第12話「そんな目しないで」
私は木刀を杖のように突いて踏ん張った。
足元はまだ滑りやすく、油と水が混ざった石畳はまるで罠のようだ。
視界の端で、チンピラEが見事なフォームでスライディングしていく。
まるで氷上のアスリートのような滑らかさ――そしてそのまま魚屋の看板へ一直線。
ゴンッ!
大きな木彫りのサバの飾りに頭から激突。
「サバァァァ!」
「あら……今しゃべったの看板?」
通りすがりの老婆がメルヘンな思想でそれを見上げている。
煙が少し晴れ、路地の奥に一つの影が浮かび上がる。
ボスらしき大柄な男、そういえばいたなこんな奴。
筋肉の鎧を纏い、鉄の棍棒を手に、ギラついた目でこちらを睨んでいる。
彼だけはまだ踏ん張っていた。
「テメェら……いい加減に……ぶっ潰す!」
その声は、混沌の中でも異質なほど冷静で、怒りに満ちていた。
そのとき、勇者さんがようやく立ち上がろうとした――が。
ズルッ。
洗い流された石畳に足を取られ、バランスを崩す。
首元が洗濯物用のロープに引っかかり、ビヨンッ!と弾性を取り戻したロープが彼を振り子のように宙へと放り出す。
「ひえええええ!!」
「勇者さぁあああん!?」
ぶぉん、ぶぉん――勇者さんは往復運動を繰り返し、三往復目の頂点で、ちょうどボスの顔面の位置へ。
「来いよ、ガキが――」
言いかけたところで思わぬタイミングでロープがブチンと千切れ
ドガァァァァン!!
勇者さんの頭突き、いや、全身タックルがボスに直撃した。
棍棒が宙を舞い、ボスは石畳に正座で沈む。
「ほぼ礼儀正しいKOーーー!?」
私の歓声は、賞賛なのか困惑なのか、自分でも分からなかった。
ただ先ほどの魔法使いさんのように、無意識で親指を立ててしまっていた。
魔法使いさんが静かに拍手をしながら言った。
「ふふ……“偶然の英雄譚”……悪くないね」
残りのチンピラたちは――
油、粉、水、ビー玉、看板、魚、花火の残像、メトロノームの幻聴。
この七重苦により、ほぼ自滅の山を築いていた。
「……撤退……っす……」
「サバ……(※看板)」
「だから看板は黙ってて!」
ようやくピンク煙が晴れ、路地裏に青空の切れ端がのぞいた。
倒れた体の上に体が重なり、人間ジェンガ状態。
その一番上で、勇者さんが震えながら小さくガッツポーズを取る。
「や、やった……ぼく、やったよね……?」
「物理演算がやったんですよ」
遠くで笛の音が響く。
「ピイィーー!」
「衛兵だ!」
「や、やば……!」(チンピラ残党)
魔法使いさんがくるりと踵を返し、涼しい声で言った。
「さて、後始末は苦手でね。退散しよう。――“風の前奏曲”」
路地のゴミと粉と羽根だけが器用に風で片付けられていく。
人は片付けない。
魔法は便利だが、都合が良すぎる。
「ちょ、ちょっと! 衛兵さん来るなら事情説明を――」
「勇者くんが説明すればいい。泣きながらね」
「うわぁぁぁん! ぼ、ぼくは悪くないぃぃ!!」
その瞬間、屋根の縁に小柄な影が現れた。
最初に財布をスッたあの少年だ。
彼は一瞬だけ迷うように目を伏せ――
ヒョイッ。
勇者さんの腰袋を投げ返してきた。
「えっ」
受け損ねた勇者さん、再び腰に直撃。
「ぎゃーーー! こ、腰がぁああああ!!!」
「返す形が最悪!! でも返ってきた!! ありがとう! そして早く逃げて!」
少年は一度だけ私たちを見て、”もの凄く可哀そうなものを見る目”を向けて、路地の迷路へと消えていった。
笛の音が、確実に近づいてくる――




