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69話 私のせいで···

口の中に鉄のような、血のような味が広がる。


苦しい。


それでも足を止める事はできない。


苦しいのは息だけじゃない。心がバラバラに割れてしまったようでずっと痛い。


あれだけ続いていた地鳴りは止まっている。まるで地面の下で何か恐ろしいものが息を潜めているみたいだった。


私のせいでルイが死ぬかもしれない。いや、彼は死ぬ気だ。


多くの人の命と引き換えに。


きっとルイにはそれができてしまう。普通では考えられないようなことが……。


最後に向けられた笑顔が頭に浮かぶたびに、涙が勝手に溢れてしまう。


シルに見つからないようにそれをごしごしと腕で拭った。


私は家の扉を勢いよく開ける。


その瞬間だった。


「ノル!!」


「無事だったのね!?」


お父さんとお母さんが飛び出してくる。


二人は憔悴しきった顔に涙を浮かべていた。


ずっと起きて、私が帰るのを待っててくれたんだ。


揺れは止まったのに私が帰ってこない。


何が起きているのかもわからないまま、不安だけが膨らんでいたのがわかった。


私の姿を見た瞬間、二人の顔から緊張が抜けた。


心底安心したような顔だった。


その表情を見た瞬間――胸が痛くなる。


「お父さん!! お母さん!! ごめんなさい!私……ごめんなさい!」


そのままお母さんに抱きつき、今までの事を話そうとするが、言葉にならない。


嗚咽だけが漏れる。


「……ノル?」


「何があったの……?」


お母さんは私の身体を強く抱きしめたまま聞くが、その腕は僅かに震えていた。


説明しなきゃ。


そう思うのに言葉がまとまらない。


「私のせいで…!人が死んじゃう!」


それしか言えなかった。


「お前のせいじゃねぇよ」


後ろから短く吐き捨てるようにシルが言った。


「天変地異が起きる。このままこの街にいたら死ぬ。それだけだ」


落ち着いた声だった。


「タイムリミットは皆既日食だ」


「……天変地異?いったい何が起きるっていうんだ」


お父さんは静かに、呟くように言う。


「詳しく説明してる時間はない」


「アタシたちはこの街の奴らをできる限り避難させる」


「ルイとカイルは領主の館へ行ってる。こっちもやれる事はやる」


「今はそれだけだ」


端的に話された内容。普通なら信じない。


だけど。


お父さんもお母さんも疑わなかった。


私たちの顔を見ればわかる。


冗談なんかじゃないって。


二人は顔を見合わせると戸惑いと混乱が滲んでいた。


それは、その天変地異と私の採掘が関係している事を何となく感じ取ってのことだろう。


そして


「俺たちに出来る事ならなんでもやろう」


お父さんが言うと、お母さんも強く頷き、私は二人の腕に包まれる。


力強く抱きしめる両親の腕には、私の責任を一緒に背負うという覚悟が伝わってきた。


私はシルを見る。


「……どうすればいい?」


声が震えた。


「街の人に説明してまわっても…嘘つきって言われて、信じてもらえない…」


そこまで言って俯く。


無理だ。


“皆既日食の時に死ぬから逃げて”


なんて言われて誰が信じるんだろう。


シルは黙ったまま、腕を組み指先で腕をトントン叩いている。


部屋に沈黙が落ちる。


時間だけがどんどん減っていく。


そして。


シルがゆっくりと顔を上げた。


「……ノル、アンタ“火事だ!”って叫んで回れ」


「え?」


一瞬、意味がわからず、間抜けな声が漏れた。


「“すぐ火の手が回るぞ! 中央広場へ逃げろ!”ってな」


私は目を見開いた。


「そ、そんな嘘ついてどうするの!?」


「一軒一軒説明してる時間なんかねぇんだよ」


その言葉に何も言えなくなる。


確かにそうだ。もう夜明けが近い。


「こんな時間に来た奴の話を、誰がまともに聞く?」


「ドアすら開けないだろ」


その言葉は正しかった。


シルはさらに続ける。


実際に街中に煙を発生させて、火事が起きたと思い込ませ、人々を中央広場へ避難するように呼び掛ける。

その方法や、人々がどう動くかまで丁寧に説明してくれた。


まるで初めからそうする事を決めていたかのように。


私は話を聞きながら胸がざわついていた。


シルは、人の心理や行動を理解している。判断する時間を与えずこちらの思惑通りに動かす術を知っている。


例えそれが、批難される方法だとしても…


今必要なのは真実を理解してもらう事じゃない。


とにかく人を動かす事だ。


「でも……中央広場へ避難した後は?煙がなくなればバレるよ……?」


私が弱々しく言うと、


シルは冷たい目をした。


「バレる前に」


その声に思わず息を呑む。


「違う恐怖に話をすり替える」


ぞくりとした。


怖いと思った。でも同時に。


頼もしいとも思った。


ものの数分で、大勢の人たちを一か所に集める方法と、集まった人たちを煽動する方法を思いついてしまうなんて。


部屋の空気が重くなる。


お父さんもお母さんも黙っている。


「迷ってる時間はない」


その言葉に。


お父さんが笑った。


「ありもしない火災を作り出し、嘘をつき、人々の不安を煽る事を正しい事だとは思っていない。でも、その嘘で多くの人の命を助けられる可能性があるなら」


「俺たちは喜んで嘘つき一家になろう!」


お父さんの言葉に私はゆっくり頷いた。お母さんは私の手を強く握りしめている。


シルはニヤリと口角を上げて笑う。


作戦は、決まった瞬間に始まった。


私とお父さんはすぐに家の裏へ向かう。


そこに積まれていた薪、冬に備えて蓄えていた藁、壊れて使わなくなった木箱。


燃えそうなものを片っ端から台車へ積み上げていく。


魔法は使えない。腕が痛い。


それでも手は止めなかった。


止めたら考えてしまうから。


だから必死に身体を動かした。


お父さんも何も言わずに手を動かしている。


本当は聞きたい事が山ほどあるはずなのに。


ただ黙って薪を積み続けていた。


本を外へ運び出そうと家へ入ると、シルとお母さんの会話が聞こえた。


「この家に黒いカーテンとかないか?」


「黒いカーテンですか? えっと……、あ! カーテンはないんですけど、服を作ろうと思って昔買った生地の中に、黒い生地があったと思います」


「それでいい」


(黒いカーテン?)


私は首を傾げた。


お母さんも同じような反応だった。


けれどシルの表情は真剣そのものだ。


お母さんは慌てて物置の中へ駆け込んでいった。


ほどなくして、台車いっぱいに薪や藁や本が積まれた。


「シル! 準備できた――」


そう言いながら振り返って。


私は思わず固まった。


顔には派手な化粧。


唇は血みたいに赤い。


暗がりでもくっきり浮かぶ赤が普通に怖い。


というか、かなり怖い。


シルは肩に布を抱え大きく頷くと、


「行くぞ」


とだけ言った。


私は慌てて頷く。


そこからは時間との勝負だった。


住宅が少ない北側の区域。


空き地。崩れた資材置き場。


誰もいない路地。


周りに引火するような物がない場所を選び、そこへ藁と薪を置いて火をつけていく。


ぼうっと小さな炎が立ち上る。

立ち止まらない。


次の場所へ。


また次へ。


火をつけては移動して。


また火をつける。


それを何度も繰り返した。


やがて。


鼻をつく燻した臭いが一帯に広がり始める。


煙がゆっくり夜空へ昇っていく。


風に流された煙は、街の上を這うように広がっていった。


私は思わず空を見上げ辺りを見回した。


本当に火事がどこかで起きているみたいだ。


シルは煙を払うように顔の前で手を振ると、


「よし」


と小さく呟く。


お父さんとお母さんは、そのまま煙を増やす役へ回る。


そして私とシルは中央広場へ続く通りへ走り出した。


二人で目を合わせ同時に頷く。


「火事だぁぁぁぁ!!」


シルの声が街へ響く。


私も力いっぱい叫ぶ。


「逃げてぇぇぇ!!」


「火事だ!!」


「中央広場へ避難して!!」


叫びながら走る。


すると。


ぽつり。


ぽつり。


周囲の家に灯りがつき始めた。


窓が開き、人が顔を出す。


そして煙を見た瞬間、その顔色が変わった。


「火事だ!!」


と慌てて顔を引っ込める。


玄関から出て来た人へ向け、シルが叫ぶ。


「北側で火の手が回ってる!!」


その言葉に住民達は慌てて家へ戻っていく。


家具が倒れる音。


叫ぶような声。


子供の泣き声……


そんな音があちこちから聞こえてきた。


しばらくすると、人々が家から飛び出してくる。


「火事らしいぞ!!」


「北の方だ!!」


「中央広場へ逃げろ!!」


その声が人から人へ伝わっていく。


恐怖が連鎖していく。


シルの言っていた通りに皆が動き始めてる。


計画通りだ。


誰か一人が慌てる。


すると周りも慌てる。


その繰り返し。


気付けば街中の人達が中央広場へ向かい始めていた。


「火事だ!!」


「逃げろ!!」


叫び声が街中に響く。


やがてお父さんとお母さんも合流した。


四人で中央広場へ向かいながら叫び続ける。


「火事だぁ!!」


「北側は危険だ! 燃えてるぞ!!」


「中央広場へ避難しろ!!」


広場へ近づくほど人は増えていった。


立ち上る煙を指さし混乱している。


当然だ。


寝ているところで突然の火災だ。


ぞくぞくと人が中央広場へ集まる中。


シルは広場の外れの物陰で足を止めた。


肩に担いでいた布を頭から被ると、適当に身体に巻きつけていく。


それはまるで黒装束のようになった。


フードから覗く口元は真っ赤で不気味だ。


シルが顔を上げると、顔が見える。濃い化粧は暗がりとフードの中でもその表情をくっきりと浮かばせた。


シルは中央広場へと歩きだすと叫んだ。


「神々が怒っている!!! この街はまもなく終わりを迎える!!!」


まるで、老婆のような声に私は自分の耳を疑った。


人々の視線が自然とシルへ集まっていく。


不気味ないでたちで不吉な事を言うその女に、集まった民衆の不安が一気に広がっていく。


シルを避けるように皆が道を作る。


そのまま進み中心で足を止めた。


そして、大きく息を吸い込むと、広場全体に響くほどの声で叫んだ。


「――揺れが静まっているのは天変地異の前触れだ!!」


ざわめきが止まる。


私まで思わず息を呑む。


シルはフードの奥から群衆を見渡した。


そして。


まるで神託を告げる巫女のように。


重々しく言い放った。


「神は全てを奪う!!! この街も! 魔法も! 命さえも!」


「命が惜しい者はすぐにこの街から逃げおおせよ!」


「残れば、神の怒りに触れるだろう!!」


すると、一人の男がポツリと呟く。


「魔法が使えない……」


「私も、昨日から使えなくなってしまったわ」


「どういうこと?」


能力者もそうでない者も混乱が広がっていく。


「あの女は何者なんだ?」


「そんなことより! なんで魔法が使えなくなった?!」


「神が全てを奪うって言ってたよな?」


「それなら命も奪われるってことか?!」


「こうしちゃいられねーよ! すぐに街から逃げるんだ!」


広場から慌てて逃げ出そうとする人もいる。


(これなら!! 上手くいく!)


その時だった――


「嘘だ!そんなの全部嘘だ!!」


ひと際大きな声で叫ばれた声に皆の動きが止まった。

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