第四章 過去からの奪還 第三節 どん!
築四~五十年になる各部がそれなりに老朽化した二階建て、それが轟マンション。
正面から見て右から裏にかけては、草だらけの細い空き地を挟んで、駐車場になっている。
左に一戸建ての家があるが、庭も回りも雑草が生えっぱなし枯れっぱなしになっている。
どうやら左隣は空家のようだった。
隣の駐車場の塀の影で、若菜がうずくまる。
そして二階には玄宗さんがいる。
玄宗さんが、ドアの郵便受けを静かに開けてのぞき、そっと口を近づける。
「プッ」という音と共に三本の針が飛ぶ。
ほんの二~三秒で花札に興じていた三人がどっさりと倒れた。
玄宗さんは、鍵がかかっていないことを確かめて、静かに部屋に侵入する。
三人とも、脈拍・心拍等生命維持に関することに異常なく……、要するに眠っていた。
玄宗さんがバイタルを調べながら、先端に強力な眠り薬が塗られた針を回収している。
「二〇一号室制圧完了」
玄宗さんがごく小さな声で皆に告げる。
玄宗さんが二〇二号室、二〇三号室と、鍵がかかっていない部屋に入り、寝ている男の、痛覚の鈍い肘頭に、そっと針を刺す。
そして最後に残った鍵のかかった二〇四号室を、特殊な装置で開錠。
室内で眠る男が『ガチャン』という大きな開錠音と、人の気配に気づき眼を覚ます。
「誰や? なんか用か?」
男は起き上がりドアに近づく。
そして男がドアを開ける。
誰もいない。
次の瞬間、男がふらつきこめかみを押さえながら壁にもう片方の手をつく。
むき出しの天井の梁に膝でぶら下がっていた玄宗さんが、廊下に反転して男の背後に降り、倒れる寸前に脳天に刺さった針をそっと抜き、前に回って男を肩に担いで歩き、そっとベッドにおろした。
「二階はオッケ~い」
これで玄宗さんたちが一階で話をする際に、二階からの援軍に突如襲われる心配はなくなった。
そして角成は、玄宗さんが一連の行動を取る間、外で箱を二つ開いて、蜘蛛さんとヤモリさんの帰還を待った。
暖かい空気の流れる通気口にいた蜘蛛さんのほうが先に十匹戻り、窓に張り付いて体温の下がりつつあるヤモリさんはゆっくりと戻る。
しかし、人のいる部屋の窓は暖房で多少暖かいが、無人の部屋を担当していたヤモリさんはかなり体温が下がっているようで、ノロノロとした動きしかとれないようだった。
蜘蛛とヤモリが皆戻れば、あとは玄宗さんが一階に降りて話をすれば良いのだが、何をどう話をすれ良いのか、玄宗さんには何も考えが無かった。
一階の一室には六人がいる。
そのうち二人が女性で四人が男性。
男性四人のうち、一人は海香の父。
それ以外は、暴力団関係者であることは間違いない。
その三人が、とてつもない緊迫感を醸し出している。
海香の横で眠っている女性、彼女は誘拐されてここに来ている、ということにするそうだ。
この女性、縛られているわけでもなく、何らかのひどい扱いを受けているわけでもない。
しかも、自らの意思で、歩いてこの部屋に入ってきて、少し前には宅配のピザを自分で食べた。
今も海香にもたれて、ソファーですやすやと眠っている。
なぜこの女性、高鷲 由美がここにいるのかというと……。
組員である恵我ノが、暇つぶしに大阪中心部の繁華街にある馴染みの雀荘で遊んでいた時、
「助けて下さい!」と、突如飛び込んで来たのが由美だった。
通りを歩いていたら変質者に追いかけられて、裏通りにある雀荘に逃げ込んだのだ。
店員と恵我ノが急いで外に出ると、ロングコートのすそから脛毛の見える男が所在無く立っていた。
すぐに二人で追いかけたが、露出魔の足は異常に速く、逃げられてしまった。
そして店内に戻った恵我ノは、由美にあれこれと世話を焼くうち、由美から色々と話を聞かされた。
由美は知る人ぞ知る超お嬢様女子校の二年生。
最近、近所の幼馴染の男子とよく話しているところを親が、
「どういう関係?」と詮索してきたのを、
「なぜいちいち干渉するの?」と、この年頃にありがちな反発を、なんとなく勢いでしてしまい、その勢いのまま家を飛び出てしまった。
そして始めて繁華街を一人で歩いていたら、先ほどの露出魔に追いかけられた、ということだった。
生来無口な恵我ノは『うんうん』と話を聞き、飲み物を飲ませ、食事もさせた。
そして一通り話を聞いて、
「もう帰れ」そう恵我ノが言ったが、
「親に思いっきり心配させたいから、今日だけどこかに泊まれないかな」と、恵我ノをヤクザとは知らない、それ以前に全くの世間知らずの由美が雀荘でそう言った。
その時恵我ノはある計画を思いつく。
恵我ノは由美に、
「狂言誘拐って知ってるか、ただし、あんまり大騒ぎにならんようにするけど」と話をもちかける。
由美は恵我ノに助けてもらったうえに、話を聴いてもらい、食事までごちそうになった。
由美は深く考えず、
「両親をもっと心配させられる」たったそれだけの理由で賛同し、スマホの電源を切った。
せめてもの救いは、 恵我ノはヤクザだが女性に対しては常に紳士的である、ということだった。
由美にひどい扱いをするどころか、お客さんとして丁重に扱った。
だが由美のいたずら心など、社会のシステムには何の関係もない。
由美の家は何代も続くたいそうな資産家で、しかも曽祖父の代まで県会議員を三代務めた家系という、本者のVIPだった。
そしてVIPであるということは、同時にテロ対象者でもある。
なので、もしも、由美が誘拐されたということが発覚した時点で、警察に連絡が行き、報道機関と警察の間で報道協定が素早く結ばれ、由美の自宅には秘密裏に私服刑事が数人常駐し、所轄署に捜査本部が設置され、由美の所在や安否確認のために情報を収集・整理・統合のために、内勤外勤含め百人近い人間がいっせいに何らかの役割と共に不眠不休の体制をとる、という措置がマニュアルに則って迅速に取られる。
だが、角成たちが轟マンションに到着し、今まさに玄宗さんが一階の海香たちの部屋に入って行こうとしているこの時点では、かろうじてまだ警察では誘拐事件になっていない、
当然角成たちも、高鷲 由美の素性は全く知らなかった。
由美と恵我ノの立てた計画とは別のところで、それ以外の若いヤクザたちが、由美から持ち家かどうかとか、家の広さや、親の職業を聞いて、このまま身代金誘拐にしてしまおうという計画に変更しようとしている。
それを最初玄宗さんが、蜘蛛を放って聞いたのだが、
「由美のスマホで、自宅に身代金要求の電話をかけに車で出かけた今川が帰ってこないし、なんの連絡もない」
ということを若いヤクザ二人が話しているのを聞いた。
また、今から少し前に、
「誰かにスマホ二台とも盗まれた、と、今川から連絡がきた」
という連絡が来て、あのエスティマの中でお酒をふりかけられたスキンヘッド君、今川という人物が、そろそろ戻ってくるらしい。
よそで携帯電話をかけるのは、当然のことながら、いくら狂言とは言え発信局の特定から、轟マンションに捜査の目が向かないため、である。
また、若い組員たちは、誘拐事件として行動をはじめていることを、恵我ノには伝えていない。
一方、恵我ノは絶対に由美に危害を加えるつもりもなければ、身代金を取るつもりもなかった。
それは恵我ノが、神に己の全てをかけてまで誓っても良いことだった。
元々が変質者に追われる少女を助け、喉を潤し腹も満たしたのは、彼の男気からでた行動であること、その行動原理を最後まで曲げないのは、恵我ノなりの美学であった。
しかし、恵我ノはヤクザ・暴力団組員、要するに法律の隙間を泳いできた反社会勢力の人である。
うまくいけばお礼という、合法の形式で金品を頂く算段だけは頭の別のところでしていた。
玄宗さんと若菜の二人は一階エントランスにいる。
角成はまだヤモリさんの回収待ちで建物の横にいたが、持っているのがもどかしくなり、残っている二匹のヤモリさんがいるほうにそっと移動した。
玄宗さんが手で印を結び主不在の蜘蛛の巣経由の音を聞く。
「かっくんも聞こえるんちゃうか? 今の印で大神様と宇賀神さんとシンクロしてるはずや。牙笛耳に当ててみ」
角成は試しに、トレーナーの下にネックレスのように首から下げている牙笛を、耳に入れてみた。
「やっぱり話が違うって、娘の働き口世話してもらいにここに来たのに、なんか話が……」
「おえ、おっさんっ! お前俺らの書いた絵に文句付けるんやったら何ぞ対案出したれやぁ、反対反対ばっかしやったらしょうもない野党でも言えるんじゃ。娘の携帯借りたんは、発信記録で基地局情報から調べられたら、横にいてる俺らが、後々エライことになるけど、娘の携帯やったら、万一警察が調べても、未成年のお嬢さんたちのいたずらでした、で通しやすいからやんけ」
「ちょっと待って下さい、だから娘の携帯、あの携帯は私の名義で契約してるから、疑われるのは私になりますし」
「やかましやっちゃなぁ、娘売りに来た人間がぁ、何さっきからごちゃごちゃぬかしとるんじゃ!」
トイレから戻った恵我ノが、この若い衆の肩から胸もとあたりを制止するように手のひらを向ける。
「おい待て! お前には人間の心ないんか? 娘さんの立場に立ってみろ、そんなこと言えんやろ。川西のお譲ちゃんごめんね。もう今日はお父さんと帰ってな」
「どん! ……ごとっ」
「痛っ! ……海香、お前……」
顔面蒼白な海香は黙ってガラス製の灰皿を父に向かって投げ、それが父の背中に当たって床に落ちた。
「それより恵我ノさん、このおっさんらは帰さんといてください、色々仕事手伝ってもらいますんで」
「それどういうこっちゃ。さっきから、お前らなに企んどんねん、俺何んも聞いてないぞ、お前らなに勝手なことしとんね……」
恵我ノの言葉にかぶせるように若い衆が言う。
「そんなんやから恵我ノさんいつまでたっても、うだつ上がらんのと違いますか? ええ人がええ車乗ってええ家住んでええ女連れてる、そんな業界違いますやん。出し抜いてでものし上がらんと、いつまでも下っ端で我慢せなあかん業界ちゃいますん、俺らの世界は? 今回うまい具合に一番あぶな……、一番難し……、重要なパートである身代金の受け渡しに最適な人間が二人もおるし、何を躊躇うことあるんですか、そんなんやから、いつまでたっても奥さんパート行ってるんちゃいますん、恵我ノさぁん」
「お前ら……」
恵我ノは怒りに声が震える。
「そういうことやから、今回は我々がいただきます」
ヤモリさんたちの帰還を待ちながら角成は、
(聞くんじゃなかった、なんだかすごく生々しい。震えが止まらない)
そう思いながら、いったん牙笛を外す。
なんの情報もない若菜がエントランスから角成の横に来て、角成に顔を近づけ、首から下げている牙笛を耳に入れる。
しばらくそのままじっとしていたが、若菜は両手の人差し指で×印を作る。
『何も聞こえない』
若菜が声を出さずに唇をそう動かした。
角成がもう一度牙笛を耳に入れると、海香のしゃくりあげる声が静かに聞こえた。
その時角成に、角成が意図しない変化が訪れる。
角成のボサボサの髪が逆立ち、皮膚全体が粟立った。
その姿を見て、思わず、
「あんた大丈夫?」と若菜が言った。
角成が一メートルほど上にいたヤモリをじっと見て手をかざす。
もう手は震えていない。
ポトリと、ヤモリが角成の手のひらに落ちてきた。
もう一匹も同じように回収し、ヤモリの箱もそっと胸元のリュックにそっと収めた。
角成が若菜にうなずき、玄宗さんがいるエントランスを指さす。
エントランスには玄宗さんが気配を消すように立っている。
「なんの計画もなく突っ込むかぁ」
その時、般若さんがそっと、
「あかん、エスティマ帰ってきて、ボーズ頭おりてきた。こっち向かってる」
般若さんのその言葉の後、男の野太い声が何か言っているのはわかるが、内容までは聞こえなかった。
「般若っち、俺そっち行くわ!」
玄宗さんがそう言って外に出た時、近寄ってきた男の声を般若さんのマイクがひろう。
『……ぉぅ、これはこれは、ブランデーごっつぉさん」
どうやら先ほど今川は、スタンガンで完全に意識を失ったわけではなく、一時的に動けなかっただけのようだ。
『ちょっとこっち、一緒に来てくれや。時間は取らせへん、ほんの四、五日も相手してくれたら解放したるわ』
「何のことですか? 誰? 四、五日? えっ?」
『おばちゃん、もうええねん、お前がだれでなんの目的か、すっかり話してもらうから、このままあっち向いて歩いて行き。向こうについたら、携帯二台とも返してや』
「え? なんのことですか、私何も持ってないですよ」
『もうええって、話はあとで聞いたる、早ょ歩け。俺もおばはん相手に暴力ふるいたないねん』
「わかりました、殴らんといてください、行きます、言うとおりにします。ちなみにどれくらいの距離ですか? 私、膝が悪くって……」
「ここから五分もかからんわ、ゆっくりでええから、早ょ歩け」
時間がない。
そして、警官を確実に誘導する係もいなくなった。
玄宗さんたちは、このあたりの地理に詳しい警官が来ることを、皆一様に心の中で祈った。
ここで今川を迎え撃つか、それとも中に入り話をつけるか。
エスティマにあった携帯電話二台は、玄宗さんが持っている。
「だめだ、なぁ~んも浮かばねぇ」
玄宗さんはそう言って、角成の持つリュックに手を入れて、毛糸の帽子と不織布マスクを二人に渡し、若菜に目深にかぶり髪を帽子の中に入れさせ、角成にも同じように目深にかぶらせ、マスクもつけさせた。
「ここで待ってたら今川と鉢合わせやから、三人で入って行こか」
角成は固唾を飲みうなずく。
若菜も玄宗さんを睨みつけるような表情で真剣にうなずく。
「よし、部屋の中は中でかなり緊張の度合い高まりまくってる。まぁ、テキトーに入って時間稼ごか」
そう言って玄宗さんが、海香たちのいる部屋のドアをノックして、返事をを待たず勢いよく開ける。
部屋の中には玄宗さんが言った通り、男性が四人女性が二人いた。
海香ともう一人の女性は三人掛けほどの広さのソファに座っている。
そのひじ掛け部分に腰掛けて頭を抱えていた男性、海香の父が、驚いた顔で玄宗さんを見ている。
玄宗さんに向かって歩いてくる男性がいて、その後ろに立ち上がった若い男性、窓際には年長の男性、恵我ノがいた。
「こんばんは~、ピザの配達です」
「なんやっ、お前? 配達とっくに終わって、もう食うた後じゃ」
「はい、その食べ残しとかゴミとかの回収サービスです」
若い男が玄宗さんに向かって歩いてくる。
泣き顔の海香が、その声を聞いて口元がほころび振り向く。
一連の騒ぎに驚いて、うとうと眠っていた由美も振り向いた、
「おいちょっと待て、そいつに近寄んな!」
海香の表情の変化を見て、咄嗟に恵我ノが若い男に叫ぶ。
「はぁ? 恵我ノさん何言うてるんすか、こんな変な奴……」
そこまで言った男が、膝から崩れ落ちて倒れそうになるのを玄宗さんが支え、
「何? 低血糖? どないしたん? この人? 大丈夫ですか?」
睫毛の端をピクピクさせながら言った。
「なんじゃぁ! お前らこっち来いやぁ!」
もう一人の若い衆が大声で叫び、チラリと天井を見た。
二階からの援軍要請のつもりだろう。
「なんか知らんけど、この人ソファに下ろしますよ」
玄宗さんが海香の向かいの一人掛けのソファに、男をおろした。
「なにしとんじゃぁ、こらぁ!」
叫びながらもう一人の若い男が、玄宗さんに殴りかかって来た。
その時、角成たちのイヤホンから、
「もう近くですか? 着いたらお手洗い貸してください、もう寒くって寒くって」
『うるっさい、ほんだら早よ歩けや、モレてまうぞ、早よ行け』
般若さんと今川の声が聞こえた。
すぐ近くまで来たことを、般若さんが知らせている。
玄宗さんは、ふらりと身体をかわし、勢い余った男性は若菜の前まで来た。
若菜は表情を全く変えず、恵我ノからは見えない角度でみぞおちに猛スピード電流入りパンチを入れた。
背中を丸め気を失う男性を、倒れないように無言で抱えた若菜が角成とともに海香の向かいのもう一つのソファに運ぶ。
「おい、お前までどないしたんや!」
恵我ノはそう叫んだ時、
「お手洗いどこですか?」
般若さんの声が骨伝導スピーカーと、数メートル離れたところからの生声の、ステレオ状態で聞こえた。
玄宗さんが部屋の入口で立つ。
その時恵我ノが海香の父を強引にどかせて、ソファの前のローテーブルの上に広げられた宅配ピザの容器に置いたままの包丁を取る。
そして海香の腕を取り立たせて、包丁で傷つけないようみね側を体に向け、切っ先は身体から少し離したところで海香に向けた。
「お前らそれ以上近づくな、そこにおれ、動くな」
恵我ノは海香に、
「ごめんな、こいつら帰ったら家に帰れるようにするから、俺が話つけるから……」
小さな震える声で言った。
角成にはその声は聞こえず、また全身に鳥肌が立ち、毛糸の帽子の中で髪が逆立つ感覚があった。
「すいません、そのまま聞いてください」
角成が恵我ノに向かって言う。
「うるさい、お前らには何も話さんし、何も聞かん。下がれ!」
般若さんが来た。
「ここがお手洗い?」
「うるさい、早ょ入れ、先にお前が入れ」
角成が、
「じゃぁ、これ見てください、いきますよ、投げますからね」
そう言って右手に握っているものを、スイッチが入っていることを指の腹で確かめて、そっと投げた。
放物線を描く金属製品と、窓の外の二台の単車の光軸が交差するように見えた。
「なんじゃ?」
そう言って恵我ノは海香の肩を押さえていた手を放し、飛んで来たものを受け取る。
同時にノックもなくドアが開き、般若さんが入って来る。
その後ろから今川が入ってきた。
「うっ……」
短い呻きとともに、恵我ノは硬直するような動きをする。
角成が走り寄り、恵我ノが倒れないよう支えて、ゆっくりと床に寝かせる。
今川が室内を見渡し、仲間が全員、自分が入室したことに無反応なことで、状況を漠然と把握する。
「おーいいっっ!お前ら、いったいなんじゃぁっ!」
玄宗さんが若菜を守るように間に入る。
「落ち着いて話しましょうよ」
「なにが落ち着いてじゃ……、何ゃお前、さっきの……、お前っ、狙いはなんや」
「今やったらお互い被害は最小限で済むけど、これ以上は……」
「関係あるか、おおーい! 降りてこい、おおーーい!」
今川は手のひらで壁をバンバン叩き叫ぶ。
二階から何の物音も声もなく、援軍は来ない。
「もうええわ、お前らただで済むと思うなよ」
「こっちです……、こっちで大声で騒いでる人がいます」
般若さんの小さな声が骨伝導で三人に伝わる。
「お前ら全員殺したらぁ、そっち行け、そっちに並べ!」
「そんな物騒なもんこっちに向けんといて、わかった、言うとおりにするから乱暴せんといて」
玄宗さんが両手に何も持っていない今川に、外に聞こえるよう、声を張り上げた。
「はぁ? お前何言うてんねん?」
玄宗さんが両手を上げて、角成と若菜もそれに倣うように両手を上げた。
「はーい、そこまで。そこのスキンヘッドの人、武器を床に置いてゆっくりこっち向いて」
警官が二人入って来て、前の警官が警棒を構えて言った。
「ちょっと待て、俺何も持ってないぞ!」
「ゆっくりっ! ゆっくり振り向いて!」
慎重に間合いを取りながら、警官が叫ぶ。
今川が舌打ちして、手のひらを広げてゆっくり振り向く。
後ろの警官が携帯電話を使い応援を呼んでいる。
まず今川が簡単な身体検査をされて、膝をついて後ろ手に手錠をかけられた。
玄宗さんは角成と若菜に、
「こっちは友達返してもらいに来ただけやから、何もしゃべらんでいい、黙秘してたらいいから」
そう言った。
角成と若菜はほぼ同時に、うなずきながら口元をゴム手袋をはめた手で押さえて咳払いした。
後から入ってきた警官は、応援を呼んだあと、現場の写真を携帯電話で撮っている。
ソファに座って携帯電話を握りしめた、涙目の女子高校生を見て、
「ひょっとして、高鷲 由美さん?」
警官が聞いた。
「 ……はい」
「そう、ケガは? ない? よかった。みんな心配してたよ」
ここで由美の目から涙がこぼれた。
警官が高鷲 由美発見の連絡を入れる。
そこからはパトカーのサイレンがいくつも聞こえ、警官たちがどやどやと次から次へと入って来た。
緊張はある程度解けたが、角成の髪は毛糸の帽子が盛り上がるほどしっかり逆立っていた。
そして海香も由美も無事保護され、角成と若奈と玄宗さんの三人も、
…………無事、後ろ手に手錠をはめられて、逮捕された。
連行される際に、角成と若菜は三段ある外階段の同じところでつまずき、同じ人に寄りかかるように助けられ、同じように、
「すいませんありがとうございます」と言った。
「カツ丼食わして、何でも喋るから」
玄宗さんが涙声で私服警官に訴える。
「お腹すいたって言うてるやんか、頼むからカツ丼おごって」
「それなら私が……」
制服姿の婦人警官が頬を赤らめて電話帳を繰る。
「今夜中やぞ、どこのメシ屋も開いてへんわい」
老獪そうな私服警官、布忍が婦人警官の行動を見てしかめっ面で言う。
「じゃ、お茶変えましょうか? それともコーヒー?紅茶? あっ、甘党なら私の私物ですけどココアもありますよ」
「お前らもうあっち行け! おい、長野くんよぉ、お前相変わらずモテるんやのぉ」
「俺昔から、色気より食い気やって言うてますやん、宗旨替えしてませんよ。だからカツ丼食わして、お願い」
「あったあった、ありましたよコンビニに、長野さん」
別の婦人警官が走って会議室に飛び込んで来た。
玄宗さんはお金を払ってコンビニの袋を受け取り、二種類のカツ丼、ロースカツ丼とヒレカツ丼が入っていたので、布忍と一緒にそれぞれのカツ丼を食べる。
「おい、お前らなんでコイツのお茶はええお茶で、俺のは出がらしやねん、色ぜんぜんちゃうやないかぁ!」
布忍が爆笑するくらい色が違った。
玄宗さんがほんの数分でカツ丼を食べ終え、ええお茶を飲んでいる。
「おい、食い終わったらちゃんとこっちの質問に手早く答えてくれよ」
「取調べは一通り終わったんちゃいますん?」
布忍が玄宗さんに顔を近づけて言う。
「ええか、捜査の調書は検察と裁判所に向かって書いとるもんや。でもな、俺はそんなことどうでもええ、俺のホンマに知りたい事は、別のとこにあるんや」
玄宗さんの頭の中を様々な言い訳が、デタラメを基にして構築されていく。
警察署までそのまま後ろ手錠付で連行され、海香の証言ですぐに手錠が外れ、そして一連の事柄を話せる範囲で話した。
だが玄宗さんが話せない範囲は、オカルト不思議系のことだけではない。
二階で眠っていた人たちは、なぜ全員爆睡して一階で騒いでも誰一人起きなかった、とか、ヤクザ相手にスタンガンを使ったこととか、うまく姿をくらませた般若さんのことも、玄宗さんは話していない。
ちなみに、それらのことを口裏合わせする間もなく、般若さんを除く三人は連行されてしまっていたが、そこは般若さん特製の無線機が役立った。
ちなみに、般若さんのことは聞かれなかったので誰も話していない。
そして、身軽になるために、玄宗さんのウエストバッグは角成が持っていた色々ヤバめのモノが入ったリュックサックに入れて、轟マンションの入ってすぐ内側のところに置いた。
外から来た警官はそのリュックサックが見えないし、見たところで誰のものかわからない。
それを般若さんは当たり前のような顔で回収したあと、二人の警官を部屋の前まで案内し、一旦姿を消した。
そのあと、三人が連行される時に、エントランスの外階段のところにいて、角成と若菜がつまずいてよろめいたのを助けて、……その時に二人がそれぞれ、咳払いの時に口の中に隠した、指輪型の武器を吐き出し、手に持った毛糸の帽子内に回収した、のも般若さんだった。
これら、若菜の機転で口の中に隠したことと、般若さんの動作のおかげで、玄宗さんと角成と若菜は、警察のボディチェックをすり抜けた。
また、無線機については、布忍が、
「何や? お前でも一人前に寝違えするんか?」と、玄宗さんにからかうように言った以外、あとは誰も触れさえしなかった。
そういうわけで、若菜も角成も、無線機使用の公然とした口裏合わせもあり、取り調べを乗り切った。
玄宗さんは取調室ではなく、六畳ほどの狭い会議室の一角で布忍と向かい合って座っている。
ドアは鍵どころか開けっ放しで、トイレにも自由に行ける。
要するにこれは取り調べではない『簡単な』事情聴取だった。
これは、由美の失踪に関して、捜査本部も色々様々な事情などがあり、あまり大っぴらに事件として扱わない方針が警察関係者の行動から見て取れた。
色々様々な事情の中身として、これを事件として扱うことで由美の存在『未成年のテロ対象者』を世間に向かって喧伝してしまうこと。
由美の家族も含め、これからの高鷲家の人たちの安全に対するリスクが無意味に高まること。
それ以外にも、誰の利益にもならないことばかり、というのが大きな事情・理由だった。
だが、恵我ノたちは玄宗さんたちとは違い、反社な人々である。
厳しい取調べを受けている真っ最中だが、事件として成立しないのだから、たぶんだが、今日明日中には釈放されることだろう、とのことだった。
なんせ、轟マンションのあの部屋に武器・凶器と呼べるものは、ピザを切り分けて、トマトソースの付着した、見た目はちょっと物騒でグロテスクっぽいが、平和利用で使用された包丁だけ。
それが、玄宗さんたちの話では、何かの拍子にテーブルから床に転げ落ちた、という状況なのだから、様々な人たちに都合が良かった。
……布忍はいったい何を聴取したいのだろうか?
そして、二つ折りの携帯電話を閉じたり開いたりしていた布忍が、電話を横倒しに置いて姿勢を正して玄宗さんに言う。
「質問の答え次第では俺の長野くんに対する態度変わるし、これからの扱いも変わるから覚悟して答えるんやぞ、ええか?」
「はい、どうぞ」
玄宗さんも身構える。
「昔っから聞きたかってん、長野くん、お前はゲイか?」
実は、布忍と玄宗さんは柔道と剣道を通しての、昔からの知り合いであった。
玄宗さんが中学生になって引っ越してきたのは、この辺りだったのである。
玄宗さんが中学生の頃に嘉介老人から武道をどこかで習うことを勧められて、柔道と剣道はこの警察署の道場に通っていた。
その当時から布忍は、玄宗さんの面倒を何かと良く見てくれた。
そして玄宗さんは、中学生の頃から今と同様、おキツネ様の影響からだろうか、凄まじくモテた。
しかし、玄宗さんは全く異性の目など気にせず、武道の技を磨くことだけに集中した。
布忍もそのことを慮り、柔道でも剣道でも、男性だけの練習が可能ならそうし、それが無理な時は、小さいが第二道場で個別に指導もしたりしてくれた。
布忍はその時の措置を、
「女性陣が練習に身が入らず、彼女達が怪我をしてはいけない」という理由からだった、と、この時、玄宗さんは初めて説明された。
「お前は昔からよぉモテた。せやのに、全く意に介さずの顔を通してた。それは女嫌いとか、ゲイやから、とかか?」
玄宗さんは悩んだ。
……この状況はどういうことなのか、そしてどう答えるべきか。
「この件に関して、……布忍さんには正直に言った方がいいですよねぇ」
「おう、ええ心がけや」
「実は俺ぇ…………」
「うんうん、誰にも言わへん、安心せぇ」
「 …………俺、ものごっつい女好きです」
「おーい、お前、そうや、そこ歩いてるお前や。コイツぶち込んで拘留期限いっぱい臭いメシ食わしたれ!」
布忍が玄宗さんを指差して、廊下を通りかかった内勤の警官に叫ぶ。
言われた警官は、自分の鼻を指さして驚いた顔をしている。
「女好きって、刑法とかに違反しましたっけ?」
「あほたれ、俺の予想に逆らうことが重罪なんじゃ。だったら女好きでええから、もう一つ答えろ」
「ええ~~、もう勘弁して下さいよ」
「うるさい、ぶち込まれたなかったら、大人しく答えろ!」
「わかりましたよぉ、何ですか?」
「お前の使ぉてる香水っちゅうんか? オーデコロンちゅうんか? 教えろ」
「俺生まれてこのかたその類は付けたこと……」
「おい、お前、そうや、書類いっぱい抱えてるお前や。裏の樫の木にロープかけろ、今から絞首刑や」
廊下にいた事務系の警官が、急ぎ足で遠ざかった。
「えぇ~っ、公判とかなしで死罪? しかも即執行? どこの西部劇ですか、それ。わかりました、ムスクやったかな? たぶんムスクです。ムスクなはずです」
「ふ~ん、そんなんあるんか? そうか、ホンマか。で、それつけたらモテるんか?」
食後のコーヒーを持って来た婦人警官が盛大に笑った。
「なんぼこんなにええ匂いする、おいしいコーヒー持ってきても、キミらと長野くんは付き合われへん。長野くんは女性に興味はない、残念やったな」
「ええっ?」
婦人警官が残念そうに部屋から出て行く。
玄宗さんが声高らかに笑った。
「それはそうと長野くんよ、それやら何やらとは関係ナシにお願いがあるんやが」
「なんですか? あそこにおったお嬢ちゃんのこと、ですか?」
布忍が顔を近づけて声をひそめる。
「ああ、……昨日見たり聞いたりしたことをやな、全部忘れてくれへんか? まぁ、なんや、そのぉ…………、色々とな、大人の事情が諸々あってなぁ……」
「布忍さんいったい何を忘れるんですか? 俺は昔の柔道の恩師に当たる人に会いに来ただけですけど、その他に何かありましたっけ?」
「まぁ、そういうふうにしといてくれると、ホンマにありがたいこっちゃねんけど……」
「安心して下さい。こういう徹夜した日は、俺はだいたいのことは寝たら忘れますし、俺と一緒に来た二人もそういう体質ですから」
「そうか、すまんな」
布忍が軽く頭を下げる。
「それと、できたらでええ、もう一つだけ教えてくれ」
「もうこうなったら毒も皿も食い散らかしますよ」
「ホンマに立ち入った話でスマンねんけど、長野くんは女好きなんやったら、何で結婚せえへんねん? もうええ年やろ?」
この質問に玄宗さんは少し困った顔をしたが、苦笑と共に言う。
「俺なんで布忍さんには正直に言うって、声高らかにさっき宣言したんやろ……」
「おう、ゲロって楽になれっ」
「警察と役場では、戸籍関係のウソはなんか罪になるかも、ですよね。というか、もう調べてますよね?」
「こんな事聞いとるんやぞ、当たり前じゃ。それに何の罪にならんでも、俺がでっち上げて冤罪で臭い飯食わしたる。証拠はあがっとるんや。さっさと言え」
「 ……嫌がらせです」
寂しそうな声だった。
「ん? 結婚せえへんのがか? それはいったい誰に対する嫌がらせや?」
「 ……父です。父が、いいや、あのクソオヤジの口癖が『ワシのオヤジは玄宗生まれる前に死によったけど、ワシは孫抱くまで死なん』やったんです。だから、あいつが死ぬまで、絶対に子供をつくるどころか、結婚もしたれへん、そういうことです」
「ふ~ん、それはいつから、長野くんが何歳くらいからそう思てることなんや?」
「幼稚園児の頃からずっと、だからもう二十年以上そう思てますよ」
「ほんで長野くんのお父さん、行方不明言うとったけど、今どこにおるか、所在はつかんでるんか?」
「一応つかんでます。だからあのクソオヤジが死んでからです。俺の適齢期は.……。 ……そういうことやねん、若奈ちゃん」
最後の一言に布忍さんの眼と眉が「ピクッ!」と上がった。
布忍の開いた携帯電話は今の会話を、若奈のいる部屋の警官の携帯電話に送っていた。
「俺は同性愛者でも、独身主義者でもない。単なる頭と意地の悪い偏狭な意地っ張り。そんな人間です」
布忍が携帯電話を取り、
「そういうことらしいわ、すまんな。そっちの女性陣は泣いてないか、そうか。は~い」
そう言って電話を切った。
「お前は相変わらず鼻が利くんやな」
「お陰さまで花粉症とは無縁で」
そう言って玄宗さんがティッシュで派手に鼻をかむ。
そして、一時間足らずの間に八杯の飲み物を持って来た婦人警官に、
「イヤンもぉ~、お茶どんだけぇ~」
そう言って玄宗さんは若き婦人警官達の夢を砕いた。
だが会議室の隅にいた、心たくましき婦人警官二人のうちの作業ズボンにトレーナーを着た方が腕まくりをしながら、
「今すぐ退職して、誠心誠意尽くして性別の壁よじ登ったろかな?」
と、喋ったことが布忍の耳まで届き、
「おい、コイツに誰か柔道着貸したれ! 俺が絞め落してそのまま息の根止めて、試合中の事故で処理する!」と、布忍が鼻息荒く立ち上がり、玄宗さんの襟首をつまんで叫んだ。
第四章 第三節 どん! 終
第四章 過去からの奪還
第四節 それぞれのゴールテープ
に続きます。




