ」
角成がここでも地図のコピーをもらい、その足で教えてもらった場所に向かう。
会長さんに教えてもらった所、雨水などが川に流れ出すところに角成が着く。
雨はここ数日降っていないので、川の流れは穏やかそのものだ。
角成が護岸された岸から周りを見渡すが箱も頭蓋骨も見当たらない。
そのまま自転車でゆっくりと岸を下って行く。
こういう時はカヌー等で水辺から探した方が見つけやすいのかも知れないが、あまり深くない川では担ぐ時間の方が長いし、第一角成にはカヌー経験がないのでそれも難しい。
護岸地帯が終わり、道は未舗装に変わる。
角成は自転車を置いて徒歩で草むらに入って行く。
川岸に到達した時、角成が妙な気配に気付きそっちを見る。
イタチが後ろ足で立ち上がり、角成を見つめていた。
「このへんに大神様いない? いたらどっち、イタチっち? よかったら教えてくれる?」
角成が真剣に話しかけた。
イタチは最後まで聞いて、すっと身を隠すように草むらに入る。
角成がイタチを驚かさないように足音を忍ばせて、距離を詰めないようにして後を追う。
だが、ほんの数メートルの追跡で見事に見失った。
「やっぱダメか」
角成が一人で笑う。
既に当初の目的を完璧に忘れた角成は、気を取り直しイタチが通ったと思われる所を慎重に進む。
少し進むと草むらの中に直径二メートルほどの土がむき出しになった空き地のような所に出る。
そこで角成は、タヌキと鉢合わせた。
「おっ? バトンタッチ? 僕を案内してくれるの?」
角成のその言葉を聞いて、タヌキはゆっくりと草むらを元来た方に戻る。
タヌキはイタチと違ってゆっくり振り返り振り返りしながら、まるで角成を案内するように進んでくれた。
川が大きくカーブする外側の岸から少し離れた所に、大きな胡桃の木が立っている。
その木をタヌキは下から見上げている。
角成がタヌキの視線を追う。
川の流れに向かって伸びた、高さが一メートルちょっとの木の股のところに、見覚えのあるスーパーの袋が。
角成が近づいて手を伸ばす。
スーパーの袋の中には木の箱がちゃんとあった。
角成が木の股から箱をそっと外す。
「たぬきさんありがとう、……って、あれ?」
タヌキは役目を終えたことを確認したのだろうか、もうどこにも姿はなかった。
「ありがと~、た~ぬ~き~さ~~んっ」
角成は人目も気にせず、出るだけ大きな声でお礼を言った。
そのまま自転車まで戻った角成は、近くにベンチがあったのでそこにスーパーの袋ごと置き、ひざまずいて神妙に合掌する。
ボロボロになった袋をはがし、角成が箱をそっと開く。
見慣れた角成のTシャツ。
それを剥がせば梵字が真ん中にある風呂敷。
そして、その中には大神様。
「いた~~ぁぁっっ」
角成は大神様の頭蓋骨に頬ずりしたいほど嬉しかった。
……だが!
大神様の目(厳密には眼窩だが……)から……、
……小さな白いシマヘビが出てきた。
角成が驚きのあまり声もなく固まる。
その隙に白蛇はどこかに消えてしまった。
だが角成は気付く。
この木箱は物凄い精度で造られているらしく、あれだけの雨の中濁流で揉まれたというのに、Tシャツに一点のしみすらないほど箱の内部に水を侵入させていない。
だが、いくら小さなヘビと言っても、水の分子に比べれば圧倒的にデカイ。
角成は箱を調べたが、ヘビが出入りできる仕掛けらしきのもは何もない。
だったらどうやってあのヘビは大神様のところに到達できたのだろうか?
「まさにイリュージョン!」
角成は大神様を見つけてハイになっていたのと、こういう不思議現象もかなり慣れてきたということもあり、自分に害のない現象なので、すぐにどうでもよくなった。
そして、大神様を元通りの振動対策仕様にし、それを大事に抱えて自転車を押し、角成はリュックサックを取りに一旦家に帰る。
家に帰ると土曜日の昼間にしては珍しくお父さんとお母さんがいた。
お父さんは、
「おっ、お帰り」と角成に言ったあと、
「……けど、ちょっと待て、お母さんそれは……」とお母さんに言った。
「それはおかしいって、私は認められへん」
いつも仲の良い角成の両親が言い争う。
「どうしたの? 珍しい」
角成が間に入る。
「お父さんが、病院で若奈ちゃんの世話を色々焼いてた女性のこと『地味なおばさん』って言うんよ」
「だがお母さんはすごい綺麗な人って言うんだが、……ちょっとそれは、って」
「お父さんが綺麗な人って言うてお母さんが嫉妬で怒るんなら話はわかるけど、それって逆じゃない?」
「おいおい角成、これは美的感覚と夫婦の価値観の共有の問題だから、結構深刻だぞ」
角成は猛烈に困る。
般若さんはなぜ見る人によってここまで差が出るのだろう?
「お互い別の人のこと言ってることにしといたら? 実際別人みたいなもんでしょ? そこまで評価が違うと……」
「おい角成! その考え方は斬新かも。実際我々が二人同時に、その人のこと見たのは……、一回だけか?」
「角成あんた面白いこと言うようになったね。それもあの人達の影響? ほら、玄宗さんやったっけ? バイト先の」
「バイト? ……そうそう、あの人達面白いから、そういうことも勉強させてもらって、僕も面白いこと言えるようにまぁ、その、……えぇっとぉ、コーヒー淹れようか」
何故か角成は、必死に誤魔化そうとした。
そう言われて角成は思い出した、というか忘れていたのだが、角成はあそこで、というか、あの人達のところでアルバイトをしている。
だが今までバイト料、というか現金支給は道明寺さんから頂いたお礼のみで、玄宗さんや般若さんたちからは一円たりとも頂いていない。
角成は丁稚奉公気分だから別にお給料的なことは望んではいないが、実際お父さんお母さんに聞かれたら、何と答えようか悩む。
やはりこのこともキチンと話をしておくべきだろう。
角成は二人にコーヒーを出し、自分の部屋にリュックを取りに行く。
ダイニングに戻るとお母さんが大神様の箱の蓋を持ち、中の頭蓋骨を見ていた。
角成は、
(しまったぁ~)と思ったが、後の祭りだった。
「やっぱり、角成が跡継ぎやったんやね、大神様の。長いこと忘れてた、大神様の存在。これもあれ? あの人たち? 玄宗さんら?」
カンの良いお母さんは何かに気付いたようだった。
自分が大神様の後継者になれなかったことも含め。
「ごめん、お母さん。そういうことみたい」
「うわっ、なんだそれ! ダメだ。お父さん骸骨とか怖い系さっぱりダメ」
「あのぉ、お父さん一つだけ質問していい? 答えにくかったら別に答えんでもいいから」
「あぁ、どうぞ」
「お父さん昔の借金、……まだ支払い残ってる?」
「 ……うっ、うん、……全額完済したよ」
「お父さん頑張ったんやね」
「う~ん、えっとぉ、それはぁ……」
お父さんが頭をかく。
どうやら照れているのではなく、ばつが悪いような表情だった。
「葛葉おばあちゃんが死んだ時ね、おばあちゃんの遺言に書いてあったの」
言い辛そうなお父さんに代わりお母さんが話す。
「『銀行やら金融屋に、もうこれ以上儲けさせる必要はない』って。それと一緒に貯金通帳と印鑑入ってたんよ」
「それでもお父さん馬鹿みたいに、それから数年はなんとか自力で返そうとしたもんだから、みんなに迷惑かけてしまって……、だからあの時の借金は、恥ずかしながら、あとからおばあちゃんに返してもらったんだ」
「そっか、これでスッキリした。ごめんね、お父さん、お母さん、言い難いこと聞いて」
「角成のコーヒーはいつも美味いから許す! これでいいだろ? チャラで」
お父さんが苦笑しながら言った。
角成は大神様をそっとリュックに入れ、
「バイトの……、打合わせに行ってきます」
そう言って靴を履く。
「はいよ、行ってらっしゃい」
(背後に聞こえたその言葉、それと、親子での当たり前のやりとり。こういった日常を何の心配もなく送り過ごせること。これが一番幸せなんだ)
角成は人生で初めて、そう実感した。
角成が玄宗邸に来てみると門の前に単車が停まっている。
玄宗さんのだろうか?
ここにある、ということは、角成のマウンテンバイク同様この単車も、もうあっち、……日常には帰れない。
角成が単車を見つめて佇んでいると、
「やってもおたんよ、俺」 玄宗さんがぽつりと言う。
「かっくん乗る? って言うか、これで練習して免許取る?」
「えっ? でも、僕は原付どころか電動アシスト自転車すら乗ったことないですよ」
「だったらこれで練習したらええやん。誰でも最初はある」
角成は友人がいなかった為と、かなりの出不精なことから、行動範囲が異常なほど狭い、ということもあり、自転車さえあれば充分、と考えていた。
その反面『バイクかっこいい~、乗りたいなぁ』という気持ちもあるにはあったが、無意識に自分を押し殺していた。
「しっかし俺もどんくさいよなぁ。昨日買ったばっかりのヘルメットあげるからそれかぶって練習するか?」
「はい、玄宗さんありがとうございます。練習させて下さい」
「そうか。そう言うてくれると嬉しい」
「はい、せっかく僕のためにヘルメット買ってくれたんですから、頑張って免許も取ります!」
角成は見逃していなかった。
さっきから玄宗さんの一番端のまつ毛が何度もピクリピクリと動いているのを。
たぶんここに単車で間違って来た、……ふりをしてくれているのも、そういう心づもりだったのだろう。
「くっそ~、何でバレる?」
「玄宗さ~ん、とりあえず、何から始めたらいいですか?」
「とりあえず……、って言えばビールやろが」
玄宗さんはテレ隠しにそう言い、角成に単車のキーを投げて、
「ちょっと待ってて」そう言って玄宗邸に消えた。
玄宗さんがノンアルコールビール片手に戻って来て、単車の扱い方を説明してくれる。
角成が一言一句聞き逃すまいと必死に聞く。
一連の説明が終わり、角成が単車にまたがりギアがニュートラルであることを確認し、勢いよくキックを踏む。
素直にエンジンがかかり、あとはギアとクラッチを操作すれば動くはずである。
「クラッチ付は車でもバイクでも発進が一番難しいから、最初はそれを何回も練習したらええよ」
玄宗さんの言葉に従い、角成が何度も発進と制動を繰り返す。
「かっくんこの単車な、お金のことは気にせんでいいで」
「えっ、でもそれなりにしたんじゃないですか?」
「知り合いの車屋さんが処分するっていうのを、有名キャバ嬢のとこに連れて行く、っていう条件で、無料でもろた」
「その条件もすごいですね」
「せやろ。保険もついてたから、ほんまにありがたいわ。でも街中で乗るには型も古いしこれからお金かかるやろけど、ここでの練習用にはええかな、って思て」
「僕、本当にうれしいです。バイクに乗れたら行動範囲広がるかなって思ってたから。でもどうしてわかったんですか、僕がバイクに興味持ってるって?」
「車の助手席乗ってた時、単車通ったり横に並んだ時にめっちゃ見てたやん」
「えっ? 僕そんなに見てました?」
「穴あく寸前まで見てたやん、スクーターはそんなに反応せんかったけど、クラッチ付きはめっちゃ見てたで」
「なんか。すごい恥ずかしいけど、僕のことそんなに気にしてくれてて、ありがとうございます」
「そんなあらたまらんといて。始まりはキャバクラ談義やから」
玄宗さんは照れくさそうに言った。
「玄宗さん、ちょっと質問いいですか?」
角成が単車のエンジンを止めて聞く。
「おう、何でも聞いてや」
「さっき川原で大神様見つけた時に、白蛇さんが大神様と一緒にいたんですけど、ひょっとして玄宗さんが守ってくれてたんですか?」
「う~ん、守れるほどの力は俺にはないない。まぁ俺も探してたんよ」
「玄宗さんの方が先に見つけてくれてたんですね」
「うん、実はそうやねん。でも、自分で見つけんと値打ちないって思たから、かっくんに報告するの遠慮しててんけど。もちろん、捜索の相談受けたら、言うつもりやったよ。……で、大神様から何か聞いてない?」
「はっ? 何も聞いてないですが……」
「ちょっと大神様お借りしたんやけど……」
「あぁ、そうなんですか。で、何に?」
「あんまし言いたくないなぁ」
「……と、言うことは、違法絡みですか?」
「ちゃうちゃう、違法……、にはならへんように、祈ってる……」
「じゃぁ、脱法ですか? っていうか、めっちゃ興味ある、何したんですか」
「う~ん、ごめん、ホンマにごめん」
玄宗さんが謝り、そして白状した。
健三は必死に逃げる。
誰か、いや、何かが轟音とともに背後に迫ってくる。
だが、誰が何の目的があって追って来ているのかはわからない。
得体の知れない相手の執拗な追跡。
背丈ほどの高さの草が生い茂る野原を駆ける。
すぐに背後まで草を分ける音が近づく。
次の瞬間、街を駆けている。
大通りにはたくさんの人が歩いていた。
人を掻き分けて進むのに疲れ、路地を曲がる。
人がいなくて進みやすい。
だがその先は袋小路だった。
足音はもうそこまで迫っている。
袋小路の板塀を昇り、大きく跳んだ。
跳んだ時に、
「ミカ、……」 という言葉が聞こえた。
気が付くと、砂漠を駆けていた。
靴にまとわり付く砂と照りつける太陽が、体力を容赦なく奪う。
「もうあかん、もう走れん……」
そうつぶやくと竜巻が起こり、砂嵐に包まれる。
砂嵐が叫ぶ。
「ミカに、近寄るな」
そして、耳や鼻、口はもちろんのこと、閉じているはずの目にも砂が入る。
痛みと辛さに、思わずうめき声を上げる。
次の瞬間、ザブンと海に落ちる。
泳いでも泳いでも岸には届かない。
それに少しでも泳ぐスピードが落ちると、何かが、誰かが足を引っ張る。
足がつり止まってしまい、海に引き込まれる。
息が続かない。
余りの苦しさに全身でもがく。
そして、……。
健三は草が生い茂る野原を駆ける。
すぐに背後まで草を分ける音が近づく。
だが、逃げても逃げても追手からの距離は一向に縮まらない。
だが逃げねばならなかった。
なぜかはわからないが、追いつかれてはいけなかった。
海香の父、川西 健三は、眠っている間中延々と、これらの夢を見ていた。
正確には、悪夢をエンドレスに見せられていた。
……玄宗さんがシナリオを、白猫が念を飛ばし、大神様がそれを健三に向けて増幅する、の三人組『トリオ・ザ・悪夢ズ』に。
そして目覚めた健三は、即座に警察に電話をする。
『このイライラや焦燥感をどこかに、誰かにぶつけたい』
健三はそんな気持ちから娘を探した。
本当にこの男、ロクな人間ではない。
だが娘の居所を警察は教えてくれない。
何度か電話したが、何度父親と名乗っても教えてもらえなかった。
これで健三のイライラは臨界点を超える。
そこで今度は、海香の母に当り散らしてやろうと家に向かうと、丁度海香たちの暮らしていた部屋が、業者さんらによって片付けられている最中で、そこで大家さんから、数日前に逮捕連行されたことを聞かされる。
健三は違法薬物の類に手を出していないが、別居中で籍はまだ抜いておらず、現在も法的にはれっきとした夫婦であることから、なんとなくだが漠然とした不安に駆られる。
自分は釈放されたばかりなので、何も怖がることなどないのだが、やはり健三も叩けば埃の出る身体、何がどうなるかは自分でもわからない。
健三はとりあえずそこから離れようと、車に乗り込みどこに行こうか考える。
行くあてなどどこにもない。
もともと、自分の存在を必要とする者など、どこにもいない。
そして途方に暮れる。
気を取り直した健三がイグニッション・キーを回した瞬間……、
フロントガラス一杯に、大きな目が一つ浮かび上がる。
健三は金縛りにあったように動けなくなる。
そしてカーラジオのスイッチが自動的に入り勝手にチューニングを始める。
この地方では空きチャンネルであるはずのFMの周波数で止まり、雑音とともに何かが聞こえ始める。
「……我、海香の護り神なり。汝、父でありながらのこれまでの醜態、如何いたそうか!」
ハザードランプが自動的に点滅を始める。
「地獄の猛火を以てしてもまだ足りぬ罪深さ、如何に、さあ、如何に ……」
車内の温度が急速に上がる。
「この先海香にそなたよりの難儀・災難あらば、現世にての償い、地獄の責め苦より厳しきものになる。覚悟はよいかあ!」
「わ、わ、わ、わかりました、もう近づきません、何もしません、だから、だ、だ、だから許して下さい」
……数秒間の静寂。
そして……、
「パーン」
車内で大きな破裂音が一つした。
健三の緊張はピークを超え、そして失禁した。
「海香ちゃんの父親なぁ、アイツ懲りてへんぞ。私は娘が命より大事です、とか、すごい白々しいことばっかり抜かしてやがった。恵我ノから聞いたけど、まだあの子十八歳未満やのに、違法風俗に送り込む相談しに来てたって、こっちが掴んでへんとでも思とったんか、あのぼんくら」
はじまりは、布忍の怒気を含んだこの言葉だった。
この言葉の後に『やれ。いたぶったれ』的なニュアンスを『理不尽な父親嫌い』な玄宗さんは、歪んで受け取ってしまった。
……ので、喜んでそれを実行した。
玄宗さんには精神感応力と言うのだろうか、要するにイタコ的能力はほとんどない。
だが、玄宗邸にいる白猫とオールマイティな大神様は、そちらの能力にも長けている。
これは余談だが、実を言うと、角成がうたた寝した時におきくさんの夢を見たのも、白猫が角成に寄り添って一緒に眠っていたからである。
なので玄宗さんは、布忍の電話があった時に、ほぼ発作的に蛇神様である宇賀神様にお願いして、角成が見つける前日には大神様を探し出し、しかも角成に了解を取る前に、このように力まで借りていた。
実は大神様の桐箱の中に、玄宗さんが大神様に力を借りたい時に借りれるようにと、精神媒介装置のために、シマヘビの孵化寸前の卵を一つ仕込んでいた。
角成が箱を開けた時に、小さまシマヘビが出て来たのは、どこからか入ったのではなく、玄宗さんが入れた卵が孵った、が、イリュージョンのタネ、だった。
「借りた力は一応有効活用させてもらった、って言うか、……そのぉ、目一杯使っちゃったと言うか……」
ターゲットは海香の父、川西 健三。
白猫の能力を大神様で増幅し、玄宗さんは大蛇の姿で海香の父の夢に入り込み、
「我、海香の護るものなり。汝海香に近寄るべからず」この言葉を伝える、のが主目的であった。
しかし、海香の父のようなタイプは、まず神仏を『屁とも思っていない輩』である可能性が高い。
それに、夢の中で言われたことは、人は誰でも、だいたいすぐに忘れてしまう。
なので、夢の中でのご宣託を、現実内に雪崩込ませる必要がある。
玄宗さんは海香の父の車のドアロックを、特殊な工具で解除し、運転席のバイザーに、技術班(般若さん)に作ってもらった『ムカデの藁細工(頭側)』を挟み、エアコン調節とハザードランプとFMラジオ、は、全て遠隔で操作できるよう、簡単な機械を仕掛け、それとメーターパネル裏には、仕上げ用として『爆竹一発+遠隔式の極小規模発火装置』を仕掛けた。
そして、玄宗さんと大神様からの信号をキャッチしてもらう役目を、普通の柄の小さなシマヘビさんにしてもらうために車内に残してきた。
ちなみにそれらを仕込む際、運転席のヘッドレストに着いた毛髪を一本、バイザーの内側の藁細工に巻き付け、残り数本は持って帰り、藁細工の体側にぐるぐる巻きつけたので、一連の効果は絶大だった。
海香の父は昼過ぎまで悪夢を何度も何度も見せられ、ヘトヘトになって目覚める。
そして起き出してすぐ警察に、
「海香のことが心配なので会わせて欲しい」や、
「親であるから心配なのは当然でしょう?」とかの、一見それらしいことを言って海香の居場所を聞き出そうとした。
だが、布忍の指示以前に、絶対に教えてくれない。
と言うよりも、何の証明もなく「親である」と名乗っただけの電話の相手に、人様の大事な個人情報を警察組織の人間が教えるはずなどない。
たとえそれが、番号から海香の父の携帯電話と特定されても結果は同じ。
証明されたのは、海香の父の携帯電話から発信されていることだけ、本人という証明は声紋分析でもしない限り不可能である。
それに警察は一般の電話相談扱いの事案に、鑑識や科捜研を動員するほどヒマではない。
だがしかし、電話を受けた署員がナンバーディスプレイで海香の父からであることを確認し、それを布忍に伝え、布忍から玄宗さんにそのことを伝えるくらいの『時間的余裕』ならある。
玄宗さん海香の父が乗る車の配線図を、般若さんに見せて各種操作用リモコンも用意してもらっていた。
そして玄宗さんは、大神様と白猫の力をシマヘビさんに送り、フロントガラスに幻影の目玉を浮かび上がらせ、ボイスチェンジャーで怖くした声をトランスミッターでFMラジオに飛ばす。
車内の温度はリモコンで、エアコンの温度と風力を最強にし、ハザードもリモコンで点けたり消したりする。
最後に別のリモコンで爆竹に点火して、爆発して、お漏らしして、終了。
「 ……と、いうことなんよ。怒ってる?」
「怒ってはいませんが、今度から絶対僕に一言お願いします」
「あちゃー、やっぱそうやよねぇ、気分悪いよね」
「いいえ、今度は僕も絶対に参加します!」
「え?」
「ああいう、強い人には弱いくせに弱い立場の人に偉そうにする、ああいう人キライなんで、今度は思いっきり協力させて下さい。……これも何かの経験になると思いますし」
「う~んとぉ、はい、とりあえずありがとう」
「それと全く話が変わるんですが、一点確認しときたいことがあります」
「何でも言うて」
「僕ここでバイトするっていう話やったように思うんですが……」
「おっ? 気付いちゃった?」
「はい、でもバイト料その他の取り決めとか全くないからぁ……」
「そうやねん、そのことをちゃんと話しとかんとな、とは思とってん」
「はい、で、時給というか、そのあたりはどんな感じに……」
「その前に、ちょっと待っててな」
そう言って玄宗さんは奥に消え、しばらくして紙切れ一枚持って現れた。
「これ見て」
角成は紙切れを渡される。
「それな~んだ?」
「但し、クレーン・レッカー・車両移送代金って、ひょっとして……」
「ひょっとせんでも、そうやったりする」
「溝に落として大破した軽バンの撤去費用?」
「正解! 正解したご褒美に、全額俺が立て替えときましたぁ~」
「しゃ、借金……」
角成ががっくり肩を落とした。
だがすぐに復活し、
「ほら、あれ、僕の自転車のほら……」
「おう、弁償するって言うたけど、こっちの方が高額やから、残金はえ~っとぉ……」
「え~っ、僕学生ですよ~、少し安く……」
「かっくん、スマンがそれはできん。この金額は俺が業者に払った金額で、俺の軽バンの代金とスクラップ処理料金は、ここに入ってない。でも人助け頼んだのはこっちやから、車の代金までは請求はせん。だけどこの金額の半額は払ってもらう。自分の行動の決着や。親しいからこそ、お金のことはキッチリしとこ」
角成は納得し、
「おお、タダ働き上等ですよ! それに金利キツかったら他にもバイトしますし」笑顔でそう言った。
「お兄さん、だったらええバイト紹介しまっせぇ。キレイなお姉さんにお酌する……」
「玄宗さんそれココ!」
「おっとバレた!」
そういうことで、角成の時給というか給与体系は、めでたくうやむやになった。
第四章 第六節 タネも仕掛けも 終
第四章 過去からの奪還
第七節 だっこにおんぶ
に続きます。




