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35話 葡萄酒···

檜の香りが、ふわりと鼻をくすぐる。


浴室の中は、白い湯気で満ちていた。


壁に掛けられたランタンの炎が、ゆらゆらと揺れている。


その柔らかな灯りが、湯気越しにぼんやりと広がっていた。


俺はゆっくりと息を吐きながら、目の前の浴槽に視線を落とす。


浴場の隣には少し高めの台。その上には、ガラクタの山から見つけた錆だらけのドラム缶を分解・増殖して補強したものを据えてある。


鉄は貴重だ。使い切りで無駄にはしない。


そのドラム缶の下で火を焚き、中の水を直接沸かす。


温められた湯は、取り付けたコルクを捻れば流れ出て、滑り台のようにそのまま浴槽へと注がれる仕組みだ。


(……悪くない)


浴槽に手を入れる。


じんわりとした熱。


温度もちょうどいい。


そのまま、ゆっくりと体を沈めた。


「……っはぁ……」


思わず、間抜けな声が漏れる。


肩まで浸かると、全身の力が一気に抜けた。


ゆらゆらと揺れる炎が、水面にも映り込む。


湯の揺らぎと重なって、ぼんやりとした光が揺れていた。


じわじわと芯まで温まっていく感覚。


しばらく何も考えず、ただその揺らぎを眺める。


耳を澄ませば——


カタ····カタ……


一定のリズムで響く音。


水車に繋がれた杵の音だ。


貯水槽も浄化槽も、ちゃんと動いている証拠。


ふと、田舎の爺ちゃんを思い出した。

生きてた頃に色々な事を教えてもらった。


それがこんな異世界で役立つとはな···。


(……上打ち式の水車もちゃんと回ったしな)


目を閉じる。


湯の温もりと、規則正しい音。


それだけで、妙に安心する。


こんな風に体も気も緩んだのは、いつぶりだろう。




しばらくして、ゆっくりと湯から上がる。


名残惜しさを感じながら、水気を軽く払う。


真新しいタオルで身体や頭を拭くと、そのまま脱衣場へ戻り、用意してあった衣服に袖を通した。


湯上がりで少し火照った身体に、乾いた布が心地いい。


あのガラクタの山が宝の山になるんだもんな。


小屋に並べられたガラクタ達は、魔法で本来の輝きを取り戻し、そのまま店でも開けそうだ。


「…幸運の嗅覚ね」


小さく呟く。



浴場の扉を開けて外へ出る。


夜の空気が、火照った身体にすっと入り込んできた。


柔らかな風。


見上げれば、静かな星空が広がっている。


ステータス···オープン。


名前:天城 塁 TM:99158 / 99999

スキル:時間操作魔法


特徴:甘ったれ/無趣味/鈍感/死にたがり/新鮮な野菜の使い手/進化の針を進める者/リホーム技術者/個体増殖/細胞生成/一般水準以上の知能/領域加速


ため息をつき


そのまま、ゆっくりと家へと戻る。



玄関の扉を開けた瞬間——


視線が、一斉に向いた。


男衆と、その家族たち。


妻や子供たちまで、皆そろっている。


どうやら——エレナが井戸や、小屋、母屋の増築や、家具などの礼をしたいと言って、男衆たちとその家族を家に招いたらしい。


(あいつらは作ろうと決心しただけで、ほとんど何もしてないがな)


だが、何年かかっても作ってやる。その気持ちが嬉しかったのだろう。


実際その決意が嘘なら井戸も家も何もかも魔法は発動しなかったはずだ。



大人数でも窮屈に感じない広さのあるLDK。


テーブルには沢山の料理が並び、子供たちは今か今かと待ちきれない様子で座っている。


エレナは少し照れたように、それでも嬉しそうに微笑んでいた。


(……俺待ちか)


「神様!何かお言葉を!」


(いや……神様じゃねぇし)


だが否定できる空気でもない。


すると、オレオが自慢するように


「ルイは神様が嫌いなんだよね?」


確認するように言う。


「─だからね、魔法士様!不滅の魔法士様なんだよ!」


キラキラした目


周囲の「おぉ...不滅の魔法士様!」という言葉


シルのほくそ笑む顔....


気まずさを誤魔化すように、俺は台所へ向かった。



葡萄を手に取り、そのまま増やす。


ぽとり、ぽとりと落ちて、樽がすぐに満ちる。


頭の中で、潰され絞られた状態——葡萄ジュースをイメージし、時間を進める。


紫の液体へ変わる。


水差しに注ぐと子供達の前に置いた。

綺麗に透き通る紫に子供達は美味しそう!と笑顔になる。

それを見てオレオは「これ葡萄って言うんだよ!すごく甘いよ!」

と、ワイワイ話している。


俺は樽に残った葡萄ジュースから熟成された葡萄酒を思い描き、もう一度時間を進める。


深い色と香り——ワインになる。


それを今度は大人達のテーブルの中央に置いた。


「子供はこっち」


「大人は——こっち。酒だ」



皆が喜びながら、それぞれのコップに見慣れない赤紫色の液体を注ぐ。


慎重に傾ける者もいれば、こぼしそうになって慌てる者もいる。


その間に、俺は中央に用意されていた席に腰を下ろした。


視線が、また集まる。


(……やっぱり俺なのか)


ほんの一瞬、間が空く。


だが、今度は変に誤魔化したりはしない。


コップを手に取り、軽く持ち上げる。


········。


何も思い浮かばない。




「─エレナの快復を祝って!」

(という事にして)


「乾杯!」


短く、それだけ言った次の瞬間——


「乾杯!」


一斉に声が重なりそれと同時にコップが口へ運ばれる。


エレナはまさか自分の名前が呼ばれるとは思わず照れている。



「……っ?」


誰かの手が止まる。


「なんだ、これ……」


戸惑いの声。


だがすぐに——


「……うまい」


ぽつりと呟かれる。


今までの人生で、口にしたことのある粗末な酒とは違う。


口当たりは滑らかで、舌に残る深い味わい。


重く、芳醇で、奥行きがある。


「こんな……酒、飲んだことねぇぞ……」


ざわめきが広がる。


だが同時に——


誰もが気づいていた。


(……これ、ただの酒じゃない)


言葉にはしないが、


“とんでもなく貴重なもの”だということだけは分かる。


「これ、なんて酒だ……?」


恐る恐る、誰かが聞いた。


俺は何でもないように答える。


「ワインだ」


その瞬間——


空気が止まった。


「……は?」


「今、なんて……」


「ワイン……?」


ざわめきが一気に質を変える。


この国で“ワイン”と言えば——


貴族や金持ちが好んで集める、高級品。


一般人が口にできるような代物じゃない。


そんな事を口々に呟く男達。


それが目の前に、樽単位である。


その中で──


一人の男が、コップを持ったまま固まっていた。


ゆっくりと周りを見渡し、


「……なぁ」


「俺、今……夢でも見てんのか?」


力の抜けた声。


「さっきまで土掘ってたよな……?」


「気づいたら家は新しくなって、井戸ができて、豪華な食事に……」


手元のコップを見る。


揺れる赤紫の液体。


「で、これが……ワイン……?」




「……意味わかんねぇな」


ぽつりと落ちた言葉に——


「ははっ……!」


近くの男が吹き出す。


「俺もだよ……!」


「現実味がねぇよな……!」


笑いが広がる。


だが——


誰も手を止めない。


もう一口。今度はゆっくり味わう。


「……やっぱうめぇ」


現実に引き戻される。



「……おい」


シルがコップを見下ろし、顔を引きつらせる。


「これ……この量……金貨、何枚分だよ……」


青ざめた声。


俺は気にせず肩をすくめる。


「いくらでも作れる」


軽く言う。


「だから、どんどん飲めよ」


一瞬の沈黙。


「……とんでもねぇお方だな……」


誰かが呟く。


だが次の瞬間——


「こう言ってくださってるんだ...遠慮すんのも失礼だよな?」


「だな……!」


一気に流れが変わる。


シルも、


「ははっ!信じられねー!」


と笑ってワインの匂いを楽しむ。



畏れは、ゆっくりと溶けていく。


代わりに広がるのは——


笑いと、熱気。


賑やかな空気。


皆がそれぞれ"奇跡の話"をしている。


女性達はエレナに各々声をかけていた。

オレオを助けてあげられなかった事や、何もしてやれなかった事。

皆の胸に悔やまれる思いがずっとあった。


もちろんエレナもオレオもそんな事は気にしていない。

皆がギリギリで生きている事を知っていた。


そしてエレナからオレオを引き離さなかった事は、結果としてエレナの体力を持ち堪えさせた。


だからこそ、今は元気に笑えている。


そんな女性陣を横目に男達は食事をし、豪快に酒を飲む。



その中で——


シルは負けじと酒を煽りながら、男衆を指で指す。


「お前ら——結局何もしてねぇじゃねぇか」


一瞬、空気が止まる。


「いや、俺らは井戸を——」


「小屋もやってたぞ!」


慌てて反論が飛ぶが、


「途中まで、な?」


容赦なく被せる。


くくっと笑う。


その様子を見て——


俺はコップを傾けながら、ぼそりと呟く。


「……お前もな」



シルの動きが止まる。


「は?」


ゆっくり振り向く。


「指示出して、笑ってただけだろ」


「はぁ!?」


声が上がる。


「アタシはちゃんと働いただろうが!」


「口だけな」


「てめぇ……!」


睨みつけてくる——が。


「ぶっ……!」


誰かが吹き出した。


それをきっかけに、


「ははははっ!」


「言われてるぞシル!」


「確かに口だけだったな!」


一気に笑いが広がる。


子供も、大人も、声を上げて笑い出す。


シルは一瞬固まって——


「うるせぇ!」


と怒鳴るが、


その顔はどこか楽しそうだった。





笑い声が重なり、そんな食事会が終わると皆順番に風呂に入るため外へ行く。


ふわふわのタオルに包まれ、子供たちは皆幸せそうだ。


もちろんオレオも。


大人は風呂の魅力にうっとり惚けている。


そして洋式トイレを見た時の村人達の動揺は凄かった。


こんな綺麗な場所にしていいのか?などと躊躇いを見せていた。


賑やかな夜が、ゆっくりと更けていくと各々がエレナに感謝の言葉を伝え家へ戻っていく。


静けさの戻った家、さすがに疲れた。


そのまま俺はオレオと二階で、エレナとシルは一階で眠りについた。


次の日の朝、ガタガタという音で目を覚ました。

隣にオレオの姿はない。


あくびをしながら窓に近づくと、外ではオレオとエレナが何かを運んでいた。



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