70話 断罪を止める鐘の音···
広場に張りつめていた空気が、一瞬で凍りついた。
人混みの中から飛び出してきたのは、街の男だった。
酒場で何度も見かけたことがある。
顔を真っ赤にしながら、シルを指差している。
「騙されるな!! こんな怪しいババアの言うこと信じるな!!」
ざわめきが広がる。
逃げようとしていた者達の足が止まった。
(せっかく上手くいきそうだったのに!)
男は勢いづく。
「火事だっていうから来てみれば何だ!? 煙しか見えねぇじゃねぇか!!」
「あれはただの焚き火だろうが!!」
白み始めた空の下、煙が収まっていくのがわかる。
「神だの天変地異だの馬鹿馬鹿しい!!」
人々の顔に迷いが浮かぶ。
シルは――動かなかった。
男を見つめたまま微動だにしない。
「ほら見ろ!!」
男はさらに声を張り上げる。
「言い返せねぇんだろ!! こんな時間に迷惑な話だ!」
広場の全員が耳を傾け、辺りを見回して不穏な表情を見せると、シルへ怪訝な目を向け始める。
私はこの視線を良く知ってる。
嘘つきを見る目だ。
シルは男を指差した。
「魔法が使えなくなった。それについては?」
その一言は静かだった。
誰もがその答えを気にしている。
広場全体へ落ちる岩のような重さがあった。
「そんなもん、魔道具でもしこんでやがるんだろ?!」
馬鹿にしたように男は鼻で笑う。
周囲から視線が集まる。
さっきまで避難をしようとしていた人たちの目まで変わっていた。
「嘘つきが!」
「怪しい女め! 何が目的だ!」
さっきまで不安にかられていた人たちの感情は、一気に怒りへと変わった。
シルへ向けて罵声が飛ぶ。
「嘘つき!」
「ふざけるな!」
「人を騙して何が楽しいんだ!」
聞いていられなかった。
私は人混みを押しのけるように前へ出る。
「やめて!!」
気づけばシルの前に立っていた。
その後ろへ、お父さんとお母さんも並ぶ。
けれど、それが逆効果だった。
「見ろよ!」
誰かが叫ぶ。
「あいつらザンク一家だぞ!」
その瞬間だった。
「嘘つき一家じゃねぇか!!」
「また何か企んでるんだろ!!」
「厄介者どもが!!」
怒声が一気に広場へ広がる。
私は必死に叫んだ。
「お願い!! 信じて!!」
喉が張り裂けそうになる。
「この街にいたら危険なの!!」
だけど。
誰も聞いてくれない。
誰一人として。
私の声は怒鳴り声の波に飲まれ、消えていく。
ずっとそうだった。
おじいちゃんが鉱脈の話をした時も。
私が採掘を続けていた時も。
誰も信じてくれなかった。
だからわかってる。
今さら私の言葉なんて届かない。
「また問題を起こしやがって!!」
誰かが石を投げた。
それをきっかけにしたみたいに次々と石が飛ぶ。
私は思わず目を閉じる。
だが――。
ゴッ。
目の前で鈍い音がした。
恐る恐る目を開く。
そこには私達を庇うように立つお父さんの姿があった。
石が肩に当たる。
腕に当たる。
背中に当たる。
それでもお父さんは動かない。
歯を食いしばりながら、ただ黙って私達の前に立っていた。
胸が苦しくなる。
まるで断罪だった。
街の人達が私達を裁いている。
そんなふうに思えてしまう。
そして――。
投げられた石の一つが、シルの額へ直撃した。
ごつっ、と嫌な音が響く。
「あ……」
シルの額が切れ、赤い血が頬を伝って流れ落ちた。
だけどシルは動かない。
額を押さえようともしない。
怒鳴り返そうともしない。
ただ黙って立っている。
その姿に私は息を呑んだ。
(諦めたの……?)
違う。
シルの目を見ればわかる。
その瞳は少しも折れていなかった。
むしろ逆だ。
何かを信じているような。
必ず成功すると確信しているような。
そんな目だった。
(こんな状況なのに……なんで……)
次の瞬間――。
ゴォォォォォォン!!
大きな鐘の音が響いた。
空気そのものを震わせるような重い音。
広場中の人間が顔を上げる。
もう一度。
ゴォォォォォォン!!
身体の芯を震わせるその音に、私は目を見開いた。
この音を知っている。
警報鐘だ。
災害。
敵襲。
街に危機が迫った時だけ鳴らされる鐘。
領主の許可がなければ絶対に鳴らない。
訓練でしか聞いたことがない音だった。
その音が今、本当に鳴っている。
広場にいた全員の動きが止まった。
石を持っていた人も。
怒鳴っていた人も。
皆が呆然と鐘の音を見上げている。
そんな中、シルがぼそりと呟いた。
「……遅せぇんだよ」
その口元が僅かに歪む。
私は気づいた。
シルはこの時を最初から信じていたんだ。
ルイならやるって。
絶対に領主代行を動かしてみせるって。
額から血を流したまま。
シルは一歩前へ出た。
その姿に、さっきまで石を投げていた人達が思わず後ずさる。
シルは叫んだ。
「この罰当たり共が!!」
広場に響き渡る怒声。
誰も口を挟めない。
「わかっただろ!!」
血の流れる顔のまま。
鬼みたいな形相で人々を睨みつける。
「今この街は危険に晒されてる!!」
「信じる奴だけ救われる!!」
皆の手から石がぽとりと落ちていく。
その間も鐘の音は広場に響く。
シルはさらに叫ぶ。
「それでもザンク一家を信じられねぇって奴は――」
大きく息を吸い、そして吐き捨てるように言った。
「このまま死んじまえ!!」
広場中が凍りつく。
シルの迫力に、街の人達は完全に気圧されていた。
その時だった。
遠くから馬の蹄の音が聞こえてくる。
ダダダダダダッ!!と石畳を蹴る激しい音。
何頭もの馬が広場へ駆け込んできた。
人々が慌てて左右へ避ける。
先頭を走るのは武装した兵士達。
その姿を見た瞬間、広場に新たなざわめきが広がった。
「兵士だ……!」
「領主館の兵か!?」
「どういうことだ……?」
兵士達は広場の中央まで駆け込むと、一斉に手綱を引く。
馬のいななきが響く。
そして――。
その中にカイルの姿が見えた。
カイルの後ろには、見慣れた顔が見える。
「ルイ!!」
気づけば叫んでいた。
ルイは馬から飛び降りると、何事もなかったかのように。
いつも通りの顔で。
真っ直ぐこちらへ歩いてくる。
その姿を見ただけで、絶望の淵に立たされていた私たちへ救いの手が差し伸べられたような気がした。
広場の人達も息を呑んで見守っている。
領主館の兵士達を従えて現れたその姿は、もうただの旅人には見えなかった。
広場は未だ不安と疑念に揺れる空気。
私たちを一瞥すると一瞬で全てを理解したんだろう。
ルイは小さく息を吐いた。
その目がゆっくりと広場全体を見渡す。
すると、さっきまで騒いでいた人達までもが言葉を失った。
不思議だった。
ただ立っているだけなのに。
なぜか全員が次の言葉を待ってしまう。
ルイは街の人達へ向かって、静かに口を開いた。




