第三章 見返りと美人 第四節 対峙・対自・退治 その3
第三章 見返りと美人
第五節 目覚めの準備
に続きます。
角成はそれからまっすぐ玄宗邸に向かった。
だが、どこをどう探してもあの曲がり角、駄菓子屋と薬局がない。
角成はあきらめて一旦家に帰り、適当に道具類をみつくろい、七時三十分頃から、ファミリーレストランの前で待っていた。
そして般若さんが七時四十分に、緑色のフレームの眼鏡をかけて紺色の上下作業服姿で現れた。
般若さんはこの作業服さえも誂えたのだろうか、よく似合っている、と角成は思った。
(いや待てよ、作業服が気を使って、無理にでも般若さんをキレイに見せるために努力しているのかも?)
角成は一瞬無謀な夢想をした。
角成と般若さんは、四人がけの席に向かい合わせに座る。
般若さんはノートパソコンをはじめ、色々様々な機器をかなり大き目のリュックに詰めて来たようで、中身をテーブルの上に並べ始めた。
「どうするんですか?」
「携帯の状態を調べるだけよ」
「で、調べたらどうしましょう?」
「さぁねぁ、どっしよっか?」
般若さんが小首をかしげおどける。
「それよか、表で海香さん迎えてあげて」
「でも、この後どうしたら……」
「なるようにしかならへんから、さっ、迎えに行って」
そう言って角成の背中の、腰の辺りを『トン』と叩いた。
それはまるで般若さんの手が「がんばって」と言ったような感じだった。
角成にはこれから何がどうなるのかが全く読めない。
だが、これは自らの意思で乗りかかった船。
己れの責任で全てを収束させねばならない。
角成は自然と足のはこびまで硬くなる。
「すいませ~ん、冷酒二本お願いしま~す」
般若さんのその声を背中で聞いた角成は、思わずスッ転びそうになった。
「呼び出しボタン押してくれよ……」
角成は笑いながらひとりごちた。
ほんの数分待っただけで海香は来た。
遅刻しなかったのは意外だった。
「お待たせぇ~、玄宗さん来てる?」
海香が遅刻しなかった理由は非常にわかりやすかった。
「残念ながら今日は、専門家の方が来てるだけです」
「なぁ~んや、残念。……まっ、いっか?」
海香はほんの少し残念そうだったが、すぐに明るく『いい笑顔』になり、角成の腕にぶら下がるように腕を組んできた。
角成は振りほどくのも失礼なので、そのまま店内をぎこちなく歩き、席に案内する。
席に戻ると、冷酒の瓶は丸い水滴の跡形を残して、すでに片付けられたいた。
角成は般若さんに促され、般若さんの向かい、海香の隣に座る。
席に着くと緊張で喉が渇いていた角成が、般若さんの前にある水を一気に飲んだ。
「どうも始めまして~、半田です~」
般若さんの自己紹介に、角成が水にむせて咳込んだ。
海香が「汚い!」と怒ると角成は思っていたのだが、意外なことに、
「大丈夫?」と心配するだけでなく、キレイな良い香りのするハンカチで、顔を拭いてくれた。
だが般若さんは、下を向いて必死に笑いを堪えている。
(流石は鬼、侮り難し!)
角成はむせながら、涙目でにらんでそう思った。
角成は注文をしながら、自分でも数えられないくらいの数の「すいません」を、ウエイトレスさん、ウエイターさん、隣の席に座るお客さん、それに海香と般若さ……、半田さんにも言った。
「それでは海香さん、携帯電話をこちらに」
ひと段落つくと半田さんは、ニッコリ笑顔で海香からスマホを受け取る。
手馴れた作業でパソコンにケーブルで接続し、先に万一のためのデータバックアップを取る。
バックアップデータはMicro SDに収め、念のため二枚に同じデータを入れる。
半田さんは二枚とも海香に進呈した。
まずは携帯ストラップや内部に、いわゆる盗聴器的なものが仕掛けられていないかチェック。
無線機のようなものに小さなアンテナのようなセンサー? が付いたもので、盗聴器が使う各周波数の電波の有無を調べている。
どうやらそっちは仕掛けられていないようなので、次はパソコンにコードで繋ぎ、スマホ内部の様々な解析が始まった。
「あら、これ、……変なところでスクランブル掛かってるね、私は見ないからパスワード入れて解除してくれる?」
海香は、
「わかりました」と、コードが繋がったスマホを受け取りパスワードを入力するが、幾度も首をかしげる。
「どうしたの? その携帯、パスは何種類かあるの?」
「う~うん、パスワードは一つ、ちょっと待って、私わからへん」
海香はスマホを半田さんに渡す。
(どういうことなのだろう?)
角成が、
「何がどうしたんですか?」と、今日は素直に聞いた。
「コレね、あのね、海香さん、聞いてショック受けないでね」
「はい」
少し緊張の面持ちで海香が返事する。
「メールの不正転送プログラムが入ってるの、この携帯」
「なんですか? それ?」角成と海香はほとんど同時に言った。
「メールを送信・着信すると自動的に他のアドレスにも転送されるの。え~っとぉ、その時にアドレス帳とか発信履歴とかの個人情報も送信されるタイプみたいね。それと、盗聴機能もリモートで操作できるみたい」
半田さんは既にパスワードも解析し、パソコンを使ってプログラムの中身を解析している。
角成は、
「えっ!」の顔で固まり、海香は下を向いた。
そして海香は、一言だけ、ぽつりと言った。
「お父さん」
悲しそうな口調だった。
海香のこのスマホは、今ではかなり疎遠になりつつある、父からもらった物だった。
父に呼び出され、このスマホを渡されるときに、海香はこう言われた。
「携帯のファミリー割引制度って知ってるか? これはそういうサービスに加入してるから、海香とパパの通話もメールも無料やからどんどん連絡しておいでや。それと、しばらくはパパがお金を払うから安心してええけど、使い過ぎんなよ」
この言葉と共に渡されたので、海香はひどく喜んだ。
だが最初の二、三日は父に連絡がついたが、その後すぐに電話番号が変わり、メールアドレスも変更されていた。
海香は、父は忙しいので仕方が無い、そう思うようにした。
だが、スマホを渡された時に、奇妙な約束をさせられたことに、違和感を持ち続けていた。
1、学校には持って行かない、絶対に家に置いて行く。
2、携帯電話を持たない母親と共有しても良い。
3、そしてもしも、母親が別の携帯電話を持ったらすぐに連絡して欲しい。
この三つだった。
海香は「なぜ?」と聞いたが、
「学校に持って行かんのは、お前のためや」以外の納得いく説明は父から受けていない。
それどころか、
「どうや?最近学校は」とか、
「キレイになったなぁ、そんなにキレイやと男の子が放っとかんやろ」などの、海香にとってどうでもいいことは、執拗に詮索された。
海香は三つの理由含め、正直に半田さんと角成に話す。
半田さんは、
「係争中? それとも協議中」と聞く。
海香は、
「私には……」と、困った顔をする。
角成も困った顔をして半田さんを見た。
「残念ながら、海香さんの御両親は離婚に向けて準備してるみたいなんよ」
角成は(しまった、マズイことを聞いちまった)と思ったが、海香は「うんうん」とうなずいている。
(だったら両親の婚姻のこと、自分の戸籍にも関することなのに、本当に知らないのだろうか?)
角成が少し訝しく思い海香に聞くと、
「もう一年くらいママとは口きいてへんから……」と、いうことらしかった。
半田さんは、
「良かったらお父さんの名前教えてくれる?」と言った。
「川西 健三」海香は答える。
「ビンゴ!」と半田さん。
「何が当たり?」と角成。
「転送先のメールアカウントね『kenzo007@○○○.CO.JP』なのね、しかもパスワードも『kenzo』なんよ」
角成も海香も絶句した。
海香が言うようにメールは傍受されていたし、メールアドレスや通話の着信履歴まで筒抜け。しかも、盗聴までされていた。
だがその相手は、実の父親……。
しかもそれが娘を心配しての行動でなく、離婚調停を自分にとって有利にことが運ぶようにするための、策略の一部だったようだ。
だが、角成は納得できない、いや、したくなかった。
「でも、それはお父さんが海香さんを心配して……」
海香が遮り、
「だったら何で自分のメアドとか番号変えるん?」と言った。
「それは……」角成は二の句が継げない。
「 ……で、どうしよっか? もうパスは破ったから、この転送設定は解除できるけど……」
半田さんが言った。
海香は少し考えて、
「このままでいいです。……このままなら、辛うじてパパと、……パパと繋がってるから」
無理に作った笑顔が逆に痛々しい。
半田さんは緑フレーム眼鏡の素通しのレンズ越しに、少し悲しそうな目をしながら海香にスマホを返した。
角成は、
「この携帯は早いうちに何とかした方がいいよ」そう言った。
何の考えもなく、 …………ただ勢いで。
「この携帯には悪い念が固まって、悪いモノを呼び寄せてるから、だから、色々問題あって」
角成が必死に続ける。
「 ……だから運気を上げるためにも、これからはこういうモノに足を引っ張られちゃダメだ」
「もうええよ、河内クン、ありがとう。……もうええよ」
何か大切なものを諦めたのか、それとも消極的に迎え撃つことを決めたのか、海香は下を向いた。
「う~うん、良くない。それには良くないモノが憑いてるから」
「そうそう、かっく……、オホン、角成くんはそういう道のエキスパートやから、ここは言うこと聞いた方がいいよ」
角成は一瞬困ったが、手に大神様の牙笛を握り締め、
(大神様、おばあちゃん、力貸して!)と、一心に念じる。
「いゃっ!」
海香が小さく悲鳴を上げ、スマホをテーブルに投げ出した。
海香のスマホのディスプレイに、眼がいくつも浮き出たり消えたりしている。
般若さんが海香に気づかれないよう、静かにうなずいた。
「目々連っていう妖怪がいてね、それは知りたい知りたいっていう人間の思いから生まれる妖怪なんよ。だからその携帯はそのままじゃダメだ。とり憑かれ方が並みじゃない」
角成は、自分でも驚くほどよどみなく説明できた。
昔たまたま角成が見た、アニメに出演していた妖怪の名前を借りて、説明は今考えた。
半田さんは席を立ち、海香のスマホを覗き込む。
「えっ、ウソッ。 何コレ」
そう言ってショックで、角成の方に倒れて来た、
…………フリをした。
海香は焦って奥の席から立ち上がり、
「お水とおしぼり持って来る」と、角成と半田さんの横をそっとスリ抜け、ウエイトレスさんの所に走る。
角成が抱きついている半田さんに小声で言う。
「般若さん、ナイス小細工」
「何が?」
「携帯にアニメーション仕込んだんでしょ?」
「あっ、残念ながらそれ私じゃないです。一切何も仕込んでませ~ん」
「ええっ?!」
角成は思わず大きな声が出た。
般若さんは、ショックから立ち直ったフリをしながら、小声で、
「あれは大神様が見せた幻影よ。 ひょっとしてかっくん知らんかったん?」と言った。
「えっ?」
角成はまたもや素の声が出る。
海香がおしぼり数本と水の入ったピッチャーを持って来た。
「おっと、海香さん来た。ではいただきます」
小さくそう言って半田さんは離れ際、頬にキスをした。
「半田さん大丈夫ですか? 河内クンも大丈夫? ……顔真っ赤やよ?」
「だだだだだだだ、……オッホン、ウォッフォン。大丈夫です」
角成の素振りに笑いをこらえた半田さんも、顔が真っ赤になった。
「私はちょっとビックリしただけ、ありがとう、もう大丈夫」
半田さんがズレた眼鏡を直しながら言った。
海香が顔の真っ赤っ赤な二人を前にして、心配と当惑を同時にしていた。
そして半田さんは、
「あっ、迎えが来ましたから今日はこれで……」と荷物をまとめている。
「本当に大丈夫ですか?」海香は本気で心配しているようだ。
「えぇ、私低血圧なんで、今日みたいな低気圧の日には気分も低迷しやすいけどもう大丈夫です~」
半田さんは『?な言い訳』でその場を取り繕う。
「あっ、そうそう、コレを忘れるところでした」
半田さんは立ち上がりかけたのをもう一度座り直し、小さな藁製品をリュックのサイドポケットから取り出した。
「かっくんに持って来てって頼まれてたのに、忘れてた」
角成は固まる。
(頼んでないってばよ~)
「ムカデの頭を模した藁細工。魔物よけの御守りですから、それ。携帯ストラップにどうぞ」
角成に渡されたので、海香と二人でしげしげ眺める。
藁を一ミリ以下の細さに裂いたものを細かく編んであり、頭の眼の所には赤い小さな玉が付いている。
それは見事な民芸品的細工物であった。
海香は、
「スゴイスゴイ」と『いい笑顔で』喜んでいる。
「ホント、すご、ウッ!」
角成の素の不用意な発言を遮るため、ただそれだけのために、角成の向こう脛に青痣のもとができた。
「じゃ、私はまだこれから予定がありますので」
そう言って半田さんは二人にウインクして、店の出口に向かう。
そして残された角成は思った。
(……困った。…………物凄く困った。犬のおまわりさんみたいに『わんわんわわ~ん』と泣き出したいくらい困った。どうしよう、あのスマホ……)
今更ながら玄宗さんと般若さんが言った『その道のエキスパート』という言葉の重みと、大神様の力に押し潰されそうだった。
角成は、声に出して言う。
「もう逃げない、絶対に!」
海香は角成を、首を傾げてじっと見つめている。
そして角成はファミリーレストランの椅子の上で蓮華座に足を組みそっと眼を閉じる。
全てがぶっつけ本場なのであまり良い案とは言えないが、角成は解決策を思いついた。
角成はガラスの灰皿にタバスコを数滴たらす。
そこに塩、この場合御利益の薄そ~なサラダやゆで卵にかける、アジシオだったが、この際贅沢は言えない。
その塩をタバスコに山盛り溶けるだけ溶かし込み、その飽和食塩タバスコで紙ナフキンに爪楊枝で『般若波羅蜜多心経』と書いた。
書きあがったもので海香のスマホを包み、そのまま小さな声で般若心経を唱える。
唱え終わった時に、ファミリーレストランの店長が角成たちの席に来て、
「御代は結構ですので、どうかもうこれ以上は勘弁して下さい」と、丁寧+強圧的及び、慇懃無礼に店外退去を申し渡してきた。
ファミリーレストランでお会計を済ませ、夕食をとり損ねた二人は、またコンビニ前の駐車場の輪留めに座り、今度はおむすびを食べている。
「行儀悪いよね、私ら」
「そうかもね」
「私ら他人から見たらバカップル?」
「そうかもね」
角成と海香は笑い合う。
角成はおむすびを、ペットボトルのお茶で流し込むように食べ、
「お祓いの続きはそこの公園でするから」そう言った。
海香のスマホはファミリーレストランで角成が般若心経ナフキンを巻いたまま持ってきている。
一旦角成がナフキンを外してみたが、まだディスプレイにいくつかの眼が浮き出たり消えたりしている。
海香が横から覗き込み、
「ひぇ~」とだけ言った。
不気味な眼なのに、少し慣れたようだ。
角成は大神様の牙笛をイヤホンのように耳に刺す。
[ヘ~イ、かっくん、いつでもいいよ。合図してくれたら、華々しく携帯の中の目ん玉消すよ~]
般若さんの言った通り、目々連の正体は大神様だった。
(合図、合図って何???、どういう合図を、どうすればいいの?)
角成は考えた。
「海香さんのスマホなんで、最後は海香さん、持ち主自身のダメ押しがこのお祓いに必要なんですけど、力を……、海香さんの力を貸してもらえますか?」
「う、うん。でもこっちに返ってけえへん?」
「はい、それは保障します」
[なんぼでも保障したげて。神様が祟ったら、秋に大手振って出雲に行かれへん。……行ったことないけど]
大神様が茶々を入れる。
「じゃ、一応どうするかを説明しますね」
角成の言葉に海香はうつむいて小さく「うん」とだけ答えた。
[それナイスアイデアやん。このお嬢ちゃんに説明する=こっちにもにも説明、おぬしもなかなかワルよのぉ]
時代劇好きなのは、葛葉おばあちゃんの影響だろう。
角成も同じ理由で時代劇は大好きだ。
二人はジャングルジムの横で向かい合う。
「海香さん、合掌して下さい。そして両の指先を付けたままで少しだけ、手のひらで卵一つ挟めるくらいでいいです、少しだけ手のひらを開いて下さい。そうです、それが正しい合掌です」
海香は神妙な面持ちで角成の指示に従う。
「そうしたら今度はへそのすぐ下に力を入れて、お腹を引っ込めて下さい。そして、
一旦肩に力を入れてぐっと上げて、手のひらは付けたままストンとおへその前まで落として下さい」
海香の肩に力が入っていたのがこれでスッと抜ける。
角成が海香の左肩に右手を置く。
「そのまま目をつぶって、大きく深呼吸を三回しましょうか。それと手をみぞおちくらいの高さが一番安定するんで、その辺りで止めて下さい」
海香は言われるとおりにする。
「さ、目を開いてみて下さい。さっきより明るくなってますか?」
「ホンマや明るい」
この日は新月なので、星明りと街灯の光しかない。
だが、夜目=暗順応は、目を瞑るといっそう順応し、集中するともっと順応する。
まさに海香はその状態、なだけであった。
「海香さん、僕の合掌した手のひらの中に海香さんの、般若心経で魔物を封じたスマホを持つので、海香さんは何度か深呼吸して『今だっ!』と思ったら僕の手を下から軽く叩いて下さい。そん時に般若心経に魔物だけ包んで空中へ放り出して、……そこを僕がコレで退治します」
角成はそう言って、ファミリーレストランからいただいて来た、爪楊枝三本を出した。
「僕も精神統一するから、ちょっと待って下さいね」
角成はそう言って、目を瞑り心の中で大神様に話しかける。
(大神様っておきくさんと仲いい?)
[まあ、悪かないよ]
(んじゃ、こんな感じでおきくさんに連絡取れる?)
[取れるかどうかはおきくさん次第、うん、今無理っ! 返事聞こえん]
(速っ! 本当に無理?)
[無理なもんは無理。ガタガタ言うてると神罰か仏罰かそれ以外の罰、どれでも好きなん当てるよ~]
角成は自力で何とかするしかない、……ようだった。
あれから板に割り箸を投げる訓練を続けているが、板に刺さったのはおきくさんに操られた一回、あれだけだった。
しかも今回は爪楊枝。
角成の自信が揺らぐ……、どころか、もともとありもしない自信には揺らぎようすらなかった。
(大神様、お願いっ! これから僕の言う段取りが可能か不可能か教えて)
[はいよ、手短かにね]
角成は自分が思い描いたことを大神様に伝える。
[おもろいこと考えるねぇ~]
(で、無理? それともできそう?)
[かっくん神様なめてる? それくらいできひんかったら神様の看板、遠ぉっくの昔に降ろしてるよ。尻尾でしばかれたなかったら、黙って任しといて]
(ホントに? よっしゃ、じゃ、それでお願い)
[でも的当ては無理やよ。そっちは守備範囲外]
(え、? じゃ、自力で?)
[そういうことぉ~。爪楊枝は箸と違ぉて、先が尖って刺さりやすい、やよ。がんばって、カクナリ]
角成がそっと目を開く。
彼女、海香は高校生、まだ十七歳である。
まだ十七年しか人生経験がない、角成より一年多いだけだ。
過去のことなどどうでもいい。
角成は、今の海香の力になりたかった。
今からすることで、根本解決、などないことは角成も海香も百も二百の承知している。
ただ、誰かがそばで自分のために何かしてくれたら、それだけで、微力でもその人の生きる力になってくれれば、角成はそう考えた。
だが、自信などない、ただそこにあるのは目の前にいる人を救いたい、救うのが無理ならば、彼女の人生の重荷を少しだけでも軽くする手伝いをしたい……。
それほど大それたことでなくてもいい、微力でもいい、自分が力になれることがあるなら、それで彼女が少しでも楽になるなら……。
……ただそれだけで良かった。
牙笛を耳から抜き、首から提げる。
息を吐くことのみに集中した深呼吸。
角成の中で力が高まるのを感じる。
爪楊枝を三本横にくわえ、そっとスマホを持ち、合掌した手の中に包み込んだ。
角成が静かに言う。
「いつでもどうぞ」
海香が静かに深呼吸する。
角成が海香の呼吸のリズムを合わせる。
二人の呼吸がぴたりと合って三回目の呼気時、海香の手は角成の合掌した手を下から軽く打った。
「パサッ!」
紙ナフキンが……、
……紙ナフキンだけが、薄ぼんやり輝きながら中空に舞い上がった。
角成が素早く三本の爪楊枝を指の間に挟み、紙ナフキンに投げる。
「パス パス パスッ!」
小気味の良い音が響き、爪楊枝が三本とも刺さる。
爪楊枝のささった紙ナフキンがゆらゆら落ちる。
そして、地面に落ちたナフキンが不思議なことに静かに発火した。
ゆっくりと燃え上がるナフキンの般若心経が、鮮やかに浮かび上がる。
……そして、断末魔のような叫びを残し、炎は消えた。
角成が、
「タバスコの臭いが少し染み込んでるけど、これ」そう言って海香にスマホを返す。
まばたきも呼吸することすら忘れていた海香が、うんうんとうなずきながら受け取る。
海香が静かにスマホのロック画面を解除する。
しばらく眺めていたが、ディスプレイに規定のもの以外は、表示されていなかった。
「私、なんてこと……」
ベンチに座って話す海香の声が震える。
「子供の頃だけならまだしも、昨日も今日もあんなことして。せやのにあんたは優しくて、昔と変わりなく優しくて、しかも私のためにあんなに必死になって」
海香はがっくりと肩を落とした。
「あんた、河内クン覚えてる? 私がドブに指輪落としたって言うた時……」
角成は記憶の底を浚うようにして、やっと思い出した。
***
あれは角成が小学校四年生か五年生の時だっただろうか、海香が側溝の横で泣いていた。
角成は若菜や海香との約束も忘れて、
「どうしたの?」と聞くと、
「大事な指輪落とした」と海香は言った。
角成はランドセルを道端に置き、靴のままドブに入り一生懸命探した。
泣いている海香のために、ただそれだけの理由でひどい臭いも気にせず探した。
だが海香はそこに指輪を落としてなどいない。
それは嘘だった。
泣いていたのは、母が腹立ち紛れに、理不尽に海香を殴ったからだ。
しかし海香は、最初その角成の純粋な行動に苛立ち、非情にも上から砂を蹴った。
だが角成は、それすら気にせず一心不乱に、異臭のするネズミ色の水の中を、丹念に手探りした。
何度砂を掛けられても角成は全く気にせず探し続け、そしてもう日が暮れそうな時に、
「あった、海香さん、あった」角成は鈍い輝きを放つ指輪を持っていた。
「良かったね、海香さん」
そう言った角成の笑顔、素直な笑顔が眩しかった。
それと同時に、海香は自分の心根の薄汚さに愕然とした。
海香は礼も言わずに指輪を受け取ると、さっさと帰ろうとした。
角成は満足そうな顔で、数十メートル以上向こうにあるランドセルを置いた所まで、ドブの水が入った靴をタプタプ鳴らしながら走って行く。
だが海香は角成を追い越してランドセルの所に行き、
「これいらん」そう言って、指輪を角成に差し出す。
角成は何を言われているのかわからない。
「ごめん私…………」
海香は泣いた。
何の打算・計算もなく、ただただ自分が惨めで、ただただ情け無くて泣いた。
そのとき角成が言った言葉は、
「海香さん泣かないで」だった。
飾りのない、素直な気持ちの、たった一言。
だが、その素直な言葉が海香の心を打った。
そして海香は角成に指輪は自分のではない、全て嘘だったことを話し、
「だからこれ、あんたのやから」と、角成に指輪を渡そうとした。
しかし角成は、
「海香さんのために探したんだから、これは海香さんのものだ、と思う」と譲らなかった。
***
「覚えてる?」
「う~ん、ごめん、思い出せない」
今回は角成が嘘をついた。
海香は胸元からネックレスを出し、
「ほら、これ」
あの時の指輪がボールチェーンのネックレスに付いていた。
「こんなでしたっけ?」
「そのうれしそうな顔、あの時と全く変わってない。やっぱり覚えててくれたんや。ホントに優しいね」
角成は、
「あっ」と言って、ばつが悪そうに頭をかく。
「私ね、紙に書かされたから河内クンに嫌がらせせえへんようになったんと違うよ。この指輪の一件があったからなんよ。私が言うのもおかしいけど、それから河内クンの悪い噂消すのも私なりに頑張ったんよ。……あんまし効果なかったけど、ごめんね」
角成は自分に関することなのに、この時初めて知った。
二人は公園のベンチに並んで腰掛けている。
「私、……実は昨日死んでたんよ」
「えっ?」
角成は、
(まさかそんな?)と思い驚きの大声を上げた。
「昨日あんた、河内クンに会わへんかったら確実に死んでたわ」
角成は、生物学的に物凄く重要な意味で、ホッとする。
「もうね、何もかんも、もおどおでも良くなって、死んで親に後悔させたろ、って思て、それでフラフラ歩いてたら河内クン見つけてん。それであんな絡み方してしもて、今更やけどゴメンね」
角成は黙ってにこやかな顔を、海香に向けた。
「でも私の中のもう一人の私が河内クンに賭けてたんやと思う。この指輪の時の河内クンみたいに、何とかしてくれるかも、私のこと助けてくれるかも、救ってくれるかもって、どっかで期待してたんやと思う。どこまでも勝手やね、私って」
角成は黙っている。
「やっぱり今回も河内クンに助けてもらって、……違う違うッ! 河内クンに命救ってもらって、何てお礼言うて、どうやってお礼したらええのかわからんわ」
角成は『お礼なんて……』という言葉を飲み込み、その替わりに、
「じゃ、お願い聞いてくれる?」と言った。
「なに? なんでも言うて」
「これから海香さんなりでいいから努力して、幸せになって」
海香は黙っている。
「これから良い彼氏を見つけて、幸せな結婚をして、子供を育てて幸せな家庭を作るって、それが僕からのお願い」
「私なりにか…………、」
海香は決心したように涙を拭いて、
「……うん、頑張ってみる」そう言った。
「厚かましいついでに、最後に一つだけいい?」
海香が聞いた。
「何?」
「今からラインする」
角成は、
(こんなに近くにいるなら話せば良いのに)と思ったが、黙って待った。
メッセージが来た。
『今日はありがとう
もう思い残すことは何もありません
さようなら
私が死んでも私のこと忘れないでね』
角成が
「だめだめだめだめだめ」と必死に焦る。
「違うの、これでパパがどう出るんか知りたいんよ」
そう言って焦る角成をなだめようと、海香は角成の腕をトントンと叩いた。
海香が、
「いゃーっ! 大丈夫?」突然大きな声を上げた。
角成は突然の海香の奇声に驚く。
「きっ、切れてる手首のところ」
角成は海香が指差す自分の手首の手の甲側を、腕時計を見るように見て我が事ながら冷静に驚く。
「あっ、ホント。切れてる」
角成の左手首の甲側が三センチほど、表皮が切れている。
幸い傷は浅いようで、血はうっすらとしか出ていないし、痛みもほとんど無い。
角成は『いつ?』疑問に思い考える。
限界ほど集中していた時の記憶は案外巻き戻せるものである。
角成は衝撃を感じた瞬間をすぐに思い出す。
(紙ナフキンが宙に舞い上がった時だ。確かにその時、腕になんか当たった)
そして角成は、
(大神様って力強過ぎ。加減なしかぁ)
不満混じりにそう思った。
海香が急いで公園の水道まで角成を引っ張って行き、傷口を優しく洗う。
とりあえずは大丈夫そうなので角成たちはベンチに戻る。
「安心して、この傷はホントに浅いから」
「うん、私も、さっきのラインは全く本気じゃないから安心して」
「うん、わかった」
角成がそっと耳に牙笛を持っていく。
[仕上げして帰りや~]
(仕上げ? 何それ?)
[さっきの灰とけし炭、華々しく始末して、それで仕上げにしましょ~]
角成は何を言われているかサッパリわからなかった。
[よく聞いて、集中したら灰に向かって指さして。後のことはこっちに任して]
ここは『かーみーさーまーのー言―うーとぉーおーりっ』が妥当だろう。
角成は海香に、
「さっ、後始末して帰ろっか」と言い、立ち上がり合掌し静かに目を閉じる。
手首の痛みはほとんどない。
意識の高まりを感じた角成は『ビシッ!』と灰に向けて指をさした。
小さな竜巻が起こり、灰と砂と爪楊枝の炭を巻き上げる。
その竜巻は小さいが、どこまでもどこまでも、まるで龍がうねりながら天に昇るかのような威厳のある動きであった。
海香は空を見上げて放心している。
そして角成も横で同じように、
(大神様すっげぇ~~)
と、口をポッカリ開けて放心していた。
角成が海香を送って行く時に、主に二つのことを話した。
一つは、近いうちに母親とも離れて一人暮らしする。
「今のままではダメになるのを、待ってるだけやから……」
そこから脱出し、自分で自分の運命を良い方に変えるには、精神的にも経済的にも大変だろうが、自立して一人で暮らすこと以外にない、という事だそうだ。
それと、もう一つの話題。
こっちは角成にとってにわかには信じ難い話だった。
「玄宗さんが来ると思ってたのに、あんなチンケなオバハンが来るとは思ってなかった」
この言葉を角成は何度も聞き返した。
だが、何度聞いても海香は般若さん、半田さんのことを、
「ホントにお世話になっておきながら申し訳ないけど……」と前置きし、
「貧相なさえないオバハン」と言った。
最初角成は、
(同性の目って厳しいって言うけど?)と思ったが、そうではないらしい。
次に思ったのは、
(嫉妬? あんましキレイなんで嫉妬かな?)と思い聞いてみたが、
「あの人に嫉妬? ひょっとして河内クンって老け専? ブス専?」
とキョトンとした顔でそう言った。
これは本当に嫉妬ではないようなので、芸能人に譬えてもらうと、
「あんな貧相な目立たない人、有名人にはいない」と海香は言った。
角成は何度も間近に般若さんを見ているが、(仁村 紗〇さんに似ていると思っている。
角成は、全く違う人のことを話しているような感じがした。
ちなみに海香も角成も視力は、両眼とも1.2である。
(人の美的感覚の違いとはこうも幅があるものなのか?)
角成はそう思おうと、
……必死に努力は、した。
第三章 第四節 対峙・対自・退治 その3 終




