36話 新たな一歩···
階段を降りる。
まだ少し重たい体を引きずるように、一階へ。
テーブルのところで、シルがぐったりと突っ伏していた。
片手にはコップ。中身は水だ。
ぐい、と飲み干してから——
「……はぁ……」
深いため息。
顔色が悪い。完全に二日酔いだ。
「……おい」
気だるそうにこちらを見る。
「あいつら、朝から何してんだ……」
頭を押さえながら、つらそうに言う。
「外だ……ずっとガタガタ音してやがる……」
「さぁな···なんか運んでるみたいだぞ」
軽く肩をすくめる。
ふと、シルに視線が向く。
ラフな部屋着に、少し乱れた髪。
身体の線がはっきりとわかる。
(……あぁ、こいつも一応女だったな)
今さらみたいに認識する。
「なんだよ……」
不機嫌そうに睨まれる。
「いや、別に」
それ以上は言わず、外へ出た。
朝の空気が、ひんやりと肌を撫でる。
「ルイ!おはよう!」
オレオが手を振る。
その隣でエレナも微笑んだ。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう」
エレナとオレオは、二人がかりで大きな樽を運んでいた。
地面を引きずるたびに、ガタ、ガタと音が鳴る。
(……ああ、これか)
「……何してるんだ?」
「昨日の葡萄を……オレオがとても気に入ってしまって」
オレオが元気よく頷く。
「すっごく甘かったんだもん!」
エレナはその様子を見て、優しく目を細める。
「それで……二人で、育ててみようかと話していたんです」
「オレオのお気に入りのジュースも作れるみたいだし」
「ちゃんとできるかは分かりませんけど……」
それでも、どこか楽しそうな声。
オレオは樽をぽんと叩いた。
「これ、いっぱいジュース作るやつ!」
用途はすぐ分かる。
「だから運んでたのか」
ガタガタ音の正体に納得する。
エレナは小さく頷いた。
「ええ。準備だけでもと思って」
朝の空気の中——
二人は、もう次の一歩を踏み出していた。
その様子を見て、俺は少しだけ考える。
「……それなら」
ぽつりと口を開く。
「商売にしてみたらどうだ?」
二人が同時にこちらを見る。
「ジュースはもちろんだが……ワインまで作れるようになれば、高値で買い取ってもらえるはずだ」
エレナは驚いたように目を瞬かせた。
「商売……」
だがすぐに、困ったように笑う。
「でも……作り方が分からなくて」
「難しく考えるな」
俺は樽を軽く叩く。
「やることはシンプル」
指を立てる。
「まず潰す。洗わずそのまま、皮ごと全部だ」
オレオが「うん!」と頷く。
「次に放置」
あっさり続ける。
「蓋して置いとけば、そのうち勝手にブクブクし始める」
手で軽く波打つ仕草。
「甘い匂いが消えて、ちょっとツンとした匂いに変わる。それが酒になってる証拠だ」
「浮いてきた皮は、たまに沈めろ。それくらいでいい」
エレナが真剣な顔で聞いている。
「で、静かになったら絞る」
樽を指で叩く。
「液体だけ取れば、それがワインだ」
ちらっと樽を見る。
「ワインは菌に任せて育てる」
静かに言い切る。
「な?簡単だろ」
「きん···?」と首を傾げたか、オレオの顔がぱっと明るくなる。
「なんか、できそう!」
エレナも少し驚きながら——それでも嬉しそうに頷いた。
「……やってみます」
朝の光の中、二人は顔を見合わせる。
その一言を聞いて、俺は小さく頷いた。
それから——
俺はワイン作りに必要な物を一気に揃えた。
樽、桶、瓶。
壊して、増やし、形を整え必要な分だけ並べていく。
家の横にもともとあった小さな小屋は、そのままワイナリーにした。
日当たりを避けた、ひんやりとした空間。
悪くない。
「ここなら丁度いいな」
一方で、昨日作った小屋は中の物を全て出し——発酵用の部屋に回す。
樽が並び、空気が変わる。
ただの小屋が、完全に“設備”へと姿を変えていく。
「本当に……すごい……」
エレナが思わず呟く。
気づけば、ワイン作りに必要な環境はすべて整っていた。
⸻
「じゃあ、やるぞ」
収穫した葡萄を平たい桶いっぱいに詰め込む。
オレオとエレナは顔を見合わせた。
「これ……踏むんですか?」
少し躊躇うような声。
「ああ」
俺はあっさり頷く。
「皮ごと潰す」
最初は恐る恐る。
だが——
ぐにゅ、と潰れる感触に、オレオが声を上げた。
「うわっ!」
次第に慣れていき、
「これ、楽しい!」
ぱしゃぱしゃと音を立てながら、笑い声が混ざる。
エレナも、いつの間にか同じように足を動かしていた。
そこからは——
俺が少しだけ時間を進めながら、工程を見せていく。
ブクブクと泡立つ発酵。
変わっていく匂い。
静かになっていく液体。
「これで終わりだ、お前たちはこれを手作業でやっていく」
一つの樽の中に、ワインが満たされる。
それを他の空の樽へと移し——増やす。
さらに、端から時間を進める。
⸻
「ワインはな」
樽を軽く叩く。
「寝かせた年数で、味も匂いも変わる」
いくつかの樽を指差す。
「同じ葡萄でも、全然違うもんになる」
エレナに一つ差し出す。
「飲んでみろ」
恐る恐る口に含み——
「……っ」
目を見開く。
「こんなに……違うんですね……」
驚きと、感動が混ざった声。
俺は肩をすくめた。
「どれだけいい葡萄を使うか」
「どれだけ手間をかけるか」
「どれだけ寝かせるか」
指を折る。
「それで味も、値段も変わる」
「オレオの力があれば——」
ちらっと見る。
「上質な葡萄から、高級ワインまで作れるのは確定だ」
オレオが少し照れくさそうに笑う。
「後は——」
樽の並ぶワイナリーを見渡す。
「どれを、いつ、いくらで出すか」
視線をエレナへ向ける。
「そこはお前ら次第だ」
片手を上げふっと笑いながら
「俺はそこまで分からん」
任せるようにそう言って、俺は一歩引いた。
その時——
「……お前ら」
後ろから声がした。
振り向くと、いつの間にかシルが立っていた。
壁にもたれながら、ワイナリーの中を見渡している。
「すげぇもん作ったな」
呆れと感心が混ざった声。
そのままふらりと近づき——
並んだ樽の一つに手をかける。
「おい——」
止める間もなく、シルは中のワインを掬い、口に含んだ。
一つ。
また一つ。
樽ごとに試すように飲んでいく。
「……お前、二日酔いだろ」
呆れて言う。
「さらに酒飲むのかよ」
ぴたりと手が止まる。
ゆっくりと、こちらを見る。
「……ちげぇよ」
じろり、と睨まれる。
「これは確認だ」
言いながら、口の中で転がすように味を見て——
小さく息を吐く。
納得したように頷くと、腰からナイフを抜いた。
樽の側面に、カリ、と刃を当てる。
「……何して——」
止める前に、
薄く、丁寧に刻まれていく。
年数。そして——価格。
一つ、また一つと刻み終え、ナイフを収める。
「……こんなもんだな」
軽く言い放ったシルが、こちらを見る。
「どうよ?」
クイズの答えでも出したかのように、得意げな顔。
俺は樽に刻まれた文字へ視線を落とす。
(……ほぼ合ってるな)
多少の誤差はあるが、俺が時間を進めた年数とほとんど一致していた。
(なんだこいつ……酒に詳しいとか、そういうレベルじゃねぇな)
思わず感心する。
シルはそんな俺の様子を見て、ふっと鼻で笑った。
「これが、この樽の中の酒、一瓶の値段だ」
刻まれた数字を指で叩きながら、そのまま順に樽の蓋を閉めていく。
「原価相場よりちょい高めに乗せてるが——ドミリス王国はワインの生産地がねぇ。だから他国からの輸入頼りだ」
淡々と続ける。
「本来ならその輸送コスト分も上乗せされる。
だから、こっちが少し上乗せしてたってお得だぜ?そこら辺うまく使って、商人と交渉しろ」
一つ蓋を閉めて、こちらへ振り返る。
「このワインを数本売るだけで、まとまった金になる。その金で村の警備を強化しろ——ワイナリーもな」
強く言い切る。
「分かるだろ?貴族や金持ちが大金出して欲しがるもんだ。本来なら、こんな貧乏村の一般家庭で管理できる代物じゃねぇ」
その言葉に、エレナとオレオは息を飲む。
目の前に突きつけられた現実。
だが——
シルはケロッと表情を変えた。
「ま、簡単な話だ」
「この村の連中、全員雇って、村ぐるみでワイン作りゃいい。それくらい価値あるもんだ」
そう言うと、近くの瓶を手に取り、樽からワインを注ぐ。
とくとく、と満たされていく赤紫の液体。
軽く揺らしながら——
「これは情報とアドバイス料として貰うからな?」
ニヤリと笑った。




