73話 別れの時···
荷車を押す者。
袋ひとつを肩に担ぎ、足早に街を出る者。
大切な人の手を引き、抱きかかえ、誰もが慌ただしく門を目指していた。
鳴り響く警鐘。
飛び交う兵士たちの怒号。
それは避難訓練なんかじゃない。
本物の危機だ。
俺はその光景を眺めながら、隣に立つカイルへ視線を向けた。
カイルはどこか気まずそうに口を開く。
どうやら、今まで除籍をされているのか確かめる勇気がなかったらしい。
家族から捨てられた。
その事実と向き合うのが怖かったのだろう。
けれど、カイルはあの場で賭けに出た。
自分のためじゃない。
この街にいる全員を救うための賭けだ。
その話を聞いたシルは、ふぅ、と肩の力を抜いた。
「よく分かんねぇけど、つまりアンタ、もう貴族じゃねぇってことでいいんだな?」
カイルは苦笑しながら頷くと
「自分から申告して確認を取らなければ、魔水晶からもそのうち勝手に家名が削除されます」
「今回は、手続きがまだ完了されていなかった。運が味方した…って事ですね」
「しかしまぁ、とんでもねぇ奴が紛れ込んでたもんだ」
呆れたように言うシル。
その言葉にカイルは何も返さなかった。
そして、ダグ、リナ、それからノルの前へ進み出る。
カイルは膝をつき、頭を下げていた三人を立ち上がらせた。
俺はそんなやり取りを眺めていた。
慌ただしく動く街。
五人の会話。
まるで物語のワンシーンでも見ているような気分だった。
─────
ザンク亭へ戻ると、ダグ達は荷台へ荷物を積み込んだ。
俺たちもそれぞれ自分の部屋へ向かう。
代わり映えのない部屋。窓の外には、初めてこの街へ来た時に目にした鉱山が見えていた。
陽光を反射し、美しく輝いていた山。
今ではその景色が、どこか儚く見える。
俺は荷物を肩に担ぐと、静かに部屋を後にした。
大通りへ出ると、さっきまでの喧騒は嘘のように消えていた。
並ぶ空き家。
閉ざされた扉。
人影は一つもない。
そのまま門を目指して歩き続け、ゆっくりと街の外へ出た。
門をくぐると、少し離れた場所で住民の多くが腰を下ろしている。
行く当てがない者達だろう。
そこへ次々と騎馬が門の外へ飛び込んできた。
そして――
正午。
アイアンバレーの重い大門が閉ざされる。
鈍い音を響かせながら。
まるで街そのものに蓋をするように。
遅れて、台車に乗せられた人々も到着する。
病人、怪我人、老人。
そして、街と共に消える運命を選ぼうとしていた者たち。
理由はそれぞれだった。
俺は門の上へ登り、街を見渡す。
見上げれば空には太陽。
その傍らには、薄く浮かぶ二つの月。
ゆっくりと。
確実に。
互いの距離を縮めていた。
「よし!」
俺がパンと手を打つ。
すると周囲で待機していた兵士達が反応した。
その中からラドが一歩前へ出る。
「本当に行かれるのですか」
「ああ」
俺は頷く。
「カイルが話しただろ? 俺が行かなきゃ街の外まで被害が出るんだ」
「ここだって、確実に安全とは言えない」
その言葉に兵士たちの表情が強張る。
胸に当てた拳へ力が籠った。
「私はここにおります」
「この目で、見届けましょう」
俺はラドに軽く手を振る。
「そうか」
「じゃ、行ってくる」
そう言ってカイルと共に門の下へ向かった。
「ルイっ!!」
ノルが勢いよく飛びついてきた。
胸に顔を埋め、声を上げて泣いている。
後方へ視線を向ければ、ダグとリナは地面へ両手をつき、深く頭を下げていた。
それは貴族に向ける礼じゃない。
俺個人へ向けられた感謝。
敬意。
そして謝罪。
そんな気持ちが伝わってくる。
シルは腕を組んで俺の目の前に立ちはだかる。
俺はニヤリと口角を上げる。
そして片手を上げ
「じゃあな」
と言うと、シルはため息を一つ吐く。
「これで貸しがチャラになったら…大損だ」
小さく言うと、べーっと舌を出し、憎らしい顔を見せた。
「中央広場まで送ります」
カイルの言葉に、俺は頷くと、泣き続けるノルの頭に手を置く。
「そんなに泣くな」
ぐしゃぐしゃになった顔が俺を見上げる。
「俺は、途方もない寿命を抱えて、ずっと死にたいと思いながら生きてたんだ」
「想像してみろ?地獄だぞ」
ノルは俺の言葉を一言も聞き漏らすまいと必死な表情だ。
「お前は、俺を地獄から救ってくれたんだ…感謝する」
ノルは唇を噛み締めながら何度も首を横に振った。
手綱を握るのはカイル。俺はその後ろへと跨ると馬は門へとゆっくり進んだ。
カツン、カツン、と静まり返った街へ蹄の音だけが響く。
それと同時に門の上へ続く階段を、ノルとシルが駆けあがる足音が響いた。
俺とカイルを乗せた一頭の馬は、門の上からの皆の視線を背中に受けながら、その速度を上げていく。
「なぁ、カイル…これで何も起きなかったら、俺恥ずかしすぎて死ねると思う」
俺の真面目な呟きにカイルは肩をピクリと動かす。
「その時は、僕が全責任を負いますので」
「何も起きないでほしいです…」
「見れなくてもいいのか?魔法陣の発動」
「かまいません」
(ずいぶん潔く言い切るな)
無人と化したアイアンバレーを馬は軽快に駆け抜けていく。
街から聞こえるのは風の音だけだ。
広場につき馬から降りる。
カイルは馬上から俺を見つめていた。
その顔はひどく険しい。
まるで何かを堪えているようだった。
「そんな顔すんな」
俺は苦笑する。
「戻れよ」
カイルは答えない。
ただ俺を見ている。
その瞳には困惑も、迷いもなかった。
代わりにあったのは――畏れだった。
街の人々を救うために、自らの命を差し出そうとしている男は、カイルの目にどう映っているのだろう。
(俺は俺のためにやっているだけなんだがな…)
しばらくして、カイルは馬から降りる。
そして静かに俺の前へ歩み寄った。
何をするのかと思えば、その場に片膝をついた。
「おい」
思わず声が出る。
だがカイルは顔を上げない。
「私は貴方に救われました」
「命を救われた…。それだけではありません」
静かな声だった。
「……ありがとうございます」
それ以上は何も言わない。
どんな言葉も足りないと思っているのだろう。
今にも泣きだしそうな声だ。
俺は頭を掻く。
こういうのは苦手なんだよな。
「早く戻れ。もうすぐ日食が始まる」
カイルは俯きながらゆっくり立ち上がった。
馬が短く嘶く。
手綱を握りしめ、最後に一度だけ俺を見る。
その視線には、深い感謝と敬意だけがあった。
「では」
「ああ」
短い返事。
馬が向きを変え、蹄の音が遠ざかっていく。
俺はその背中を見送ると、小さく息を吐いた。
「まったく……」
誰もいなくなった中央広場を見回す。
それから広場の真ん中まで歩き、そのまま大の字に倒れ込んだ。
見上げた空には太陽。
そして、その隣で近づき続ける二つの月。
もうすぐ始まる。
俺は静かに目を細めた。
『塁~!何て顔してんのよ、泥だらけじゃない!』
『もう!そんなになるまで、どこで遊んでたの?!お風呂に入っちゃいなさい』
子供の頃に聞いた母さんの声。
『塁は今日も大冒険をしてたんだな』
ニヤリと笑うじいちゃんの言葉。
『舞も行きたかった!』
まだ幼い妹がふてくされてた。
あの時に見ていた太陽の眩しさと同じだ。
懐かしい。毎日新しい発見にワクワクしてた。
「大冒険…か…」
この世界にやってきた時は絶望だった。
死んだと思ったのに生きてた。それだけじゃない。
死ねないっていう罰ゲームつきだ。
俺はこの世界に来てからの事を振り返っていた。
わからない事はまだまだある。けど、そんなことに興味はない。
思ってたよりも早く終わらせられそうだ。
巨大な魔法陣の発動という神の企みを阻止する事はできなかった。
だけど大勢の人間の魂を吸い上げるって目的だけは阻止できる。
俺に与えたこの罰で抗ってやる。
ゆっくりと日食が始まって行く。
すると、大地が怒っているかのような轟音が響きだした。




