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86話 捨てられた靴...


「ところでアニー」


シルが真剣な表情で声をかける。


「アンタ、今いくら持ってんだ?」


「え?」


アニーはきょとんとした顔をした後、何の迷いもなく腰に下げていた上等な革袋を差し出した。


「これです」


シルはそれを受け取り、中を覗き込む。


そして──固まった。


「…………」


しばらく無言のまま袋を閉じると、そのままアニーへ返す。


「……まぁ、見なかったことにしよう」


何が入っていたのかは聞かない方が良さそうだ。


「行くよ」


シルは踵を返した。


「まずはアニーの靴だ」


「靴?」


俺が聞き返すと、シルはアニーの足元を顎で示す。


「見世物みたいな靴履いてるだろ」


改めて見る。


服装には似合わない、銀色の靴。

細かな装飾で縁取られ小さいくせに重そうだ。


「歩くことを想定して作られてねぇんだよ。歩く度にカツカツとうるせぇし」


「そんな靴で歩き回れるわけねぇだろ」


言われてみれば、さっきから足音だけ妙に響いていた。


俺達は一軒の大きな靴屋の前までやって来た。


(ここで買うのか)


そう思った次の瞬間。


シルはその店には入らず、正面の露店へ向かった。


並んでいた中古の革靴を一足手に取る。


「その靴を買うの?」


アニーが不思議そうに首を傾げた。


「ああ」


シルは頷く。


「中古の安物だ」


そう言って自分の懐から銅貨を払い、その靴を当たり前のように俺へ渡してきた。


もう言葉はいらない。


俺は靴に手を添え、時間を巻き戻す。


毛羽立っていた革は艶を取り戻し、寄れていた形は整い、擦り減っていた靴底は厚みを増していく。


みるみる新品同然の姿へ戻っていった。



シルは近くの石段を指差す。


「座んな」


アニーは素直に腰を下ろした。


「靴、脱いでみろ」


シルに命令されるがまま、ゆっくり銀色の靴を脱ぐ。


その瞬間だった。


「ほら見たことか」


シルが腕を組む。


アニーの足は痛々しかった。


指先は赤く爛れ、足の甲は何か所も皮が剥けている。


「こんな足でよくアタシ達について来れたもんだ」


その言葉に、アニーは申し訳なさそうに俯いた。


「大変だ!治癒院へ行きましょう」


カイルがすぐに口を開く。


しかし、


「ダメです!」


アニーは首を横に振った。


「たかが靴擦れで何が治癒院だよ」


俺は鼻で笑い、アニーの足へ手を伸ばす。


「な、何を……」


言葉が終わるより早く、俺は足から手を離した。


赤く腫れていた指先。


剥けていた皮膚。


その全てが、最初から何もなかったかのように消えていた。


「……!」


アニーは思わず両手で口を覆う。


目を潤ませながら、自分の足を何度も見つめている。


煌びやかな靴でボロボロになった足、きっと、あんなふうになるまで歩いた事なんてないはずだ。


俺は修復した革靴をその足へ履かせた。


「あれ?この靴···こんなに綺麗でしたか?」


俺はその言葉を聞き流し


「立ってみろよ」

とアニーに言う。


恐る恐る立ち上がるアニー。


一歩踏み出す。


もう一歩。


そして驚いたように目を見開いた。


「軽い……」


嬉しそうな声が漏れる。


「それに、とっても柔らかくて……足が全然痛くないわ!」


その場で何度も足を動かしている。


シルは当然だと言わんばかりに鼻を鳴らした。


「ブラックボアの皮だ」


「柔らかくて弾力がある。肉は臭くて食えねぇけど、皮は牛より上等だな」


「皮以外使い道もないうえ、凶暴な生き物だ。危険を犯してまで狩っても利益は大きくない。滅多に出回らない珍しい素材だ」


シルはアニーの履いてる靴を見た後、俺を見る。


「まぁ、あそこまでボロボロになってたら、そこらの革靴より履き心地は悪いが···」


「こっちには、不滅の魔法士様がいるしな」


小声で小馬鹿にするように言ってくる。


「新品になりゃ、誰だって履き心地で違いがわかる」


まるで当たり前のことを話すような口調だ。

けど、シルは履く事もなく、あのボロボロの状態で、手に取るとすぐに価値のあるものだと判断したわけだ。



アニーは嬉しそうに何度も足を動かす。


「こんなに履き心地のいい靴があるのね!」


「ありがとう!」


満面の笑みだった。


そのまま石段を上り、欄干に手をかける。


そして手に持っていた銀色の靴を──


海へ放り投げた。


「あー!!」


シルが叫ぶ。


夕陽を浴びた靴はきらきらと光を反射しながら弧を描き、そのまま波へ飲み込まれていく。


「···もったいねぇ。売れば高値が付いたぞ」


ションボリするシルを見てアニーは、くすりと笑った。


莫大な金と権力を持つアニーの悩みなんて、俺には想像すらできない。


けど、誰だって現状から逃げ出したくなる事はある。

それだけは痛い程理解できた。


そんな事を考えながらアニーを見ていたら、妙な視線に気づいた。


カイルだ。


輝いた目で俺を見つめている。


「なんだよ···」


「やはり、貴方の能力は···素晴らしいです···」


その続きを遮るように

「足も治った!靴も買った!アイン探しの続きだ」


カイルはハッとしたように空を見上げる。


「そうですね、暗くなる前に街の中心へ向かいましょうか」


「賛成」


シルはすぐ頷く。


そして次の瞬間には、


「飯だ、飯!」


……結局、それしか考えていない。


思わず笑ってしまう。


アニーも楽しそうに頷いた。


こうして俺達四人は、灯りがともり始めた街の中心へ向かって歩き出した。


道中、カイルとアニーは難しい話で盛り上がっていた。


政治や経済の話はもちろん、いつの間にか話題は魔法研究へと移っている。


アニーは、カイルの知識の深さに感心したように何度も頷き、目を輝かせながら話に聞き入っていた。


同じような環境で育ってきたからなのか。


二人は驚くほど気が合うらしい。


そんな会話を後ろで聞いていたシルが、げんなりしたように額へ手を当てた。


「頭痛くなってきた……」


「教養ないんだから無理すんな」


俺が茶化すと、シルはジト目を向けてくる。


「アンタだってアタシと同じようなもんだろ?」


「俺は常識はないかもしれないが、教養はあるぞ?」


一応、大学までは出てるからな。


「なら、あっちで話してこいよ!」


シルは不貞腐れたように言い返した。


「そしたら、お前が仲間外れみたいで哀れだろ?」


わざとらしく眉を下げてみせる。


シルは唇を噛み、悔しそうな顔を浮かべた。


言い返したいのに言い返せない。


そんな表情が妙に面白い。


思わず吹き出した。


「冗談だよ」


「単純に、政治や経済なんて興味がない」


「こうして知らない景色を眺めながら歩いてる方が、ずっと面白い」


しばらく歩くと、視界がぱっと開けた。


重厚感のある建物に囲まれた大きな広場。


その中央を囲むように、無数の屋台が並んでいる。


頭上には紐が何本も張られ、吊り下げられた光の魔道具が赤や青、緑へと次々に色を変えていた。


まるでクリスマスツリーみたいだ。


「わぁ!」


アニーが思わず手を叩く。


「あれは何?」


「これは美味しいのかしら?」


目に映るもの全てが珍しいのだろう。


あっちを見ては足を止め、こっちを見ては目を輝かせる。


まるで縁日ではしゃぐ子供だった。


一方その頃。


「いただき!」


シルは誰よりも早く屋台へ突撃し、ちゃっかり肉焼きを手に入れていた。


……相変わらず行動が早い。


俺は財布代わりの袋から銀貨を数枚取り出し、アニーへ差し出す。


「ほら」


「え?」


戸惑ったように俺と銀貨を交互に見つめる。


「これで好きな物でも買ってこい」


「ですが、お金なら……」


金貨を出そうとしたのか。


「屋台じゃ金貨どころか、大銀貨でも迷惑だぞ」


「屋台で使うなら、これくらいがちょうどいい」


「気になる物を買ってみたらどうだ?」


アニーは素直に銀貨を受け取ると、大事そうに両手で包み込んだ。


「……いいんですか?」


瞳がきらきらと輝いている。


「あぁ」


短く答える。


その姿を見て、不意に昔のことを思い出した。


子供の頃、妹と近所の縁日へ行った日のことだ。


慣れない下駄を履いた妹は靴擦れを起こしてしまい、帰り道では痛いと泣きじゃくっていた。


結局、汗だくになりながら家までおんぶして帰ったっけ。


……母さんや妹は元気にしてるんだろうか。


もう二度と会えない場所まで来てしまった。今さら気にしたところで遅すぎる。


「あれは……」


カイルの声で我に返る。


視線の先では、崩れた建物が黒く残っていた。

屋台のものではない、焦げた匂いが鼻につく。


見た瞬間に理解する。


爆破事件があったのは、あそこか。

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