第5話「金も誇りもない勇者」
最強のはずの勇者は封印の腕輪でレベル−100、泣き虫で剣も持てない。
国家随一の魔法使いはサディストで、仲間を実験材料扱い。
忍者はなぜか高確率でハト。
そしてそこに、何も知らない冒険初心者の少女――『初心者ちゃん』が加わった。
雑すぎる王国と、じわじわ崩壊していく世界の中で、
彼らは今日も笑って、泣いて、叫んで旅をする。
ゆるいけど危険、危険だけど笑える。
そんなドタバタ勇者パーティーの冒険譚が、今はじまります。
路地裏に飛び込んだ瞬間、空気ががらりと変わった。
さっきまでの石畳の大通りは陽光に溢れていたのに、ここは細い通りで壁が迫り、昼間でも薄暗い。 高く積まれた建物の影が空を覆い、光はまるで拒絶されているかのようだった。
どぶの匂いと湿った埃が鼻をつき、足元には捨てられた木箱や破れた布袋が散乱している。
その隙間からは、ネズミが素早く走り抜け、何かが腐ったような甘ったるい臭気が漂っていた。
「ど、どこ行った!? さっきの子……!」
勇者さんが必死に首を振り回す。 額には汗が滲み、目は焦点を失っていた。
だが、細い通りは迷路のように折れ曲がり、影の中に子どもの姿はもう見えない。
壁には古びた看板がぶら下がり、風に揺れて軋む音が耳に残る。
「勇者くん」
魔法使いさんが肩に手を置いた。
その手は冷たく、まるで氷のように静かだった。
声色は柔らかいが、まるで首筋に刃を押し当てられたかのような冷ややかさを含んでいる。
「追いつけるわけないだろう? 君、走ってもナメクジのようにトロいんだから」
「ひどいっ!? で、でもご飯代が……宿代が……!」
勇者さんは涙目で叫び、路地裏を奥へと進もうとする。
その足取りは不安定で、焦りが全身から滲み出ていた。 そのとき――
「いた!」
私は指さした。 小さな影が、古びた建物の屋根を軽々と跳び移っていく。
ボロ布が風にはためき、その下から細い腕と脚がちらりと見えた。
その動きは猫のようにしなやかで、まるでこの路地裏が彼の庭であるかのようだった。
「ま、待てーーーっ!!」
勇者さんは全力で追いかけ、ゴミ箱につまずいて転がった。
派手にドンガラガッシャーンと音を立て、猫が驚いて飛び出してくる。
勇者さんは地面に倒れたまま、痛みに顔をしかめる。
その騒ぎに、路地の奥からごそごそと影が増えた。
大人の男たちだ。痩せこけた顔、粗末な革鎧、腰には鈍く光る短剣。
彼らは壁の隙間から現れ、まるで獲物を囲むようににじり寄ってくる。
その歩みは静かで、だが確実に距離を詰めていた。
勇者さんと私を見てにやりと笑うその顔には、悪意と飢えが滲んでいた。
「……おやおや」
魔法使いさんが楽しげに息を漏らした。
その声は、まるで舞台の幕が上がったことを喜ぶ観客のようだった。
「スリの子どもを追ってきたら、ネズミの巣穴に迷い込んだ、ってわけか」
「おう、よそ者。ここは俺たちのシマだぜ」
一人がナイフをひらひらと回す。
その刃は使い込まれて鈍く、だが血の跡のような赤黒い染みがこびりついていた。
「見逃してほしきゃ、金を全部置いてけよ」
勇者さんは腰袋をなくしたことを思い出し、青ざめて震えた。
その顔はみるみるうちに血の気を失い、唇がわなわなと震える。
「……あ、あの、その、実はもうお金が……」
「はは、金がないだぁ?」
男が舌打ちし、仲間たちがじりじりと距離を詰める。
その目は、金貨以上に「弱い獲物」を狙う光に満ちていた。
彼らの手は腰の武器に伸び、口元には歪んだ笑みが浮かぶ。
私は背筋がぞくりとした。
空気が重く、喉がひりつくような緊張が走る。
逃げ道はない。壁は高く、通りは狭い。
まるで罠にかかった獣のような気分だった。
その瞬間――
「ふふ……」
魔法使いさんが口元に笑みを浮かべ、優しい声で囁いた。
その声は甘く、柔らかく、まるで恋人に語りかけるようだった。
だがその言葉は、鋭い刃のように勇者さんの心を突き刺した。
「ねぇ勇者くん。世界を救う前にネズミに集られるなんてなんて無様なんだろうね。
生きてて恥ずかしくないかい?」
勇者さんの顔は、絶望で真っ青になった。
目は虚ろに揺れ、膝が崩れそうになっていた。
彼の背中は小さく丸まり、まるで世界から拒絶されたかのようだった。
――路地裏の空気が、一気に張り詰めていった。




