85話 謎の女アニー...
「透明魔石、たくさん手に入りました!」
待ち合わせ場所へ着くなり、カイルが満面の笑みで駆け寄ってきた。
肩から提げた鞄はぱんぱんに膨らんでいる。
「買えたのか?」
「買ったと言っていいのか……引き取ったと言っていいのか……」
カイルは苦笑する。
「透明の魔石のオマケで、倉庫に眠っていた濁った魔石をたくさん譲ってくださいました」
なるほど。
その言い方だけで、相当安く手に入ったことが伝わってくる。
研究用としては願ってもない成果だ。
「よかったじゃ――」
そこまで言って、カイルの視線が俺達の後ろで止まった。
「……そちらの女性は?」
その言葉に振り返る。
少し離れた場所で、例の女性が申し訳なさそうに立っていた。
「何でついてくるんだ?」
俺が尋ねると、女性は肩をびくりと震わせる。
「あっ……」
気まずそうに視線を泳がせ、しばらく口を開いたり閉じたりしていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「私は……アニーといいます」
「後をつけたりしてしまって、申し訳ありませんでした」
そう言って頭を下げると、アニーは少し言いづらそうに続けた。
「あの……実は私、この街のことをよく知らなくて……」
「その……少しの間だけで構いません」
「どこでもいいので、街を一緒に歩いてくださいませんか?」
一緒に観光したいってことか?
「もちろん、お礼は――」
そう言ってアニーが差し出したのは、一枚の金色に輝く硬貨だった。
その瞬間だった。
「バカか!」
シルが慌ててアニーの手を掴む。
「こんなモン、人前で見せびらかすように出すんじゃねぇ!」
アニーは目を丸くした。
カイルも驚いたように瞬きを繰り返している。
俺だけが状況についていけない。
「……なぁ」
俺はカイルへ顔を向けた。
「そんなにヤバい金なのか?」
カイルはコクリと頷く。
「大金貨です」
「大金貨?」
「金貨百枚分の価値があります」
「……ん?」
俺は首を傾げる。
「金貨ってどれくらいだ?」
「大銀貨百枚で金貨一枚です」
「銅貨が100円くらいだろ……銅貨十枚で銀貨一枚……銀貨十枚で大銀貨一枚……」
頭の中で計算する。
大銀貨百枚で金貨一枚。
その金貨が百枚。
つまり一千万円?!
(一千万円をいきなり目の前に出したってことか?!)
カイルが苦笑混じりに言う。
「ぽんと出せる金額ではありません……」
俺は思わずアニーを見る。
本人は何が悪かったのかわからない様子で、おろおろしていた。
「ステータスでも見てみるか」
そう呟くと、
「やめときな」
シルが小声で俺を制した。
「何でだよ」
「馬鹿か」
シルは周囲へ聞こえないよう、さらに声を潜める。
「見なくてもわかるだろ」
「どこぞの貴族だ」
俺はアニーへ目を向ける。
「お忍びってことか……」
「違う」
シルは即答した。
「あれはお忍びじゃねぇ」
「逃げてる」
その一言に思わず息を呑む。
「姿まで変えて、何から逃げてるのかは知らねぇ」
「けど、街を一緒に歩いてほしいだなんて。世間知らずのお嬢様が従者や侍女から逃げて大冒険してんのかもな?」
シルは眉間に皺を寄せる。
「もちろん、これはアタシの予想だ。本人も何も言ってねぇし、どこの家の人間かもわからない」
「だから今は、ただの旅人として扱える」
そして俺を真っ直ぐ見る。
「でも、ステータスを見て家名までわかっちまったら話は別だ」
「その瞬間、この女を貴族として扱わざるをえなくなる」
「逃げ出したお嬢様のお守りなんて御免だよ」
「下手したら誘拐犯にされる」
そこまで言うシルの表情は、本気で怯えていた。初めて見るくらい真剣な顔だった。
一方のアニーはというと。
シルに怒られたのがよほど堪えたのか、大金貨を慌ててしまい込み、小さく俯いている。
「なぁ」
俺も声を潜める。
「これ、同じことを他の奴にやったらどうなる?」
シルは苦い顔をした。
「さあな」
「アタシみたく気づいた奴からは避けられるかもしれねぇ」
少し間を置いて続ける。
「けど、相手次第だ。気づいたとしても護衛もお付きの者もいないんだ」
「見るからに世間知らずの、気弱なお嬢様」
「やる事やってトンズラしちまえば終わり」
「誘拐」
「略奪」
「詐欺」
一つずつ並べられる言葉が重い。
「場合によっては、もっと酷い目に遭うかもしれねぇ」
シルの表情が曇る。
俺も思わずアニーへ目を向けた。
本人は何も知らないまま、小さく俯いて立っている。
その姿は、あまりにも無防備だった。
「何で俺達なんだ?」
俺はアニーに率直な疑問をぶつけた。
この街には俺達以外にも人は大勢いる。
頼む相手なんて、探せばいくらでもいるはずだ。
アニーは少しだけ考え込むように視線を落とした。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「騙そうとしていた人から助けてくださった人が……悪い人なわけないと思ったんです」
「……たったそれだけ?」
「はい」
即答だった。
(これは……)
簡単に騙されそうだ。
俺は思わず額に手を当てる。
「最初は良い人を装って、後で悪いことをしようって考えてる奴だっているんだぞ?」
そう言うと、アニーは少しだけ驚いた表情を見せた。
「そうですね……」
一度頷き、穏やかな表情のまま続ける。
「けど、そう考えている人は、わざわざそんなこと言わないでしょう?」
返す言葉が見つからなかった。
シルの言うこともわかる。
正直、面倒だ。
だけど、このまま見捨てて、目の前の女性に最悪なことが起きたら……。
そう考えると、どうにも割り切れなかった。
言うなれば、大金を持った幼い子供が、海外の旅先で親も連れず無防備に歩き回っているような……。
事件に巻き込まれる可能性が高いとわかっていながら見捨てるような感覚に近い。
俺は大きくため息をつく。
「俺達は観光してるわけじゃない。人を探してるんだ」
アニーが真っ直ぐ俺を見る。
「それをわかった上で、一緒に歩くだけっていうなら好きについてくればいい」
その言葉を聞いた途端、アニーの表情がぱっと明るくなった。
「ありがとうございます!」
満面の笑みだった。
俺の横では、
「知らねぇからな!」
と、シルが額を押さえながら呆れたように言う。
カイルはというと、その表情を見る限り俺の意見に賛成らしい。
俺は改めてアニーへ向き直る。
「アニー、お前、貴族なんだろ?」
その一言で、その場の空気が一瞬にして凍りついた。
アニーの笑顔が消える。
「……何故、ですか?」
その声は、さっきまでとは違い少し沈んでいた。
「何でって」
俺は首を傾げる。
「もし貴族なら、カイルと話が合うんじゃないかと思ってさ」
親指でカイルを指し示す。
「こいつも貴族だ。元だけどな!」
突然話を振られたカイルが目を丸くする。
アニーも戸惑ったようにカイルを見た。
「え、……それだけ?」
「は?」
今度は俺が首を傾げる。
「それ以外に何かあんのか?」
少し間を置いて続ける。
「特別な配慮しろとか言うなら面倒だから、ついてくんなよ?」
こういうことは最初にはっきりさせておいた方がいい。
シルの見立ては正しいんだろう。
シルとカイルがヒヤヒヤしながら腫れ物みたいに接するくらいなら、いっそ貴族だと理解した上で、本人に了承を得て普通に接した方がずっと楽なはずだ。
俺の態度が不敬罪にあたるのか?
そんなこと、知るか。
たとえそうでも、俺は殺されたって死なないんだ。
この世界の貴族への礼儀なんて知ったこっちゃない。
「配慮なんて、いりません」
アニーは静かに答えた。
その返事に、シルは呆れたように笑う。
「ほんと、ルイは常識がねぇっつーか……怖いもの知らずっつーか……」
そう言うと、腕を組みアニーへ体を向けた。
「アタシはシルだ」
「お嬢様、言質は取ったからな?」
「後から不敬だ何だって騒がないでくれよな?」
「もちろん!」
アニーは力強く頷く。
「ルイとカイルとシル···に、私からお願いしたんです」
「けど……今頃従者が困って探し回っているんじゃ……」
カイルが現実的な話を切り出す。
「あーあーあー!」
シルは突然耳を塞いで大声を出した。
「アタシは今、何も聞いてねぇ!」
「アニーに頼まれて街を一緒に歩き回るだけだ!」
完全に現実逃避だった。
俺は思わず吹き出す。
笑いながらカイルの肩に腕を回した。
「気にしない方がいいことも、世の中にはたくさんあるんだよ」
「シルが言う通り、俺達はアニーに頼まれたから、街を一緒に歩くだけだ」




