51話 許された悪意···
翌日。
扉を静かにノックする音で目が覚めた。
その音に身体がビクリと反応し、勢いよく起き上がると、慌てて靴を履く。
部屋の扉が開くよりも早く手をかけ、勢いよく開けると、そこにはカイルが立っていた。
俺の勢いに少し驚いた表情を見せたカイルだったが、すぐに真剣な顔へと変わる。
「なんだ?」と短く尋ねると、カイルは一度口を結び、視線を落とした。
そして——
「あの……僕も一緒に坑道へ行ってもいいでしょうか」
恐る恐る顔を上げる。
(そんなことか)
「ああ。好きにしていいぞ。ただ、命の保証はできない」
俺の言葉に、カイルはほっとしたように微笑んだ。
気が抜けた瞬間、あくびがこぼれる。滲んだ涙を拭ったその時——
「まだそんな格好なの?!」
元気な声が後ろから飛んできた。
振り向くと、そこにはノルが立っている。
昨日と同じ作業着に、大きなリュック。
ただ、ぼさぼさだったショートヘアは綺麗にピンで留められていて、少しだけ印象が違って見えた。
よく見ると、カイルもすぐに出発できる格好をしている。
「えっと……」
俺は部屋の中を振り返り、窓の外を見る。
日が昇る直前の、まだ薄暗い空。
「早くない?」
その言葉に、ノルは呆れたようにため息をつく。
「言ったよね? 二、三日でどうにかできるレベルじゃないって。むしろ遅いくらいだよ」
(確かに言ってはいたが……)
「早く準備して!」
急かされて慌てて身支度を整える。
といっても、顔を洗って歯を磨くだけだ。
準備を終え、シルの部屋をノックするが、返事はない。
昨夜、振る舞われた酒をたらふく飲んでいたし、あいつの事だから二日酔いでダウンしてるんだろう。
食堂へ降りると、ダグとリナが立っていた。
リナの腕には、布に包まれた箱が抱えられている。
「気をつけてね……」
差し出されたそれは、弁当だった。
ノルを見つめて、リナがふっと笑う。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「お母さん……ごめんね。我儘言って」
ノルの言葉に、リナは唇を噛み、小さく首を横に振った。
ダグはというと、登山者が背負うような大きなリュックを抱えている。
「これを使ってくれ。必要な物は揃えてある」
そう言って、俺に差し出した。
(え……俺?)
カイルを見ると、すでに大きなカバンを抱えている。ノルも採掘用の荷物を背負っている。
(……うん、俺だな)
ありがたく受け取り背負うと、俺たちは宿屋を後にした。
静けさの中で、時折響き渡る咆哮のような音。その不穏さは、昨日と何も変わらない。
宿屋からひたすら歩き続け、砂埃の舞う鉱山道へ入る手前で、俺たちは一度足を止めた。朝食を取るためだ。
適当に腰を下ろせる石の上に座る。
弁当は昼に回し、今はダグが用意してくれた携帯食で済ませることにした。
乾いたパンをかじりながら、ふと周囲を見渡す。
この場所は正門に近い。
日もすでに昇り、街の中では疎らながら人影が見え始めていた。
王都から来たと思われる荷馬車も、軋む音を立てながら通り過ぎていく。
(……こんな状況でも、人は普通に動いてんだよな)
鉱山崩壊の危険があるとはいえ、
すぐに何かが起きるとは思っていないのだろう。
行き交う人間は皆、疲れ切った顔をしている。
誰もが無関心で、お互いに視線を交わすことすらない。
だが——
「ここの道を通るには通行料がかかるんだよ」
その声だけが、妙に浮いて耳に届いた。
(……この声)
視線を向けると、見覚えのある三人組がいた。
この街に来た時、金を巻き上げてきた連中だ。
しかも場所はメイン通りのど真ん中。
堂々と同じことを繰り返している。
(……正気かよ)
周囲は明るく、正門の近くには憲兵の姿もある。それでも奴らは何の遠慮もなく、通行人から金をせびっていた。
——いや、違うな。
(見逃されてんのか……?)
そう思うと、一気に冷めた。
呆れたように小さく息を吐く。
その時だった。
ノルの気配が変わり、俺とカイルの後ろにすっと身を隠した。
そういえば、あの日、あいつらに追われていた。
(目ぇ付けられてるんだな、完全に)
ノルの様子に気づいたのか、カイルも落ち着きなく視線を彷徨わせ始め、ぎこちない動きを見せた。
その動きが、逆に目立った。
——何してんだこいつ、と思いながらも正面を見たその時
三人組の男のうち一人がこちらを見ている事に気づいた。
三人は目の前の奴には興味を失い、ゆっくりと俺たちの方へと近づいてくる。
目を細め、カイルを捉えると
「あぁ?……ザンクんとこにいる、金髪ひょろ——」
言いかけて、男の目が俺を捉える。
「……なんだ、この前の奴じゃねぇか」
口元が、ゆっくりと歪んだ。
嫌な笑い方だ。
そしてすぐ、俺の後ろにあった気配に気づく。
「ノル~~!」
ねっとりとした声が伸びると、ノルの肩がビクリと震えたのがわかった。
「コソコソしてないで、出て来いよ」
男は舌なめずりでもしそうな顔で笑う。
その笑みが、やけに生々しくて——不快だった。
カイルはあからさまに動揺していた。
視線が定まらず、落ち着きなく周囲を見回している。
その隣で——ノルは、ゆっくりと立ち上がった。
逃げ場がないと理解した顔だ。
「おっ、やっと出てきたかよ」
男たちはニヤニヤと笑いながら近づいてくる。
「嘘つき一家の娘さんじゃねぇか」
「今日も穴掘りか? 夢追いごっこは楽しいか?」
「なぁ、いつまでこの街にいるつもりだ? 厄介者はさっさと出てけよ」
好き勝手な言葉が、次々と投げつけられる。
下卑た笑い声。
(……ああ、なるほどな)
宿屋の壁に書かれていた落書きが、頭をよぎる。
(あれ、こいつらか)
妙に納得がいった。
だが——
(……それにしても)
俺は男たちを見ながら、わずかに眉をひそめる。
(こいつら、何がしたいんだ?)
ただの嫌がらせにしては、執拗すぎる。
いい大人が、子供一人にここまで絡む理由が見えない。
違和感が、じわりと胸に引っかかった。
俺は視線を一人に固定する。
中心にいる、リーダー格らしき男。
(こいつか)
意識を向け、ステータスを見る。
⸻
名前:ガレドス TM:003***/87
スキル:灼熱の手
特徴:粗暴/喧嘩/惰性/全てを溶かす者/ゆすり/取引/裏切り/嫌がらせ
⸻
(……こいつ、寿命短っ)
思わず内心でツッコミが漏れる。
だが、それ以上に引っかかったのは——
(ゲージは短いのに……死期も死因も、出てない?)
いつもなら表示されるはずの情報が、そこにはなかった。
まるで、途中で途切れているみたいに。
(なんだこれ……)
違和感が一段と強くなる。
気づけば俺は、きょとんとした顔のままガレドスを見つめていた。
その視線が、気に入らなかったらしい。
「……あぁ?」
ガレドスの眉がピクリと動く。
「さっきからなんだその目は」
低く吐き捨てるような声。
「ナメてんのか、ガキが」
凄んだかと思うと、ガレドスは一歩踏み込み——そのまま俺の腕をガッチリと掴んできた。
骨が軋むほどの握力。
「なんだよ? 今日も金が欲しいのか?」
俺は視線一つ逸らさずに言う。
「金ならやるぞ? 三人だから銀貨六枚か?」
あまりにも淡々とした言い方だった。
それが、逆に癇に障ったらしく
「……テメェ、馬鹿にしてんのか」
掴んだ手が、怒りでブルブルと震える。
(え? なんでだよ)
(ちゃんと金やるって言ってんのに、何でキレてんだコイツ)
横ではカイルが顔を手で覆い、ノルは青ざめた顔で汗を滲ませている。
「馬鹿にしてるかって? ……そう言われたら、まぁそうかもな」
「だってそうだろ? いい大人が寄ってたかって子供に因縁つけてさ。見苦しいったらないぜ」
そう言いながら、自然に笑いが漏れた。
「この街は狂ってんな!」
わざと周囲に聞こえるように、声を張る。
「こんな野蛮な奴が堂々と闊歩して、お天道様の真下で、ゆすり、たかり、なんでもありだ!」
通りを歩いていた奴らの足が止まる。
「何でだ?! 何で憲兵はこんな奴らを捕まえないんだ?!」
その声に、近くにいた憲兵がこちらを見た。
——が。
すぐに、気まずそうに視線を逸らす。
「おかしいと思わないか?」
俺は一歩、ガレドスに顔を寄せる。
そして——
「まさか……憲兵が手出しできない“誰か”と取り引きしてるとか……?」
囁くように言った。
その瞬間。
ガレドスの瞳が、わずかに揺れた。
(……当たりか)
(こいつら、やっぱり“後ろ”がいるな)
(領主か、それに近い奴か……好き勝手できる理由はそれか)
「テメェはさっきから何ふざけたことを——」
ガレドスが吐き捨てようとした言葉を、俺は遮る。
「もっとふざけたこと言ってやるよ」
そう言いながら、指を指して笑って見せた。
「お前、三日後にたぶん死ぬぞ」
俺の言動に、ガレドスの後ろにいた仲間の空気が凍るのがわかった。
ガレドスの顔がみるみる赤く染まり、血管が浮き上がると、掴む手に、さらに力がこもる。
「……コケにしやがって……許さねぇ……」
低く唸るような声。
その時——
「ごめんなさい!!」
後ろから、ノルの叫び声が飛んだ。
「お願いします! この人に何もしないで!」
震える声。
必死さが伝わってくる。
だが——
その声は、怒りに飲まれたガレドスには届いていなかった。
ガレドスの手の甲に、黒ずんだ痣が浮かび上がる。
それは、生き物のように脈打ちながら広がっていく。
(……こいつの痣も動くタイプか)
(スキルは“灼熱の手”……触れたものを溶かす、か)
(どの程度だ?)
痣が赤く発光した瞬間——
掴まれている腕に、じわりと熱が走る。
「……っ」
熱い。
皮膚の奥から焼かれるような感覚。
「俺は”特別な”能力者だ」
ガレドスが、誇るように言う。
「お前のその細っこい腕——溶かしてやろうか?」
怒りの中に、歪んだ笑みが混じった。
周囲の人間も遠目からこちらを見ている。
だが、憲兵は動かない。
完全に、見て見ぬふりだ。
(徹底してるな)
(なら——)
(俺が何やっても、“見てない”ってことだよな)
口元が、自然と歪む。
俺はガレドスから視線を逸らさず、言った。
「やれよ」
そして——
「その代わり……お前も覚悟しろよ?」
ガレドスの腕を、こちらから掴み返す。
(こちとら、何度も苦しんで死にかけてんだ)
(我慢比べなら、慣れてる)
細胞を“新しくする”ことができるなら——
(逆だって、できる)
ジュッ——
ガレドスに掴まれた部分の袖が焼け落ち、布が炭のように崩れる。
皮膚に伝わるのは、まるで高温の鉄を押し当てられているような灼熱。
思わず顔が歪み、額から汗が噴き出す。
それを——
ガレドスは、愉悦の表情で眺めていた。
だが。
「……は?」
その顔が、すぐに崩れる。
俺の首元へと走る違和感。
服の下に隠れていた“それ”が、表に滲み出てきている。
ガレドスの視線が、ゆっくりと下がる。
自分の手首へ。
その動きにつられて、周囲の視線も集まる。
そして——
「ひっ……!」
誰かが、短く悲鳴を上げた。
さっきまで、筋肉で隆起していた腕。
俺を掴んでいた、太い指。
力強かった手首。
それらが——
まるで枯れ木の枝のように、痩せ細っていた。
皮膚はシワだらけに縮み、血色も失われている。
ミイラのような腕。
それが、ほんの数秒で出来上がっていた。
「な、なんだ……これ……」
ガレドスの声が震え出し、咄嗟に俺から距離を取る。
そして——
信じられないものを見るように、自分の手を見つめていた。




