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私の玉の輿計画!  作者: 菊花
本篇後
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記憶の代償(十)

『もう無理よ。このままなんて、私耐えられない』


窓から、ぼんやりとした月明かりが部屋を照らす真夜中。

ふと目を覚ました私の耳にそんな“母”のすすり泣く声が聞こえてきた。


『これ以上見ていたくないの。もう嫌よ。一緒にいるのが苦痛なの』

『……』

『だって毎日毎日思い知る。私のエリカがどこにもいないって。ねえ、ケヴィン。なんであなたは平気な顔をしていられるの? 私のようには思わないのっ!? 私はこんなに辛いのに』

『……』


ああ、まただ、と思った。

普段私に向けられる、拒絶を含ませ強張った響きとは全く違う。とても悲痛な嘆き。

時々、母の中に溜まった悲しみが堰を切ったようにこうして溢れる。私の前では決して見せないけれど。

こんな母を普段、家庭から目をそらすかのように賭け事に興じているはずの父が宥めているのを私は知っている。


だけどこの日。


『お願いだからっ! なんとか言ってよっ。貴方の本心を聞かせて』


そう強く懇願する母に。


『……辛くないはずないじゃないか。分からないはずなんてない。俺だってもう一度あの子に会いたいさ』


普段、私に対してあからさまな拒絶を露わにすることはない。

かといって必要以上に目を合わせることもなく一定の距離を保つにとどめている父が、そうポツリと呟いて。



ああ、そうか。



分かっていたはずの胸がツキリと痛む。


仕方がないことなのに。やっぱり父も、と。そう思った。


私はエリカだけどこの人たちの“エリカ”じゃない。

それはまるで白い絵の具に他の色を落とすともうその絵の具が白ではなくなるように。

あのころから私はこの人たちにとってエリカに憑りついた化け物のままなのだから。


“ごめんなさい”



『そう思うならっ!』



罪悪感に苛まれた私は頭まで布団に潜り込み強く耳を塞ぐ。



“ごめんなさい”

“ごめんなさい”



貴方達の“エリカ”を奪ってしまって。

それでも私はこの記憶がなくなることを願えない。

もうあの頃には戻れない。




“ごめんなさい。



 お父さん、



お母さん”





***




「……エリカ」


硬く縮こまらせていた体を揺さぶられ「エリカっ」と呼びかけてくる声に、私はぼんやりと目を覚ました。


「あ……」


どうやら私はまた昔のことを夢に見ていたらしい。

自分が今まで眠っていたことに気が付いて重い体を起こすと、ため息を吐いた陛下が私の流れていたらしい涙を指先で拭う。


「大丈夫か?」

「うん……」


心配げに私の瞳を覗き込む陛下に無理して微笑みを作り頷いて、私は意識を現実に引き戻しながら少しだけ視線を動かした。

最初は私の部屋なのかと思っていたけれどどうやらソファや部屋の背景が私の部屋とは違うみたいで、ここはどこだろうと考えながら、まだはっきりしない頭で私が眠ってしまう前の記憶をたどる。


そうだ。

私は――。


確か陛下を訪ねて執務室に来ていたのだったと、そう思い出した時。


「……じゃあ、オレ行くから」


陛下の背後から声がかかり、初めてこの場にオルスもいたことに気が付く。

何故オルスまで!?

予想していなかったその存在に驚き慌てた私と目が合ったオルスはじっと私を見つめて顔を顰める。

そして何故か、


「バーカ」


と。そんな私に向かってそれだけ吐き捨て、彼はさっさと部屋を出て行ってしまった。


「……何、あれ」


ただ暴言を吐き逃げされ、私は呆気にとられて思わずそう呟く。

いつもオルスは私にバカバカ言ってくるけれど今日はなんだか普段以上に見下された気がした。

だけど、


「あれもお前を心配している」


そう、オルスを庇うように言った陛下の言葉でどうやらオルスも先日の騒動を把握済みらしいと悟った私は「なるほど、そういうこと」と納得して、それから陛下に向かってふるふるとゆるく首を左右にふった。


「違うわ。オルスは怒っているのよ。私が陛下を困らせたから。しっかりしろって。さっきのはきっとそういう意味よ」


オルスがあの日のことを知って、何やってるんだよと思わないはずがない。

いつも陛下を信じろと私に言ってくれていたのだから。

きっと、ここに陛下がいなかったら私はもっときつく罵られていたはずで、そしてさっきの「バカ」にはもう同じことは繰り返すなよと、そんな響きが確かに含まれていた。

あーぁ、今度奴に会った時、私はいったいどんな顔をすればいいのだろう。やっぱりとにかく謝るべきだろうな……。

気まずさに私がむーーとそんなことを考えていると、なんとなく陛下から向けられるじっとりした視線を感じた。


「どうかした?」


尋ねると、陛下は「いや」となんだか少し不貞腐れたように軽く瞳を伏せる。


「……お前たちは本当に互いを分かりあっているなと思っただけだ」

「別にそんなんじゃないけれど……、いつだってオルスは陛下が一番大事で、陛下中心に物事を考えるのは知っているもの」


悔しいことに私なんかでは敵わないほど。

私よりもずっと陛下を信頼し、陛下に忠誠を誓っていると思う。

オルスは決して陛下を疑ったりなんかしないもの。

そんなオルスがどう思ったかなんて想像に難くないというだけだ。

私の否定に納得してくれたのかしていないのか深いため息を吐いた陛下が「まあいい」と呟いて、もう一度、気を取り直したようにこちらを見た。



「で?」



「え?」

「待たせて悪かったが、何の用だったんだ?」

「……うん。会いたいなって思って」


陛下に尋ねられて、そういえばと、ここに来た理由を思い出す。


「体調は?」

「今日はわりと大丈夫」


昨日はとにかくつわりによる吐き気がきつくて陛下や侍女たちにすごく心配をかけてしまったけれど、今日は昨日よりだいぶましだ。

でもまたいつ悪化するか分からないしとここに来た私は陛下を見つめ、両腕を伸ばしてもうちょっとこっちに来てと陛下に無言でお願いする。

そして一歩近づいた陛下に座ったまま抱き着いた。


「甘えに来たの」


少しだけ勇気を出して素直にそう告げると、戸惑ったようにしつつも優しく頭を撫でられ私はほっとする。

ベティーのお墨付きがありはしたものの、内心、昨夜はちゃんと別の部屋で休みたいとお願いしたのに聞いてはもらえず、おかげでひどい吐き気に見舞われる私の面倒を見させてしまうはめになってしまったのが気がかりで、ここに来た時も案の定陛下はとても忙しそうにしていたから失敗だったかなとか不安になりつつも言われるまま、陛下のお仕事がひと段落つくのを待っていたのだったから。

だけど想像以上にあまりにもすんなりと受け入れられて、なんだ、これでいいのか……、といつの間にか緊張感で少しだけ強張っていた体から力が抜ける。

そしてそんな陛下にしばらく慰められて私はこのところ毎日、ここに来る間もずっと迷っていたことに“やっぱり”と決断を下す覚悟をした。

「喉が渇いたわ」と陛下から手を離した私に陛下が、最近私がすっかり手放せなくなっている冷たい果実水をグラスに注ぎ差し出してくれる。

それを「ありがとう」と受け取って一口喉に通すと、柑橘類の酸味が胸のムカつきを少しだけ和らげてくれる。

私は口から離したグラスを両手で包みそれをゆっくり意味もなく一度回して、「ねえ、陛下」と陛下へ声をかけた。

私が座っているソファーに腰かけてもう飲まないならと私からグラスを取り去る陛下をじっと見つめる。


「あのね、」


“なんだ?”という視線を向けてくる陛下に、小さく口を開いて尋ねた。


「また、あの人たち来たって」

「……」

「ここに来る途中、お城の下働きの子たちが話してたの聞こえちゃって」


そしておずおずと指さしたのはテーブルの上。


「あれ」


さっき偶々目に入ったもの。


「何か、分かった?」


陛下が私の指先が示す方を辿り、それがテーブルに置かれた私の両親についての報告書に行きつく。

きっと私の目に入れるつもりはなかったのだろう。一瞬バツの悪そうな顔でそれを見つめた陛下が少し迷うように瞳を動かした後、見るか? と私に報告書を手に取って差し出してくる。

これがいつの時点のものなのかは分からない。

けれど、私はそれを首を横に振って断った。


“見なくていい”


そう思ったから。


「いいの」


だけどそれは、先日のような“私が知る必要はない”という理由でではなく。

私は姿勢を正して報告書を引っ込めた陛下を見据える。


「私ね、貴方にお願いがあるの」


「なんだ?」

「この前私、貴方に乳母のこと、尋ねたでしょう?」

「……ああ」


陛下はお腹の子の為に乳母を用意するつもりなのか。慣例とされているとおりお世話は私ではなくその乳母をに任せてしまうつもりなのか。

そう尋ねた私に、陛下は『エリカの好きにしていい』と。


『無理はしなくていい。どちらにしろもしものことがあった時の為に候補は選ぶことになるが、あとは乳母を使うも使わないもエリカに任せる。少しでもエリカが子を愛せて負担にならないと思う方を選べ』


概ねベティーの予想通り、そう言われてしまった。


『じゃあ、陛下は? どっちになってほしいと思う?』


「あのときね、陛下に出来れば子どもは乳母じゃなくて私の手で育ててほしいって言ってもらえて、私、嬉しかったの。私も出来ることなら母親として自分でこの子を育てたいって思っていたから。勿論、無理にそうしなきゃって思ってるわけじゃないわ。本当はね、もしもの時の為にだって乳母を選ばれるのは嫌だなっても思うもの。だけどね、」


まだまだ先のことだ。

急いで決断を下す必要はない。ゆっくり考えろと、あの時はそう言われたけれど。

必死に言葉を紡ぐ私の気持ちをちゃんと受け止めるように、陛下は静かに聞いてくれる。


「だけど、陛下も同じ気持ちならって単純に安心することもできなかった。だって私、迷ってたの。私がそれを望んでいいのかなって。両親(あの人たち)からエリカ()を奪っておいて自分ばっかりって。だいぶ切り離して考えられるようになったはずなのに、そこだけは。やっぱり毎日夢に見るし、どうしても負い目に感じてしまっている自分がいるの」

「エリカ……」

「だから、あれからずっと考えてた」


ううん。考えていたというのとは少し違うかもしれない。

自分がこの気持ちと折り合いをつける方法はとっくに分かっていた。

ただ、なかなか覚悟が決まらなかっただけで。


「私ね、」


ひたと陛下を見据える。



「報告書の内容なんかどうでもいいの。直接、両親に会いたい。会って二人に謝りたいの」



「謝っても受け入れられるとは限らない」

「分かってる。許されようと思ってるわけじゃないの。これは私の自己満足のため」


硬い声で返してきた陛下に、私は小さく苦笑を浮かべる。


「私ね、声に出して二人にちゃんと謝ったことがないの。拒絶して拒絶されて、お互いに腫れものにさわるようで、いつの間にかどう接すればいいのかも分からなくなってた。あの人たちのエリカじゃない私を愛してほしいと思っていなかったし、謝って許されることではないとわかってたの。逆にそうすることでさらに母を傷つけて悲しませてしまいそうで怖かった。でももうちゃんとしたいなって。許されることがなくても。私なりに精いっぱい謝って、ちゃんと踏ん切りをつけるべきだって思うの。そうしないとやっぱり私は前に進めない。だから、私は両親に会いたいの」

「……それは、お前の負担になってしまわないか?」


精神的負荷となることは極力避けるように。

ここのところ情緒不安定気味な私にお医者様はそう仰った。

お腹の御子様に悪影響ですから、と。

そして私以上に陛下はそのことに少々神経質になってしまっている。

そうさせてしまった原因は私なのだけど。

だけど、


「大丈夫。だって、貴方は私のこと好きでしょう?」


私は陛下を見上げて、さも自信ありげに微笑んで首を傾げてみせた。


「……違う?」


「違わないな」


ちゃんと正面から受け止め断言されたその答えに。


「だから、まあいいかって。私は貴方が私を好きでいてくれたならそれで充分だもの」


私はにっこりと笑う。

こうやって、陛下に依存してしまうのは本当は怖くもある。

いつか本当に陛下が私から離れてしまったら私はきっともう一人では立っていられなくなるんじゃないかと。


『姫様、だから申し上げましたでしょう?』


何度そう言われたか分からない。

アブレンの侍女たちの忠告はいつも正しかった。

今回だって、本当になってしまうのかもしれない。


だけど、もういい。


教育係の侍女が言っていたように今だけなのかもしれないけれど。

それでも。

私が身勝手に疑心暗鬼に陥ったところでいったいどんな良いことがあるというのだろうか。

私が身構えて不信感に怯えたところで、きっと陛下は嫌な思いをするだけで、結局はただ()()()が来るのを速めてしまうだけ。

ならば保身ばかりに走らずに、陛下にも私といて幸せだと感じてもらえるように向き合うことのほうがきっと大事。

それに、私も。

何があっても私には陛下がいてくれる。求めて受けてめてくれる場所がある。

そう思えばとても心強くて、結局のところ、私には何も失うものはないのだと当たって砕けろ的に生きていたころよりも私自身がずっと幸せなのだ。



だから、余計なことは考えず私はただ陛下を信じていよう。



そう思うことにしたのだ。


「……まったく」


少しだけ驚いた様子で固まっていた陛下が、呆れたようなため息を吐きだす。


「ダメ?」


陛下が緩く首を左右に振る。


「お前らしい選択なんじゃないか」


調子が戻ってきたようで良かったと、陛下は私の頭に大きな手を置く。


「どちらにしろ俺も、一度お前の両親をこの目で見てみようと思ったところだ」

「え?」

「時機を見たい。エリカの体調も気になるからすぐにとは言えないが」


わかってると私は真剣に頷く。

すると、陛下は少し考えるようなそぶりを見せて私の耳元に唇を寄せた。


「それにしても、変なことさえ言いださなければ珍しく弱弱しくなってるお前も庇護欲を掻き立てられて可愛かったから惜しくもあるな」


「……へ?」


今、陛下は何と言ったのだろうか。

変な幻聴が聞こえた気がする。

弱弱しくなってる私()可愛いかったって……。

いや、まさか陛下が私を可愛いなどと思うはずがないしと彼を凝視しながら思わず顔を赤らめ混乱してしまう。

確かにいつも着飾った私が自ら『可愛い?』と尋ねれば、返ってくるのは『いいんじゃないか』という素っ気ない言葉ではあれど否定されたことはなかった気がするけれど……。

陛下は動揺する私に「なるほど」となんだか意地悪で、それでいて少し楽し気な微笑みを浮かべていて。


「素直に言葉にするのも悪くはない」

「……!!!」


何を急に。

向けられるのは優しく甘い眼差し。

よくわからないけれど、何かいつの間にやら形勢を逆転されたようなそんな状況に。

くらりと目を回し受け止められるまま陛下の方へ身体を預けた私は、お願いだから故意に妊婦を酔わせるような真似はやめてほしいと、割と必死に陛下へ訴えたのだった。

本日、Web拍手にて掲載しておりました『こんな日常』シリーズ本編もこちらに移動しました。

未読の方はそちらも読んでやってくだされば嬉しいです(^^)/

どうぞよろしくお願いします!

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[一言] 続きを楽しみにしてます!
[良い点] やっぱり好きだ〜と実感してました。笑 また触れるきっかけをくださってありがとうございます!!!
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