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恋する巫女は筋肉しか見えない!~神のお告げは百発百中。でも恋だけは毎回大外れ~  作者: たかつど


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8/11

8話 拳太との喧嘩

 

 実家を訪れてから数日後。


 剛太が社の掃除をしていると、境内の入口に、見覚えのある姿が立っていた。


「拳太」


 弟が、一人で山を下りて来ていた。普段は滅多に麓まで顔を出さない拳太が、わざわざ社まで訪ねてくるのは珍しい。


「何の用ですか」

「話がある」


 拳太の表情は硬く、腕を組んだまま剛太を見据えている。剛太はほうきを置き、縁側に座るよう促した。


「お茶でも」

「いらない。手短に済ませる」


 剛太は小さく息を吐き、拳太と向き合った。


「剛太、この前の祖父さんの言葉、聞いただろう。恋は自由だと」

「はい、聞きました」

「俺は納得していない」


 拳太の声には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。


「剛太が誰を好きになろうと、俺には関係ない。だが、それを堂々と口にして、麓の人間にまで知られるような真似は、家族の恥だ」

「恥ですか」

「そうだ。天狗一族は誇り高い家系だ。それを、剛太の、その、悪ふざけのような恋愛沙汰で、汚してほしくない」


 剛太は静かに拳太を見つめた。弟の目には、怒りだけでなく、どこか怯えのようなものも混じっている気がした。


「拳太、聞いてもいいですか。あなたは本当に、家の誇りが心配なだけなんでしょうか」

「どういう意味だ」

「あなたの言葉には、いつも怒りの奥に、別の何かがある気がするんです」


 拳太の表情が、わずかに揺れた。


「剛太には関係ない」

「関係あります。あなたは私の弟ですから」


 剛太がまっすぐにそう言うと、拳太は苦しそうに顔を歪めた。


「俺は」

「はい」

「俺は、外で働いている。人間の職人たちの間で、腕を磨きながら働いている。天狗だとは、誰にも明かしていない」

「知っています」

「その中で、剛太の噂が耳に入ることがあるんだ。『麓の綺麗な巫女様を誰が落とせるか、巫女様を落とすと箔が付く』と。」


 剛太は言葉に詰まった。


「その話をされるたびに、俺は何も言えなくなる。剛太を庇うことも、俺にはできない。天狗だと明かせば、俺自身の立場も危うくなる。だから俺は、ただ黙って聞き流すしかない」


 拳太の拳が、わずかに震えていた。


「俺は、悔しいんだ。何も言い返せない自分が」


 剛太は、ようやく理解した。拳太の怒りの正体を。


「拳太あなたは、私を恥じているんじゃなくて、私を守れない自分に苛立っていたんですね」

「……」


 拳太は答えなかった。だが、その沈黙が、何よりの答えだった。


「ごめんなさい。私は、自分のことばかり考えて、あなたがそんな思いをしていることに、気づいていませんでした」

「別に、剛太が謝ることじゃない」

「いえ、謝ります。私は自分の恋を大切にしたいだけで、それが家族にどんな影響を与えるか、深く考えたことがありませんでした」


 拳太は俯いたまま、しばらく黙っていた。やがて、絞り出すように言葉を続けた。


「俺は、剛太の生き方を否定したいわけじゃない。ただ、剛太が傷つけられるのを見たくないし、俺自身も力のない自分が嫌なだけなんだ」

「拳太」

「祖父さんは、恋は自由だと言った。それは、そうなんだろう。でも、自由でいることと、傷つかずにいることは、別の話だろう」


 剛太は、弟の言葉の一つ一つを、噛みしめるように聞いていた。


「あなたの言う通りです。自由には、代償がついてくることもあります。でも」


 剛太は静かに続けた。


「それでも私は、自分に嘘をついて生きるより、傷つくことを選びます。それが、私の生き方ですから」

「……頑固だな、剛太は」

「あなたに似たんでしょう」


 剛太が少し笑うと、拳太は驚いたように顔を上げた。

「俺は、剛太とは似ていないよ」

「似ています。頑固なところも、不器用なところも」

「……」


 拳太は何か言い返そうとしたが、結局は諦めたように小さく息を吐いた。


「剛太が、そこまで覚悟して生きているなら、俺がとやかく言うことでもないのかもしれない」

「拳太」

「だが、次に誰かに言われたら、今度こそ言い返してやる。天狗の誇りにかけて、な」


 その言葉に、剛太は思わず目を見開いた。


「それは、庇ってくれるということですか」

「勘違いするな。俺は、家族が軽く見られるのが嫌なだけだ」


 そう言いながらも、拳太の耳が、わずかに赤くなっていた。剛太はその様子に、思わず笑みをこぼした。


「ありがとうございます、拳太」

「礼を言われる筋合いはない」


 二人の間に流れていた張り詰めた空気が、少しずつ和らいでいく。


 シロが縁側から歩いてきて、拳太の足元にちょこんと座った。

 拳太は少し驚いた様子で、犬を見下ろす。


「この犬は?」

「シロといいます。少し前に、樹海で保護しました」

「樹海で」


 拳太の表情が、ふと真剣なものに変わった。


「剛太、この犬について、詳しく聞いてもいいか」

「もちろんです」

「実は俺も、最近気になっていることがある。武ノ山の様子が、少しおかしいという噂を、職人仲間の間で聞いた」

「どんな噂ですか」


 剛太が身を乗り出すと、拳太は少し声を落とした。


「まず、樹海の際で木を伐っている杣人たちの間で、妙な話が広まっている。夜になると、山の奥から低い唸り声のようなものが聞こえてくるらしい。獣の声にしては重すぎるし、風の音にしては言葉のように聞こえる時があるとか」

「それは、私が聞いた声と、似ているかもしれません」

「それだけじゃない。石工の一人が言うには、樹海の縁で、古い石碑のようなものを見つけたそうだ。文字が刻まれていたが、苔と土に埋もれていて、はっきりとは読めなかったらしい。ただ、掘り出そうとした途端、急に体調を崩して、それ以上作業を続けられなかったと」

「体調を、崩した」

「気味が悪いと、みんな近づかなくなった。それに、もう一つ」


 拳太は少し言い淀んでから、続けた。


「猟師の間でも、話題になっている。ここ最近、樹海の獣たちが、揃って麓の方へ下りてきているらしい。鹿も、猪も、狐までもが、まるで何かから逃げるように、山の奥から離れていくと」

「動物たちが、逃げている……」

「それと、井戸だ。東の峰の麓にある古い井戸の水が、ここ十日ほどで、急に冷たくなったという話も聞いた。水質が変わったわけでもないのに、まるで氷水のようだと、村の者たちが騒いでいる」


 剛太は、それらの話を一つずつ、頭の中で繋ぎ合わせようとした。

 低い唸り声、埋もれた石碑、逃げる獣たち、冷たくなった井戸水、どれも、単独では説明のつく些細な出来事かもしれない。


 だが、それが同じ時期に、同じ山を巡って起きているとなると、話は違ってくる。


「拳太、それはいつ頃から始まった話ですか」

「はっきりとは分からないが、少なくとも、ひと月前後前からだと思う。ちょうど」


 拳太はそこで言葉を切り、剛太をじっと見た。


「剛太が、あの声を聞き始めた頃と、近くないか」


 剛太の背筋に、冷たいものが走った。


「近いというより、同じ頃のような気がします」

「偶然にしては、出来すぎている」


 二人の間に、重い沈黙が落ちた。シロが二人の顔を交互に見上げ、心配そうに小さく鳴いた。


「拳太、実は私も」


 剛太が声を潜めてそう切り出したところで、社の奥からゾクヤケシャ様がひょっこりと顔を出した。


「おお、拳太もおったのか。ちょうどいい、みんなで話をしようかのう」


 拳太は少し驚いた顔をしたが、剛太が頷くのを見て、縁側に腰を下ろした。


 夕暮れの光が、三人と一匹を静かに照らす。

 武ノ山を巡る、大きな物語の欠片が、ゆっくりと集まり始めていた。

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