89話 アニーの目的は...
俺はしゃがみ込み、両手を地面へつけた。
次の瞬間――。
止まっていた世界が、一気に動き出す。
怒号が戻る。
馬の蹄の音。
人々のざわめき。
風に揺れる旗。
まるで音という音が一斉に押し寄せ、静寂だった世界を塗り潰した。
「お前達! そこで何をしている!」
異変に気づいた兵士が目を見開き、慌てて駆け寄ってくる。
そのまま槍の柄で俺達の胸を押し返した。
「下がれ!」
「罪人に近づくな!」
「何もしてねぇよ!」
シルが苛立ったように言い返す。
「見てただけだ!」
「押すな!」
兵士は怪訝そうな顔をしながらも、俺達を人混みの中へ押し戻していく。
その間も俺は、罪人馬車から目を離さなかった。
鉄格子の奥。
アインが真っ直ぐ俺を見つめている。
その姿が、少しずつ遠ざかっていく。
やがて人混みに遮られ、完全に見えなくなった。
俺達はそのまま人の流れに押されながら後退し、人混みをかき分けて広場の外へ出る。
ようやく人の少ない場所まで来たところで、
息を切らしたアニーが駆け寄ってきた。
「何が起きたんですか!?」
呼吸を整えながら俺達を見回す。
「気がついたら三人が兵士と揉めていて……」
「さっきまで目の前にいたはずなのに!」
興奮した様子で身振り手振りを交えながら話している。
その姿を見たシルは、アニーの前に立った。
「お散歩はここまでだ」
その一言で、アニーの表情が目に見えて曇る。
しゅんと肩を落とし、何か言いたそうに俺達を見つめていた。
シルは俺へ視線を向ける。
「……行くんだろ?」
「ああ」
俺は短く頷く。
「海沿いの731番……」
アインが教えてくれた場所。
そこへ行けば、弟子のラスティがいる。
「時間魔法の研究資料……興味があります」
カイルの声は少し弾んでいた。
研究者として興味を抑えきれないのだろう。
だが、その表情はすぐ曇る。
「……アインさんの話だと、弟子のラスティという方は命を狙われているんですよね……」
確認するような口調だった。
「そうだな」
俺は頷く。
「ラスティが消される前に会いに行く」
そう言ってから、二人へ視線を向ける。
「お前らはどうする?」
シルとカイルは顔を見合わせる。
そして、揃ってぽかんとした。
「……は?」
シルが呆れたように眉をひそめる。
「行くに決まってんだろ?」
「当たり前です!」
カイルも即答した。
二人とも、「今さら何を言ってるんだ」という顔をしている。
「……そうか」
思わず苦笑いが漏れた。
拍子抜けだった。
シルのことだ、『アタシに何のメリットがある?』とか言われるかと思った。
カイルだって、魔石を手に入れたんだ。すぐにでもスクロールを作れる環境を探したいはずだ。
けど、二人は当然のように着いてくると言った。
俺はそのまま海岸の方角へ歩き出す。
その時、不思議な感覚に包まれた。
――この感じ。
覚えがある。
学生時代、いつも一緒につるんでいた友人達。
「一緒に行くか?」
なんて確認したことはなかった。
気づけば集まって。
気づけば一緒に行動していた。
それが当たり前だった。
だけど、大人になるにつれて、その時間は少しずつ減っていった。
みんな目の前の生活に必死になって。
仕事があって。
家庭があって。
昔みたいに集まることなんて、ほとんどなくなった。
それが自然なんだと、納得していた。
……忘れていた感覚だった。
まるで、心を許せる友人ができたみたいな。
そんな感覚。
「私も連れていって!」
突然、後ろからアニーの声が響く。
振り返る。
そこには、必死な表情で俺を見つめるアニーが立っていた。
その目は、まるで何かに縋るようだった。
「危険です!」
すぐにカイルが声を上げる。
シルは腰へ手を当て、深いため息をつきながら天を仰いだ。
「何が危険なの?」
アニーは引き下がらない。
「時間魔法の研究って何?」
「アインという探し人は無罪で、しかも他に命を狙われている人がいるのよね?」
一歩踏み出し、俺達を見つめる。
「皆は、いつの間にそれを知ったの?」
さっきまでの出来事。
自分が見たもの。
聞いたもの。
それらを繋ぎ合わせ、核心へ迫るような質問を投げかけてくる。
……意外だった。
浮き足立っていて、周りなんて何も見えていない。
そんなお嬢様だと思っていた。
だけど違う。
ちゃんと見ていた。
ちゃんと考えていた。
俺は困ったように頭をかく。
「俺は――」
そう口を開きかけた、その時だった。
「アニー」
シルが俺の言葉を遮る。
真っ直ぐアニーを見据え、静かに問いかけた。
「アンタの目的は何だ?」
「目的……」
アニーは小さくそう呟くと、俯いた。
少しの沈黙。
やがて、胸の内を整理するようにゆっくりと話し始める。
「貴方達を見ていて……羨ましいと思った」
その声は、とても静かだった。
「それぞれがバラバラの価値観や個性を持っているのに、とても信頼し合っている」
「お互いを受け入れ合って、自由に振る舞うことが許されている……」
アニーは俺達一人ひとりへ視線を向ける。
「そして、得体の知れない私ですら、貴方達は快く受け入れて」
「知らない世界を見せてくれた」
「知らないことを教えてくれた」
そう言って、自分の足元へ視線を落とす。
靴を、愛おしそうに見つめながら微笑んだ。
「この靴を履いた時……まるで、生まれ変わったような気持ちになった」
アニーはぎゅっと拳を握る。
「我儘を言って困らせていることは、わかっているの」
「受け入れてもらえないなら····諦める」
一度言葉を切り、大きく息を吸う。
そして、真っ直ぐ俺達を見据えた。
「でも……私、もっと色々なことを見て、知りたい」
「決められたことに従うんじゃなくて……」
「どうしたいのか、自分で決めたい!」
その言葉が、静かな路地に響いた。
シルが低い声で問いかける。
「……その結果、命を失うことになっても?」
自由か。
死か。
極端な問いだった。
アニーの瞳が大きく揺れる。
怖くないはずがない。
迷いがないはずもない。
それでも――。
「私は……」
震える声で、それでもはっきりと言い切った。
「誰かの操り人形として死ぬくらいなら……」
「自分で選んだ道を歩いた先で死ぬことを選びます!」
その場に沈黙が落ちた。
シルは何も言わない。
ただ黙って、アニーの目を見つめ続ける。
まるで、その覚悟が本物なのか見極めているようだった。
数秒後。
シルはふっと肩の力を抜く。
「……そうか」
短く息を吐き、口元を少しだけ緩めた。
「それなら好きにしな」
「アタシは構わない」
……意外だった。
今回のアニーの要求は、数時間だけ関わるのと訳が違う。
これまで貴族に対して警戒していたシルだ。
何を言われても絶対に反対すると思っていた。
問答無用で突き放すものだと。
そんな俺の予想は、あっさり外れた。
「けど、本当に何かあったら……」
カイルが不安そうにおろおろし始める。
するとシルが呆れたように鼻で笑った。
「おいおい」
「ゼルフィナード家の男がオロオロすんな」
「守ってやるくらいの気概を持てよ」
皮肉っぽく笑ったあと、思い出したように付け加える。
「……おっと、元だったな!」
その言葉に、アニーが驚いたようにカイルを見る。
「ゼルフィナード家……?」
「兄達と僕は違います!」
カイルは慌てて否定した。
「僕が闘えたら、今ここにはいません!」
何故か自分の弱さを誇示するように胸を張って叫ぶ。
(……いや、胸を張るところじゃないだろ)
そして、アニーは少し不安そうに俺を見る。
「好きにすればいい」
その一言を聞くと、アニーは胸へ手を当て、大きく安堵したように頷いた。
「ところで」
シルが眉間に皺を寄せる。
「海岸沿いの731番って、どっち方面だ?」
「任せてください」
カイルは即座に鞄を開き、一枚の地図を取り出して広げた。
その準備の良さに、シルが思わず感心する。
「カイル……いつの間に。お前ってやつは!」
「なんて使える奴なんだ!」
カイルはぱっと笑顔になった。
嬉しそうに頬を緩めている。
その様子を見て、俺は思わず口を挟んだ。
「いや、褒められてないからな?」
「え!? そうなんですか?」
カイルが本気で驚く。
「いや……まあ」
「ああ言われて、お前が嬉しいなら、それでいいと思うぞ」
「シルさん!?」
シルは頭をぽりぽりと掻きながら、少し照れくさそうに笑った。
「言い間違えたんだよ」
「アタシは、頼りになるって言いたかったんだ」
そのやり取りを見ていたアニーが、堪えきれなくなったようにくすくすと笑い始める。
さっきまで張り詰めていた空気は、いつの間にかどこかへ消えていた。




